頑張ってね、颯平くん!

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 札幌の劇団『イレブンナイン(http://eleven9.jp/』で活躍する菊地颯平(そうへい)くんが今朝の地元新聞で大きく取り上げられていました。彼は昨年のTGRで大賞受賞した『ひかりごけ』にも出演し、見事「俳優賞」の栄に浴しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=42960

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=43037

8月11日北海道新聞朝刊

8月11日北海道新聞朝刊

 この記事の中、「札幌市内の駐車場でアルバイト」とありますが、これは私が代表取締役会長をつとめている不動産会社のテナントビルの立体駐車場です。彼とか同じ劇団の梅原たくとくんのような若い世代が地元劇団で活躍し続けられる環境をこれからも応援していきたいですね。

劇団『イレブンナイン』HPより~~~~~~~~~

 札幌を拠点に活動する演技至上主義集団。 富良野塾の卒塾生を中心に2004年に「演劇ユニット イレブン☆ナイン」を結成。演劇でしか表現できないもの、ライブならではのエンターテインメント性を追求しつつ、質の高い作品を生み出している。2008年、札幌に拠点を移してからは活動の場をCM、ドラマ、映画、ラジオなどへも広げ、道内のTV局が製作する番組に企画から携わるなどの活動も行う。2013年より、企画・制作団体「ELEVEN NINES(イレブンナイン)」へと名称を変える。納谷真大オリジナル作品の他、海外戯曲や近代日本戯曲にも積極的に取り組み、「12人の怒れる男(レジナルド・ローズ)」「あっちこっち佐藤さん(レイ・クーニ−原作)」などは高い評価を受けている。札幌演劇シーズンにも多数参加。2018年には5,000人近くの集客を記録し、札幌演劇界を牽引する劇団のひとつと言われる。 2019年6月、代表の納谷真大が北海道演劇財団の理事に就任。以降、近年は北海道演劇財団や札幌座との共同制作公演も行なっている。

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 主宰の納谷真大さんには秋山財団の『愛生舘文庫』デジタルコンテンツ作成でもお世話になっています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=42556

富良野の初春 2022

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 やっと実現しました、富良野の『支那虎(https://retty.me/area/PRE01/ARE271/SUB27102/100000742768/』のラーメン「こげ塩!」、次は「支那そば」に挑戦です!

 今回の富良野は富良野塾OBユニットの公演『水のかけら(https://www.furano.ne.jp/engeki/info.html』を観に行きました、コロナ禍の中でも大勢のお客さんがいらっしゃっていて、さすがですね!

* これまでの富良野関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%AF%8C%E8%89%AF%E9%87%8E%E5%A1%BE

 この作品は、富良野演劇工場の太田竜介工場長が、10年前に市民劇団へそ家族の為に書き下ろした作品です。その後、富良野塾OBユニットの公演として上演し大人気の作品となり、太田工場長は平成30年度北海道文化財団の「アート選奨賞」を受賞しました。

愛生舘サロン4月例会 2019

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 4月の愛生舘サロン(http://aiseikan.net/salon)例会は、劇団として札幌を中心に活躍する「イレブンナイン(http://eleven9.jp/」のメンバー、代表・納谷真大、女優・小島達子さんほか7名の方々をゲストにお招きしてお話を聞きました。お二人は長く札幌の演劇界で活躍されているベテランの役者さん、劇団員は若い方々ばかりでしたが皆さん舞台でこれから一層活躍していくでしょう。

* 昨年の例会ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%82%B5%E3%83%AD%E3%83%B3%E4%BE%8B%E4%BC%9A

大勢の参加者が

大勢の参加者が

代表の納谷真大さん

代表の納谷真大さん

 これまで数々の名作を上演してきています。

12人の怒れる男

12人の怒れる男

 2007年上演の「あっちこっち佐藤さん」はライフコート札幌舞台芸術賞演劇大賞を受賞しました、2017年の演劇シーズンでは再演も。

あっちこっち佐藤さん

あっちこっち佐藤さん

 納谷真大さんは富良野塾出身のベテラン、昨年から今年にかけても、『ゴドーを待ちながら』、『親の顔がみたい』、『命を弄ぶ男ふたり』等、熱演が続いていました。

* 『ゴドーを待ちながら』 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35036

* 『親の顔がみたい』 http://www.concarino.or.jp/2019/02/24/ses_oyakao2019/

* 『命を弄ぶ男ふたり』 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35366

 若手のメンバーも加わって、これから札幌・北海道発信の優れた作品を制作、上演してくれることを期待したいですね。

京都、岡山 & 倉敷の秋 2015

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 10月は全国各地で行事がいっぱい、そんな中で京都、岡山、倉敷と用事があり、駆け足でしたが巡りました。

 まずは、今年で3年目とのこと。スイス式機械時計メーカー「フランクミューラー社(http://www.franckmuller-japan.com/」の京都での展示会です。フランク・ミューラー社長に直接お会いしてのお願い事がありましたので。

* http://www.franckmuller-japan.com/wphhjapon2015inkyoto/

フランクミューラー恒例の展示会

フランクミューラー恒例の展示会

丁度、会場にいらっしゃったフランク・ミューラー社長と

丁度、会場にいらっしゃったフランク・ミューラー社長と

 そこから岡山に移動し、「山田養蜂場・本社(http://www.3838.com/kenko/」を訪問しました。こちらでもお願い事があり、広報室のご担当の方と意見交換を致しました。ミツバチと密接なお仕事なので、1990年代から太陽光発電に先駆的に取り組まれ、工場敷地内施設はパネルでいっぱいでした。また、芸術・文化の推進活動も熱心に続けられて、北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)とも「富良野塾」の岡山県公演で永くお世話になっておりましたし、向うからも感謝されました。理念を高く掲げられての経営の一端を知り、あらためて企業の社会貢献活動の重要性を学びました。

山田養蜂場の敷地全般に太陽光パネルが!

山田養蜂場の敷地全般に太陽光パネルが!

自家発電で敷地街灯の電気を賄っています

自家発電で敷地街灯の電気を賄っています

 最終は倉敷での毎年恒例の研究会出席です。開始前に少し時間があったので古い街並みを散策し、大原美術館(http://www.ohara.or.jp/201001/jp/index.html)にも足を運びました。大原美術館については、今年8月に大原理事長のお話を今年札幌で伺っていましたので、よい機会でした。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24058

夕暮れの倉敷

夕暮れの倉敷

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第13回 社会福祉・医療事業の経営研究セミナー

『医療介護総合確保を考える』

主 催: 一般財団法人 社会福祉・医療事業の経営研究会

後 援: 東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻保健社会行動学分野

静岡県立大学大学院経営情報イノベーション研究科附属医療経営研究センター

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倉敷市中庄駅前の「川崎医科大学」、「川崎医療・福祉大学」でのフォーラム

倉敷市中庄駅前の「川崎医科大学」、「川崎医療・福祉大学」でのフォーラム

<セミナープログラム>

平成 27年 10月 24日(土) 川崎医療福祉大学講義棟にて

13:30~13:45 開会の辞

13:45~15:00 「第6次医療制度改革/医療介護総合確保推進までの経緯と今後」

西田在賢 (静岡県立大学大学院附属医療経営研究センター長)

15:00~15:15 < 休 憩 >

15:15~16:25 パネルディスカッション

「医療介護総合確保/地域のガバナンスを考える」

ファシリテーター 橋本英樹(東京大学大学院医学研究科教授)

パネリスト 西田在賢、遠藤邦夫(矢野経済研究所首席研究員)

岡山の医療関係者の方々ほか

16:25~16:30 閉会の辞 角田愛次郎 (一般財団法人 社会福祉・医療事業の経営研究会理事長)

この企画の意図は以下の通りです。~~~~~~~~~~~~~~~~~

 わが国の医療制度改革が本格的に始まったのは1980年代半ばであるから早や30年が経過した。改革の中身を一言でいえば、増え続ける医療保障財政をいかに持続するかに尽きる。保険料であれ、公費であれ、それらをプールした医療保障の資金と医療提供の費用のバランスをどう採るかの医療制度改革は続く。第3次改革にあたる1997年に介護保険制度の法案が国会を通過し、2000年度から同制度が始まったが、このとき高齢者医療費を部分的に医療保険制度から介護保険制度に肩代わりさせ、医療保険財政を持続させ得た。その介護保険の費用支出もどんどんと増え続けている。そして、2006年に第5次となる医療制度改革に際して、2002年度以来2度目となる診療報酬のマイナス改定を行なうことで国民医療費の伸びを抑えたものの、その後は今日に至るまで高い伸びが続き、大掛かりな医療制度改革の実施は必定であった。そこへ昨2014年に「医療・介護総合確保推進法」が公布・施行された。これが第6次医療制度改革の目印となろう。

 介護保険制度開始のカラクリが教えるように、医療と介護は元々分けて扱われる必然性はない。本セミナーを企画開催してきたメンバーの一人である西田在賢は介護保険制度が始まった当時、川崎医療福祉大学に勤め、2001年に上梓した『医療・福祉の経営学』(薬事日報社)の前編「医療・福祉の経営原理」のプロローグに次のように記していた。「わが国の医療や介護の制度が諸外国のそれと同じにできるとはいえない。最近の経済研究が教えることのひとつに経路依存性(path dependence)という言葉があるが、これは現在の制度や市場などが『歴史的な経路』によって規定されていることを意味する。だから、たとえば医療や介護については日本だけでなく、米国にも、英・仏・独等の欧州にも同様なシステムや制度が存在するが、しかし、国民性を反映して、国によって制度は異なっており、それぞれに特有の運営を行っていることが説明される。(中略)このような限定合理性や経路依存性の考え方を了解すれば、日本が他の国々と較べて医療や介護のシステムに対するアプローチが違うのは、社会認識上の習慣や思考の上での習慣、そして支配的な物事の在り方や法律などの制度に関わる違いのゆえであると説明される。(中略)そのような基本的な理解のもとで、今後、急速に進むであろう医療や介護の保険制度改革の必然性を捕らえておくことも、関係する事業経営者にとって重要となるはずである。」

 じつのところわが国は、介護保険制度以前は介護を福祉として扱っており、介護措置は行政の仕事であり税で賄うものだと説明してきたところを、社会保険で賄うとともに介護保険から給付を受けるのは保険加入者の権利だと解釈を変え、介護サービスの提供者も利用者も頭の切り替えを迫られて混乱した。一方で米国などではヘルスケアというひとつの概念で医療と介護を扱うのを見てきた西田は、わが国の将来において医療保険制度と介護保険制度の合流は不可避だと診ていたが、どのような経路を辿ってそこに到達するかについては皆目検討がつかずにいた。ところが、このたび医療介護総合確保推進法案と総称される各種の法令が出たので、これを機会にこれまでの経緯を整理する。そして、先年からの地域包括ケア体制や今年度から進む地域医療構想と病床機能整理の課題を念頭に今後の医療介護の事業経営の参考となるパネルディスカッションを行いたい。ファシリテーターは、昨年度から大きな話題となっている非営利ホールディングカンパニー医療法人の厚労省検討委員会委員を務めた橋本英樹が担当する。

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 新しい制度の創設は様々な議論をもとに行われますが、できた制度を育て進化させることはそれ以上に困難な作業だとつくづく思いますね、利害関係者が大幅に増え、議論を大所高所からまとめていくリーダーシップが求められる、そんな印象を持ちます、これも少子高齢化の日本社会、パラダイムシフトの試練なのでしょう。

早ふり返り、今年の1月

Posted by 秋山孝二
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 今年の1月も終わりを迎えています、手元にある写真から幾つかアップします。確かに静かにはスタートしたのですが、今年は最初からトップスピードのいろいろな動き、このままでは前半で息切れしそうで要注意の私です。

東京のホテルロビーで

東京のホテルロビーで

札幌JR手稲駅からの手稲山

札幌JR手稲駅からの手稲山

理事の半分が一月生まれ!

「きたネット」、出席した理事の半分が一月生まれ!

 

 1月23日退任した福島県双葉町の井戸川克隆町長のご挨拶です(http://www.town.futaba.fukushima.jp/message/20130123.html/)。現場を預かる方の心からの叫びで、胸が痛みます。

 先日、私の誕生日に、ブログで熱い思いを伝えて下さいとのメッセージを頂きました。この度のアルジェリアでのテロ事件、先日の官房長官談話では「巻き込まれた日本人犠牲者」みたいなフレーズがありましたが、それは官僚の作文でしょう、「巻き添え」ではなく、日本人を標的にした明らかな「テロ」ですよ。なぜ、責任を回避するような表現をするのでしょうか、日本を取り巻く世界は大きく変わっているのですよ。

 この事件についてある新聞記事には、「今後は政府と企業との共同による情報収集が必須」とか書かれていましたが、とんでもありませんね。企業は自らのリスクで海外事業を展開しているのであって、市場、カントリーリスク等を織り込んで、ギリギリの線で国・地域に貢献し続けてきているのです。今さら、無責任な政府に何を頼ると言うのでしょうか、まさに日本のマスメディアのピンボケで無気力な姿勢が丸見えだと私は感じました。

 一方、学校での体罰の議論も年始から多かったです。私は夜回り先生・水谷修さんのブログ(http://www.mizutaniosamu.com/blog/010diary01/post_81.html)に注目しました。どちらの眼差しから事件を捉え、どう対処するか、決定的に市長は懲罰的で、彼に今後も教育を語らせることは危険です。教育理念、政策には、育つ時間を見守る「見識」が必要であり、言い換えるならじっと待つ懐を持っているかどうか、それは決して甘やかしでも緩みでもありません、まさに育つのに必要な大切な時間の価値を認識できるかどうかだと思います。

 そんなこんなしていると、千葉県の房総半島に雪が降りました。如何に慣れていないとはいえ、各インターチェンジの傾斜で車がスリップして閉鎖が続き、逆に超ノロノロ運転でかえって危険な車もありました、脆弱な車社会です。

高速道路から房総の雪景色

高速道路から房総の雪景色

房総半島から東京湾越しに見る富士山も素晴らしい

房総半島から東京湾越しに見る富士山

 新年の富士山の雄姿は格別ですね。広いすそ野が如何にも安定感を醸し出します。昨日の富良野塾・倉本總(http://www.kuramotoso.jp/index.php)さんは、「富士山は海抜ゼロメートルから登れ」とおっしゃっていました、本当の山の高さはそれでしか理解できないと。

「じゃぱどら ! 地区大会」、2年目の試み

Posted by 秋山孝二
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 昨年初めて試みた「じゃぱどら地区大会:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7214」は、札幌で活躍する演出家が、優れた日本の戯曲と向き合うために企画されましたが、今年も開催されています。

岸田國士と泉鏡花の作品

岸田國士と泉鏡花の作品

 今年、まずは岸田國士作、納谷真大演出、「命を弄ぶ男ふたり」、出演はイレブン・ナイン(http://eleven9.jp/)のナヤーン・納谷真大(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dbs/adviser1.htm)と、エダーン・江田由紀浩(http://eda-tora.at.webry.info/201202/article_2.html)の二人です。アフタートークも面白かったですね。

未明の線路脇で出会った二人の男のやりとり・・・・

未明の線路脇で出会った二人の男のやりとり・・・・

 納谷さんの富良野塾での先輩、FICTION(http://www.fiction.gr.jp/)主宰の山下澄人(http://www.actiblog.com/sumito/)さんから、ポイントでアドバイスがあったようです。舞台上に貼られたライン、身につけている草、口の中の金具への質問とその答え、本番までの過程を語る納谷さんと江田さんとのトークは、観終えた観客に更に楽しさを上乗せしてくれました、芝居と言うのは、いろんな要素が込められているのですね、お疲れの所、お二人、ありがとう。

 この作品のような、落ち着いたセリフのやり取り、合い間に入る汽笛と蒸気機関車の走り去る音等、飽きさせない2人の演技とともに、生きるか死ぬか揺れ動く命へのこだわり、「弄ぶ」と言う割には余裕も無く流れていく二人の姿が興味深かったです。

 後半の泉鏡花・作、清水友陽・演出、WATER33-39(http://water33-39.com/)「天守物語」も、20日まで公演で楽しみです。この劇団の代表が、「じゃぱどら!!」プロデューサーの清水友陽(http://water33-39.com/top.htm)さんです。

 これまで演劇は観たことが無いと言う方々にも、是非足を運んで頂きたいですね。普段使っていなかった脳の部分に、心地良い刺激を与えてくれることは間違いありませんよ!

富良野塾、「谷は眠っていた」

Posted by 秋山孝二
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 昨年は2月に、富良野塾の公演「屋根」に行きました。今年は「伝説の舞台、最後の公演!」と宣伝されている「谷は眠っていた」を見て参りました。http://www.furanogroup.jp/

車内の広告

車内の広告

 折からの風雪で高速道路が閉鎖され、昨年利用したバス「高速ふらの号」は運休で、急きょJRにより滝川乗換えで富良野に到着しました。滝川から富良野までの列車は一両、乗客は通学の高校生、比較的年配の方々と、地域の貴重な足として活躍していました。

JR富良野駅で

JR富良野駅で

 「富良野GROUP ロングラン公演 2010冬:谷は眠っていた~富良野塾の記録~」で、作・演出の倉本聰さんは26年間の富良野塾活動を振り返っています。「この春、富良野塾は26年間の幕を閉じますが・・・」で始まるこのメッセージに、倉本さんはじめ歴代の塾生の方々の並々ならぬ努力と精進の軌跡を感じます。

富良野演劇工場入口で
富良野演劇工場入口で

 実際、約2時間の公演では、鍛え上げた肉体の織りなす数々の場面は興奮の連続でした。歌詞を変えての中島みゆきの「ファイト:http://www.youtube.com/watch?v=zAVAwvKpokw」、さだまさしの「風に立つライオン:http://www.youtube.com/watch?v=TTYZn1EVWl0」も、彼らの思いとぴったりで力強かったですね。若い役者たちの躍動感あふれる舞台から、沢山のエネルギーを貰いました、感謝です。

富良野塾に思う

Posted by 秋山孝二
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 14日に富良野演劇工場での富良野グループ公演「屋根」http://www.furanogroup.jp/furanojyuku/index.html の千秋楽、昼・夜2回の公演を観てきました。17・18日には札幌公演も予定されていますね。富良野塾からはこれまでに300名を越える若い有能な役者・脚本家が育っています。勿論、芝居自身の面白さもありますが、私は倉本 聰さんの一番の功績は、今日までの人創りへの情熱だと思います。

「屋根」は、戦前・戦中・戦後の歴史を物凄いスピードで駆け抜けていく一つの家族の物語。濃密に時代時代が凝縮されていて、舞台とはいえ映像の世界でもありました。「川の流れのように・・・・」、「誰を恨むのでもなく・・・・」、「“屋根”が満天の星たちに語った物語・・・」、「熊を追い出しての自分たち人間の生活・・・」、「果たしてこの豊かさはいつまで続くのか?」、沢山のキーワードが、終演後も頭の中を駈け巡ります。そして、時代を越えた“本当の幸せ”とは?、のメッセージが分かりやすく伝わると同時に、場面場面の暗転は流した涙を拭くための気配りと、終わってから気がつきました。

今回やっと富良野の現地、富良野演劇工場に足を運ぶ事が出来ました。札幌駅バスターミナルから富良野駅前まで2時間50分、三日月食堂で懐かしいラーメンを食べて、富良野駅前から演劇工場までマイクロバスで10分、振りかえってみると札幌駅のバスに乗る所から、何か今回の芝居が始まっていたような気がします。富良野に近づくにつれて山並もそびえ立ち、駅前からは北の峯のスキー場も白い帯状に見えました。もう20年以上前でしたか、本州からのお客さんと一緒に滑りに来たのは。ダイナミックな素晴らしいスキー場だと感嘆していました。

会場入り口で防寒具に身を包み車の誘導をしている方が、どうも私の知っている方に似ていました。昼の部終演後には、その方がロビーで観客のお見送りをされていました。近寄ってお話をすると、何と今回の1か月公演の実行委員長をされているとか。実行委員長が率先して寒空の中車の誘導、地元の沢山の方々の協力・支援も受けての公演に、一層観劇、いや感激しました。

近年は、夏の観光客の方が多いそうですね。5年前に、私の東北の親戚たちとの「いとこの会」で、富良野のラベンダー園、美瑛のパッチワークの丘等を見て回りました。ラベンダーの畑は色も香りも写真以上でしたね。ラベンダーソフトアイスクリームも忘れられないし、経営者の富田さんは随分前からラベンダーの研究をされていた事も知りました。

昨日の早朝、ホテルから駅までのタクシー運転手が、「倉本さんの後が心配です」と言っていましたが、私は「沢山の若い方々が育ってきているではありませんか。むしろこれからが楽しみですよ」とお話をして、車を降りました。

1984年に設立した富良野塾は、富良野GROUPという創作のプロ集団として活動してきましたが、2010年の25期生卒塾をもって閉塾するそうです。この間の育成された数々の人材は、今羽ばたいていてこれからも活躍してくれるに違いありません。ホテルの窓から丘にある演劇工場の建物を見ながら、「担い手を育てる」価値を再認識し、私の夢は膨らみました。