教え子たちの今 2024

Posted by 秋山孝二
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 私が50年ほど前に東京都江戸川区の公立中学校で教師を5年間やっていたことは、これまで何回か記事を書いていましたが、先日はその中で女子バレーボール部だった教え子からFacebookでメッセージが届きました。久しぶりにチームメンバーだった同期が集まって思い出を語り合い大いに盛り上がったようです、写真も送ってくれました。

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 後から聞いたら今年「還暦」を迎えたとか、『還暦!!!!』、信じられません。年月を経る毎に私と年代が近付いてくる気がするから不思議ですね!でも、皆さん元気そうで嬉しいです。

 今、彼女たちが中学校時代をどう感じているのか、直接聞いてみたいし不安でもあり、ですね。

ファミリービジネス継承を語る!

Posted by 秋山孝二
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 私も永らくお付き合いしている外資系金融機関の『ファミリービジネス』継承のパネルディスカッション、今回私はパネリストとして「現世代」の立ち位置からの登壇となりました。

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新しい時代を切り開く『現世代と次世代のパネル・ディスカッション』

モデレーター:小倉 康嗣 ヤマト運輸・元代表取締役社長、Drucker School日本担当ディレクター

秋山 孝二・秋山記念生命科学振興財団・理事長 https://www.akiyama-foundation.org/

並木 理也子・Orbray株式会社・代表取締役社長 https://orbray.com/

福原 和人・株式会社ASM・取締役副社長 https://asumu.jp/

片山 有紗・片山ホールディングス株式会社・取締役 https://www.katayamaholdings.com/

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 このイベントの私の自己紹介は以下の通りです。

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 1974年、東京都江戸川区鹿本中学校の理科教諭、男子・女子バレーボール部顧問も兼務。その後、1979年にファミリー・ビジネスである北海道内の老舗医薬品卸業、株式会社秋山愛生舘に入社。常務、専務などを歴任し、1992年、第五代目代表取締役社長に就任しました。この間、札証・東証二部に上場し、1998年に医薬品卸売業界大手の(株)スズケン(本社・名古屋)と合併、同時に代表取締役副社長に就任。2002年にスズケン副社長を退任し現在の職務に就任しました。(公財)秋山記念生命科学振興財団:伯母・秋山喜代の出捐金を基に、設立業務を担い、二代目理事長に就任して25年、現在36年を迎えて研究助成・市民活動ネットワーク形成事業助成等を続けています。これまでの助成実績は1,622件、総額11億8,200万円です。

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 私にとって現在引き継いでいる「ファミリービジネス」は、設立にも関わった伯母・秋山喜代の「(公財)秋山記念生命科学振興財団」、叔母・和久奈ちよとワグナー・ナンドールの「(公財)ワグナー・ナンドール記念財団」、それに設立70年「秋山不動産(有)」になりますでしょうか。その成り立ちから自分が引き受けるまでの経緯を語りつつ、次世代への期待を伝えたつもりです。

* 公財)秋山記念生命科学振興財団」 https://www.akiyama-foundation.org/

* (公財)ワグナー・ナンドール記念財団 http://wagnernandor.jp/

* 秋山不動産(有) https://aiseikan.net/

 ご登壇された次世代の皆さんの眩しいほどの姿、素晴らしかったですね。小倉さんのコーディネーターも私自身楽しく聞かせて頂きました。時代は刻々と変化し、それに対応する企業活動もやはり時代にあった感性を持った方々が担うのが最も適切なのだろうと思うのです。それとファミリービジネスを担う方には「自己肯定感」が必要かとも。幼い時に親族の経営の苦労を心身で感じている子供たちは自ずと自らの使命感みたいなものも持ち合わせるのかなと、若い世代のお話を伺っていてそう感じました。と同時に、次の機会には是非、他のアジアの次世代の方々とのディスカッションの場もあればと思った次第です、とにかくアグレッシブでしょうから、日本の若者にも大いなる刺激になると思います。

 いずれにせよ、50名のご参加の皆さんともども、私自身刺激を受ける貴重な場となりました。その後の交流会でも2時間を越える多くの方々との濃密な会話、充実感いっぱいでした、皆さまに感謝です!!!!

祝 オリンピック選手に選出!

Posted by 秋山孝二
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 私が40数年前、東京江戸川区で中学校教師時代にバレーボール部顧問だった時、女子チームでセンタープレーヤーで活躍した選手・大川智美さんの娘さんが、オリンピック代表選手に選ばれたそうです、おめでとうございます!

 その当時のチームは江戸川区で優勝し、都大会でも勝ち進み、もう一歩で全国大会にも出られるような素晴らしいチームでした、先日、当時のエースアタッカーで現在東京で活躍する白土真紀さんから連絡をもらい、嬉しかったですね!皆んな、今も心身健康で活躍している様子、我がことのように嬉しく、喜びです!

41年前、男女とも都大会へ!

41年前、男女とも都大会へ!

* 千葉日報オンライン記事ーー> https://www.chibanippo.co.jp/news/sports/695713

自転車競技

自転車競技

~~~~~~~~~~~~~~~~~記事内容

 日本自転車競技連盟は4日、東京五輪のトラック種目の代表選手を発表し、2人一組で行う新種目マディソンの女子に中村妃智(きさと)(27)=日本写真判定、浦安市出身、千葉経大付高出=が選ばれた。梶原悠未(23)=筑波大院=とペアを組み、五輪初出場となる。

 中村は千葉経大付高で競技を始め、卒業後に世界選手権やワールドカップ(W杯)で活躍。千葉競輪場などで練習を重ねた。2017年W杯の女子団体追い抜きで日本勢初の銅メダル獲得に貢献。マディソンでは18年のアジア選手権などで優勝。3月1日までに開かれた世界選手権で15位に入り、五輪出場枠をつかんでいた。

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* 鹿本中学校関係のブログ記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E9%B9%BF%E6%9C%AC%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1

 私は、ずいぶん前に思い出の引き出しに仕舞い込んだと思っていた教師生活、こんな形で蘇るなんて、本当に有難いのひと言です、教師冥利に尽きるって感じですね!!

保阪正康さんを囲む連続講座

Posted by 秋山孝二
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 今年も昨年に引き続き、近代史の専門家で札幌ご出身の保阪正康さんを秋山財団にお招きして、21名の参加者とともに、「明治150年と平成30年~北海道に住む人びとはどう変わったか」をテーマに二日間の意見交換でした。

 前日は、小樽市内で「小樽市民講座 2018」でのご講演、今年で46回目、保阪さんは5年連続のご登壇とのことで、今年も変わらぬ人気でした。

人気の講座です

人気の講座です

 私と保阪正康さんとの出会いは、2011年の北海道新聞終戦特集取材時でした。

 これまでの関連記述――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%BF%9D%E9%98%AA%E6%AD%A3%E5%BA%B7

 今年の秋山財団連測講座の企画は、2月のこちら「藪半二階」で決まりました。――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=32466

 今年のテーマ、保阪正康さんもかなりの気合の入りようで、昨年の議論を踏まえて、日本としての150年の検証と北海道150年の冷静な総括と歴史認識でした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 保阪さんメモからの引用

狙 い

 今年(2018年)は明治150年である。具体的には慶応3年の大政奉還からということになるのだが、もとよりこの区分は元号による分け方にすぎないといえるわけで、歴史的に正当性が確立しているわけではない。私たちは歴史を振り返る時に何らかの句読点が必要でもあり、その一つにこの元号で歴史を位置づけて見ることが考えられるという意味でもある。特に北海道に関しては「明治150年」のその内実に対して、さまざまな視点があることは了解されていなければならない。

 アイヌの人たちへの抑圧という側面、北海道入植そのものがそれぞれの場での権力闘争の結果という側面、ロシアの南下政策に対する防衛的な側面、内地でのしがらみからの自由を求めての解放といった側面、などそこには歴史的、社会的な理由が存在する。

 明治150年はそういった問題を、改めて整理しつつ、私たちはこの時代をいかなる眼で見つめるか、を考えていきたい。前半は、中央から見る明治150年を分析しつつ北海道の位置づけを、後半は、北海道の人々の考え方を私なりの見方で「道民性の変化」という視点で考えてみたい。

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おわりに

 私たちはいま、北海道そのものの「崩壊の危機」にあると考えるべきではないだろうか。その理由は、近代化の到達した地点で次に来るであろう時代が予測し得ていないがためである。北海道の位置づけが明確でないと言っても良いだろう。北海道は明治150年の出発時の形での地域づくりは終えたのだ。それを共通認識として新しい北海道を作らなければならないように思う。そのために成すべきことは何か、を考えたい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 参加者は事前に事務局にそれぞれの思いを提出しています、以下は私のエントリーシートです。

氏名(ふりがな)

秋山 孝二 (あきやま こうじ)

1.自己紹介現在及びこれまでのお仕事、最近の一番の関心事、ご趣味など)

東京都江戸川区立鹿本中学校 理科教諭(5年間)

(株)秋山愛生舘 代表取締役社長(6年:会社在籍19年)

(株)スズケン 代表取締役副社長(48か月)

(公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長(22年間:財団理事32年)

他、現在、財団代表理事4、評議員4、監事1

<関心事>

*日本の「近代」の捉えなおし

*明治期の全国的衛生&健康増進「愛生舘」事業のルーツを探る(初代秋山康之進のルーツ他)

*新渡戸稲造と札幌の人材育成「遠友夜学校」の理念と現代的意義

2.本講座への期待ほか(北海道150年への思い、昭和史を次世代の若者へどう伝えていくべきかについてのお考えなどご自由にお書きください)

自分自身が育った時代(1951年~今日)、義務教育年限でしっかり戦後教育(憲法、国際平和ほか)を受け、さらにその後の高校・大学で時代と真摯に向き合った自分の使命として、北海道のアイデンティティを見つめ直し、この地で自立した人材が育つことを期待し、少しでも尽力できればと思う昨今です。今の各セクターにおける歴史修正主義的風潮に危機感を覚え、このままでは若者へは渡せない、そんな世代の責任を感じています。

国際社会で、日本のリーダー的ポジショニングの機会も多くあるにもかかわらず、登場できない現状を憂いながら、まだ間に合うという一筋の希望も見出しています。

3.講師への質問事項など(今回のテーマに関することに限りません。ご自由にお書きください)

自分の残りの人生、北海道を拠点として、地域の財団法人として、何ができるのか、何をすべきなのか、30数年前の財団設立時からの私のテーマであり、「愛生舘」事業の継承者として日々葛藤しています。

抽象的ですが、「歴史を学び直す」ことが単なる趣味・興味にとどまらず、それを踏まえて日々の行動に反映することにヒントが得られれば私なりに満足です。参加者皆さんのそれぞれのお立場からの意見交換も楽しみです。

<今年の保阪さんの分析>
 北海道入植は明治20年ごろまでは前述の明治初年代に加えて、私の見るところ次の七つのタイプに分かれるのではないか。

1. 開拓使関連の人たち(北海道赴任組など)

2. 移住募集に応じた人たち(農業移民、漁業移民など)

3. 札幌、旭川など都市建設の従事者

4. 戊辰戦争の関連(会津藩など)

5. 牧場経営などの入植者

6. 民間側の商人や小事業主たち

7. 士族屯田兵

 このほか明治20年以降は、札幌農学校の教師、学生などの教育関係者、地主に惹かれての一般入植者、宗教関係、自由民権運動の挫折組、そして第七師団編成による軍事関連の人たちなどと広がりを持っていく。これらの人たちの詳細な分析が必要ではないか。

~~~~~~~~~~~~~~~~ 保阪さん分析からの引用おわり

 これに対して、参加者の皆さんからさらに補足する貴重なご発言も多く、大いに盛り上がった今年の講座でした。議論の中では、アッツ玉砕後、北海道出身のご遺骨を札幌市内で札幌一中生徒が抱える列の写真も披露されました。玉砕のこのような慰霊祭は最初で最後だったようです。この列は中島公園に向かいました。

おびただしい数のご遺骨(中身は骨ではなく)

おびただしい数のご遺骨(中身は骨ではなく)

 今回は、前回にも増して様々なお立場の方がご参加になり、メディア、研究者、企業、行政等の視点からの意見交換は実に内容が濃かったです、来年も是非開催したいと思っています。

鹿本中学校生、40年の時を越えて

Posted by 秋山孝二
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 このブログを始めた2008年10月、最初に掲載したものは以下のメッセージでした。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27

 そこに登場する子供たち、40年以上経て先月半ばに、当時の生徒たちの同期会が東京で開催されました。Facebookで幹事の一人からご案内が届き、期待と不安が混じりながら久しぶりに降り立ったJR新小岩駅、会場まで何となく歩きたい気分で約25分、そこには懐かしい顔がいっぱいありました。

 会場前の受付付近には、当時一緒に教師だった鳥取の石破孝行先生がすでにいらっしゃり、世話人の平田くん、羽田さん、担任だったクラスの今井さん、バレーボール部員だった坂田さんともご挨拶。

最初な何となくぎこちなく

最初な何となくぎこちなく

 バレーボール部女子の面々、40年を経ても顔を見てすぐに名前もフルネームで思い出すから不思議です。

左からエースの坂田、センターの佐野、エースの稲毛、センターの石久保

左からエースの坂田、センターの佐野、エースの稲毛、センターの石久保

 体育の石破孝行先生、国語の吉田孝子先生もご出席です。石破先生はバスケットボール部の顧問、当時の部員も皆さん元気でした。

石破先生は71歳、若い!

石破先生は71歳、若い!

 集合写真もワイワイガヤガヤで大騒ぎ。

懇親会場内で

懇親会場内で

 これでは納得いかないとロビーでまた一枚。

場所を変えての一枚

場所を変えての一枚

 あっという間の2時間少々、その後は生徒の一人がやっている居酒屋に移動してまた大騒ぎ。

店は閉めていたのを私たちの為に開店し

店は閉めていたのを私たちの為に開店し

 私は終電に間に合うように途中で失礼しましたが、最後まで見送ってくれた方々、ありがとう。

お見送りも

お見送りも

 次回は 五年後の還暦の年です、と宣言した今回の会、私にとってはわずか5年間の教師生活でしたが、本当に濃密な時代だったと帰りの電車でも思いを巡らせていました。ある男子生徒は、卒業後大学生の時に、近所で交通事故で亡くなり、またある男子生徒は病気で若くしてこの世を去ったとか。多くの生徒たちが地元に住んでいる様子も驚きでしたね、地域がまだまだ生きている、さすが東京の下町の力なのでしょうか。もちろん、遠くに住んでいて元気に暮らしている子たちも居ましたが。

 私は挨拶の中で、「今日はここに来るまで期待と不安が入り混じっていました。鹿本中学校は私の教師生活5年間の全て、皆さんは私にとって理科の授業で3年間、そして2回目の卒業生でした。私なりに当時、生徒たちと向き合って一生懸命だった自分を振り返るけれど、君たちにとって本当によい教師だったのかどうか、私自身のその後の人生で学んだ数々の教訓をもってすると、甚だ確信がなくなります。若さと未熟さ故にあの時のあの一言が生徒の心の傷になってはいないか、そんな重たい思いを抱えながら、今日この場にきました。」と。

 挨拶後の懇談である生徒が、「今日あるのは先生のお陰です」と言ってくれた言葉に、思わず涙が滲みました。自己満足と言えばそれまででしょうし、本当に良い思い出がない生徒はそもそもあの場には足を運んでいないのでしょうが、「先生の理科の授業で今の道に進んでいます」と話してくれた複数の生徒もいたりして。何とももったいないお話の数々。感動と興奮を抑えるのが大変でした。

 参加したかなりの生徒たちと話をして、皆笑顔ではありましたが、「先生、私の人生、いろいろありました」とつぶやく生徒もいて、個々の人生ではこの40年間、山あり谷ありだったと容易に推測します。また、何か別の機会に、観た映画(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=29405)ではないけれど、そんな「人生フルーツ」の物語を聞いてみたいなと思います。

 いずれにしても、私にとっては宝物の5年間の教師人生です。

秋山孝二プロフィール

Posted by 秋山孝二
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プロフィール

氏名 秋山孝二
生年月日 1951(昭和26)年1月18日 札幌市生まれ
最終学歴 千葉大学教育学部 1974(昭和49)年3月 卒業
現住所 札幌市
連絡先 公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団
http://www.akiyama-foundation.org
電話番号:011-612-3771
ファックス:011-612-3380

略歴

1974(昭和49)年 4月 東京都江戸川区立鹿本中学校 理科教諭
1979(昭和54)年 4月 株式会社秋山愛生舘 入社
1992(平成 4)年 6月 同      代表取締役社長
1998(平成10)年 4月 株式会社スズケン 代表取締役副社長
2002(平成14)年11月 同     退社
2003(平成15)年 8月 秋山不動産有限会社 代表取締役社長、2013(平成25)年4月に代表取締役会長
1996(平成 8)年 3月 (公財)秋山記念生命科学振興財団 理事長

公職

1993(平成5)年10月 伊藤組100年記念基金 評議員
1996(平成8)年 4月 公益財団法人 杉野目記念会 評議員
1996(平成8)年 4月 北海道経済同友会 幹事
1997(平成9)年 3月 公益財団法人 北海道対がん協会 理事
同上 2004(平成16)年5月より 監事
2004(平成16)年 4月 公益財団法人 北海道演劇財団 副理事長、2014.6 理事長、2020.6 副理事長
2006(平成18)年 3月 公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団 副理事長、2012.6より 理事長
2006(平成18)年 4月 札幌学院大学(SGU) 客員教授
2009(平成21)年 5月 非営利活動法人 北海道市民環境ネットワーク 理事
2011(平成23)年 7月 一般財団法人 北海道札幌南高等学校林 理事、2014.11より 理事長
2012(平成24)年 4月 公益財団法人 北海道環境財団 評議員