今なお、大林宣彦監督

Posted by 秋山孝二
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 大林宣彦監督は今年お亡くなりになりましたが、先日は、NHK総合テレビでアーカイブス『あの人に会いたい』の放映がありました。

* https://www.nhk.or.jp/archives/people/detail.html?id=D0009250605_00000

~~~~~~~~~~~~~~~NHK HPより

 大林さんは昭和13年、広島県尾道市の代々続く開業医の家に生まれた。大学時代は自主映画製作に明け暮れ、れい明期のテレビCMを数多く手がける。昭和52年に「HOUSE」で商業映画デビュー。いわゆる「尾道三部作」では懐かしい地方都市の風景と若者たちの情感をみずみずしく描き、その名を高めた。晩年はがんと闘いながら戦争をテーマにした作品を作り続けた。誰よりも映画を愛し、その可能性を信じた82年の人生だった。

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 これまでにも何回か監督に関しては、私なりにもコメントしてきました。

* 関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E5%A4%A7%E6%9E%97%E5%AE%A3%E5%BD%A6

 札幌でお会いしたのは、北海道・芦別を舞台にした「野のなななのか(https://filmarks.com/movies/56266/spoiler」の北海道での先行上映に際し、大林宣彦監督、俳優の常盤貴子さん、品川徹さんらを囲んでの初日前夜でのパーティででした。「なななのか」は「七・七日:四十九日」です。ご案内を頂いたのはテレビでも報道されましたが、地元芦別の制作委員会(http://blog.goo.ne.jp/nanananoka)の皆さまでした。

野のなななのか

 そのパーティの時の写真、一生の宝ですね!

大林宣彦監督と女優の常盤貴子さんと札幌で

七七日忌(なななのか)法要を終えて

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 先月3日に亡くなった私の兄・一男(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=21621)の「七七日忌法要」を、先日、滞りなく終えました、横浜市の緑山霊園に眠ります。分骨をし、来年雪が融けてから妻の佐和子さんが札幌に携えて、札幌市・平岸霊園にも納骨する予定です、まだまだ喪失感は続きますが一つの区切りでしょうか。

 この法要に先立ち、12月1・2日には、勤務していた国立相模原病院の院長室に祭壇が設けられ、病院職員、ボランティア他の方々が400名を越えて献花に訪れて頂いたとのことでした。兄は、学生時代から日本赤十字奉仕団として幾つかの病院のボランティア活動に関わっていたので、院長時代もボランティアの皆さんへの関心が高かったのかなと、私は勝手に考えております。

兄・一男が眠る墓 横浜市・緑山霊園

兄・一男が眠る墓 横浜市・緑山霊園

墓誌にも刻まれて

墓誌にも刻まれて

横浜市青葉区の高台:緑山霊園

横浜市青葉区の高台:緑山霊園

 死去から一ヶ月少々経ち、ある意味では落ち着きを取り戻した感の親族ですが、城山三郎の「そうか、君はもういないのか」、ふと何気ない瞬間にそんな思いが頭をよぎります。

 法要前日の夜に、札幌で、私は映画「野のなななのか(http://www.nononanananoka.com/)」の監督大林宣彦さんの娘さん・大林千茱萸(ちぐみ)さん、結城登美雄さん、「スローフード・フレンズ北海道(http://slowfood-friends.org/)」の皆さんとの会食でした。

食と地域について:結城登美雄さん、大林千茱萸(ちぐみ)さんらと

食と地域について:結城登美雄さん、大林千茱萸(ちぐみ)さんらと

 千茱萸さんともお話をしたのですが、何か不思議な縁を感じましたね。翌日は、わたしは「七七日忌(なななのか)」法要、彼女は自身が監督した作品「100年ごはん(http://100nengohan.com/)」の上映会他、「スローフード・フレンズ北海道」のイベントでしたから。

* 結城登美雄さん――> http://www.ruralnet.or.jp/ouen/meibo/243.html

 「野のなななのか」については、以前に書きました――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19951

あるセリフ、映画「野のなななのか」

Posted by 秋山孝二
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 北海道・芦別を舞台にした映画「野のなななのか(http://www.nononanananoka.com/」については、5月にここに書きました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19951

  大林宣彦監督のこの映画への意気込みはこちらでも読み取れます(http://www.nononanananoka.com/message.html)。

 映画全体についてはさておき、私は5月にこの映画を観て、実はずっと気になっていたことがありました。ご覧になった方はお分かりでしょうが、後半部に、草原で鈴木冬樹、鈴木春彦兄弟が語る場面です。北海道・泊原発に勤務する弟の春彦(松重豊)が、これからの自分の人生について語ります、「北海道には『エネルギーチェンジ100プロジェクト』という活動があり、自分は泊原子力発電所の仕事を辞めてこの活動に参加しようと思う」、そう兄・冬樹につぶやくのです。

 私は、思わず「エネルギーチェンジ100プロジェクト(http://www.enechan100.com/?page_id=174)!」と一人繰り返してしまいました。何故なら、私自身、「認定NPO法人北海道市民環境ネットワーク(http://www.kitanet.org/」理事長として、この活動の発起人の一人であり、今年から「エネルギーチェンジ100ネットワーク(http://enechan100.blogspot.jp/」として独立した活動団体としてバージョンアップしていましたので。

 上映後から、このセリフのよって来たる所以を調べてみようと関係の方にあたってみたところ、このたび全て分かりました。

 まずは、この映画の原作者、演劇関係の劇団「弘前劇場(http://www.hirogeki.co.jp/主宰の長谷川孝治さんにお会いする機会が今月あってお聞きしたところ、この部分は彼の原作にはなく、大林監督が強く要望したとのことです。余談ですが私は以前からこの劇団のファンで、札幌劇場祭でもたびたび上演されていて大賞他も受賞されています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17165

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15633

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=15224

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11060

 そこで次に、この映画の制作委員会(http://blog.goo.ne.jp/nanananoka)メンバーで、地元で熱心に活動している「一の薬局(http://byoin.me/pharmacy/147440549/)」石川睦子社長にお電話で伺ってみました。調剤薬局の経営で地域の医療・健康に永年ご尽力されている石川先生には、私はお亡くなりになった石川博識先生とともに幼い頃からお世話になり、また商売上は秋山愛生舘、今の医薬品卸「スズケン」としても大変ご愛顧頂いてます。石川先生はいつものお元気なお声で、セリフは確かに自分の記憶にあるけれど、誰が大林監督にアドバイスしたかは、恐らく芦別で学芸員をやっているハセヤマさんが知っていると思うのですぐに連絡してみます、とのご返事でした。ハセヤマさんのお名前をお聞きしてアレッと気になって私は電話を終えて確認してみましたら、芦別市役所(http://www.city.ashibetsu.hokkaido.jp/)の長谷山隆博さんで、昨年の秋山財団と前田一歩園財団との合同報告会において、15番目に活動報告をされた方でもあります。秋山財団の宮原広幸常務理事(芦別出身)の高校の後輩になり、以前からお名前を承知していました。

* 昨年の合同報告会の様子――>  http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=17201

 翌日、石川社長、長谷山さんから相前後してご連絡を頂き、このセリフの情報提供者が分かりました。今回の発信源である制作委員会事務局で活動され、旭川市役所所属、現在釜石でお仕事中の酒井智則(http://d.hatena.ne.jp/haruka_nostalgie/)さんです。

 大林監督が脚本を作られる時に、泊原発の将来の方向性や、登場人物(春彦)が原発を退職したあとの選択肢を考えたいとのことで、酒井さんが集めた資料の中にこのプロジェクトがありました(インターネットで見つけたそうです)。酒井さんは、「できあがった脚本の中に、プロジェクトの名前がそのまま使われていたのでちょっとびっくりしましたが、多くの方に伝わる良いきっかけになりましたね」と、FBを通じてご連絡を頂きました。

 そして、この間私と一緒にずっとこの「セリフ」を追いかけてきた「エネルギーチェンジ100ネットワーク」代表・宮本尚さんは、今、語っています。

~~~~~~~~~ 宮本尚さんのコメントから

  名前を出していただいたのも光栄ですが、こうして私がとても喜んでいる理由は、北海道の「未来」のために変わっていこう!という登場人物の選択として、取り上げられたことなんです。全国のみなさん、ぜひ映画「野のなななのか」を見てくださいね。
映画の中のセリフだけ聞くと、架空のプロジェクトに感じるかも。

  実際「北海道エネルギーチェンジ100プロジェクト」で、具体的に、発電所をつくってる、とか、そういう組織ではありません。でも、今年5月に立ち上がった新団体北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク」には、地域で自然エネルギーをつくり出している方、省エネルギーの活動で成果をあげている方、環境保全に関する活動をしている方、教育に関わっている方など、いろんな分野で実績をあげてきている方が参画してくださっていて、どんどんネットワークが拡がってきています。みなさま、応援お願いします。会員も募集中です!

「北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク」 http://enechan100.blogspot.jp/

~~~~~~~ 引用 おわり

 これまでのリアルな繋がりをたぐり寄せて、今回の「『セリフ』のよって来たる所以」調査(?)は、思わぬネットワークの再確認となりました。一本の映画の一つの「セリフ」がこんなにも多くの方々の関係性を背景としていること、そして、私自身のこれまでの人生の積み重ねとも言えて、大きな感動を覚えるのです。今回関係した皆さん、お問い合わせをするとすぐに連絡を取って頂いて、空間を稲妻が走るがごとくアッという間に情報がつながっていく、そんな「凄さ」を感じました。

 ネットワーキングのスピード、それは個々の活動の「ホンモノらしさ」に比例するのでしょうね、久しぶりのワクワク感でした!

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<追記:2014.12.13>

 実は、上記のブログを書いてから、縁あって大林宣彦監督の娘さん・大林千茱萸(ちぐみ)さんとお会いする機会があり、そこでさらにこのセリフに至った詳細を伺いました。映画のセリフに入れる場合は、大変慎重な言葉の吟味・検証を行うそうです。特に活動の場合は、代表者の信頼性、活動の公開性、今後の継続性・可能性等です。今回の場合、その辺りを念入りに千茱萸さんのご主人がかなり時間を掛けて行っての結果とのことでした。映画はまさに、大変多くの方々のご尽力でできあがるのですね。そんな厳しい検証をパスしたこの「北海道エネルギーチェンジ100ネットワーク」に関わる者として、嬉しくもあり、誇りにも感じます。

「野のなななのか」、全国上映!

Posted by 秋山孝二
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 ここにきて、私の周りでは映画の話題が続いてます。

 まずは、北海道・芦別を舞台にした「野のなななのか(http://www.nononanananoka.com/」です、「なななのか」は「七・七日:四十九日」です。先日は北海道での先行上映に際し、大林宣彦監督、俳優の常盤貴子さん、品川徹さんらを囲んでのパーティが初日前夜、札幌市内で開催されました。以前にテレビでも報道されましたが、地元芦別の制作委員会(http://blog.goo.ne.jp/nanananoka)の皆さまが大勢ご出席でした。

大林宣彦監督と女優の常盤貴子さんと札幌で

大林宣彦監督と女優の常盤貴子さんと札幌で

 本州では今週末から、北海道ではすでに各地で上映中で、札幌でも複数館で観られます。

 その一つの札幌のシアター・キノ(http://theaterkino.net/では、ゴールデンウイークに面白い映画が連続して上映中です。一つは、「8月の家族たち(http://august.asmik-ace.co.jp/」、メリル・ストリープ、ジュリア・ロバーツほか、役柄と役者の個性が見事なコラボレイト、会話のやり取りほか表情にも目が離せませんでした。

円熟した役者たちとストーリー

円熟した役者たちとストーリー

 そして、「ワレサ、連帯の男(http://walesa-movie.com/」です。あの時代の東ヨーロッパは、ハンガリーの歴史にもダブり緊張感がありました。「変革のリーダー」というよりも一人の夫・父親としての人間味を前面に出したアンジェイ・ワイダ監督の意図が魅力的でした。

懐かしのワレサ、英雄というより一人の夫・父として

懐かしのワレサ、英雄というより一人の夫・父として

 監督の意気込み、それを支えるロケ地の方々の熱意、そして演じる俳優の方々、一つの作品を創り上げるのにご尽力された皆さんの多彩なサイドストーリーは、映画の面白さを一層引き立てる素晴らしい宝の山ですね。演劇も同じように、その作品を観る楽しみから、さらに周辺の多くのこぼれ話も時間を掛けて巡ると何倍も喜び、気づきが膨らみます。

【追記】

 この映画の原作「なななのか」は、演劇の「弘前劇場(http://www.hirogeki.co.jp/)」代表の長谷川孝治さん、そして、終盤の四十九日の草原の中で、泊原発につとめる彼が、「北海道には、『エネルギーチェンジ100プロジェクト(http://www.enechan100.com/)』という再生可能エネルギー推進の活動がある」と語る場面もありました。そういう彼は、泊原発を退社する決断をしたのですよ。