「あさま山荘」から50年!

Posted by 秋山孝二
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 NHK総合テレビ「クローズアップ現代プラス」、先日は、1972年2月24日あさま山荘事件を巡る番組『50年目の独白~元連合赤軍幹部の償い~』でした、あれからもう50年も経ったんですね。

* https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4639/index.html

 吉野雅邦受刑者については映画等でも知っていましたが、石丸俊彦裁判長のこの話を今回初めて知り、アナザーストーリーに感動しましたね。無期懲役を宣告した石丸裁判長は「生き続け、その全存在をかけて罪を償え」との異例の訓戒を与えたそうです。

石丸裁判長

石丸裁判長と大谷恭子さん (弁護士)

 当時、私は友人の引っ越しの手伝いのために軽トラックの運転をしていて、車中ラジオでずっと聞いていました。

* これまでの「あさま山荘」関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%81%82%E3%81%95%E3%81%BE%E5%B1%B1%E8%8D%98

 私の学生時代と同時期、別の時空で起きていた歴史の一コマ、50年の歳月を経て感慨深いものがありました。

「裏切りのサーカス」、ほか

Posted by 秋山孝二
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 今年20周年を迎えた(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13685)シアターキノで、映画二作品を続けて観ました。

 一つは、「裏切りのサーカス:http://uragiri.gaga.ne.jp/」。東西冷戦下、英国諜報部(サーカス)のリーダー・コントロールは、幹部の中にソ連のスパイ(もぐら)がいるという疑いを持ち、ある指令を出します。しかし作戦は失敗し、コントロールは責任を取って右腕のスマイリーと共に組織を去りました。その後、引退したスマイリーのもとに、組織内の裏切り者(二重スパイ)を捜せという極秘命令が下ります。スマイリーは秘かに、残った4人の幹部の中から「もぐら」を捜し出します・・・・・・・・・。

チラシ

チラシ

 と、まあ、簡単に言うとこんな感じのストーリーのなのですが、これがなかなか一回観ただけでは理解が難しいのですよ。比較的地味な登場人物と名前がコードネームだったり何やかんやで、記憶力と読解力が試されているような。私も、観終わってHPやチラシでフォローアップしてやっと届いたような映画でしたが、これがまた不思議で、もう一回観たいなと思わしめる雰囲気があるのです。恐らくかなりのキーワードとかシーンを見逃しているのだとは思うのですが、とにかく、誰が味方で誰が敵なのかが瞬時に判別できない、そんな不安定さがたまらない魅力です。

 

  もう一つ、「11.25 自決の日 三島由紀夫と若者たち:http://www.wakamatsukoji.org/11.25/」。こちらはストーリーを体験で承知しているので、次の場面までも予測できるシンプルさ。ただ、それでも当時の学生運動の高揚、機動隊との衝突等と「盾の会」の運動方針の関係では、あらたな気づきもありました。

かなりの興味を持って出かけましたが・・・・

かなりの興味を持って出かけましたが・・・・

 若松孝二監督が、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程:2008年」、「キャタピラー:2010年」に続いて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5642)昭和を描く最新作でした。特に60年安保闘争からの戦後の激動期を、右翼・左翼の視点から描いているのは、彼なりの新しい境地なのかも知れませんね。 映画の中では実際に起きた社会党浅沼稲次郎委員長襲撃事件、金嬉老事件、よど号事件などが、「決起」した人間たちとして機会をうかがう三島由紀夫と対照的に描かれて、三島の動揺と最終行動への歴史的な遠因とあらためて理解しました。私自身の10代から20代への人生と重なります。

 クライマックスの防衛庁バルコニーでの演説(http://www.geocities.jp/kyoketu/61052.html)とその後では、2年前に私も防衛省ツアー((http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5391))で、移転されたものとは言え現場にも足を運んだので、臨場感がありました。1970年11月25日の朝日新聞夕刊には、確か切り落とされた首が、部屋の床にあった写真も一面トップに掲載されていたような気がします。先日マスメディアに居た方に伺うと、初版の紙上だけに掲載されてその後は差し替えられたのだと。当時、首都圏で学生だった私にとってはあまりの衝撃で、今も鮮明に覚えています。

 ただ、映画としては、現実の迫力が強烈だっただけに、どこか各シーンに物足りなさを感じました。俳優なのかセリフなのかよく分かりませんが、全共闘とのやり取りの場面、決起前の覚悟の場面、何となく平面的、そんな印象を私は持ったのです、若松監督も随分淡泊になったな、と。何はともあれ、もう、あれから40年以上の月日が経ったのですね、自分も歳をとりました!

映画「キャタピラー」の迫力!

Posted by 秋山孝二
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  若松孝二(http://www.wakamatsukoji.org/blog/)監督、映画「キャタピラー:http://www.wakamatsukoji.org/」は大変な迫力でした。すでにご承知のように、寺島しのぶは、2010年ベルリン国際映画祭コンペティション部門・銀熊賞最優秀女優賞を受賞しています。み終わって、夫役・大西信満(しま:http://www.stereosound.co.jp/hivi/detail/feature_843.html)にも何か賞を差し上げたい気持です、「ド迫力」とはこのことでしょうね。久しぶりにスクリーンの映像に釘づけになりました。

 ちなみにベルリン国際映画祭は、ドイツのベルリンで毎年2月に開催される国際映画製作者連盟 (FIAPF) 公認の国際映画祭。カンヌ国際映画祭(http://www.festival-cannes.com/jp.html、ヴェネツィア国際映画祭(http://www.labiennale.org/it/Home.html?back=trueと並び、世界三大映画祭のひとつに数えられています。

 ラストの歌、元ちとせ(http://www.hajimechitose.com/)の「死んだ女の子:http://www.youtube.com/watch?v=EmsRNQ57f1M」も実に素晴らしい。この歌は坂本龍一がプロデュースを手掛け、原爆投下から60年にあたる2005年8月6日に広島の原爆ドームの前で行われたパフォーマンスで一躍有名になり、今回主題歌に取り上げられたとか。どちらも個性あふれるメッセージに打たれます。

寺島しのぶの迫力

寺島しのぶの迫力

  若松孝二監督は、学生時代から同じ「孝二」で気にはなっていましたが、当時は何となく暑苦しく、独善的な印象という思い込みも私にあり、作品もほとんど見てはいませんでした。2年前の彼の作品「実録・連合赤軍あさま山荘への道程:http://www.indierom.com/dengei/secret/gin_navi/48.htm」は、そんな私の思い込みを払しょくし、同時代を生きた私に違和感なく染み入りました。そして今回のこの「キャタピラー」、映画祭の賞を取った話題作だからではなく、戦争の現実、生き残って祖国に戻った人間・家族の苦しみみたいな新しい切り口で、今を生きる人間への痛烈な問題提起でした。正義のための戦争などないという若松監督の強い思いは十分伝わってきましたし、狭い薄暗い部屋での胸に突き刺さる夫婦の会話から、「生きる」、「生きている」ことの現実も明快でした。

 映画を封切直後に観た知人は、2時間前に行ってもかなり混んでいたと言っていましたので少々心配しましたが、先日は何とか待ち時間も無く観ることが出来ました。ただ、観る側の体調も万全にしておかないと、強烈なメッセージを受け止めきれない気もしました。とにかく、「映像の力」を感じた凄い映画でした。

今年見た映画に思う

Posted by 秋山孝二
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 演劇はエネルギーを貰えるとは言うものの、ハズレの確率は映画よりも高いのではと思う時があります。映画は事前に評判等を知る術(すべ)があるのですが、演劇はあらすじは分かっても劇団のセンスとか役者の雰囲気は一発勝負の感じです。時々開始5分くらいして、「えーっ、これに2時間もつきあわされるの」と絶望的になる芝居もありますね。途中で退場する勇気もなく、前後左右のお客さんは結構楽しんでいる場合は、なお一人孤独と閉塞の空間の中で沈みこみます。でも、どんなに仕事で疲れていても、芸術で刺激される脳の部位は別のようで、かえってすっきりして会場を後にする状態が多いです。ですから、やめられませんね。

 

5年前に上場企業経営の修羅場から離れて、再度軸足をふるさとに置いてみると、日々の時の経過が新鮮で、周りの景色も人の表情も大きく変わって感じるから不思議です。ウイークデイに演劇・映画・ライブコンサートなど、想像も出来なかったライフスタイルの大転換を通じて、これまで忘れてきた「熟慮する時間」を、取り戻しつつある自分に気がつきます。

  

今年に入って足を運んだ映画の中に、印象に残る幾つかの作品があります。酪農学園大学で開催された有機農業全国会議での映画「赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々」、シアターキノでの映画「君の涙、ドナウに流れ」、「連合赤軍」、スガイでの映画「光州518」は、それぞれ思い出深い出来事であり、強いメッセージを感じました。そこに共通するキーワードは「勇気」と言えましょうか。

 

あさま山荘事件の時首都圏の大学生だった私は、友達の引越を手伝う為にJR駅周辺でレンタカーの軽四輪トラックを運転していました。映画の終盤で加藤少年が絶叫する「ただ、勇気がなかっただけじゃないか!」の言葉は、同時代を生きた自分に強烈に突き刺さり、繰り返し頭を駆け巡ります。

 

昨年、韓国光州市を訪問した時に、現地で全行程お世話になったパクさんは、1980518光州抗争で立ち上がったあの高校生達と同世代で、友人も犠牲になった話をしてくれました。「光州は民主化の聖地」とふるさとを誇りに語るその姿に、スクリーンに登場する多様な2者関係とが重なり、一層のリアリティを映し出しました。民衆のリーダーに扮するアン・ソンギは、冷静な現状認識を表現し、韓国の「国民俳優」の風格を感じましたね。

 

いずれの映画にも共通する事、「事件」は「闘争」「抗争」であり、「動乱」は「革命」であり、人々のいのちを賭けた戦いの軌跡だったのでしょう。歴史はその意味を後に正しく理解する為にも、正確に記録されなければなりません。歴史的事実が歪曲されたり、無かった事になったりするのを、許すことは出来ません。逆に、歴史の因縁で不当に扱われた人物・作品については、きっちり再評価が必要だと思うのです。

 

戦う者の歌が聞こえるか、鼓動があのドラムと響き合えば

新たに熱いいのちが始まる、明日が来た時、そうさ明日が

列に入れよ我らの味方に、砦の向こうに世界がある

戦え、それが自由への道 

(ミュージカル「レ・ミゼラブル」、「民衆の歌」の一部)

 

昨今の日本社会は、責任ある立場の人々がまるで傍観者のような立ち振る舞い。そして国民は無関心・無反応で思考停止です。少子化社会による人口減といった量的な問題以上に、「怒り」を忘れた国民は、質的劣化をきたしていて深刻だと思います。こんな構造の中で組織社会が腐敗します。今年、数多くあった様々な「告発」は、社会への問題提起であり、「偽装」を打ち破る出発点なのでしょう。告発する勇気ある人々と、それを支援する幅広い人々の集まりは、大きなうねりとなって世の中の改革の原動力だと信じています。