ハーバード大学 新年会 2024 

Posted by 秋山孝二
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 東京の国際文化会館で開かれたハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所日米関係プログラム(https://us-japan.wcfia.harvard.edu/の新年会に参加しました。

* これまでの関連記事ーー> 秋山孝二の部屋 (akiyama-foundation.org)

セミナーと交流会の間で

セミナーと交流会の間で

 現在のプログラムディレクターであるクリスティーナ・デイビス教授によると、コロナ禍で長らくリモートによる講義や発表となり、研究生たちの受け入れや交流が難しかったようですが、何とか昨年からは従来の形に戻ってきてるようです。3年ぶりの昨年は私は不参加でしたが、今年は久しぶりに出ることができました。

 この「Program on U.S.-Japan Relations(旧日米関係研究所)」の初代ディレクターは、東アジア研究で著名な故エズラ・ボーゲル名誉教授です。戦後の日本経済の高度経済成長を高く評価して1979年に書いた書籍「ジャパン・アズ・ナンバーワン」が、日本でも特に著名です。今回もエズラ・ボーゲル先生からバトンタッチを受けた2代目のディレクター、スーザン・ファー教授もご参加で、交流会でお話をすることができました。昨年ご主人を亡くされて気落ちされていましたが、お住まいは以前の場所で変わらずとか。

 以前にも書いていますが、1996年から『AKIYAMA AWARD』を設立して、博士課程の日本研究への助成を続けていて、昨年まで28回を重ねています。現在のクリスティーナ・デイビス所長は、その第一回目の受賞者で、私としても思い入れもひとしおです。

* AKIYAMA AWARDーー> https://us-japan.wcfia.harvard.edu/akiyama-award

 今回は、セミナー開始前に1時間ほどデービス所長と藤平事務局長と個別に面談する時間も取って頂き、近況報告と今後のこの賞の展開について意見交換ができてよかったです。1980年代に北海道・マサチューセッツ州の姉妹都市締結を機会に、スーザン・ファー先生とお会いして以来、継続した関係を維持してきた歴史に、私は何ともこみ上げる感動を抱きながら会場を後にしました。

六本木の国際文化会館の玄関を出ると六本木ヒルズがそびえ立ち、鳥居坂は何回来ても急な坂ですね。

鳥居坂

鳥居坂

追悼 エズラ・F・ヴォ―ゲル先生

Posted by 秋山孝二
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 日米中の関係構築に大きな功績を残したハーバード大学のエズラ・F・ヴォーゲル名誉教授が2020年12月20日に90歳で亡くなられました。ヴォーゲル教授は1958年に社会学博士号をハーバード大学で取得後、2000年に退職されるまで、ハーバード大学において東アジア研究所所長、フェアバンクセンター所長、アジアセンター初代所長、日米関係プログラム所長などを歴任され、60年以上に亘り東アジア研究の第一人者として活躍されました。また国家情報会議(NIC)の東アジア・太平洋担当の国家情報官を務めるなど米国の対アジア政策でも重責を担われました。1958年から1960年には日本に滞在され、1979年に『ジャパン・アズ・ナンバーワン』を出版して日本でベストセラーになったのは私たちにとっても忘れ難い出来事でした。

 今年2月の追悼シンポジウム(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000001.000093432.html)に続いて、先日、追悼レセプションが東京でリアルに100人を越える参加者で開催されました。

会場前のエントランスで

会場前のエントランスで

100人を越える方々!

100人を越える方々!

ご親族に皆さまも

ご親族の皆さまも

 林芳正外務大臣はじめ縁のある日本の方々のスピーチに続き、ビデオメッセージもアメリカから寄せられました。私がお世話になっているスーザン・ファー先生、日米関係研究所のクリスティーナ・デービス所長も。

* スーザン・ファー先生関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E5%85%8

* 日米関係研究所関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%97%A5%E7%B1%B3%E9%96%A2%E4%BF%82%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80

 今回の実行委員会の奈良澤事務局長のご挨拶、私へのお声かけを頂き心から感謝申し上げます。

 最後はご親族を代表してスティーブン・ヴォ―ゲル先生の御礼のご挨拶でした。

カリフォルニア大学バークレー校教授

カリフォルニア大学バークレー校教授

 当日、出席者に配布された追悼冊子には各界の錚々たる方々が寄稿されていて、そこに私の一文も載せて頂いています。

 帰り際にクロークで坂東真理子さんと少しお話をしましたが、人間関係を大切にしてきたヴォ―ゲル先生を偲びながら、最近の日本の知識人・リーダーは義理人情に欠けるところが多いですね、と。「顔が悪くなった日本人」とどなたかがおっしゃっていましたね、肝に銘じたいものです。

『差別』を語る!

Posted by 秋山孝二
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 こちらが主催のオンラインイベント、新しい気付きが満載でした。今回、ハーバード大学の日米関係研究所からご案内がありました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=37754

 今の時代だからこそ観ることができて、身の回りの差別について気づくこと、知ること、そして、差別に対して考えていくヒントを得られたような気がします。

Japan https://japan.girlsintech.org/blog/

 トークの詳細はこちらーー> https://japan.girlsintech.org/%e3%82%a4%e3%83%99%e3%83%b3%e3%83%88%e5%a0%b1%e5%91%8a%ef%bc%

~~~~~~~~~~~~~~HPからの引用

 最近,差別の話を日本でもアメリカでもよく耳にしますね。

 ニュース等で話題には上がるけれど自分では話題にしにくいなぁとか、私は当事者ではないから差別について話すべきではないのではないかと思っていませんか?

 でも、差別は様々な形で私たちの周りに日常的に蔓延しています。私たちも無意識のうちに誰かを傷つける差別的発言をしているかも知れませんし、海外では私たち日本人も差別を受けることがあるかも知れません。

 そこで、国内外様々な分野で活躍する女性をお呼びし, ジョージフロイド氏の事件を機に世界的に広がりをみせたBlack Lives Matter運動を始めとする人種差別問題だけでなく,性差別など差別全般について話し合うイベントを開催します。

 パネリストには,差別と偏見の違いや、私たちの日常生活に浸透する差別や偏見に基づいた行動や言動について話し合っていただき、身近で起こっている差別に関する意識を深めたいと思っています。

 イベントは日本語で行われます。グローバルな視点での行動を取りたい日本語話者,日常的に海外との仕事等やり取りが多い日本語話者の方々が主な対象となると考えています。

8/1 (土)第一回目は,「知る・気付く」
8/22 (土)第二回目は,「行動する」
で開催します。

~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 Part2ももうすぐですね。

祝、スーザン・J・ファー先生!

Posted by 秋山孝二
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 独立行政法人国際交流基金(The Japan Foundation http://www.jpf.go.jp/j/index.htmlの今年度「国際交流基金賞(http://www.jpf.go.jp/j/about/award/archive/2016/index.html)」に、ハーバード大学のスーザン・J・ファー教授が選出され、先日、東京でその授賞式と2日後に特別講演会が開催されました。

 これまで私がファー先生関連で記載した記事はこちら、先生と秋山との関わりは最後に書きました:

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23296

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=23298

 授賞理由は以下の通りです。~~~~~~~~~~~~~~~~~

 スーザン・J・ファー氏はアメリカにおける日本研究を長年にわたり牽引してきた。1975年にコロンビア大学で政治学博士号を取得後、米国社会科学研究評議会、ウィスコンシン大学マディソン校、戦略国際問題研究所などを経て、1987年にハーバード大学に迎えられ、1991年にエドウィン・O・ライシャワー記念日本政治学講座教授に就任。1987年以降、同大学ウェザーヘッド国際問題研究所日米関係プログラム所長を務めるほか、2011年までの7年間、ライシャワー日本研究所所長を兼務した。女性の参政権や両性の平等の原則を掲げた革新的な日本国憲法の制定過程に関心を抱き、戦後日本における女性の政治参加を調査したのが日本専門家としての同氏の出発点である。

 以後、先進諸国における比較政治学、日本と東アジアにおける民主化と社会変容、市民社会と非営利組織、政治倫理と汚職、環境をめぐる政治学、政治におけるメディアの役割、女性の活躍とリーダーシップへと研究対象を広げてきた。いずれも今日、重みを一層増しているテーマであり、その先見性と比較政治学の視点に基づいた日本政治への洞察は、多方面から高く評価されている。

 ハーバード大学では、これまで約2000件のセミナーやシンポジウムを実施し、約600人のフェローの研究を支援してきた。その多くが現在、日本やアメリカをはじめ、世界各国の学界、メディア、財界、官界、政界、市民社会などで指導的立場にある。 また、日米友好基金やアジア財団の理事、日米文化教育交流会議(CULCON)委員、マンスフィールド財団「日米次世代パブリック・インテレクチュアル・ネットワーク事業」の諮問委員等を務め、日米間の知的交流の深化のために尽力してきた。ファー氏のバランス感覚に富んだ、フェアな日本理解の姿勢は柔和で誠実な人柄とともに敬意を集めている。 このように日米を中心とした国際相互理解の増進に長年にわたり顕著な貢献があり、その業績は国際交流基金賞にふさわしい。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 ホテルオークラ東京での授賞式には、100名程の関係者の見守る中、今年の三人の受賞者が壇上で表彰され、それぞれショートスピーチをされました。ファー先生の日米関係の研究履歴等、ウィットに富んだお話でした。

  理事長とともに写真撮影するスーザン・J・ファー教授

  理事長とともに写真撮影するスーザン・J・ファー教授

受賞後のショートスピーチ

受賞後のショートスピーチ

 二日後には、六本木の国際文化会館で、「ハーバード大学教授/同大学ウェザーヘッド国際問題研究所日米関係プログラム所長スーザン・J・ファー氏 講演会『日米関係の謎―50年を振り返って―』」と銘打っての特別講演会が開催されました、こちらも100人を超える聴衆を前に、素晴らしいお話でした。

「日米関係の謎」、この50年の実践から

「日米関係の謎」、この50年の実践から

 当日のご案内から<講演概要>~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 比較政治学の視点に基づいた、日本政治への鋭い洞察力と幅広い視野を持つファー氏。ハーバード大学では、これまで約2000件のセミナーやシンポジウムを実施し、約600名にのぼるフェローや大学院生の研究を支援してきました。ファー氏のもとで学んだ多くの方々が、今日、各界の第一線で活躍されています。 かつて米国の専門家にとって、日本という国は謎に満ちた存在でした。しかし、さらに不思議なのは、日米両国の関係です。なぜ、全く異なる2つの国が、時に衝突しながらも強固な関係を結び、両国民から幅広い支持を得るようになったのでしょうか。その秘訣は、50年余にわたる日米知的交流の基盤構築に向けた、日本側の地道な努力にあるとファー氏はみています。日本は他のアジア諸国に先駆けて、官民双方でアメリカとの交流に取り組み、両国市民は絆を深めてきました。こうした日米関係の強固な基盤は、今後も磐石と言えるのでしょうか。 日米交流の深化に貢献されてきたファー氏から、日米関係の今後の展望について直接お話を伺える貴重な機会です。ぜひふるってご参加ください。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~

地道に積み上げてきた実践に基づく説得力!

地道に積み上げてきた実践に基づく説得力!

 私のメモから講演で印象に残るフレーズを書き留めます。

* この50年間、日米関係で疑問視する時期は一度もなかった。80%以上の国民が好感度を持ち、20年続いている

* ジョン・ダワーが「敗北を抱きしめて」で書いているように歴史的経過を踏まえ、価値観で大きく異なる二国が、時代を克服して良好な関係を維持してきた事実、大変な人々の努力の結果であることを忘れてはいけない、まさに「基盤」ができている。ジョージ・ブッシュが言う「共通の価値観」ではなく、信仰・性ほか大きな違いがあり、その違いをまさに「乗り越えてきた」、関係であることを認識すべき。「和解」と言いながら対立・紛争が続く世界各地と比較してみれば、日米の交流の奥深さを知る

* ジョセフ・ナイは日本の「ソフトパワー」をすし、アニメほかと専ら芸術・食文化としているが、最も重要なファクターは「人々の営み」である。日本の伝統文化をアメリカ国民に理解してもらう努力は地道に継続されてきた

* 交流に尽力した担い手は、領事館、国際交流基金のような公的セクター、姉妹都市交流の地方自治体、そして企業である。政治とは適当な距離を保ち、時の政権がどうあれ良好な関係性を育んできたことが、今日、実を結んでいる

* 諸外国は、「寄附」に様々な条件をつけてくるが、日本からのそれはアメリカにおいて受け入れられる形で成功している

* 若者への援助をはじめとする日本の草の根の活動は、アメリカ以外の他の国でも適用できるのではないか

 私がこのファー先生のプレゼンで驚き、感動し、そして誇りに思ったのは、企業が推し進める交流活動の成功事例として、日立、三菱、SONY、トヨタ等の名だたる大企業の前に、「北海道の秋山愛生舘」、「本日、出席されているアキヤマコウジさん」、と固有名詞を挙げて感謝の意を語られたことでした。1991年にボストンに子会社設立の時、名称等でご相談したその時の話を詳細に紹介されたのです。今、「AKIYAMA AWARD(http://programs.wcfia.harvard.edu/us-japan/akiyama-award)」として20年以上続いています。

 ファー先生と秋山喜代・私との関わりは、こちらにも記載していますが、敢えてコピー致します。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~「秋山孝二の部屋」より引用

 ハーバード大学といえば、どうしても紹介しておきたいもう一人の先生と研究機関があります。お一人の先生はSusan Pharr教授(http://www.wcfia.harvard.edu/node/4387)で、ジョージア州アトランタ生まれ、その所属はハーバード大学日米関係研究所・所長(Program on U.S.-Japan Relations,Weatherhead Center for International Affairs:http://www.wcfia.harvard.edu/us-japan/index.htm)です。

 1990年代に北海道に「北海道フレッチャースクール」を誘致しようという運動があり、当時の(株)秋山愛生舘秋山喜代会長と社長だった私も少なからず関わっていました。ボストンからの最初の訪問団でいらっしゃっていたのがファー先生でした。91年の(株)秋山愛生舘100周年の年には、ケント・カルダー教授とともにご招待をし、「国際社会で果たす日本の役割」について100周年フォーラムを開催し、示唆に富む議論を展開されました。前日夜にお二人の先生と日本食でのひと時は忘れられません。ファー先生は、何と「生のウニ」が大好物でした。

100周年記念セミナー

100周年記念セミナー

 ケント・E・カルダー(Kent E. Calder )教授は1948年生まれ、専門は日本政治、日韓の比較政治、東アジアの国際関係等です。現在はジョンズホプキンス大学http://www.thepath.jp/archives/2006/04/11/johns_hopkins_university.html教授、同高等国際問題研究大学院(SAIS)付属エドウィン・ライシャワー東アジア研究センター長を務めています。政権交代後も日米関係の現状と将来に対して率直な提言をされています。

100年誌から(18年前ですが)

100年誌から(18年前ですが)

 ファー先生とはその後ボストンに行くたびにお会いして頂き、その時の日本の首相はじめ政治家の評価を伺っていました。大変冷静に個々の資質を見極めていらっしゃって、本当に勉強になりました。91年に(株)秋山愛生舘がボストンに設立したアメリカ子会社「Autumn Hills International Corp.(AHIC)」の名付け親でもあります。相談をした時に先生から、「どうしてもアキヤマという名前を会社名につけたいですか?」と質問され、「どうしてでしょうか?」と逆に聞き返しました。すると「『000 U.S.A.』という名称は如何にも子会社というイメージで、出来れば英語名の方がプライドの高いボストンでは好印象だと思いますが」とのお答。いろいろ知恵を出して、日本語の「秋山」をニューイングランド・サウンドで「Autumn Hills」とした次第です。

 その後登記にあたり同じ名称が無いかどうかを確認しましたら、何と「Spring Hills」、「Summer Hills」、「Winter Hills」はすでに存在していましたが、マサチューセッツ州には「Autumn Hills」だけはまだ登録がなく、この名称を弁護士に伝えて登記をしたことを思い出しました。

 働く女性同士ということか秋山喜代と大変気が合い、私もその後も親しくさせて頂きました。そんな関係性があり96年に秋山喜代が亡くなった時、生前の感謝の意味も込めて香典の一部をファー先生が所長を務める研究所に寄付をしました。するとすぐにお手紙が先生から届きました。「生前の秋山喜代さんの当研究所に対するご尽力に感謝して、今回の寄付金を原資として『Kiyo Akiyama Award』を創設し、毎年大学院留学生を対象に日本への渡航費用の一部に充てるべく計画中だが、賛否をお尋ねしたい」旨の内容でした。「一民間人のこころざし」の価値に対する表現として記念の賞を創設し、名前を刻んで永く後世に残すアイディアに、寄付する者への配慮・奥深さ・裾野の広さを感じた次第です。その後2回目の寄付を行い、現在も毎年この賞の選考・授与は続いています。この辺りのことについては、「08.12.1」の欄にも書きました。

 姉妹都市交流もそうですが、ボストンを中心とするアメリカ・マサチューセッツ州の方々とのネットワークでも、こうやって書き綴っていると止めどもなく次から次へと顔が蘇ります。子ブッシュ時代のアメリカは全く好きになれず、私はあの国とは意図的に距離を置いて参りましたが、昨今はまた昔のネットワークと連絡を取って活動を再開したい気になってきています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 講演が終了してから、多くの参加の皆さんがファー先生にご挨拶をされていました。私もしばし会場の隅で待ち、講演の中で紹介して頂いた御礼と、大変誇りに思う旨を先生にお伝え致しました。本当に人の繋がり、地道で真摯な交わりこそが、レガシーとしての価値を残すのでしょうね、そう実感した一週間でした。

5月のBoston 2015(4)

Posted by 秋山孝二
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 「ハーバード大学日米関係研究所(http://programs.wcfia.harvard.edu/us-japan」の幾つかのプログラムの中で、日本からの1年間研修の修了式と「Akiyama Award」贈呈式が、例年通り、スーザン・ファー教授ご夫妻のご自宅で開催されました。私はこれまでに2回程出席したことがありましたが、今年は「Akiyama Award」の20周年でしたので、特別に感慨が深かったです。

Akiyama Award」の歴代受賞者はこちら――> http://programs.wcfia.harvard.edu/us-japan/akiyama-award

ハーバード大キャンパス隣接の住宅街

ハーバード大キャンパス隣接の住宅街

ファー先生ご夫妻の自宅で

ファー先生ご夫妻の自宅で

 お庭でのセレモニー、冒頭のスーザン・ファー教授のご挨拶で、「Akiyama Award」について、以下のような詳細なご紹介があり、身に余る光栄でした。今年20周年の節目を迎え、今後も引き続き継続することを前提に、また新たな今後の展開については個別に意見交換も出来ました。

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< 2015.5.8  Akiyma Award : Fact Sheet >

Since 1996, the Program on U.S.-Japan Relations has annually awarded a summer research grant to a Harvard doctoral student who conducts social  science research on contemporary Japan. Made possible by a generous grant from Akiyama Aiseikan, a pharmaceutical firm based in Hokkaido, the Akiyama Award commemorates the life of Akiyama Aiseikan’s past president, Mrs.Kiyo Akiyama.

* 2015 marks the Award’s 20th anniversary. First award in 1995-96.

* Multidisciplinary: Government(10), History(5),Anthropology(3),Sociology(1),Education(1)

* Recipients hold junior and senior faculty positions at: Princeton, Yale, Stanford, University of Washigton(Seattle), Purdue, Georgia State, Amherst College, Bowdoin College, Seoul National University, Chinese University of Hong Kong

* Includes full Professors: Christina Davis(Princeton), Robert Pekkanen(University of Washington),and Daniel  Aldrich(Purdue)

* Supported the research for publications of many books,including 10 single- or co-authored books.

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思い起こせば北海道とマサチューセッツ州が姉妹州になって今年で25年、2月に記念プログラムが札幌で開催されています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=22403

* 数年前の北海道・マサチューセッツ協会総会の様子も――>http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8402

「Akiyama Award」歴代受賞者4名と記念写真

「Akiyama Award」歴代受賞者4名と記念写真

Akiyama Award」の歴代受賞者はこちら――> http://programs.wcfia.harvard.edu/us-japan/akiyama-award

 今年の受賞者はスリランカ出身のSubodhana Wijeyeratne(左から2番目の男性)さんです。「Fact Sheet」にもあるように、研究テーマは本当に幅広く、日本の「近代」を外国の研究者が新鮮な視点から掘り下げています。それらの人材が今、アメリカの有力な大学のポストに就き、ヨーロッパ、アジアでも同様に活躍始めているのでこれからも楽しみですね。

 パーティーは夜遅くまで続き、歴代受賞者の方々とも研究の内容、日本への留学時の様々な思い出等、面白い話ばかりでしばし時を忘れる程でした。これからの成長・進化を託しながら見守っていきたいプログラムとなっています。「継続は力なり」、変わらぬ含蓄のある言葉です!

エズラ・ヴォーゲル、鄧小平訪日(1978)を語る

Posted by 秋山孝二
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 東京六本木にある国際文化会館http://www.i-house.or.jp/jp/の「アイハウス・アカデミー」プログラムで、エズラ・ヴォーゲル先生による「鄧小平中国副総理の歴史的訪日(1978)と日中関係の未来」という講演が開催されました。会館ホールには120名を越える内外の聴衆でかなり専門的なやり取りも交わされました。

元気に語るヴォーゲル先生

元気に語るヴォーゲル先生

 先生とは1990年代に、当時の(株)秋山愛生舘社長室でお会いして以来、ボストンでも何回かお話をしています。

 Ezra Vogelhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%A8%A5%BA%A5%E9%A1%A6%A5%F4%A5%A9%A1%BC%A5%B2%A5%EB先生は、1930年アメリカ・オハイオ州生まれ、ハーバード大学卒業後、1967年から2000年にかけて、ハーバード大学にて教鞭を執られました。1979年の著書『ジャパン・アズ・ナンバーワン』は、戦後日本経済の成功の秘訣を世界に紹介するとともに、当時停滞していたアメリカ復活の教訓として、日本から学ぶことの重要性を説いて大きな話題となり、書名は今日でも80年代に隆盛を極めた日本経済を象徴する言葉としてしばしば用いられています。中国語、日本語に堪能なヴォーゲル先生は、ハーバード大学の看板教授であり、1973年から1977年までは同大学の東アジア研究所長をつとめ、1993年9月、CIA国家情報会議(CIAの分析部門)のアジア担当の分析官にも就任されています。現在の所属はハーバード大学ヘンリー・フォード二世社会科学研究講座名誉教授となっていました。

 講演の中でもご紹介されていましたが、ご子息のスティーヴン・ヴォーゲル氏も、比較政治を専門とする日本研究者であり、現在はカリフォルニア大バークレー校の教授をされています。

 先日のご講演では、鄧小平は日本でも大変幅広い人脈を持っていて、来日時も精力的に工場他の見学、要人との面談をこなしていたとのこと。当時としてはより深い意味で日中の「和解」を理解していた人物。そして中国では「方向性は正しいにも関わらず、継続出来なかった」という評価が今定着しているとの見解でした。当時は中国国内にはテレビもあまり普及していなく、更に92年の天安門事件以降は愛国主義キャンペーンの一環で反日プロパガンダも盛んになり、今の若い世代は日本の謝罪を知らないという現実も言及されました。そんな時代の変化を踏まえて、今両国で行う必要があるのは、少なくとも近い過去に何が起きたかは日中間で共有すべきではないか、と指摘されていました。また鳩山新政権の「東アジア共同体」構想には、かなり消極的なご意見でした。

 ハーバード大学といえば、どうしても紹介しておきたいもう一人の先生と研究機関があります。お一人の先生はSusan Pharr教授(http://www.wcfia.harvard.edu/node/4387)で、ジョージア州アトランタ生まれ、その所属はハーバード大学日米関係研究所・所長(Program on U.S.-Japan Relations,Weatherhead Center for International Affairs:http://www.wcfia.harvard.edu/us-japan/index.htm)です。

 1990年代に北海道に「北海道フレッチャースクール」を誘致しようという運動があり、当時の(株)秋山愛生舘秋山喜代会長と社長だった私も少なからず関わっていました。ボストンからの最初の訪問団でいらっしゃっていたのがファー先生でした。91年の(株)秋山愛生舘100周年の年には、ケント・カルダー教授とともにご招待をし、「国際社会で果たす日本の役割」について100周年フォーラムを開催し、示唆に富む議論を展開されました。前日夜にお二人の先生と日本食でのひと時は忘れられません。ファー先生は、何と「生のウニ」が大好物でした。

100周年記念セミナー

100周年記念セミナー

 ケント・E・カルダー(Kent E. Calder )教授は1948年生まれ、専門は日本政治、日韓の比較政治、東アジアの国際関係等です。現在はジョンズホプキンス大学http://www.thepath.jp/archives/2006/04/11/johns_hopkins_university.html教授、同高等国際問題研究大学院(SAIS)付属エドウィン・ライシャワー東アジア研究センター長を務めています。政権交代後も日米関係の現状と将来に対して率直な提言をされています。

100年誌から(18年前ですが)

100年誌から(18年前ですが)

 ファー先生とはその後ボストンに行くたびにお会いして頂き、その時の日本の首相はじめ政治家の評価を伺っていました。大変冷静に個々の資質を見極めていらっしゃって、本当に勉強になりました。91年に(株)秋山愛生舘がボストンに設立したアメリカ子会社「Autumn Hills International Corp.(AHIC)」の名付け親でもあります。相談をした時に先生から、「どうしてもアキヤマという名前を会社名につけたいですか?」と質問され、「どうしてでしょうか?」と逆に聞き返しました。すると「『000 U.S.A.』という名称は如何にも子会社というイメージで、出来れば英語名の方がプライドの高いボストンでは好印象だと思いますが」とのお答。いろいろ知恵を出して、日本語の「秋山」をニューイングランド・サウンドで「Autumn Hills」とした次第です。その後登記にあたり同じ名称が無いかどうかを確認しましたら、何と「Spring Hills」、「Summer Hills」、「Winter Hills」はすでに存在していましたが、マサチューセッツ州には「Autumn Hills」だけはまだ登録がなく、この名称を弁護士に伝えて登記をしたことを思い出しました。

 働く女性同士ということか秋山喜代と大変気が合い、私もその後も親しくさせて頂きました。そんな関係性があり96年に秋山喜代が亡くなった時、生前の感謝の意味も込めて香典の一部をファー先生が所長を務める研究所に寄付をしました。するとすぐにお手紙が先生から届きました。「生前の秋山喜代さんの当研究所に対するご尽力に感謝して、今回の寄付金を原資として『Kiyo Akiyama Award』を創設し、毎年大学院留学生を対象に日本への渡航費用の一部に充てるべく計画中だが、賛否をお尋ねしたい」旨の内容でした。「一民間人のこころざし」の価値に対する表現として記念の賞を創設し、名前を刻んで永く後世に残すアイディアに、寄付する者への配慮・奥深さ・裾野の広さを感じた次第です。その後2回目の寄付を行い、現在も毎年この賞の選考・授与は続いています。この辺りのことについては、「08.12.1」の欄にも書きました。

 姉妹都市交流もそうですが、ボストンを中心とするアメリカ・マサチューセッツ州の方々とのネットワークでも、こうやって書き綴っていると止めどもなく次から次へと顔が蘇ります。子ブッシュ時代のアメリカは全く好きになれず、私はあの国とは意図的に距離を置いて参りましたが、昨今はまた昔のネットワークと連絡を取って活動を再開したい気になってきています。