優れた取材による報道を褒めようじゃないかという素朴な集団、「メディア・アンビシャス(http://media-am.org/?page_id=2)」が、今年も大賞ほか、映像部門と活字部門の選考が始まっています。大賞他の授賞式は、今年は2月26日午後6時から、中央区南3条西6丁目シアターキノ(http://theaterkino.net/)で予定されています。
マスメディアへの批判は巷にたくさんあり、私も日々感じている所ですが、そんな中でも、地道に番組制作に挑戦し続けている方々がいらっしゃるのも私たちは知っています。「視聴率」に日々追い立てられながらも、このような方々に対して少しでも励みになるのならとスタートしたこの市民の集まりは、毎月の例会を経ながら、年1回、その年に報道された映像・活字部門に分けて、会員の議論で選考を行います。今年も力作が多く、議論も盛り上がってきています。これまで、例会等については、数回この欄でも記載しました。
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それにしても、私たちは日々の忙しさに紛れてしまって、数々の重要な事実さえ置き忘れていることを痛感します。それらを丹念に掘り起こし、拾い上げて、時間を掛けてドキュメンタリー等に仕上げるジャーナリストたちの技(わざ)は、今の混とんとする国際情勢ゆえにきわめて重要な仕事と思います。昨日・本日と、映像系のノミネート作品をあらためて観ていて、担う皆さま方のご努力に頭が下がります、情報をただ「消費するだけ」ではいけない、賢い市民になって、今日からの活動に活かさなければと。
2011年の3・11以降、調査報道の価値が一層語られてきています。一方的な記者会見の垂れ流しは、マスメディアの怠慢ではありますが、昨今、インターネットにアップされるインディペンデントメディアからの報道、世界の専門家からのメッセージにより、その気になればかなりの多様な情報を手に入れる環境でもあります。放射線被曝問題では、世界の研究者が実に的確なコメントを掲載しているサイトもたくさんあります。むしろ、日本のこの分野の研究者、自然科学に身を置くアカデミックセクターの人間達の沈黙に憤りを感じるのは、私一人ではないのではありませんか。「科学者の良心」といったものがどこへ行ってしまったのか。今、自国民にこれまでの研究に基づいた信念を語らずして自分の存在はいか程のものか、私はそう問い詰めたい気持です。
どんな時代にもどんなセクターにも優れた人々は生きている、わずかな鉱脈を手繰り寄せるような作業が、3・11以降の日本社会の市民には必要なのでしょうね、それが今を生きる私たちの責任だと思います。