木朝会 第342回

Posted By 秋山孝二
Categoirzed Under: 日記
0 Comments

 今年で31年目となる木朝会、2018年初めての最初は、「公益財団法人 札幌交響楽団(http://www.sso.or.jp/」の総務営業部中川広一次長による「オーケストラの裏側」でした。

* これまでの木朝会の記事はこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A

 当日は、永井健専務理事、庄司寿子総務営業部部長もお越し頂き、普段なかなか聞けない裏方の皆さんのご活躍を垣間見た気がします。沿革はこちら――> http://www.sso.or.jp/sso/profile/

 札響歴史の説明で、発足時から初期の時代、初代常任指揮者荒谷正雄先生、初代理事長阿部謙夫(元北海道放送社長)、北海道銀行島本融(とおる)初代頭取、等、懐かしいお名前をお聞きしました。

設立当初の様子

設立当初の様子

設立世話人会

設立世話人会懐かしいお名前がズラリ

 この56年間の中で、事業は大きく拡がりを見せています。

事業の幾つか

事業の幾つか

 札響の高いレベルは国内外の評判ですが、本当に札幌・北海道の宝であり誇りですね。そして、ここまで温かく応援してきた多くの道民の皆さんにも感謝したいです。私が小・中・高校の6年間習った上原与四郎先生も、群馬交響楽団から移籍したチャーターメンバ―でした。映画『ここに泉あり(http://www.ne.jp/asahi/gensou/kan/eigahyou44/kokoniizumiari.html』は、1955年2月12日公開の日本映画。中央映画製作、独立映画配給。監督は今井正、主演は岸恵子。モノクロ、スタンダード、150分。 高崎の市民オーケストラが、群馬交響楽団へと成長する草創期の実話を舞台としたヒューマンドラマです。その群馬交響楽団から7名が札幌交響楽団に移籍して、当時、「泉が枯れる」との批判を受けたと、永井健専務理事からその場で伺いました。

* 上原与四郎先生についての記事――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4859

 「芸術文化を育てる」と簡単には言いますが、やはりその時代の人に恵まれないとできないことですね。当事者の芸術家だけではなく、経済界の見識とか人物の大きさとかです。今、そんな人材の劣化を痛感する中、私なりに何か貢献できればと思っています。

Comments are closed.