今から11年前の2009年、私はアウシュビッツを訪問する機会がありました。
< アウシュビッツの関連記事 >
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1457
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1474
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1485
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1501
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1522
その時ガイドだった中谷剛さんが、先日、朝日新聞に大きく掲載されていました、また、私たちが説明を聞いたスモーレンさんのことも語っていました。スモーレンさんは私たちがお会いした数年後にお亡くなりになったと知りました。
当時説明をして頂いた時のスモーレンさんです。(アウシュビッツ収容所会議室で)
~~~~~~~~~~~~~~~~11年前の私の記述から
アウシュヴィッツ展示の説得力は、「そのまま」であることなのかもしれません。「復元」は本当に少なく、施設等の建物は当時のままであり、偶然に残った、或いはポーランド・レジスタンスがクラクフ経由でロンドンの臨時亡命政府に秘密裏に伝えた写真・メモ等の展示となっています。目の前の施設は全く無言の施設・展示物、人々の存在は白黒のやや色あせた写真の中だけです。それ故に、見学者個々の思考と想像力に依拠した問題提起となるのでしょう。「伝える」活動の重要性、「無かった」事にしようとする危険性、ふと世界共通の課題だと納得しました。
中谷さんの1時間半を越える説明から、幾つか印象に残ったフレーズを書き留めておきます。
*「よそ者」の自分には、このアウシュヴィッツの意義が一層理解できるhttp://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7736-2907-1.html
*人道的に許せない、という視点ばかりではなく、20世紀のある時期に「国策として」実行された歴史的事実と認識して頂きたい
*一時の、或いは積年の「感情」だけではなく、ホロコーストには「仕組み・システム」が存在していた。自分たちと無縁の事ではない
*経済的インセンティブがシステムとして組み込まれていた事実、これは再び起こる可能性を暗示してもいる
*元所長ルドルフ・ヘスは家族とともにガス室近くの官舎に住んでいた。冷酷な人間という訳でもなかったらしく、官舎横には家庭菜園もつくっており、ナチス司令官ヒムラーと一緒に農業談義もよくしていたとの話もある。二人とも植物を愛でるタイプの人間でもあったのだ。一連の虐殺を個人的属性に帰するのは誤解のもとになるだけ。当事者は「職務」として実行しており、家に帰れば「良きパパ」だったに違いない
*日本の平均的教育レベルの高さに期待している。ただ極限状態に追い込まれた時に、どの程度理性的に行動し得るのか、人間の本生の赴くままになってしまうのか、それが今もこれからも問われるのだろう
中谷剛さんの変わらぬ姿勢、あらためて11年前に訪問した時のことをしみじみ思い出し、メッセージを再確認致しました。