以前から訪ねてみたかった東京都北区飛鳥山にある「渋沢史料館(http://www.shibusawa.or.jp/museum/)」に、時間を見つけてやっと行くことができました。昨年11月の公法協トップマネジメントセミナーで「渋沢栄一記念財団」の中村圭一総務部長とお会いしたので、先日も再会し、副館長・学芸員の桑原功一さんにご説明をして頂きました。生家の深谷市には市営の記念館が別にあるようです。
* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24966
渋沢史料館は、近代日本経済社会の基礎を築いた渋沢栄一[1840(天保11)~1931(昭和6)年、号は「青淵」(せいえん)]の思想と行動を顕彰する財団法人「渋沢青淵記念財団竜門社(現 公益財団法人 渋沢栄一記念財団)」の付属施設として、1982(昭和57)年、渋沢栄一の旧邸 「曖依村荘」跡(現在東京都北区飛鳥山公園の一部)に設立された登録博物館です。
当初の渋沢史料館は、旧邸内に残る大正期の2つの建物「晩香廬」と「青淵文庫」(いずれも国指定重要文化財)を施設として開館しました。その後1998(平成10)年3月に本館を増設し、現在は3つの建物で運営しています。
正面玄関から
史料館入口
旧渋沢邸の広大な庭、茶庵跡、東屋も
戦災でも残った青淵文庫建物
青淵(せいえん)文庫図書館
壁上部のステンドグラス
常設展示は興味深かったですね。後半生は比較的「事業家」として数多く紹介されていますが、以下のような彼の人生は、それぞれが後の活動の原動力になっていることを知りました。新渡戸稲造とも同時代を生きて、国際連盟への熱き応援にも感動します。
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1.郷里にて: 生家の家業、幼時の学習、尊王攘夷運動への参加など、郷里・血洗島で活動した若き日の栄一の思想と行動
2.幕臣となる:
* 一橋家の家臣としての活躍 (歩兵募集、領内産業振興など)を挙げ、後の栄一の活動の基盤を探る
* 徳川昭武に随行して訪れたパリをはじめとしたヨーロッパ各地、パリ万博の様子、栄一が先進社会で何を感じてきたかを示す
* 徳川慶喜が蟄居した静岡において、株式会社のテスト版として創設した小さな金融商社「商法会所」の概要
3.維新政府の一員に: 明治維新政府における栄一の位置、「改正掛」の関係したプロジェクトを取り上げ、栄一の熱意と仕事の幅の広さ
4.実業界を築く: 第一国立銀行を創設・近代的企業を設立・経済団体を組織化
* 「銀行条例」の制定から、栄一の実業界における活躍の拠点となった第一国立銀行の創設など、銀行制度の進展等を振り返る
* 設立・育成等で深く関わった企業の資料を通じて、栄一の実業界における実績を顧み、併せて『論語と算盤』に表わされるような営利活動と道徳の両立を願う栄一の経営思想の根幹を観る
* 現在の銀行協会、証券取引所、商工会議所など経済団体を組織し、実業社会全体の成長・発展に尽くした栄一の活動を振り返る
5.民間外交を担う:
* 「国民外交」の先駆者として特に、日露戦争後に悪化した日米関係の修復に努めた栄一の活動を振り返る
* 「国際的に国をなして行くには他国を慮る道義が不可欠だ」と国際連盟精神を説く満88歳の栄一の力強い肉声
6.社会公共事業を推進: 福祉医療活動に尽力、教育を重視、東京の街づくり、労使協調を目指す
* 長く院長を務めた「東京養育院」の事業を中心に、社会福祉・医療における栄一の活動と考え方
* 実業教育や女子教育を中心に、教育支援における、栄一の実績
* 「東京会議所」との関わりにはじまる首都・東京の社会資本整備事業への栄一の関わり
* 「協調会」を中心に、栄一の労使関係への考え方
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とにかく幅広い活動で、徹頭徹尾「事業家」としての人生でした。企画を練ってプロジェクトを立ち上げ、実行に移す時には必ず集団を形成しており、決して一人で突っ込んでいくことはしていません。事業の何たるかをしっかりわきまえていて、所有に拘らず、次々と人を育てて移譲していき、得た資金等は次への事業の投資に役立てています。
まさに、「論語」と「算盤(そろばん)」のバランスが最適です。