何やら珍しく謎めいたタイトルで失礼します、今日は私の67回目の誕生日。
昨年末から年初にかけて、私が関わる組織で、これまでしっかり仕事を支えてきた方たちのモチベーションが落ちたり、今後の展望が見出せず苦労している姿をしばしば目にしています。
私自身、これまで、何かをしなかったことを後悔するより、挑戦してみてつまずく方がまだいいことと自分に言い聞かせて、前へ前へ進んで生きてきたつもりです。でも、このことはなかなか多くの人と共有するのは難しいようですね。カベにぶつかっている当事者のお話を聞けば聞く程、なるほどと納得する場合が多く、とても「ガンバレ、ガンバレ!」とは言えない気持になります。
「モチベーションアップ」をテーマとした研修プログラムも世の中にはたくさんありますが、私から見ると?が多く、どうアドバイスをしたらよいのかは至難の業です。
これまで、私が所属する会社のトップが亡くなった場合に友人から頂いたアドバイスは、「年齢の上の功労者がお亡くなりになるというのは、次世代の台頭を促す最高の配慮と考えるべき」と。「追悼は勿論、大切な見送りのプロセスだが、故人を悲しむ、愛おしむよりも、次の担い手たる若い世代がしっかり次代を引き受け、引き継ぐ姿を示すことこそが、最高の供養だ」と。この言葉を信じて、私はこれまで幾多の困難を乗り越えてきました。
もう一つ心に留めていること、自分の働きは、歴史の1ページに過ぎない。それは自らの価値を過小評価しているのではなく、これまでの所属する団体の業績へのリスペクトであり、そんな歴史に対して傲慢になってはいけないといったようなニュアンスです。次の担い手にどうやって仕事を引き継ぐか、それは歴史を引き継ぐ作業であると思うのです。担い手としての足跡を確かに残したという自負が大事だし、自分の過去の仕事を肯定的に認める気持も大切ですよね。少なくとも私は、自分の身の回りに起こった喪失に関しては、こうやって乗り越えてきたつもりです、「自己肯定感」とでもいうのでしょうか。
東京でよく足を運ぶ日本工業倶楽部(http://www.kogyoclub.or.jp/about.html)のギャラリーの一角に、歴代の会長の肖像が飾ってあります。私は直接は何の関係もないのですが、歴代の経済界の重鎮の姿と向き合って、何か背筋がピンとなる思いです。今の経済界の方々と比較しても、モノが違うという感じですね。育った時代の違いか、受けた教育の違いか、日本の企業を背負っていた方々の矜持を受けとめます。
写真の右から3番目、土光敏夫さんとは、札幌での民間臨調の会議の休憩時、トイレで隣だったことが私の唯一の誇り(?)です、メザシで有名ですが、至近距離でお互いに立っていたことが、です!
先日、桜田洋一さんのご講演文章を校正していて、多くの哲学者の名前が出てきました、その中で、詩人ゲーテも登場していましたが、こんな言葉を思い出しました。「馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。しかし最後の一歩は、自分一人で歩かなければならないのだ」。
先日発表になった第158回芥川賞を受賞された若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも(http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309026374/)」、新聞には、タイトルは宮沢賢治の詩の言葉から取り、「桃子さん」の「一人で生きていく」という決意を託した、とありました。
それぞれの世代、人間には、それぞれの「一歩」があるのでしょうが、私にとっては何か、最後は自分一人で歩く「覚悟」を促されているような気がします。