3年ぶり、ハンガリーへ 2022(3)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 ハンガリー3日目は、セーケシュフェヘールバール市とドゥナウイバーロッシュ市訪問です。

 セーケシュフェヘールバール市は、これまでも何回か記事を書いています、今年も午前10時から、ワグナー・ナンドール作の『ハンガリアンコープス』が設置されている公園での戦没者慰霊祭、市長ほか議会関係者は例年通り出席しましたが、ただ、コロナ禍で軍隊・学校の生徒たちは不参加、音楽隊も無しでかなりコンパクトな式典となりました。私は昨年10月に亡くなった叔母の和久奈ちよの遺影とともに参列して花輪を捧げました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%98%E3%83%

ホテルの前庭

早朝のセーケシュフェヘールバールのメインストリート!

早朝のセーケシュフェヘールバールのメインストリート!

ミルク売りのおばさん!

ミルク売りのおばさん!

 ホテルでの朝食時、キッシュ・シャンドールさんと。

式典開始前、生徒代表も

式典開始前、生徒代表も

ちよさんもご一緒に!

ちよさんもご一緒に!

ハンガリー・ブダペスト訪問 2019 (6)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 セーケシュフェヘールバールから帰った夜、ハンガリーのAF財団関係者と日本からの私達でさよならパーティが開かれました。

 スタートはお国の自慢の「パーリンカ(https://ippin.gnavi.co.jp/article-9824/」でまずは乾杯、その後も何回も乾杯、最後もこれで締めでした!

かなりの度数

かなりのアルコール度数、40度越え?

 丁度この日は打保早紀さんの?回目のお誕生日、キッシュさんのお心遣いでみんなでサプライズのお祝いもしました!ケーキは今年もあの「母子像・ふるさと」ケーキです!

* 2年前訪問時の記事ーー> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=31598

早紀さんのお誕生日祝いも!

早紀さんのお誕生日祝いも!

今年も登場!「母子像ふるさと」ケーキ!
それぞれ切って頂きましたが、外側の濃厚な甘みの部分はさすがに残しました、内側のケーキもチョコレートと相まってかなりの甘さ。一切れも大きい!
赤、白ワインを飲みながら、間にパーリンカで何回も乾杯して3時間、ワイワイガヤガヤの楽しい時間で、今回のハンガリー訪問も思いで深いものになりました。

ハンガリー・ブダペスト訪問 2019 (4)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 毎年10月4日は、ブダペストから40分のセーケシュフェヘールバール市(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%95%E3)の戦没者慰霊祭。今年は2年ぶりにワグナー・ナンドール記念財団理事長として献花を行いました。ここはブダペストの南西、バラトン湖に向かう途中の歴史的遺産の多く発見されている町です。

< これまでのセーケシュフェヘールバール市訪問時の様子 >

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%82%B7%E3%83

 2年前はこんな感じでした。

2年前の献花

2年前の献花

 ワグナー・ナンドール作の『ハンガリアン・コープス』像が設置されている公園は、この間に大変整備されていました。

公園も整備されて

公園も整備されて

 例年通り、中学生の戦没者将校を偲ぶ詩の朗読と歌は素晴らしかったです!

 今年の献花は、日本から参加が4名、AF財団から2名の計6名での参列でした。

献花後に黙礼

献花後に拝礼

指先から真っ青な空に向かって雲が!

指先から真っ青な空に向かって希望の雲が!

財団関係者で記念撮影

財団関係者で記念撮影

 その後は、聖ステファン博物館を訪問し、館長と前館長のMs.Zsuzsa Demeter、学芸員の方々と面談し、WN財団、AF財団の最近の活動についてご説明をしました。

博物館学芸員の方と一緒に

博物館学芸員の方と一緒に

 昼食後は、この町の人気スポット、ボリ城(http://bory-var.hu/en/bory-castle)です。製作者のBory氏は、ワグナー・ナンドールとも親交があった芸術家とのこと。

 愛する妻のために造った「お城?」とのことでしたが、正直その表現には多少の違和感もありました。

10日ぶりに再開です!

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 先月末からハンガリー・ブダペストに出張していて、(公財)ワグナー・ナンドール記念財団(http://www.wagnernandor.com/indexj.htm)の姉妹財団でブダペストに本拠を構えるAkademia Fumana財団の創立20周年記念フォーラム、セーケシュフェヘールバール市での戦没者慰霊祭、他打ち合わせに出席してきました。いつものようにパソコンを持参して現地のホテルからブログをアップしようとしたところ、編集画面に何回試みてもエラーメッセージが出てきて叶わず、2008年10月にブログを開始(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=24)して以来初めての沈黙期間となってしまい、Facebookではその旨をお知らせしていました。

 今日、札幌に戻っていつもの秋山財団事務所でパソコンを開いてみると、以前と変わらず編集画面にアクセスできて、今こうやってアップもできるではありませんか。私のパソコンメールも似たような現象があり、ブダペスト滞在中は、受信は変わらずでしたが私からの発信ができなかったので、何か国のプロトコルが微妙に違うのかなとあらためて感じています。ともあれ、10月に入ってからの空白を数日間で埋めてまた書き続けますのでよろしくご愛顧のほどをお願い致します。

 それにしてもこの間、このブログが私にとってなくてはならないものであることを痛感し、別の意味では貴重な10日間でした、一日一日の振り返りとフォローアップとでも言うのでしょうか、ボーっと過ごしてしまいがちの日々にメリハリをつける役割は大切だなと思うのです。

W.N 没後20年 @ ハンガリー(4)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 0

 毎年10月6日は、セーケシュフェヘールバール市では、戦没者慰霊式典が開催されています。ここはバラトン湖の入口、かつて、ハンガリーの歴代国王が戴冠・埋葬された歴史のある都市です。私はこの式典にこれまで2回参列していますが、今年はワグナー・ナンドール没後20年の記念の年でもあり、スウェーデンからナンドール氏の三男・ワグナー・バーリントご夫妻も加わって、一層印象に残る行事となりました。式典の行われるマチの広場には、ワグナー・ナンドール作品「ハンガリアン・コープス」が建立されています。

* 2011年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357

* 2012年 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=14622

広場中央に「ハンガリアン・コープス」

広場中央に「ハンガリアン・コープス」

入場行進で開式

入場行進で開式

ご来賓ほか関係者も整列、私たちも右側に

チェル=パルコヴィチ・アンドラーシュ市長(前列右3番目)、関係者も整列、私たちも右側に

 毎年、地域の小・中学生が学校単位で臨席し、高校生による著名な戦没者の一人一人の最期の言葉を次々と朗読しています。戦争中に一人一人が懸命に闘い不条理にも亡くなった歴史をしっかり伝えていく姿勢は、大いに見習う必要があります。侵略される側の歴史の継承は、人々のアイデンティティの形成となっていくのでしょう。

最寄りの中学生も大勢参加

最寄りの小学生も大勢参加

戦没者の各々の最期を語る高校生たち

戦没者の各々の最期を語る中学生たち

私たちの財団も献花・敬礼

私たちの財団も献花・敬礼

花輪は日の丸をモチーフに

花輪は日の丸をモチーフに

 約1時間半の式典が終了し、ブダペストに向かう途中のレストランで昼食です。ここのフィッシュスープは素晴らしかったです!

郊外のレストラン入口:和久奈ちよと私

郊外のレストラン入口:和久奈ちよ(叔母)と私

大きな白身の魚入り

大きな白身の魚入り

ハンガリー 2012 (1)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

<追悼記念式典 in セーケシュフェヘールバール>

 ワグナー・ナンドールの作品、「ハンガリアン・コープス」については、これまで何回か書いています。今年4月に、益子で除幕式が開催されました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12758)。

 昨年10月に、初めてハンガリー・セーケシュフェヘールバール市の広場に設置されているこの像を訪れ、10月6日の記念式典にも参加して献花しましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357)、今年も、ワグナー・ナンドール記念財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)理事長としては初めて参加し、市長、軍、教会の代表者の次ぎに献花をしました。

街なかの広場に建つ「ハンガリアン・コープス」

街なかの広場に建つ「ハンガリアン・コープス」

献花する来賓:左から教会トップ、県議会議長、市長、軍トップ

献花する来賓:左から教会トップ、県議会議長、市長、軍トップ

式典終了後に取材に応じる市長

式典終了後に取材に応じる市長

  この式典、行く途中に気がついたのですが、私は何か革命勝利の祝典と勘違いして赤と白がベースのネクタイで臨んでいたので、会場での来賓の皆さんの黒ネクタイを見て、一人違和感を感じていました、申し訳ありません。出番はないけれども、会場には多くの地元の小学生も参加していて、数年後には自分たちも合唱・詩の朗読等の担い手になることを自然のうちに見取るのでしょう、これぞ生きた歴史教育です。

 歴史の掘り起こし(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10423)について、昨年は旧市街の発掘作業を見学して、記載しました:

~~~~セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。~~~~:

 今回はワグナー・ナンドールの作品の復元プロジェクトです。

美術館の作品復元プロジェクト責任者のお二人

美術館の作品復元プロジェクト責任者のお二人

 古代ローマ時代のものと思われる大きな石の断片が廊下に並び、その奥の部屋で、作品の復元プロジェクトの意見交換です。ワグナー・ナンドールの作品は、記録からここの美術館に収納されていたことは明確ですが、様々な時代の変遷の中で、あるものは破壊され、あるものは紛失し、復元はそう簡単な作業ではないようです。共産党政権下での数々の作品コンクールに応募し、そのリスト・写真の記録が、彼の作品の存在の動かぬ証拠となっています。お話のやり取りを聴いていて、昨年見学した旧市街の発掘作業と同じように、「歴史の再発見」、「歴史を生きた軌跡の発掘」、そんな活動の価値を強く感じましたね。

 激動の時代を生きた一人の芸術家の「再評価」は、言葉で言うほど簡単ではありません。残った人々の地道な活動とあふれる情熱が不可欠です。そして、もう一つ、それを支える風土もですね、このマチ、市民、政治、行政には、そんな伝統・文化がしっかりDNAとして内在されている確信があります。

 抜けるようなハンガリー平原の青空の下、今年もまた、何か大きなヒントを得たような気がします。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(4:終)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comment: 1

 私はこれまで7年間に、ワグナー・ナンドール関係、演劇関係で5回、ルーマニアとハンガリーの国境を陸で越えました。同行メンバーも全く違うのですが、いつも印象的なのは「ハンガリーの大平原」ですね、とにかく「大」です。

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

  高速道路はどの国でも同じ景色(?)で退屈ですが、一歩降りて地方の集落をゆっくり抜けていくと、歴史と人々の暮らしの「におい」が感じられて興味深いです、韓国もそうでしたね。確かにこの地に来ている、外国なんだという現実感とでも言うのでしょうか。

デブレツェンからの古代の国道

東部の街・デブレツェンから続く古代の国道

爆撃で落ちた教会の鐘:モニュメントに

セーケシュフェヘールバール:爆撃で破壊されて落ちた教会の鐘:モニュメントに

 ハンガリーの場合は長い歴史の中で、何回もの不条理な社会状況がありましたから、自立した市民は、一層「モニュメントとして残す」、「記念碑のような形として意志を示す重要性」を、知恵として持ち続けている気がします。「国に何かをお願いする」とか、「国に何かを期待する」みたいな話が出てこないですね、地方自治体はエネルギーがあり、これまでの多くの犠牲の中から自分たちの暮らしをしっかり「守る」術(すべ)を持っているのでしょう。毎回ここに来ると感じる「におい」です。

 セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。

 今回3か所で、ワグナー・ナンドールの作品とそれに共感する多くの皆さまと私はお会い出来ました。ここまで作品の建立に至る道には、それぞれ苦難の物語があり、ハンガリーの「Academia Fumana」理事長のキッシュ・シャンドールさんを筆頭に、ワグナー・ナンドール没後にハンガリーで建立推進を担われた方々、日本でワグナー・ちよ理事長の「ワグナー・ナンドール記念財団」と支援されてきた方々のご尽力に心から感謝申し上げます。

 「戦う」という言葉に何か抵抗感を持つ昨今の日本社会、「精神の戦い」は個人レベルでも社会レベルでも、戦後日本が失くした、或いは忘れた価値ではありませんか。歴史に誠実に向き合う、そこに今の難しい時代を生きて、将来に向けた価値創造のヒントがあるような気がします、ヨーロッパのせめぎ合いを生き抜いている、「アジアの同胞」からの学びです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(3)

Posted by 秋山孝二
Categorized Under: 日記
Comments: 3

 このシリーズ最終日は、ブダペストから約1時間西、バラトン湖手前の古都・セーケシュフェヘールバール(http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/246751/m0u/)、ワグナー・ナンドール作「ハンガリアン・コープス像」のある広場で、市民挙げての式典でした。広場の中心にある像、空高く突きあげる指の表現に、作者の強いメッセージ「希望」を感じます。

右が「ハンガリアン・コープス像」

右が「ハンガリアン・コープス像」

  式典では、市の代表、「Academia Fumana」を代表して日本大使夫人とワグナーちよさん、そして日本の「ワグナー・ナンドール財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」を代表して評議員の堅田さんと私が、それぞれ兵士二人が運ぶ後をついて献花しました。あらかじめの連絡はなく、直前の指示に戸惑いながらも、我々の名前が大きく呼ばれて身の引き締まる思いでした。ただ、ここでも決定的証拠写真が撮れず、日本に帰ってから誰か撮影している方を探し出す必要があります。兵士、子供たち、楽隊、政治・行政の幹部、ピーンと張り詰めたあの緊張感が、たまらなく感激でした、絵になるというか、毎年こうやってメッセージを伝え続けて、自分たちの歴史に対して真摯に向き合っている姿への感動かもしれません。

式典前、少し緊張気味の旗手・高校生たち

式典前に彫刻を囲み、少し緊張気味の旗手・高校生たち

式典に参加の右・副市長(文化・芸術担当)、左・県議会議長

式典に参加の右・副市長(文化・芸術担当)、左・県議会議長

 式典の後、副市長のご案内で街の中心部を歩きましたが、まるでテーマパークのように見事な景観を形成しています。市議会議場でも説明を受け、歴史の一コマに居る雰囲気をかもしだす、重厚で厳かな議場でした。その後、リニューアルした歴史的建造物について考古学者の方によるご案内・説明も興味深く、歴史の節目・節目に壁の増改築もあった様子が石の積み上げの違いで検証されたり、またそれらを透明の壁で「見える化」しながら、結婚披露宴会場として今も活用する、保存・展示の技術にも驚きました。今もなお遺跡の発掘作業が続いていました。

 前日のナジュバラドでは、朝の6時に教会の透き通る鐘の音で目を覚まし、ここでは正午に、市内十数か所の教会が次々と鐘を鳴らし、時を告げていました。その鐘の音を聴き終えて、空間を復元したレストランで副市長主催の昼食会が和気あいあいで開催。

市議会議場

市議会議場

 この街は人口10万人少し、数100年間、歴代の国王の戴冠式が行われていた誇りが、圧倒的な存在感と自信をを示しています。市庁舎・議場の壁には大きな絵画が掛けられて、どうみても美術館といった建た住まいです。「自治」の伝統、歴史への誇り、今の殆どの日本の地方自治体が持ち合わせていない「エネルギー」のようなものなのでしょうね、とにかく感動しました。

<12日に追加分:公式写真集と地元テレビの報道>

http://www.szekesfehervar.hu/viewer.php?image=0&group=90042
 
http://www.fehervar.tv/index.php?pg=video&cid=16&vid=4572&autoplay=true