5月23日のこの欄でも紹介した杉岡昭子さんが、国際プラザ主催「ポートランドを知るセミナー~札幌の国際交流の原点~」と題して講演をされました。三国志に出てくる「根深叶茂」という言葉で口火を切り、この50年の国際交流の歴史を語りました。
札幌市東区の千野米穀店http://www.chino-grain.co.jp/・徳永社長のチャレンジで、千歳空港と札幌駅大丸で21日から販売する「北海道の米」。まさに空を飛ぶ米となって貰いたいですね。
「ゆめぴりか」だけではありません。北海道にはこれまで多くの方々の地道な努力の結晶として、優れたお米が幾つも世に出されています。今年のような不順な天候の時でも、本当に美味しいお米を作って頂いた生産者の方に感謝致します。
日一日と深まりゆく秋を感じながら、収穫の時期を楽しむ余裕を持ちたいものだといつも思います。
この所の温度差で、札幌の紅葉も次第に進んできています。北海道神宮の境内でもあちこちが色づき始めてきました。
七五三のお参りで、神殿前は写真撮影の親子姿で賑わっていました。「千歳飴」の長方形の袋をもった子供たちも多く、変わらぬ風情でした。
秋山財団建物のホールでは、昨年から開始したネットワーク形成事業http://www.akiyama-foundation.org/network/で取り組んでいる一つのチーム「増毛のくだものをもっと有名にするぞ!プロジェクトhttp://www.akiyama-foundation.org/network/tema03.html」のイベントが、行われています。二日間ですが、昨日も開場前から集まって頂き、夕方の終了まで沢山の地域の方々にお越し頂きました。大通・地下街での場合と違って、説明をよく聞いてくれる、お米も重くても持って帰って頂ける等、連合町内会規模での特異性もあったりで、開催したチーム側にこそ大きな「収穫」だったようです。今日も一日、またあらたな気づきがあると嬉しいです。
・・・そんな中で、江戸時代の外国との窓口長崎では、ポンぺが海軍伝習・医学伝習で滞在し、特に「近代西洋医学の父」として数多くの事業の種を蒔き、歴史にその名を刻まれています。1858年伝染病治療、1861年養生所・医学所の設立(長崎大学医学部の原点)等とともに、1848年オランダ王国が民主主義に基づく憲法を制定した時代の影響も受けて、ポンぺはその民主主義に立脚した医療を施した、と記録に明記されています。
彼の医学教育伝習は5年間に渡り、解剖学から物理学、薬理学、生理学他全般に及んだ一方、その講義を筆写し、日本語で分かりやすく復講したのが、松本良順でした。学びに集どった延べ40名を越える幕臣伝習生・諸藩伝習生は、松本良順の言わば「弟子たち」であり、それ故に「近代西洋医学のもう一人の創立者松本良順」と、今でも語られているのです。1861年養生所・医学所設立時、初代頭取となりました。長崎大学医学部の創立者であり、現在も大学構内にポンぺとともに顕彰碑として配置されています。また、創立150周年記念事業として長崎医学同窓会が記念同窓会館を建て替え、「良順会館」となっています。http://www.med.nagasaki-u.ac.jp/med/top/message.html・・・・・・
私は更にこの辺りを知りたくて、元長崎大学学長で医学部長でもあられた土山秀夫先生にお伺いをしてみました。土山先生は平和7人委員会のメンバーhttp://worldpeace7.jp/のお一人で、昨年11月に北海道にもお越しになりました。http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090810/202138/?P=1
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090817/202599/?P=1
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20090820/202961/
今年8月の長崎市長による「平和宣言」の起草委員長もお務めになったことを、土山先生からのお手紙で知りました。先生から北海道立図書館にある「長崎医学百年史」に詳しい旨をご連絡頂き、先日取り寄せて読みました。
それによりますと、この江戸時代末期の医学的背景の手掛かりを知ることが出来ます。漢方医学が本流であり、蘭学は禁止令の時代に蘭方の教育を受けるには、海軍伝習のためとせざるを得ない事情が理解出来ます。海軍伝習の世話係をしていた勝麟太郎(後の勝海舟)にもかなり反対された経緯も記載されていて、結局はポンぺの講義を聴くのは伝習生である松本良順一人として、他の者は、良順の聴講に陪席する即ち付添い人として講義に列席するという形にしたようです。
ポンぺの講義は従来行われてきたような素読式の医学教育とは全くやり方を異にして、自然科学による近代的な教育方法でした。この点からしても、我が国の医学教育に全く画期的な形態を示したもので、それ以来今日に至るまで、日本の医学教育はこのポンぺ式に準拠しているといえるのでしょう。まさに「最初に井戸を掘った人」でした。更に解剖実習、時を同じくして長崎に勃発したコレラに対してはその予防法を長崎奉行に上申したばかりでなく、率先して学生を指揮して予防と治療にあたりました。これはその後の我が国の伝染病予防の指針となりました。
ポンぺには沢山の功績がありますが、簡単にまとめると次の点でしょうか。
1) 旧来の医学教育方法の全面的改革
2) 学科制度の確立
3) 医学校への病院付設を必須とした
ポンぺ、松本良順は、パイオニアとしてまさに歴史の転換点に貢献した人物だったのですね、更に興味が湧いてきましたので、引き続き調べていきたいと思っています。松本良順が処方した医薬品群の「愛生舘三十六方」にも、そんな先駆的勢いをあらためて感じ取ります。
青春のホンの一時期、同じ学校で学んだ(遊んだ?)だけなのに、その歴史が時間軸で「同窓生」として脈々と繋がる、そんな不思議な意識は誰にでもあるのでしょう。多様性という意味では、私は高校時代がその後一番多彩な人材を輩出している気がします。
9月に行われた「音と光のパフォーマンス」でも、15年後輩の勝井くん他のエレクトリック・ヴァイオリンと映像の新しい試みのひと時でした。「VJ」なる言葉も初めて聞き、後半のトークでの解説がないと、疲労感が強く私にはよく理解出来ませんでした。新しい時代はこうやって新しい担い手によって創造されていくのでしょうね。当日は現役高校生も多く来ていて、最前列でライブを楽しんでいました。
勝井祐二http://www.katsuiyuji.com/、迫田悠http://www.sakotaharuka.com/
VJ:ビデオジョッキー(video jockey)または ビジュアルジョッキー(visual jockey)とは、映像を素材としてディスクジョッキー(DJ)と同様の行為を行う者を指すそうです。略称は「VJ」、DJと同じく、2通りの意味があるとのこと。
http://www.youtube.com/watch?v=skVbPzVuXMg
先日来のTPS東欧公演ツアーに同行していて、急に思い出したことがあります。
もう15年以上も前になるでしょうか、私は以前の仕事でヨーロッパ出張の折りに、パリ・モンマルトル下の「Moulin Rouge:ムーランルージュhttp://www.moulin-rouge-japon.com/about.html」に行く機会があり、座った場所も前方の臨場感あふれる席でした。当時のテーマは、「ムーランルージュ伝説の『F』http://www.moulin-rouge-japon.com/topics/history.html」の中の「FORMIDABLE」。
以前から評判は聞いていましたが、伝統ある絢爛豪華な舞台が続き、暫くしてパントマイムなのかコメディアン風の山高帽姿のエランが登場しました。とにかく何もしゃべらずに音楽をバックにジェスチャーがまるでリアルな場面を描き出していて大いに沸いていた場内です。
すると彼が何やら観客席を眺め始めて、どうやら客席の中から舞台に上げて一緒に演技をする人を探す様子。一瞬本能的に目をそらして再度彼を見た瞬間に、何とビシッと視線が出会ってしまったのです。ニヤッと笑った彼が私の席に近づいてきて舞台に上がれと腕を引っ張るではありませんか。日本男子(?)がパリのここでしり込みするのもみっともないと思って数段の階段を昇り、促されるままに舞台中央へ進みました。振り返って客席を見ると満席の場内(850席)、飲み物・食べ物でいっぱいのテーブルの周りの人々が笑顔で私を見ていました。
エランに言われるままに「素直(?)」に演技をすると、その度に場内は笑いと拍手喝采で盛り上がるではありませんか。実は彼はその都度、こと細かに耳元で簡単にアドバイスをささやいてくれていたのですよ、舞台表面にある沢山の目印を示しながらです。5分以上も舞台上に居たでしょうか、不思議と段々快感になってきました。最後は彼のお礼の言葉と客席の拍手で舞台を降りましたが、かくして私はライザ・ミネリやエルトン・ジョンのように「ムーランルージュの舞台に立った輝かしいセレブ」の一員となったのです。
その後、この伝統あるレビューのディレクターからは何のオファーもなく、私は日本に戻り、変わらぬ経営者人生を続けました。今、以前よりもかなり芝居を観ている日々ですが、舞台の沢山の印を見ると不思議にその時の興奮・感動が昨日のことの様に思い出されるのです。
7日、ブダペスト公演二日目を終えて、今回の海外公演を全て終了しました。毎回進化していくTPSの「冬のバイエル」を観ることが出来て、あらためて芝居の奥行きを感じました。ハンガリーはその歴史からもアジアとの交流には大変熱心で、特に今年はハンガリー・日本国交50周年記念の年として、盛だくさんの文化交流企画も開催されていました。http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/hungary/info/2009ev.html
4年前にTPSの「亀、もしくは・・・」を上演したメルリン劇場は、オシャレに変わって更に新しいジャンルへの挑戦を続けているようです。二日目は若い学生の方々も多く、これまでの中で芝居への反応が一番良かったですね。終わってから役者の方々もそう感じていました。中にはあらかじめ脚本を読まれている方もいたりで、しっかり舞台を追いかけている姿を、後の席からもうかがいしることが出来ました。
「グッド・パフォーマンス!」、「日本的テーマではあるけれども、ヨーロッパ・テイストの芝居に新しさを感じた」等、上々のお客様の評価でした。特に二日目は若い世代も多かったせいか、父と娘のやり取りに反応が強かった気がしますが。「冬のバイエル」の面白さでしょうか。
今回の公演も「メルリン劇場」です。
今回2回目のメルリン劇場での公演でしたが、レベルの高いお客様の前で、大健闘でした。終了後に花束をお持ちの男性が、宮田圭子さんに歩み寄ってお渡ししていました。ルーマニアとはまた違った反応に、明日の公演もまた楽しみです。
二日目の公演は、初日とまた違ってお客さんの反応が良かったですね。反応の速さと場所が違います。演技が違うのか、お客さんが違うのか、同行メンバーとも終演後話をしたのですが、とにかく前日とはかなり別物ですから面白いですね。
クルジュ・ナポカは旭川市くらいの人口です。学生が7万人を越える若い方々の多いマチでもあります。
ホテルに程近い遊歩道周辺には、朝から夜まで若いカップル等沢山の市民が憩い語らっている姿を見かけて、素朴で懐かしい光景を目にしています。
「新しい試み」と昨日書きましたが、二日目の会場にも若い世代も多く、トランシルバニアの今後も注目です。
最後のご挨拶、こちらも拍手をしながらの写真で、こんな具合にしか撮影出来ませんでした。クルジュ・ナポカの市民にどんな印象を持って頂いたのか、もうしばらくしてからでないと分かりませんが、劇団員にも今日以降ハンガリー・ブダペストでも聞いて見ようと思います。
ところで、昨日昼過ぎにまち中で劇団員とバッタリ路上で出会い、これまでの準備の苦労をほんの少し聞くことが出来ました。今回の企画の中心として活躍しているイングリッドの並々ならない努力が随所で見られます。芝居で使っている包丁は、イングリッドがブダペストの実家から調達したもの、ピアノの椅子は何とブダペストのリスト音楽院から借用しての調達とか。少しでも傷をつけると罰金ものだそうです。普通の椅子タイプのピアノ用椅子はどこでもなかなか無いようですね。そう言えば2年前の光州でも行ってみると地元には無く、日本から持ち込んで、結局それを寄付して置いてきたとか聞いていますから。更に4年前のハンガリー公演「亀、もしくは・・・」では、予め送った図面と大道具の寸法が違っていて、仕込みの時に舞台上で溶接工が火花を出しながら切断して調整したとも漏れ聞いています。
昨晩の会場、1日目と字幕のスクリーンの場所が異なっていました。パソコン・プロジェクターのケーブルが不具合で、急遽短いものに変更となり、当初の場所での字幕上映が叶わず急遽変更とのこと。地元のお客さんには少々目線が舞台から離れるので心配していましたが、反応を見る限り問題は無かったようです。見る方は気楽なものですが、「舞台は生き物」、をまたまた感じた時間・空間でした。
今日はカンパニーと同行ツアーが一台のバスで、陸路ハンガリー・ブダペストに移動です。途中の国境の雰囲気も、この数年随分変わったようです。思い出します、6年前でしたか、国境そばのオラディア(昔の名称は「ナジュバラド」)にブダペストからマイクロバスで移動の時は、国境の入国・出国で1時間以上も待たされ、何とも言えない緊張感がありましたね。ナジュバラドは、私の叔父ワグナー・ナンドールの生まれたマチです。時代も変わり、ルーマニアもハンガリーもEU加盟を果たしましたが、国際金融の荒波の中、現在財政危機に直面しているから皮肉なものですね。
たくさんの思いが交錯しながら、東欧の今を実感している旅です。
北海道演劇財団http://www.h-paf.ne.jp/の専属劇団TPSが、ルーマニア・ハンガリーで今年も海外公演「冬のバイエル」を上演しています。私は、4年前のハンガリー「亀もしくは、・・・」、一昨年の韓国・光州市「冬のバイエル」、昨年の韓国・ソウル「春のノクターン」の海外公演同行に続いて、今回もTPSの活躍をこの目に焼き付けたく同行しています。昨日は、ルーマニアのクルジュ・ナポカで公演しました。この街は、「トランシルバニアhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C8%A5%E9%A5%F3%A5%B7%A5%EB%A5%D0%A5%CB%A5%A2」の中心都市です。
「冬のバイエル」の現地でのポスターです。
昨晩は若いカップル他、沢山の現地の方々が来られました。因みにチケット代は13レウ:Leu(約400円)です。会場は昔の教会、そこには開演前にもすでに集まり始めていました。
今回の公演ツアーは、東ヨーロッパでも新たなチャレンジとのこと。数年前までは「国立劇場」しか存在しなかったこのジャンルで、若者たちが企画する斬新な試みにTPSも果敢に参画したのです。それにしても今回のTPSはヨーロッパ経験者は二人くらいしかいないのに、昨晩の芝居でもあの落ち着きは何なのでしょうか。4年前にブダペスト公演で、始まって数分間の緊張感と比べると、いとも自然な役者の立ち振る舞いを見て、逆にこちらが驚きました。着実に経験が受け継がれている、そんな確信を得た気がしますが。
今回は、これまでの作品とは一味違った「淡々とした会話」にこちらの人たちがどう反応するのか、私も大変楽しみです。今晩もまた出かけます。
以前から経営の大先輩として尊敬しているKさんから、早速メールを頂きました。やはりモハマド・ユヌスさんと握手をしての興奮が伝わって参ります。
・・・・・29日「宝くじに当たった」と云って帰宅しました。当日午後4時過ぎ紀伊国屋書店でムハマド・ユヌスさんの「著書サイン会」にめぐり合い、自伝を買い、サインのあと 「I am happy」といって握手をしました。柔らかいやさしい手でした。Blogに秋山さんが千歳空港でムハマド・ユヌスさんにお会いした感動がのっており、全く共感です。
数年前NHKTVでムハマド・ユヌスさんの活動のドキュメント放映があり、録画して小樽の塾で取り上げました。その後世界の話題になりノーベル平和賞をもらい、遠くの人と思っていた方と握手出来て感激でした。地域、国情によって必要なサービスは違うと思います。でも地域密着型の典型です。今こそ地方分権の哲学を確立し、地方の自立意識高揚のときです。嬉しさのあまり突然メールいたしました!祈ご自愛
先日は700名以上の方が会場に詰めかけていて、更に入りきれない方々も沢山いらっしゃったとか。近頃のフォーラムでは珍しい熱狂でした。マイクロ・ファイナンスについて本では読んでいましたが、その基本にあるムハマド・ユヌスさんの哲学に直接触れた感じが、「出会ってしまった」のですよね。出席された方の今後の活動の責任は重たいです。
先日、北海道大学・北海道新聞連携マイクロファイナンス・シンポジウムが開催されました。秋山財団もネットワーク形成事業の一つ「社会起業研究会」で関係もあり、後援に名前を連ねていました。
http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html
2006年ノーベル平和賞受賞者、ムハマド・ユヌス:グラミン銀行総裁を囲んで、「貧困のない社会づくりを目指して」と題しての基調講演、その後のパネルディスカッションでした。会場には溢れる聴衆で大いに盛り上がり、特に若い世代の方々が多かったのが嬉しかったですね。質疑応答も活発で、内容も濃かったです。
基調講演では、ユヌスさんのお人柄を滲ませる貧困者への優しい眼差しと、既存金融機関への痛烈な批判に、会場からは割れんばかりの拍手が鳴りやみませんでした。
*公的生活保護等から如何に抜け出せるような手立てが大切――ここにマイクロ・ファイナンスの神髄がある
*人に頼らないで生活できる世界(一人一人が自立している)――貧困のない世界、福祉制度のいらない世界が理想
*昨年9月以降の世界金融恐慌、食糧、エネルギー等の課題は、これまでの枠組みの問題であり、変革への良い時期である
*マイクロファイナンスはバングラディシュばかりでなく、先進諸国でも社会的起業と市民の自立促進で機能する
*「貧困」は、どんな人権も拒否される状態であり、これは経済の問題に止まらず平和を脅かす「時限爆弾」
まだまだ、メモに書き留めたものは沢山ありますが、道新紙上にも近いうちに掲載されるとの事ですので省略致します。
パネルディスカッションでは、越田清和さんのプレゼンテーションが抜群に良かったですね。ユヌスさんは、昨年のG8サミット市民フォーラムのオープニングでお招きしたい筆頭候補でしたので、今回実現して大変嬉しかったです。貧困問題が、安全・治安の問題であり結局は平和の問題となる脈絡を、実に分かりやすく説得力がありました。
一つ極めて残念だったのは、北海道知事がユヌス総裁の基調講演の途中から遅れて入場、パネルディスカッションでは今度は用事があるとのことで、檀上から途中退席したことです。いかなる理由があろうとも、今の北海道の現状の中でマイクロファイナンスの重要性とユヌス総裁の存在を考えるなら、最優先出席事項として位置づけてしかるべきだと思いますが。発言の中で、「北海道にいらっしゃったことを歓迎します」と形式的におっしゃっても、プレゼンスが伴っていないではありませんか。
ストーリーはこれでは終わりませんでした。
翌日早朝、私が新千歳空港から海外へ出かけようとチェックインカウンターにいると、ムハマド・ユヌスさんとバッタリお会いしました。「やあ、コージ!」とはおっしゃいませんでしたが、素晴らしい講演に対する感謝を直接個別にお伝え出来て、本当に感激致しました。何と表現して良いか分からない程オーラのあるお姿に、言い表せない感動をおぼえました。
12・13日札幌円山動物園で、きたネットフォーラムが開催されました。http://www.kitanet.org/event/index.htm#work2009
その時に、久しぶりに家の近くの札幌円山競技場と円山球場の間の道を通りました。折から野球場では高校野球の秋の予選、競技場では同じく高校の競技大会・新人戦でしょうか。しばし競技を見ながら、遠くの三角山から藻岩山方向に連なる山並みをボーッと眺めていました。
この競技場も思い出が多いですね。昭和30年代だったでしょうか、冬は雪を踏み固めてのスケートリンクになっていて、大通7丁目、中島公園の池とともに、冬のスケートリンクで賑わっていました。
また、昭和42年頃の高校1年時代は、2・3学年がそれぞれ1000人のマンモス校でしたので、体育大会が校庭ではなくてここで開催されました。開会式で全校生徒2500人(私達の学年からは500人の定員に戻った)がフィールドに集合して、初めて生徒数の多さを実感しました。記憶が正確ではありませんね、もしかしたら自分が2年の時だったかもしれません。普段の学校生活では一堂に会する場もなく、ただ授業の間の10分間の休憩時に、トイレに行って戻るのに次の授業に何回も遅れたのを覚えています。少子化の今では、別世界のような当時の学校生活でしたね。自由闊達な校風ではありましたが、私達の前向きな提案に対して、「生徒数が多すぎて・・・」で始まる先生方の言い訳じみたやらない理由もありました。今は、「生徒数が少な過ぎて・・・」と言う理由で一歩前に進まない学校行事も多いのではないでしょうか。私達の世代から見ると、本来は今こそゆとりのある理想的な教育空間が出来ているのに、ですね。
今この競技のトラックはアンツーカー、フィールドは芝生に整備されて、遠くの山並みと相俟って素晴らしい景観となっています。
”Sapporo is the best of the world !” を実感したひと時でした。
旅の終わりは、下北半島の先、大間町で暮らす熊谷あさ子さんの娘さん・小笠原さんの訪問でした。http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/58293.html
前日は夜で何も見えませんでしたが、延々と続く道は随分距離があるような気がしました。翌日周りの景色を確認しました。
事業を行う企業の大前提の姿勢として、すでに永年住み続けている地元住民への納得のいく説明というのは常識でしょう。都市での高層マンション建設でも全く同じですよ。なぜなら、企業がその事業に適していると判断した「その場」は、そこに住んでいる方々が永い間暮らして「創ってきた」環境・景観・風土だからです。
それをあらゆる手を使っての嫌がらせ、脅し、買収工作等、当り前のまともな経営者のやる事ではありません。高度経済成長の負の遺産として、これまで日本各地でも歴史の中で起こしていますが、ここでは2009年9月現在この姿です。今を生きている自分たちの為ではなく、これからの世代の為にも、この現状を多くの方々に知って欲しいですね。
一人の「いのち」と「生きる意志」を粗末にする社会が、豊かであるはずはありません。厚子さんは信じられないほど優しい笑顔で、これまでの経過、お母さまのこと、そしてこれからの夢を話してくれました。壮絶なこれまでの人生だったはずなのに、どうしてあんなに静かに優しく人と語れるのでしょうか。応援を形にするには、まず「あさこはうす通信」の購読者となることですね。
お体に気を付けて、いつまでもお元気で。
そこから次に、縄文人たちの生きた証・三内丸山遺跡http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/に行きました。
遺跡発掘現場の保存・展示方法に工夫の余地があるような気がしました。復元で分かりやすくはなっているのですが。「縄文時遊館http://www.citydo.com/museum/hokkaido/154.html」には、沢山の貴重な発掘品が展示されていて、当時の暮らしぶりにしばし思いをはせるひと時でした。
次は、「日本中央の碑・歴史公園http://www.thk.net.pref.aomori.jp/gyou_gui/info/info_shisetsu_04.html」です。
そして六か所村へhttp://www.rokkasho-rhapsody.com/。
気がつくと段々夕日も地平線に迫ってきていましたが、それ程急ぐこともなく無事大間に到着、小笠原厚子さんとお会い出来たのは、午後7時頃でした。http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/58293.html
二泊三日で弘前・青森・大間ほか、津軽地方の旅でした。
函館は今年開港150周年の節目の年です。「開港サンド」は1859年にアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアの五カ国と国際自由貿易が始まったのを記念して、オリジナルサンドを880円で制作。コンセプトは「道産食材で欧米文化の交流」と「ハイカラな函館の雰囲気を再現」と、おしながきに書いてありました。
函館で電車を乗り換え、八戸行きの特急から函館山を西からの眺めでしたが、市内からみる形とは違った風景でした。
青森港には大型客船が停泊中。
続いて「青森県立郷土館http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/kyodokan.html」で風韻堂他を見学しました。更に水田遺跡で有名な垂柳(たれやなぎ)遺跡の田舎館(いなかだて)村http://www.vill.inakadate.aomori.jp/maizou/html/t02.htmlにも行き、古代の人の足跡も鮮明な水田跡をしっかりこの目に焼き付けました。旅から戻るとこんなコラムも見つけましたhttp://www.inoues.net/family/tareyanagi.html。「水田=弥生」とすぐに決めつける歴史認識は浅いですよね。炭化米も見つかっているのですから、きっちりした時代考証を別の科学的角度からすべきだと思いますが。もしかしたら、新しい歴史の発見があるかも知れません。
弘前では夕方にやっと間に合い、社会福祉法人・抱民舎http://aun.shafuku.com/を訪問し、理事長のNさんhttp://blog.goo.ne.jp/tyaranke803_2007・事務局長とお会いして、しばしお話を伺いました。ここまでの事業を構築されてくる間には並み大抵のご努力ではなかったはずなのに、笑顔が大変素晴らしく、どうしてこんなに優しい表情でいられるのだろうと、そのお人柄に感動致しました。
「北海道環境活動交流フォーラム:FORUM2009」はhttp://www.kitanet.org/event/index.htm#work2009は、札幌円山動物園http://web.city.sapporo.jp/maruyamazoo/index.html で二日間開催され、新しい試みも随所で見られて大盛況でした。
一日目、今年から公開になった「円山動物園の森」の散策では、ガイドの方の解説で約1時間のツアーでした。円山の昔の姿を想像させる植生他、大都市札幌にある自然の奥行きをあらてめて知りました。
続く基調講演では、酪農学園大学環境システム学部の金子先生から、「今、100年後の北海道の自然を守るために」をテーマに、GIS(地図情報システム)データ解析をもとにしたお話、円山動物園飼育展示課長(獣医師)の上野さんから「生物多様性の確保と円山動物園」をテーマに、動物園ならではの興味深いお話をお聞きすることが出来ました。
その後のパネルディスカッションでは、「エゾシカ被害」の現場からの発言と、由って来る所以を歴史的な人間の活動との関係性での意見の数々により、これまでメディア等での断片的な指摘とは一味も二味も違った内容の濃いディスカッションとなりました。夜のシカ肉ハンバーガーの試食、夜の動物園ツアー「Moonlightエクスカーション」、交流会と盛沢山のプログラムは、参加者にとって満足度が高いものでした。特に動物園でシカ肉を食べるというユニークな企画に拍手喝采ですし、そして札幌円山動物園の新しい取り組みとそれに向けた職員の方々の情熱もこのプログラムを通じて感じ取りました。
二日目の「環境情報交換コーナー」では、「森を守る人:林業技師会西川さん」、「いのちを育む人:道環境科学研究センター玉田さん」、「暮らしを変える人:ezorock草野さん」がホストとなり、分野別で環境についてのお話や情報交換をするコーナーを設置しました。ご相談された方々にとって、今後の環境活動に携わる方々の情報共有とネットワーク形成に役に立てば幸いです。
準備にあたった皆さん、ご参加して下さった皆さんに心から感謝致します。なお、ご好評の基調講演・パネルディスカッションはDVDで近いうちに記録として完成予定です。ご興味のある方は「きたネットhttp://www.kitanet.org/」までお問い合わせ下さい。
(財)秋山記念生命科学振興財団http://www.akiyama-foundation.org/の今年度の講演会・贈呈式が、先日沢山の方々のご参加を得て終了致しました。
今年は講演会として、幅広くご活躍の香山リカさんをお招きして、「『強い人』と『弱い人』がともに生きられる社会とは」というテーマで430名を越える出席者でした。質問も多数寄せられていました。
毎日新聞コラム「こころの万華鏡」http://mainichi.jp/life/health/kokoro/、北海道新聞の毎日曜日生活欄のコラムでも連載されています。
贈呈式では秋山財団賞・研究助成・市民活動助成・ネットワーク形成事業助成等の受領者の参加で盛況でした。
http://www.akiyama-foundation.org/what/index.php?year=2009&mon=06&day=29#16
一方、実質的には今年度から秋山財団で引き継いだ「新渡戸・南原賞受賞式(第6回)」が、14日に東京神田・学士会館で開催されました。今年度の受賞はお茶の水女子大学名誉教授、数学者・作家の藤原正彦さんと、元東京大学出版会専務理事の石井和夫さんに決まりました。これまでのご功績を讃える多くのお言葉が披露されました。
会場には、マラソン解説でお馴染みの増田明美さんもご出席になり、素晴らしいご祝辞を述べられました。授賞式では私の隣だったので、先日の北海道マラソンでの解説に感動した事をお話致しました。
それぞれにご参加の皆様に心から感謝を申し上げます。