71歳を越えて、今思うこと

Posted by 秋山孝二
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 先日、私は満71歳を迎えました。「人生100歳時代」と言えばまだまだ高齢者とは言えないのかもしれませんが、還暦、古希と過ぎてくると、向こう10年の自分のイメージが年々おぼろげになってくるのを感じる昨今です、あまり長期の人生設計というよりも、一日一日大切に納得のいく時間を生きていきたいと思っています。

 2008年(14年前)の私のブログに「下山の哲学(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=307)」を語った部分があります。

~~~~~~~~~~~~~私のブログからの引用

 一方自分たち自身は、五木寛之著「人間の覚悟」http://www.shinchosha.co.jp/book/610287/にある様に、覚悟を決める時期かと感じています。「下山の哲学を持つ」必要性を、私も強く意識した今年2008年でした。「林住期」を生きる、あるいは、「そもそもボランティアというのは、最後は『石もて追われる』存在であるべきなのだから」と五木寛之が語る言葉に、大変納得のいく感動を覚えます。

~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 さらにその後、以下のようなコメントを残しています。

* 2010年(12年前) http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6296

* 2011年 還暦を迎えた時 (http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7150

 「大還暦」という言葉をある講演会で耳にして以来、二回目の還暦に向けて気持ちを新たにしたりもして。

* 2021年 古希を迎えて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=40696

 そんなこんなで今年の誕生日を迎えると、NHK総合TV『クローズアップ現代プラス(https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4630/index.html』で、茨木のり子さんを紹介していました。「個として美しく」、「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」、強烈に心に響きます。

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茨木 のり子 (1926-2006)

「わたしが一番きれいだったとき」「自分の感受性くらい」などで知られる、戦後を代表する詩人の1人。73歳の時に発表した「倚りかからず」は詩集としては異例の累計24万部。没後も重版が続いている。

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 「自分の頭で考える」、「総合知としての構想力」、これからの私の羅針盤を信じて、自分自身の地頭を鍛えて生きていきたいですね!!

異業種交流会 2019

Posted by 秋山孝二
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 2019年初めてのイーズ主催の「異業種交流会(https://www.es-inc.jp/network/)」、第53回を迎え、テーマは「2019年・年初に考える~これからの時代をどう生き抜くのか」の内容で、毎回のように情報満載、年初として大変貴重な場となりました。

 2018年は、環境メールニュースでのアンケート結果等を紹介しながら、自社(組織)の振り返りを行いました。2019年の展望については、枝廣淳子さんが注目する動きなどをお伝えしつつ、未来が予測できないなかで、自社が何に注視し、進めていくべきなのかをじっくり考える機会となり、私としては、所属団体の性格、規模の大小、地域の違い等を踏まえて、共通するテーマを模索するひと時でした。

ワークショップ参加者

ワークショップ参加者

 ワークショップ終了後は、懇親会で一層突っ込んだ意見交換も。さすがに東京に集まる方々の人の幅、層の深さは、毎回のこの会の魅力ですね。

懇親会で

 今回は、昨年の枝廣淳子さんの新著書、『人生のピークを90代にもっていく!―折り返し地点から、「死ぬまでハッピーな人生」をつくる』を巡ってもそれぞれの持論も展開したり。

* https://www.es-inc.jp/insight/2018/ist_id009763.html

 今、68歳の私にとって、この10数年ずっと考えていたこととほぼ同じ価値観に驚くとともに、50代でその域に到達された枝廣さんに敬意を表します。五木寛之は「下山の哲学」と表現していて、私も、これからは「下山途中」と数年過ごしてきましたが、何人の方から、ちっとも下山ではなく、また上を目指して登り始めているではないかと言われたり。今回の著書の中で、午前・午後の概念は、より私には腑に落ちる表現でした。「幸せの自給自足」、「心のみずやりタイム」、「ホームポジションを見つける」、「心のアイドリングタイム」等、実にいい得て妙の言葉の数々、この10年間の私の心持ちと全面的に共感致します。

 「卒婚」という言葉、枝廣さんの文面からインターネットで検索してみると、随分前から語られている言葉なのですね。マチでよく見かける老夫婦、妻が夫を罵っている姿ほど、悲しい場面はありません、何か定年後に敵を取っているかのような女性の言動と男性の肩を落とした自信無げな姿。お節介にも、そんなに嫌なら別々に暮らしたらと、思わず声を掛けたくなります。

 歌手の加藤登紀子さん、私は随分前から「登紀子倶楽部(https://m.tokiko.com/」でファンですが、彼女が数年前に言っていました、「私の場合、応援お願いしますではなく、応援してほしい人寄ってらっしゃいです」と。若い人たちを見ていると応援したくなってしまう気持をおっしゃったのだと思います。今の私、地元では全く同じ気持で日々暮らしていて、実際、いろんな団体でそうしているつもりです。

何はともあれ、年初の集まりとして今年一年が良い年となるように祈る気持です。

雪が融けてみれば・・・

Posted by 秋山孝二
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 今日から4月、今年の札幌の雪解けは早いですね。3年前の同じ時期はこんな感じ: http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12436

 この時期は、たくさんの方々の異動の報も目にします。場所を代え、職を変え、部署を代え、それぞれの新しい挑戦が成功裡に推移することを祈念致します。私自身は、昨年からさらに引き受けた二つの組織の長を含めて、各団体の課題解決に年度の変りも意識しない程、忙しく立ち回っています、数年前までに「下山の哲学」を書いた頃とは、自ら招いたとはいえ、大いに違った状況です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E3%81%AE

 そんな日々、久しぶりに我が家の庭を見てみると、地面に奇怪な黄色の物体を目にしました、これは何だかお分かりでしょうか?

我が家の庭に新種?

我が家の庭に新種の植物?

 昨年秋の「ハロウィーン(http://park12.wakwak.com/~tomotomo/halloween/halloween.html)」で活躍した「食べられないカボチャ(パンプキン)」です。使用後に、我が家に用済みで捨てていった男がいて、一冬雪の下で過ごした結果の姿です。

 「パンプキン」と言えば、4年前のドイツ・ハノーバーでの展示会を思い出します、そう、あの「ホッカイドウ・パンプキン」です、すごく高級なブランドでした!

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10448

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10624

 時は確実に過ぎていく、新しい出会いを求めてと前向きに受けとめたいですね、それぞれの素晴らしい旅立ちを祝します、「マッサン」ではありませんが、「人生」はアドベンチャー!

あっという間に2年が過ぎました・・・

Posted by 秋山孝二
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 このブログ(コラム)を始めて、早くも丸2年が経ちました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24)。「それも世の為、人の為かと思います」と書きましたが、この間、多くの方々からメール、お手紙、直接のご意見を受け取り、心から感謝申し上げます。随分たくさんの方に読んで頂いていることを知り、当初は独善的独り言でスタートしたつもりが、インターネット時代、予想もしなかった展開となっています、結局は「自分の為」だったようです。これまで頂いたご質問、ご意見に対して、私なりのコメントで御礼の言葉に代えさせて頂きます。

1)随分いろいろな場所に出かけているのですね(暇とお金があるんですね)?:1回の出張中に体験したことを数回に分けて書いたりすることも多く、実際はそれ程のことでもありません。以前の上場会社社長・副社長時代は、もっともっと忙しい毎日で、それこそ「忙しい」と言う暇もない程忙しかった、それも看板を背負って、機密性の高い、利害の絡む出張ばかりでしたから。「書く余裕があるんだね」と言われればその通りですが、「書ける出張」に時間を取れる状態ともいえます。

2)踊り場みたいな多少の休息も必要では、今のペースで大丈夫?:「『下山の哲学』と言いながら(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=307)、まだ頂上を目指しているのでは?」とのご指摘がありました。ご心配に感謝しますが、以前からみると信じられないくらいに、「自分の為だけの時間(これを説明するのが少々難しい)」を持つことができています。書いているそのこと自体が、自分にとっては「休息」みたいなもので、ペースに無理はありません。もっと率直に言うと、頭に思い浮かぶ6割程度しか活字になっていない、そんな雰囲気の昨今です。

 書くことが無くなればそれで終了、いずれはただ消えていく、気楽なものですね。一つ掲載すると体に空きスペースが出来て、新たなテーマが生まれてくるような気がするのです。また、掲載することにより新しい出会いがあり、そこからまた新たな地平のスタートとなる、以前ビジネスの世界でも似たような体験はしましたが、役回りではなく、現在のように等身大の自分で活動していると、その何倍もの不思議な、新鮮な感じです。

3)毎回重たいテーマ、気まじめで息が詰まります!:一つ書き始めると次から次へと関連する事柄が頭に浮かび、どんどん広がっていきます。この際だから、あれも書きたい、これも書きたいと言葉が「湧き出て」きて、つい詰め込み過ぎる傾向はあるのか、と反省はしています。ただ、若い連中のような軽いノリで文章は書けず、どうしても「気まじめ?」になってしまいますね。特に強いインパクトを受けた時の表現が、「感動しました」、「印象的でした」と型通りの言葉しか出てこない、自分のボキャブラリーの貧困を感じます。読み手にとって息が詰まると言われれば、何ともコメントのしようがありません、お許しください。

4)書き過ぎ、公開し過ぎて支障はありませんか?:一番注意しているのは、文章でも写真でも「プライバシー」なのですが・・・。自分のことは多少出過ぎても責任の範囲ですが、他の方へのご迷惑は注意しているつもりです。最初は固有名詞も全て控えていましたが、回を重ねて変化しました、逆になぜ名前を書かないのか、が明確に説明できない場合も多いので。マスメディアではないので、その辺は自由度大きく考えています。お気づきの方も多いと思いますが、かなりオープンにしているようで、幾つか全く書いていない領域もあります。たくさん発信すると機密も守られる、そんな謎めいた言葉を信じています。

 

 最初の6カ月は文章のみで、次は写真を加え、更に関係ウエッブサイトを出来るだけ掲載し、と少しずつ進化させてきたつもりです。いつも取材のように小さなデジカメをバッグに入れて、少し違ったアングルの写真を撮るのも、楽しみの一つです。

 今後に,今幾つかプランを持っています。一般的には、「テレビとインターネットの融合」とかいろいろ言われていますが、Twitterとか携帯電話を使っていろいろ発信していければと思っています、無理のないテンポでですが。先日NHK-BS1で、慶応大学の村井純教授(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5162)がコーディネーターで、「ABUスペシャルセッション・イン・トウキョウ:http://www.abutokyo2010.com/」が放映されていました。グローバルな社会の中で、「つながり」、「関係性」、「ネットワーク」を求めて、新しい時代が各国で始まっているようですよ。

 お読みの方々で何か面白いアイディアをお持ちの方は、是非ご提案をお願いします。それではまた、歩き始めます!

この冬、初めての雪かきでした

Posted by 秋山孝二
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 昨晩から今朝にかけて、ようやく雪がまとまって降り、新雪が太陽に輝く朝を迎えました。庭の柿の実にも雪が積もり、初冬の景色です。この柿の実は、冬期間の鳥の餌となりますが、実の色は今年は余りよくはなく、今一さえない「柿色」です。

柿の実に新雪

柿の実に新雪

  久しぶりに休日の朝をゆっくり迎えながら今年を振り返ってみると、後半になるにしたがってかなり時間的に忙しくなってきました。環境系中間支援NPOの理事長を今年5月にお引き受けをしたのですが、休日の活動等も多く、中間支援活動のマネジメントはなかなか大変ですね。迅速な決裁を行ってタイムリーな活動を支援するにも、事務局への大幅な権限移譲とそれを担保する非常勤の理事・監事への情報提供・情報共有も他の団体以上に重要です。

 私のパソコンにはまだまだ未公開の写真・文章も残っているし、事務所の机上とか床には整理されていない資料が山となっています。一つ一つ大変貴重な情報の数々、それがきっちりまとめ切れずにただ積み重なっている様子は、今の私の頭と一緒のような気がします。「忙しい」という漢字が「心を亡ぼす」と書くように、いつも時間に追われて良い人生になるはずはありません。数年前に獲得したはずの24時間自分の時間が、ちょっと自分の好きなスピードとやり方で動き続けると、たちまち「心を亡ぼす」状態となってしまいます。

 「下山の哲学」という割にはちっとも山を下りていないと知人から言われるのも、その辺りに原因があるのでしょう。「手帳白紙欄恐怖症」とでも言うのでしょうか、本来的に「ワークホリック」なのでしょう。

 あと残り少ない2009年ですが、今年この欄に書き切れなかった話題について、思い出す範囲で公開していきたいと思います。

 夜の小別沢トンネル、この中間辺りで大きな声で歌うとエコーがトンネルいっぱい響きわたり、もう最高です!

夜のトンネル

夜のトンネル

「降りてゆく生き方」、汐留のイネ

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  今年の早稲田祭で、映画「降りてゆく生き方http://www.nippon-p.org/concept.html」の上映会が開催されました。主催は「早稲田の米プロジェクト(代表・松橋拓郎)http://www.wasedasai.net/2009/wasepedia/profile/wasekome/で、当日定員800名の会場がいっぱいになっていました。この映画会に関しては、歌手の加藤登紀子http://www.k-sizenohkoku.com/index_top.htmlさんのメーリング、環境活動の枝廣淳子http://www.es-inc.jp/edablog/index.htmlさんのメーリングでもご案内を頂きました。

 代表の松橋くんは冒頭の挨拶で、「ただ映画を観るだけでなく、映画を中心に私たちと皆さまが繋がり、共に考え、行動していくような会にしたいと思います」と語っていました。彼自身、大学を1年間休学してヨーロッパに農業を学ぶ旅に出かけました。その後、この映画のプロデューサー森田貴英さんとお会いして、大学院への進学から地元秋田での就農へと進路を変えたそうです。森田貴英さんも当日駆けつけて、制作に絡む裏話も聞く事が出来ました。

 この欄、「08.12.31付」で、私は次のようなコメントを書きました。

・・・・一方自分たち自身は、五木寛之著「人間の覚悟」http://www.shinchosha.co.jp/book/610287/にある様に、覚悟を決める時期かと感じています。「下山の哲学を持つ」必要性を、私も強く意識した今年2008年でした。「林住期」を生きる、あるいは、「そもそもボランティアというのは、最後は『石もて追われる』存在であるべきなのだから」と五木寛之が語る言葉に、大変納得のいく感動を覚えます。・・・・・

 今回の上映会では、私の世代ではなく若い世代の方々が多数参画していて、意識の変化・時代の変化を実感しました。

 

 一方早稲田大学に向かう途中、汐留の地下広場では、「水土里(みどり)の体験展’09:http://www.inakajin.or.jp/」が開催されていました。「ふるさとの田んぼ」を都会に再現です。無機質なコンクリート空間に突然現れた稲穂の一群は、存在感抜群でしたね。

汐留のイベント

汐留のイベント

都会の中のイネ

イネの神様も現れて

 そして、札幌では雪の朝を迎えました。

いよいよ冬の到来でしょうか

いよいよ冬の到来でしょうか

ゆく年2008

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 先日は三角山FM放送http://www.sankakuyama.co.jp/で、恒例の丸山哲秀先生の8時間番組の中、1時間程お付き合いを致しました。娘の恩師でもありましたし、教育からの視点で共有する話題も多く、毎年先生とのひと時を楽しみしています。

番組の中で数年前は、「勝ち組」とか「負け組」とか言う社会は気に入りませんね、とお話をしていましたが、今年は派遣打ち切りとか、更に一層深刻な状況に、心を痛めていました。今年は、私たちの世代の間では、「自分たちはこれまで一生懸命目の前の仕事をしてきた気がするけれど、こんな社会しかつくる事が出来ずに、申し訳ない」、若い世代を前にそんな言葉をよく耳にしました。

一方自分たち自身は、五木寛之著「人間の覚悟」http://www.shinchosha.co.jp/book/610287/にある様に、覚悟を決める時期かと感じています。「下山の哲学を持つ」必要性を、私も強く意識した今年2008年でした。「林住期」を生きる、あるいは、「そもそもボランティアというのは、最後は『石もて追われる』存在であるべきなのだから」と五木寛之が語る言葉に、大変納得のいく感動を覚えます。

歴史的転換点の2008年、この時代に生きていた事を後で感謝するだろう程、私にとって今年は納得のいく年でした。課題も明確ですし、新しい時代を大胆に構想して、より良い社会づくりに少しでも貢献できれば、これ以上の喜びはありませんね。