二つのフォーラムで

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朝日・HTB北海道フォーラム2012 「3・11からエネルギー問題を考える」が開催されました(http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000831205280001)。

 基調講演は、北海道大学の吉田文和(http://www.econ.hokudai.ac.jp/~yoshida/j_index.htm)教授が 「原発ゼロのシナリオ~原発なしでも電力を供給できるか~」と題して、大変分かりやすいお話でした。先生の新著、「脱原発時代の北海道:http://shop.hokkaido-np.co.jp/book/products/detail.php?product_id=418」には、これからのエネルギーの展望が示されています。それにしても、日本のエネルギーバランスで、最終消費段階では「ロス」が30%にも及ぶ事実は、衝撃でもありました。まさに「省エネ」は、最大の「創エネ」ですね。

 また、いち早く福島原発事故から学んでいるスイス等の外国当局の例を引用して、日本のその後の対応・対策の遅れも指摘されていました。

基調講演・吉田文和先生

基調講演・吉田文和先生

  第二部のパネルディスカッションは、北海道グリーンファンド(http://www.h-greenfund.jp/)・鈴木亨理事長、民間事故調「福島原発事故独立検証委員会:http://scienceportal.jp/news/daily/1203/1203022.html」のメンバーを務めた鈴木一人(http://www.juris.hokudai.ac.jp/~kazutos/)先生・北大大学院教授(国際政治経済学)、吉田文和教授がパネラーで登壇し、竹内敬二・朝日新聞編集委員がコーディネーターで、内容の濃い意見交換でした。

3人のパネラーによる意見交換

3人のパネラーによる意見交換

 鈴木亨さんのお話では、電力会社の経営体質等、これまで風力発電事業で長く電力会社と付き合ってこられた経験に裏付けられたお話が興味深かったです。

 鈴木一人さんは「「安全神話」にまつわる「深層防護:http://yaplog.jp/defend_japan/archive/260」の言及に、説得力がありました。世界標準では、原子力の「深層防護」は、5段階、「第一層:逸脱防止、システム故障防止」、「第二層:事故への拡大防止(スクラム等)」、「第三層:安全停止、閉じ込め機能」、「第四層:シビアアクシデント対策」、「第五層:防災対策」、です。鈴木一人先生のブログはお薦めです(http://kazutosuzuki.blogspot.jp/)。

 ところが、すでにお気づきでしょうが、日本ではメディア等でも、これまでの責任ある人・機関の方々が、繰り返し繰り返し「多重防護」と称して、「第三層」までのリスクしか想定せずに済ませてきていたのです。国際標準に明記されている「第四層」、「第五層」を検討しない(想定しない)で、「原子力は安全」と言い続けてきた責任を問わずして、3・11以降、何を検証し、学んだと言うのでしょうか、これは「犯罪」でしょう。インターネットで、「多重防護」を検索しても、電気事業連合会のこの説明(http://www.fepc.or.jp/present/safety/shikumi/bougo/index.html)が象徴的です。

 

 もう一つ、東京での講演会 石原信雄さん(財団法人 地方自治研究機構:http://www.rilg.or.jp/001.htm)「日本人への遺言」も含蓄がありました。石原さんは、1926年生まれ。地方自治庁(現総務省)に入庁し、84年事務次官、87年(~95年)内閣官房副長官(竹下、宇野、海部、宮澤、細川、羽田、村山の7代内閣)を務められた方です(http://www.koho.or.jp/columns/ishihara/index.html)。阪神・淡路大震災で陣頭指揮をされた経験等、「危機管理」、特に「安全保障」のお話は良かったです。「最悪の事態を常日頃から考えておく必要があり、それは国民に多くの負担を強いることゆえに、避けた結果の不幸も議論することが重要」と。

 原発の再稼働については、事故の徹底的究明・検証が必須であり、その後に再稼働かどうかの決定を行うべき。同じ事故は二度と起こさないことが最も重要である、そう明言されていました。

 外交分野はじめ、どんな場合でも、「セカンド・トラックづくり」は必要であり、自由に物を言う場、対話の場が、課題を解決する道であること。そして、「対話」は、自分たちの主張をしっかり言う・伝えることであり、同時に、相手の主張を聴くこと、そうおっしゃっていました。ごく当たり前のことを、今、この時期に壇上から発せなければならない日本の実情、ここでも政治の混迷が浮き彫りになってきます。

 

 短期間に濃密なフォーラムに参加して、日本の「良心」を感じ取り、勇気も湧いてきました。まだまだ日本は立ち直れる、そんな一筋の光明とでも言いましょうか。

会津、鶴ヶ城・飯盛山

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 「鶴ヶ城:http://www.tsurugajo.com/turugajo/shiro-top.html」は、「会津城」、「若松城」、とも呼ばれて有名な会津藩の象徴であり、戊辰戦争で焼き払われた後に、見事に復元されて今日に至っています。4月の春、どこからみても天守閣は美しく、会津の皆さんの心意気を感じます(http://www.aizukanko.com/)。

戊辰戦争の激戦、どこからみても美しい若松城(会津城、鶴ヶ城)

最後の内戦・戊辰戦争の激戦場、どこからみても美しい鶴ヶ城(会津城、若松城)

  一方、白虎隊(http://www.tsurugajo.com/history/byakotai1.htm)の自刃の場で有名な飯盛山(いいもりやま:http://www.iimoriyama.jp/midokoro.html)では、「白虎隊慰霊祭:http://www.aizukanko.com/event/110/」の最中でした。

飯盛山では記念祭祀

飯盛山では記念祭祀

出番を待つ会津高等高校剣舞会の生徒たち

出番を待つ会津高等学校剣舞会の生徒たち

  白虎隊も燃える光景をみたといわれ、飯盛山から見る鶴ヶ城方向です。

飯盛山から見る若松城(中央右奥)、白虎隊も燃える城をここから・・・

飯盛山から見る鶴ヶ城(中央奥)、白虎隊も燃える城をここから・・・

 

 近代日本への脱皮、その歴史は多くの命が失われる過程を経て、一歩一歩変わっていく時間の経過と理解すれば良いのでしょうか。日本人が、自分たちの「国」づくりを自分たちで必死に手に入れようとしていた真摯な姿を感じます。そんな歴史に対する「誠実さ」を、いつ日本人は失ってしまったのか、3・11の大震災、津波、原発事故による放射能汚染、この「機」を逃して復興しなければ、今、まさに社会の価値の方向転換をしなければ、あとは滅亡しかありません。

経営者たち、変わる認識 (3)

Posted by 秋山孝二
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 先日、私は書きました。

~~~~~(公社)経済同友会の原発、ガレキの受け入れに対してのメッセージには、必ずしも賛同できない自分としては、今回のこの分科会の場は「アウェー」を覚悟して、しっかりした立ち位置から意見を述べようと思っていましたが、事前の意見交換をしていく中で、かなりの共通理解があることを知り、率直に言って驚きでしたね。そして、2時間を越えるフロアーの方々とのやり取りを終えて、その印象は確信に変わりました、「2011・3・11」を経て、経営者の皆さんのエネルギーへの意識は間違いなく「変わってきています」!~~~~~

 これはパネラー控室ばかりではなく、分科会でのフロアーの方々のご意見と雰囲気からの実感です。経団連(http://www.keidanren.or.jp/)と違って、経済同友会(http://www.doyukai.or.jp/about/about.html)の自由闊達な雰囲気の成せる技かとも思います。それはさておき、幾つかの気づきを書き留めて、今回の報告のまとめとします。

 

* 「原発再稼働」について、企業経営者的には「電力不足」を極力回避したいという切実感のあらわれで、放射能汚染については、殊のほか政府・東京電力経営者への不信感が強い

* 東京・埼玉はじめ首都圏の経営者からは、東京電力の値上げ宣言、原発対応等に対しての憤り、不満は想像以上のもの

* エネルギーにまつわる公開情報について、「情報適時開示」、「説明責任」をわきまえる企業経営者は、単位がバラバラで比較が難しい、定点・定時情報開示が不足等を的確に指摘

* 原発事故の調査・検証を含めた日本の対応は、国際社会における日本の「責任」であることを、複数の方々が語っていた

* 新しい技術として、「自然エネルギー」への期待と努力に、多くの経営者は前向き、それと日本なら出来るとの発言も

* 資源エネルギー庁の方からも、大変前向きな今後の課題提起、例えば、「大規模電源」依存システムを変えていかなければならない、供給会社・電力材料等について「需要家が選択できる電力」へ、「集中型」から「分散型」へ、等

 

 私が発言したかったいくつかのことは、ほかのパネラー・フロアーの皆さんから伝えられましたし、自らリスクを取って日々ビジネスをたくましく展開する企業経営者の真摯な姿勢にも感動しました。もちろん、分科会でのコメント・雰囲気をもろ手を挙げて喜ぶわけにもいかないことは承知しています、2日目の各分科会議長報告では、従来型視点からのメッセージもあったからです。それでも、少なくとも経済団体として発表されている以上に、会員の多様な意見が印象的でした。

 市民活動、メディアがよく言う「経済界」、「企業なんて」の認識こそが、一番遅れているような気がしてきます。2011・3・11以降の世界では、「脱原発・自然エネルギーへのシフト」に意識を変えた企業の出現に注目していく必要があります、新しい芽を見逃さないようにです、ね。

 「アウェー」が、「ホーム」になっていく日まで、私も諦めずに頑張ります!!

低線量被曝と向き合う

Posted by 秋山孝二
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 北海道大学スラブ研究センター・家田研究室(http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/coe21/people/file-ieda.html)主催の「一緒に考えましょう講座:http://src-hokudai-ac.jp/ieda/lectureslist.html」第5回として、チェルノブイリの教訓から、「低線量被曝と向き合う:http://src-hokudai-ac.jp/ieda/chernobyl.html」フォーラムが開催されました。

 海外からお二人のゲスト、ミハイル V マルコ(Mikhail V.Malko 1942年生まれ)博士、エフゲーニヤ ステバーノヴナ(Yevgeniya Stepanova 1939年生まれ)教授、それに京都大学原子炉実験所(http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/)の今中哲二(1950年生まれ)先生です。

ミハエル・マリコ教授と今中哲二助教

ミハエル・マルコ先生と今中哲二先生

 

エフゲーニヤ・ステパーノヴナ先生と通訳
エフゲーニヤ・ステパーノヴナ先生と通訳

 昨年の3・11直後に、福島原発周辺の放射線量測定にいち早く奔走された今中哲二先生は、サイエンスには分からない事も多々あることを認識すること、自分にとっては、フクシマ事故はこれまでの原子力技術の導入経過から、必然として位置付けられ、さらに、日本国民としては、地震とどう付き合って生きていくのか、3・11以降、一層問われていることを警告していました。

 ベラルーシのマルコ先生は、集団線量と一人当たり線量のリスクモデルを説明されて、チェルノブイリ事故後のデータ検証で重要なことは、1986年の「原発事故」と、1989年の「ソ連邦崩壊」の二つのファクターが、その後の環境問題にも大きな影響を及ぼしていることを考慮すべきだと指摘されました。たとえば、ソ連邦崩壊によりGDPは大幅に減り、それゆえに環境は一時的にクリーンになったとか。事故直後は、「急性期」被害が中心であり、その後は、情報が無い、正しい情報が無い等により、社会的緊張感が漂っていて、それは放射能情報だけにとどまらなかったとも。
 ステバーノヴナ先生は、ウクライナ放射線医学研究センターのお立場で、子どもたちへの25年間の放射能の影響について、貴重なデータによるご説明でした。自分たちは多くの失敗をしてきたけれど、継続した健康モニタリングを実施して、多くの教訓を学んでほしい、と。そして、原発事故は、体内被曝の問題ばかりでなく、移住による友人との別離、ライフスタイルの変更、食物の変更等、生きていくあらゆる術(すべ)を変えてしまうことも。
 最後は、「事故は起きてしまった、しかし、人々は生きている!」、そう結ばれました。
 このメンバーは、福島を含めて下記の地域を回ってフォーラムを続けて、22日に帰国されるようです。
  9日(月) 10-12時     蘭越町山村開発センター
 10日(火) 13時30分     川俣町中央公民館3F研修室
       18時30分     福島市MAX福島4F A・O・Z
 11日(水) 13時30分     郡山市橘公民館大会議室
 13日(金) 16時半―19時半   大阪大学吹田キャンパス 銀杏会館3F
                  阪急電鉄・三和銀行ホール ポスター
 14日(土) 13時―17時     京都大学文学研究科第3講義室
 15日(日) 14時-17時     松江市市民活動センター交流ホール
 17日(火) 18時30分~     名古屋市女性会館
 18日 (水)  10時30分~     名古屋市天白文化小劇場
 19日(木)  18時30分ー20時30分 いわき市文化センター大ホール
 21日(土)  14時-18時    東京大学弥生講堂    
 22日帰国

 

原発再稼働について

Posted by 秋山孝二
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 この所、原子力発電の「再稼働」を巡って、いろいろな記事が出ていますが、私はひと言、「新しい組織と人材で、国民の納得する対策を説明をすること」が、最優先の当事者の今の課題だと思いますし、それなしに「再稼働」などあってはなりません。昨年の3・11以降の一連の爆発事故の検証も終了しないうちに、そして、今も尚、継続して危険な状態の東電福島第一原発の状態で、「再稼働」を決めるのは「犯罪」以外の何ものでもありません。

 再稼働させたい電力会社や政府は、「福島第一原発事故を教訓にした安全対策を実施する」、「だから大丈夫だ」という理屈にもならないごまかしで地域住民の理解を得る目論みのようですが、国民をなめるのもいい加減にしろ、と言いたいですね。

 経団連等は、「日本の原発をすべて止めたままにすると、製造業を中心に国際競争力が低下するなど、大きな問題を抱えている。だから原発を再稼働する必要がある」と喧伝していますが、むしろ、3・11以降の国際競争力は、個別企業の問題ではなく、「日本国」それ自体の問題であり、それゆえに福島第一原発事故を幾重にも検証し、そこから得られた教訓を一刻も早く生かした方針・対策を世界に発信しなければなりません。「日本国」の信頼、浮沈が掛っているのだと思います。これまでの地域独占に胡坐をかいた情報隠ぺい、虚偽の説明で、地元住民、国民、さらには国際社会を偽ってきた東京電力は、当事者として総括をしなくてはならないでしょう、少なくとも自立した「企業」であれば当然のことです。そして政府・国会の機能として、東電福島原発事故からの教訓を明らかにして、責任者を「処罰」し、新しい担い手に代えての議論が、最低限の条件だと思います。

 経済云々よりも、生存できるかどうか、これが今の日本の課題であるはず。それを企業競争力とか経済成長とかを声高に言う今の「経済界」の浅薄さに、人材の枯渇を強く感じます。

 このブログを始めて間もなく、2008年11月10日に私は書きました、「『平和』に対して、経営者はもっと積極的に活動をすべきなのではないか:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=70」、と。経済同友会で、永らくご活躍だった品川正治さんは、私の尊敬する経済人で、2009年6月に札幌でご講演もお願いしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1351)。3・11以降の社会的には、「経営者は、『人間が生きていけるかどうか』に、もっと真剣に向き合うべきではないか」、となっているのだと思います。

 TPPの議論も、原発再稼働も、まさに日本の政府・官僚・アカデミックセクター・経済界の立場のある方々が「メルトダウン」です、今こそ、私たちは、日本国民の「主権」を取り戻さなくては。

震災から1年を経て

Posted by 秋山孝二
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 東日本大震災からちょうど1年を経て、昨日を含むこの1週間は、各メディアは特別番組・紙面であふれていました。昨年来、自分なりにたくさんの報道に触れてきたつもりですが、昨日を経て膨大な初めてみる映像等、あらためて、ごくごく一部しか知っていなかったことを感じましたし、よい意味でも悪い意味でも、メディアの重要性を再認識しました。

 その中から、心に残った番組をいくつか紹介します。

* 10日(?)BS朝日夜の番組、葉千栄・東海大学教授の「NIPPN ぶった斬り:http://asahi-newstar.com/web/27_yo_senei/?cat=18」で、上杉隆(http://uesugitakashi.com/)、岩上安身(http://iwj.co.jp/)ほか、イタリアのピオ・デミリア(ジャーナリスト、イタリア・「スカイTG24」TV極東特派員)、中国の蒋豊(「日本新華僑報」編集長)のベテラン特派員とのやり取りは、インターネットメディアからみる日本のマスメディアの課題、病理、外国人ジャーナリストに映る日本のメディアの異常さ等、切れ味爽やかに、地震・津波・原発事故のこの間の報道を通じての指摘は、実に興味深いものでした。「がれき処理」にまつわる鋭い指摘、日本の制空権から見る構図等は、「磨き上げられた感性」を見た思いです。「政府が情報を隠す・コントロールしようとする体質は、どこの国でも当たり前。国民は真実を知る権利があり、それをどう指摘し、壁をこじ開けて、国民に対して真実・本質を提示できるか、そこにジャーナリストとしての誇りがあるはず」と語るビオ・デミリアの言葉は特に印象的でした。

* 3月11日早朝5時、NHK・ETV「こころの時代~私にとっての3・11:ひとりひとり命から」は、柳田邦男さんの出演でした。「2万人が犠牲になった一つの大震災」ではなく、「一人一人が犠牲になった2万件の大震災」であることにより、ひとまとめに片づけてします姿勢への警鐘を鳴らし、犠牲になった人の「名前」の重要性を、伊勢真一監督の映画「傍:かたわらhttp://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD21111/index.html」を引用して説明しました。「日常を生きている」ことの価値をあらためて認識し、命の本質というのは、「いる」、「続く」であり、死後もなお「精神性」は生き続けることを、淡々とお話されていました。そして、今、将来を展望する時に、哲学・倫理的議論を含めた幅広い関係者の知恵と創意が必要とも。

* 午後のNHK・ETV「シンサイミライ学校:http://www.nhk.or.jp/sonae/mirai/」では、昨年3月19日のこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7883)でもご紹介した、群馬大学の片田敏孝教授の防災教育の一コマでした。番組は和歌山県田辺市の中学校の授業でしたが、その教材に登場する釜石の小学生の言葉に感動しました。「震災後の迅速な避難を、多くの人は『釜石の奇跡』と言うけれど、僕たちはそれまでに何回も訓練してきたんだ。日頃の『実力』を発揮しただけであり、それは『奇跡』ではなく、『実績』だよ」、と。しかしながら、そんな釜石の子どもたちも、片田先生も、1000人の釜石市民を救えなかった事実に、「途半ば」を自覚し、今後の生き残った人間の防災への責任を果たしていくと、強い決意も述べていました。

* 新刊本では、外岡秀俊著「3・11複合災害」、「震災と原発 国家の過ち」が興味深いです。彼は、私の中学・高校の3年後輩で、昨年3月末に朝日新聞を退社して、ふるさと札幌に戻るはずでした。予定通り退社はしましたが、3・11直後から取材を開始し、まさに「まえがき」にあるように、「たとえば震災から10年後の2012年に中学・高校生になるあなたが、『さて、3・11とは何だったのか』と振り返り、事実を調べようとするときに、まず手にとっていただく本のひとつにすること。それが目標です。」との思いで、この1年間を鳥瞰図的に、或いはきめ細かい取材を通して、一人一人の眼差しに寄り添った文章で記録されています。

 

 私自身、昨年3・11以降最初のブログ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7807)、そして、昨年3月のブログ(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?m=201103)です。長淵剛の「愛おしき死者たちよ:http://www.youtube.com/watch?v=a5XSf8Sv_QA」とともに、これからもなお続く私の「2011.3.11」です。

日本人は何を考えてきたのか?

Posted by 秋山孝二
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 NHK教育テレビ「日本人は何を考えてきたのか:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/about/index.html」、NHKのHPには:~~~~~~未曾有の震災、原発事故、そして混迷する政治・経済…いま、私たちは文明史の転換に立たされています。日本はどこへゆくのか。時代の座標軸を求めて、思想や哲学を求める声が高まっています。日本が近代文明を目指して開国してから150年。この間、人々は時代と向き合い、何を考えてきたのでしょうか。思想の巨人たちの苦闘の中に、今を読み解く手がかりはないのか。このシリーズは国際的な新しい視点で2年がかりで日本人の近代の思索の営みを描いていきます。~~~~~とあります。

 第4回「非戦と平等を求めて~堺利彦と幸徳秋水:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/0129.html」は、見応えがありました。歴史学者・クリスチーヌ・レヴィ(フランス・ボルドー第三大学教授:http://peces.blog27.fc2.com/blog-entry-455.html)さん、山泉進(明治大学教授:http://www.meiji.ac.jp/hogaku/teacher/yamaizumi.htm)さんのコメント、特にレヴィ教授のお話は実に興味深かったです。国家と国民、自立した存在としての国民、国家権力とその責任の取り方、取らせ方等、3・11以降の今、まさに問い直されるべき日本社会だと思います。

<参考サイト>

* 「堺利彦顕彰会:http://www12.ocn.ne.jp/~sayaka/turuta_hayama_sakai/sakai.html

* 「幸徳秋水を顕彰する会:http://www.shuusui.com/

 2年前に高知県四万十市を訪れた時、四万十中村で幸徳秋水のお墓をお参りしました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3916)。冤罪(えんざい)のまさに始まり、日清・日露戦争を経た当時の時代背景をあらためて認識しました、「歴史に学ぶ」とは言え、歴史の検証というのも奥深いですね。記録の壁を穿ち、厚い扉をこじ開けて真実を究明する、そんな飽くなき姿勢が必須です。

 今後、7月「大正編:http://www.nhk.or.jp/nihonjin/schedule/index.html」も楽しみです。~~~~~~~~~~~~

第5回 東と西をつなぐ ~内村鑑三・新渡戸稲造~

第6回 大正デモクラシーと中国・朝鮮 ~吉野作造・石橋湛山~

第7回 貧困に取り組む ~河上肇と経済学者たち~

第8回 常民の日本を探る ~柳田民俗学とその継承者~
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山本義隆、変わらぬ深い洞察!

Posted by 秋山孝二
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 昨年の3・11以降、出会った最も印象的な書物に、山本義隆著「福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと:http://www.msz.co.jp/news/topics/07644.htmlがあります。わずか100ページ程ですが、ご存知の方は忘れられない名・山本義隆http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8821)、この変革期に変わらぬ深い洞察です。

 その中から幾つかのフレーズ~~~~~~~~~

* 20世紀に大きな問題になった公害の多くは、なんらかの有用物質の生産過程に付随して生じる有害物質を、無知からか、あるいは知っての上での怠慢からか、それとも故意の犯行として、海中や大気中に放出することで発生した。ひとたび環境に放出された有害物質を回収するのは事実上不可能であるが、技術の向上と十分な配慮により廃液や排気を濾過し、そのような有害物質を工場外に出さないようにすることは不可能ではなく、またこうして発生源で回収されたそれらの有害物質を技術的に無害化することも、あるいはそのような技術が生み出されるまで保管しておくことも、多くの場合可能である。・・・・いずれにせよ有害物質を完全に回収し無害化し得る技術が伴ってはじめて、その技術は完成されたことになる。

* 無害化不可能な有毒物質を、稼働に伴って生み出し続ける原子力発電は、未熟な技術と言わざるを得ない。

* 定期検査では、放射能を有する気体も大気中に放出されている。このように原発は、それ自体が放射能と熱の二大汚染源である。その影響がすぐに明らかにならないからと言って、このまま原発を稼働し続け、何世代も後にどのような影響がもたらされるかを人体実験するわけにはいかない。つまることろ原子力発電は、日常的に地球環境を汚染し、危険で扱いの厄介な廃棄物を生み出し続け、その影響を受益者の世代から見て何世代、いや何十世代も先の人類に、負の遺産として押しつけているのである。

* 税金を用いた多額の交付金によって地方議会を切り崩し、地方自治体を財政的に原発に反対できない状態に追いやり、優遇されている電力会社は、他の企業では考えられないような潤沢な宣伝費用を投入することで大マスコミを抱き込み、頻繁に生じている小規模な事故や不具合の発覚を隠ぺいして安全宣伝を繰り返し、寄附講座という形でのボス教授の支配の続く大学研究室をまるごと買収し、こうして、地元マスコミや学界から批判者を排除し、翼賛体制を作り上げていったやり方は、「原発ファシズム」という様相を呈している。

* 経験主義的に始まった「水力」や「風力」、あるいは「火力」といった自然動力の使用と異なり、「原子力」と通称されている核力のエネルギーの技術的使用、すなわち核爆弾と原子炉は、純粋に物理学理論のみに基づいて生み出された。

* 今回東北地方を襲った大津波に対して、最も効果的な対抗手段が、ともかく高所に逃げろという先人の教えであったことは教訓的である。私たちは古来、人類が有していた自然に対する畏れの感覚を、もう一度取り戻すべきであろう。

* こうなった以上は、世界がフクシマの教訓を共有するべく、事故の経過と責任を包み隠さず明らかにし、その上で、率先して脱原発社会、脱原爆社会を宣言し、そのモデルを世界に示すべきであろう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以上 引用おわり

 日本を代表する卓越した物理学研究者・山本義隆の見識でした。

 実を言うと、私の家の書棚には、8年前に第30回大佛次郎賞を受賞した彼の著書「磁力と重力の発見1・2・3:http://www.msz.co.jp/book/detail/08031.html」が置いてあるのです。三冊をすぐに買ったのですが、最初の100ページを読んで挫折して、そのまま今日に至っていました。今回の彼の原発事故への深い考察を目の当たりにして、再度「磁場と重力の発見」に挑戦しようと意欲が湧いてきました。

 山本義隆氏の変わらぬ見識に感動し、力を得ました。

2012年、企業の底力に期待!

Posted by 秋山孝二
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 この数年、市民活動を支える方々から、「企業って利益追求でしょっ!」とか、「経済界って儲けることばかり考えてる!」みたいな話をよく耳にしていましたが、私には実に不本意なのですよ。「それは間違いだ!!」と大きな声で言いたいですね、よく観察すると、素晴らしい企業があちこちに出現している昨今です。

 私は商売をする家に生まれ育ち、24時間・365日、自分たちの暮らしよりも会社とか仕事のことばかり考えている経営者しか知りませんでしたし、自分が経営の一翼を担うようになっても、ひと時もお得意先・社員のことが頭を離れたことがありませんでした。「儲け」は、設備投資原資とか、従業員給与とか、メインテナンスとか、自らのリスクで生き残るため、持続可能な企業活動を担保するために必要だと思っていました。そして更に、民間企業経営者が、納税はじめ社会のためとか、人々のために日々活動しているエピソード・経験談を、幼い頃から繰り返し繰り返し耳にしていたからだとも思います。

 たとえば、秋山愛生舘の「奉仕の精神」、「民の担う公共・志」、「社会への貢献」といった精神は、私は企業理念だと信じています。ワグナー・ナンドール財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)理事長で叔母の和久奈ちよは話していました、「関東大震災時、父母と従業員の献身的大活躍で倉庫の薬を殆ど全部東京に配送したこと、母は必死に薬品の木箱に縄をかけまくったこと。第二次世界大戦中も、母が社員とリュックを背負って立ちどうしの汽車で東京に薬の買い付けに行き、それを売るときに多少の運搬費をいただいた程度だった」と。戦後、叔母の知人の隣人が札幌出身の人で、戦時中家族が病気の際、 適正な価格で分けてもらって命拾いをしたと、涙ながらに知人の手を取って感謝を述べたとも聞きました。

 さらに叔母は、「自家製剤の『ネオ肝精』、『デルモライツ』の大成功も、北海道人の健康に役に立つと、父が即座に製造組織を構築し たこと、琴似の工場が火事になって軍部から来ていた材料の水飴が流れ出し、近所の人々が群がってスプーンですくっていたのを見た父が、そんなに物資が窮乏していたのかとびっくりして、『一地方商人がするビジネスでない』と、大手製造業に譲ったことなど、子供心に身内を誇らしく思ったことがいっぱいある」とも、鮮明な記憶として語ってくれます。 

 

 昨年末に、(株)スズケン(http://www.suzuken.co.jp/)の社内報が届き、そこには昨年の東日本大震災後に、懸命に医薬品を届けようと尽力する社員の多くの活動が語られていました。「生命関連商品を扱う社会的責任を痛感」、「『何としても薬を届けなければ』という社員のがんばりに驚かされる」、「震災を通して社員の成長を実感」、「みんなの力でセンター機能破たんを回避」、「物流で失った信頼は物流で取り戻す」、「日ごろから本物のお付き合いこそが信頼の礎」、「がんばりの源は『医療を支える一員』という意識」等、「今、伝えたいこと」の特集で、あらためて自らの社会的役割を、お得意先、社員の「絆」を通じて確認したようです。

 昨年5月のスズケン出身者の会「ケンユー会・愛生舘支部総会:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8734」の様子をこの欄に書きました。「~~~~~~~~~~来賓で名古屋からお越しいただいた(株)スズケンの伊藤副社長のお話によると、3月の東日本大震災では、お得意先の医療機関に必死で医薬品をお届けし続ける一方、スズケンの東北エリアの物流センター、支店等でもかなりの被害が有ったようです。支店屋上に数日間避難したり、犠牲になった方もいらっしゃったと報告もありました。全国で営業展開し、医薬品の流通を通じて日々社会への責任を果たそうとするモラルの高さに感動しながらも、被災とは無縁ではいられない難しさもあるのですね。先日のお話では、被災復旧への投資等も多額に上り、来年の年間配当は、これまでの一株62円から50円へと減配の予定とか。秋山財団運営には大きな打撃であり、来年度事業計画に織り込んで対応を考えなければなりません。~~~~~~~~~」

 自らのリスクテイクと顧客への責任を全うせんがための全社一丸の努力を、伊藤副社長の言葉、社内報から読み取り、私は強い感動を覚えました。まさに、民の志の高さ、モチベーションに支えられた個々の判断の迅速性と適格性と言えましょうか。先見性のある優れた企業は、当事者能力も高く、新しい時代の変化に対していち早く対応しています。環境系等の社会貢献を標榜するNGO・NPOも、いつ実行されるか分からない政策に期待するよりも、これらの優良企業とコラボレーションする方が決断スピードも速く、規模も大きく、結果を出すことができると考え始めています。

 

 一方、下記のように、昨年お会いしたスイスの投資家から見る企業と国家の当事者能力の違いに対して、厳しい評価があります。

~~~~~ギリシア問題から始まり、EUについてはかなり悲観的な展望だ。スイスはEUに加盟していないので、スイスの政治指導者に感謝する。それでも日本同様、現在スイスフラン高で、輸出企業の多いスイスもチャレンジだ。ただ、今のところは企業業績は悪くは無い。アメリカも確かに難しい局面だが、それでも一国であり、まだ大統領・政府の統制下で政策変更等、方向性を見い出せるが、EUはその下に各国の政府・議会・国民がいて、あまりに関わる利害関係者が多すぎて、スピードのある決断による転換が難しく危機的である。そんな理由で、「社債」はまだしも、「国債」はリスクが高すぎる。~~~~~~

 

 なぜこんな話を念頭に書き留めるか、それは原発事故における政治、監督官庁幹部、東京電力の経営幹部に対する憤りがあるからです。「民主主義」は本当に優れたシステムなのでしょうか?もちろん独裁が良いとは全然思いませんが、「選挙」とか「国会審議」とか、手段が目的化してやたら時間を浪費する愚、部分最適ばかりで無駄が多く、構想力も欠如している中央官庁の政策、地域独占の電力会社は民間企業としての当事者責任を問いただすと、「国の政策だから」と逃げ込み、ある時は「電力の安定供給の使命」みたいなことを持ち出して電力不足と顧客を恫喝し原発推進を言いだす、私は彼らの無責任さとそれれに無批判なメディアが許せません。

 志ある市民の自立した活動と、優れた先見性と顧客志向の企業とがコラボレイトすることが、今、課題解決の最も実現可能な道なのではないかと、確信を得るに至りました。今年一年、「エネルギーシフト」も「環境」も、「企業とのコラボ」をキーワードにして結果を出したいですね。

外国人の辛口コメント、「日本人って」

Posted by 秋山孝二
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 この3週間くらい、海外で、国内で、外国人と随分話す機会がありました。3・11以降の日本社会の様子をそれぞれ情報収集しながら、かなり「辛口」の日本人評を耳にしました。でも、不思議と意外性はなく、「あなたもそう思うか」というお話が多かったですね。

 70歳代のハンガリー人、これまで彼の人生で、自国の国境が4回変わり、ひどい時は1,000 ㎞も国境が奪われ移動した時代もあるとか。領土は伸びたり縮んだりするもの、とわきまえるべきではないか、尖閣諸島、北方領土等、日本人は領土問題に関心がなさすぎ!、ロシアという国は領土拡大だけを考えてきた国、とのご指摘。

 ハンガリー人は、「トランシルバニア」で絆が結ばれているのでしょうね。たとえばルーマニア国境で理不尽に入出国で待たされても、「従順」というのとは違って、「耐えながら機会をうかがっている」という感じです。「インビクタス:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3298」ですね。そして、国に何を期待できるのか(何もできない)と、基本的な部分で腹くくりができているみたいな。

 ドイツ・ハノーバーの見本市でブースに立ち寄ったドイツ人が、「フクシマ原発報道」について、東京電力はどうして起きている事実を隠すのか、マスメディアはなぜそれを追及しないのか、或いは一緒になって隠しているのか、そして日本人はどうしてその状況を許して問いただそうとしないか、と。そんな国民性がマスメディアを甘やかせているのではないか、と。確かにこの間、「原発事故」に関して、インターネットの多くのサイトで、ドイツメディアの果敢な報道を眼にします。

 金融機関に勤めるスイス人が、あまりに従順で大人しい日本人の行動について、考えられない!と驚きを隠しません。これだけ広範囲に放射能汚染が明らかになりながら、街頭デモも殆ど無しとは信じられない、と。「基本的人権・生存権の侵害」以外の何ものでもないだろう、そう言った静かな国民性に政治家たちが甘えている状況は、とても先進国とは思えない。もっともっと政治が緊張感を持たなければ優れた人材も育たないし、人材もこの世界に入ってこないだろうと。今回の大事故で何も変わらなければ、更に日本の政治家は国民をなめてかかるだろうね、と。

 ふだん静かで政治的な話題は殆どしない彼は、尚も続けます。日本の経営者数人に今回会って話をしたが、皆、実にネガティブに今の日本の経済状況を語っていた。でも、グローバルな視点からみて、今の日本のポジショニングは依然高いレベルにあり、そこから前に進む意欲をこのところの経営者に感じられない、飢えで苦しんでいるわけで無し、失業率だって他国と比べて決して高くはないではないか、まさに「ゆでカエル」状態であり、そのことが危機的である、と。過去の財産に寄り掛かって緊張感を失くしていると多くの国は見るだろう、とも。

 ギリシア問題から始まり、EUについてはかなり悲観的な展望でした。スイスはEUに加盟していないので、スイスの政治指導者に感謝するとも。それでも日本同様、現在スイスフラン高で、輸出企業の多いスイスもチャレンジだと。ただ、今のところは企業業績は悪くは無い。アメリカも確かに難しい局面だが、それでも一国であり、まだ大統領・政府の統制下で政策変更等、方向性を見い出せるが、EUはその下に各国の政府・議会・国民がいて、あまりに関わる利害関係者が多すぎて、スピードのある決断による転換が難しく危機的であると。そんな理由で、「社債」はまだしも、「国債」はリスクが高すぎる。

 見本市でプースに来たイラン人が、日本はどうして外国とのコラボレーションに高いハードルを設定するのか、と。優れた技術に憧れて学びたい発展途上国の人々に、もっとオープンでいいのではないか、それが優れている日本の使命だろう、と。

 同じくブースに来たチリ人が、地震についてチリも多発する国だと話し始めました。日本は地震の研究では大変優れているにも関わらず大きな被害だった、チリも昨年2回大地震に見舞われたと。

 まだまだたくさん紹介したい話はありますが、切りがありません。総じて「日本」という国に対しては、幻想と思われるほど評価が高く、逆に私が困惑する感じです。でも、ダイナミックに変動するグローバルな課題に比べれば、今の日本国内で日々問題とされている多くのことは、内向きの些細なことなのかもしれませんね、それに気がついていない現状こそが、「危機」であると、そう強く思っている昨今です。「世界に果たす日本の役割」、そんな自らへの問いが、今の日本を打開するきっかけのような気がします。

“脱原発社会は可能だ”

Posted by 秋山孝二
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PARC(http://www.parc-jp.org/)主催のフォーラム「脱原発社会は可能だ:http://www.parc-jp.org/freeschool/event/110923.html」が開催されました。

 第一部:小出裕章さんの基調講演(http://www.ustream.tv/recorded/17446156

 第二部:パネルディスカッション(http://www.ustream.tv/recorded/17448379

小出裕章先生の講演

第一部;小出裕章先生の講演

4名のパネルディスカッション

第二部:4名のパネルディスカッション

明峯哲夫さんと小出裕章さん

明峯哲夫さんと小出裕章さん

 400名近い方々で満席の法政大学会場でした。パネラーは4名。城南信用金庫(http://www.jsbank.co.jp/profile/houshin.html)理事長の吉原毅さんは、「お金は麻薬!」とおっしゃっていました、企業経営者として勇気ある発言の数々です。纐纈(はなぶさ)あや(http://amanakuni.net/Namaenonai-shinbun/Namae158hanabusa.html)さんは、映画「祝(ほうり)の島:http://www.cinemajournal.net/special/2010/hourinoshima/」の監督です。明峯哲夫さんはもう何回もこの欄でもご紹介しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%98%8E%E5%B3%AF%E5%93%B2%E5%A4%AB)。小出裕章さんも3・11以降、一層有名になりました。

 原発事故後の社会は、エネルギー分野だけではなく、20世紀後半の都市と農村との関係、食の自給問題等、現代の日本社会の多くの課題を浮き彫りにしました。そして、個々人の頭をフル回転させて、時代を構想する力で切り拓いていくたくましさが必要とされています、一時の熱狂だけではなくですね。

 北海道ではこんな具体的取り組み「エネルギー・チェンジ100:HP(http://www.enechan100.com/blog/)」がスタート、多くの方の宣言も掲載されました、私の宣言はこちら(http://www.enechan100.com/blog/?p=382)。

重たい、原発関連二つの映画

Posted by 秋山孝二
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 3・11の東京電力福島原発事故は、今なお緊迫した状態で推移していますが、6ヵ月を過ぎてこの所、テレビでも映画でも、検証・調査的な番組・作品が上映されています。

 映画では、「チェルノブイリ・ハート:http://www.gocinema.jp/c-heart/」ですね、「事故から25年・・・・、まだ終わっていない」で始まりますが、子供たちへの影響はまだまだ未知のことも多く、映っている人物もその後亡くなっていたり、それゆえの悲惨さを感じます。子供たちの表情が何とも切なく、胸に刺さります。

今なお続く被曝被害、恐ろしいことです

今なお続く被曝被害、恐ろしいことです

 もう一つは、「あしたが消えるーどうして原発?http://www.cinematoday.jp/movie/T0010562」です。1時間弱のドキュメンタリー映画で、原発設計者の証言がリアルです、抜粋の動画(http://www.youtube.com/watch?v=4lvvCEVF7vg)でも見られます、実に怖い話であり、22年前の映画とは思えません、まさに「想定内」の出来ごとでした。

  私の場合、しかしながらただ怖がってばかりではいられません。エネルギー政策とか言う前に、子供たちの人権を今を生きる世代としてどう守っていくのか、基本的生存の問題です。

 それ故に、今福島にいる子供たちへの放射能汚染は、限りなく少なく防御しなければならないでしょう。基準がどうこう言う前に、命を守るためには時間がそうたくさんはありません。
 一つ前に掲載した足立直樹さんの新しいメーリングがきました。今、実際に活動している方々の思いを読みとれますので、引用します。
~~~~~~~~~~~~~~~~引用はじまり
 既にいろいろなことをこの半年の間に変えた人たちは、空気を読むことの危険性に気付き、あえて空気を読まずに、自分の頭で考え、行動を起こした人たちです。周りが変化するのをじっと待つのではなく、自分で新しいものを作ったり、新しい世界に身を投じたのです。
 たとえば今週は、孫正義氏が呼びかけた自然エネルギー財団がいよいよ始動し、明日、明後日は世界中から駆けつけた専門家が、自然エネルギーによる持続可能な社会作りを目指すための戦略を練り、提言を行います。私もその専門家会議に参加することになっており、この新しい仕組み作りに加われることをとても嬉しく思っています。
 景色はまだ変化していないけれども、風向きは既に変わっているのです。自分の周りの空気を読んでいるだけでは、この大きな流れには案外気付きにくいのかもしれません。なにしろ、周りの空気はすっかり淀んでしまっているかもしれないのです。
 大きな時代の流れに取り残されないためには、横並びはむしろ危険と思った方がいい状況になってきたのかもしれません。空気を読むのではなく、時代の風を読む、そんな意識を大切にしたいと思います。
                                                サステナビリティ・プランナー 足立直樹
▼新著『もう空気は読まなくていい ~ポスト3.11を生き抜くために~』
■足立直樹 新著 ワニブックス【PLUS】出版  価格798円(税込)
→Amazonからも注文できます。
http://www.responseability.jp/mm/97he/a07mx5×0ci4hukcagfBCX
→Twitterでも本の宣伝、ならびに読者から寄せられた感想が紹介されています。『もう空気はよまなくていい』公式@mky311
http://www.responseability.jp/mm/97he/a07my5×0ci4hukcagfWYo
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり
 3・11以降、すでに行動を起こし始めている方々が大勢います。福島原発行動隊(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9664)も同様です。出来ない、やらない理由を100語るよりも、今、それぞれの「個」が出来る場から小さな一歩を踏み出しましょう、次の世代の生存のためにですね!

原発被災地の農業は?

Posted by 秋山孝二
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 先日、定例の異業種交流勉強会があり、食―農関係の方々と「原発被災地の今後の農業」にいての意見交換ができました。(株)横市フロマージュ舎(http://www.milkland-hokkaido.com/koubou/35-yokoichi/index.html)・横市英夫社長、(株)リープス・鈴木善人社長(http://www.leaps.jp/)、http://www.leaps.jp/?p=2784、千野米穀店・徳永善也社長(http://ja-jp.facebook.com/ChinoGrainは、それぞれご自分のフィールドから、福島県の今後の農業について率直なお話でした。

 ひと言でいうと、放射能による土壌汚染の実態、汚染の作物への影響等、あまりにも未知のことが多すぎて、検証するデータに乏しく研究も不十分、従って今後の対策についても、「本当のことを公に語るのは難しい状況」でしょうか、かなりの人たちがそう思っていても、口に出した途端に世間から嵐のようなバッシングに会うことは明らか、とか。客観的な展望とこれまで地元で農業一筋でやって来られた方とのギャップは、どうしようもなく大きいです。

 議論の一例として、「土壌汚染」というけれど、土壌の汚染度イコール農作物の汚染度ではないはずですよね、その土壌から農作物が取り込む放射性物質の「吸収量」というのはどの程度なのかは、私にとって疑問でした。以下、それへの返答です。湧き出る疑問は尽きません。

鈴木社長のHPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 農産物には、それぞれ放射性物質を土壌から吸収して作物体内に取り込む量がある。これを「移行係数」という(ホウレンソウなら 0.00054、キャベツなら 0.00092、サツマイモなら 0.033  というように。(セシウム137)。移行係数は一般的に低い。ということは、検出された作物が収穫された土壌には、高い放射性物質が存在するということでもある。

 そこでとれた農産物の安全性が担保されていても、そこで農作業する人の安全性は担保されているのだろうか?先祖代々、受け継がれたきた豊穣の土地を理不尽に汚され、そこで本当に農業を続けていくことができるのだろうか?農地の放射性物質の検査、公開はどの程度進んでいるのだろうか?

 屋外に放置された稲わらからは数万ベクレルの放射性物質が検出されている。周辺の土壌にもおそらくは同じぐらいの放射性物質が降下しているだろう。もし、農地から放射性物質が検出されれば、その農地で生産される農産物の価値は暴落するだろう。長い年月をかけて築き上げた産地やブランドのの価値は一瞬にして地に落ちる。市場で値段がつかず、生産コストが販売コストを上回っても農業という産業は成立するのだろうか?

 政府や東電はきっと「補償する」という言うだろう。でも、いつまで補償するのだろう。放射性物質はそこにずっと残る。たとえ除染したとしても産地の信用を回復するには長い時間がかかるだろう。政府が市場で値段もつかない農産物を買い上げるにしても、その財源は?そして買い取った農産物はどこへいくのだろうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 一方、先月、福島県内経済界で活躍するメディア関係の社長ともお会いする機会があり、地元経済人の大変現実的で、前向きな復興プランを伺いました。彼がおっしゃるには、「今は、県民も企業も、ただただ補償についてが最大の関心事になっていて、復興プランの自主的策定に意識が及んでいないのが残念だ。それどころか、先駆的に取り組むことが、逆に補償対象から外れると思いこんでいて、全く受け身な状態が一層情けない」と。

 しかしながら、経済界の有力な経営者たちは、今、覚悟を決めて、放射能で汚染された福島の土は、今後何十年掛っても福島県の中で、放射能汚染のモニュメントとして向き合っていくと。ヒロシマ・ナガサキの被爆の犠牲のもとに「内部被曝の研究」が蓄積・進化したように、放射能汚染の犠牲と向き合って、フクシマから土地の浄化技術・代替エネルギー技術の発信をしていく姿勢が希望となると、そう確信しているようです。それが自立した福島県人の矜持なのでしょう。国頼みではなく、自力で展望は拓く心意気です。

 海外メディアもいろいろですが、こんな記事もあります、「福島原発事故による死者は今後100万人以上、と英紙インディペンデント電子版29日(現地時間)報道」、と韓国メディアが伝えました。根拠の薄い記事も記事ですが、それをまた記事にするスタンスも底が浅いですね(http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0901&f=national_0901_034.shtml)。外国のメディアも玉石混交です、しっかり見極めなければなりません。   

 もう一つ、私へのメーリングの中、地元福島で取材する農業系記者の方から、7月に日本各地で講演や記者会見を行ったECRR(欧州放射線リスク委員会)議長のクリス・バズビー氏の論文の邦訳です。前述の英紙インディペンデントが言う100万人というのは、この論文の5倍の数字です。講演の動画はこちらです(http://iwakamiyasumi.com/archives/11569)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下 引用 

『福島の破局的事故の健康影響 欧州放射線リスク委員会(ERCC)のリスクモデルに基づいた解析第一報 』

 以下、この論文の「結論と勧告」を抜粋します。

 ECRRリスクモデルにより福島事故の100キロ圏の住民300万人に対する健康影響を検討した。100キロ圏内に1年居住を続けることにより、今後10年間で10万人、50年間でおよそ20万人がガンを超過発病すると予測された。直ちに避難を行うことでこの数字は大きく減少するだろう。100キロ圏と200キロ圏の間に居住する700万人から、今後10年間で10万人、50年間で22万人が超過発ガンすると予測された。これらの予測値は、ECRRリスクモデルおよびチェルノブイリ事故後のスウェーデンでの発ガンリスクに関する疫学調査に基づいて算定されたものである。

 余談ですが、いまドイツのテレビ局が福島の農家を取材した映像がネットを飛び交っています。福島で有機農業で頑張っている人たちが、この映像のおかげで断りが増えていると嘆いています。30日に三里塚百姓を軸に北総台地の有機農業の百姓衆が数十人集まり、東電成田支社に出向いて交渉し、ぼくも参加しました。

 千葉でも有機農業の産直は3割から4割売り上げが落ちています。三里塚有機農業は国家権力との激しい闘いの中で生まれ、もう40年近い歴史があります。ある古い有機農業の生産者が、会員の消費者(もう10年以上)から「表土を30センチは剥げばいい。剥いでいるのか」と詰問されたと言っていました。30センチの表土作ってきた代々農民の汗と苦労への思いはどこにもないようです。三里塚には、新規就農の若い世代も多くいます。夫婦で頑張っているある人は、消費者からまるで自分たちに責任があるように言われる、と嘆いていました。

 ぼくはいま仲間と福島の高齢農村女性グループと組んで、崩壊した小さな生産・直売・加工を取り戻す取り組みをやっています。こう書くと必ず、都会の運動家から「そんなことをして避難しなければならない人をモルモットにするのか、政府の手先か」という声が来るのは承知しています。しかし、福島で暮らし、耕し続けようとしている人に寄り添わない運動はぼくにはあり得ない。

  このドイツの映像では「これでは食べのものではない、まるで放射性廃棄物だ」という字幕が入っていました。ぼくは百姓ではないですが、自分で作ったものをこう言われた百姓の気持ちはどうなんでしょう。

 生きかわり死にかわりして打つ田かな:http://www.sunfield.ne.jp/~shihou/kijyo/kijo1.htm

ぼくの好きな村上鬼城の句です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~K.O.  引用 おわり

 

 日本人同士での不信感、自分本位な都会の消費者の意識、あの福島の原発は誰のための電気を作っていたのでしょうか、今を生きる日本人が試されている、そんな気がします。リスクを定量化して継続的に公開していく努力等、原発事故被災地の農地で、今後、農業をするべきかどうか、どうすることが本当に現地の方々の将来を拓くことになるのか、メディアも含めて、そろそろ真剣に議論する時期ではないでしょうか。

 エネルギー分野では、こんな新しい取り組み、「みんなのエネルギー・環境会議:http://www.meec.jp/」がスタートしています。ただ、ワイワイの「大騒ぎ」ではなく、これだけの犠牲に報いる将来につながる「プラン」を提起したいものです。

始動する「福島原発行動隊:SVCF」

Posted by 秋山孝二
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 4月に、福島での原発事故に対して60歳以上の技術者たちがいち早く立ち上がった「福島原発 暴発阻止行動 プロジェクト」が話題になりました。後に「福島原発行動隊:http://bouhatsusoshi.jp/http://www.facebook.com/bouhatsusoshi」との正式名称で、一般社団法人格も取得し、現在行動隊メンバーは500名を越え、賛同人も1500名くらいになっています。私は専門技術は何もないのですが、その志に感じるところがあり、設立直後に早速志願・登録し、先日、第8回目の参議院・院内集会に初めて参加しました。

* SVCF:Skilled Veterans Corps for Fukushima (三つ目の単語、「コープス」ではなく「コー」と発音)

ロゴも決定

ロゴも決定

 この活動趣旨等は、代表の山田恭暉さんの記者会見で詳細説明されています(http://www.ustream.tv/recorded/16534418)。設立当初から海外メディアの取材も多く、(http://www.csmonitor.com/World/Asia-Pacific/2011/0803/Fukushima-s-nuclear-cauldron-Retirees-who-want-to-go-in)、死を覚悟した「カミカゼ」行動隊かといったセンセーショナルな質問もあったとか。

 先日の集会でも、応援メッセージとして、「必ず無事帰ってきて下さい!」みたいな言葉も多く、何か鉢巻を締めた隊員のイメージで違和感が私にはありましたが・・・・。今は、一時の感情でも、思いつめた危機感でもなく、冷静に落ち着いた対処が大切だと思うのです。

 このプロジェクトの一番のポイントは、参加呼びかけの終り部分、「・・・・身体面でも生活の面でも最も放射能被曝の害が少なくて済み、しかもこれまで能力を蓄積してきた退役者たちが力を振り絞って、若い世代の被曝を少しでも減少するよう力を出しましょう。まず、私たち自身が、この仕事を担う意思のあることを表明します。・・・・」でしょうね。現在、長期の活動を視野に入れたち密な作業体制構築に向けた基盤づくりの最中です。しかしながら東京電力は、そんな私たちの思いを歓迎はしないのかもしれません。

 山田さんの記者会見でもメディアの方から報告がありましたが、地元の大学が、線量測定・ガレキ撤去等の作業に学生を担わせる計画をしているとか、とんでもありませんね、今の福島原発は教育の場以前の話だと思います。これから数十年、放射能事故の後始末を通して、技術の蓄積と、ヒロシマ・ナガサキに次いで、「フクシマ」を放射能の危険性を後世に伝えるモニュメントとしなければなりません。さらに、この危機を乗り越えた地元福島県民、日本国民の姿を世界に示したいものです。福島・日本だけの問題ではなく、国際社会、そして未来のいのちへの責任だと思います。

ビハール号事件(3)

Posted by 秋山孝二
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 今朝で、北海道新聞朝刊・5回連載「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う」が終わりました。

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 連載前は、取材によって新たな事実をたくさん知り、「これで一件落着」みたいな気になるかと思いましたが、今、正直言って、まだまだ検証途中という感じですね。「捕虜殺害」には、必ずその遺族が居るはずで、何人かは今回の場合、イギリスで今も暮らしているはずです。それと、香港での戦犯裁判の記録は、切り取られることなく、イギリス本国にアーカイブスとしてしっかり保存されているのは間違いないでしょう。この事件をさらに追い掛ける道筋は見えていますので、今後時間をつくって実現できればと思います。裁判記録の検索は、裁判上の専門用語が必要なのかも知れません。確かにあることは分かっていても、検索する用語が少し違っているとヒットして来ない場合もあるのでしょう、研究の余地ありです。

 限られたスペースでメッセージを伝えるために、無駄な修飾をそぎ落とし、コンパクトな言葉に思いを込める、そんな記者の努力を垣間見た気もします。たとえば記事の中、初日の中盤、「むさぼるように読んだ」には、私自身の本に対する思いが込められていましたし、2日目の後半部、「現場は口達指令の呪縛に追い詰められていく」のフレーズは、現場で増大する緊迫感が伝わってきます。さらに4日目の中盤、「法廷の論点は、被告人2人のどちらに責任があるかに矮小化された」は、経過を説明するとかなりの字数を必要とする事実を、実に端的に状況を言い当ててると思いました。

 今朝の記事は、最も緊張しましたね、試験の発表を待っている心境とでも言いましょうか。記者が一連の私との話でどう受けとめたのか、その結果が明らかになる感じでした。最後の表現は、まだまだこれからも検証は続く、「旅の途中」と言い渡された気がします。

 3・11以降に、特に原発事故に関わりのある組織で、今、「無責任の体系」が蔓延っています。結局、現場に全てを任せて(押しつけて)、第一義的責任を負う立場の人間達が逃げようとしている、今朝の報道で3つの中央官庁のトップが、「更迭」と報道されながら割増退職金を得る処遇となっているというのも、納税者としては許し難い話です。責任の取り方・取らせ方、戦前と何も変わっていません、出す方も出す方、貰う方も貰う方です、そしてそれを許してしまうメディアと国民も。これからも私たちは自立する市民として、油断せずに国政に携わる人々を「監視して」いかなければなりません、犠牲になったこれまでの命に申し開きができません。

 繰り返しになりますが、今回の連載、初日から私へのメール・電話・直接のお話等、大変な反響でした。一般的な読者のご感想は今後分かるのでしょうが、メディアの威力というか影響力というか、まざまざと実感しました。北海道新聞デスク・お二人の記者のご尽力に、心から感謝申し上げます、そして昨年、最初にこの事件を伝えてくれた小樽在住の渡辺大助さん(http://www.amazon.co.jp/%E6%B8%A1%E8%BE%BA-%E5%A4%A7%E5%8A%A9/e/B004LUT7F4)、読んで頂いた読者の皆さまに御礼申し上げます。

活躍した札幌市消防局

Posted by 秋山孝二
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 先月30日の野田正彰さんの講演会(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9201)で、一つだけ違和感のあったお言葉が、「北海道の人間は今回の災害に対してどんな支援活動をしてきているのか、殆ど現地で出会わなかった。遠い場所での出来事と考えているのでは」、でした。とんでもありません、少なくとも私の周辺で知っているだけでも、行政・NPO・医療機関・企業等、たくさんの方々がすぐに駆けつけましたし、今も継続して活動しています。限られた地域での野田さんの体験だけから断定するのは間違いだと思いますが。

 先日、私的病院経営者の20年以上続く勉強会「木朝会」の特別例会で、「防災及び震災支援」と題して、札幌市消防局の方から報告がありました。今回の東日本大震災で、札幌市も迅速で地道な支援(http://www.city.sapporo.jp/kinkyu/index.html)を行ってきています。お話をされた札幌市中央消防署予防課・課長(指令長)の佐藤利博さんの語る姿勢も素晴らしかったです。

 とりわけ札幌市消防局の震災直後からの活躍(http://www.city.sapporo.jp/shobo/koho/enjo.html)は、私は札幌市民(納税者)の一人として誇りに感じました。

東日本大震災で活躍した札幌消防局の報告

東日本大震災で活躍した札幌市消防局の報告

  一つは、3月11日(金)15時00分(地震発生からわずか14分後)に決定された「指揮支援隊派遣」です。すぐにヘリコプターで札幌を出発し、翌12日から宮城県庁で県内部隊指揮活動を開始しました。一方11日15時30分に、15隊58名からなる「陸上部隊派遣」準備が決まり、13日朝には石巻市に到着して救援活動を開始していました。情報が錯綜し流動的情況の中、指揮部隊・現場陸上部隊と素早い取り組みが行われ、現地でも高い評価を得ました。5月10日までに、札幌からは133隊503人が出動しています。先日のご説明では、国内ばかりではなく、日常的に海外災害派遣を想定して、定時予防注射を受けている隊員も複数名いるとのお話でした、いつでも出動できる危機管理体制です。

 福島原発事故現場での東京消防庁レスキュー隊が、マスメディアに繰り返し登場していたので注目されていましたが、今回の被災地では、全国からの多くの組織的応援が迅速に行われたことを、私たちはしっかり認識する必要があります。この震災に対しての特別の支援ではなく、このような大規模災害を日常的に予測し、日頃から準備を怠っていない、そんな意識と体制から学ぶことは多いです、命令指示系統等の事前の約束事、情報共有、訓練、そして迅速な初動動作ですね。

 

 7月の札幌は、お陰さまで例年と変わりない夏を迎えています。先日、演劇鑑賞の合い間に、近くの中島公園のショウブ池の畔で缶ビールを飲みながら、池に浮かぶ手漕ぎボート、際立って素晴らしい光景に見えました。

日曜日の午後、中島公園での一コマ

日曜日の午後、中島公園での一コマ

放射能と共に暮らす時代に

Posted by 秋山孝二
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 私にとっての「放射能」認識は、広島・長崎への原爆投下が最初でした。この数年、時間を見つけて両都市を訪問し(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1602)、(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5199)、そこに至る歴史も再認識しながら反戦・平和の誓いもあらたにしています。そして 今年4月に掲載したように(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8116)、実際に自分の身に降りかかる「放射能の怖さ」を意識したのは、第五福竜丸事件でした。

 その後は特段な恐怖をもつことなく時代と並走していて、次に「放射線」を認識したのは1970年代初頭、大学で「物性物理学」を専攻していた時でしょうか。卒論のテーマは「X線と光弾性による単結晶応力解析の比較」で、「X線解析装置」と毎日付き合ってデータ取得の日々、指導の先生からも先輩からも、X線に対する注意事項を身をもって教えられました。たとえば、大学研究室で、X線が放射される方向に壁一つ隔てて男子トイレがあったのですが、「奥側はX線が漏れているかもしれないから、手前側を使う方が安全」という申し伝えが研究室にはありました。当時は半信半疑でしたが、それを忠実に守ったからか、その後の自分の生殖機能には異常は無かったようです。

 今考えると、「日常」であるがゆえに細心の注意を払うとでも言うのでしょうか。東電幹部が汚染水を海に放出して、「低濃度汚染水だから環境には大きな影響は無い」と言い放った時、私は彼らが放射線と全く寄り添ったことがない連中だと直感し、憤りを感じました、彼らに原子力を運用する覚悟はないと、犯罪行為です。

 話はそれますが、インターネットで検索すると、「X線解析」は、今は高校生でも研究しているのですね、装置がコンパクトになったからか、教育レベルが上がっているのか、私たちが大学で学んでいた「ラウエ斑点:http://nsmsxserve02.ph.kagu.tus.ac.jp/labexercise/XrayDiffraction/x-ray/laue01/index.html」等の言葉も、高校でも出てきています。

 そして、今、人生3回目の「放射線」を強く意識する時です。先日、市民活動を共にしている方と「放射線測定器:http://www.raesystems.com/products/doserae-2」を買い、手元に届きました。まだ説明書も十分読んではいないのですが、子どもたちが日常遊ぶ公園等を市民の目線から、定点・定時・継続観測し、公開しようとの思いからです。

 一口に「放射線」と言っても、(1)α:アルファ線、(2)β:ベータ線、(3)γ:ガンマ線、(4)中性子線の4種類の放射線があります。東電福島原発事故以降、よく見かけるようになった小型の放射線計測機は、低濃度のベーター線を測定するだけのものがほとんどです。政府や自治体の設置してる、いわゆる「モニタリングポスト」で計測できる放射線は、貫通力が高いガンマ線だけとか、いろいろですから、測る方もデータを読み取る方も注意が必要です。アルファー線や中性子線などの計測は非常に難しいです。また測定器のメーカーによっても精度が違い、大きく数値が異なってくることは珍しくありません。従って、今回購入した計測器を使う場合も、メーカー名、方法、場所等についての情報も一緒に公開することが重要ですね。ただ数値だけが一人歩きして「安全である」といった発表姿勢は、およそ科学的ではありませんし、それどころか恐ろしく無責任と言えます。

 25年前、秋山財団の最初の理事会で、理事のお一人が次のように語られていました。「生命科学の基本目標は、人類、そして地球の『健康』を確保する点にあると言えましょう。『健康』とは、人類が、世界が、平和を保つ状態だと思うのです。それは人間のコモンセンスに属すべきものであり、秋山財団の地味ではあっても着実な助成・育成活動が、北海道から日本へ、そして世界へ向けて、人類のそうしたコモンセンスの確立へと発展し、貢献する事を期待して止みません」。

 「放射能と共に生きる時代」、気温・湿度・花粉情報とともに、地道で継続的な「放射線」データ観測・記録・公開で市民は対処していきます。

この世代の幸せのために!

Posted by 秋山孝二
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 相変わらずの政治の無策・不毛、立法府としての国会の使命を自ら放棄する議員たち、従来型の無自覚なマスメディア、ただ権力・権益にこびる多くの研究者たち、しかしながら、このような現実をただ憤り、或いは傍観している市民ばかりでは無いことを私は知っています。 

<6月22日追記> 秋山財団で、市民活動助成・ネットワーク形成事業助成の選考委員を担って頂いている帯広の湯浅優子さんからメールがあり、5月の緊急シンポジウム報告も記載されています(http://www.slowfood-friends.org/

 4月5日のこの欄(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8079)で引用したように、「すべては『子ども』の為に」をあらためて感じている昨今で、勿論ここで言う「子ども」は、自分の子ども・孫のみならず、世代の象徴としての意味合いです。

2050年、42歳のこの子たちのために

2050年、42歳のこの子たち

今、生まれた命のために

19日朝に生まれた「いのち」

 ジッと見つめる無垢な眼差し、3・11の晩、仕事場から数時間も都内を歩き続けた妊婦から今、この世に生まれた命の叫びに思いを馳せながら、この子たちの世代に、多大な国の負債、放射線汚染物質をつけ回さない努力、それは戦後日本を生きた我々の世代の責任なのだと思います。「個人の尊厳」、「自由」と言っていたものはただの安っぽい「私生活主義」だったのではないか、そば打ちと旅行三昧の定年後の生活で本当にいいのか、1960年代後半・70年代に主張したメッセージを今どう考えるのか、与えられ恵まれた環境をただ消費してきた世代!等、若い世代からの厳しい問いかけに応えなければなりません。

 先日テレビ出演していた、「地雷廃絶日本キャンペーン:http://www.jcbl-ngo.org/」の運営委員でもある中央大学の目加田説子(もとこ)教授が、今回の原発事故を「放射能公害」とズバリ指摘していました。「水俣」と酷似する構図から、私たちは事故検証、責任追及、被災者救済、今後の方向転換等、多大な犠牲から学んだ解決策をできるだけ迅速に提起する必要があります。今、その立場にいる、いないにかかわらず、自分にできることを自分のフィールドで実践し続ける、あらためてそう心に決めています。

 大変月並みな表現なのですが、、「すべては『子ども』の為に」なのでしょうね!!

映画「Inside Job」ほか

Posted by 秋山孝二
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 還暦を迎えて一番嬉しいのは、いつでも映画を1000円で観られることと以前にも書きましたが、それを実感する昨今です。

 まずは、ホラー映画より恐ろしい(?)、まさにそんな映画「インサイド・ジョブhttp://www.insidejob.jp/ 」です。3年前、投資銀行のリーマン・ブラザーズの倒産に始まった損失総額20兆ドル(!!)の世界的な金融破綻は、どのようにして起きたのか、それを徹底的に追ったドキュメンタリー映画で、「世界不況の知られざる真実」のサブタイトルもついています。今、金融機関で働く全ての方々には観て貰いたいですね。

 今年の第83回アカデミー賞長編ドキュメンタリー映画賞(http://www.cinematoday.jp/page/A0002814)を受賞した作品で、今となっては、「金融破綻」と「東電福島原発事故」が同じような構造であり、間違いなく「人災」であることを確信します。「規制緩和」を通して、こんな構図を押し進めたのが80年代からの米国政権、レーガン、クリントン、ブッシュ、そしてオバマも、政党は違っても同じ構図で成り立っています。3大統領の下で金融政策を決めてきたグリーンスパンに始り、緩和政策を支えた政・財・官・学界の結託によって引き起こされた破綻だったと指摘したのが、このドキュメンタリーの重要なポイントです。

 「Inside Job:インサイド・ジョブ」の意味は、内部の良く事情を知った者が手引した犯行という意味。つまり、この金融危機は金融に関わる内部の者(インサイド)が犯した犯罪である、という認識であり、その証拠に誰も逮捕も起訴もされていません。映画の取材を拒否した当事者たちも多くいましたが、画面いっぱいに出て来る方々は皆、少し前までしかるべき責任ある立場に居た方、或いは現在も現役でいる方々ばかりです、何とも鬱陶しい息苦しさでした。

 次は、「ショージとタカオ:http://shojitakao.com/」、布川事件(http://www.fureai.or.jp/~takuo/fukawajiken/)の二人を追いかけたドキュメンタリー映画です。井手洋子さんが監督・撮影、二人の29年間の刑務所生活の後、仮釈放から14年間二人を追いかけて撮影し、2008年に東京高裁が二人の裁判やり直しを支持したのを機に、2年間で映画に仕上げたのが作品の経緯です。

 とにかく信じられないくらい前向きな二人で、何ともコミカルですから不思議です。とは言っても、こんな感想を持てるのも、現在、結末が分かっている私の気楽さゆえのことかもしれません。折々の場面で登場する方々の語りが、また実に味わいが深いです。判決が出る前の率直な「怖さ」の吐露とかです、勿論無実は信じているのですが、新しい「判決」を背負って、家族とともに生きざるを得ない状態にとか、重たいですね。この間ずっと関わった弁護士の方による、淡々と「冤罪」裁判の難しさの振り返りも強く印象に残ります。この布川事件、つい5月24日に、水戸地裁土浦支部で「再審無罪判決」が言い渡されました。足利事件(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7775)とともに、日本社会における「冤罪」の問題提起です。

 最後は、「マイ・バック・ページhttp://mbp-movie.com/」、時代はまさに、私の学生時代とぴったりダブります。原作者・川本三郎さんも著名ですが、1976年生まれの監督・山下敦弘さんも若手のホープです。若いにもかかわらず、間合いを十分に取った会話のやり取り、ラストに象徴的に撮り続ける映像からのメッセージ等、素晴らしいです。この時代、全く体験していない方々にとっても、時代を生きた人々からメッセージを感じとれるのか、と少し嬉しくなりました。

 映画の前半、東京・日比谷野外音楽堂での集会シーン、あの集会の場に、当時大学生だった私は居たのです。山本義隆氏がカーキ色のジャンバー・ヘルメット姿で壇上に突然登場し演説を始めた時の様子を、上空のヘリコプターの音とともに鮮明に覚えています。時代の空気として「ホンモノ」、「ニセモノ」へのこだわり、観念的思考、何とも不安な人生の一時期ほか、今思い出しても胸が痛みます。ベトナム戦争反対、三里塚空港建設阻止等、内外ともに騒然とした時代ですが、学生の感性は今の学生よりはるかに鋭敏で、「社会問題」が身近で真正面から向き合っていたと思います。

 「人の優しさ」は、自らの装いを恥じる気持と相まって、一層心に染み入ります。私にとっても、三里塚空港建設現場での集会後、京成電車で成田駅から同方向ゆえに一緒に帰った学生の優しさは忘れられず、京成八幡駅近くの小さなお店の中華丼、朝から何も口にしてなかったので、酢をいっぱいかけて食べた時は、思わず疲れとともに涙が出て来ました。人を欺く行為に憤りを感じつつも、自分自身は他人を平気で裏切る危うさ、そんな揺れ動く10代最後の時期だったような気がします。

 この数日間、メディアでは「内閣不信任案」を巡って大騒ぎが続きます。私の所に届くメールにも、「いい加減にしてくれ!」みたいな内容が殆どです。誰とかどの政党とかではなく、戦後政治を担ってきた人材の貧困さ、「政治」総体への憤りでしょうかね。原発事故による放射能は出続けており、復興どころか復旧さえもままならない日本、私は深海で次の時代に向けた営みを粛々と続ける、そんな心境です、勿論、今を諦めた訳ではありませんが!

<6月4日追記> 昨日この欄で、「この布川事件、つい5月24日に、水戸地裁土浦支部で『再審無罪判決』が言い渡されました」と書きましたが、今朝の新聞記事によると、「水戸地検は3日、控訴を断念する方針を固め、東京高検に伝えた」とあります。予想は出来ましたが、どうして6日の最終決定前にこのような形でメディアに届くのでしょうかね?

ONKALO、「地下深く、永遠(とわ)に」

Posted by 秋山孝二
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 つい一週間程前のこの欄にも書きました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8054)が、NHK・BS放送で引き続き興味深い番組がありました、放射性廃棄物・最終処分施設「ONKALO」を描いた「地下深く、永遠(とわ)にhttp://skyalley.exblog.jp/15572451/」は、この建設中の施設を巡るドキュメンタリー作品でした。何とも不気味なホラー番組と思いたいのですが、今現在進行形の現実です。

 「ONKALO」とは一体どんな施設なのか、以下のサイトで分かります(http://www.youtube.com/watch?v=BN25RTYjjIg)、(http://www.jsce.or.jp/committee/rm/News/news8/Onkalo.pdf)。

 こちらは、東京で緊急特別上映中の映画「100,000年後の安全http://www.uplink.co.jp/100000/」、札幌ではシアター・キノ(http://theaterkino.net/)で、5月28日(土)から6月3日(金)で1日一回上映予定との案内も見ました。2010年 国際環境映画祭(パリ)グランプリ受賞ほか、幾つかの賞に輝いています。

 とにかく「怖い」映画です、み終わった後の気持の悪さは何なのでしょうね。「持続可能な循環型」とか「地球に優しい」と真逆な、世界に今、25万トンある放射性廃棄物の最終処分場としてフィンランドに位置し、100年後に密閉し、10万年後まで自己完結型で封印するというのです。そして、その間の最大の危険因子は「人類」であると、関係者は真面目な顔で語っています。さらに、「不確実性の下での運用」、質問に対して窮すると、「それは政府に聞いて下さい」と語ってはばからない姿、まるで今の日本国のようです。

 実は、北海道も無縁ではありません、今回の原発事故の最中、3月31日に報告書が発表になっています。~~~~~~~~

北海道・幌延町での深地層研究 新年度の計画まとまる 原発事故で注目も

2011.3.31 19:42 産経ニュース

 日本原子力研究開発機構が北海道幌延町で進めている深地層研究計画の平成23年度調査研究計画がまとまり、31日、北海道に概要が説明された。前日の30日には地元の幌延町への説明が行われている。

 この研究計画は、同機構が約20年かけて深地層の研究を実施しているもので、23年度は11年目に当たる。すでに深さ250メートルまで立て坑が掘られているが、新年度は350メートルまで掘削を進めるほか、坑道で低アルカリ性コンクリート材料を吹き付ける実験など、地下施設での調査研究も併せて行う。

 深地層研究の目的は、原子力発電の核燃料を再処理する際に出る高レベル放射能廃棄物の地層処分について研究開発すること。幌延町には研究施設があるだけで、実際の処分場はまだ候補地も見つかっていない。

 福島第一原発の事故で、改めて核燃料の処分の問題がクローズアップされているが、今のところ研究計画を特に急ぐことはないという。幌延深地層研究センターの宮本陽一所長は「今回の後処理をどうするか議論されるときには、処分を研究しているわれわれにも当然、役割が与えられるのではと思っている。まずは今より悪くならずに安定することを願っています」と話している。

独立行政法人 日本原子力開発機構http://www.jaea.go.jp/

幌延深地層研究センターhttp://www.jaea.go.jp/04/horonobe/

~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 「幌延:http://www.town.horonobe.hokkaido.jp/」と言うと、「まるごとミンチ」を思い浮かべます、我が家でも買いましたね。このセンター誘致によって廃牛となった酪農家の製品だったと思います。日本のこの間の高レベル核廃棄物処分場に関する説明は、こちらに詳細掲載されています、ONKALOとの比較も(http://asako.churaumi.me/fds/archives/date/2011/05)、フィンランドの地盤との違いに注目です。

 幌延にある「ゆめ地創館:http://www.jaea.go.jp/04/horonobe/prsite/index.html」のサイトを見ると、以前の浜岡原発の記念館とそっくりの雰囲気で(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8116)、子どもたち、地元住民へのプロパガンダです。ここに至ってもなお「研究・実験」する意義がどこにあるのでしょうか、急には止まらない、止めたくない、いや、止めるにも長~い年月が掛るのでしたね。これからの研究者の存在意義は、まさに長い年月にわたる「処分場の最終処分」の研究でしょう。

 「核再処理工場」、「核最終処分場」、青森県六ケ所村(http://www.rokkasho.jp/)、そして幌延、引き続き眼を離せない言葉となりました。