「松井博和先生 北海道功労賞受賞を祝う会」に出席しました。多くの方々のご参加で松井先生の幅広い人脈を垣間見た時間でした。
* 松井博和先生関連記事ーー> 秋山孝二の部屋
白糠町の棚野町長も駆け付けてご挨拶。
多くの方々のご挨拶に「(top page - (一社)新渡戸遠友リビングラボ(旧 新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会))」の活動も紹介されて、最後にはこの会の小篠(おざさ)理事長の『夢の計画』のプレゼンもありました、松井先生のお祝いの会に名を借りた新渡戸関係の発表会の場となりました、松井先生の深謀遠慮?!、恐れ入りました!!!!
『北海道功労賞』といえば秋山財団の創設者・秋山喜代も1995(平成7)年に受賞しています。
* 秋山孝二の部屋 » Blog Archive » 第91回 北を語る会
この記事の中で以下のように私は書いています。
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「北海道功労賞」というと、私の伯母・秋山喜代が、1995(平成7)年に「第27回北海道開発功労賞」を受賞した時を想い出します、功労分野は、「保健衛生の向上と社会福祉の推進」でした。この賞は1968(昭和43)年の北海道開基100年を記念して、翌年から北海道知事の最高賞として設置され、1998(平成10)年に名称が「北海道功労賞」に変わりました。
当時、秋山喜代の受賞の連絡を受けた時に本当に喜んでいる姿が瞼に浮かびます。私はその年の4月、喜代の主治医から、「すい臓がんで余命約10カ月」と聞いていて、同時に東京証券取引所市場第二部への上場準備中でもあり、社長の自分は難しい判断を迫られておりました。確か9月に授賞式が野幌の100年記念館で執り行われました、記念写真の喜代の表情に病気の影響を感じていましたが、本人は喜びでいっぱいだったので少し気が楽になりました。その後12月に入院・手術、翌年1996(平成8)年2月10日早朝に亡くなりました。北海道新聞朝刊の卓上四季にも掲載になりましたが、前日2月9日に、(株)秋山愛生舘が東京証券取引所市場第二部に上場を果たし、それを見届けるように息を引き取りました。上場記者会見を東証記者クラブで行い、翌日の始発便で千歳空港に帰った時に、迎えの社有車で訃報を聞きました、喜び、悲しみ、安堵、不安、一生忘れられない日です。