上杉の里・米沢は今、2016

Posted by 秋山孝二
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 仙台での会合に合わせて、「米沢市上杉博物館(http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/uesugi.htm」で、招待券を頂いていた特別展示「上杉家の古写真(http://www.denkoku-no-mori.yonezawa.yamagata.jp/091uesugikoshyashin.htm」を観に行きました。

米沢市博物館

米沢市上杉博物館

 博物館の隣には上杉神社(http://www.yonezawa-kankou-navi.com/historic/uesugijinja.htmlです。

 明治9年、上杉謙信、上杉鷹山を祭神として米沢城本丸奥御殿跡に建立、松が岬公園の中央に位置しています。明治35年に別格官幣社(べっかくかんぺいしゃ=明治政府が定めた神社の分類、国に尽力した人物を祀る神社)に指定され、このとき祭神は謙信のみとなり、鷹山は摂社に祀られ松岬神社となったそうです。現在の本殿は明治神宮や平安神宮の設計者として知られる米沢市出身の伊東忠太の設計で大正12年に再建されました。

隣地の上杉神社参道

隣地の上杉神社参道

 上杉鷹山公(http://www.yonezawa-kankou-navi.com/person/yozan.html)は、アメリカ大統領のジョン・F・ケネディが尊敬した日本人政治家としても著名で、「なせばなる、なさねばならぬ、なにごとも」の名言を残し、米沢藩の窮地を立て直した、現代にも通じる政治手腕を発揮した人物です、当初は苦難の連続だったことをここに来て知りました。余計なことですが、上杉鷹山公は、米沢藩生まれではないそうですね、戦国武将・伊達政宗は米沢生まれだそうです。

* J・F・K 昨年訪問したボストンで――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23358

上杉鷹山公

上杉鷹山公

 更には「招魂碑」。

鎮魂碑

招魂碑

碑の由来、戊辰戦争に遡る

碑の由来、戊辰戦争に遡る

向うに博物館を望む

向うに博物館を望む

 今回の、特別展示「上杉家の古写真」では、幕末から明治初期の上杉家の様子が具に理解できました。特に、戊辰戦争で奥羽越列藩同盟の盟主として名を馳せた米沢藩最後の藩主、上杉茂憲(もちのり)は、僻遠の地・沖縄の県令を命じられ、当時、日清両属だった沖縄は琉球王国時代の古い制度・慣習がそのまま残り、人々は貧窮の底に喘いでいました。茂憲は持てる力のすべてを投じて全県をくまなく回り、実態を調査し、何度も政府中枢に上申書を提出ました。また、優秀な青年を留学生として本土に送り、沖縄に近代化の種を蒔いた、今日、沖縄で敬愛される数少ない本土人の一人であり、上杉茂憲の知られざる生涯は実に興味深いですね。

 各地に歴史あり、江戸の幕藩体制の底力、もう一つの江戸から明治を感じる米沢訪問でした。