箕輪睦夫さん、逝く

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 新年早々に、私のもう45年以上前からの友人・箕輪睦夫さんの訃報が突然届き、一昨日、東京府中で葬儀が取り行われました。あまりに突然で、未だに受け入れることができません。

* これまでの箕輪睦夫さん関連記事ーー> 秋山孝二の部屋

 斎場入口には彼の人生の足跡も展示されていました。

柔道部での活躍!

柔道部での活躍!

 昨年の秋山財団贈呈式前の特別講演会としてCSRについてのご講演で登壇され、その際に私は座長を務めましたが、ご参加の多くに皆さまもこれまでの実践に裏付けされた内容に大変感銘を受けました。

* 2025年度 贈呈式の動画 - 秋山記念生命科学振興財団

 以下の写真は今から45年前、ハワイ・オアフ島にあったJAIMSで学んだ時の箕輪さんと私です。30歳前後の二人とも若い時代、見るたびに箕輪さんのバイタリティーにあふれる前向きな姿を思い出します。

左端が箕輪さん、右から二番目が私

左端が箕輪さん、右から二番目が私

右端が箕輪さん、隣が私

右端が箕輪さん、隣が私

 箕輪さんとは昨年11月末にも大井町で夕食を一緒に、これからの北海道での幾つかのプロジェクトについても年明けから始めましょうと約束し、年末には更に詳細のメールも届いていました。今となっては、これらのプロジェクトをしっかり受け継いで、箕輪さんにご報告できるように仕上げていきたいと決意しています。

 本当にお世話になり心から感謝致します、どうか安らかにお眠りください。

遺影の前で思うこと

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 毎日様々な目の前の出来事に対処しながらふとした時に、これまで亡くなった人々を思い出します。

これまでの「逝去」関連の記事ーー> 秋山孝二の部屋

 そんな中で、仏壇のある部屋に掲げてある親族の遺影を前にすると、これまでのリアルな思い出がフラッシュバックすると同時に、いつも見守られている気にもなりますね。5人家族で姉・兄がいた末っ子としての私は、幼い頃から祖父母、伯父伯母と同居の大家族でしたので、今はもう誰もいなくなりました、これも末に生まれた私の為せる状況なのでしょう。

<この間の親族の旅立ち>

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 兄・秋山一男、逝く

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 和久奈ちよ、逝く

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 4年4日の輝く人生!

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 母、満99歳の大往生!

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 姉・せつが永眠

 特にこの数年間は、相次ぐ旅立ちでその喪失感は拭い難いのですが、遺影をじっと見つめていると大きな力を得るような気持ちもあったり。

 ただ来し方をノスタルジックに眺めるだけでなくふと我に返ると、子供たち・孫たちの新しい世代の力強い胎動も感じます。多くの親族に見守られながら、新しい時代に希望を託しながら、自らの人生を歩む、昨今は「生きる」だけではなく「生ききる!」という言葉が心に響きます、長さではなく「生きがい」を持って自らの人生を納得のいく形で「生ききる」ようなニュアンスでしょうか、適切で上手な表現ができませんが。

 引き続き頭を上げて一歩ずつ前に進みたい、そんな今の心境です。

Carlin & Aiden, 卒業おめでとう!

Posted by 秋山孝二
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 私がお世話になったKevin Stewartの長男Aiden、次女Carlinが、それぞれ今年大学を卒業したと妻MariaさんのMessengerでアップされていました。3年前には長女Islaも卒業しています。

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » R.Kevin Stewart 氏、逝く (akiyama-foundation.org)

* 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

 2021年には長女のIslaも大学卒業しています。

説明がありません

 当たり前ですが、幼い頃から知っている二人と長女Islaの、それぞれ皆成長した姿、嬉しいですね。

 下の写真は2012年にKevinのお墓参りにボストンを訪れた時、自宅で撮影したもの、十数年経って当時の幼かった子供たちもそれぞれ大学を卒業して立派な社会人になりました。

 もう何回も書いていますが、私にとって一生忘れることができない恩人でした。アラスカの釣り、ボストン周辺・フロリダのゴルフ等のリラックスタイムはじめ、もちろん現地法人の責任者として濃密に意見交換した日々、全てが当時の私にとっては学びでした。

 Isla、Carlin、 Aiden、おめでとう、そしてMariaさん、ここまでお疲れさまでした、皆さんのご多幸をお祈りしています!!!

私、副代表幹事に就任!

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 北海道経済同友会 (hokkaido-doyukai.jp)の副代表幹事に、この度私が就任しました。1996年から幹事になって以来28年間お世話になっていて、この間、私は所属・役職変更が6回もありましたので今さらという感じではありますが。経済同友会は基本的に経営者個人の登録が基本なので、札幌・北海道をこよなく愛する私は永らくここで研鑽を積まさせて頂いています。

* これまでの経済同友会関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

* 経済同友会の歴史ーー> 経済同友会の歴史 | 経済同友会 (doyukai.or.jp)

 先日の年次総会後の懇親会で、簡単に就任ご挨拶をさせて頂きました。私には経済同友会幹事のロールモデルがあり、それは「2013年にお亡くなりになった東京の経済同友会終身幹事の品川正治さんです」とお話しました。

< 品川正治さん関係の記事 >

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 品川正治さん、逝く (akiyama-foundation.org)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 「品川正治さん」お別れの会 (akiyama-foundation.org)

* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 品川正治さんが問いかけたもの (akiyama-foundation.org)

品川正治 に対する画像結果

 役職・所属は代わっても、私がこよなく北海道を愛する気持ちには何も変わりがありません。これからも一経営者として自らの時代認識を研ぎ澄まし、理想を掲げて社会の羅針盤的な発言を続けていきたいとあらためて決意した次第です。

大江健三郎さん 逝く

Posted by 秋山孝二
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 ノーベル文学賞作家の大江健三郎さんがお亡くなりになりました。私は作家というよりも日本国憲法の改悪に反対する『九条の会(http://www.9-jo.jp/』でその存在感を受け止めていました。10年以上前の東京日比谷公会堂での集会で、終了後に地下鉄でお帰りになる大江健三郎さんを至近距離でお見かけした時のお姿を忘れることができません。

* これまでの関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%A4%A7%E6%B1%9F%E5%81%A5%E4%B8%89%E9%83%8E

 私自身が88歳を迎えることができた時に、大江さんのように筋を通して世の中に存在を示し続ける人生を歩んでいるかどうか、見本としたい生涯です。ご冥福を心からお祈りいたします。

2021年を振り返って

Posted by 秋山孝二
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 今年を振り返ると「逝くいのち」と「生まれるいのち」で身近にも大きな変化がありましたが、今、手元にある映像ファイルでは以下のような振り返りでしょうか。来年に期待を繋げたいものです。

 逝くいのちは叔母・和久奈ちよです。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=42836

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=43104

 生まれるいのちは、私の4番目(三男)の子に3番目の子が生まれました、私の12人目の孫で、「天(てん)」と名付けられました、健やかに育って欲しいものです。

 手元の映像ファイルからは師走の番組から幾つか。

MXテレビの寺島実郎シリーズから

MXテレビの寺島実郎シリーズから

多摩大学リレー講座、田中優子さん講演より

多摩大学リレー講座、田中優子さん講演より

 テレビ番組でも今後に期待できそうな幾つか。

検証番組は年明けにも続く!

検証番組は年明けにも続く!

 そして2年ぶりに再開したFM三角山放送の『丸山哲秀先生人語の8時間連続トーク』に参加。今年を丸山先生と振り返りながらの1時間、楽しいひと時でした。

札幌市西区琴似のFM三角山放送局

札幌市西区琴似のFM三角山放送局

丸山先生もお元気で!

丸山先生もお元気で!

 21世紀ももう20年を過ぎました、今年は『太平洋戦争開戦80年』の節目の年、寺島実郎さんがいつもおっしゃっている「正確な事実に基づく歴史認識」を自分の頭で考えながら、目の前の課題に立ち向かう意欲を失いたくないものです。今年一年、お世話になった皆さまに心から感謝申し上げます、どうかよいお年をお迎え下さい!!

和久奈ちよ、逝く

Posted by 秋山孝二
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 私の叔母の和久奈ちよが10月29日午前9時57分、すい臓がんで眠るように静かに逝きました、91歳でした。ここにお知らせすると共に、生前お世話になった皆様に心から感謝申し上げます。つい2か月前にハンガリーから叙勲の栄に浴しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=42273

 コロナ禍、栃木県への遺体の移送も難しく、二日後の31日に東京都内で内輪で葬儀を済ませました、たくさんの方々に最期までお心遣いを頂きながら礼を欠いたことをお詫び申し上げます。

駐日ハンガリー特命全権大使のパラノビチ・ノルバートさまもご参列

駐日ハンガリー特命全権大使のパラノビチ・ノルバートさまもご参列

 栃木県宇都宮市で『お別れの会』を12月11日に財団葬として開催する予定です、下記がその告知です。

~~~~~~~~~~~~~~~~

当財団設立者・理事

和久奈ちよ 入院加療中のところ、十月二十九日午前九時五十七分、享年九十一歳をもって永眠いたしました。

ここに生前のご温情を深謝し謹んでお知らせ申し上げます。通夜ならびに葬儀は近親者にて相済ませました。

なお「お別れの会は財団葬をもって下記の通り執り行います。平服にてお越しくださいますようお願い申しあげます。

―、日 時 十二月十一日(土)午前十一時~十二時三十分

―、場 所 宇都宮東武ホテルグランデ(宇都宮市本町五ー十二)

https://www.tobuhotel.co.jp/utsunomiya/

令和三年十一月十五日 芳賀郡益子町大字益子四三三八

施主 公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団

代表理事 秋 山 孝 二

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 内輪の葬儀を終えて、今ちよの遺骨は栃木県益子町の『ワグナーナンドール記念財団』内の祈りの室に夫ナンドールの横に安置されています。

徳田達介さん、逝く

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 私には、これまでの人生で心の底からお世話になったと言える何人かの方々がいます。学生時代から教員時代、そして結婚して以降も、長い間たくさんのお心遣いを頂いた徳田達介さんは、その中でも決して忘れられない一番の方です。

 10月にお亡くなりになったことを年末の奥様の喪中のはがきで知り、先日、杉並区のご自宅に行き、納骨の前にお礼を述べて参りました。

ご自宅で

ご自宅で

 ご本人の強いご希望で戒名は求めず、「徳田達介」の位牌が印象的でした。奥様と長女の恭子ちゃんとしばし昔話と昨年の最後となった小笠原島へのクルージングのお話等、時間を忘れて振り返りのひと時を過ごすことができました。

ご本人の強い遺志で

ご本人の強い遺志で

 思い起こすと、私の学生時代のアパート探しから始まり、節目節目で言葉では言い尽くせない程お世話になりました。

 特に思い出深いのは、私が1971年に大学二年を終了して休学し、その秋に横浜大桟橋からアメリカに行く船の旅を強く進言したのは徳田さんでした。海外への飛行機の旅はこれからいくらでもできるけど、船旅は時間のある今しかできないからと。そしてこの一人旅は、私の人生の大きな転機となりました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431

 2000年でしたか、世界一周の船旅をご夫婦で体験された時、当時名古屋で単身赴任だった私は、東京の有明桟橋にお見送りもお迎えにも行ったことは忘れられません。その後もクルージングの旅は回を重ねて行かれていたと先日も奥様からお話を聞きました、本当に船がお好きだったのですね。

 また、私が3年次に復学してからの大学時代、恭子ちゃん、幸子ちゃんの二人の娘さんの家庭教師として、千葉大学西千葉キャンパスから西荻窪に行き、帰りは千葉県市川の私のアパートに戻る暮らし。勉強を教えたというよりも夕食を頂きに行っていたという方が的確なくらいお世話になりました、先日、恭子ちゃんと本当に久しぶりにお会いしましたが、昨日のことのように当時のことを思い出しました。

 これまでのたくさんのご厚情への御礼をお伝えし、ご家族と昔話と秋山家の近況をご報告して玄関の外に出ると、快晴の空の向こうに雪を冠した富士山が美しく見えました。

マンションから見事な富士山!

マンションから見事な富士山!

 人の命には限りはあるけれど、私がお受けしたお心遣いは決して忘れることはなく、私自身、誰かのために心からの応援と支援をしていきたいものと帰り道に心に刻んだ次第です。

 徳田達介さま、本当に永い間お世話になりました、どうか安らかにお眠りください。

中村哲先生、逝く

Posted by 秋山孝二
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 突然の訃報はスマホで流れてきました。中村哲先生とは直接はお話をしたことはありませんが、多くの番組で紹介されているように、覚悟を持ってのこの間のアフガニスタンでのご活動に心から敬意を表する当時に、ご冥福をお祈りいたします。

 そして、先日の葬儀の様子もSNSで記事になっていました。

* https://www.youtube.com/watch?v=1710uaVKc6o

 覚悟の上の活動、本物の姿から多くのことを学びました、心からご冥福をお祈り致します。

箱﨑陽一先生、逝く

Posted by 秋山孝二
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 「一般財団法人 札幌南高学校林(http://www.rikka-forest.jp/)」理事の箱﨑陽一先生が、2018年6月12日13時32分、お亡くなりになりました。札幌南高松本事務長、奥様の瑞枝さまから相次いでご連絡がありました。永年、リンパ系のガンで入退院を繰り返し、先月25日に私は久しぶりに病院にお会いしに参ったばかりでしたので、大変残念でなりません。

< 箱﨑先生に関する記事 >

* 2016年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23501

* 2017年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29403

* 2017年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29919

 お通夜・告別式は、北広島市で家族葬で執り行われましたが、連日、大勢の参列者でお別れを致しました。お通夜の折に、奥様の瑞枝さまから、告別式での弔辞を依頼されてお引き受け致しました。家に戻り、しばし生前の箱﨑先生と深夜まで真摯に向き合って準備し、当日、唯一の弔辞として拝読させて頂きました。

優しい笑顔のご遺影

優しい笑顔のご遺影

< 私の弔辞 >

弔辞

 一般財団法人 札幌南高等学校林理事、故箱﨑陽一先生のご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

 つい二日前の午後、札幌南高から「箱﨑先生ご逝去」の報が届き、私はにわかには信じがたく、しばし呆然としておりました。というのも、年明けから肺炎等で体調を崩されていると伺っていたので少々心配していましたが、先月二十五日に病院を訪問して久しぶりにお会いした姿が、お声にも力があり、ことのほかお元気とお見受けしていましたので。

 私にとって、学校林財団との出会いは箱先生との出会いでもありました。私が理事に就任して間もなく、現役の教諭として地道に活動されていた箱先生は、植林・伐採が主体の活動から、多様な生態系としての視点、教育・研究の場としての視点、言い換えると環境林・教育林としての展開を提案し続けていらっしゃいました。

 今年、百七年目を迎える学校林、当初の焼け野原から植林を軸に立ち上げた壮大な森づくりは、この十数年、大きく変貌してきています。箱先生をリーダーに、これまでの保全事業から環境林・教育林としての価値を創り始めました。

 昨年のゴールデンウイークの合間、箱先生とご一緒に、水芭蕉も真っ盛りの湿地で、シイタケ、なめこ他の植菌をオリジナルの「YH法」はじめ、幾つかの方法で行いました。そして、簡単な昼食の時間は、箱先生のフォトコレクションの回覧時間、いや、正確にはご自分で撮ったのですから「箱ギャラリー」でしょうか。鮮やかなエゾエノキの葉を背景に、国蝶オオムラサキの多彩な写真の数々、じっと待っての接写レンズでの撮影は、かなりの忍耐力が必要でありまさにその執念と情熱に脱帽でした。

 また昨年は、学校での取り組みの論文テーマ「学校林にはばたけ国蝶オオムラサキをスローガンに ~オオムラサキの保護活動を中心に八年間実践した環境教育の総括~」で、公益財団法人下中記念財団第二回表彰事業の最優秀賞を受賞されました。東京での表彰式には私も応援で駆けつけ、箱先生はご夫妻でご出席、素晴らしい受賞スピーチでした。その論文の最後に、「退職後も学校林財団理事会や企画活動委員会の構成メンバーとして、準絶滅危惧種であるオオムラサキの保護に向けた企画・研究活動等に携わり、継続できる喜びを感ぜずにはいられない」と記されていて、私も昨日までそう信じておりました。

 白旗山の一部をなし、複雑な沢や尾根をもつ多様性と魅力のある学校林。 この森を潤した水は、厚別川から石狩川へ、そして日本海へと注ぎ、海の命とつながる位置にあります。 そしてここはまた、教育の場であり、同窓や地域の交流の場であり、天然資源を生み、地域経済に資する場であり、世代間の架け橋でもあります。 連綿と続く札幌一中から札幌南高の歴史とともに歩んできた学校林は、これからも六華同窓の縁と、地域とともに、美しく豊かに続いていくでしょう。先月二十五日、私が病室を離れる時、「学校林は同窓のためだけのものではなく、広く市民に開かれたものであるべき、私はそう信じている」とのお言葉、私は忘れることはありません。

 箱陽一先生、この学校林でのご業績が、言い尽くせぬ貴いものとして私どもの心にしっかり残っております。「箱プロジェクト」の実践は、松本美奈子さん、宮本敏子さんをはじめとする強力な女子力、「オオムラサキ・キノコチーム」として新たな担い手たちが立ち上がり、一歩一歩前に進んでいます。「六華の風」になって、あの大きな空を吹きわたり、百年、そしてさらに先まで見守って頂きたいと思います。歴史に刻まれたこの財産と陽一先生の生前のご尽力に深く感謝するとともに、これからも永く継承し力強く歩んでいくことをお誓いし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 どうか安らかにお眠り下さい。

平成三十年六月十四日

一般財団法人 札幌南高等学校林

理事長  秋山 孝二

宮原正幸常務理事、逝く

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 突然の訃報とはこのようなことなのか、今月19日午後のことです。(公財)秋山記念生命科学振興財団の常務理事、宮原正幸が急逝しました。

 昨日、お通夜、本日告別式、ともに滞りなく終了しました。ご会葬頂いた皆さま、弔電、ご供物、ご供花を頂いた皆さま、心から感謝申し上げます。

祭壇

ご長男の想いを込めて

葬儀の私の弔辞~~~~~~~~~~~~~

弔辞

 公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団常務理事、故宮原正幸さんのご霊前に、謹んでお別れの言葉を申し上げます。

 「宮原さんが倒れて心肺停止で今搬送中です」、と財団職員の救急車内からの報を受け取ったのは、わずか5日前の午後6時過ぎのことです。その日の午前中には、宮原常務理事、事務局の桜井、城越、私とで、年明け開催予定の財団理事会、評議員会の議案を巡って、最終の確認をしたばかりでした。いつもと変わらぬ姿、わずか数時間後のこの連絡に、私はにわかには信ずることができませんでしたが、すぐに気を取り直して西区の病院に駆けつけました。こうして弔辞を読んでいる自分は、未だに現実とは受け入れがたい正直な気持です。

 宮原正幸さん、初めて私が出会ったのは、今からもう30年以上前になるでしょうか。北海道銀行のホープとして、新しい事業づくりに懸命に努力していた時でした。「北の大地に種を蒔く」と、北海道の将来ビジョン、新しいビジネスモデルによる北海道の活性化等、当時、企業経営に携わりはじめたまだ新米の私は、前向きな意見交換を何回もしたような気がします。銀行というのはただお金を預かる、貸し付けるだけでなく、地域の開発・活性化なくして繁栄はないとの信念、地域住民の豊かな暮らしに関しても真摯に向き合うものなのかと、私は、そんな高度経済成長を支え、バブルに向かう当時の間接金融機能の原点に対して、また、組織の中で意志を貫こうとしている一人の人間に対して、素朴な感動を覚えたことを今でも記憶しています。

 その後、私との関係で濃淡はありましたが、思い出すと会ったりし、縁あって秋山財団に迎えて以来57ヶ月、丁度、財団設立25年の直後から30年の重要な時期を、本当に全力で「民が担う公益財団活動」に邁進して頂きました。

 思い出します、毎年9月の贈呈式、理事長挨拶として原稿を書いていた宮原さんの幾つかのこだわりの言葉を。「大平洋戦争末期の沖縄戦からの学び」、「ヒューマニズム」、「民間が担う公共」、「科学者の矜持」、「アンチテーゼ」、「アウトリーチ活動」等々、そして「いのちの尊厳」です。私との意見の相違で何回も議論したことも、今となっては過去の思い出となりました。

 贈呈式では、祝賀会の終わりの挨拶で、ふるさと芦別の幼い頃の記憶と愛着、大学時代に暮らした弘前、東北地方に寄せる想い、銀行・生命保険会社での経験と誇り、ある時は激しい憤り、ある時は貴重な教訓として語り、そして必ず毎年、ご両親の想い出に言及していた姿も忘れられません。

 宮原さんの最期の仕事となった秋山財団来年度事業計画の策定作業では、自ら力を入れて挿入した二点、「生命科学の概念を明確に提起し、『北海道学』という新しい概念の構築を提唱する中で『地域』を深掘りする」、「生命科学の基礎的研究に取り組む若手研究者を重視した助成を継続する」、私は、年明けの会議で、宮原さんの遺志として理事・評議員・監事の皆さまにお伝え致します。

 宮原正幸さん、秋山財団でのご業績が、言い尽くせぬ貴いものとして私どもの心にしっかり残っております。歴史に刻まれたこの財産と宮原正幸さんの生前のご尽力に深く感謝するとともに、これからも永く継承し力強く歩んでいくことをお誓いし、心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 どうか安らかにお眠り下さい。

平成291224

公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団

理事長  秋山 孝二

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米光宰(おさむ)先生、逝く

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 三代目秋山康之進・喜代夫妻をはじめとする秋山家と北海道大学薬学部との関係、秋山財団の設立から現在までの歴史をリアルにご存知の米光宰先生の訃報が届きました。私にとってはまさに急なお知らせでしばし茫然、先日の葬儀でも着席した場からご遺影を拝見しながら、思い出が次から次へと脳裏を駆け巡り、涙が止まりませんでした。

ご遺影は昨年6月の「秋山財団30周年記念の集い」の時のもの

ご遺影は昨年6月の「秋山財団30周年記念の集い」の時のもの

 北大薬学部創設時の秋山康之進の役回り、その後の薬学部学生への奨学金助成、そして秋山財団の名付け親・伴義雄先生、金岡祐一先生ほか、現在の薬学部との関わり合い等、生の思い出として語って頂ける最後の方で、一昨年の「北大薬学部60周年記念の集まり」のDVDでもご紹介していらっしゃいました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24562

2015年「北大薬学部創設60周年記念で鏡割りでご登壇の在りし日の米光宰先生のお姿。

 ご自身はいつも「毒舌で申し訳ない」と笑顔で前置きをされて、秋山財団の活動についてもいつも心のこもった辛口のアドバイスを頂いていました。常務理事ほか事務局職員も可愛がって頂き、その笑顔はこれからも忘れることはないでしょう。

2016年6月、秋山財団での「30周年記念の集い」で、設立時からの萱場利通監事と宮原正幸常務理事、城越ゆかり事務局員と歓談する米光先生。

 北海道大学名誉教授の鈴木章先生が「カップリングメソッド」で秋山財団研究助成の採択となった年の選考委員長で、その19年後にノーベル賞を受賞された時に財団事務所にいち早くお電話を頂いたのを覚えています、我がことのように喜ばれていた米光先生の姿が今も強く心に残っています。

葬儀の朝、北海道神宮境内は前日からの真っ白な雪

葬儀の朝、北海道神宮境内は前日からの真っ白な雪

 米光宰先生、これまで本当にお世話になりました、秋山財団の理念の具現化として、先生からこれまで頂いた貴重なアドバイスを活かして一層研鑚を積んで参ります。感謝の意をこの欄で十分表現できませんが、どうか安らかにお眠りください。

兄・秋山一男、逝く

Posted by 秋山孝二
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 私の尊敬する兄・秋山一男が、11月3日午前10時13分、国立相模原病院で亡くなりました、附属札幌中学校、札幌南高(16期)、東京大学医学部卒、享年67歳。葬儀は、東京・信濃町の「一行院(いちぎょういん)千日谷会堂(せんにちだにかいどう)http://shinj-sennitidani.tokyobutuji.com/」で執り行われ、大勢の方々にご参列頂き、心から感謝申し上げます。

「医光院寛恕一心居士」

「医光院寛恕一心居士」

 現役の「独立行政法人 国立病院機構 相模原病院院長(http://www.hosp.go.jp/~sagami/byoin/aisatsu.html)」としてアレルギー分野で日本の医療に尽力してきました。

 1年ほど前に検査ですい臓・肝臓の異常が見つかり、以来、入退院を繰り返しながらも院長業務を変わらず続け、最後まで現役「臨床医」の信念を行動で示しました。悲しみ、喪失感というより、何か「医道のサムライ、アッパレ!」と言いたい首尾一貫した人生でした。

 思い返せば今年明けから、私の東京出張の合間に病院を訪問し、約10か月間。これまでの薄いコミュニケーションを一気に取り戻すような、私なりには濃密なやり取りは貴重でした。3歳年上で、幼い頃から勉強、運動ほか、私の目標とする兄でした。小学校の時だったでしょうか、相撲をやっていて私の投げ技で目の前でひっくり返った兄を見て以来、私は兄と相撲を取るのをやめました。その瞬間が昨日のことのように思い出すから不思議です。

 限りある命の宣告を受けた直後は、「死」について向き合う少々動揺する心を率直に語ってくれました。何回目かの訪問時、「『死』というよりも『永眠』と考えると気持ちが落ち着いてくる」と、笑顔を交えて話していました。「覚悟を決めたのに少し状態がよくなってきて気持が緩むと、それをまた引き締め直すのが大変だ」とも。毎回こちらから問いかける訳でもないのに、数値を示しながら今の自分の状況を淡々と説明する様子は、まるで目の前の患者さんの病状を職員に語っているような錯覚をするほどでした。この間に届いたメールを読み返して見ても、素人の私に対して専門用語と数字の変遷を書き綴って、終始、今の体調を説明する内容です。

 病室では、アレルギー分野の医療の課題の他、病院人事とか院長職としての病院経営総体に対するやり取りが印象的でした。特に、自分が患者として感じたことを、院長を務める自病院の医師・看護師・コメディカルの方々に、あたかも研修の講師のように細かく分かりやすく説明する姿も目に焼き付いています。

 9月下旬には、「腹水が少しずつ溜まってきている、確実にダウンヒルだね」と。毎回病室を出る時は握手して別れていましたが、10月29日の午前中の訪問時は、「意識と体が別々の感じがする」と言いながら力強く握手したのが、わたしにとっては兄の最後の姿となりました。この間、病院の皆様方の一丸となった誠意溢れる対応に、見舞いにきた母が感動し、私も心から心から感謝する次第です。長男の健一くんの話によると、最後の晩は、「もうこれは要らない」と自ら酸素マスクを外し、その後に昏睡状態となり、数時間後に静かに心臓が停止したとのことでした。

 生前からいつも語っていたように、息を引き取る最期まで、「臨床医」、「病院長」として職責を全うした人生、あらためて私の誇りです。安らかに「眠って」下さい。

<参考> 秋山一男 http://dr-guide.net/www/%E7%A7%8B%E5%B1%B1%E4%B8%80%E7%94%B7/

明峯哲夫さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 明峯哲夫さんが先月急逝されました。秋山財団の選考委員、評議員を歴任、市民活動への助成のあるべき姿に対して、たくさんの示唆に富むアドバイスを頂き、今日の財団事業の基盤づくりにご尽力されました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6215

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10250

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10232

 明峯さんの「東京日記」に引用されている「『天国はいらない、故郷を与えよ』(セルゲイ・エセーニン)」は、重たいです。

 「2011年3月11日以降の社会に対して、秋山財団はどう貢献するのか、単なる『社会貢献活動』ではその立ち位置が不明確で無責任」とのご指摘を受けて、心にグサッと突き刺さりました。

 10数年前に札幌市小別沢のやぎや(http://yagiya.jugem.jp/)さんのプログラム「農的くらしのレッスン(http://www.lennut.org/lesson/lesson_info/lesson_info.html)」で初めてお会いして以来、ご専門の植物学分野ばかりでなく、思想・哲学分野でも、数々の示唆を与えて頂きました。また、一人、私は大切な人を失いました。突然の訃報でまだまだ受け入れられていませんが、これまでのご尽力に感謝すると同時に、心からご冥福をお祈り致します、どうか安らかにお眠りください。

竹津宣男さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 札幌交響楽団元事務局長、PMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)の立役者・竹津宣男さんが急逝、先月の芸術・文化を応援する会の集まりにもご出席されていましたので、突然の訃報に接し言葉を失いました。葬儀はごく内輪での家族葬、先日、札幌で「お別れの会」が催され、多くの参列者が感謝の言葉とお別れに詰め掛けました。

* 札幌交響楽団 (http://www.sso.or.jp/

* PMF (http://www.pmf.or.jp/

竹津宣男さん・お別れの会

竹津宣男さん・お別れの会

 当日の弔辞の中で皆さんお話をされていましたが、いつも柔和な表情を浮かべての的確なアドバイスは、いつも率直に心に響いて参りました。私のチェロの恩師・上原与四郎先生と札幌交響楽団の最初からのメンバーで、幼い頃の私のチェロ演奏も覚えていらっしゃって、数年前のフォーラムでもそのお話をされていたのが嬉しく、心に残っています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5134

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4859

 札幌のクラシック音楽分野の普及啓発では、本当にご尽力されました。失った存在の大きさは計り知れませんが、いつまでも悲しがっているばかりではそれこそ竹津宣男さんの御遺志に背くことになります。残った次の世代がこの宝物を背負って益々発展させていかなければならない、笑顔の遺影からそんな決意を新たにした次第です。

 どうか、安らかにお眠りください、心からご冥福をお祈り致します。

訃報:山田恭暉さん逝く

Posted by 秋山孝二
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 「公益社団法人 福島原発行動隊(SVCF):http://svcf.jp/」の前理事長、山田恭暉さんの訃報が届きました。下の写真は、2年前、札幌で講演された時のものです。講演後の懇親会にもご出席して、参加者と親しくお話をされました。

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各 位

 みなさまがたにおかれましては日々お変わりなくお過ごしのことと存じます。

 さて、山田恭暉こと、さる2014年6月17日の午後10時33分に病の急変を経て永眠いたしました。ここに生前の貴重なご指導やご援助にお礼をお申し上げるとともに、皆さま方の一層のご健勝をお祈り申しあげます。
生前の山田恭暉はひとかたならずわがままに自分のやりたいことを貫き、皆様からの多くご協力をいただいたことに繰り返し感謝の念を申しておりました。もはや本人の口から言葉を聞くことができませんが、故人に代わって厚く御礼を申し上げますとともに、故人のやり残したことを一歩でも前進させていただくことができますよう、切にお願い申し上げます。

 故人の遺志により告別式、葬儀等の儀式は一切省略させていただき、遺骨は海洋に向けての散骨を計画しております。故人の強い意思と思ってご了解いただければ幸いです。

 最後に皆様のご多幸をお祈りしてご挨拶と御礼に代えさせていただきます。

2014年6月18日
妻 山田真帆

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 札幌にもお招きしてご講演をお願いし、これまでにこの欄に数回書きました。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E7%99%BA%E8%A1%8C%E5%8B%95%E9%9A%8A

 手術後、療養中とは伺っていましたが、突然の訃報に言葉もありません。心からご冥福をお祈り致します。

品川正治さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 今朝(9月6日)の新聞記事で、(公社)経済同友会・終身幹事の品川正治さんが8月29日にお亡くなりになったことを知りました(http://www.asahi.com/obituaries/update/0905/TKY201309050414.html)。

<ご略歴> 1984年に日本火災海上保険の社長に就任。(社)経済同友会の副代表幹事や専務理事を歴任し、速水優、牛尾治朗両代表幹事を支え、退任後も終身幹事として財界活動を続けました。戦時中、中国に出征した経験を踏まえて憲法改正に反対し、9条を守る大切さを訴え続けました。

 私がこのブログを2008年10月に始めて以来、何回か品川さんの言葉を掲載して参りました、私の尊敬する経営者です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=70

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1351

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1813

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12331

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12630

~~~~~~~~以前の掲載からの一部コピー

 一方札幌では、財団法人国際開発センターhttp://www.idcj.or.jp/top/aboutus_f.htm 会長、経済同友会終身幹事の品川正治さんの講演会が開催され、こちらも大変熱心な聴衆でいっぱいでした。ご自分の中国最前線での戦闘体験から、戦後を生きる人間として、「二度と戦争を起こさない国にすること」を信念とされて活動されています。

 昨年のリーマン・ブラザーズの破綻、年末・年始の日比谷公園の派遣村についての前向きなご意見も印象的でした。最後に、「日本型資本主義の模索」について、困難な道ではあるけれど、暫くの間どう耐えていくかを真剣に考えれば、必ず確立できるはずとの信念も語られました。

 私達へのメッセージは、「自分が主権者であること」を自覚して、選挙の一票の重みの再認識。そして今、「アメリカと日本は違う」ということにより、世界史を変える好機であり、それを決められるのは「主権者としての権利行使」以外あり得ないこと、子供・孫の世代の為にも、と力強くお話を結ばれました。

 背筋の伸びた姿勢で2時間淡々とお話になるその姿に、品川さんのこれまでの生き方を見る思いでした。そして何よりも、経済界には殊のほか同じ志を持つ経営者が多い事も知り、経営者の立場から、国際社会における日本の主張の方向性を見つけた気がしました。奥様も札幌市立高女(現在の札幌東高)ご卒業とのことで、札幌との少なからずのご縁も感じた次第です。

~~~~~~~~~ コピー おわり

 最後に、追悼の意として私のブログ(2008.11.10)をここに掲載して、品川正治さんのご冥福を心からお祈り申し上げます(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=70)。

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「平和」に対して、経営者はもっと積極的に活動をすべきなのではないか

「 ・・・・私は財界に身を置いている人間です。しかし、財界で仕事をする場合に、平和憲法をもっている日本の経済はどうあるべきかが、ずうっと私の基本問題だったわけです。何を無視しても成長を追う、それはやってはいけないことです。「経済は人間に従属するものだ。そうあらねばならないんだ」。そういう考えでずうっと続けてきたわけです。
・・・国家が起こした戦争、そのなかで国民がどう生きていくべきかをわれわれはずうっとたずねていたのですが、「戦争を起こすのも人間、しかしそれを許さないで、止めることができるのも人間ではないか。天災ではない。なぜそれに気がつかなかったのか」。 それが、私が戦争で得た基本的な姿勢です。

これはその後、政治や経済、外交、そういうものを見る目に関しても私の基本的な座標軸になっております。「市場が決める」「市場にまかせれば大丈夫だ」とか、私は経済においてもそういう考え方はとれません。人間がやる経済ではないか。誰が誰のためにしているのかを見分けられないで、いったいそれで経済人なのか。それが私の経済を見る目でもあるわけです。・・・・」

以前、私(秋山)が上場会社の経営者であった時に、率直に言って「平和」とか、「戦争反対」とかについて、かなり政治的色彩と直結しているという思い込みから、言葉を濁していました。市民運動の方々からは、企業経営者は「利益追求しか考えていない」と言われ、それにも違和感を感じていて、大変微妙な立ち位置を実感し、公の場ではある意味で私にとっては「触れない話題」の一つだったのです。

今、私はふるさとに再度軸足を据えて考えていますと、平和であるが故に出来ること、平和でなければ育ちえない命の存在を認識致します。平和な社会、すなわち命の健康・地球の健康な状態だと思います。経済を支える企業経営者は、社会への貢献と同時に、平和な状態の創造、それが「持続可能な企業」としての、最低限の仕事のような気がしています。

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講演後の懇親会で

講演後の懇親会で

越田清和さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 一貫して反戦・反貧困の市民活動分野で活躍された越田清和さんが、先日お亡くなりになりました。2008年7月、「G8洞爺湖サミット」開催の時、「G8サミット市民フォーラム北海道:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=54を立ち上げ、事務局長としてご活躍され、当時代表世話人の一人として私も一緒に活動しました。以前から体調が思わしくないとは風の便りで聞いてはいましたが、私より年下、突然の訃報に何とも驚き、悲しみでいっぱいです。

12日道新夕刊一面、小坂洋右さんの記事

12日道新夕刊一面、小坂洋右さんの記事

  このコラムにもあるように、2009年10月に札幌にムハマド・ユヌスさんをお招きしてのフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2289)で、越田さんはパネラーの一人として登壇し、素晴らしいプレゼンテーションで満席の聴衆にメッセージを伝えていました、ユヌスさんがなぜ「ノーベル経済学賞」ではなく、「ノーベル平和賞」だったかを、見事に説明しました。

 蛇足ですが、その翌日に新千歳空港カウンターでユヌスさんとお会いすることもできました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6670)。

 市民活動では全くの新参者の私ですが、この分野で強く印象に残っている人物が越田清和さんです。G8洞爺湖サミット開催直前に、一連の市民活動の一つとして札幌大通公園で催された1万人集会とその後のデモンストレーションで、総責任者だった彼は、集会前から壇上で諸注意を繰り返し伝えていました、とにかくこのデモでは一人の逮捕者も出さずに自分たちのメッセージを社会に訴える意気込みを、私は開会前から現場で感じていました。

 私は集会で地元を代表して壇上であいさつを述べた後に、西区の別の会に出席しなければならずにその場を離れ、その後デモ解散場所の中島公園に遅れて駆けつけて、そこで少し気落ちした様子の越田さんとお会いしました。「あと100メートルの所で、逮捕者を出してしまった」と肩を落としている彼と、中島公園から南1条のフォーラム事務所まで、一緒に歩いて戻ってきたことが忘れられません。なんと心根の優しい人かと、彼のそれまでの活動実績とともに、あらためてそのお人柄に惚れた時でした。

 また、北海道新聞の書評に私の翌年に彼が指名された時には、わざわざ連絡をしてきて、「秋山さんが自分を推薦してくれたのか」と。私は、「いやいや、新聞社独自の選考ですよ。でも仮に私に聞かれたら、やはり越田さんを推薦していたとは思いますが」ともお話をしたら、笑っていました。

 私は彼の長い活動の中では、ごく一瞬一緒だったに過ぎないとは思いますが、つき合いの長さではありませんね、瞬間のひと言、瞬間の眼差しに、彼の「本物」の姿を見つけ、感じた思いは忘れることができません。

 4月の偲ぶ会には参列して、私も御礼とお別れをしたいと思います、越田さん、お疲れさまでした、どうか安らかにお眠り下さい。

松平康隆さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 公益財団法人 日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆さんが、昨年12月31日にご逝去されました(http://www.jva.or.jp/news/20120105.html)。バレーボール男子全日本コーチとして1964年東京で銅メダル、監督として1968年メキシコで銀メダル、そして1972年ミュンヘンで金メダル獲得の偉業を成し遂げました。

BSフジ番組から、在りし日の松平康隆さん

BSフジ番組(再放送)「堂々現役」から、在りし日の松平康隆さん

1972年ミュンヘンオリンピックで優勝!

1972年ミュンヘンオリンピックで優勝!

  私は1974年から79年まで東京都江戸川区で、中学校教員時代に、男子・女子バレーボール部を指導していました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27)。その時のバックボーンとして、男子では松平康隆さん、女子では14年前にお亡くなりになった山田重雄さんの哲学を忘れることができません。先日のBSフジの再放送で、早くに亡くなられた松平さんの御子息の筆箱に書かれた中央に立つ日の丸の絵を初めて見ました、覚悟を決めて目標達成に向けて努力する姿は、今も強烈に心に残っています。

亡き息子さんの筆箱に込められたメッセージ

亡き息子さんの筆箱に込められたメッセージ

  松平康隆さんと言えば、もう一人、12年前に58歳の若さでお亡くなりなった南将之さんも忘れられません、伝説の主将でしたね。ミュンヘン大会では、補欠に徹して、土壇場で一昨年に亡くなられた中村祐造さんとともに大仕事をしました、ミュンヘンの数年前までエースだった彼が、チームの裏方としてメダル獲得を支えた大ベテランでした。

伝説のキャプテン・南

伝説のキャプテン・南将之さん

 

 思い起こせば1970年代は、私にとっては激動の時期でした。71年に大学の教養課程を終えて休学し、秋にアメリカに船で行き(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%2771%E3%80%80%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E6%97%85)、72年の冬季オリンピックを札幌で迎えて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4981)、あの70m級ジャンプの「日の丸飛行隊(金・銀・銅メダル獲得)」を現場で応援しました。そして秋のミュンヘンオリンピックでバレーボール男子の劇的優勝。私は復学して大学卒業後に、教員として子どもたちとの日々。79年に、家族とともに札幌に移り、医薬品卸業の経営の道へ転身しました。

 この想い出多い10年間、山田重雄さんには、当時小平市にあった日立武蔵の練習場へ部活の生徒たちと一緒に行き、ワールドカップ前にも関わらず教えを請いました。松平さんには直接お目には掛っていませんが、「負けてたまるか」とか、「一流選手は人間的にも一流でなければならない」と言った彼の言葉は、深く心に刻まれました。今から5年前でしたか、韓国・光州市へ海外公演に札幌のTPS劇団員(http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html)と同行した時、私は稽古の合い間に、民主化の聖地、「5・18光州事件:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=121」のモニュメント等に関係者全員を誘い見学しました。その時に、松平さんの「海外遠征に行って、試合場と宿舎だけを往復するような選手ではトップにはなれない」の言葉を思い出していました。

 70年代は、オイルショック等の苦難を次々と乗り越える勢いが日本社会にはありました。今、ふり返るとそんな時代、バレーボール界には優れた指導者・選手が活躍して、多くの感動を与えてくれましたね。松平さんのご逝去で、私の70年代にも一つの区切りです。

 スポーツの世界では、その後、高校野球の香田誉士史監督(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1904)、女子サッカーの佐々木則夫監督(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9370)など、優れた指導者も続々誕生しています、素晴らしいことです。

 後日、「松平康隆さんを偲ぶ会」も開催されるとか、都合をつけて最後のお別れをしたいと思っています、松平康隆さん、たくさんの教えを頂きありがとうございます、どうか安らかにお眠り下さい。

R.Kevin Stewart 氏、逝く

Posted by 秋山孝二
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 突然の訃報に呆然としています。

ボストングローブ社、死亡広告より~~~~

 STEWART, Richard K. “Kevin” 49, of Hopkinton, formerly of Salem, OR, passed away on Saturday, October 1, 2011, at the Rose Monahan Hospice House in Worcester, after a brave battle with brain cancer.

 An avid fisherman and Red Sox fan, Kevin lived in Japan for two years and maintained friendships around the world. After working for many years in the import/export field, Kevin founded Health Tech Export Associates in 2004. He grew his business into a successful enterprise, connecting US and European human and veterinary health product companies with interested customers in Japan. Most importantly, Kevin was a beloved and devoted father, husband, son, brother, neighbor, and friend who touched many lives. Kevin is survived by his children, Isla, Aidan, and Carlin Stewart, and his wife, Maria (Baute) Stewart, of Hopkinton, MA, his parents, Richard and Dorothy Stewart of Escondido, CA, his sister, Paula (Stewart) Brust and her husband Kirk of Escondido, CA, and six nieces and nephews.

 Visitation will be held on Wednesday, October 5, 2011, from 4-8 p.m. at the Chesmore Funeral Home(www.ChesmoreFuneralHome.com) of Holliston, 854 Washington Street.

  A funeral service will take place on Thursday, October 6, 2011, at 10 a.m., at the First Congregational Church of Holliston, 725 Washington St. Burial will follow in Lake Grove Cemetery in Holliston. In lieu of flowers, donations may be made in memory of R. Kevin Stewart to either Caring Bridge at: www.caringbridge.org or to the National Brain Tumor Society at: www.braintumor.org

Published in The Boston Globe on October 3, 2011~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 Kevin は、私の海外ネットワーク構築の大恩人であり、未だにこの事実を受け入れることが出来ません。

 10/1(土)の夜11時頃、ケビンは最期を妻・Maria(マリア)さんに看取られながらホスピスで永眠されました。まだあまりにも若く、また奥様と12歳、10歳の双子のお子様たちを遺して逝かなければならないのは断腸の思いであったのではと、心が痛みます。マリアさんは、最期は”peaceful”であったとおっしゃっているそうです。最期の2ヶ月間ほどは、マリアさんは自宅から仕事をし、彼の看病、子供たちのことと、休む時間もなく献身的にされていて、木曜日の葬儀と弔問客への対応が終わる頃には、身も心も疲れ果てられるのではと心配しています。

 10日程まえに、ホスピス「Rose Monahan Hospice Home」に移られて、Kevinのホスピスのサイト(http://www.vnacarenetwork.org/services/hospice/rose)から、私のアメリカの友人が下記の妻・Mariaさんの記事を見つけてくれていました。末期を迎えている彼の状況と家族の優しさが伝わってきます。つらい記事ですが、彼の回復を祈っていた矢先でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 はじまり

 Kevin apdate Hi, all:

Just a quick note to, once again, THANK YOU for all of the love and support
you channel to us through this website.  Although Kevin was on hospice at
home, the move to the hospice house was really better for him and for our
family.  I think, in my head, I know this, but in my heart, the idea of him
leaving our home and not coming back has been very difficult and I’ve
questioned the decision so much.

Today, after a Kevin had a very restless night, we made the journey to the
Rose Monahan hospice home in Worcester, MA.  He tolerated the ambulance ride
well, and in fact, although he slept through it, he held my hand the entire
trip.  I was his wife again!

When we got here, the people who work in this place made him comfortable and
got him (and me) settled in a room with a gorgeous view of Coe’s Pond with
authority, kindness, and compassion.  I have had a more peaceful day with
him here than we’ve had in several weeks.  I know now that I made the right
decision, and that when the kids see him here, they, too, will be at peace.

He is able to have visitors from 9 am - 8 pm and to receive mail, so the
address is:

Kevin Stewart
c/o Rose Monahan Hospice Home
10 Judith Road
Worcester, MA 01602-3213

If you would like to visit with Kevin, I would welcome it, as I know he
would. It would probably be best to let us get through the weekend first, so
that he can really get acclimated.  I would just ask that you call me first
so that I can give you a sense of how he’s doing.  My cell is 0000,
and I promise to try to be good about checking messages / returning calls.
 He may sleep through your visit, but I know he can hear you.  If you prefer
to send messages to him, know that I am reading him your CaringBridge posts.

I don’t typically get religious in these posts, but the love and support you
have given us has been God’s grace in practice, and our family will never,
ever forget it.

With love and thanks,

Maria
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 葬儀には参列できませんが、少しでも私自身の気持を伝えたいと思っています。

 Kevin、あなたの温かい気持と優しい笑顔は一生忘れません、どうか安らかにお眠り下さい。