懐かしいDVDより!

Posted by 秋山孝二
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 医薬品卸売業の(株)秋山愛生舘の創業95周年パーティ、その様子を記録したDVDが見つかり、久しぶりに観てみると、懐かしいお顔が次から次へと。この秋山財団の最初の理事の方々もご出席、ご挨拶をされていました。1986年、今から34年も前になります、私は35歳、若かったな!

 主賓のご挨拶として、(株)北海道拓殖銀行元頭取の東条猛猪さん。

理事の東条猛猪さん

理事の東条猛猪さん

 同じく主賓のご挨拶、秋山財団の生みの親、名付け親の北海道大学元総長の伴義雄先生。

理事の伴義雄先生

理事の伴義雄先生

 同じく主賓のご挨拶、武田薬品工業(株)札幌支店長の高谷幹夫さん。

高谷幹夫支店長

高谷幹夫支店長

 乾杯のご発声は大成建設株式会社土肥支店長

大成建設株式会社札幌支店長の土肥さん

大成建設株式会社の土肥支店長

 会社関係者だけでなく、秋山財団の設立時に大変なご尽力を頂いた志摩理事、江口理事もご出席して頂いていました。

ご出席された志摩理事(左)と江口理事(右)

ご出席された志摩理事(左)と江口理事(右)

 会社からは、当時の秋山喜代社長、秋山宏副社長。

秋山喜代代表取締役社長

秋山喜代代表取締役社長(私の伯母)

秋山宏副社長(私の父)

秋山宏副社長(私の父)

 そして、35歳の私も末席に座っていました、まだまだ若僧でしたね!

 これらのDVDほか資料は、昨年10月に秋山財団内に創設した『愛生舘文庫』に保存されています、記録は大切ですね。

* 『愛生舘文庫』--> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E6%96%87%E5%BA%AB

私の「平成」30年

Posted by 秋山孝二
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 本日の映像系マスメディアは朝から特集番組のオンパレードで騒々しく、10連休中で行楽ニュース以外は一休みのためか、もう結構といった気分です。

 「平成(へいせい)」は、「大化」以降247番目の元号。今上天皇の在位期間である1989年(平成元年)1月8日から2019年(平成31年)4月30日(本日)までです。

 世間では、昭和と比べて「戦争がなかった平和な時代」とか言っていますが、私にとって「平成」は、まさに激動の30年と総括します。1989年はベルリンの壁崩壊の年、私は(株)秋山愛生舘の代表取締役専務として、2年後に控えた創業100周年に向けて様々なプロジェクトの責任を担っていて、仕事に没頭している時でした。プライベートでは、この年の6月に4番目の子供が生まれました。今、その子も結婚して昨年12月に生まれた娘一人の父親として、精神科医師で活躍しています。上3人の子供たちはこの間それぞれ結婚して子供にも恵まれ、今では私は10人のお爺ちゃんです。1997年には伯母の秋山喜代が、2007年には父の秋山宏が、2014年には兄の秋山一男が亡くなりました、まさに世代交代そのものですね。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21621

 その後、会社は札幌証券取引所に新規上場、5年後には東京証券取引所市場二部に上場し、その間に(株)スズケンとの資本・業務提携、さらに1998年に合併しました。資金調達を巡って、スイスフラン建てワラント債を発行しに、スイス・チューリッヒでの調印式は、以後の私にとっても忘れられない思い出の場となりました。今、秋山財団の資金運用のノウハウは、この時からの蓄積によるもので、この時から出会った海外の金融機関の方々からたくさんのアドバイスも頂いています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35182

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92

 私個人としては、38歳から68歳の30年、とにかく仕事に没頭して邁進していた時期といえるでしょうね。100年の歴史を持つ企業の将来の方向性を定め、新しい秋山財団という組織の立ち上げから基礎創りに関わり、今の最大の課題は、本当の意味での「北海道という地域への貢献」です。同世代の方々とは違った稀有な立場での経験は、私一人のものとして思い出にしまい込むことなく、この間お世話になった多くの人々への恩返しのためにも、これからの私の使命として活動を続けていく必要があると考えています。

 私の気に入っているフレーズ、生まれた年1951年は「20世紀のど真ん中!」、元号の括り以上に、私自身は20世紀と21世紀の懸け橋になりたい、そんな思いを強くしてここまで生きてきました。

* http://kamuimintara.net/detail.php?rskey=143200809t01

 今、やり掛けのプロジェクト、そして持続可能な活動として次世代につないでいく仕事、私の残りの人生はそんなことに尽力したいと思っています!最期の瞬間目を閉じる時、「悔いなし」と言える人生でありたいな、と。

 「平成」最後の日に、再度、私は決意を新たにします!

海軍記念日 2015

Posted by 秋山孝二
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 5月27日は海軍記念日(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E8%BB%8D%)、この日に札幌護国神社(http://s-gokoku-jinja.sakura.ne.jp/index.html)では「北海道全海軍英魂之碑」顕彰会の例大祭が執り行われました。境内の彰徳苑(http://s-gokoku-jinja.sakura.ne.jp/1_syoutokuen.html)には、昭和53年に「北海道全海軍英魂之碑」が建立されています。

 私の父・秋山宏(旧姓野田)は、この「北海道全海軍の集い」の会長を務めていて、北海道の全ての海軍関係者の「集い」であることに誇りを感じていました。将来を展望して、永くこの鎮魂の意志を伝え続けるために、顕彰碑を建立し、会の発展的解消を提案し、平成20年に護国神社での例祭として会の転換を図りました。

 今年の例祭も各地から元海軍関係者、ご遺族ほか、多数の参列者でした。

 * これまでの「海軍」のこの部屋での記載――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%B5%B7%E8%BB%8D

全海軍の英魂の碑

護国神社神殿での祭事:奉納の舞い

護国神社神殿での祭事:奉納の舞い

 御身体がご不自由な方々もいらっしゃいましたが、背筋をしっかり伸ばし参列する姿を後ろから拝見し、それぞれの戦争を振り返り、若き時代の友の追悼と、今の時代の平和への祈りを受けとめた時間でした。戦争を最前線で体験しているが故に、平和の大切さ、有難さを痛感している皆さまなのでしょう、反橋宮司の奏上のお言葉も素晴らしく、今の政情を鑑みて、今年のこの例祭は、私にとって平和への一層の祈願となりました。「戦争を始めるのも人間、終わらせるのも人間」、故・品川正治さんのお言葉を思い出します。

降旗の儀

境内の彰徳苑で「降旗の儀」

ラッパの演奏とともに

慰霊碑の前では元帝國海軍・ラッパ奏者の渾身の演奏も

新渡戸・南原賞の再出発にあたって

Posted by 秋山孝二
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 昨年末に、講演で札幌にいらっしゃっていた順天堂大学の先生から、新渡戸・南原賞のお話を伺いました。5年間、新渡戸稲造、南原繁のお二人の偉大な教育者の軌跡を記念して、授賞事業を継続していたそうです。財政的事情から、今後の事業継続に懸念が出てきて、受け皿を模索中とのお話でした。

 一方秋山財団では、この間の努力により新たな財源が生み出されて、新規事業の検討を行っていました。テーマ性のある事業への支援、将来の新しい担い手を育成する事業等への応援を軸に構想を練っていた時だったので、この新渡戸・南原賞の件を伺って、トントン拍子に事が進み、来年度から秋山財団での事業とする事に致しました。

 私は、何か事を始める時に、「原点」を大切にしたいといつも思うのです。新渡戸稲造、南原繁という人物はどこに生まれ、どういった時代、どんな人生を生きた方なのか、まずお二人が眠る東京の多摩霊園に墓参に参りました。6月8日、この事業の代表者東京大学名誉教授の方、他2名とご一緒に、新渡戸稲造、内村鑑三、南原繁、矢内原忠雄の各墓前にお花を捧げ、各先生のご功績等を話合いながら、約2時間を掛けて回りました。途中、日本海軍の英雄、東郷平八郎、山本五十六の墓前にもお参り致しました。私の父、秋山宏(旧姓野田宏)は海軍兵学校66期卒で、キスカ撤退作戦、レイテ沖海戦で旗艦の通信長を務めましたが、2年前に90歳で亡くなりました。

 8月末に、その父の故郷青森県八戸市で「いとこの会」が開催されました。20名程の親戚が一堂に会し、在りし日の先祖をそれぞれに語り、絆を再認識しました。翌日に妻と二人で、盛岡市の先人記念館に紹介されている新渡戸稲造の資料、花巻市の新渡戸稲造記念館を訪問して、あらためて新渡戸稲造の多彩な功績の数々に圧倒されました。

 そして、先日10月23日、四国香川県東かがわ市三本松の南原繁の生誕地を訪問することが出来ました。今も現存する県立三本松高校の同窓会100周年会館内の記念展示を拝見して、今もなお地元でしっかり受け継いでいる南原繁の精神を目の当たりにして、その偉大さとそれを継承している帝國製薬社主の方をはじめとする地元の方々の活動に、強く感動しました。大坂峠からみる景観は、南原繁がしばしば思い出したふるさとの原点となっているとの事でした。

 私もこれまで数多くの国・都市を訪問しましたが、結局自分の心の中にある原風景は、ふるさと札幌の藻岩山であり、豊平川の水の流れであり、円山公園の空に向かう木々でした。

 どんな時代においても、変わらぬ立ち位置、ポジショニングは、すなわち変わらないミッション(使命)を意味している訳で、今年の故郷巡礼の旅は大変貴重なひとときとなりました。