寺島実郎さんの「戦略経営塾(http://www.terashima-bunko.com/terashimabunko-juku/strategic-management.html)」で、何回か出てきた東京都文京区小日向の界隈は、歴史的に「切支丹屋敷跡」、「新渡戸稲造旧居跡」で著名ですが、今回時間を見つけてやっと足を運ぶことができました。閑静な住宅街、学校からは子供たちの歓声も聞こえてくるこの場所で、深い時代が過ぎていたのでしょう。
<「切支丹屋敷跡」東京都教育委員会説明版より> ~~~~~~~~~~~~~~~
島原の乱(1637~1638)の5年後、イタリアの宣教師ペトロ・マルクエズら10人が筑前に漂着、すぐに江戸送りとなり伝馬町の牢に入れられた。
その後、宗門改役の井上政重の下屋敷内に牢や番所などを建て収容したのが切支丹屋敷の起こりである。
寛政4年(1792)の宗門改役の廃止まで続いた。
鎖国禁教政策の下で、宣教師や信者を収容した。
宝永5年(1708)イタリアの宣教師ヨハン・シドッチが屋久島に渡来し、切支丹屋敷に入れられた。
徳川6代将軍家宣に仕えた新井白石はシドッチを尋問し、『西洋紀聞』にまとめられた。
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* 切支丹屋敷跡 http://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/shiseki/kirishitan.html
* 新渡戸稲造旧居跡 http://www.city.bunkyo.lg.jp/bunka/kanko/spot/ato/nitobe.html
幕府のキリシタン禁教を背景とした江戸における収容施設でした。正保2年(1645年)頃、幕府大目付、井上筑後守政重が自分の屋敷内に作ったと伝えられ、当時は4千坪あったそうです。
昨年でしたか、向いの工事現場から三つのお墓が発掘されました。
そこから5分位の場所に、新渡戸稲造の邸宅跡地もあります。
東京都内には、そう遠くない時代の歴史的メッセージを発信する場がいつくもあるのですね、途中の坂の上り下りとともに古の人々の往来を想像しました。
< 追補 2016.4.5> DNA鑑定の結果です http://news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye2740965.html