先日から平昌冬季五輪が開幕となり、連日、テレビでは「また始まった」メダル、メダル、の絶叫の毎日。そんな中で、1998年の長野冬季五輪で日の丸飛行隊を支えた「影の金メダリスト」たちについて、たまたま見た番組が素晴らしいものでした。以前、NHK、フジテレビでも放映された実話だったようです。
* https://www.youtube.com/watch?v=EUO4tUUePt0
* http://www.fujitv.co.jp/unb/contents/140123_2.html
当時は、原田雅彦の復活が大きく取り上げられ、それで感動したのですが、実はさらにその奥に深いドラマがあったことを知りました。その団体ジャンプの試合、一本目で原田雅彦の失敗ジャンプで1位から4位に順位を下げた日本チームでした。一本目終了時、吹雪が激しく、1-3位のヨーロッパの各国は試合の打ち切りを主張しました。このまま試合が打ち切られれば金メダルどころか、日本のメダル獲得はありません。そこで、競技委員の一人、日本の笠谷昌生(笠谷幸生の兄)が提案して、4人の競技委員たちはテストジャンパー達の結果を見て、継続するかしないかを決めることになり、さらに、前回の冬季五輪の団体ジャンプで銀メダルを取って実力が認められていた西方仁也の結果が相応しければ継続してもいい、というになったそうです。
そこから、テストジャンパー達25名の壮絶な戦いが始まります。「2回目を飛んでもらい、逆転して欲しい!」という思いの中、テストジャンパー達は、皆、大飛行を決めました。恐らく、長野オリンピックのスキージャンプで一番重いプレッシャーがかかったのは西方仁也かもしれません。彼は、テストジャンパー達・そして日本代表メンバー、そして国民の思いをすべて背負い、ラストとしてテストジャンプに挑みます。そして、西方仁也は、123mのK点を超える大飛躍を成功させました。
当時のメディアはそんな舞台裏のことなどには触れず、ただひたすら原田雅彦のリベンジの美談を報じていました。
https://www.youtube.com/watch?v=7rtuOyEypDo
先日の番組では、原田雅彦の「俺じゃないよ みんななんだ みんな」の言葉から、「みんな」の意味を深掘りして、西方仁也ほか25名のテストジャンパーたちの功績を紹介していました。
テストジャンパー25名】
西方仁也・坂大徹・鈴木幸保・富井正樹・高沢公治・上野隆・梅崎慶大・西下和記・
西森享平・池田義治・葛西賀子・岡村創太・大洞崇之・佐藤昌幸・上杉宏樹・
吹田幸隆・東和広・千葉勝利・野呂田義一・桜井仁・高橋竜二・安崎直幹・
仲村和博・伊藤直人・東輝
そんな番組に感動していると、今、開催中の平昌五輪、一昨日の女子ジャンプのこの記事も感動でした。こんな視点から報道できるジャーナリストがいることが、日本はまだ捨てたものではない、かと。首藤正徳さん、ありがとう。
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伊藤有希に真っ赤なメダルを
https://www.nikkansports.com/olympic/pyeongchang2018/column/hyakkei/news/201802130000659.html