復元!『ロマンの碑』除幕式(上)

Posted by 秋山孝二
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 2年前(2023年)に盗難にあった栃木県芳賀郡芳賀町『ロマンの碑』の復元記念除幕式が、現地の「五行橋河川公園」、「芳賀町総合情報館」、「芳賀温泉ロマンの湯」で一連のプログラムとして開催されました。私は最初のブロンズレリーフを制作したワグナー・ナンドールの財団代表者としてお招きを受けました。

* 芳賀町公式ホームページ

* 芳賀町/ロマンの碑河川公園

* 芳賀町総合情報館(知恵の環館) | 見る・遊ぶ | 芳賀町観光協会 公式サイト|HAGA A GOOD TIME~はがまちで楽しいときを~

* 芳賀温泉 ロマンの湯 | 見る・遊ぶ | 芳賀町観光協会 公式サイト|HAGA A GOOD TIME~はがまちで楽しいときを~

 『ロマンの碑』は、青木繁と芳賀町出身の福田たねとのロマンスに因んでの物語です。

* 青木繁と福田たね - UAG美術家研究所

* 恋人・福田たねと息子・蘭童 : 青木繁「海の幸」記念館・小谷家住宅

 芳賀町東高橋の五行川ほとりのメモリアル公園にあったブロンズレリーフ『ロマンの碑』、今回は藤原郁三先生の陶板による復元が完成し、現地で除幕式が開催されました。

 除幕式冒頭に大関一雄町長の主催者ご挨拶に続いて、来賓として私からご挨拶の機会を得たので以下のようなお話をしました。

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 本日の「芳賀町ロマンの碑復元除幕式」、誠におめでとうございます。また、このお目出たい場にご招待頂き、心から感謝申し上げます。

 ワグナー・ナンドール記念財団の初代理事長はワグナー・ナンドール、二代目が妻のワグナー・ちよ、私は三代目の理事長で今に至っています。今年で設立38年目を迎えて、この間、お隣の益子町で二人はアトリエで創作活動に励み、同時に住居として暮らし、庭園造成も行い、今はその空間を「邸宅美術館」として展開しています。毎年、春(415日から515日)・秋(1015日から1115日)の展示会では、五画堂ギャラリーでの特別展示を含めて開催し、アトリエ、展示室で彼の彫像、水彩画、庭園等を多くの方々にご覧頂いています。

 既にご承知の方も多いとは思いますが、ワグナー・ナンドールはハンガリー、正確には現在のルーマニアのナジュバラドで生まれ、その後ブダペストで学び、創作活動を行っていました。1956年のハンガリー動乱、現在は「ハンガリー革命」と国民は認識していますが、当時、彼は学生代表の一人だったので、その後、スウェーデンに亡命を余儀なくされ、そこで私の叔母・秋山ちよと出会い1966年に結婚しました。1970年に益子町に移住し、後に帰化して、波乱万丈な人生の中で日本は安寧の地であり、彼は日本文化へのリスペクトも強く、生涯で最も多くの作品をこの地から世に産み出しました。

 芳賀町のこのレリーフ『ロマンの碑』をなぜワグナー・ナンドールが制作することになったのか、幾つか資料を調べましたが明確な記録は見当たりませんでした。恐らく当時のプロジェクトの建設委員会の藤松正憲会長のご縁から、名誉あるオファーがあったのではないかという私の推測です。

 2年前にこの『ロマンの碑』の盗難の一報に接して、当初は大変な驚きでしたが、幸いにも石膏原型は一部破損はしていたものの、私どもの財団に保管されており、それをワグナー・ナンドールと永年の友人の藤原郁三先生が見事に復元修復されました。盗難と言えば2008年にハンガリーのブダペスト・ゲレルトの丘の彫像群『哲学の庭』の8体の像のうち3体と台座3枚が(大規模に)盗難にあいました。当時ヨーロッパでは頻発している金属系盗難事件が続き話題となりました。

 そのような事例を承知していた私は、言い方は微妙ですが特段驚きはしなかったのです。その後、多少の時間は掛かりましたが、ハンガリーでも復元されました。更にこの事件には後日談があり、ブダ城ウイーン門の外にある彼の作品「母子像・ふるさと」が事件の後に盗難に遭いにくい石彫として建立され、今回の経過と酷似しています。
 
 こちらの『ロマンの碑』の復元では、新たに藤原郁三先生との繋がりもあり、新しい物語が始まる喜びを感じています。地元の皆さんを中心に幅広い方々によるクラウドファンディングでは、予定を上回るご寄付に感謝すると共に、大変誇りに思っています。

 今日この場にご招待して頂き心から御礼申し上げると共に、来月15日から始まる今年の春の展示会にも是非、多くの皆さまに足を運んで頂けると大変光栄です。

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