北を語る会・移動例会 2016 (5 最終)

Posted by 秋山孝二
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 今回の一泊二日の終盤プログラムは、増毛を出発し雄冬峠を越えて、さくらんぼ狩りの「木村果樹園(http://www.kimurakajuen.com/」に到着です。園主の木村武彦さんから果樹園の歴史等を伺いました。1878(明治10)年に開園し、4代にわたって果樹園を営んでいるそうです。面積は約5ヘクタールあり、サクランボをはじめりんご、梨、ぶどうほか、たくさんの品種を生産しています。サクランボは「佐藤錦」、「南陽」、「紅秀峰」をその場で食べたり、持ち帰り用に採りました。

 「佐藤錦」は少し小さ目の実で色は深紅、昔からの品種ですね

 「南陽」は大きい実で色は黄色っぽい

 最後の訪問は、「はまます郷土資料館(http://www.city.ishikari.hokkaido.jp/soshiki/h-syougai/2729.html」です。元白鳥家が経営していた鰊建網漁場の番屋で、1899(明治32)年に建てられたものです。鰊漁の歴史とともに歩んだ番屋も、1955(昭和30)年以降の漁の衰退によって放置され、崩壊寸前でしたが、1971(昭和46)年、浜益村は開村百年の記念事業の一環として、この番屋を復元、「浜益村郷土資料館」として甦らせました。

ニシン御殿跡は郷土資料館

ニシン御殿は郷土資料館へ

ヤン衆の集まる居間

ヤン衆の集まる居間

親方の場所

親方の場所

ニシン漁の熱心な説明

ニシン漁の熱心な説明

 そして名残惜しいですが、最後の休憩所で夕方の日本海を望みながら・・・。

どんより曇った日本海を名残惜しそうに見て

どんより曇った日本海を名残惜しそうに見て

 増毛町の「元陣屋(http://motojinya.blogspot.jp/」見学でも分かったのですが、北海道の近代史というと「松前藩」とか「開拓使」と言われますが、実は、北海道全域の統治には、実に多くの藩が参画してそれぞれ格闘していたことを知りました。歴史に学ぶ、まずは身近な地元北海道の文化の歴史、縄文、擦文、アイヌ等、まだまだ学ぶことがたくさん、近隣外国との交易も、随分盛んに行われてたことがたくさんの証拠品から分かってきています。

 実り多い郷土の歴史探索でした、ありがとうございます!

北を語る会・移動例会 2016 (4)

Posted by 秋山孝二
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 増毛駅(http://uu-hokkaido.jp/recommend/mashike.shtml)界隈は風情があります。

終着駅

終着駅

すぐ先には灯台も

すぐ先には灯台も

駅舎はお土産と休憩所

駅舎はお土産と休憩所

ニシン漁の舟(実物大)

ニシン漁の舟(実物大)

 高倉健主演の映画「駅(STATION)(http://blowinthewind.net/cinema/station.htm」の舞台でも有名です。

高倉健主演の「駅」も

高倉健主演の「駅」も

 国稀酒造に先立って訪問した「旧商家丸一本間家(http://www.town.mashike.hokkaido.jp/kyoiku/honmake.html」の帳場ほかも興味深かったですね、国稀酒造はここの酒造部が独立分離したものです。屋根瓦の一枚一枚には家紋が彫り込まれ、壁面や門柱には洋風の装飾が施されるなど 当時の建築職人の心意気が感じられます、今の企業に比べて文化の香りがそこかしこにあります。

 本間家は「丸一本間」の屋号で、呉服商に始まり、鰊漁の網元、海運業、酒造業など時代とともに多岐にわたり事業を展開し、家屋もそれに伴って増築していったと説明してくれました。

本間家の帳場で

本間家の帳場で

一生懸命説明してくれた学芸員

一生懸命説明してくれた学芸員

 北海道の近代の一断面を、このような若い方が一生懸命に説明する姿、こみ上げる感動ですね、歴史ツーリズムは、まさに地域の歴史を紡ぎ出す今を生きる人間たちの努力の末に生まれるものなのでしょう、大変勉強になりました。「ひとりひとり生きた」軌跡をリスペクトして丁寧に拾い出す作業とでも言うのでしょうか。

北を語る会・移動例会 2016 (3)

Posted by 秋山孝二
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 浦臼から宿泊の増毛町「オーベルジュましけ(http://www.auberge-mashike.jp/」へ。増毛の夜は、国稀酒造(株)(https://www.kunimare.co.jp/の林眞二代表取締役社長の講演でした。

 「国稀」は増毛町が暑寒別岳連峰から豊かな残雪を源流とする伏流水が湧き出ているため、非常に良質な水が得られることから、自家用として造り始めた酒が愛飲され今日に至っているとのこと。

社長の講演

林眞二社長の講演

 「国稀」は初代本間泰蔵が、増毛郡役所に醸造免許鑑札願いを届け出た1882(明治15)年が創業です。創業者本間泰蔵は、1849(嘉永2)年、新潟県佐渡の仕立て屋の三男として生まれ、1873(明治6)年23歳で小樽に渡り呉服店の養子格の番頭として働き、ニシン景気でわく増毛にしばしば行商で来ていましたが、1875(明治8)年に増毛に移り住み呉服商を始めました。

 創業から20年間は、旧本店(現「旧商家丸一本間家 http://honmake.blogspot.jp/」、国指定の重要文化財)敷地内にある醸造蔵で酒が造られていました。しかしニシン豊漁による好景気が続き、酒の需要が増え続け、創業時の設備では量産できないところから、1901(明治35)年、現在地に地元産の軟石を使った酒蔵を建設しました。同年に合名会社となり、丸一本間合名会社酒造部として永きにわたり営業していましたが、合名会社設立から100年目の2001(平成13)年に、「国稀酒造株式会社」と社名を改めました。

ずらり試飲用ラインアップ

ずらり試飲用ラインアップ

 二次会は参加者の部屋で、差し入れの新鮮な甘えびをつまみにさらにお酒で懇談が続きました。

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

二次会の部屋には差し入れの甘エビが大盛りで

 翌日は遠藤水産(株)の港町市場(http://www.m-ichiba.jp/mashike.htmlです。新鮮な魚介類のほか、ウニの殻むきも忙しそうでした。

ウニをむく人たち

ウニをむく人たち

 前日、林社長の講演を聞き、一夜明けて国稀酒造(株)の酒蔵見学です。

銘柄がずらりと

銘柄がずらりと

樽の中で熟成

樽の中で熟成

 たくさんの見学者で賑わう酒蔵で、職員の方の熱心な説明を聞きました、試飲もできてよかったです、以前訪問した時は、車で行ったので私は飲めなかったので。

 ニシン漁、北前船、湧き水等、国稀酒造訪問から北海道の歴史をあらためて知る機会となりました。

北を語る会・移動例会 2016 (2)

Posted by 秋山孝二
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 午後からは空知の浦臼町へ、「内ファーム21(http://www.jinnaifarm21.co.jp/index.html」の見学です。設立者の神内良一(http://www.jinnaifarm21.co.jp/greeting/greeting.htm)さんは、大手消費者金融会社「プロミス」創業者、香川県の農家に生まれ、 北の大地・北海道での農業開拓を夢見て、会長引退を機に農業への貢献を新たな目標として私財を投じ、1997年、「神内ファーム21」を設立しました、「我が人生、最後の真剣勝負」と。

 北海道有数の農業地帯として知られる空知、そのエリア内にある浦臼(うらうす)町の丘に約600ヘクタールの農地を所有しています。マンゴーやパイナップルなどをはじめとする南国果樹の栽培、広大な敷地で育まれた栄養豊富な「あか毛和牛」の飼育。「克冬制夏」を合言葉に、寒冷な冬の気候に左右されず1年間を通じて安定生産の実現を目指しています。春は桜並木、夏はラベンダー畑といった北海道ならではの美しい風景や、果樹園でのフルーツ狩りなど、四季折々の魅力で、先日もたくさんの訪問客でいっぱいでした。

陣内ファームのラベンダー畑

神内ファームのラベンダー畑

 マンゴー栽培の温室で説明を聞きながら、科学的手法に裏付けられての信じられない程の手間の掛け方で、品質の高い実を生産している様子を知りました、温度、湿度、栄養バランスほか、ですね。

温室内はマンゴーの実がたくさん!

温室内はマンゴーの実がたくさん!

パイナップルの実も!

パイナップルの実も!

実験的に栽培中のバナナ、花(下)と実(上)

実験的に栽培中のバナナ、花(下)と実(上)

 「あか毛和牛」の牛舎前での説明では、新しいカテゴリーの「赤毛和牛」とそのブランド化への努力が注目でしたね。ストレスを掛けない牛の放牧・給餌ほか、細心の注意を払って科学的な飼育を試みています。生産・飼育から販売までの一貫したマーケット創造の理念は参考になります。

赤毛和牛の飼育

あか毛和牛の飼育

新しい赤毛和牛のジャンルで勝負

新しいあか毛和牛のジャンルで勝負

 さらに、2003年、21世紀の農業企業化モデルの開発を目的として「財団法人北海道農業企業化研究所(HAL)http://www.hal.or.jp/」、2005年、新しい農業ビジネスの実践、普及を図るため、「神内ファーム夢現塾(http://www.jinnaifarm21.co.jp/mugen/index.htm」をそれぞれ設立。 経済的にも精神的にも豊かな農業の結実を推し進めています。10年くらい前に、HAL財団の贈呈式に出席したことを思い出しました。

 やはり、商品開発、ブランド化の次は、人材育成にたどり着くのでしょうね、解説の濃密な内容とともに、そのプロセスを知ることができて貴重な訪問となりました。

北を語る会・移動例会 2016 (1)

Posted by 秋山孝二
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 異業種交流「北を語る会」の移動例会が、増毛一泊ツアーで開催されました。

 これまでの記事はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%80%8C%E5%8C%97%E3%82%92%E8%AA%9E%E3%82%8B%E4%BC%9A%E3%80%8D

 初日は札幌駅からまずは月形町の「月形樺戸博物館(http://www.hokkaidolikers.com/articles/2528」です。

 1881(明治14)年、現代日本の創世記のころ、1874(明治7)年の佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、1876(明治9)年の萩の乱、翌年の西南戦争など多くの内乱が発生しました。明治政府は、これら内乱で逮捕された人たちを国事犯・反乱分子として、隔離・収監する必要に迫られ、その地を北海道に求めました。こうして、アイヌの人たちが「川が合流する地点」(シベツブト)と読んでいた月形に、全国で3番目、北海道で最初の集治監「樺戸集治監」が建てられたのです。

 初代典獄(今で言う所長)は、月形潔でこの方の姓からまちの名前になりました。この地は、背後にヒグマが生息する樺戸山々を従え、前面にはとうとうと流れる原始の石狩川が広がる、逃亡不可能な自然の要塞だったのです。ここでは、樺戸集治監の開監から廃監までの39年間のあゆみを、豊富な資料でドラマチックに展示再現しています。

 この日案内して頂いたのは月形町長の櫻庭誠二さん、「矯正広報大使(名誉典獄)」の名刺もお持ちです。北海道の道路、鉄道は、殆どはここに収監されていたような囚人たちによって出来上がったものであり、今を北海道に生きる私たちは、その歴史と功績に感謝し、きっちり讃えて伝えていく責任があるとの町長のお話は、実に説得力がありました。

本部建物前で

本部建物前で

町長の熱弁!

櫻庭誠二月形町長の熱弁!

 初代の樺戸集治監典獄であった月形潔の功績をたたえ、北漸寺の境内に1906(明治39)年に建設され、現在は、月形樺戸博物館本館前に移設されています。

月形潔の顕彰碑

月形潔の顕彰碑

月形潔の銅像

月形潔の銅像

 月形町では、北海道の内陸に初めて道を切り開き、非人道的な使役で倒れた人びとを、毎年夏に「樺戸監獄物故者追悼式(http://www.town.tsukigata.hokkaido.jp/3680.htm」を町主催で開催し、今も手厚く供養し、囚人墓地に眠る1,022名を慰霊しています。

 私は、桜庭町長のお話を聞きながら、歌手の新井英一が歌う「無名戦士の墓(ヴィソーツキイ」を思い出しました。

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1. 十字架もなく眠る友よ 花に埋もれさびしく

涙そそぐ人の群れに 妻の姿さがして

ひとりひとり生きたのに みんな同じ墓の中

血のにじむ土の上に 冷たい石の記念碑

2. 君たちの胸に燃えさかった 炎は何を焼いた

ぼくらの国の畑と となりの国の都を

ひとりひとり生きたのに 妻たちも知らない

十字架もない墓場に 重たい雨が降るよ

ひとりひとり生きたのに 妻たちも知らない

十字架もない墓場に 重たい雨が降るよ

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 誰が最初に井戸を掘ったのか、私たちは決して忘れてはなりません。郷土の歴史を情熱を持って伝え続ける櫻庭誠二町長の姿に感動しました。