ペリー&マッカーサー

Posted By 秋山孝二
Categoirzed Under: 日記
0 Comments

 寺島文庫(http://www.terashima-bunko.jp/about.html)の今年最後の会が、「みねるばの森:http://terashima-bunko.com/」で開催されました。

 寺島実郎さんから、「2人のアメリカ人」の残した記念すべき品物の紹介があり、寺島文庫の一角に、「ミニ博物館コーナー」としてそれらが展示されていました。

 一つは、1853年に浦賀にやってきたマシュー・ペリーが、後年執筆した「日本遠征記:http://www.nansei-m.co.jp/web/32perry/sample/kaisetsu.html」特別版の実サイン入り原本です。当日、寺島さんは、学長をつとめる多摩大学(http://www.tama.ac.jp/guide/index.html)の本拠地の「多摩学:http://www.tama.ac.jp/guide/tamagaku.html」の由来から説明されました。 ペリーが当時のフィルモア大統領の親書を携えてというのは事実ではなく、「国書」とは実質的には「紹介状」とか「添え書き」程度のものだったようです。

ペリーの自筆サイン(左中央部)入り旅行記

ペリーの自筆サイン(左中央部)入り遠征記

拡大すると

拡大すると

 一方、マッカーサー元帥の記念は、オレンジ色のパーカー万年筆限定レプリカ(サイン入り)です。1945年9月2日、ミズーリ号艦上で降伏文書に調印した時に使った万年筆で、この時、ペリーが浦賀来航時に旗艦「サスケハナ号」に掲げていた星条旗も持参してきたそうです。なぜ万年筆がオレンジ色か、それは彼の母親のものでした。バージニア州ノーフォークにある「マッカーサー記念館:http://www.macarthurmemorial.org/」、彼の生誕地はアーカンソー州リトルロックですが、米国海軍の本拠地であると同時に、母親の生まれ故郷ということが大きな理由のようです。

 寺島さんは、三井物産のワシントン駐在時代に、ニューヨークのアストリアホテル(http://www.waldorfnewyork.com/index.cfm)の一室に居を構えていたマッカーサー夫人にお会いしていたそうです、歴史のつながりというか接点というか、面白いですね。

ミズーリ号で署名するマッカーサー

ミズーリ号で署名するマッカーサー

使用したサイン入りパーカー万年筆のレプリカ

使用したサイン入りパーカー万年筆のレプリカ

 

 この二人のアメリカ人、そしてアメリカという国の共通項は、1)「抑圧的寛容」、すなわち、圧倒的有利な状況では「優しく」「思いやりに満ちあふれ」、不利な状況では「猜疑心、嫉妬心」が異常に強くなること、2)「分断統治」を志向すること、のようです。2011年、沖縄基地問題でも、3・11東日本大震災の支援でも、それを裏付けるような姿勢が思い浮かびます。

 寺島実郎さんは、秋山財団の今年25周年記念講演会(http://www.akiyama-foundation.org/zoutei/)でお話をして頂きました。年明け早々に、「ブックレット」として発刊する予定です。また、リレー塾(http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/relay.html)、FM放送(http://www2.jfn.co.jp/owj/tera/index.php)他、多くの政策の審議会等でもご活躍です。今年は特にお世話になりました、心から感謝申し上げます。

Comments are closed.