追悼 伊藤義郎さま

Posted by 秋山孝二
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 先日は昨年12月5日に96歳でお亡くなりになった伊藤義郎さまの『蒼空(そうくう)の集い』に参列しました。「蒼空」の意味合いは青く美しい空のこと、こよなく愛した飛行機が真っ青な空を突き進む様子に安らぎを感じてたとのこと、96年の生涯を札幌・北海道を世界に発信し続けたそのご功績を偲ぶとともに、首尾一貫した「つどい」の企画に感動致しました。

 とにかく経済界はもちろん、スポーツ界、芸術界等、特にアメリカ海軍との深い繋がりは、まさに民間人としての信頼を築き日本を代表する人物、今回の「つどい」でもアメリカ海軍の元大将ほかの参列者も多く、その重鎮たる存在感を示していました。式次第はじめ配布パンフレットも英語併記、

 私の小・中・高の大先輩、それぞれの同窓会でも役員としてお世話になり、札南高学校林財団では永きにわたり理事長を務め、三代後に現在は私が理事長になっています

 私がまだ幼い頃、南1条の秋山の自宅でパーティがあった時に、当時伊藤組の社長になったばかりの伊藤義郎さまが奥様の寿美子さまとご一緒に出席されて、テーブルの上の「春巻」を見て「ああ、スプリングロールですね!」とおっしゃったのを何故か鮮明に覚えています。アメリカ留学6年間と先日の「つどい」で紹介があり、そんな言葉がすぐに出てくるまさに国際人なんだと、私が強く心に残りました。

 翌日の新聞各紙にも紹介されていました。

 長い間大変お世話になりました、どうか安らかにお眠りください。

姉・せつの納骨

Posted by 秋山孝二
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 今年2月に旅立った私の姉・奥貫せつの納骨と礼拝が、先日札幌平岸霊園にある教会共同墓地で行われ親族として参列しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=46070

 大変立派な墓石、深い地下にはこれまでの皆さんのお骨も安置されていました。身内だけでなく、永らく教会でご一緒に活動した方々が集い、礼拝で祈りを捧げる時間は私にとって初めてでしたが、教会が心の拠り所として存在してたのだろうと私は物思いにふけるひと時でした。

* 今年6月の母・寿美の納骨ーー>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=46844

 姉の学校時代の友人、教会関係の皆さま等、たくさんの方々にもお越し頂き、滞りなく礼拝、納骨は終了しました。

 この教会の共同墓地は、秋山家のお墓とすぐ近く、昨年6月に叔母・和久奈ちよの分骨納骨時に当時元気だった姉と「お隣さんだね」と笑いながら話をしていたものです、まさかこんなに早く現実になるとは思いませんでしたが。

 昨今、お墓を巡っての多様化が議論になっていますが、誰かが言っていました、「お墓は先祖との待ち合わせの場所、いつもあの狭い場所に留まっている訳ではありません、ある時は空に、海に、森に、それぞれの心に居るのです」と。

* https://www.youtube.jEcom/watch?v=v9Peke8AW

母の納骨を終えて

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 今年1月に亡くなった私の母の納骨が、先日、平岸霊園で都合のついた親族が集まる中で無事終わりました。

秋山寿美ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=46036

 昨年末から今年2月に旅立った親族3名の名も墓誌に刻みました、安らかに眠ってくれることを祈ります。

 思えば丁度1年前に、栃木県益子町・東京都に住んでいた私の叔母・和久奈ちよの分骨の納骨を済ませたばかりでした、その時に立ち会った私の姉・奥貫せつと冗談のつもりで、「近いうちに母もここに眠るかもね」みたいに話をしていたのが、当の姉自身も今年亡くなってしまうとは、何とも言えない喪失感で先日も気持ちが沈んでいました。とは言え命の継承は続いてここの墓誌の表面もいっぱいになり、今後は裏面への名前の刻みになるのでしょう。

 母の命の一つの落ち着きとなりました。

姉・せつが永眠

Posted by 秋山孝二
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 私の5つ年上の姉・せつが2月6日午後4時00分、自宅で息を引き取りました。昨年6月にすい臓がんの診断を受けて以来、母を自宅で介護していた状況を維持するのが難しく、母はサービス付き高齢者住宅に移動し、姉は自宅で療養を続けていました。母を介護する想定で10年以上前に自宅をバリアフリー化にリニューアルして、この数年は様々な在宅医療・介護・サービスを活用して献身的に母の面倒を見ていた姿は、自らの体調に負荷を掛けての状態だったのかと思ったりもしています。この間、母より先には絶対に逝ってはならないという強い信念で自らの療養に励み、年明けた先月20日に母の逝去、その後の葬儀はZOOMでライブで病床から観ていて、何か母を看取ったある種の安ど感を抱いたのかもしれません。母の逝去を見届けるように2月6日に逝きました。昨年12月17日に喜寿の誕生日を家族でお祝いしたばかりでした。

 昨年暮れ12月30日に孫の智帆、年明け1月20日に母の寿美、そして先日2月6日に姉のせつ、40日間に3人の肉親を亡くした喪失感はたとえようがありません。このブログを始めて15年になりますが、こんなに書けなかった期間もありません。まだしばらく時間を必要とする今の心境、いずれの葬儀でも自分が予想する以上の弔意・参列者に、あらためて私が理解していなかったそれぞれの人生の幅広さと奥深さを知った思いです、貴重な2023年早々の日々です。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=45925

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=46036

過ぎ行く1月 2023

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 2023年の1月は、例年になくあっという間に過ぎていきました。

 何といっても昨年12月30日の孫・智帆の急逝と新年早々の一連の葬儀、続いては1月20日夜の母・寿美の永眠、まさに眠るように息を引き取ったという感じ。一昨年の叔母・ちよも同様に呼吸の合間が開いてきて静かにフェイドアウト。人にはその生きた長さとは別に、それぞれの命の仕舞い方があることを実感した日々でした。

 これまで看てきた伯父・三代目康之進、伯母・きよの逝去の場合は、積極治療のある意味行き詰まりの末の結末。父・宏は長い間の糖尿病による敗血症、兄・一男はすい臓がん、それぞれ病気は違いますが、人間の身体の微妙なバランスが崩れての最期、あらためて人間の身体の何とも言えない有機体・複雑系構造を痛感します。同時に、そこに至るプロセスでは、「自らの肉体の終わりをどう受け止め、受け入れるのか」、その葛藤もつぶさに見届けて、命の精神的側面の重要性も感じた次第です。

 「『死』という言葉は末期下り坂の自分には厳しいけど、永久に眠る『永眠』という言葉に辿り着いて少し安堵の心境だ」と、私の兄は限りある命を覚悟した時にベッドサイドの私に語っていました。医師で現職の国立病院院長の彼にして、自らの命の終わりをどう受け止めるか葛藤していたのでしょう。

 そんなこんなで、2008年にこのブログを書き始めて、初めてこんな少ないコメントしか書けなかった1月です。あらためてブログを書ける時間を確保できる幸せを感じています、これからもよろしくお願いします、何を、誰にお願いするのか私自身よく分かりませんが??!!

母、満99歳の大往生!

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 1月20日22時35分、私の母・秋山寿美が息を引き取りました、満99歳、仏教の行年(享年)101歳でした。12月頃から食欲が落ちてきて、年明けには水分補給もあまりせず、これといった病気もない状況でしたが、最期は本当に穏やかに呼吸が静かになり安らかに眠りについた、そんな感じでした。コロナ禍でもきっちりお別れをしたいという方々の声もあり、コロナ前のお通夜・告別式を今日夜、明日と執り行うことにしています。

* これまでの母の記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%AF%BF%E7%BE%8E

 取り敢えずの仮の祭壇で。

 若い頃は会社経営の裏方として家事、社員食堂等で尽力し、車の免許取得も昭和30年前半で行い、子育てを卒業してからは社交ダンス、ゴルフ、コーラスとつい数年前まで楽しんでいました。葬儀の祭壇にはこの写真を飾ろうと思っています、兎澤先生、平先生には承諾を得ています。

 私たち家族にとっては、昨年12月30日の孫・智帆に続いての永眠で悲しみは続きますが、それぞれの精一杯生きた命が発するメッセージをしっかり心に受け止めたいと思っています。これまでの皆さまのご厚情に心から感謝申し上げます。

祝!寿美98歳、ちよ91歳 !!

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 私の母・寿美(札幌)と叔母・ちよ(東京)は、それぞれ今年9月23日で98歳、22日で91歳の誕生日を迎えました。

<これまでの誕生日記事>

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24525

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=25255

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=34332

 母は札幌市清田区の私の姉の家では、ひ孫たちが飾りでお祝いも!

 そんな母からは逆に孫・ひ孫たちに感謝のプレゼント!

 東京と栃木県益子町の二拠点居住の叔母・ちよさんは9月22日が誕生日、今年で91歳、このところは東京で過ごしていますが、先日はハンガリーから勲章を授与されました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=42273

 二人そろって今年のお誕生日を迎えられてまさに『選ばれし者たち!』、私自身も大変嬉しいです、これからも益々お元気でと祈っています!!

札幌人図鑑 第1554回

Posted by 秋山孝二
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 福津京子さんが続けている「札幌人図鑑(https://jinzukan.myjcom.jp/sapporo/)」、 第1554回で「史上最高齢更新!社交ダンス愛好家 秋山寿美さん(95歳)」と題して、私の母が登場しました。

http://sapporojinzukan.sapolog.com/e475360.html

 収録当日、私はスタジオ隅に控えて見ていて、福津京子さんの聞き上手としっかりやり取りをしている母に感心しましたが、仕上がった番組は見事に編集されてさらに素晴らしいインタビューになっていました。

祝 95歳 & 88歳 !!!

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 私の母と叔母、95歳と88歳の一日違いの誕生日を、札幌で祝いました。

 3年前のコメント――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24525

 ケーキに添えるロウソクは、今回少々の手違いで無しでということでお許し頂きました。

母・寿美95歳!

母・寿美95歳!

叔母・ちよ88歳!

叔母・ちよ88歳!

 実は、もう一人同じ日が誕生日の井上文喜くんも一緒にお祝いでした。ケーキは家族ですでに済ませているので、チョコレートのお祝いプレートだけのプレゼントではありましたが。

もう一人同じ日が誕生日の文喜くんも一緒に

文喜くんも一緒に

 途中、ライブ演奏も入れてもらったりで。

生演奏も

生演奏も

 札幌にいる親族でお祝いです!今回どうしても都合がつかなかった親族もいて、もし勢ぞろいだったら、あと8名くらい増えたでしょうか、お二人の健康を祝した夕べとなりました。

みんなでお祝い

みんなでお祝い

元気な日々、92歳の舞い

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 昨年7月にこの欄に書いたブログ「アッパレ、我が母、脱帽です!」に続いて、今年も踊りました、92歳です。昨年は「Waltz」でしたが、今年は「Standard Medley」。

母・寿美と平先生

母・寿美と平先生

 大トリはダンススクールの兎澤範子先生と平寿仁先生の「Latin」で締めくくりました。

大トリは兎澤先生と平先生

大トリは兎澤先生と平先生

 パーティ終了後には、ロビーに当日参加の「寿美・応援団」の皆さんと両先生で記念撮影、お忙しい中ご出席頂き、ありがとうございました。

寿美の大応援団が集合!
寿美の大応援団が集合!

* 昨年(2014)の30周年記念はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20454

母、叔母の誕生日祝い!

Posted by 秋山孝二
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 札幌在住の母(92歳)、栃木県益子町在住の叔母(85歳)は、一日違いの誕生日です、先日、札幌で一緒に誕生日祝いをしました。元気な二人を見ていると、こちらが力を貰います。母は今もコーラス、ダンス、ゴルフを、叔母は、益子のワグナー・ナンドール・アートギャラリー(http://wagnernandor.com/indexj.htm)」のオーナーとして年に数回、ハンガリーほかの海外に一人で旅行をしています。

9月22日はワグナー・ちよの誕生日祝!

9月22日はワグナー・ちよ(左)の誕生日祝!

9月23日は母・寿美と叔母・ちよの誕生祝!ケーキの上には年齢の数字!

9月23日は母・寿美と叔母・ちよの誕生祝!ケーキの上には年齢の数字!

お祝いに対しての返礼「合唱」!

お祝いへの返礼「合唱」、左・叔母のちよ、右・母の寿美!

 お返しに歌を披露してくれました、その歌は福山雅治の「ひまわり(https://www.youtube.com/watch?v=le-oxm6dzxo)」、映画「サウンド・オブ・ミュージック」から「エーデルワイス(https://www.youtube.com/watch?v=EhkXJn8EOug)」でした。

 いつまでもお元気で!!

戦後70年、私なりの思い(7 最終)

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 お盆を過ぎて、私の叔母・和久奈ちよ(公益財団法人 ワグナーナンドール記念財団理事)からメールがきました、また一つ、身内と関係する終戦前後です。

* 公益財団法人 ワグナーナンドール記念財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm

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孝二様

 お盆が終わり、ナンドールをお墓に送りました。そちらは助成事業などでお忙しいことでしょう。二、三日前、映画「日本のいちばん長い日(http://nihon-ichi.jp/)」を見ました。考えてみると私も少なからず、登場する方々を知っていました。
 東条英機さんは父の陸軍省の上役、正二お義兄さんは終戦時参謀本部に所属し、終戦前後の行動をいろいろ聞きました。三笠宮老殿下は、戦後ですが札幌で父のところにお訪ねくださり、戦中、木村昌福司令官に秋山家でお会いしたこと、戦後、幣原喜重郎さんは、私が大学生の時に学長から命じられて英文学者の御長男のお手伝いに通ったのでお会いし、宮内大臣の石渡さんご家族ともお付き合いしてたり、寿美子お姉さんは原爆雲を見たのですし、いろいろ考えさせられました。

 幣原喜重郎(私の英語教師のお父様)さんが憲法9条の創案者です。今、検索して其の項を読みましたら、大変はっきり書いてありました。お宅でお会いした時はそんな偉い方とは知りませんでした。天皇陛下に北海道のカボチャを献上したいと言われて、秋山の父がアレンジしてお送りしたことがあります。

 幣原喜重郎を検索、ちょっと便利帳「幣原喜重郎元首相が語った、日本国憲法」を読みました、 私には大変良かったのでお知らせします。

* ちょっと便利帳「幣原喜重郎元首相が語った日本国憲法(http://www.benricho.org/kenpou/shidehara-9jyou.html)」

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~メール おわり
 このシリーズ、これで本当に終わりに致します。