沖縄密約、妻の視点から

Posted by 秋山孝二
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 NHKEテレの「沖縄密約」に関する番組、『汚名 沖縄密約事件 ある家族の50年』は注目でした。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

~~~~~~~~NHKのHPから

 沖縄返還時の日米の密約に迫った新聞記者、西山太吉の逮捕から52年。起訴状に書かれた「情を通じ」が国家の密約の問題を男女のスキャンダルへと塗り替えていった。渦中にあった太吉の妻、啓子がつづった日記がある。国の圧力や社会の好奇の目の中でもがき苦しんだ夫婦の記録でもある。著書「密約」で知られる作家、澤地久枝が読み解く啓子の葛藤。残された家族が初めて知る両親の苦悩。事件に翻弄された記者と妻の思いに迫る。

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* 関連する記事ーー> NHK・Eテレ特集「汚名 沖縄密約事件」あれこれー出演の大住広人さん - 毎友会 (maiyukai.com)

 1971年の沖縄返還協定に絡み、取材上知り得た機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが国家公務員法違反で有罪となりました。東京地検特捜部でその起訴状を書いた佐藤道夫検事、起訴状では、西山記者は外務省女性事務官と「ひそかに情を通じて」、これを利用して秘密文書を持ち出させたとし、この言葉で国家の密約問題から、スキャンダル事件へと本質がすり替えられ、当時、マスメディアを誘導しました。実はこの事件とは無関係ですが、数十年後に、私が札幌の会社の関係で紹介された東京の弁護士事務所代表が何とこの佐藤道夫さんのご子息でした。

 NHKディレクターの土江真樹子さんは長い間の取材に裏付けられた分厚い記録、そして奥様の日記にたどり着いて、今回の番組が制作されていて、彼女の執念とジャーナリズムの力を感じた次第です。

『戦後史の正体』、凄い本です!

Posted by 秋山孝二
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 孫崎享(うける)さんの「戦後史の正体:戦後再発見双書 http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E5%AD%AB%E5%B4%8E-%E4%BA%AB/dp/4422300512」は、まさに「戦後の再発見」です。

発売1カ月で16万部の販売!

発売1カ月で12万部印刷済み!

 掲載サイトにある孫崎さんのメッセージも実に興味深いですし、こちらのインタビュー「『戦後史の正体』を読み解く第1夜」も2時間半ですが面白いです(http://www.ustream.tv/recorded/24903934)。発売前twitter予約が6000冊、1カ月で12万部の印刷、twitterでのフォロワーも4万人を越えるとか、3・11以降、賢い日本国民はソーシャルメディアを駆使しての「真実探しの旅」、まさにその通りです。

 記録に忠実であり、日米関係を1945年から解きほぐし、実に明快な記述、沖縄返還、核・原発問題等、アメリカの世界戦略の中での日米関係に、新しい気づきもありました、勇気を振り絞った力作だと思います(http://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%8F%B2%E3%81%AE%E6%AD%A3%E4%BD%93-%E3%80%8C%E6%88%A6%E5%BE%8C%E5%86%8D%E7%99%BA%E8%A6%8B%E3%80%8D%E5%8F%8C%E6%9B%B8-%E5%AD%AB%E5%B4%8E-%E4%BA%AB/dp/4422300512#reader_4422300512)。

* 沖縄密約(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12980)はそのごく一部であったことも明解でした

* 戦後日本の国益を真剣に考えていた人々がいた。そして、彼らが潰されてきた歴史

* 米軍基地の全面撤退を主張し続けた政治家・官僚がいた

* 日本国民が事実を知らなさ過ぎ

* 1945年8月15日は、日本が「戦争を終える」と言ったに過ぎない日、国際常識では降伏文書に調印した日が「終戦=敗戦」

* 1945年9月2日「降伏文書:http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/1028/kohfuku.html」に何が書いてあるのか、読んだことがある日本人はどれ程いるのか

* 最初の米国の布告案は、「日本を米軍の軍事管理のもとにおき、公用語を英語とする」、「米軍に対する違反は軍事裁判で処分する」、「通貨を米軍の軍票とする」の3項目、それを命がけで覆した重光葵(まもる)、彼は2週間後に解任された

* 自主路線を排除する装置: アメリカの意向を酌んだ(後押しされた)検察・特捜部、マスメディア、政治家、官僚

* 「日米地位協定」の内容を熟読した政治家、国民は、どれ位いるだろうか?

 

 戦中から戦後にかけて、或いはごく最近の出来事を含めて、とにかく記録に基づいた明解な記述が新鮮であり、腑に落ちます。原発、TPP、オスプレイ配備等、日米関係からの視座で読み解くことがポイント。

 「真実探しの旅」で得たことを、今、ここで、行動に移していきましょう!

沖縄復帰40周年

Posted by 秋山孝二
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 沖縄復帰40周年の今年、15日に、「沖縄復帰40周年記念式典:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120515-00000096-mai-soci」が開催されました。上原康助さんの絞り出すメッセージは、通り一遍の「記念式典」では、ひと際届くものだったようです。

 

 毎日新聞の記事によると、~~~~~引用 はじまり

 宜野湾市で開催された政府と沖縄県共催の記念式典で、元沖縄開発庁長官の上原康助さん(79)は、日米のはざまで翻弄(ほんろう)され続けてきた沖縄の苦難の歴史をとうとうと語った。

 「沖縄戦で、沖縄は本土防衛の捨て石扱いで苦難と犠牲を強いられた。日本は敗戦から立ち直ったが、沖縄は日本から分断され、27年の長期にわたって米軍の占領下で呻吟(しんぎん)させられた」。米軍基地を残したままで実現した40年前の本土復帰は「県民の思いとかけ離れたものでしかなかった」と指摘し、「戦前、戦中、戦後の苦難の歴史を決して忘れてはいけない。その根源は残念ながら今も続いている」と厳しい表情で続けた。

 70年の戦後沖縄初の国政選挙で旧社会党から衆院議員に初当選し、10期務めた反基地運動の闘士。97年2月の衆院予算委員会では「もし沖縄が独立する場合、どういう法的措置が必要か」と、基地縮小に本腰が入らない政府の姿勢に、沖縄独立論をぶつけた。

 この日、式典の同じ壇上に野田佳彦首相、ルース駐日米大使が並んだ。2人の前で「民主主義社会は世論を尊重することが基本。なぜ、両政府は沖縄県民の切実な声をもっと尊重しないのか」と、国会質問さながらの熱を帯びた言葉で迫った。あいさつは約8分40秒に及び、会場から盛んな拍手が送られた。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 

 私にとっての「沖縄」は、その言葉は随分長いのですが、本当の意味の理解とか歴史認識は恥ずかしい程浅く、これまで私なりに沖縄に関する記載は3年半で以下の程度です。

* 沖縄密約判決: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3888

* 沖縄密約: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4045

* 検証報道: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4386

* 沖縄「慰霊の日」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4402

   http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4575

   http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9113

* メディア大賞: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7303

* 海戦からみた「戦争」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9991

* 「基地」: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12906

* 浦崎信子さん: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1152

 

 上原康助さんのおっしゃる通り、、「戦前、戦中、戦後の苦難の歴史を決して忘れてはいけない。その根源は残念ながら今も続いている」のでしょうね。「忘れない」に止まることなく、私たちの世代としてはさらに一歩踏み込んでの行動が必要なのだと思います。

 「沖縄」の構図は、「原発」を巡る構図と同じです。「3・11、及びそれ以降」を経験している私は、新しい歴史を創る気概をもって自分のフィールドで成果を出したいと決意をあらたにしました。「今、ここ」を外して、どこで生きるのかです、ね。

中国:ハルピンで

Posted by 秋山孝二
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 昨年6月、プラハ・アウシュヴィッツ他を訪問したグループで、今年は中国に「検証の旅」です。

 韓国・仁川(インチョン)空港、香港空港はアジアのハブとして目を見張りますが、15年ぶりに行った北京空港もそれを上回る広大な敷地・建物で、まさに中国の勢いを象徴するかのようでしたね、オリンピック・万博を目標に国家的プロジェクトで整備したのでしょう。でも、訪れるお客にとって、必ずしも「大きいことは良いことだ」ではない辺りが、難しい所ですね。空港でのインターネット・アクセスは大変便利ではありますが。

国内線のロビー:面としての広大さを感じます

国内線のロビー:面としての広大さを感じます

 深夜にハルビン市内のホテルに到着して、早速部屋でインターネットに接続しましたが、日本では見られる幾つかのサイトがアクセスを拒否されました。事前に多少は聞いていましたが、何かのスクリーニングが掛っている様子です。

 

 旧関東軍731部隊(http://sakura4987.exblog.jp/4958898/)の本部が置かれていた場所は、ハルピンから約1時間の場所です。広大な敷地は今も残されて陳列館となり、その周辺には関連施設で終戦直前に自ら破壊した発電所跡、凍傷研究所等跡もそのまま、訪問当日は高校生・大学生と思われる団体も見学に来ていました。部隊が建設した発電所は実に頑丈で、自ら破壊する時も爆破では困難だったようで、3本の煙突のうち1本だけの破壊で退却したようです。裏に回って建物の壁を見ると太い鉄筋が何本も入っていて、皮肉にも「耐震偽装建築」とは比較にならない当時の軍関係建築への予算を測り知ることが出来ます。インターネット検索では、様々な立場からのコメントも読むことが出来ますので、ここで掲載することは省略します。

旧陸軍731部隊本部入口で
旧関東軍731部隊本部入口で

敷地併設の発電所跡:自ら破壊して撤退

敷地併設の発電所跡:自ら破壊して撤退

凍傷実験所

凍傷実験所

 すでにこの部隊の目的等は、1997年アメリカ政府の膨大な情報公開により明らかになっています、今回あらためて衝撃を受けたのは、昨年のアウシュヴィッツと同様に、「政策」として明確な意図を持って軍と医学会が組織的にかなりの期間実践したこと、そしてその間多大な犠牲をもたらして得た膨大な「医学的(?)情報」が、戦後戦争責任を裁く裁判における免罪の取引として、すべてアメリカに提出されていたことです。数年前から、関わった方々が80歳に近くなってきたからか、この件に関する証言も数多く世に公開されています。

 「政策」としてという意味は、例えば「対ソ戦」を想定した寒地での人間対応力実験、資源の少ない日本が戦争に勝利する戦略としての大量破壊兵器として「細菌兵器」の開発、自国内では出来ない「医学的」臨床実験等です。

 8月のNHKドキュメンタリーシリーズで放映された「広島・長崎への原爆投下」に関する番組で、誰よりも早く爆弾投下直後(2日後?)に日本の軍医師団が、診療目的ではなく調査目的で現地入りして、放射線障害等の貴重なデータを取得し分析し、それを731部隊同様に占領軍に提出したとの証言でした。 そしてその意図が、終戦後少しでも占領軍の心証を良くしようとの思惑からだった、とも。

 更に731部隊に責任を負う幹部たちの終戦後に就いた役職も展示されていましたが、皆戦後日本の要職が実に多く、彼らの戦争責任に対する認識、許す社会の民度の低さ等、アウシュヴィッツとは違い、同じく戦後日本を生きてきている自分自身との関係性から一層重たいものがあります。戦後の数多くの戦争裁判の検証でも、アメリカ他の連合国の思惑等、しっかり認識していく必要性を感じます。

 もう一つ、資料とかデータに関する日本人の独特の考え方ですね。国際社会では、「資料が無い」というのは、その後の検証・交渉では致命的に不利になるのは常識にもかかわらず、ただひとえに自らの「保身」、「責任回避」の為に、それを焼却・破壊して無かったことにしようとするメンタリティ、その程度の責任感・覚悟での仕事の遂行というのでしょうか。何だか何で言って、「国」、「国民」の為になどという言葉は全くみられません。これは今の社会でも、全く変わっていないから更に課題は重いですね。戦争中の様々な残虐行為、安保・沖縄密約、事実を無かったことにしようとするそのことが、歴史に対する冒とくですし、それを乗り越えて進化しようとする力をそぐものです。私たちの世代の責任は、とにかく事実を事実として認識して、二度と同じような過ちを繰り返さない社会づくりを日頃から地道にすることしかないのでしょう。

 もう一つ、ハルピン市内の「東北烈士紀念館:http://www.mediabahn.co.jp/china/tiiki/tohokud7.html」では、抗日戦争で戦った女性戦士「趙一曼」に関する展示・説明が印象的でした。信念に生きる一人の女性の姿、また一人の子供へ託す自らの意思といのちの連鎖、今、中国・ハルピンに居ることを忘れて、無言でしばしたたずむばかりでした。