「戦争絶滅」を訴え続けたジャーナリスト・むのたけじ(本名・武野武治)さんが8月21日、老衰のため、さいたま市のご次男宅でご逝去されました、101歳でした。
朝日新聞記事より~~~~~~~
朝日新聞記者時代に終戦を迎え、「負け戦を勝ち戦のように報じて国民を裏切ったけじめをつける」と終戦の日に退社した。ふるさとの秋田県に戻り、横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。1978年に780号で休刊してからは、著作や講演活動を通じて平和への信念を貫き通した。
100歳になった昨年は戦後70年で「歴史の引き継ぎのタイムリミット」といい、講演で各地を飛び回った。今年5月3日に東京都江東区の東京臨海広域防災公園で行われた「憲法集会」でのスピーチで「日本国憲法があったおかげで戦後71年間、日本人は1人も戦死せず、相手も戦死させなかった」と語ったのが、公の場での最後の訴えとなった。
2002年に胃がんの手術をし、06年に肺がんで放射線治療を受けたが、ほぼ完治。90歳を過ぎても自転車に乗り、「80歳より90歳のほうがいい仕事ができるようになった」と話した。
~~~~~~~記事からの引用 おわり
* 2016.5.3演説――> https://www.youtube.com/watch?v=8HUgguVnNM0
先月、東京の早稲田大学大隈講堂で早稲田大学大学院政治学研究科主催のシンポジウム「ジャーナリスト・むのたけじの魂を継承する~むのたけじさんを偲ぶ~(https://www.waseda.jp/fpse/gsps/news/2016/09/13/7698/)」が開催されました、若い方々の参加も多かったですね。
むのたけじさんについてのこのブログでの記載――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%80%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%91%E3%81%98
「偲ぶ会」と言っても、むのたけじさんの強い遺志で、追悼だけの内容にはするなとのこと。当日のパネルディスカッションでも登壇者は皆さん、ご自分の立ち位置からの決意表明でした。
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第一部 パネルディスカッション 「むのたけじのジャーナリスト魂をどう引き継ぐか」
パネリスト: 鎌田慧(ルポライター)、桂敬一(メディア研究者、元立正大学教授)、佐高信(評論家)、宮城修(琉球新報社会部長)
モデレーター: 落合恵子(作家)
第二部 ①「むのさんと出会って」 各大手新聞社(朝日、読売、東京)の取材した記者の皆さん、ほか
②「むのさんの魂を継承する」
『笑う100歳』予告編上映
遺族のご挨拶 武野大策
総合司会:高橋恭子(早稲田大学政治経済学術院教授)
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思い出のVTRに続いて、映画「笑う101歳×2(http://www.warau101.com/)」のご紹介もありました、完成が楽しみですね。
パネルディスカッションは、落合恵子さんの素晴らしいコーディネートで、実に内容の濃い時間となりました。当日配布のプログラムの裏表紙に「死ぬ時そこが生涯のてっぺん」とのご本人の言葉が書き留めてありました。
終わりのご子息・武野大策さんのお話によると、「自分が死んでも、偲ぶ会など開いてくれるな」と強く仰っていたそうです。「そんな会をやる暇があるのだら、私の著書を読んでくれ」との強い意志です。「父は、『俺を眠らすな!』と言いたかったのでしょう」と語りました。「肉体は死んでも、闘う精神はまだまだ続く!という意志を当日の参加者にお伝えになりました。
閉会の高橋恭子先生は、「むのたけじの魂を継承する」という意味は、むのたけじのことば・書物を引っ張り出してきて、「あんなこと言ってた」「こう言ってた」と偲んだり語り継ぐのではなく、皆さんがむのさんのことばを読み、自分で考え、自分のことばで語って頂きたい、そのことが、「魂を継承する」ということです、とまとめられました。若い方々の参加も多く、大隈講堂は満席の大盛況、素晴らしい力強いシンポジウムでした。
<印象に残る登壇者の言葉>
* ひとり一人の自立した「個」が基本
* 美しい生き方があるとすれば、自分を鮮明にした生き方である
* 戦争をさせない意志を継ぐ
* むのさんの言葉: 希望は絶望の中に
* 「生きる」ことは「闘う」こと、そして「続ける」こと
* むのさんの言葉: 「対」で思い浮かぶのは「対立」ではなく「対話」
むのたけじさん、私はご遺志をしっかり受け止めて、これからの自分の頭で考えて行動して参ります!