助成財団セミナー 2020(下)

Posted by 秋山孝二
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 基調講演での私のプレゼンは、概略以下の通りです。

 当日スライドからの抜粋~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

< 助成財団が必要とするアウトリーチ活動を目指して >

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3.「愛生館」の理念

庶民への眼差し

愛生済民

アジア・世界の体力向上

「愛生館」事業~担い手は幕末・維新を生きた人々

〇松本順先生の全国的な健康増進事業

~司馬遼太郎の歴史小説胡蝶の夢

〇愛生館三十六方製剤 > 衛生思想の普及

〇愛生館北海道支部 から 秋山愛生舘 へ

2019.10.1 愛生館文庫開設 http://www.akiyama-foundation.org/news/3854.html

* 参考ーー「愛生舘のこころ」シリーズ http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

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5. 今、注力している活動

8期中期5ヶ年計画(20172021年度)より抜粋~

3)アウトリーチ活動を通じて

* 研究者地域の担い手とのコラボレーション企画学びの場(プラットホーム)の構築

次世代の育成・教育プログラム創設すると共に、地域社会変革モデルを積極的に提唱し、幅広い道民の合意形成を実現する。

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ネットワーキング!

~閉じた活動を外に開くこと   助成財団センター山岡理事長

受領者 & 秋山財団

大切にしていることは、人の繋がり(歴史・信頼)

プラットホームして持続可能な関係性構築

~~研究者、活動主体へのリスペクト!

~~財団のポジショニングの変更!

研究助成のアウトリーチ活動

〇 市民活動助成のコラボレーション

研究市民活動の相互交流

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6今、思うこと

理念の具現化~未来像・2011から~

http://www.akiyama-foundation.org/vision

1)若い世代への助成

2生命科学のさらなる深化 ~全体知~

3)新しい時代の人と自然の調和

歴史のバトンを受け取り、そして、次に渡す!

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Ⅱ.30年目の決意2016

~ 秋山財団の原点 愛生済民

<立ち位置>

①地域: 「中央からの自立・自律性

②民間: 「官からの独立性、札幌農学校!

③生命科学: 「既成の学術領域」から解放 される“命・いのち”をテーマに

SDG、全体知、つながり

~生命地域(バイオリージョン):北海道~

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1)本来の「第三セクター」の立ち位置は?

3) 財団法人経営を学ぶ場の必要性

①他財団とのパートナーシップ構築

②「基本財産」に込める出捐者の意志の継承

(例) 愛生館文庫 <時代に合った翻訳>(https://www.akiyama-foundation.org/news/3854.html

4)秋山財団「第8期5カ年計画20172021年度)の視座

①助成金は「投資」 → 「託資」

②対応する → 提起する

* 主体は研究者、市民活動実践者

リーダーシップ よりも

パートナーシップ

フォロワーシップ

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秋山記念生命科学振興財団
アウトリーチ等の活動事例

たくさんの事例を写真入りで報告

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 抜粋 おわり

 その後のプログラムでは、アメリカでの事例ほか、日本の大手財団の様々なアウトリーチ活動の取り組みがご紹介されました。さらにそれに続いて、私を含めた登壇者がステージに着席して、フロアーからの質問にもお答えする時間も。私にもたくさんご質問が来ていて、その場では十分にお答出来ていなかったので、札幌に戻ってお一人ひとりにご返事を送信するつもりです、ただ、もう10日も経っているのに、まだ実行はできていませんが・・・。

 いずれにせよ、私にとっても大変貴重なひと時、特に質疑応答での私のかなり突っ込んだ、過激な(?)「民が担う公共」へのコメントは好評だったようで嬉しかったです、「出過ぎる杭は打たれない!」でしょうかね。このような機会を与えて頂いた山岡理事長、田中専務理事に感謝致します、ありがとうございます。

「FMアップル」に生出演!

Posted by 秋山孝二
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 10月に秋山財団にオープンした『愛生館文庫(http://www.akiyama-foundation.org/news/3854.html』、新聞記事になってからいろいろな方面からのお問い合わせが届いています。その中の一つ、コミュニティ放送の「FMアップル(http://765fm.com/」さんから出演依頼があり、先日生放送が実現しました。

* 愛生館文庫の関連記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=37374

 パーソナリティーの村形潤さんとの対談、あっという間の30分でした、さすがに聞き上手で気持ちよくお話ができました。

パーソナリティのさんと

パーソナリティの村形潤さんと

 始まる前に、専務取締役放送局長の塚本薫さんともお話をしましたが、昨今、コミュニティ放送局は、災害時の重要な機能としての役割で注目されています。昨年の胆振東部地震の時も、ブラックアウト最中でも札幌の二局だけが放送を続けて災害時に貢献できたそうです、日ごろの準備が功を奏して素晴らしいことですね。

* https://www.atpress.ne.jp/news/176773

地域防災の取り組み

地域防災の取り組み

 『愛生館文庫』を開設して、いろいろな方々から逆に情報を頂いている昨今、連続講座も含めて、これからの情報の蓄積が大変楽しみになってきています!

愛生舘の「こころ」 (21)

Posted by 秋山孝二
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 秋山財団の一室に開設した『愛生舘文庫(http://www.akiyama-foundation.org/news/3854.html』は、秋山財団25周年にその開設準備活動を始めましたが、7年を経て、この10月にスタートすることができました。これまでの経過については、以下の「愛生舘の『こころ』」シリーズに掲載してきました。

* 愛生舘の『こころ』シリーズーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%84%9B%E7%94%9F%E8%88%98%E3%81%AE%E3%80%8C%E3%81%93%E3%81%93%E3%82%8D%E3%80%8D

 北海道の皆さんには「秋山愛生舘」で馴染み深い会社ですが、実はその前には明治初頭から中期に始まった全国的健康増進の「愛生館」事業の存在があったのです。今回の「愛生館文庫」は、地場企業化以前のこの「愛生館」の創設の背景、関わったキーマン達に焦点を当てて、日本の近代における医学・薬学・公衆衛生等の黎明期を再確認する意味合いが主たる目的です。

11月27日北海道新聞朝刊に掲載!

11月27日北海道新聞朝刊に掲載!

 これまでの私のブログの記事の中に以下のような記載があります~~~~~~~~~~~~~ 引用

私の永年の友人からのメール―――明治維新は、厳密な意味ではフランスやロシヤみたいに迫害された民衆が自ら闘って自由を勝ち得た”革命”ではありませんでした。あくまでも政治の面で捉えれば、単に江戸幕府衰退と共に雄藩が政権を握ったに過ぎません。

 開拓期、そうした薩長土肥の藩閥政府が横行する初期、民衆に医療・公衆衛生を持ち込んだ松本良順や高松保郎の思想の源流、その彼らを中心とする「愛生舘事業」の実践は、ある意味では、すなわち必ずしも新時代の変革は「政治」の舞台だけではないという意味で、後年、藩閥に反発して立ち上がる自由民権運動よりも更に先んじた自由平等主義の実践者たちであったろうと思われるのです。老若男女が心身共に病むこの21世紀の日本が失った、取り戻さなけれなばならないエスプリが、愛生舘のルーツに秘められている気がしてなりません。それは蘭学が内包する”博愛”とか”弱者救済”精神に基づいた学問・技術・文化などが、質実的な面で明治時代の民衆を支えたと言えます。政治の暗闇に光を当てたのではないでしょうか。近代への道は決して政治力だけではなかったはずです。

 黒船来航に伴い幕府が設立した長崎伝習所、勝海舟や松本良順はじめ、幕末のインテリが学んだ”蘭学”に内包する哲学は、タオ財団のワグナー氏の言葉「それぞれ民族の違いの主張ではなく、いかなる共通点を探し求めるか」とする、作品「哲学の庭」に通ずるテーマと言えるでしょう。貴兄の言葉通り「いのち」とは平和そのもの、世界共通語であります故、「人類愛」を意味するキーワードでもあります。

(注)タオ財団http://wagnernandor.com/indexj.htm ――――メールおわり

衛生書「通俗民間療法」(左)、大鏡(右:高さ1.5m)

 全国的な愛生舘事業の中で、特に北海道支部のミッションは、北海道開拓を担う屯田兵の後方支援、及び全国から入植してきた開拓移民の健康維持・向上でした。1891(明治24)年、東京神田の館主・高松保郎亡き後は、北海道支部長だった初代秋山康之進が自らの名前を掲げて自立し、「秋山愛生舘」となりました。愛生舘事業の理念は、自社販売していた「通俗民間治療法」の中に明確に示されています。「山間僻地までの医薬品供給、医師の診療を受けられない病人の救済、貧者・弱者への施薬、すなわち、利益追求ではなく、あくまでも民間の衛生・治療の便益を図る事を最優先にする」、それが事業の目的であると書かれています。この理念を継承し地場企業として、秋山愛生舘は北海道の地を基盤に、第二次世界大戦後1948(昭和23)年には株式会社として法人化し、私は1991(平成3年)6月に第五代目社長に就任し、1992(平成4)年には札幌証券取引所上場、1997(平成9)年に東京証券取引所市場第二部上場となりました。その後、(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/ と資本・業務提携を経て合併し、北海道は「愛生舘営業部」として、今も活動しています。

 私は2002(平成14)年11月に(株)スズケン代表取締役副社長を退任しました。その後、故郷札幌に戻り、これまでの(株)秋山愛生舘の108年の活動を振り返り、持続する企業として3本の論文にまとめました。

「地域企業の持続的経営の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813846以下、「地域企業の進化の分析」http://ci.nii.ac.jp/naid/110004813848/、「持続的経営論」http://ci.nii.ac.jp/naid/110006392571/と続きます。

 一方、(株)秋山愛生舘の100周年事業の一環として、それに先立つ1987(昭和62)年1月に「(財)秋山記念生命科学振興財団」を設立しました。http://www.akiyama-foundation.org/ 「地域社会への貢献」という理念の実現は、医薬品販売の事業から更に発展して、愛生舘事業の理念を根幹に、財団の助成・育成事業として継承・進化しています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 そして、今月、オープン後の初めての企画として、「連続講座~愛生館文庫の集い~」をスタートして、記念すべき第一回として新祐一さんをお招きしてのミニフォーラムでした。(株)秋山愛生舘の社内報『愛輪』の創刊号から最終号まで、全てを保管してこの愛生館文庫に寄託して頂き、さらにご自身の書き下ろしの会社人生の著書も。

スズケンの幹部たち

スズケンの幹部たち

 秋山財団1階の『愛生舘文庫』でご講演の後は、2階でさらにその続きのフォローアップ懇談会、参加の皆さんは懐かしい思い出話と当時の一生懸命だった自分自身を振り返り、何とも感動のひと時でした。これから、数か月毎に連続して講師を招いての開催を決めて、取り急ぎ次回は2月開催となりました。

 これからが楽しみです!

愛生舘の「こころ」 (18)

Posted by 秋山孝二
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 今年は夏の終わりから今日まで超多忙な毎日が続き、愛生舘の「大鏡」の分解検証についてご報告をするのがすっかり遅れてしまいました。

 秋山財団30周年を記念して、数年前から「愛生舘文庫」創設の一環で歴史のひも解きを続けていますが、8月終わりに、以前から保管してある「愛生舘北海道支部長に送られた大鏡」を、100年の時代を経て分解し、年代の特定を試みました。

* 「愛生舘北海道支部長に送られた大鏡」――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1198

 まずは背板に残る貼り紙の一部を外側から再確認です、ほぼ、いつ頃の時刻表かは分かっています。

汽車の時刻表、年代特定の重要な資料

汽車の時刻表、年代特定の重要な資料

 「れきけん(http://nporekiken.com/)」の東田秀美さんに、ガラス店・職人の福田さんをご紹介して頂き、いよいよ分解を開始、ガラスを気遣いながら、慎重に背板の釘を一本一本抜いていきました。「れきけん」は、秋山財団のネットワーク形成事業助成で応援しています(http://www.akiyama-foundation.org/history/history_09)。

慎重に釘を抜いていく

慎重に釘を抜いて

 ガラスと背板の隙間に挟んであった新聞紙と思われていた紙は、実はポスターでした。新聞紙だといろいろ情報が読み取れると期待していたので少々残念でしたが、このポスターにも情報は満載で、「札幌松竹座」、「クラブ乳液」ほか、年代特定の大きな手掛かりの予感がしました。ただ、これはガラス製造時期、贈呈時期とは少し違い、送られた後に札幌で一度背板を外して入れられたものと推定できます。商品販売のプロモーションとして映画ご招待といった企画が当時から行われていた、また別の発見も面白かったですね。

ポスターには情報満載!

ポスターには情報満載!

 早速、製造メーカーを調べて検索し、このボトルとデザインから年代を特定できました。

製造メーカーに問い合わせて年代を特定!

製造メーカーに問い合わせて年代を特定!

 今回の一番の発見は、ガラス塗料の検証です。今現在、成分を分析して、この塗料が使用されていた年代を解き明かすことができると期待しています。鉛成分の毒性から、この分野での成分改良も現在まで随分進んでいるとのことも知りました。

初めて開陳された鏡の裏側

初めて開陳された鏡の裏側

 歴史は細部に宿る(?)、数回打ち直された鍵穴も見て取れます。間に挟まっていた先述の2枚の折りたたんだポスターも、贈られた以降に一度背板を外して安定させるために挿入されたものと推察できます。釘穴の後を検証すると、素人が打ち込んだようだと福田さんはおっしゃっていました。

複数回打ち直された釘穴の後

複数回打ち直された釘穴の後

鏡の塗料成分から年代を特定中!

鏡の塗料成分から年代を特定中!

 毎年夏に札幌に避暑で滞在されている片桐一男先生、愛生館文庫創設にお力を借りている山下秀子さんも、背板の細部の検証に集中していました。

背板の細部も検証しながら

背板の細部も検証しながら

 歴史の発掘は、まさに考古学と似た手法なのでしょうね、木製の鏡枠は時の経過を刻み、一つ一つの構成物からも時代時代の特徴を検証できる、本当にエキサイティングな時間でした。現在まだ財団事務所に分解したままに置いていますが、分析中の結果が分かり次第、また組み立てて永く大切に保管し、皆さまのお目にも触れるべく展示したいと思っています。

 永い眠りから息を吹き返した大鏡、本当に愛おしく思えた瞬間でした。

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愛生舘社宝「鏡」の解体調査状況について

解体年月日:平成28817

(秋山理事長、解体者福田ガラス店社長、片桐一男先生傍観、山下)

①裏板の調査について

●列車時刻表の年月日の調査

明治4232日第三種郵便物認可と書かれていることが判明。(但し、何枚かの紙が重なって貼られているため、鏡が出来た時期はそれより早と推定される)

②鏡と板の間から見つかったポスターについて

●札幌松竹座=1925(大正14年南4西3)改称、2年後に火事1929に改築、前身は大黒座として1897に開業)

●ポスターのホルモン含有クラブ乳液(旧中山太陽堂発売)

19311935/昭和6~10年以降に松竹座の広告媒体となったものである)

③愛生舘社宝「鏡」の製造年の特定

●松本順の栄典事項により明治26年から38年(正四位勲二等)に作られたものである。製造年の特定は、調査継続中。

④鏡(8mm)の裏止め塗装・レンガ色の種類の特定

文字を鏡の中に入れる製法について

●④並びに⑤は調査中

(参考)研きガラス(8mm)→鏡に加工(特注)したと考えられる(福田ガラス店社長)

・通常の規格寸法は36インチ×24インチである。

・愛生舘鏡の基板寸法=100インチ(2410mm)×75インチ(1905mm)

11月末を目処に調査を終了する予定

(平成28107日現在 山下)

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