田舎の路線バスでは

Posted by 秋山孝二
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 札幌市内の公共交通の中で路線バスが民営化されましたが、路線の採算等で利用者側の使い勝手と運営企業側とのギャップが取りざたされている昨今です。

先日栃木県益子町で、定例のワグナー・ナンドール財団(タオ財団:http://wagnernandor.com/indexj.htm)の会合に出席する為にいつものようにJR宇都宮駅から路線バスに乗りました。1時間に一本程度のバスで、出発して10分程もすると乗客は数人となる路線、50分程で益子町に入ると、運転手さんに言うと路線上のどこでも降ろして貰えます。以前、1万円札しか持ち合わせがなく困ったなと思って相談したら、コンビニ前で臨時停車してくれて、80円のガムを買って小銭を作って再度乗ったこともあります。地元の方には、次に乗る時で良いよと言う場合もあると後で聞きました。

先日は、こんな光景がありました。宇都宮から益子行きのバスでしたが、走っていると反対側で手を振るおばあさんがいました。私はご挨拶がわりと窓から手を振り返すと、運転手さんも気がついたのでしょう、バスを止めました。すると道をゆっくり渡ってその方がバスに乗ろうとするではありませんか。「○○まで行くか?」との問いに、運転手さんは「行きますよ」と答えました。するとその方が安心したのか乗る前に靴のひもを地面で結び直そうとしました。すかさず運転手さんが「乗ってから車の中でやってよ」とまず乗る事を優しく促すのです。私と一緒だった友人とは顔を見合せて、「都会だったら知らんふりで間違いなく通り過ぎるよね」と。運転手さんの田舎道を走る余裕も感じた1コマでした。次に私たちが降りる段になり、一つ前の停留所を通過したので降車ボタンを押した途端、本当にその場に止まったのです、「ここで宜しいですか?」と言って。まさに「マイ・バス」感覚でした。

更に会議が終わっての帰り道、何せ1時間に一本ですから逃すわけにもいかずぎりぎりで通る到着時刻に間に合い、乗り込みました。暫くすると、小雨の中今度は通っている道沿いで女の子が楽器みたいな大きなケースを背負いながら手を振っていました。バスは一度は通り過ぎたのですが、直ぐに停車しました。私は押しボタン信号が赤にでもなったかと思っていましたら、隣の友人が後を振り向きながら、「今通り過ぎた女の子を待っているみたい」と教えてくれました。最後部座席だったので後を眺めると、その女の子が30メートル位先で何かを待ちながらしきりにバスの方も見ているのです。そして片側1車線の田舎道は、突然のバスの停車で後方にはあっという間に50メートル程の車の列、ただどの車もクラクションを鳴らすでもなく、追い抜く訳でもありません。そうこうしているうちに、やっと女の子が走ってバスに向かって来ました。同時にその後に妹のような更に小さい子がポーチのようなものを手にしながら追いかけて来ます。勘の良い私の友人は、「あの子は楽器の習い事に行こうとしたけれど、お財布を忘れて妹に家に取りに行かせていたのだ」と状況を即座に把握していました。その女の子はバスに、妹はお姉さんに、それぞれ無事間に合いました。息を切らして乗り込んだ女の子は、JR宇都宮駅手前の停留所で雨の中降りて行きました。しっかり荷物の中から折りたたみ傘を出してです。行きも帰りも、バスの乗客は勿論誰も停車に文句をいう人はいませんでした。

私は4歳の頃から札幌の市電に定期券で乗っていました。小さい頃は電車に待って貰うなどという事も出来ず、何回も停留所まで走ったりしていましたが、先日の光景に出合って何かたまらない懐かしさを感じました。今でも残っているのですね、あの当時のような運転手さんとお客さんの関係が。担い手が官でも民でも、公共交通のサービスの原点は、運転手さんの気持と余裕ある環境づくりでしょうか。

蛇足ですが、週末の羽田空港から浜松町のモノレール内です。まさに「マイ・モノレール」でした。全ての時間帯に車両を満席には出来ません。どう乗客を公共交通に誘導するか、その辺がまさに経営努力だと思うのです・・・。乗客の勝手を言わせてもらえば、空いている乗り物は「最高」です。

マイ・モノレール:週末の朝

マイ・モノレール:週末の朝