ロンドン五輪、雑感

Posted by 秋山孝二
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 2012年のロンドン五輪(http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/)は、204カ国、1万1千人のアスリートの参加で幕を閉じました。日本の獲得メダル数は、13種目で38個とこれまでで最高でした。

 当初は、テレビのライブ放送の時間帯から、私は朝になってニュースか何かで見るので十分かと思っていましたが、実際始まってみると、なかなかそうもいかず、結局は中抜けはあっても深夜・早朝の実況中継・速報にくぎ付けになっているから不思議です。勝敗そのものはもちろんですが、アスリートを巡る数多くのドラマを知って、今回はメディア取材の価値を再認識し、幾重にも感動が拡がりました。競技・試合そのもの以上に、それを応援している人々、そこまでを支えてきた人々、そして、アスリートのこれまでの道のり等の周辺報道が、大変興味深かったですね、メダルの色が金だの銀だのは私にとってはどうでもよかったです。

 競泳男女のチームワーク、バドミントン女子ダブルス、フェンシング男子団体、サッカー・なでしこジャパン等、「チーム」力を感じましたね。その中で、私には女子バレーボールの中国戦、3位決定戦の韓国戦、そして銅メダル獲得は、特に印象深いものでした。采配をふるった真鍋政義監督、彼は昨年12月31日にお亡くなりになった松平康隆(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11401http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12137)さんの薫陶を受けて、選手の育成、試合での選手起用、実に地道にチームを強くしていったと思います。メディアでは、「データ・バレー」と簡単に言いますが、データを使いこなす監督・スタッフと、指示どおりに動く選手たちの日ごろの努力に頭が下がります。

 データと言えば、私は1970年代の全日本女子バレー監督・山田重雄さんを思い出します、監督の部屋の壁いっぱいに張られていたサーブ・アタックのコースのデータ等を(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27)。

 記者会見での真鍋監督の発言より:~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

――分析面で「ヨッシャー」と思った試合は?

眞鍋監督  スタッフ陣がいろいろ分析をし、どれがベストかは分かりませんが、一番悩んだのは昨日の試合です。スタートを江畑、迫田のどちらでいこうか、スタッフでも議論になりました。でも最終的に、あらゆるデータを調べてみると迫田はスタートでいくとあまりよくないんですね。江畑がスタートでもよかったのですが、韓国戦は迫田が非常にいい成績をあげています。最終的に昨日は迫田を先発で使い、それが一番『ヨッシャー』と思いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 これが監督の仕事と言うのでしょうね、2010年の世界選手権(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6488)でもその手腕は光りましたが、今回も素晴らしい采配です。1964年の東京五輪で優勝してから連続のメダル獲得、そして暫く冬の時代が続き、今回は28年ぶりの五輪でのメダル獲得でした、おめでとうございます!

 メディアは、柔道、体操、バレーボール等を「日本のお家芸」と表現されていますが、そういった認識がすでに過去のものとしなければならないのではないでしょうか。柔道の山下泰裕さん、バレーボールの松平康隆さんらが、国際組織の役員に就任し、それぞれの国際化にご尽力されて、世界各国が日本のスタイルを研究し、結果的に世界で担う人口が大幅に増えたのは間違いありません。日本が弱くなったのではなく、現在の幅広い普及状況を見誤って、未だに「お家芸」などと悦に入っている、こだわりの意識が、日本自体の進化を阻害したのではありませんか。そんな意味では、サッカー女子・なでしこジャパンのこの五輪での健闘は、昨年のワールドカップ優勝(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9370)を経て、各国チームの研究に打ち勝っての銀メダルですから、「銀」以上の価値がありました。

 柔道は未だにその呪縛から抜け出せていない、コーチも選手も「ゲームメーク」のシナリオを持ち合わせていませんね、ただひたすら練習の延長でがむしゃらに突き進む、或いは練習と本番との勝手の違いで委縮している、負けた試合後のインタビューを聴いていると、意識の遅れにこちらが驚く程でした。監督・コーチはどれ程の対戦相手のデータを持ち合わせていたのでしょうか。もっともっと若いうちに世界の強豪との中で切磋琢磨して、「試合に勝つ」ストーリーメイクを学ぶ必要があると私は思います、別の言い方をすると、自分が今戦っている「試合のマネジメント」をする能力です。日本柔道の「カタチ」は目の前の試合に勝ってから言ってくれ、そんな気が私は今回の試合通じて感じました、育て方・指導者の問題であり、今のままでは選手が可哀そうです。

 1964年の東京五輪(http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/)の時、私は中学校2年生でした。10月10日の開会式で、真っ赤なブレザーに身を包んだ日本選手団の入場行進に興奮しました。終了直後の国語の授業の感想文で、私は「選手は自国のメディアに潰された」みたいな内容を書いたのを覚えています、多くの選手が実力を発揮出来ずに敗退していった結果、或いは戦前に大々的に期待感を匂わし、負けた時に「予想外」、「まさかの敗戦」と選手をバッシングするメディアを見て身勝手を感じてですね。

 その時代に比べると、今の選手たちは「プレッシャーを味方につける」術を身につけている気がします、試合後のインタビューも実に落ち着いて言葉で表現しているし、「楽しんだ」、「応援してくれた皆さんに感謝したい」みたいな表現が随所に出ていて、プレッシャーをモチベーションアップにつなげ、何か違う時代を生きてきた世代の意識変化を感じます、嬉しいですね。

 違いと言えば、今回の五輪を「ソーシャルオンリンピック 1億5千万ツイート」と表現した記事を読みました。選手と応援する世界の人々が、「ツイッター」や「フェイスブック」でコミュニケーションする世界を形成していました。試合前の心境、試合後の喜び等、リアルタイムのメッセージに、けた外れの多くの人達から反応があったようです。

 五輪ではないのですが、私はアメリカ大リーグに行った「ダルビッシュ・有」選手のオフィシャル・ブログ(http://ameblo.jp/darvish-yu-blog/)を、フェイスブック(FB)でも読んでいます。この所の悩み、記者会見のやり取り、つい先日の勝利後のコメント、本当に手に取るように彼の今の心境を読みとることが出来て、まるで自分も大リーグにいるような臨場感です。マスメディアの記事は、彼のブログとの対比材料になっているので、まさに1960年代とは隔世の感ですね。

 

 何はともあれ、スポーツの熱い夏は、甲子園球場の高校野球を残すだけでしょうか。たくさんの感動をくれた選手のみなさん、メディアのみなさん、ありがとうございました!!