青森・弘前・大間は、今、元気です(4)

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 旅の終わりは、下北半島の先、大間町で暮らす熊谷あさ子さんの娘さん・小笠原さんの訪問でした。http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/58293.html

前日は夜で何も見えませんでしたが、延々と続く道は随分距離があるような気がしました。翌日周りの景色を確認しました。

国道入口の立て看板

国道入口の立て看板

 

動かない重機群

動かない重機群

「あさこはうす」入口、フェンスが迫る

「あさこはうす」入口、フェンスが迫る

海を眺めて

海を眺めて

風力活用で

風力活用で

 事業を行う企業の大前提の姿勢として、すでに永年住み続けている地元住民への納得のいく説明というのは常識でしょう。都市での高層マンション建設でも全く同じですよ。なぜなら、企業がその事業に適していると判断した「その場」は、そこに住んでいる方々が永い間暮らして「創ってきた」環境・景観・風土だからです。

それをあらゆる手を使っての嫌がらせ、脅し、買収工作等、当り前のまともな経営者のやる事ではありません。高度経済成長の負の遺産として、これまで日本各地でも歴史の中で起こしていますが、ここでは2009年9月現在この姿です。今を生きている自分たちの為ではなく、これからの世代の為にも、この現状を多くの方々に知って欲しいですね。

一人の「いのち」と「生きる意志」を粗末にする社会が、豊かであるはずはありません。厚子さんは信じられないほど優しい笑顔で、これまでの経過、お母さまのこと、そしてこれからの夢を話してくれました。壮絶なこれまでの人生だったはずなのに、どうしてあんなに静かに優しく人と語れるのでしょうか。応援を形にするには、まず「あさこはうす通信」の購読者となることですね。

お体に気を付けて、いつまでもお元気で。

青森・弘前・大間は、今、元気です(3)

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  そこから次に、縄文人たちの生きた証・三内丸山遺跡http://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/に行きました。

三内丸山遺跡で

三内丸山遺跡で

 

柱の痕跡:直径約1メートル

柱の痕跡:直径約1メートル

 遺跡発掘現場の保存・展示方法に工夫の余地があるような気がしました。復元で分かりやすくはなっているのですが。「縄文時遊館http://www.citydo.com/museum/hokkaido/154.html」には、沢山の貴重な発掘品が展示されていて、当時の暮らしぶりにしばし思いをはせるひと時でした。

次は、「日本中央の碑・歴史公園http://www.thk.net.pref.aomori.jp/gyou_gui/info/info_shisetsu_04.html」です。

 そして六か所村へhttp://www.rokkasho-rhapsody.com/

気がつくと段々夕日も地平線に迫ってきていましたが、それ程急ぐこともなく無事大間に到着、小笠原厚子さんとお会い出来たのは、午後7時頃でした。http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/kawaraban/58293.html

青森・弘前・大間は、今、元気です(2)

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 二日目の弘前では、岩木山方面に進む「虫追い祭」の行列と偶然出会いました。

秋の実りの横を行く祭の行列

秋の実りの横を行く祭の行列

そして今年3月に酪農学園大学で講演した「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんの農園を訪問しました。丁度テレビ局の取材中でしたが、木村さんの方から声を掛けてくれました。「私は家族を犠牲にしてこのリンゴを創ったけれど、皆さんは土に棲む全ての命を大切にして下さいね」と、素晴らしい笑顔で語ってくれました。奥様もご一緒で、本当に優しい表情の方でした。

奇跡のリンゴ:木村秋則さん

奇跡のリンゴ:木村秋則さん

リンゴと岩木山

リンゴと岩木山

 そして次は「鬼神社」です。古い本殿の正面上には、農機具の一部が据え付けられていました。

 

青森・弘前・大間は、今、元気です(1)

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 二泊三日で弘前・青森・大間ほか、津軽地方の旅でした。

 函館は今年開港150周年の節目の年です。「開港サンド」は1859年にアメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアの五カ国と国際自由貿易が始まったのを記念して、オリジナルサンドを880円で制作。コンセプトは「道産食材で欧米文化の交流」と「ハイカラな函館の雰囲気を再現」と、おしながきに書いてありました。

函館:今年開港150周年

函館:今年開港150周年

 函館で電車を乗り換え、八戸行きの特急から函館山を西からの眺めでしたが、市内からみる形とは違った風景でした。

函館山を西方向から眺める

函館山を西方向から眺める

 青森港には大型客船が停泊中。

続いて「青森県立郷土館http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/kyodokan.html」で風韻堂他を見学しました。更に水田遺跡で有名な垂柳(たれやなぎ)遺跡の田舎館(いなかだて)村http://www.vill.inakadate.aomori.jp/maizou/html/t02.htmlにも行き、古代の人の足跡も鮮明な水田跡をしっかりこの目に焼き付けました。旅から戻るとこんなコラムも見つけましたhttp://www.inoues.net/family/tareyanagi.html。「水田=弥生」とすぐに決めつける歴史認識は浅いですよね。炭化米も見つかっているのですから、きっちりした時代考証を別の科学的角度からすべきだと思いますが。もしかしたら、新しい歴史の発見があるかも知れません。

青森港の大型客船「The world」

青森港の大型客船「The world」

 弘前では夕方にやっと間に合い、社会福祉法人・抱民舎http://aun.shafuku.com/を訪問し、理事長のNさんhttp://blog.goo.ne.jp/tyaranke803_2007・事務局長とお会いして、しばしお話を伺いました。ここまでの事業を構築されてくる間には並み大抵のご努力ではなかったはずなのに、笑顔が大変素晴らしく、どうしてこんなに優しい表情でいられるのだろうと、そのお人柄に感動致しました。

きたネット・フォーラム、面白かった!

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  「北海道環境活動交流フォーラム:FORUM2009」はhttp://www.kitanet.org/event/index.htm#work2009は、札幌円山動物園http://web.city.sapporo.jp/maruyamazoo/index.html で二日間開催され、新しい試みも随所で見られて大盛況でした。

 一日目、今年から公開になった「円山動物園の森」の散策では、ガイドの方の解説で約1時間のツアーでした。円山の昔の姿を想像させる植生他、大都市札幌にある自然の奥行きをあらてめて知りました。

動物園の森

動物園の森

 

樹齢140年

樹齢140年

内容の濃いパネルディスカッション

内容の濃いパネルディスカッション

続く基調講演では、酪農学園大学環境システム学部の金子先生から、「今、100年後の北海道の自然を守るために」をテーマに、GIS(地図情報システム)データ解析をもとにしたお話、円山動物園飼育展示課長(獣医師)の上野さんから「生物多様性の確保と円山動物園」をテーマに、動物園ならではの興味深いお話をお聞きすることが出来ました。

その後のパネルディスカッションでは、「エゾシカ被害」の現場からの発言と、由って来る所以を歴史的な人間の活動との関係性での意見の数々により、これまでメディア等での断片的な指摘とは一味も二味も違った内容の濃いディスカッションとなりました。夜のシカ肉ハンバーガーの試食、夜の動物園ツアー「Moonlightエクスカーション」、交流会と盛沢山のプログラムは、参加者にとって満足度が高いものでした。特に動物園でシカ肉を食べるというユニークな企画に拍手喝采ですし、そして札幌円山動物園の新しい取り組みとそれに向けた職員の方々の情熱もこのプログラムを通じて感じ取りました。

二日目の「環境情報交換コーナー」では、「森を守る人:林業技師会西川さん」、「いのちを育む人:道環境科学研究センター玉田さん」、「暮らしを変える人:ezorock草野さん」がホストとなり、分野別で環境についてのお話や情報交換をするコーナーを設置しました。ご相談された方々にとって、今後の環境活動に携わる方々の情報共有とネットワーク形成に役に立てば幸いです。

準備にあたった皆さん、ご参加して下さった皆さんに心から感謝致します。なお、ご好評の基調講演・パネルディスカッションはDVDで近いうちに記録として完成予定です。ご興味のある方は「きたネットhttp://www.kitanet.org/」までお問い合わせ下さい。

秋山財団贈呈式ほか、終了です

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 (財)秋山記念生命科学振興財団http://www.akiyama-foundation.org/の今年度の講演会・贈呈式が、先日沢山の方々のご参加を得て終了致しました。

今年は講演会として、幅広くご活躍の香山リカさんをお招きして、「『強い人』と『弱い人』がともに生きられる社会とは」というテーマで430名を越える出席者でした。質問も多数寄せられていました。 

香山リカさん

香山リカさん

毎日新聞コラム「こころの万華鏡」http://mainichi.jp/life/health/kokoro/、北海道新聞の毎日曜日生活欄のコラムでも連載されています。

贈呈式では秋山財団賞・研究助成・市民活動助成・ネットワーク形成事業助成等の受領者の参加で盛況でした。

http://www.akiyama-foundation.org/what/index.php?year=2009&mon=06&day=29#16

 

一方、実質的には今年度から秋山財団で引き継いだ「新渡戸・南原賞受賞式(第6回)」が、14日に東京神田・学士会館で開催されました。今年度の受賞はお茶の水女子大学名誉教授、数学者・作家の藤原正彦さんと、元東京大学出版会専務理事の石井和夫さんに決まりました。これまでのご功績を讃える多くのお言葉が披露されました。

石井和夫さんと藤原正彦さん
石井和夫さんと藤原正彦さん

会場には、マラソン解説でお馴染みの増田明美さんもご出席になり、素晴らしいご祝辞を述べられました。授賞式では私の隣だったので、先日の北海道マラソンでの解説に感動した事をお話致しました。

それぞれにご参加の皆様に心から感謝を申し上げます。

天国までの百マイル

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  えんかんhttp://homepage1.nifty.com/enkan/index2.htm の会員になってから、もう随分経っていますが、最近は時間の関係上なかなか足を運ぶ回数も減ってきていました。

先日の文化座http://www.bunkaza.com/ 「天国までの百マイル」は、設定も身近ですし、佐々木愛さんを久しぶりに舞台で観ることが出来ると思い、楽しみにしていました。

チラシより

チラシより

 当日会場にいってみると、下記のような紙が一枚チラシの間に挟まっていました。同時に受付で、そんな佐々木愛さんへのお見舞いの意味も込めて「千羽鶴」を差し上げたいとのアイディアで、折り紙を配っていました。残念ながら私は鶴を折れないので一羽も貢献出来ませんでしたが、指定の席に座っていると、やがて隣に一群の中年女性の集団が座り、開演前の時間に幾つも小さな鶴を折っていました。

佐々木愛さんのお詫状

佐々木愛さんのお詫状

  えんかんの方々の機転の利いたアイディアを素晴らしく思いました。

 ストーリーの方は、浅田次郎の原作で、実話と聞いています。バブルに踊った男・安男が、重度の心臓病の母を100マイル(160キロ)離れた千葉県の病院まで運ぶ間の物語です。道中、さまざまな人と出会い、また出来事に遭遇するうち、主人公の安男は無償の愛情、友情、人の善意、医師の良心などに支えられながら生きているのだと気づいていくのです。親子の切ない情愛、男女の悲しい恋模様、「愛と勇気と再生」の感動の物語というのでしょうね。その安男を実際に支えているマリというキャバレー勤めの女が、本来佐々木愛さんの役どころでした。当日は高村尚枝さんが急遽代役でしたが、大変堂々としていて実に素晴らしかったです。多様な「愛情」を具に見せて貰い、久しぶりに何か懐かしい感動(?)を覚えました。 

 文化座はご承知のように、かつて田端文士村と呼ばれた北区田端の一隅に劇場を構え、全国に向けて演劇を発信しています。昭和17年に設立されて、2007年に前代表の鈴木光枝が旅立ち、メンバーは全て第二世代となりましたが、創造の理念はそのまま引き継いでいます。

 数年前に、私も理事を務めているタオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htmの同じ理事で、佐々木愛さんともお知り合いの脚本家の方とご一緒に、文化座の芝居を見に行った時、終演後に代表の佐々木愛さんとご挨拶をさせて頂いたことがありました。以前からファンだったので、至近距離でご挨拶をした時には感激しました。彼女は劇団の紹介のなかで、「私達の生きている日本が、いえ世界が、平和で差別の無いものであることを願い、演劇を通して、“日本、及び日本人”を見つめていきたいと考えております」と語っています。

入院中の佐々木愛さんの一日も早い回復をお祈り致します、と同時に再び舞台で拝見出来る日をお待ちしています。

いのち、人と人との間に

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 NHK教育テレビ、こころの時代「いのち、人と人との間に」で、千葉県成田市・曹洞宗長寿院の篠原鋭一住職のお話を再放送で聴きましたhttp://www.choujuin.com/introduction/index.html。ご自分の体験から、「あなたも人生の料理人」と語る住職のひと言ひと言に温かみを感じました。

*生きていく為の仏教でありたい

*人生の羅針盤としての僧侶の存在

*自死への相談

*同事行、因縁果、無常

*多彩なイベント

   ◆長寿院サンガ(コンサート・講演会等)を年4回開催

   ◆カンボジア・タイ・中国少数民族教育支援ボランティア活動

   ◆悩み相談・自殺志願者との対話(年中無休・無料)

   ◆小学生・中学生・高校生・大学生対象「心の力を養う合宿」開校

   ◆社員研修会の開校(長寿院でまたは会社で)

   ◆住職の著書「みんなに読んで欲しい本当の話①・②」「あなたも人生の料理人」「仏教スクール」他

ホームページには、下記のようなメッセージが記載されています。

――現在で33世を数える住職が檀信徒と共に、誰でも気軽に立ち寄れる「開かれたお寺」づくりを目指し、お寺の整備・修繕につとめてまいりました。通常行事のほか多彩なコンサートや講演会等を定期的に開催するなど、広く文化交流の場としてお寺を開放しています。また、学生さんから社会人の皆さんまで、「心の力」を養う禅合宿や研修も行っています。ご希望であれば、どなたでもご自由に参加いただけます。どうぞ、生きている間にお寺をご利用ください。

サンガとは「やすらぎを求める人々の集い」又は「共同体」のことです。長寿院サンガの様々な催事に参加して「出会い」を、そして「心の豊かさ」を体験してください。どなたでも参加いただけます。

 年齢や職業などすべてを超えて、なごやかな食事の会が始まります。スタッフが心をこめて用意する精進料理、お酒も少々。お寺でのお食事会ならではの、平和なひとときです。

 み仏の前で行なう結婚式を『仏前結婚式』といいます。清楚な式、おだやかな披露宴。平和な家庭がいくつも誕生しています。

 仏教は一度きりの人生を幸福に生きる「生き方」を説いています。死んでからでは遅いのです。生きているうちに聞いて、人生に活かしてください。

私たちはいつも動いています。時には止まりましょう。静の中に身をおいてこそ正しい判断や結論が出るのです。

 食事は「喰う」ものではなく、「いただく」ものです。禅寺の食事作法により、いのちの尊さを学びます。

―――――――

 「どうぞ、生きている間にお寺をご利用ください」というメッセージに、大変新鮮な響きがありました。話を聞く場の生け花にもさり気ない気配りをする篠原さんの優しさに感動致しました。

 

美男ペコパンと悪魔

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 再開された「シアターキャンプ」を経て、先日札幌市芸術の森で「美男ペコパンと悪魔」(原作:ヴィクトル・ユゴー、構成・演出:齋藤歩)のTPS公演がありました。http://www.h-paf.ne.jp/engeki/pekopan.html 

当日、札幌中心部は曇りでしたが、芸術の森周辺はお昼前ににわか雨とか。急遽テントを設営したりの対応で忙しかったようです。幸い午後2時の公演時は時々日も差してきて、すり鉢状の野外空間に不思議な芝居となりました。

TPSチラシ

TPSチラシ

芸術の森・調整池で

芸術の森・調整池で

 

不思議な出で立ち

不思議な出で立ち

 観客も360度の舞台でしたので、前後左右を見まわしながらの立体的芝居を実感でした。因みに私は、土手にあった石の上に座っていて、役者とともに観客の方々も含めた芝居を楽しみました。

もう一つ、始まる前に入った男子用トイレに、バポナと一緒に何とも懐かしいハエ取りリボンが数本つり下げられていました。昔はお店にも家にもこのリボンがありましたよね。

懐かしハエ取りリボン

懐かしハエ取りリボン

演劇の担い手の進化する姿は、楽しみですね。北海道から発信する舞台で育つ俳優に、これからも夢を託します。齋藤歩さんのご活躍も期待しています!

高校同期のプロ・ピアニスト

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 高校時代の同期で、3年生で同じクラスの安井耕一http://spysee.jp/%E5%AE%89%E4%BA%95%E8%80%95%E4%B8%80 くんは、私の親しくしていた友人です。毎年定期的に夏に札幌でもリサイタルを開催していました。先日は2年ぶりにルーテル・ホールで行われて、沢山のファンで盛況でした。

ピアノリサイタル・プログラム

ピアノリサイタル・プログラム

 納得のいかない高校生活を送った私でも、彼との想い出は貴重な素晴らしいものばかりです。

 その一つは、学校祭でシューベルトの「ます」http://www.youtube.com/watch?v=Vz5-2_Mcuqc を彼がピアノで私がチェロ、コントラバスはなしの弦楽四重奏でやりました。恥ずかしながら私は、小学校から高校2年までチェロを習っていました。本番が近いある日、安井くんの提案で有名演奏者たちのレコードでこの曲を学校の放送室で一度聴いて見ようということになり、それぞれ譜面を見ながらレコードを数回繰り返し聴いていたその時、「あれっ、ピアノが間違った音を弾いている!」と突然安井くんが指摘するのです。忘れもしない第4楽章のピアノパートの物凄く難しい部分ですよ。譜面を見るとその辺りが異常に細かな音符が連なる山脈の様に山・谷の繰り返し、その中の十六分(三十二分?)音符の一つを弾き違えていると言うのです。その後数回、念のために聴いてみると、確かに違っているのですね。私は正直にいって、最初は違っていることには気がつきませんでした。私にとってその時の彼の聴音の正確さは、まさにたまげる程の驚きでした。

もう一つは、3年の秋以降、安井くんは月にかなりの頻度で東京にレッスンに通っていました。秋のクラス対抗の球技大会でバレーボールに出場予定の彼は、手に軍手をはめて練習に打ち込んでいました。「突き指したりしたら大変だから、無理しなくていいよ」と私が言ったら、彼は笑顔で「いや、ピアノを弾く指にもきっと良いよ」とさらりと応えたのです。私はその時の彼の笑顔が忘れられません。音楽を志す方の私のイメージというと、眉間にしわを寄せながら神経質そうに音に聴き入る風ですが、彼の人柄は本当に眼差しの優しい、しかしながら音楽への厳しさを兼ね備えた惚れぼれするような人物でした。

詳しくは知りませんが、東京芸術大学卒業後はドイツでの生活も永く、数多くのコンサートで高い評価を得て、この所は日本でも指導に当たっています。全く別の人生を歩んだ私にとっては、音楽家の道をしっかり歩み続ける彼をいつも誇りに思っていますし、これからも沢山の若手ピアニストを育てられると信じています。益々のご活躍を期待しています。

生ごみは宝だ!

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 先月、「第17回生ごみリサイクル交流会http://www.taihika-kyokai.or.jp/kouryu/17th/17th.htm」が早稲田大学国際会議場で460名の参加で開催されました。今年のテーマは「生ごみは宝だ!」です。
早稲田の杜

瀬戸理事長のご挨拶

瀬戸理事長のご挨拶

NPOたい肥化協会http://www.taihika-kyokai.or.jp/ 主催のこの会は、全国の自治体の方々、地域住民、地元企業とのコラボレイトにより、生ごみの堆肥化技術に地道に取り組んでいます。理事長の瀬戸昌之先生は、4年前の秋山財団第14回講演会にお招きし、「持続可能で豊かな社会を展望する」と題してお話をして頂きました。

今回の交流会では事例発表として、1)「地球温暖化防止に向けて環境の里づくりが進む~自然エネルギーの活用、森林の保全、土づくりセンター」――高知県梼原(ゆすはら)町  2)「食品残さのリキッドフィード(発酵させた液状エサ)で養豚~できた肉は店で販売する“食品ループ”を実現」――小田急フードエコロジーセンター でした。

いずれも大変熱のこもった報告で、「資源の循環」と「食の循環」とは車の両輪であることを再認識しました。

瀬戸理事長もお話をされていましたが、生ゴミというとすぐに堆肥化と考えがちですが、比較的新鮮で異物のないものは豚のエサに、ある程度新鮮で異物のないものは堆肥化に、そして古く異物のあるものはメタン発酵に、というのが今のトレンドのようです。

会の冒頭でご挨拶をされた早稲田大学の寄本勝美教授は、「協働とは信頼関係を行動に移すこと」と定義されていました。そして点の取り組みを線から面へ地域づくりに発展させる活動がこの会の原点であると。

21世紀の持続可能なライフスタイルには、「小さな循環」そこにエネルギーも食も何も、活動のヒントがあるような気がしますね。

風が吹いた?いや地殻変動でしょう

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 昨日の選挙結果が、昨晩から今朝までメディア各局と今朝の朝刊で報道され続けています。同じ新聞かと見間違う程同じ見出しでした。

今朝の朝刊1面

今朝の朝刊1面

私は今回の選挙に至るまでの数年の状況を具に総括すると、この結果による政権交代は一時の「風」ではなく、「地殻変動」であることをしっかり認識する必要があると思うのです。一連の報道から候補者本人の当選・落選の弁、側近たちの結果分析、各局の番組での司会者のコメント聞いていて、「まだそんな認識かよ」と時代を見る目の無さに愕然とする場面も多々ありました。歴史的転換点を見逃してはなりません。

自民党の年老いた候補者の多くは、「得体の知れない有権者の雰囲気に負けた」、「4年前の逆パターン」、メディアに登場している良く分かってないコメンテイター達は、「小沢チルドレン?」とか「風が吹いた」とかのこれまでの月並みな表現に終始していました。「胎動」を「得体の知れない」などと受け止めている候補者の姿に民衆との大きなズレを感じますし、新しい時代認識なしに、従来型の構図で今回の評価をしようとする、或いはするしか出来ないメディアの貧困を痛感します。

市民は小泉政権以降の「政権もてあそび」に対して怒り、憤っているのですよ。保守・革新を問わず超党派として、日本の形づくり・将来に対する不誠実な責任与党の姿勢にです。これは明らかに4年前の「郵政選挙」とは全く違う市民のメンタリティーです。ある議員は負けて「振り子の揺り戻し」と表現していましたが、そんな認識レベルの人間がこの間4年間も議員だったことが日本の恥というものです。私は数年前の教育基本法の改定のプロセスで、もう愛想が尽きました。見識のなさを通り越して「不真面目」としか言いようがありませんでした。

長崎2区の新人候補の福田さんが、当選後のコメントで「これからも皆さんとともに生きていきます」と話されていました。肝炎訴訟の原告代表の一人としてこれまで活動した方の「生きていく」という言葉に、並み外れた言葉の重みを感じました。

これから3か月・100日が新政権の勝負ですね。全員覚悟を決めて事を担って頂きたいし、あらゆる抵抗勢力を突き抜けて、新しい時代の指針を示す国策の実施を期待したいです。特にメディアの方々の姿勢も、その新しい時代を追いかけるフットワークを持って貰いたいと思います。今朝の各テレビ局の報道を見ていても、そのお目出度さに呆れます。次に変わらなければならないのはメディアでしょうね、Media,Change !

9月8日にメディア・アンビシャスの緊急シンポジウムを開催致します。「政権選択選挙とメディア」というテーマです。

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きたネット・カフェ、「戦争と環境」

Posted by 秋山孝二
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 今年5月に私は「NPO北海道市民環境ネットワーク(きたネット)http://www.kitanet.org/」の理事長に就任しました。環境系の市民活動には素人の私ですが、北海道各地で活躍する皆さんの中間支援組織の一翼として、少しでもお役に立てればとの思いでお引受け致しました。

先日、定期的に開催している「きたネットカフェ」で、私は6月に訪問したチェコ・ポーランドの旅から、「戦争と環境」というテーマで発表の機会を与えられました。訪問を振り返れば返るほど重たく、発表でも環境との繋がりはむしろ参加された方々からの意見交換で深まったような気がして、私にとっても貴重な場となりました。結論は「戦争は最大の環境破壊」である、そのことに疑いはありません。

ちらしより

ちらしより

当日参加された方から早速ご感想も頂きました。二つだけご紹介します。

Oさんから: 昨日の旅行記、ありがとうございました。重いテーマは、ヘスを含め戦争当事者たちと私たちが地続きにいることへの不安であり、それがもたらす緊張ではなかったかと思っております。「システム」としての戦争と、経済を推進するシステムは表裏一体のようなところもあります。だからこそ、常にブレーキをかける心つもりとそのエネルギーを保持し、維持していなければ後々、悔やむことになるのだと思います。

年寄が戦争を始め、若者が死んで行く理不尽さは「生命(いのち)」を根本のところからとらえていなければ、社会の空気に流されてしまうことも確かかと思います。

 

Sさんから: 昨日のテーマは何とも重たく、私にとっては軽卒に発言できないと 思いました。あの後、スポーツクラブに寄ってから帰ると深夜になっていましたが、NHK BSで、旧日本兵への取材番組が放映されていました。いずれも90歳前後の方々で、戦場で上官に命じられて敵兵を殺したことを告白したり、あるいは、極限の行軍で病気で苦しむ戦友を楽にするため自ら引き金をひいたことなどを涙ながらに語っていました。その方々は、90歳になってはじめて話したとのことでした。奥さんも子供さんも聞いた事のない話を死ぬ間際に語っ たとのことです。(いずれの方もその後数ヶ月のうちに亡くなった との事です。)彼らは戦争を肯定することはしないが、戦場で死んだ仲間を考えると、過去の戦争が”無意味だった”とは絶対言えないということです。それを言ってしまっては彼らはムダ死にをしたことになるから。そして、生き残って戻って来てしまったことに複雑な想いを感じているようです。品川さんの話にも通じています。

経済的利益が主導する人類の暮らしの価値観を転換させないと戦争というのは無くならないものなのでしょうか?

 

沢山の方々にお集り頂き、真剣な意見交換のひと時に心から感謝申し上げます。戦争体験者ゆえに戦争を語れない、その事を云々言う前に、戦争体験の無い者ゆえに伝えることが出来る、或いは伝える責任がある、そう考えることも出来るとは思いませんか。

「チェンジ」は北海道から始まった!

Posted by 秋山孝二
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  「フォーラムin札幌時計台 × フォーラム神保町http://www.forum-j.com/」の共同企画で、連続シンポジウムが5日間北海道で開催されました。札幌では3日間でしたが、連日の論客の登場で会場は発言の重みに緊張感が漂っていました。http://www.forum-j.com/theme-change-hokkaido.html

覚悟を決めた方々の発言とでもいうのでしょうか、それぞれの立ち位置が大変明確なので受け取る方も理解が容易でしたね。手元のメモから印象に残った発言を列記します。

*現役時代は、「歴史に対して仕事をしている」という意識だった。後に歴史が判断するとなると、交渉経過・記録は絶対に残すべきである――相手国との交渉の為にも

*政権交代の最大のメリットは、あらゆる省庁で「情報公開」が進むこと、そして情報文書は国民のものである

*世界の大きな変化に対して、日本は構造改革が急務である

*世界の変化のポイントは、1)アメリカ発の金融恐慌、2)中国の台頭 

*北海道の今後の取り組みでは、新たな「日ロ交流」を行うべき

*メディアの改革、それは「NHKがどう変わるか」である

*新しい「セクター」として中間市民組織の強化: 大学、NPO(市民の目フォーラム  http://www.geocities.jp/shimin_me/index.htm 等の)

*正義のガバナンス、それは「真実とは何か」を明らかにすること:「自白中心主義」では自白を取りやすい仕組みしか作り出さない――検察の責任は極めて思い:思考停止社会の形成

*新自由主義の弊害――「格差」を解消しないと資本主義が成り立たない時代になった。ヒューマニズムの取り戻しと新しい資本主義の構想を

8月後半の夏、さまざま

Posted by 秋山孝二
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  今年の夏も終わりに近づいています。7月の北海道は連日の曇天、農作物への影響も心配されましたし私達の気持も何となく冴えない感じでした。幸い8月になって夏らしい青空と太陽の日々が続き、だいぶ回復してきた気もしますがどうだったのでしょうか。私の庭のトマトもこの所赤くなってなかなかの出来です。

 先日東京駅から千葉県館山市に高速バスで行った際に、レインボーブリッジとアクアラインから東京湾の青い海を通して首都圏の景色をぼんやり眺めていました。陸上の喧騒とは対照的に、海は夏の太陽をいっぱいに浴びて実に穏やかでした。

レインボーブリッジから

レインボーブリッジから

アクアラインから木更津方面

アクアラインから木更津方面

一方北海道日本海側の海も穏やかでした。札幌から小樽へ行く途中、朝里から高島岬方面です。空も広いですね。

石狩湾も穏やかです

石狩湾も穏やか

そして北海道神宮の杜でも、開拓神社例大祭、流鏑馬(やぶさめ)奉納等で賑わいました。

開拓神社例大祭

開拓神社例大祭

流鏑馬練習風景

流鏑馬の稽古風景

医療事故被害者の声を聴いて・・・

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 札幌医科大学医療安全公開講演会が開催されました。今回はご自身のお子様を医療事故で亡くされた豊田郁子さんのご報告でしたhttp://web.sapmed.ac.jp/kikaku/event/090810koukaikouenkai.pdf。当日は教授・学生等の医科大学関係者他、医療従事者も数多く参加されていました。辛い経験から更に前向きな問題提起を含めて、日本の医療の向上に資する貴重な提言でした。

 東京都の豊田さんの息子・理貴ちゃん(当時5歳)は、2003年3月の夜中に強い腹痛を訴えて病院に運ばれました。腸がねじれる重傷でしたが、医師は「軽症」と誤診し、入院して間もなく亡くなりました。病院は当初ミスを否定、豊田さんは強い不信感を持ち、同様に医療事故で家族を亡くした遺族らと「小児救急」の抱える問題を考えるようになり、東京の新葛飾病院にセーフティマネージャーとなって勤務することとなりました・・・・。

*血液検査では「異常なし」ーー>それが全てではないはず

*医師法21条「異常死」の場合は、取りあえず警察に連絡する義務ーー>それが全てではないはず

http://expres.umin.jp/genba/kaisetsu01.html

*警察の言「事件性は無し」では何の解決にもならない、医師に対する不信感の増幅

*一生懸命やった努力が遺族を傷つける場合もあることを医療従事者は認識すべき

*当事者の「救済」について考える手立ては?:医療ADR機関、死因究明制度、無過失補償制度等

一つ一つの悲しい・辛い現場における事実から、再発防止をシステムとして防止する姿勢、過去の事例から学び質的レベルアップを図る体制づくり、豊田さんのお話は沢山の視座を与えています。もう一つ、このような出来事が内部告発的に明るみに出るのではなく、日常的仕組みとして組織の中に位置づけられているとすれば理想です。組織責任者のリーダーシップとリスクマネジメント、過去も現在もあらゆる組織に問われている課題だと思います。

俺たちが作り続けます、にっぽんの食糧を!

Posted by 秋山孝二
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  「十勝おやじの背中を超える会(略称おやせな)」主催で、「にっぽん食糧供給プロジェクト “キックオフ Party” in Tokyo」が東京霞が関・東京倶楽部ビルで開かれました。

若い女性も多かった

若い女性も多かった

 食料自給率1100%を誇る「にっぽんの食糧基地・とかち」と銘打って豊富な食材を持ち込み、多様な料理の数々に都会の参加者が歓声を上げていました。この分野に興味を持つ企業の担当者も多く、今後の日本の食糧事情を打開する意味でもただの消費者でいるのではなく、今農業を担っている方々とのネットワークを模索する目的も強く感じる空間でした。

入口のディスプレイ

入口のディスプレイ

十勝の食材

十勝の食材

シェフの腕

シェフの腕

 会の冒頭に企画の(株)ノースプロダクションhttp://www.north-production.co.jp/project002.html近江社長のご挨拶、そして代表の梶さんが「にっぽん食糧供給プロジェクト・キックオフ宣言」を行った所、会場内は割れるような拍手でした。会場の壁には地元で生きる家族をはじめとした写真も紹介されていました。

活きた写真

活きた写真

新しい都市と農村、地方と地方とのコラボレイト等、政策をリードするような新しい世代の胎動を感じました。「霞が関」が別の場所に見えたひと時でしたよ。

メディアよ、大志を抱け!

Posted by 秋山孝二
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  メディア・アンビシャスhttp://media-am.org/主催のファーラムが開催されました。当日は全道各地からの参加者で立ち見も出る程の大盛況でした。

今野勉さんの「テレビの嘘を見破る」という基調講演に続き、「メディアよ、大志を抱け!」をテーマにパネルディスカッションもありました。今野さんは、テレビのウソ、やらせ、工夫について語った後に、「事実」とは何か、「事実を伝える」とは何かについて含蓄のあるお話でした。近いうちにHPに記録がアップになると思います。

* 「視聴者と製作者との関係づくり」に尽きる

* ジャーナリストには覚悟が必要、刑務所の塀の上を走っている様なもの

フォーラム受付

フォーラム受付

立ち見もでた今野勉さんの基調講演

立ち見もでた今野勉さんの基調講演

パネル・ディスカッション

パネル・ディスカッション

 パネラーからは、それぞれのお立場から鋭いメッセージが発せられていました。

* 一般の視聴者には「私達のメディア」的な発想がないのではないか、という問題提起もありました。メディアと視聴者がもっと密接な関係にあるべき、とも

* 「政権交代」によりメディアの自由度が高まる、権力とメディアとの新たな緊張関係が生まれる、本来の監視機能が問われる

今回の衆議院選挙後に、一連の選挙報道に関してのファーラムも企画中です。

敗戦から学ばねば

Posted by 秋山孝二
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  毎年8月は、広島・長崎への原爆投下、15日の終戦記念日他の理由からか、戦争・平和に絡むメディア報道が多いですが、気のせいか私には、今年は特に多くの局、とりわけNHKテレビは総合・教育・BS1・BS2・BSハイビジョンの各チャンネルでのこのカテゴリーの報道が多いような気がします。再放送も多いですから、一概にあらたな番組の制作が増えているとは言えないのかも知れませんが、戦争体験者の方々が80歳を超えてきて、新たな証言も多々出て来ていることも事実なのでしょう。

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/list/index.cgi?t=shougen

先日の「日本海軍」を巡っての3夜連続の番組は、私にとって大変注目するものでした。

400時間の証言 第一回 「開戦 海軍あって国家なし」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090809.html
           第二回 「特攻 やましき沈黙」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090810.html
           第三回 「戦犯裁判 第二の戦争」http://www.nhk.or.jp/special/onair/090811.html

 私の父は、海軍兵学校66期卒で、卒業後は霞ヶ浦の航空隊教官、キスカ撤退作戦http://ww31.tiki.ne.jp/~isao-o/battleplane-16kisuka.htmの旗艦阿武隈通信長、レイテ沖海戦重巡洋艦利根の通信長で奇跡的に生存し、終戦時は江田島の海軍兵学校分隊監事でした。広島原爆投下時は、すぐ隣の江田島からキノコ雲見ていたとのことでした。終戦直後は進駐軍と海軍の窓口として施設の接収業務等に携わり、その後復員して北大理学部・農学部を卒業、昨年の海軍記念日(5月27日)に解散した「北海道全海軍の集い」の3代目の会長を永く務めていました。

重巡洋艦・利根

重巡洋艦・利根

一貫して前線にいた立場(番組では「艦隊」)から、戦争の話は幼いころからよく聞いていましたが、「海軍軍令部」に関しては陸軍参謀本部と同じように、「現場を知らない連中の机上の空論が多かった」と、言葉少なく語っていました。それと太平洋戦争の全体図を知ったのは、戦後10年以上経てからだったとも。最前線で関わった当事者たちは、他の方からも聞きましたが、マクロの「戦争」という視点は現実として持ち得なかったのでしょう。キスカ撤退作戦の司令官木村昌福氏が作戦そのものの存在を家族を含めて世に明らかにしたのは、昭和34年頃に文芸春秋に記載された以降と、息子さんから伺いました。日本海軍唯一の撤退作戦の成功でもそんな感じです。

第二回番組でも取材デスクの小貫さんが語っていましたね、「特攻で逝った側の話は多いが、それを立案・命じた側の報道は戦後ことのほか少ない」と。まさに「やましき沈黙」なのでしょう。第一回の「海軍あって国家なし」、第三回の東京裁判に臨む姿勢も責任者を守る職務以外の発想もなく、愕然とします。

6月に訪問したアウシュヴィッツでもそうでしたが、そもそも誰を守るための組織だったのかが極限状態で露骨に表れます。そして「組織と責任」、「責任の取り方・取らせ方」について、日本は何も変わっていなく、今、私達の世代の責任が問われています。

重たい8月はなお続きます。

香田誉士史監督に、あらためて感謝

Posted by 秋山孝二
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香田誉士史 さま

暑い夏、この季節になると夏の全国高校野球大会のドラマを思い出します。雨でノーゲームという今年のニュースを聞くと、更に駒大苫小牧高校の大活躍、その後の紆余曲折、そして三連覇一歩手前(実質的な三連覇でしたが)までの劇的ドラマの数々、香田監督には特に感謝の気持をお伝えしたくなりました。

先日の朝日新聞の連載から、この数年間と今のお立場での心境を読み取ることが出来ました。同時にインターネットで検索すると、実にたくさんの香田さんに関連するサイトが紹介されます。私は香田さんの野球監督としての戦績は勿論ですが、生徒達と向かい合っているスタンスに尊敬の念を強く抱きます。昔私も東京都の公立中学校でバレーボールの監督をしていて、ある年は1年間365日バレーのことばかりを考えている時期もありました。また、当時の全日本女子バレーの山田監督に教えを請いに、また子どもたちに全日本メンバーの練習を見学させたくて、遠い道のりを一緒に行ったことを思い出します。

2004年駒大苫小牧高が初優勝した年の対戦相手、日大三高の小倉監督は、「守りの堅さは、そのまま選手の気持ちの強さ。あと数センチ手を伸ばせば届くボールに頑張って食らいつけるかどうか。(駒苫は)雪上ノックをしているそうですね。本州でも最近は冬にボールを扱わず、筋トレが中心の高校も多いけれど、ボールを握る時間を多くすることがうまくなる近道。『ほかとは違う練習をしてきたんだ』と思えるチームは強いですよ」と語っていた記事を読みました。

またその年の9月、横浜高の渡辺監督は、「全日本高校選抜チーム18人を率いてAAA世界選手権(台湾)に遠征しました。駒大苫小牧からは鈴木と糸屋、済美からも鵜久森、福井、甘井の3人が選ばれました。準優勝して帰国すると、鈴木と糸屋からはがきが届いたのですが、2人だけでした。『たいへんお世話になりました』などと。横浜が負けた理由が分かった気がしました。勢いや運などではない。純粋な心が集まってチームプレーへと結晶し、うちはそれがなくて、つなぐことができず個々の野球でした。負けて悔しいと思うチームはありますが駒大苫小牧高には敬意を表します」と述懐しています。

以前から私は、全国高校野球で解説者が北海道代表チームに必ずコメントする「北国は毎年雪が積もり、半年はグラウンドが使えませんからね・・・」というフレーズが大嫌いでした。弱くてもしょうがないと言わんばかりの言葉、慰めにも何にもならなく聴いていても実に不愉快でした。むしろ「ハンディ」ではなく、これをバネに強い自信に変えられないものか、と道産子(ドサンコ)の私としては悔しさで一杯でしたが、香田さんはそれを見事に成し遂げてくれました。香田さんが道外出身者だったことも大きかったですね。 岩手県のある監督の弁として、北国の高校が優勝できない最大の原因は、「勝てるはずがないというコンプレックスだ」と。でも佐賀県ご出身で、佐賀商のコーチ時代には全国制覇も経験している香田監督にはそれが無かったのでしょう。

佐賀商と言えば、検索中に香田さんの高校生時代の映像とその人柄を示す解説者の言葉の動画を見つけました。http://www.youtube.com/watch?v=koajkqRV8N4

高校野球では、ただ試合に勝てば良いというものではないですよね。勿論勝つために日々の練習をしているのは間違いありませんが、たとえ勝てなくても、或いは試合に出れらない生徒たちにとっても、教育の場としてともにチームを誇りに思えるような一体感のある一連の活動でなければ本物ではありません。私はこの数年の駒大苫小牧野球部を見ていて、香田監督がまさに「本物中の本物」と確信致しました。チーム自体の実に細やかな隙のないプレー、走塁でももう一つ前を常に狙っている前向きな姿、一つ一つのプレーへの集中等は、毎日の地道な指導の賜物であり、これから指導者を目指す人々にとっても素晴らしいモデルとなるでしょう。そして教育者としての眼差しで子供たちの成長を見守る香田さんの姿勢も素晴らしいです。高校野球ゆえに、グラウンド外での部員の行動等、気の休まるところがないのでしょうね。これだけの希望を与えて頂きながら、何もお力になれない自分も情けなく、ただ香田さんのその後の生き様に関心を持っていました。

何年前でしたか、北海道庁前庭で一万人程が集まって開催した「報告会」に、私も2時間前に行ってしばし喜びをともにしました。集まった聴衆の香田監督他チームに対する心温まる拍手と声援は、北海道の誇りと希望の表れでした。私のそばにいた年配の女性のグループは、ハンカチで涙を拭きながらの拍手でした。「ありがとう、よく頑張ってくれた!」

香田さんはじめ選手の皆さんが刻んだ軌跡は、多くの北海道に暮らす人間に光を与えてくれました。大変遅くなった感謝の気持を、この時期に言葉にしたくなりました。重ねて、香田誉士史監督、ありがとうございます。