「北の高校生会議 2015」 発進!

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 「北の高校生会議 2015(http://kitanokoukouseikaigi.jimdo.com/」が発足し、先月第一回の会議が開催されました。秋山財団もこの企画を応援し、本日、財団事務所に運営委員の3名が、悪天候の中、報告に来て頂きました。

 この会議の実行委員長はHPでこう語っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 僕たちの理念はとてもシンプルです。全道から集まった高校生たちで、今のこと、そして未来のことについて夜をともにして語り合える場所を作ることです。北方領土のことや、JR北海道などローカルな話題から、世界の貧困問題や、感染症の拡大について、本気で話し合います。そして、もちろん、全道各地からくるわけですから、北海道における地域活性に向けた取り組み、農業における問題などを幅広く2泊3日かけて、本気で語り合います。

 もちろん、志は高く、熱く、最高の冬休みになることは間違いありません。すべての人の意見を尊敬して、自分の意見や本音をシェアできる場所です。これは、ただのお泊り会ではありません。素晴らしい未来を望んでいる高校生が参加すべき最高の場所なのです。

 今まで、こういう機会に恵まれなかった人は、沢山いることでしょう。企画者である僕は、今年の夏休みまで、そういう機会にあまり、巡り会えませんでした。しかし、HSD(http://www.highschooldiplomats.org/contents/hsd.htmlという、高校生外交官として渡米する素晴らしいプログラムに会い、夢のような経験をさせて頂きました。そこで、今度は僕が学んだことを還元するために立ち上げました。このような経験をすることで、人と話し合うことが出来る様になります。本音がぶつけられるようになります。人を本気で尊敬することができるようになります。どうですか?こんな経験してみたくないですか?

 僕ら運営委員が本気で話し合える場所を用意しました。後は、あなたの飛び込む勇気、待っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~ HPからの引用 おわり

秋山財団での報告会

秋山財団での報告会

 私が想像していた以上に3日間の内容は濃密で、テーマも今の日本社会が抱える課題で、真摯に向き合う素晴らしい試みです。結論を出すことを目的とするよりも議論し考えることを目指して、まさに次のステージの「夜明けまで」の話合いが続いたようです。

* http://kitanokoukouseikaigi.jimdo.com/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E5%86%85%E5%AE%B9/

 詳細はHP及び今後の報告書に譲るとして、「何のために大学へ行くのか」の基調講演に始まり、総合討論では、「地域活性」、「貧困」、「英語教育」、「3・11から学ぶ」、「障碍者とのコミュニケーションから考える」、「防災」等のテーマ、「夜ゼミ」での自由討議では、「安全保障」、「サブカルチャー」等、他に「高校生×新聞社企画」、「高校生×行政セッション」も実施され、幅広い方々と高校生が熱く語り合う場となったようで、報告を聞いていてもその多彩さと掘り下げの深さに感動しました。

 初めての会を終えて、今回参加した方々はOB・OB会としての「ひぐまの会」を形成し、次年度の担い手も現れて、今後も継続的に活動を進めるそうです、若い世代の真摯に身近な課題に向かう姿勢を今後も応援していきたいと気持を新たにしたひと時でした。

2015年、敗戦から70年の節目

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 新年明けましておめでとうございます、皆さまに於かれては如何お迎えでしょうか。元旦の札幌は、気温は低めながら陽射しを浴びての穏やかなスタートです。

 今年は、1945年の敗戦から70年の節目を迎え、一層「戦争をしない国づくり」に正面から向き合う重要な年となりそうです。今の政治状況では、国際社会の私たちの立ち位置は、政治に期待するどころか火種ばかりを振りまいて全く信頼ができません。むしろ、これまでに培ってきた民間企業・市民同志による信頼と実績に基づいた関係性を大切にしていきたいものです。

 そして、もう一つ、宮内庁には頑張ってもらいたいですね。今朝の報道の天皇陛下のメッセージも、今年の冒頭のご挨拶としては素晴らしく時機を得たものだと思います(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/583555.html)。

宮内庁HPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

天皇陛下のご感想

平成27年

 昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。

 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。

 この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ HP からの引用おわり

 私的には、今年は「札幌遠友夜学校記念館」建設に向けた資金集めの正念場、夜学校の理念を今の時代的な解釈を加えてどんな事業を展開していきたいのかを含めて、幅広く広報活動にまい進して参りたいと思っています。そして、昨年から新たに引き受けた(公財)北海道演劇財団と(一財)北海道札幌南高等学校林の理事長を含めて、従来の諸団体の理事長等の任に恥じないように誠心誠意頑張って参り所存です。

* (公財)北海道演劇財団 http://www.h-paf.ne.jp/kouhou-39.pdf

* (一財)北海道札幌南高等学校林 http://www.rikka-forest.jp/

 今年も札幌の地下歩行空間には、高校の後輩たちによる力強い書が公開されています。

札南高・書道部による今年の干支「羊」です!

札南高・書道部による今年の干支「羊」です!

 今年も宜しくお付き合い下さい!!

寒地技術シンポ 2014

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 「寒地技術シンポジウム 2014(http://www.decnet.or.jp/project/ctc/」が札幌で開催されて、秋山財団のネットワーク形成事業(http://www.akiyama-foundation.org/history/history_08)で応援している根本昌宏(北見看護大学)先生グループの発表もありました、素晴らしいプレゼンでした。是非、日本全国の自治体、町内会では参考にして頂きたい内容です、寒冷地で活きる知恵は、全ての地域でも参考になるノウハウだと確信します。早速、年明け早々に、秋山財団事務所がある地元連合町内会で根本先生をお招きしてプレゼンを行う予定です。

* http://www.toukihisaitaiou.jp/

プロジェクト名 積雪・極寒冷地域のいのちを護る防災・減災への取り組み―いきるための力を創出する
概要 道内の積雪・極寒冷地域災害に対処できる能力を人的ネットワークを生かした実践演習を通じて集積し、「いきる力・いきぬく力」を培い、多種多様な災害に備える。
代表者 根本  昌宏
助成期間 平成23年度~25年度

熱弁をふるう根本昌宏先生

熱弁をふるう根本昌宏先生

極寒地での実験は全国各地でも参考になります

極寒地での実験は全国各地でも参考になります

 これまで慎重な計画のもと、着実にプロジェクトは進化しています。全てデータに基づいた念入りの計画・実践・検証であり、それゆえに普遍性を持つ一連の活動です。一番の特徴は、下のスライドにある「住む場所だけ提供してもいのちを守る避難所にはならない!」ことを指摘している点だと思います、食べること、団欒できること等も、不安な状況の中で重要なファクターであることを実証実験から学んでいるのです。この辺りが、行政の無機質なアリバイ的計画との大きな違いでしょうね、「いのちを守る」視点からの取り組みゆえに獲得できるものだと思います。

まさに「いのち」を守る環境づくりです!

まさに「いのち」を守る避難所づくりです!

 このプロジェクトは、秋山財団のネットワーク形成助成で3年間ですが、さらに発展してより極寒地仕様に磨き上げられて、日本全国のモデルに成長していくでしょう。最も不安なことを考えない、或はそんなこと起こりえないと根拠なく楽観するのではなく、まずはこれへの備えを整えて、日々の安寧な暮らしを送る、3・11以降の日本国民のあるべき姿なのではないでしょうか。

終了後、被災看護の第一人者・尾山とし子先生&根本昌宏先生、財団スタッフ

終了後、被災看護の第一人者・尾山とし子先生&根本昌宏先生、財団スタッフ(宮原常務理事撮影)

秋山財団贈呈式 2014 (3:最終)

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 今年の「受領者からのメッセージ」は、若いお二人の研究者が、それぞれご自身の研究に至るストーリー、現在の研究内容等を分かりやすく説明されました。

ミルクは命を育む

小林謙さん:ミルクは命を育む飲み物!

骨といのち

佐藤真理さん:第二の脳(セカンドプレイン)としての骨!

 パーティでは多彩な交流もあちこちで多彩な交流もあり、今後の活動にも期待が持てます。

きたネット常務理事・宮本尚さん、小澤祥司さん、北見看護大学・根本さん

北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク代表・宮本尚さん、小澤祥司さん、防災対策の根本昌宏さん

大地といのちをつなぶプロジェクト代表:高橋裕之さん

大地といのちをつなぶプロジェクト代表:高橋裕之さん

 贈呈式での私の挨拶、俊鶻丸(しゅんこつまる)」の件で、終了後に秋山財団事務局スタッフがさらに調べてくれて、当時の水産庁長官・清井正さん(東京都出身)と分かりました。その後、食糧庁長官を経て農林事務次官に就任されていました。さらに、この放射能汚染の研究で中心的役割を果たした三宅康雄先生の研究室門下で研究を続けた方の中に、猿橋勝子さんがいらっしゃいます。猿橋勝子さんは、女性研究者支援活動でも著名で、気象研究所退任記念に設立した「猿橋賞」は、その後の女性研究者の顕彰として高い評価を得ています。因みに、第11回(1991年)受賞者が森美和子先生で、秋山財団評議員、昨年・今年の秋山財団選考委員長でもお世話になりました。

* 猿橋賞――> http://www.saruhashi.net/saruhashi.html

 何か不思議なご縁を感じます。

米国・科学アカデミーの報告書ほか

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 このところ続く大雨で、広島県ほか全国各地で土砂崩れの大きな被害が連日報道されています。「これまでなかった大量の雨」では済まされない、日本社会の「防災」の脆弱さが問われます。まだ続く捜索中に不謹慎な発言ですが、敢えて今後につながる学びとして、地盤が弱いというよりも、そのような地域にリスクも考えずに宅地造成・販売した人間社会の無防備な意識、10数年前の愛知県の洪水による住宅被害でも、昔からの家が建つ地域は被害が無く、新興住宅地域に犠牲者が多く出たことを思い出しました。

 今年も多い札幌市の「熊の出没ニュース」でも同様ですが、人間社会の生活と自然との折り合いの付け方に、どこか「傲慢さ」を感じる昨今です。

 「防災」についてあれこれと思いを巡らせながら、先月から気になっていた報道がありました。アメリカの科学アカデミーが、報告書をまとめて、福島第一原発の事故が深刻化した原因について、東京電力と当時の原子力安全・保安院が「津波に対する原子炉の設計が不十分だという証拠が集まっていたにもかかわらず、津波に対する対応をしなかった」と指摘したのです。津波によりほぼすべての電源が失われたことで冷却プールの温度が上昇し、被害が拡大したとしています。アメリカの当局や産業界は、この事故から電源の確保を徹底することや、万が一、電源を失った場合でも、原子炉の状況を把握する手段を確保することが重要だと提言しています。このアカデミーは米政府や米議会に独立の立場から科学技術政策を助言しています。

* http://www.at-s.com/news/detail/1117088243.html

* http://newsphere.jp/world-report/20140801-8/

 また、原発再稼働に関しても、海外メディアでは鋭い指摘が続いています。

* 「川内原発再稼働、海外メディアも報道 世論との距離指摘 」(7月16日 日本経済新聞) http://urx.nu/apr0

 日本のメディアが伝えないと言えば、少し時間が経ちますが、こちらの国会での演説も報道されませんでした。この格調の高さは、日頃の日本の政治の場面では見られない新鮮な感じです、残念ながらまるで別の場のようです。昔と違って、その気になればインターネットで誰でも触れられるニュースの数々、私たちは、「知らなかった」では済まされない情報へのアクセス環境にある現代を生きています。

* faceBookより 概略版 https://www.youtube.com/watch?v=2udKKREpIEQ

* この演説のフルバージョン https://www.youtube.com/watch?v=-h5CzvtJky8

 8月になると必ず決まってマスメディアをにぎわす「戦争体験者が減り、戦争の悲惨さが忘れられていく」みたいなフレーズは、忘れて欲しい側が意図的に使うもの、私たち戦後世代は「知らない」では免罪されません、「伝えていかなくては」、ですね、「戦争」、「自然災害」、「人的災害」も、です。その責任を今を生きる我々が次世代に対して負っている、そう考えるべきだと思うのです、「時代認識」とでも言うのでしょうか。

2財団・合同報告会 in 2014

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 今年で第4回目を迎える前田一歩園財団(http://www.ippoen.or.jp/)さんと秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/)との「合同報告会」が開催され、この会もすっかり定着して、交流会の最後まで活発な意見交換となりました。

 秋山財団のHPより先に、こちらのHPにも掲載して頂きました、ありがとうございます。

* http://minnanohana.net/2014/07/11/

 これまでの報告会は以下の記載の通りです。

* 2011年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9140

* 2012年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13683

* 2013年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17201

事 業 名、プロジェクト名

1 /  Rio+20 北海道ネットワークプロジェクト

1 /「藻岩山の森林と関わるきのこたち」きのこと野生の花の本を刊行

2 / 次のエネルギー社会を担う人を生み出すエネチェン塾

3 / 森と里つなぎプロジェクト

昼 食(50分間)

4 /「みん菜の花」プロジェクト

2 / 富ヶ岡の森環境整備・地域活性化第1期事業

5 /和解と平和のための東アジア市民ネットワーク

3 /北海道ラムサールネットワークと子どもラムサール交流会

中間質疑(10分間)

6 /「ハッカの香るまちづくり ~ 地域の伝統的農産物を後世に伝えよう ~」

7 /ともにつくろう!江別から発信 食文化の創造

8 / 高校生による被災地とのネットワーク形成

4 / 十勝海岸湖沼群自然調査

中間質疑(10分間)

9 / 医療スタッフの地産地消 ~住民主導で創る世界一の看護学校

5/ 「野生植物入門書 花も実も美しい!」の出版

6 /「なまら!!サロベツ∞クラブ」~ 次世代環境リーダー育成事業 ~

10 / 道内の意思伝達支援普及プロジェクト

中間質疑と休憩(20分間)

7 / 栗山町ハサンベツ里山地の水辺環境の復元と創出

11 / 歴史は生きる力「れきし・いのち」プラットホームプロジェクト

8 / 南北海道・大沼湿地の野生生物ガイドブック「沼のいきもの」の出版

12 / 積雪・極寒冷地域のいのちを護る防災・減災への取り組み-いきるための力を創出する

冒頭のご挨拶

前田三郎理事長に続いて冒頭の私の挨拶

 前田一歩園財団の前田三郎理事長に続いて、私からの冒頭のご挨拶、今年は、「私たちは活動をただ『応援する』ではなく、『徹底的に応援する』のです」、「研究、活動において『挑戦的』、『先駆的』というのは、研究者・活動者側の意欲とか姿勢というよりも、むしろそれを受け入れる組織、社会の側の問題ではないのか」、「私たちの財団は、それらを応援し受け入れる『覚悟』はすでに出来てます」、北海道日本ハムファイターズの大谷翔平くんの二刀流挑戦、STAP細胞研究の小保方晴子さんの論文発表等を例にとって、皆さんにお伝えしたつもりです。

 続いて今年は20の活動団体からのご報告、午前11時から昼食休憩を含めて午後5時40分までの報告会となりました。

 報告会の動画は近々掲載されます、こちら――> http://www.ustream.tv/recorded/50868288

みん菜の花プロジェクトの成果

「みん菜の花」プロジェクトの成果

極寒地の災害予防

積雪・極寒令地のいのちを護る防災・減災への取り組み

東アジア人道支援

和解と平和のための東アジア市民ネットワーク

iCare北海道の3年間の成果

道内の意思伝達支援普及プロジェクト「iCare北海道」の成果

 今回の報告会を準備し、当日も切り回した両財団の素晴らしいスタッフたち。終了後はしばし「反省会」、また来年もよろしくお願いします、ですね!写真には一部しかご紹介できず、他のスタッフの皆さん、お許しを。

美女と野獣?

他にも反省会参加者は居ましたが、ここは美女と野獣?

合同報告会 2013

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 この所この「部屋」は、「感動する」の言葉が頻発ですね。これは私のボキャブラリーが貧困なのではなく、本当に素晴らしい集まりが連続していて、とにかく、とにかく、「感動する!」のですよ、生きててよかった、やってきてよかったと、どの会合でも参加した皆さん、準備に関わった皆さんとともに喜び合える、そんな「幸せ」を感じています。やっている者同士、引き受けている者同士の集まりは、「つながり」も容易ですね、以下の会もその続きです。

 第三回目となる前田一歩園財団(http://www.ippoen.or.jp/)秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org/の合同報告会が、今年も開催されました。これまでの報告会の様子は下記の通りです。

* 一昨年(2011)の合同報告会 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9140

* 昨年(2012)の合同報告会 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13683

 今年は両方合わせて15団体の活動報告、それにオブザーバーとして今年度秋山財団の「ネットワーク形成事業助成:http://www.akiyama-foundation.org/grants/grants_06」で採択された高校生3チームも最後まで参加されました。当日の様子は、今、録画・編集中で、出来上がり次第ここに掲載致します。

http://www.akiyama-foundation.org/news/524.html

 4時間を越える長丁場でしたが、皆さん集中力を切らすことなく、疲労感もなく、素晴らしく充実した報告会となりました。終了した過去情報としての「報告」ではなく、今進行中の「活きた活動報告」とでも言えば宜しいのでしょうか、これまでの活動に基づく今後のしっかりしたベクトルも見えて、まさに「並走する」臨場感が溢れていました。

 またその後続いて行われた交流会も、和気あいあい、濃密なコミュニケーションが続き、新しい出会いの数々もあったようです、終了後の皆さんの表情がそれを証明していました。卓上の食べ物の残りが偏在したので(?)、急遽、強制的席替え(?)もあったりのサプライズ。来年の報告会も一層楽しみになってきました。間もなく一週間が経ちますが、「興奮覚めやらず」、の私です!

 今年報告した団体は下記の通りです。~~~~~~~~~名前の下に下線のある方が発表者

1) 秋山 /歴史は生きる力「れきし・いのち」 プラットホームプロジェクト   角 幸博、神長 敬、東田 秀美

http://nporekiken.com/

2)  前田 / NPO法人 もりねっと北海道   陣内

http://morinet-h.org/

3) 秋山 / 道内の意思伝達支援普及プロジェクト    杉山 逸子、阿部 幸太郎、佐藤 美由紀

http://icare-h.org/

4) 前田 / NPO法人 カラカネイトトンボを守る会   内田 葉子

http://www7b.biglobe.ne.jp/~karakane/

5) 秋山 /医療スタッフの地産地kane~ 住民主導で創る世界一の看護学校 ~    森 義和、西埜 弘樹

http://2012kango.blogspot.jp/

6) 前田 / ゼニガタアザラシ研究グループ    小林 由美

http://blog.livedoor.jp/zeniken30/archives/14247313.html

https://www.facebook.com/groups/423113004421683/

7) 秋山 / 「みん菜の花」プロジェクト    エップ レイモンド、荒谷 明子

http://eschaton.asia/、 http://minnanohana.com/

8) 前田 / くしろ森と緑の会   川勝 久章

URL 準備中

9) 秋山 / 積雪・極寒冷地域のいのちを護る防災・減災への取り組み   根本 昌宏、石井 克哉

http://www.toukihisaitaiou.jp/

10) 前田 /美幌町郷土史研究会    鬼丸 和幸

URL 準備中

11) 秋山 / Rio+20 北海道ネットワークプロジェクト    溝渕 清彦

http://enavi-hokkaido.net/wp/

12) 前田 /北の川探検隊    竹村 勇一

http://plaza.rakuten.co.jp/wildwonderlife/

13) 秋山 / 森と里つなぎプロジェクト    陣内

http://mori-net.blogspot.jp/

14) 前田 / NPO法人NATURS    赤石 哲明

http://naturas.chu.jp/natu-top/natu-top.htm

15) 秋山 / 和解と平和のための東アジア市民ネットワーク      長谷山 隆博、呉 明 煕(オミョンヒ)

http://blog.goo.ne.jp/kioku-2011/e/5f311a36e432c57226aa3c6e2d308401

 オブザーバー参加の今年採択の高校生3チームの代表も、交流会で堂々たる抱負を語ってくれました。学校単位のプロジェクトではないので、卒業後もプロジェクトメンバーとして、彼・彼女らの成長とともにネットワークも進化・発展していくのでしょう。壇上に上がっての話の内容が前向きで素晴らしい、多くの参加者が、逆にたくさんの元気をもらいました。

交流会で抱負を語った高校生たち、私たちが元気をもらいました、ガンバレ!!

交流会で抱負を語った高校生たち、ガンバレ!!

  つい先月末のこの欄に、会議の「品位」みたいなことを書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17124)が、今回もまさに、報告をされた方、各財団の関係者、そして準備に奔走した両財団事務局の皆さんの「見識」と「ひた向きさ」が、報告会・交流会を大いに盛り上げました。2年前の初回から参加の秋山財団の理事のお一人が、会の終わりにつぶやきました、「年を経るごとに間違いなく進化している、やってきてよかったね!」と。これ以上心に響くお言葉はありません、ありがとうございます、もったいない位のお褒めの言葉です。

雪の手稲山、ほか

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北24条線から西方向、手稲山にはまだかなりの雪!

北24条線から西方向、手稲山にはまだかなりの雪!

 寒い日が続く札幌の5月、大通公園では「ライラックまつり」も始まっていますが、今年はまだまだつぼみのようです(http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/468201.html )。

 今週月曜日、札幌市議会総務委員会で、「『札幌遠友夜学校』跡地の一隅を、記念館(仮称)建設ほかの場として使用を求める陳情」の審査が行われ、委員の議員、理事者(市役所)の皆さんにご説明をしました、傍聴席には30名の方々も足を運んで頂き感謝です、札幌の南4東4「札幌遠友夜学校」跡地が放つメッセージを再発見し、幅広い市民に新渡戸稲造とメリー夫妻の「こころざし」の価値を共有財産としたい旨を語ったつもりです。各会派の委員から応援する発言が相次ぎ、今後開催予定のワークショップへの参加等、前向きな答弁も理事者側からあり、まずは第一歩を踏み出した気がしています。

開会前、札幌市議会総務委員会・会場
開会前、札幌市議会総務委員会・会場

<陳情の全文>  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

平成25年4月15日
札幌市議会議長 様

(件名)
「札幌遠友夜学校」跡地の一隅を、記念館(仮称)建設ほかの場として
使用を求める陳情

札幌市中央区南4条東3丁目19番地 洋装の山﨑 方
「新渡戸稲造と札幌遠友夜学校を考える会」
会長  秋山 孝二  印
電話番号 ○○○○

(要旨)
札幌市中央区南4条東4丁目、「札幌遠友夜学校」跡地について、公園として整備する際に、将来的にその一隅を地域住民の学びと交流の場、新渡戸稲造夫妻の功績を顕彰する場、及び札幌遠友夜学校記念館(仮称)の建設の場のほか、札幌の歴史をたどる場として貸与などにより使用できるようにして下さい。

(理由)
1.この場所は、日本が世界に誇る国際人・新渡戸稲造とメリー夫人の、子供たちへの深い愛情から生まれた50年間、すなわち1894(明治27)年から1944(昭和19)年の札幌遠友夜学校活動の実践の地であり、札幌市民は二人の「志」を形として永く受け継いでいく責務があります。
2.「札幌遠友夜学校」跡地が発するメッセージは、年齢・性別・職業等による分け隔てなく、地域住民が集い、語らい、議論し、学び合う場の提供です。広場を公園として整備するにとどまらず、多様な「交流の場」としての活用が大切です。
3.この場所には、札幌農学校(のち北大)の教師たちと600人以上に及ぶ学生たちが新渡戸稲造の志に共鳴し、夜間しか学べない子弟に無償で教育の機会を与えたというボランティア精神の原点があります。それを「見える形」で末長く市民の心の拠り所とすべきです。
4.札幌遠友夜学校は北海道庁から1916(大正5)年に「私立学校」の認可を、続いて1923(大正12)年に「財団法人」の認可を受けて運営にあたります。この法人格は閉校後も継続していましたが、1962 (昭和37)年に、札幌市が勤労青少年ホームの建設地を探していた折、当時の理事会が次の3つを条件として1967(昭和42)年に土地を札幌市に無償譲渡し、同時にこの財団法人を解散しました。
(1) 土地は新渡戸博士の考えの具体的表現だった遠友夜学校の跡であることを表示し、その目的に添った利用をして行くこと。
(2) 敷地内にできるだけ空き地を設け、近所の遊び場にすること。できるならその一隅に夜学校記念碑を建てること。
(3) 新しく出来る勤労青少年ホームに一室を設け、札幌と新渡戸博士との関係を語る資料を展示しその精神を伝えること。
(『さっぽろ文庫18 遠友夜学校』28頁)

私たちは、この3つの条件を尊重していくことが、札幌市民の将来にとって意義深いものと考えます。

これまで私たちは、地元連合町内会の方から個別には賛同を得ておりますが、3月28日午後6時から開催された連合町内会役員会において、今回の趣旨を説明しました。その折に連合町内会会長からは、「公園と言いましても、例えば、新渡戸稲造や遠友夜学校の記念碑、銘版を設置した公園も考えられますし、防災等の若干の地元施設も設置できるのではないかと思いますので、今後想定される地域とのワークショップ等の場でも検討される機会があるでしょう」とのご発言も頂きました。連合町内会とは今後も協議を続けて、施設の維持管理等の体制についても信頼関係を構築して参ります。

以上を申し上げ、今、新しくこの場から、歴史を受け継いでいく計画にすべく上記の陳情を致します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

2013.3.11、仙台で (2)

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 会議の翌日、時間を作って「語り部タクシー:http://www.sendaichuotaxi.co.jp/charter/kataribe.html」で案内をしてもらいました。

 まずは仙台市荒浜地区(http://www.nhk.or.jp/special/detail/2012/0602_2/)、市立荒浜小学校(http://www.sendai-c.ed.jp/~arahama/です。

隣の体育館は解体が決まったようです

隣の体育館は解体が決まったようです

 次は隣の名取市閖上(ゆりあげ)地区(http://memory.ever.jp/tsunami/shogen_natori.html)、「閖上赤貝」でも全国的に有名です、復興ブログ(http://blog.livedoor.jp/coolsportsphoto/ほか震災後のいち早い立ち上がりは地域の底力を証明しました。

上のトランスの位置まで津波がきたそうです

上のトランスの位置まで津波がきたそうです

漁業を守る神社の丘から

地元漁業を守ってきた神社の丘から

 3・11二周年の翌日でした、中学校校門・慰霊碑前のたくさんのお花を整頓す女性二人の姿。お一人が、ここで14名犠牲になった「閖上中学校遺族会(http://blog.e-stageone.org/?eid=867276)」代表・丹野佑子さんでした。昨日のイベントで白い鳩風船が飛びました(http://www.youtube.com/watch?v=kwpwtU95jsE&feature=youtu.be)。少しの時間でしたがお話をして、その気丈な姿に頭が下がりました。国、市に対して、たくさんおっしゃりたいことも多いのでしょうが、関係者に何とか多くの犠牲者から学んで、今後の防災対策につなげて欲しいと提言をされていました。

 そして仙台空港(http://www.sonpo.or.jp/archive/publish/bousai/jiho/pdf/no_249/yj24918.pdfです。

空港ロビー内、右の柱のブルーのラインまで津波が

空港ロビー内、右の柱のブルーのラインまで津波が

 1ヶ月の修復期間を経て、見事に再開し、復興の象徴となったようです。

再稼働なしで、この冬を乗り切ろう!

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 先日、北海道大学吉田文和先生が、北海道の道政記者クラブで記者会見を行い、私も同席致しました。12大学130名を越える研究者の方々の声明に、経済団体の一員、経営者としてこれに賛同する立ち位置でです。

 昨年3・11以降、マスメディアでは「経済界」、「経済団体」とよく出てきますが、メッセージが「満場一致」の議決を経て出されている訳ではありません、いやそれどころか、あたかも日本で営む企業を代表するかのような誤解は、しっかり払しょくしなくてはなりません。先月私が書いたように(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14447)、経済団体のそれぞれの中身は多様であり、様々な意見を持つ経営者がいることを、世の中の方々に分かって頂きたい、少なくとも北海道民には、そんな思いが私にはずっとありました。それゆえ、今回、吉田文和先生ほか研究者の皆さまの思いに賛同する意思を、経済団体に所属する経営者として明確にしたつもりです。限られた時間でしたので、実際はここに記載されている以上の、多くの賛同する経営者がいらっしゃいます。

声明文概要は下記で、賛同した経営者は11月2日現在です。

~~~~声明文概要~~~~~~~~~~~~~~~~~~

泊原発の再稼働なしでこの冬を乗り切ろう―泊原発再稼働問題について        2012年11月2日
吉田文和(代表声明者、他130名北海道内大学研究者)
(1)泊原発は再稼働できる条件にはない
 この冬の電力不足が想定されるとして、北海道電力泊原発1号、2号の再稼働について、当事者である北海道電力を先頭に、経団連とともに北海道の経済団体が経済産業大臣に再稼働実施の働きかけを行っている。そもそも福島第1原発の事故については、政府と国会の事故調委員会報告がすでに公表されており、これを受けた原発の新たな安全基準づくりが求められており、新たに発足した原子力規制委員会の安全基準づくりも来年7月を目途とされる。したがって、この冬に泊原発の再稼働を求めることは、その新基準の前に再稼働を迫る異常な行動である。
 原発に関する将来選択については種々意見があるが、論理的に考えて、震災前の安全基準が徹底的に見直され、それが確認されるまで原発を稼働できないことは当然の考え方である。現段階で原発を再稼働することは、近い将来再び大震災が起こることはない、という根拠のない無責任な楽観論を拠り所にしているといわざるをえない
 現在の泊原発は、東日本大震災に匹敵する頻度で起こりうる地震と津波に耐えられないことは明らかでる。しかも福島第1原発に設置されていた免震重要棟はなく、オフサイト・センターは海抜わずか4mに位置しており、移転を計画中である。また泊原発は加圧水PWR型で、ベント装置もフィルターも設置されていない。周辺の避難道路の整備も遅れている。北海道電力が泊原発で予定している、津波対策の防潮堤の完成などは2、3年先であり、指摘されている周辺の黒松内断層などの影響による送電線倒壊についても、影響評価と防止対策が明らかにされていない。
 以上のような状況において、冬の電力不足を理由に泊原発の再稼働を認めることは、安全性が確認できない原発を稼働することによるリスクに、北海道民をさらすことになりかねず、再稼働すべきではない。万が一の事故が起こった場合には、道央圏が放射能の汚染によって居住不可能になる場合があること、北海道の基幹産業である一次産業が大きな打撃を受けることを考えなければならない。
(2)安全な電力確保は電力会社の社会的責務である
 一方、原発を再稼働させない場合、冬の電力不足と停電のリスクの問題があり、原発再稼働のリスクかあるいは冬の停電のリスクかという、一種の「社会的ジレンマ」といわれる事態に北海道が直面しているかのような状況を呈している。この「社会的ジレンマ」を解決するには、関係当事者の責任と分担を明らかにして、一部の人々の負担に頼るのではなく、社会の構成員全員の積極的参加と議論に基づく対処と行動が不可欠である。
 そこで、原発再稼働のリスクと停電のリスクの両方を避けながら、予防原則に立ちかえり、安全サイドに舵を切りながら、道民が10%を目標に節電対策などに最大限努力、協力して節電対策を行えば、原発の再稼働は必要なくなる。そして、第3者検証により、もしどうしても火力発電による燃料代金値上げの必要性が確認できれば、その分の消費者負担も多くの道民は受け入れることになるであろう。その際はもちろん、社会的経済的弱者への配慮が不可欠である
 そうしたうえで、電力の安定供給は地域独占が許された電力会社自身の社会的責務であり、北本連系線による本州からの送電確保、自家発電の要請、予備電源の準備など、北海道電力が行うべきメニューは数多くあるので、これまでの努力を踏まえさらに改善に取り組むべきである。政府の需給検証委員会でも指摘されているように、北海道電力の具体的な電力確保対策、節電対策は、まだ不十分である。
(3)道民の知恵と協力で電力危機を乗り切ろう
 鉄道や病院には優先的に電力を確保することにより、道民の生活や健康・生命は確保される。泊原発ができてから、オール電化のキャンペーンなどで道内の電力消費は1.5倍になったのであり、電気を代替できる石油ストーブ、ガス、ストーブへの切り替えによって電力消費を抑えることができる。北海道電力は停電や計画停電を避けるように最大限努力し、一方で道民、企業等も不測の事態に備えるべきである。また住民が節電に努力できるよう節電の可視化やインセンティブの設定をいっそう推進すべきである。
 これまでにない電力危機を、道民の協力で乗り切るべく、当事者である北海道電力は、今後、情報開示を一層積極的に行い、電力確保に努め、北海道庁をはじめ行政各機関は、各企業、道民と協力して対処すべきである。
 泊原発の再稼働なしでこの冬を乗り切れるかどうかは、ひとえに北海道民の知恵と協力にかかっている。従って当事者である北海道電力は、他の経済団体を巻き込んで、泊原発の再稼働に動くのではなく、再稼働をしないで冬の電力供給の責任を果たすために、できる限りの方策を講じるべきである。火力発電の停止の場合を想定した計画停電も避けるべく最大限努力すべきである。通常の火力発電の運転確保も保証できない技術レベルで、どうして原発を安全に再稼働できるのだろうかと、残念ながら疑問を持たざるをえない。こうなったのは、原子力に過度に投資をし、天然ガス火力発電への投資が遅れ、本当の意味でのベストミックスを見失った一方で、泊原発も防災・安全対策が不十分であるという、経営のあり方の問題なのである。
 新しくできた原子力規制委員会の新基準の策定前に、この冬の泊原発再稼働を認めれば、原子力規制委員会そのものの存在価値が問われかねず、政府も再稼働に慎重にならざるをえない国内情勢があり、他方で、北海道の基幹産業である農業と水産業の従事者が再稼働反対で北海道知事も新基準前の再稼働に慎重な姿勢を取らざるを得ない道内情勢がある。北海道電力の経営陣は、これらの情勢を理解判断することができず、いまだに再稼働に固執し、本格的な電力供給の緊急対策に腰が入らない状況は誠に遺憾で、危険な状態である
 昨年8月に泊原発3号機の「無条件の営業運転開始」を容認できないという声明をだした私どもは、北海道電力が経団連や北海道の経済団体とともに泊原発の再稼働を要求しているという事態の緊急性を鑑みて、泊原発再稼働問題について声明を公表いたす次第である

 

<経営者の声明賛同者>   肩書のない方は、みなさん「代表取締役社長」
* 植田英隆  株式会社 りんゆう観光
* 内山博   株式会社 旅システム 
* 清水誓幸  株式会社 スーパーライン北翔        
* 白鳥雅芳
* 加城祐史   オホーツク警備保障 株式会社
* 川田弘教   川田自動車工業 株式会社
* 國枝恭二   株式会社 帯建工業    (*エネ経会議 北海道支部長)
* 小枝秀則   小枝産業 株式会社
* 後藤健市   合同会社 場所文化機構
* 竹本直人   株式会社 ネクセスステージ
* 仁志方紀   有限会社 仁志陶器建材店
* 爲廣正彦   株式会社 エコERC(エルク)
* 前川和弘   北海道生活協同組合連合会 専務理事
* 舛川誠     北見通運 株式会社
* 三宅雅登   左希子化粧 株式会社
* 宮下 周平  株式会社 まほろば 
* 森実さとみ
* 秋山孝二  北海道経済同友会 幹事
<参考>
「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議
https://enekei.jp/page/concept>
~趣意書より~
私たちが具体的に取り組むべきは、単なる反原発運動ではなく、原発がないほう
が健全な国・地域づくりができるという対案を示し、それを実践していくことだと
思っております。そのひとつは地域でのエネルギー自給のしくみを、最初は小さく
ともいいから、同時多発的に実現させることであり、そのための活動をしてまいり
ます。たくさんの小さな循環を起こし、そのネットワークを創っていくこと。いわば
「実践のネットワーク」。それが私たちの役割だと任じています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

市民活動の合同報告会

Posted by 秋山孝二
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 昨年(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9140)に引き続き、前田一歩園財団(http://www.ippoen.or.jp/)秋山財団(http://www.akiyama-foundation.org)の2回目の「活動助成合同報告会」が開催され、当日はUstreamでも中継・録画され多くの方々にご覧頂きました。
 会の冒頭には、前田一歩園財団の前田三郎理事長からご挨拶を頂き、その後、16の市民活動団体の報告がありました。

前田一歩園財団・前田三郎理事長

前田一歩園財団・前田三郎理事長

 

5時間で16団体が活動報告

5時間で16団体が活動報告

  団体目の前の、「秋」、「前」は、どちらの助成を受けたかを分かりやすくするためのものです。

1

/ 炭鉱(やま)の記憶推進事業団

http://www.soratan.com/

2

/ 道内の意思伝達支援普及プロジェクト

 http://icare-h.org/

3

/ 森林遊びサポートセンター

http://www.moriasobi.jp/

4

/ 札幌自由学校「遊」

http://sapporoyu.org/

 

 

5

/ 積雪・極寒冷地域のいのちを護る防災・減災への取り

      組み

http://www.toukihisaitaiou.jp/

6

/ オサラッペ・コウモリ研究所

7

/ 野生動物リハビリテーター協会

http://www.wra-hokkaido.org/index.html

8

/ 北海道田園生態系保全機構

http://www17.ocn.ne.jp/~npodenen/toppagemm.htm

 

 

 9

/ 和解と平和のための東アジア市民ネットワーク

http://www17.ocn.ne.jp/~npodenen/toppagemm.htm

10

/ くしろ森の楽校

 

11

/ 大沼・駒ケ岳ふるさとづくりセンタ―

http://onuma-furusen.com/

12

/ 蒼い海

 http://blog.goo.ne.jp/soratoumi_2010/

 

 

13

/ Rio+20  北海道ネットワークプロジェクト

http://enavi-hokkaido.net/forest/?page_id=402

14

/ 常呂川自然学校

http://npo-tns.p-kit.com/

15

/ 北海道コミュニケーション教育ネット

 http://commukyo.net/

16

/ 森と里つなぎプロジェクト

http://mori-net.blogspot.jp/

 
 昨年は初めての試みに勝手も分かりませんでしたが、今年は広い会場を準備し、5時間と言う長丁場でしたが熱心なプレゼンと質疑応答でした。それぞれの財団の役員の方々は、普段、これらの市民活動には馴染みが薄かったとしても、説明を通して多くの感動を受けとめたと感想を語っていらっしゃいました。
  秋山財団のネットワーク形成活動助成の中で、1年目修了時点で今回発表された団体は、収穫が多かったと思いますね。懇談会での個別の方々の感想とか意見を身近に聴くことができて、2年目以降の活動に貴重なアドバイスとなったはずです。
 また、感想の中で、「これらの活動は、本来は行政の責任でやることではありませんか?」というご意見が複数ありました。まさに、「新しい公共」とは、ひと昔前だったら行政がその担い手だったものが、現在は、市民・NPOが担う、そんな時代になっている実感を持ちました。私は、ニーズは益々増えてきているのに、もう行政にはその力も予算も無い、行政の「下請け」的活動ではなく、市民の多様なアイディア・活動が支える時代なのだと思います。
 今後の多彩な活動に期待します、皆さん、頑張って下さい!!

二つのフォーラムで

Posted by 秋山孝二
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朝日・HTB北海道フォーラム2012 「3・11からエネルギー問題を考える」が開催されました(http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000831205280001)。

 基調講演は、北海道大学の吉田文和(http://www.econ.hokudai.ac.jp/~yoshida/j_index.htm)教授が 「原発ゼロのシナリオ~原発なしでも電力を供給できるか~」と題して、大変分かりやすいお話でした。先生の新著、「脱原発時代の北海道:http://shop.hokkaido-np.co.jp/book/products/detail.php?product_id=418」には、これからのエネルギーの展望が示されています。それにしても、日本のエネルギーバランスで、最終消費段階では「ロス」が30%にも及ぶ事実は、衝撃でもありました。まさに「省エネ」は、最大の「創エネ」ですね。

 また、いち早く福島原発事故から学んでいるスイス等の外国当局の例を引用して、日本のその後の対応・対策の遅れも指摘されていました。

基調講演・吉田文和先生

基調講演・吉田文和先生

  第二部のパネルディスカッションは、北海道グリーンファンド(http://www.h-greenfund.jp/)・鈴木亨理事長、民間事故調「福島原発事故独立検証委員会:http://scienceportal.jp/news/daily/1203/1203022.html」のメンバーを務めた鈴木一人(http://www.juris.hokudai.ac.jp/~kazutos/)先生・北大大学院教授(国際政治経済学)、吉田文和教授がパネラーで登壇し、竹内敬二・朝日新聞編集委員がコーディネーターで、内容の濃い意見交換でした。

3人のパネラーによる意見交換

3人のパネラーによる意見交換

 鈴木亨さんのお話では、電力会社の経営体質等、これまで風力発電事業で長く電力会社と付き合ってこられた経験に裏付けられたお話が興味深かったです。

 鈴木一人さんは「「安全神話」にまつわる「深層防護:http://yaplog.jp/defend_japan/archive/260」の言及に、説得力がありました。世界標準では、原子力の「深層防護」は、5段階、「第一層:逸脱防止、システム故障防止」、「第二層:事故への拡大防止(スクラム等)」、「第三層:安全停止、閉じ込め機能」、「第四層:シビアアクシデント対策」、「第五層:防災対策」、です。鈴木一人先生のブログはお薦めです(http://kazutosuzuki.blogspot.jp/)。

 ところが、すでにお気づきでしょうが、日本ではメディア等でも、これまでの責任ある人・機関の方々が、繰り返し繰り返し「多重防護」と称して、「第三層」までのリスクしか想定せずに済ませてきていたのです。国際標準に明記されている「第四層」、「第五層」を検討しない(想定しない)で、「原子力は安全」と言い続けてきた責任を問わずして、3・11以降、何を検証し、学んだと言うのでしょうか、これは「犯罪」でしょう。インターネットで、「多重防護」を検索しても、電気事業連合会のこの説明(http://www.fepc.or.jp/present/safety/shikumi/bougo/index.html)が象徴的です。

 

 もう一つ、東京での講演会 石原信雄さん(財団法人 地方自治研究機構:http://www.rilg.or.jp/001.htm)「日本人への遺言」も含蓄がありました。石原さんは、1926年生まれ。地方自治庁(現総務省)に入庁し、84年事務次官、87年(~95年)内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山の7代内閣)を務められた方です(http://www.koho.or.jp/columns/ishihara/index.html)。阪神・淡路大震災で陣頭指揮をされた経験等、「危機管理」、特に「安全保障」のお話は良かったです。「最悪の事態を常日頃から考えておく必要があり、それは国民に多くの負担を強いることゆえに、避けた結果の不幸も議論することが重要」と。

 原発の再稼働については、事故の徹底的究明・検証が必須であり、その後に再稼働かどうかの決定を行うべき。同じ事故は二度と起こさないことが最も重要である、そう明言されていました。

 外交分野はじめ、どんな場合でも、「セカンド・トラックづくり」は必要であり、自由に物を言う場、対話の場が、課題を解決する道であること。そして、「対話」は、自分たちの主張をしっかり言う・伝えることであり、同時に、相手の主張を聴くこと、そうおっしゃっていました。ごく当たり前のことを、今、この時期に壇上から発せなければならない日本の実情、ここでも政治の混迷が浮き彫りになってきます。

 

 短期間に濃密なフォーラムに参加して、日本の「良心」を感じ取り、勇気も湧いてきました。まだまだ日本は立ち直れる、そんな一筋の光明とでも言いましょうか。

歩く速さは何の違い?

Posted by 秋山孝二
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 東京と札幌、人の密度は別として、街なかの雰囲気で何か違うと以前から感じていましたが、歩いている人々のスピードではないかと思うのです。

 東京では、汐留から地下通路(http://www.sio-site.or.jp/)でJR新橋駅まで、よく歩くことがあります。朝などは、多くの人たちは逆方向の新橋駅から汐留に向かって、もの凄い勢いで歩いてきます、歩くといよりも走るに近い、時々は突進してくるのではないかと思われる程の押し寄せる「人の波」です。東京駅丸の内から大手町までの地下通路でも同じような人々の流れです、そのスピードに乗って行かないと前にも後ろにもぶつかりそう。

 一方札幌では、昨年(2011)3月13日から、「駅前通地下歩行空間:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7828」がオープンしました。かなりの頻度でここを通りますが、流れているクラシック音楽のゆったりしたテンポのせいか、ここを歩く市民のスピードが、明らかに東京のそれとは比べものにならない程ゆっくりで静か。何と表現していいのか、穏やかなうねりみたいな感じです。信号でそのリズムが途切れないのも気分がいいですね、札幌駅北口とススキノの長い地下空間を、時々進路変更しながら歩く、心地良いひと時です。

 同じように、違いは地下鉄の中でも感じます。東京の都営地下鉄大江戸線(http://www.7mansion.com/subway/e_line.html)、地下6階あたりの深さを細い電車で走っていて、最深部は地下42mだそうです。日本の地下鉄では最深部を走行し、耐震性に富んで、災害時には救助作業の大動脈として利用される「防災」目的も。そのため、非常用の「備蓄倉庫」が、麻布十番と清澄白河の両方の駅に設置されていると、何かで読みました。混雑している車内では、中央を通り抜けるのが難しいくらいの幅の狭さ、天井も低く、まさに「地下鉄」を実感する緊張感ですね。

 それに比べると札幌の市営地下鉄(http://www.city.sapporo.jp/st/)は、何ともおおらか(?)、車両数は少なく、幅は広く、車内扉は透明で見通しがいいです。「混雑」と言っても、満員電車でも、隣の人との距離が東京よりも余裕があります。この人と人との許容できる「距離感」の違いでしょうか、浜松町から羽田空港のモノレール車内でも、乗り込んで来た人が自分の隣に立つ距離の近さに何とも違和感を抱く時も多いです。

 もう30年以上前になります、首都圏のラッシュアワーのただ中いた私も、すっかり「地方」の人になりました。

震災から1年を経て

Posted by 秋山孝二
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 東日本大震災からちょうど1年を経て、昨日を含むこの1週間は、各メディアは特別番組・紙面であふれていました。昨年来、自分なりにたくさんの報道に触れてきたつもりですが、昨日を経て膨大な初めてみる映像等、あらためて、ごくごく一部しか知っていなかったことを感じましたし、よい意味でも悪い意味でも、メディアの重要性を再認識しました。

 その中から、心に残った番組をいくつか紹介します。

* 10日(?)BS朝日夜の番組、葉千栄・東海大学教授の「NIPPN ぶった斬り:http://asahi-newstar.com/web/27_yo_senei/?cat=18」で、上杉隆(http://uesugitakashi.com/)、岩上安身(http://iwj.co.jp/)ほか、イタリアのピオ・デミリア(ジャーナリスト、イタリア・「スカイTG24」TV極東特派員)、中国の蒋豊(「日本新華僑報」編集長)のベテラン特派員とのやり取りは、インターネットメディアからみる日本のマスメディアの課題、病理、外国人ジャーナリストに映る日本のメディアの異常さ等、切れ味爽やかに、地震・津波・原発事故のこの間の報道を通じての指摘は、実に興味深いものでした。「がれき処理」にまつわる鋭い指摘、日本の制空権から見る構図等は、「磨き上げられた感性」を見た思いです。「政府が情報を隠す・コントロールしようとする体質は、どこの国でも当たり前。国民は真実を知る権利があり、それをどう指摘し、壁をこじ開けて、国民に対して真実・本質を提示できるか、そこにジャーナリストとしての誇りがあるはず」と語るビオ・デミリアの言葉は特に印象的でした。

* 3月11日早朝5時、NHK・ETV「こころの時代~私にとっての3・11:ひとりひとり命から」は、柳田邦男さんの出演でした。「2万人が犠牲になった一つの大震災」ではなく、「一人一人が犠牲になった2万件の大震災」であることにより、ひとまとめに片づけてします姿勢への警鐘を鳴らし、犠牲になった人の「名前」の重要性を、伊勢真一監督の映画「傍:かたわらhttp://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21111/index.html」を引用して説明しました。「日常を生きている」ことの価値をあらためて認識し、命の本質というのは、「いる」、「続く」であり、死後もなお「精神性」は生き続けることを、淡々とお話されていました。そして、今、将来を展望する時に、哲学・倫理的議論を含めた幅広い関係者の知恵と創意が必要とも。

* 午後のNHK・ETV「シンサイミライ学校:http://www.nhk.or.jp/sonae/mirai/」では、昨年3月19日のこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7883)でもご紹介した、群馬大学の片田敏孝教授の防災教育の一コマでした。番組は和歌山県田辺市の中学校の授業でしたが、その教材に登場する釜石の小学生の言葉に感動しました。「震災後の迅速な避難を、多くの人は『釜石の奇跡』と言うけれど、僕たちはそれまでに何回も訓練してきたんだ。日頃の『実力』を発揮しただけであり、それは『奇跡』ではなく、『実績』だよ」、と。しかしながら、そんな釜石の子どもたちも、片田先生も、1000人の釜石市民を救えなかった事実に、「途半ば」を自覚し、今後の生き残った人間の防災への責任を果たしていくと、強い決意も述べていました。

* 新刊本では、外岡秀俊著「3・11複合災害」、「震災と原発 国家の過ち」が興味深いです。彼は、私の中学・高校の3年後輩で、昨年3月末に朝日新聞を退社して、ふるさと札幌に戻るはずでした。予定通り退社はしましたが、3・11直後から取材を開始し、まさに「まえがき」にあるように、「たとえば震災から10年後の2012年に中学・高校生になるあなたが、『さて、3・11とは何だったのか』と振り返り、事実を調べようとするときに、まず手にとっていただく本のひとつにすること。それが目標です。」との思いで、この1年間を鳥瞰図的に、或いはきめ細かい取材を通して、一人一人の眼差しに寄り添った文章で記録されています。

 

 私自身、昨年3・11以降最初のブログ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7807)、そして、昨年3月のブログ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?m=201103)です。長淵剛の「愛おしき死者たちよ:http://www.youtube.com/watch?v=a5XSf8Sv_QA」とともに、これからもなお続く私の「2011.3.11」です。

明峯哲夫さんの「東京日記」より

Posted by 秋山孝二
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 明峯哲夫(http://www.yuki-hajimeru.or.jp/column_5_01.html)さんは、秋山財団の評議員としてご指導を頂いています。震災直後から、ドイツ語サイトで、貴重な日記を送信し続けました。以下、ご本人の承諾を得て、その抜粋を書き留めます。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「東京日記」2011316 411日    明峯哲夫                       

 

以下の文章は、311震災直後ドイツの友人から依頼され、毎日彼の下に書き送ったものである。友人は私と同世代の反原発・自給自足運動家で、小さな村の村長を務めている。私の文章は彼の翻訳により、「Das Tokio-Tagebuch (東京日記)」として彼のサイト(http://www.tacheles-regional.de/)に掲載されている。東日本大震災の一つの「記録」としてお読みいただければ幸いである。

 

326日号 「暗闇」

 

太陽が没する。あたりに暗闇が広がる。太古の人々にとって暗闇は当たり前だった。彼らには物が見えなくなる恐怖はなかったろう。彼らが暗闇を恐れたとしたら、それは夜行性の動物から襲われることだったろうか。人が火を発見したのは、暗闇でも物を見たいからではなく、火の力で野獣を遠ざけるためだったかもしれない。

 しかし現代人が暗闇を恐れるのは、野獣に襲われるためではむろんない。物が見えないことそのものを恐れているからだ。こうして現代人は明るさを求めて「火」を次々と進化させ、ついには「原子の火」を弄ぶまでになった。

 なんでも明瞭に見えなければ気が済まぬ現代人は、すべてのことを明晰に理解しなければ気が済まない。現代人が恐れるのは野獣ではなく、「暗愚=無知」である。こうして徹底した明晰さを求める人間は「科学」をひたすら発展させ、その科学が「原子の火」を生んだ。

 今は夜。我が町は「計画停電」のさなかにある。私は小さなろうそくの灯をたよりに、こうして文を紡いでいる。「原子の火」に依存しないくらしは「暗闇」を恐れないことを意味するはず。つまり「無知」であることを恐れないことだ。人間の眼は「暗闇」に慣れる。暗闇の中でこそ人の直感は研ぎ澄まされ、物の気配を正しく見分けることができる。とすれば人は「無知」であればこそ、実は事の真実を見抜くことができるはずではないか、などと・・・。

 おっと、電灯が点いた。思わずほっとする。私も紛れもない現代人である。

 

 

42日号「消えない火」

 

 用事があり、東京湾岸を電車で千葉まで行ってきた。湾岸は高い煙突が林立する石油化学コンビナートが何十キロと続いている。東電の火力発電所も5基ここにある。幸い東京湾岸は津波の被害はなかった。しかし地震直後この一角にある石油製油所で配管から漏れ出した天然ガス(ブタン)が引火、ガスタンクが次々と爆発炎上した。一時は上空800メートルまで炎が上がり、一帯は真黒な煙に包まれたという。火災は延々と続き、ガスが燃え尽きた10日後にようやく鎮火した。電車の車窓から遠くに見たコンビナートは、今は平静を保っているようだ。

 3月30日、東電会長は地震後初めての記者会見で、福島第一原発1~4号基は廃炉にすると述べた。冷却機能が回復した56号基については言明しなかったが、政府のスポークスマンはこれらも廃炉にすべきとの見解を示している。

 廃炉にするには、まず稼働中の原子炉を冷温停止状態にしなければならない。冷却装置が動けばこれは12日で完了するというが、現在もなお冷却装置は動いていない。冷温停止した核燃料を安定させるには、さらに34年冷却プールで冷やし続けなければならない。さらに施設や原子炉を解体しそこを完全な更地にするには20年、30年の歳月が必要という。しかしそれでもどこかに移され保管される使用済み核燃料は、さらに長期間放射線を放出し続ける。プルトニウムの半減期は24000年、ウランは162000年。

 化石燃料の火は燃え尽きれば、鎮火する。しかし原子の火は半永久的に消えることがないのである。

 

 

410日号「希望」

 

 あの日。

火の見櫓(やぐら)で半鐘(はんしょう)を鳴らし続けながら、津波に呑みこまれた消防団の男性。「逃げて!」と防災無線放送で住民たちに叫びながら、濁流に姿を消した町役場の若い女性職員・・・。

そしてそれから続く日々の中。

町の再生は原発の復旧からと、避難先から危険な現場に戻ってきた若い原発労働者。人々から日用品を途切れさせまいと、店を守り続ける自主避難地区の店主。従業員たちの給料を支払おうと、金策に走り回る被災した小さな工場の経営者。原発から近い町で、診療を続ける医師と看護師。避難場所でゴミの分別を呼び掛ける男性。村に留まり、牛の世話に余念のない避難区域の農民。自らも被災し、家族を失いながらも不眠不休で奔走する役場の職員。救援にやってきた若いアメリカの兵士に、何度も頭を下げながら手にした一枚の米菓を差し出す老婆。そしていつ終わるとも分からぬ仮の生活に、取り乱すことなく耐える無数の被災者たち・・・。 

被害の全容が未だ杳(よう)として不明のこの大災害。しかし勤勉で、責任感が強く、礼儀正しく、律義(りちぎ)、こうした人々が健在である限り、この国には確かな希望がある。

明日で被災1か月。

それでもまた明日、種をまこう。

 

 

411日号 「天国はいらない、故郷を与えよ」

 

 「種(たね)を蒔くな、収穫するな、食べるな、出荷するな、・・・そこに住むな」。これらは「故郷」に生きる人々への「国家」による迫害である。「国家」の武器は「数値」だ。大気、土、水、海、農産物、魚介類、飲用水などなどの汚染・・・。○○シーベルト、××ベクレムという数値が踊る度に、「故郷」に生きる人々は惑い、追いつめられていく。「原発」はこうして「故郷」を破壊した。科学の粋を集め、権力の限りを尽くしその「原発」を作ったのは、他ならぬ「国家」だ。

 首都・東京。光溢れるこの都は人々を魅了する「天国」か。「天国」は「原発」により支えられている。「原発」の喪失は「天国」から光を奪った。今「天国」は深い闇の中に沈む。

「故郷」を追われた人々はどこへ向かうのか。「天国」を失った人々はどこへ彷徨(さまよ)い出るのか。人々の安住の地はいずこか。

 

「天国はいらない、故郷を与えよ」(セルゲイ・エセーニン)

 

(「東京日記」はひとまず本号をもって、ページを閉じます。お読みいただいた方々、そして私に執筆の機会を与え、翻訳の労を惜しまなかったRichard Pestemer君に、あらためて感謝を捧げます。またの機会に。)

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活躍した札幌市消防局

Posted by 秋山孝二
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 先月30日の野田正彰さんの講演会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9201)で、一つだけ違和感のあったお言葉が、「北海道の人間は今回の災害に対してどんな支援活動をしてきているのか、殆ど現地で出会わなかった。遠い場所での出来事と考えているのでは」、でした。とんでもありません、少なくとも私の周辺で知っているだけでも、行政・NPO・医療機関・企業等、たくさんの方々がすぐに駆けつけましたし、今も継続して活動しています。限られた地域での野田さんの体験だけから断定するのは間違いだと思いますが。

 先日、私的病院経営者の20年以上続く勉強会「木朝会」の特別例会で、「防災及び震災支援」と題して、札幌市消防局の方から報告がありました。今回の東日本大震災で、札幌市も迅速で地道な支援(http://www.city.sapporo.jp/kinkyu/index.html)を行ってきています。お話をされた札幌市中央消防署予防課・課長(指令長)の佐藤利博さんの語る姿勢も素晴らしかったです。

 とりわけ札幌市消防局の震災直後からの活躍(http://www.city.sapporo.jp/shobo/koho/enjo.html)は、私は札幌市民(納税者)の一人として誇りに感じました。

東日本大震災で活躍した札幌消防局の報告

東日本大震災で活躍した札幌市消防局の報告

  一つは、3月11日(金)15時00分(地震発生からわずか14分後)に決定された「指揮支援隊派遣」です。すぐにヘリコプターで札幌を出発し、翌12日から宮城県庁で県内部隊指揮活動を開始しました。一方11日15時30分に、15隊58名からなる「陸上部隊派遣」準備が決まり、13日朝には石巻市に到着して救援活動を開始していました。情報が錯綜し流動的情況の中、指揮部隊・現場陸上部隊と素早い取り組みが行われ、現地でも高い評価を得ました。5月10日までに、札幌からは133隊503人が出動しています。先日のご説明では、国内ばかりではなく、日常的に海外災害派遣を想定して、定時予防注射を受けている隊員も複数名いるとのお話でした、いつでも出動できる危機管理体制です。

 福島原発事故現場での東京消防庁レスキュー隊が、マスメディアに繰り返し登場していたので注目されていましたが、今回の被災地では、全国からの多くの組織的応援が迅速に行われたことを、私たちはしっかり認識する必要があります。この震災に対しての特別の支援ではなく、このような大規模災害を日常的に予測し、日頃から準備を怠っていない、そんな意識と体制から学ぶことは多いです、命令指示系統等の事前の約束事、情報共有、訓練、そして迅速な初動動作ですね。

 

 7月の札幌は、お陰さまで例年と変わりない夏を迎えています。先日、演劇鑑賞の合い間に、近くの中島公園のショウブ池の畔で缶ビールを飲みながら、池に浮かぶ手漕ぎボート、際立って素晴らしい光景に見えました。

日曜日の午後、中島公園での一コマ

日曜日の午後、中島公園での一コマ

大地震、今、感じること(4)

Posted by 秋山孝二
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 昨日で今回の大震災発生から1週間、地震・津波・原発多発事故はまだまだ緊迫した状態が続いています。

 昨晩のテレビで、「有識者・専門家たち??」は、相変わらず恥ずかしげもなく「原発に海水が注水されて一安心」、「あの原子炉は古い型だったから」等、まさに無責任な発言を繰り返し、メディアのキャスター達も一部を除いて何の危機感もない質問の繰り返しです。MOX燃料の危険性、原子炉複合施設の危険性等、チェルノブイリ・スリーマイルには無かったその後の新たなリスクへの言及が隠ぺいされています。私自身、これまでの原子力発電に対しての中途半端な反対姿勢を、今、強く悔いています。企業経営者として、原発問題・憲法問題・防衛問題に対して、立場を考慮して(?)、歯切れの悪いスタンスに終始していましたので。

 でも、この場に至って、自分の命というよりも、子供たち・孫たちの命と将来の安心・安全な暮らしのために、これからの人生を送らなければなりません。戦後日本の極めて恵まれた時代を生きることが出来た私は、これまで得た少しの知識と知恵を、次の時代に生きる人々のために尽力する責務があります。眼前の同世代の体たらくを目の当たりにして、そう痛感しています。

 枝廣淳子さんのメーリングから、諸外国の応援メッセージを引用掲載します(http://www.japanfs.org/ja/pray4japan/message.cgi)。また、国内からも具体的なアドバイスも集まっていて(http://www.es-inc.jp/news/001949.html)、私自身は、一層の節電モードのライフスタイルに入っています。

 群馬大学の片田敏孝教授(http://www.ce.gunma-u.ac.jp/staff/st02_katada.html)は、これまで防災教育を現地の中学生に指導してきたそうです。その成果は今回実践の中で示されました。(http://plaza.rakuten.co.jp/yamamotoyoshie/diary/201103190000/

 こちらも説得力があるサイトです(http://www.asyura2.com/index.html)。

 

 こんな折り、環境分野で大きな功績を果たしてきた、北海道大学教授・小野有五先生の定年記念講演会が、「地球科学者から環境科学者へ:大学と社会を結んで25年」と題して開催され、会場の北大クラーク会館は超満員で溢れました。 

小野有五教授定年記念講演会~大学と社会を結んで25年~

小野有五教授定年記念講演会~大学と社会を結んで25年~

 この間、氷河から地球の研究に端を発した地球科学者・小野有五先生でしたが、ビートルズの「A long and winding road:http://www.youtube.com/watch?v=JrcYPTRcSX0&feature=related」をバックミュージックに、ご自身の軌跡を素晴らしいまとめで締めくくりました。まさにこの時に、小野先生のこのご講演は、学者としての一筋の光とでも言いましょうか。

* 「大学と社会を結んで」と簡単に言っていますが、まさに「水と油」みたいな関係だった

* 専門家は、ごく普通の市民に分かる説明、今風に言えば「アウトリーチ活動」が必須な時代になっている。今回の一連の原発事故に対する「専門科学者」たちの、最も欠如している視座である

* 宮澤賢治の1929年11月29日の予告文:今にも活きる言葉に違いない

 「われわれはどんな方法で、われわれに必要な、われわれの科学を、手に入れることができるのか」

 羅須地人協会で:http://www.artwing.biz/kaze2/rasutizin/rasutizin.html

* アイヌ民族の歴史に対する認識: 徳川幕府は「蝦夷地」として、まだ外地扱い、すなわち「アイヌの地」としての認識があったが、明治維新以降、北海道の中のまさに「植民地化」であった、奪われた土地、奪われた文化、奪われた人権等、で。

* マザー・テレサの言葉、「愛することの反対は、憎しみではなく、『無関心』である」

 

 本来は駆けつけるはずだったお弟子さんのアラスカ大学・吉川謙二教授は、サンフランシスコで足止めとなり、今アメリカで大ブレーク中、本人主演のyoutube掲載、「The tunnel man:http://www.youtube.com/watch?v=-l0JdVtmNus」の紹介がありました。「究極のアウトリーチ活動!!!」でしょうか。

 弁護士の市川守弘(http://www.akiyama-foundation.org/network/tema05.html)さんは、「科学者の社会的責任」を果たすということが、如何に困難なことか、森林・生態系保護活動においても同様なこと。そして同時に、「裁判所の責任」も、これまでの各地の諸開発問題では重いものがあることを指摘されました。

 2008年の「先住民族サミット」で活躍し、その後「Win-Ainu」設立にもかかわった結城幸司(http://www.akiyama-foundation.org/network/tema06.html)さんも駆けつけました。

 

 幅広く市民活動とコラボレイトした小野有五先生は、退官とはいえ、まだまだこれから多くの分野でのご活躍を期待しなければなりません、北海道の環境問題のアドバイザーとしてです。取り敢えず、ここまでお疲れさまでした。

「公益財団法人」としての新たな出発!

Posted by 秋山孝二
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 2009年12月1日から、私が理事長を務める「財団法人秋山記念生命科学振興財団http://www.akiyama-foundation.org/」は、法人格を「公益財団法人」としてあらたなスタートを切りました。これまでご指導・ご支援して頂いた多くの皆様方に、心から感謝申し上げます。

 今回の「公益法人改革」に関しては、昨年11月28日付http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?m=200811のこの欄で詳細を語っていますので省略致しますが、110年ぶりの民法の改定により、全国の公益法人は5年以内にその新たな方向性を決めることになりました。

 ある方は今回の新政権の「事業仕分け」により、これまでの「公益法人」は大いなる逆風を受けるのではないかとおっしゃっていますが、それは全くの間違いだと私は確信しています。鳩山首相の就任演説では、「これからは民が担う新しい公共の時代」と明確に宣言しています。全文はhttp://www.kantei.go.jp/jp/hatoyama/statement/200910/26syosin.htmlです。以下、演説からの引用です。

―――(「新しい公共」)

 働くこと、生活の糧を得ることは容易なことではありません。しかし、同時に、働くことによって人を支え、人の役に立つことは、人間にとって大きな喜びとなります。
 私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。
 国民生活の現場において、実は政治の役割は、それほど大きくないのかもしれません。政治ができることは、市民の皆さんやNPOが活発な活動を始めたときに、それを邪魔するような余分な規制、役所の仕事と予算を増やすためだけの規制を取り払うことだけかもしれません。しかし、そうやって市民やNPOの活動を側面から支援していくことこそが、二十一世紀の政治の役割だと私は考えています。

 新たな国づくりは、決して誰かに与えられるものではありません。政治や行政が予算を増やしさえすれば、すべての問題が解決するというものでもありません。国民一人ひとりが「自立と共生」の理念を育み発展させてこそ、社会の「絆」を再生し、人と人との信頼関係を取り戻すことができるのです。
 私は、国、地方、そして国民が一体となり、すべての人々が互いの存在をかけがえのないものだと感じあえる日本を実現するために、また、一人ひとりが「居場所と出番」を見いだすことのできる「支え合って生きていく日本」を実現するために、その先頭に立って、全力で取り組んでまいります。 ―――――引用 おわり―――

 

今、事業仕分けによって基金の返還等を言われているのは、いわゆる「天下り財団・社団」であったり、省庁重複・休眠財団だったり、公的補助金でその活動の殆どが成り立っているような団体です。私どものように、100%基本財産の運用による事業運営、自主・自立民間財団は、まさにこれからの時代の先駆けとして活動していくと自負しています。

 幸い全国には私どもと志を同じくする民間財団が沢山存在しますし、広く国内・国外で活躍するNGOも含めた「民が担う新しい公共」の担い手は、確実に日本社会でも育っているのも実感できます。政権交代を選挙で実現した今年、昨日の裁判の証言で外交密約の存在の証言もありましたが、戦後日本に新しい自立する市民社会が出来つつある手応えを感じています。

 時代の変化を認識する今年、新たな決意表明です。秋山財団は固有の「メッセージ:いのちを育む」を一層高らかに発信して、この北海道を多様ないのちの共存できる大地にして参りたい思っています。

非武装地帯、さらに「北」への道

Posted by 秋山孝二
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  昨年5月に、韓国のソウルで、北海道演劇財団TPSの海外公演があり、同行ツアーで副理事長の私も参加しました。公演の合間にオプショナルツアーとして板門店へ行き、貴重な光景を垣間見ることが出来ました。この数日間の「飛翔体(?)発射」騒動の中で、北朝鮮の動向は注目を浴びて(浴び過ぎて?)いますが、非武装地帯(DMZ) の現場は、歴史と現実の重みを感じながらも、驚くほどの静けさでした。ただこのツアー自体、米・韓のプロパガンダの臭いも強く、演出の過ぎる場面はかなりの違和感もありましたが。
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋

今から6年前の秋山財団主催の講演会で、東京大学大学院・農学生命科学研究科教授・樋口広芳先生が、「鳥の渡りと地球環境の保全」http://www.justmystage.com/home/hhiguchi/index.html と題して特別講演をされました。シリーズの財団ブックレットとしてまとめてあります。その中で、この非武装地帯が多くの鳥の渡りにおいて重要な中継地となっている事実が、発信機を付けた渡り鳥と人工衛星によるデータで明らかになっている事を力説されていました。非武装地帯は立ち入り禁止区域で、ごく一部を除いて人間の活動は全て禁止されています。また、隣接する緩衝帯では、経済開発も強く規制されています。それゆえに皮肉にも、渡り鳥にとってはいわば聖域、安住の地になっているというのです。国境を越えた自然界にとって、非武装地帯はまさに地球上で数少ない理想的空間となっているのでしょう。そう言えば、昨年行った時も、道端に実に綺麗なキジを見つけました。

歌の「イムジン河」http://protestsongs.michikusa.jp/korean/imjin-river.html も懐かしいですね。ソウルから板門店に向かう途中で、しばし道路と並行して流れていました、この河があのイムジン河で向こう側が北朝鮮か、と。

「ふるさとをいつまでも 忘れはしない、イムジン河水清く とおとおと流る」、あの時代の香りですね。

この非武装地帯(DMZ)は、1953年7月、朝鮮戦争の休戦協定の締結とともに作られた区域で、南北それぞれ2キロメートルずつ(幅4キロ)、東から西まで総延長241キロメートル、総面積6,400万坪の広大な地域です。北朝鮮にとっての歴史認識では、今も交渉相手は国連軍(実質的にはアメリカ軍)しかなく、南北朝鮮問題ではないのでしょう。今一度きっちり振り返りたいのは、朝鮮戦争の位置づけと、更にさかのぼれば第二次世界大戦の日本とアジア諸国との関係性、そして戦後の構図だと思います。

今回の打ち上げ実験でも、ひとえにアメリカに対するデモンストレーションであり、日本への攻撃等と敢えて喧伝するのは、例によって日本メディアとそれを使って防衛予算を増額しようとする輩の思惑に違いありません。「誤探知?」と聞いた時に、とっさに私は「臭うな」と思いました。間違った事が不安なのではなく、これを材料に「システム整備・構築予算」の要求だの、日本の防衛力の不備等の議論の盛り上がりを期待する勢力の画策が「臭い(くさい)」のですよ。

今回は中央官庁の防衛省が「国防」の視点から対処・準備・喧伝し、東北地方をはじめとする各市町村が行政の「防災」の視点から現地で体制を取っていた、と理解出来るのではないでしょうか。自衛隊の活動を接点として、この違いを無意識にも、意図的にも混合してはならないと思います。

いずれにせよ、相変わらずの日本外交の貧弱さを痛感しています、公式発表はともかく、複数の人的パイプがないというか。外交上は、今こそ、東アジアにおける平和と安全に関して「非核化」をキーワードにして、日本は本来のリーダーシップを発揮する時だと思います。そして、一味違う視点として、自然科学者・環境科学者を中心として、たとえば「オホーツク海の生態系」、「北東アジアの大気汚染」、「朝鮮半島の生態系」といったテーマでの、周辺6・7カ国ネットワーク形成プロジェクトを、日本がリーダーシップを取って場の構築等は出来ないものでしょうか。

過去の歴史を受け止めながら、21世紀的テーマの新しい構想の中で平和の時代を創る、そんな時代なのだと強く思います。