リディツェ村で何が起きたのか

Posted by 秋山孝二
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 チェコの首都プラハから約30分の所に「リディツェ村http://www.geocities.jp/lenhartzstrasse/lidice.htm」があります。第二次世界大戦中に、ナチスドイツにより村の住民が老若男女多数処刑されて、或いは強制収容所に連行されました。広大なゆったりした平原で、以前村があったその場所には、今沢山の慰霊の像と当時の場所の説明、記念博物館等、辛くも生き残った方々の証言をもとに、二度と戦争を起こさないとういう強いメッセージを発信し続けています。

昨日ちょうど記念館の職員の方から説明を受けている時に、当時19歳で連行されて強制収容所に連行されつつも生き残った87歳の女性が私たちのそばを通り、しばし自らの体験を生々しく語って頂きました。

また、当時幼かった男性で、その後ドイツ人の家庭で育てられて、戦後故郷に戻り村長を務められた方からは、当時の様子とその後の人生、リディツェ村の復興他、今の私たちにも大変貴重なお話の数々を聴くことが出来ました。

リジッツェ村の犠牲
リジッツェ村の犠牲                        犠牲者であり、戦後村長に

戦後、連れ去られて殺された子供たちの記録をもとに、広く寄付を集めてその「像」が設置されていました。中央やや右の一番年少の男の子が三角形の最先端で、村の中心の教会の方を向き、目線をやや下にしていて、私達の胸を強く打ちます。また、後方中央やや左には、日本からの寄付を記念して、日本で鋳造されたおかっぱ頭の女の子もシンボルとして一群の一人として存在していました。

地元の親子が、子どもにしっかりこの悲劇を伝えておきたいとの願いでしばし像の前で語らっていました。ただ黙祷でした。
リジッツエ村の犠牲者、奇跡的に生き残り後の村長
リジッツエ村の犠牲者、奇跡的に生き残り後の村長

彼は静かに語り続けて、「自分は運が良かった。この悲劇を二度と起こしてはならなく、自分の辛い体験を若い次の世代に伝えなくてはならない」と、語気を強めてお話になりました。

メール環境が十分でないために、沢山のご紹介したい写真も掲載出来ません。訪問旅行終了後に、まとめて「特集」と致します。