ハンガリー 2012 (2)

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<「ワグナー・ナンドール」シンポジウム in ブダペスト>

 昨年出席しましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10355)、今年は会場は同じ「ペトフィ文学博物館(http://www.pim.hu/object.1160b1a4-08c9-4ea9-bb65-1d30e97d1eb0.ivy)」で、テーマは「ワグナー・ナンドールの人生の軌跡」をたどるものでした。

会場はブダペスト市内中心部の美術館

会場はブダペスト市内中心部のベトフィ文学博物館

  私は今回、トップバッターで以下のような挨拶をしました。

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今日、ここで「ワグナー・ナンドール記念財団」の理事長として、皆さまの前でご挨拶できることを、大変光栄に思っています。当財団は、20114月から「公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団」として、新たに活動を始めています。さらに、今年6月に私が二代目理事長に就任しました。勿論、ワグナーちよは変わらず元気で、引き続き理事として情熱を傾けています。

 

 せっかくの機会ですので、この数年間の<新しい事業>を報告致します。

まず、2011年に「ワグナー・ナンドール記念研究助成事業」を開始し、第1回として陶芸家の成良仁(なりよしひとし)氏に贈呈しました。つづいて2011年、DVD 日本語版のNo2 No3を完成し、新しい視点からのWNの思想・哲学の紹介を試みています。

一方、2011.3.11震災で益子の財団では多少の被害があり、修復のためにしばし休館しました。2012春季展開催(4/155/15)は、「ワグナー・ナンドール没後15周年記念展示」として、多くの方々に訪問して頂きました。2012年、DVD 英語版3巻を完成、秋季展は1016日から1カ月を予定しおり、併設展としてWN研究助成受賞者・成良仁さんの作品展示も開催します。最近の来館者の特徴は、1)栃木県外からの来館者が増加、2)新規来館者が増加、3)HPを見て興味もち、来館する人も増加しています、関係HPとのリンク、モバイル版もUP等の効果だと思います。

 

 次に、今日、私がここにお集まりの皆さまに是非お伝えしたいことは、この間、ハンガリーと日本の二つのWN財団の交流が「作品」を通じて一層進化していることです。

一つは、ハンガリー、アカデミア・フーマーナから贈って頂いた「ハンガリアン・コープス」ブロンズ像は、2012429日に益子アトリエで除幕式を開催しました。EU協議会前副議長テーケシュ・ラスロー氏(ルーマニア代表)、大塚朋之益子町長を始め、地元の皆さん、財団関係者多数のご出席を頂きました。さらに、「ヨーゼフ・アティラ」ブロンズ像は、益子の庭園に設置完了し、「嘆き」石膏原型は、禅の廊下に展示しています。

次は、2年前から【母子像・ふるさと】石彫をブダペスト市に設置の企画が起こり、写真資料とテラコッタを「ハンガリー・アカデミー・フーマーナ」に送付し、今年、これらの限られた資料から素晴しい石彫が完成したと、ワグナー・ちよが絶賛していました。明後日、こちらで除幕式が開催されることを心からお喜び申し上げます。また、【母子像・ふるさと】ブロンズ像は、ワグナー・ちよのふるさと札幌市・市長公邸跡に設置完了し、除幕式が20111118日、札幌市副市長、隣地のアメリカ総領事館リース総領事、地域の保育園の子どもたち・保護者の皆さん等のご出席で、なごやかに執り行われました。当日は雪が少し積もっていましたが、その後、春を迎えたこの場では、多くの子どもたち、親子連れ、お年寄り、若者たちのくつろぎ、癒(いや)しの場として人気を集めています。

 

以上ご報告したように、この間の、ワグナー・ナンドールの作品を軸とした、ダイナミックな活動は、あらたな発展の段階に入っていると思います。ワグナー・ナンドールを直接知る方々の時代から、作品を通じて彼の哲学・理念をしっかり伝えていく時代を迎えていること、言い換えると、益子町のアトリエを本拠地として、「哲学の庭11体」の東京都中野区、「母子像・ふるさと像」の東京都麻布(あざぶ)、札幌市、そしてハンガリー各地、ナジュバラド等、作品と土地を結ぶネットワークを基盤に、WNの思想・哲学をあらたなメッセージとして世界に発信していく段階に進化してきています。

これまでの皆さま方のご尽力に心から感謝申し上げるのと同時に、このことを今後活動の軸に据えていきたい、私はそう感じています。

 

ご清聴ありがとうございます。

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シンポジウム終了後の懇親会で

シンポジウム終了後の懇親会で

会終了後に玄関を出て見ると、雰囲気のある街並みの路地

会終了後に玄関を出て見ると、雰囲気のある街並みの路地

 今年のシンポは、原点に戻って、ワグナー・ナンドールの生涯を、特にハンガリー、スウェーデン時代の創作活動を通じて、出席した皆さんと共有するひと時となりました。

ハンガリー 2012 (1)

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<追悼記念式典 in セーケシュフェヘールバール>

 ワグナー・ナンドールの作品、「ハンガリアン・コープス」については、これまで何回か書いています。今年4月に、益子で除幕式が開催されました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12758)。

 昨年10月に、初めてハンガリー・セーケシュフェヘールバール市の広場に設置されているこの像を訪れ、10月6日の記念式典にも参加して献花しましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357)、今年も、ワグナー・ナンドール記念財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)理事長としては初めて参加し、市長、軍、教会の代表者の次ぎに献花をしました。

街なかの広場に建つ「ハンガリアン・コープス」

街なかの広場に建つ「ハンガリアン・コープス」

献花する来賓:左から教会トップ、県議会議長、市長、軍トップ

献花する来賓:左から教会トップ、県議会議長、市長、軍トップ

式典終了後に取材に応じる市長

式典終了後に取材に応じる市長

  この式典、行く途中に気がついたのですが、私は何か革命勝利の祝典と勘違いして赤と白がベースのネクタイで臨んでいたので、会場での来賓の皆さんの黒ネクタイを見て、一人違和感を感じていました、申し訳ありません。出番はないけれども、会場には多くの地元の小学生も参加していて、数年後には自分たちも合唱・詩の朗読等の担い手になることを自然のうちに見取るのでしょう、これぞ生きた歴史教育です。

 歴史の掘り起こし(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10423)について、昨年は旧市街の発掘作業を見学して、記載しました:

~~~~セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。~~~~:

 今回はワグナー・ナンドールの作品の復元プロジェクトです。

美術館の作品復元プロジェクト責任者のお二人

美術館の作品復元プロジェクト責任者のお二人

 古代ローマ時代のものと思われる大きな石の断片が廊下に並び、その奥の部屋で、作品の復元プロジェクトの意見交換です。ワグナー・ナンドールの作品は、記録からここの美術館に収納されていたことは明確ですが、様々な時代の変遷の中で、あるものは破壊され、あるものは紛失し、復元はそう簡単な作業ではないようです。共産党政権下での数々の作品コンクールに応募し、そのリスト・写真の記録が、彼の作品の存在の動かぬ証拠となっています。お話のやり取りを聴いていて、昨年見学した旧市街の発掘作業と同じように、「歴史の再発見」、「歴史を生きた軌跡の発掘」、そんな活動の価値を強く感じましたね。

 激動の時代を生きた一人の芸術家の「再評価」は、言葉で言うほど簡単ではありません。残った人々の地道な活動とあふれる情熱が不可欠です。そして、もう一つ、それを支える風土もですね、このマチ、市民、政治、行政には、そんな伝統・文化がしっかりDNAとして内在されている確信があります。

 抜けるようなハンガリー平原の青空の下、今年もまた、何か大きなヒントを得たような気がします。

DVD製作の現場で

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  この6月から、私は「ワグナー・ナンドール財団(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html)」の理事長に就任し、HPに掲載していますが、私なりの「志」を示しました(http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/jigyounaiyou.html)。

 ちよ前理事長は変わらずお元気ですので、これまでの活動は引き続き継続し、さらにワグナー・ナンドールの哲学、作品をより多くの世界の方々に知って頂くために、今、英語版のDVDを製作しています。先日、その英語版ナレーションを入れる作業が、長時間缶詰になってスタジオでありました。

スタジオの中で延々と

スタジオの中で延々と

  歴史的事実をどの言葉で表現するか、たとえば、ハンガリー「動乱」か「革命」か。ハンガリーの地名、人名の発音・アクセントは適切か、間合いとか気持の入れ方は趣旨と会っているか、映像の流れにナレーションが調和しているか、とにかく数多くの視点からの「音入れ」、総合芸術のプロの領域を見学させて頂き、私たちの「思想」が問われる場面も多かったですね。ふだん、出来上がったDVDばかりを見ている私にとっては、それを「創る作業」を垣間見て、貴重なひと時でした。

 これから最終の作業を経て、素晴らしい作品が出来上がるのが楽しみです。

キッシュさん親子、日本に寄せる心

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 この欄に、何回も登場しているキッシュ・シャンドールさんは、15年以上も駐日ハンガリー大使館(http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/JP/jp/)に勤務されていた元外交官です。奥さまは学校で日本語の教師をつとめられると同時に、ハンガリーで日本語の国家試験の問題作成にも当たられています。お嬢様のレイカさんは、完璧な日本語を駆使してプロの通訳としてご活躍中、10年前の7月に天皇・皇后両陛下がハンガリー・ブダペストをご訪問された時(http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/speech/speech-h14e-easterneurope.html#HUNGARY)には、美智子妃殿下の公式通訳をされました。とにかく敬語の使い方ほか、正確で優しい彼女の日本語に接して、あらためて日本語の美しさを感じ取ります。ブダペストでご活躍の息子さんは、コンピューターのエンジニア、やはり日本語に堪能で、とにかくキッシュさん一家の日本に寄せる熱い気持には、こちらが感動します。

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

レイカさん、シャンドールさん、堅田さん、お疲れ様でした

 これまで、いくつか書きました:

* 2年前に札幌で開催されたフォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371

* 同じ年、東京中野区の哲学堂公園に建立された「哲学の庭」一周年記念フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6768

* 昨年のルーマニア・ハンガリー訪問での式典&フォーラム(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10355、 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10423

 毎回、キッシュさんは中心になってご準備をされて、お世話になっています。札幌の劇団がハンガリーを訪問した時も、ワグナー・ナンドール関係の訪問でも、笑顔を絶やさず、そのホスピタリティには学ぶことばかりです。

 「外交官」と言えば、私はこれまでたくさんの「外交官」にお会いしてきましたが、正直に言って、どこか「尊大な」方が多く、親しみを感じることが難しかったですね。外国でお仕事をされていると、数々の外交特権があり、仕事を終えられた後も何かその「特権から抜けられない人格」となってしまうのでしょうか。特に、戦後の経済成長を成し遂げた日本国の経済力を背景に仕事をされたきたゆえなのかもしれません。

 ある北欧の国の日本大使館の外交官(ある省から大使館に出向中)は、夕食をご一緒中に突然パスポートか身分証明書を私に見せて、「この番号があると、レストランで代金を踏み倒すこともできるんだ!」と。私は思わず、「はぁ、それで?」と言ってしまいました。

 また、アメリカのある都市に駐在の総領事は、企業訪問を続けていた私に、「最近の民間外交も御熱心ですな~」と、冷やかな笑いで言い放ちました、真剣な企業訪問を薄っぺらな「外交」と一緒にされてはたまりません、第一に「民間外交」という言葉自体、何と侮蔑した表現ではありませんか。一方、ヨーロッパで大使館勤務を経験されてワインにお詳しい方は、「私は大使館勤務で、ヨーロッパのワインを殆ど試してみました」と誇らしげ。「ワイン通」を自称する方で、ご自分のお金で飲んで経験を積んだ方は数少ないですね、特に外交官の場合は、「国民の税金」でしょう、その国民への感謝の気持も全く感じていない、何がワインの味ですか。これまでの「くそ~っ」と思った体験を書き始めたら止まらないので、この辺にしておきましょう。

 そんな中で、キッシュ・シャンドールさんは、トランシルバニアと日本の関係では際立った造詣の深さです。その成り立ち、歴史認識、人への思い等です。知識と人柄が調和した「品格」をお持ちと言えば宜しいのでしょう。

キッシュさん(左)に感謝です

キッシュさん(左)に感謝です:成田ビューホテル前庭の「道祖神」像で

 キッシュ・シャンドールさん、レイカさん、これからも宜しくお願い致します!

テーケシュ・ラズロー氏は語る

Posted by 秋山孝二
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 日本を初めて訪問したテーケシュ・ラズロー氏(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12758)は、私の一つ年下で、同時代を生きてきています。

 成田空港到着後、まずは成田ビューホテル(http://www.viewhotels.co.jp/narita/)前庭に建立されているワグナー・ナンドール作のステンレス像「道祖神」の見学、そこから益子に直行して除幕式に出席しました。次の日に東京に移動して外務省を訪問、在日ルーマニア大使、ハンガリー大使等とも面談し、翌日には、広島、京都を相次いで訪れて、先日、東京経由で日本を離れました。お帰りになる前日の晩に、「SAYONARA晩餐」で今回の旅の感想等を聴くことができました。

ハンガリー民謡を歌うテーケシュ・ラズロー氏(右)とキッシュ・シャンドール氏

ハンガリー民謡を歌うテーケシュ・ラズロー氏(右)とキッシュ・シャンドール氏

 初めての日本訪問、最初の見学が成田ビューホテルの「道祖神」だったことには大きな意義がある、とお話を始めました。日本の外務省では高官との面談もあったとか。かなり遠慮しながらもその時のやり取りの概略を伺いましたが、何とも恥ずかしくなるような気がしました。

 テーケシュさんは、ティミショアラの集いの前に、奥さま・お子さまを含めて、当時のチャウセスク政権、直接的には秘密警察に命を狙われ続けた聖職者です。彼の逮捕を予測してルーマニアの西部・ティミショアラに集まった数万の民衆のエネルギーが、1週間後のチャウシェスク政権崩壊の引き金になったのです。

 その彼を前に、先日、「チャウシェスク大統領自身は良い人物で、夫人がひどかったと聞いている」と、日本の外務省高官の政治家は言ったそうです。テーケシュさんは苦笑しながら私たちにお話をされていましたが、何という井戸端会議以下の情報レベルに、歴史観も見識も無く、「恥を知れ!」と残念ながら言わなければなりません。どこに行ってもこのレベルの情報で各国の代表と会っているとすれば、何とも「日本の品格」を疑われても仕方ないですね。

 ティミショアラの集会から20周年、2009年にはこのサイトも創設(http://timisoara1989.ro/en/)、実に興味深い真実の数々です、最初の画面にある動画には、若かりし日のテーケシュさん、父ブッシュ・アメリカ大統領と会談する姿等も見られます、是非アクセスしてみて下さい。遠い昔ではなく、つい20数年前の出来事で、日本はバブルの頂点、まさに歴史の転換点で、ルーマニア国民の声が聞こえてきそうです。

ティミショアラ1989年から20周年を記念したパンフ

ティミショアラ1989年から20周年を記念したパンフ裏表紙 & サイン(左中央)

 広島では、広島平和記念資料館(http://www.pcf.city.hiroshima.jp/)の副館長が丁寧に説明をされたとか。ルーマニアでもハンガリーでも、8月6日の原爆投下日は、祈りの式典を今でも続けているそうです。ただ、彼は聖地と思っていた広島の平和公園では、ゴールデンウィークの最中でもあり、ジャズ等のかなりの音量のイベントも開催中で、少々意外で、がっかりしたとも。難しいですね、広島といえども365日追悼の日々でもないのでしょうから。

 京都・祇園のお茶屋では、三味線・舞子さんの演奏も堪能されて、「比較的哀しい曲風が多く、トランシルバニアと同じ心情」と喜ばれて、お話の途中途中でハンガリー民謡を数曲大きな声で唄っていました。また、新幹線の時間の正確な運行には感動し、駅に到着した時に、自分の腕時計をその時刻に合わせた程正確だ!との冗談も。

 

 と、ここまで書き続けたのですが、今回、成田空港でお出迎えをして以来、彼の周辺の方々への立ち振る舞いで少々気なることもありました。「上から目線」と言うか、「強者」を感じさせるやや傲慢な言動を見てしまったのですね。以前ナジュバラドでお会いした時より少し違った印象なのですが、と、ある方に私はつぶやいた所、「いや、もともとそうだったのかもしれない」と、苦渋の表情で返答をされました。民衆の絶大な人気を集めて独裁政権打倒の先頭で戦った闘士・聖職者が、その後の立場の昇格により変質したとすれば、私は残念であり、何とも失望する今の彼の姿です。

テーケシュ・ラズロー氏、来日!

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 欧州連合(EU:http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/union/development/)・欧州委員会(http://www.deljpn.ec.europa.eu/modules/union/institution/commission/)の副委員長だったルーマニアのテーケシュ・ラズローさんが、初めて来日しました、私とは2004年以来、久しぶりの再会です。

 1989年のティミショアラの集会(http://blog.goo.ne.jp/azianokaze/e/9b41d4b8aaefbf91438dd4e8738601de)は、ルーマニアのチャウシェスク政権崩壊のきっかけとなりました。昨年、私が式典・フォーラムで訪問したナジュバラド(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10353)は、彼の本拠地です。このティミショアラの集会後、初めての外国メディアの取材が1990年の日本のNHKで(http://www.nhk.or.jp/archives/nhk-archives/past/2005/h060313.html)、20周年の2009年にもドキュメンタリー番組で新たな取材もありました。これを記念したHPも出来ています(http://timisoara1989.ro/en/)。

初来日のテーケシュ・ラズロー氏

初来日のテーケシュ・ラズロー氏

 今回の彼の訪日の主たる目的は、益子にあるワグナー・ナンドール記念財団(http://wagnernandor.com/indexj.htm)での「ハンガリアン・コープス:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=10357」の除幕式出席です。昨日は、地元益子町(http://www.town.mashiko.tochigi.jp/)の大塚朋之町長、ハンガリーのワグナー・ナンドール・フーマーナ財団のキッシュ・シャンドール理事長ほか、大勢の方々が参集されました。昭和天皇の誕生日、ナンドールとちよの結婚記念日と、おめでたい日のイベントでした。

益子での除幕式

益子での除幕式

大塚朋之・益子町長

大塚朋之・益子町長

キッシュ・シャンドールさんと通訳・お嬢様のレイカさん

キッシュ・シャンドールさんと通訳・お嬢様のレイカさん

 テーケシュさんはご挨拶の中で、「トランシルバニアにはこれまで政治的転換点が三度ありました。最初は、1848~49年の『オーストリアからの独立運動』、2度目は1956年の『ハンガリー革命(日本では動乱と言っているが)』、そして、1989年の『ティミショアラでの集会』を契機としたルーマニアの社会主義体制の崩壊です」と。この「ハンガリアン・コープス」像は、3つの革命で人類の自由獲得のために戦った人々の象徴であることを強調しました。

 ワグナー・ナンドールの生まれ故郷・ナジュバラドと歴史への関わりでの共通点(1956年ハンガリー動乱と1989年ティミショアラ)で始まる人間関係の織り成す物語は、まるでドキュメンタリー番組のようです。トランシルバニアの歴史から見ると、ルーマニアにおけるハンガリー人への弾圧と差別は、計り知れないものがあったのでしょう、彼の言葉の端はしから聞こえてきました、「ルーマニア人を恨んだことは一度も無かった、ただルーマニアの政権は、ひどいものだった」と。

 また、チャウシェスク政権下での、巧妙なハンガリー人排除政策(http://yosukenaito.blog40.fc2.com/blog-date-20091217.html)についても、幾つかの実例で示されました。歴史の転換点のど真ん中にいた彼が、「第二次世界大戦でともに敗戦した日本とハンガリー」、「戦う」、「立ち上がる」と語る時、今の日本ではあり得ない骨太のリーダーの姿を見た気がします。同じ時代を生きてきた私の人生と重ね合わせ、「歴史」を創ってきた堂々たる人間の生きざまを感じました。

札幌演劇シーズン、2012冬 (3)~最終

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 今年スタートした「札幌演劇シーズン、2012冬:http://s-e-season.com/about-ses/」は、

 劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/の「このくらいのLangit:http://s-e-season.com/season/2012/winter/inadagumi/

* 劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/)の「亀、もしくは・・・・。:http://s-e-season.com/season/2012/winter/tps/

でした。それぞれ2週間、トータルで1カ月間のロングランで成功裡に終了しました。 

「亀、もしくは・・・・」も満席が続きました

シアターZoo:TPS「亀、もしくは・・・・」も満席が続きました

 完売が相次いできたTPSの「亀、もしくは…。」は、千秋楽日の25日(土)午前11時に追加公演を行ったほどです。通常、追加公演は最終公演の後ですよね、今回は最終公演後に、演劇関係者による「札幌演劇シーズン2012冬」のパーティー(招待制)が予定されているため、最終公演前の午前中の追加公演となりました、終盤に食事の場面もあるこの芝居、わずか3時間程の間に2回も食べきらなければならない役者も大変ですね。先日、2回目の観劇でしたが、何回観てもいいです、特に最後の「みーんなで一緒に、亀になりましょうよ!」というセリフが、ハンガリー・ブダペストでも良かったけれど、札幌でも印象的でした。

 この企画は、「演劇による創造都市札幌実現プロジェクト:http://s-e-season.com/about-project/」の一環で、今年度は「冬」のみでしたが、4月以降の新しい年度では「夏」と「冬」の年2回企画となります。

 劇作家・脚本家・演出家・役者・照明・設備・音響・デザイン・広告宣伝等、100人の演劇人が活躍する街を目指して、これからも幅広い多様な活動が続きます。演劇におけるプロフェッショナルですよ、民間劇団や民間劇場が生き生きと切磋琢磨する「札幌スタイル」です。

 今年、初めての試みに、本州からいらっしゃったお客さまもいたりで、これまで北海道の芝居には足を運んでいなかった方々も多く、演劇鑑賞の幅を拡げる効果はあったかな、と。今後継続することにより、札幌・北海道で演劇関係の方々が集う場が形成されてくると、面白い展開になってきます。いずれそんな札幌の街を見るために、「皆で一緒に、亀になりましょう」か?

 と、ここまで書いた所で、訃報が入りました。TPSチーフディレクターの斎藤歩さんのお父様がお亡くなりになったとのこと。猛烈社員で信念を貫いた営業活動を続け、51歳で脳出血の後、24年間の闘病・リハビリ生活、それを支え続けた妻の紀子さま、そしてつい先日27日未明にご逝去でした。山登りを好み、病床では油絵ほか芸術面でも多趣味で、たくさんの作品を残されていたそうです。

 昨晩のお通夜では、棺の上に、愛用のピッケルが置かれていました。歩さんの公演を見届けるように、打ち上げパーティ直後に息を引き取られました。心よりご冥福をお祈り致します。

札幌演劇シーズン、2012冬 (2)

Posted by 秋山孝二
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 「札幌演劇シーズン、2012冬」は、1月28日から始まり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11645)、後半日程(25日まで)を迎えています。思えば、昨年8月の札幌での記者会見(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9763)から7カ月、もうすぐ初年度が終了です。

 私は、劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/の「このくらいのLangit:http://s-e-season.com/season/2012/winter/inadagumi/は、2回目の観劇を14日に、劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/)の「亀、もしくは・・・・:http://s-e-season.com/season/2012/winter/tps/は、19日、今回のキャストで初めて観ました、22日には2回目の予定も。

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

 先日は公演後に、「演劇は仕事になるのか?~演劇の経済的側面とその未来」の著者・米屋尚子さんの講演と鼎談がありました。社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協:http://www.geidankyo.or.jp/top.shtml)で仕事をされて、長年にわたり舞台芸術にかかわる調査研究、政策提言などを担当する一方で、「芸団協セミナー」の責任者として数々の制作者向け講座を企画してきた方です。

東京からのゲスト:米屋尚子さん

東京からのゲスト:米屋尚子さん

  この日は盛りだくさん、講演の後は、毎月の「ZOOサロンの会:http://www.h-paf.ne.jp/salon/index.html」、今回は恒例の「橋本久明賞」の発表でした。「橋本久明賞」とは、TPSの発展にご尽力された故・橋本久明前TPSくらぶ会長の功績を称え、2005年に創設された賞で、年間を通じて最もTPSの活動に貢献した劇団員に贈られる賞です。今年は、全演目に出演し、存在感のある演技で好評だったニセコ町出身の高子未来さんが受賞されました。昨年の札幌劇場祭授賞式後のパーティで、私は彼女に直接、独自の目立たない演技が素晴らしかったと言っていたので、今回の受賞は大変嬉しいです、この賞の審査員の評価がです。

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

  さらに昨日のNHK総合テレビ・道内版「「つながる@きたカフェ」」の番組では、TPSチーフディレクターの斎藤歩さんが出演して、北海道におけるこれまでの演劇創造等について熱く語っていました。一昨日のサロンの会では、隣の席で日本酒を飲みながらワイワイやっていて、これまでの活動、海外公演のお話等は、大変身近に感じられました。彼は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」、今放送中のTBS「運命の人」にも出演している「個性派(?)俳優」で、今回の演劇シーズンでは、「亀、もしくは・・・・」に出演しています。

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

 ハンガリー公演でも、韓国公演でも、同行ツアーで斎藤歩さんとは一緒でした。いろいろゆっくりお話をする機会もありましたが、「若い時に海外公演を経験して、外国のお客様の反応、多様な評価を体験して、世界に通用する役者に育って貰いたい」という彼のメッセージは、これまでの草分け的な地道な育成活動に裏付けされた重みのある言葉でした。

 想い出しますね、ハンガリー公演のブダペスト・メルリン劇場で、「亀、もしくは・・・・」の初日、始まってからの3分間の緊張、山野久治さん扮するハドバー先生のセリフにどっと笑いが起きた時のあの感動。そして、その後日本国内での一段とレベルの上がった公演活動は、役者陣の確かな進化を実感しました。

 人を育てる、それには芝居を創る多くの方々、足を運ぶ観客・ファン、そして、場なのでしょうね。札幌・北海道が本当に本物の場となるような活動が、今年始まったと言えるのでしょう、期待したいし、応援もします!

ワグナー・ナンドール秋季展 2011

Posted by 秋山孝二
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 栃木県益子町にある、「公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」の秋季展示会が、11月15日まで開催中です。今年の春は、震災の影響で彫刻が一部破損等もあり中止されていましたので、今月15日のオープン以来、大勢のお客さまで賑わっています。先日、開場前に一回りしました。

ワグナー・ナンドールのアトリエ

ワグナー・ナンドールのアトリエ

益子の財団、中庭で:右にヨーゼフ・アティラ像も

益子の財団、中庭で:右にヨーゼフ・アティラ像も

元祖:益子の「哲学に庭」

元祖:益子の「哲学に庭」

 先日、訪問した時にも、入れ替わり立ち替わり見学者の方々がいらっしゃいました。早い方は、開場30分以上前にお越しになり、11月にツアーを組んでグループをお連れする「下見」とおっしゃって、熱心に見学されていました。

 また、ご夫婦で到着するなり、「全て踏破した!」と。何のことかと思ったら、中野区にお住まいだそうで、「哲学の庭」像群について、地元の「哲学堂公園:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792」、ハンガリー・ブダペストの「ゲレルトの丘」手前、そして元祖・益子のワグナー・ナンドール・アートギャラリーの3地点を全て訪問したとの意味でした。大変に熱心なファンもいらっしゃるのだなぁと、スタッフともども胸が熱くなりました。

 しばらくすると女性がお一人、受付でお話すると、これが何と北海道・知床から車でいらっしゃったとか。岐阜でしたか、目的地に車で移動中に、独自で調べられて栃木県益子町のここのお寄り頂いたそうです、嬉しいですね。

 僅か1時間程の間に、様々なストーリーで訪問されたお客さまを見ていて、実に興味深く、数年前から明らかにすそ野が広がったこの場を実感しました。翌日、またその翌日も予約が続き、今もちよ理事長はじめスタッフも忙しくしていることと思います。

 この美術館は、展示物を見るだけでなく、DVD3本の上映、棟の間に椅子・テーブルもあり、お弁当を食べたり飲物・お菓子でくつろいだり、「滞在型?」美術館でリピーターも多く、面白いです。出版された「ドナウの叫び:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=459」の影響でしょうか、ワグナー・ちよさん、最近は「生ちよ」さんと呼ばれて大人気で、先日のハンガリーから帰国してすぐにこちらに張り付きで、元気いっぱいです。

外国人の辛口コメント、「日本人って」

Posted by 秋山孝二
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 この3週間くらい、海外で、国内で、外国人と随分話す機会がありました。3・11以降の日本社会の様子をそれぞれ情報収集しながら、かなり「辛口」の日本人評を耳にしました。でも、不思議と意外性はなく、「あなたもそう思うか」というお話が多かったですね。

 70歳代のハンガリー人、これまで彼の人生で、自国の国境が4回変わり、ひどい時は1,000 ㎞も国境が奪われ移動した時代もあるとか。領土は伸びたり縮んだりするもの、とわきまえるべきではないか、尖閣諸島、北方領土等、日本人は領土問題に関心がなさすぎ!、ロシアという国は領土拡大だけを考えてきた国、とのご指摘。

 ハンガリー人は、「トランシルバニア」で絆が結ばれているのでしょうね。たとえばルーマニア国境で理不尽に入出国で待たされても、「従順」というのとは違って、「耐えながら機会をうかがっている」という感じです。「インビクタス:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3298」ですね。そして、国に何を期待できるのか(何もできない)と、基本的な部分で腹くくりができているみたいな。

 ドイツ・ハノーバーの見本市でブースに立ち寄ったドイツ人が、「フクシマ原発報道」について、東京電力はどうして起きている事実を隠すのか、マスメディアはなぜそれを追及しないのか、或いは一緒になって隠しているのか、そして日本人はどうしてその状況を許して問いただそうとしないか、と。そんな国民性がマスメディアを甘やかせているのではないか、と。確かにこの間、「原発事故」に関して、インターネットの多くのサイトで、ドイツメディアの果敢な報道を眼にします。

 金融機関に勤めるスイス人が、あまりに従順で大人しい日本人の行動について、考えられない!と驚きを隠しません。これだけ広範囲に放射能汚染が明らかになりながら、街頭デモも殆ど無しとは信じられない、と。「基本的人権・生存権の侵害」以外の何ものでもないだろう、そう言った静かな国民性に政治家たちが甘えている状況は、とても先進国とは思えない。もっともっと政治が緊張感を持たなければ優れた人材も育たないし、人材もこの世界に入ってこないだろうと。今回の大事故で何も変わらなければ、更に日本の政治家は国民をなめてかかるだろうね、と。

 ふだん静かで政治的な話題は殆どしない彼は、尚も続けます。日本の経営者数人に今回会って話をしたが、皆、実にネガティブに今の日本の経済状況を語っていた。でも、グローバルな視点からみて、今の日本のポジショニングは依然高いレベルにあり、そこから前に進む意欲をこのところの経営者に感じられない、飢えで苦しんでいるわけで無し、失業率だって他国と比べて決して高くはないではないか、まさに「ゆでカエル」状態であり、そのことが危機的である、と。過去の財産に寄り掛かって緊張感を失くしていると多くの国は見るだろう、とも。

 ギリシア問題から始まり、EUについてはかなり悲観的な展望でした。スイスはEUに加盟していないので、スイスの政治指導者に感謝するとも。それでも日本同様、現在スイスフラン高で、輸出企業の多いスイスもチャレンジだと。ただ、今のところは企業業績は悪くは無い。アメリカも確かに難しい局面だが、それでも一国であり、まだ大統領・政府の統制下で政策変更等、方向性を見い出せるが、EUはその下に各国の政府・議会・国民がいて、あまりに関わる利害関係者が多すぎて、スピードのある決断による転換が難しく危機的であると。そんな理由で、「社債」はまだしも、「国債」はリスクが高すぎる。

 見本市でプースに来たイラン人が、日本はどうして外国とのコラボレーションに高いハードルを設定するのか、と。優れた技術に憧れて学びたい発展途上国の人々に、もっとオープンでいいのではないか、それが優れている日本の使命だろう、と。

 同じくブースに来たチリ人が、地震についてチリも多発する国だと話し始めました。日本は地震の研究では大変優れているにも関わらず大きな被害だった、チリも昨年2回大地震に見舞われたと。

 まだまだたくさん紹介したい話はありますが、切りがありません。総じて「日本」という国に対しては、幻想と思われるほど評価が高く、逆に私が困惑する感じです。でも、ダイナミックに変動するグローバルな課題に比べれば、今の日本国内で日々問題とされている多くのことは、内向きの些細なことなのかもしれませんね、それに気がついていない現状こそが、「危機」であると、そう強く思っている昨今です。「世界に果たす日本の役割」、そんな自らへの問いが、今の日本を打開するきっかけのような気がします。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(4:終)

Posted by 秋山孝二
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 私はこれまで7年間に、ワグナー・ナンドール関係、演劇関係で5回、ルーマニアとハンガリーの国境を陸で越えました。同行メンバーも全く違うのですが、いつも印象的なのは「ハンガリーの大平原」ですね、とにかく「大」です。

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

  高速道路はどの国でも同じ景色(?)で退屈ですが、一歩降りて地方の集落をゆっくり抜けていくと、歴史と人々の暮らしの「におい」が感じられて興味深いです、韓国もそうでしたね。確かにこの地に来ている、外国なんだという現実感とでも言うのでしょうか。

デブレツェンからの古代の国道

東部の街・デブレツェンから続く古代の国道

爆撃で落ちた教会の鐘:モニュメントに

セーケシュフェヘールバール:爆撃で破壊されて落ちた教会の鐘:モニュメントに

 ハンガリーの場合は長い歴史の中で、何回もの不条理な社会状況がありましたから、自立した市民は、一層「モニュメントとして残す」、「記念碑のような形として意志を示す重要性」を、知恵として持ち続けている気がします。「国に何かをお願いする」とか、「国に何かを期待する」みたいな話が出てこないですね、地方自治体はエネルギーがあり、これまでの多くの犠牲の中から自分たちの暮らしをしっかり「守る」術(すべ)を持っているのでしょう。毎回ここに来ると感じる「におい」です。

 セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。

 今回3か所で、ワグナー・ナンドールの作品とそれに共感する多くの皆さまと私はお会い出来ました。ここまで作品の建立に至る道には、それぞれ苦難の物語があり、ハンガリーの「Academia Fumana」理事長のキッシュ・シャンドールさんを筆頭に、ワグナー・ナンドール没後にハンガリーで建立推進を担われた方々、日本でワグナー・ちよ理事長の「ワグナー・ナンドール記念財団」と支援されてきた方々のご尽力に心から感謝申し上げます。

 「戦う」という言葉に何か抵抗感を持つ昨今の日本社会、「精神の戦い」は個人レベルでも社会レベルでも、戦後日本が失くした、或いは忘れた価値ではありませんか。歴史に誠実に向き合う、そこに今の難しい時代を生きて、将来に向けた価値創造のヒントがあるような気がします、ヨーロッパのせめぎ合いを生き抜いている、「アジアの同胞」からの学びです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(2)

Posted by 秋山孝二
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 翌日、ルーマニアからハンガリー・ブダペストにマイクロバスで移動中、大平原のフン族の末裔が多く住む農村での一コマです。

大きな風車:ハンガリー西部の農村

大きな風車:ハンガリー東部の農村で

 ブダペストに到着して午後5時からは、ペトフィ文学博物館(http://www.pim.hu/object.1160b1a4-08c9-4ea9-bb65-1d30e97d1eb0.ivy)で、「『哲学の庭』建立10周年記念シンポジウム」が開催されました。在ブダペストの伊藤大使ご夫妻他200名の参加者があり、大変盛大な会となりました。ナジュバラドとこのフォーラムは、いずれもハンガリー・ブダペストを本拠に活動する「Academia Fumana Foundation」が主催しています。

 この様子は「在ハンガリー日本大使館・館員日誌:10月5日」に掲載されています(http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1110.htm#1)。また、1年前のサイト(6月17日:http://www.hu.emb-japan.go.jp/jpn/annai/diary1006.htm)にも「哲学の庭」について掲載されています。

「哲学の庭」建立10周年記念フォーラムで

記念フォーラム壇上でご挨拶をされる伊藤哲雄・日本大使

 私は最前列に着席していて会場全体を撮影できず、雰囲気を伝えられないのが残念です。終了直後にやっと撮った一枚です。

満席の聴衆:終了直後の様子

満席の聴衆:終了直後の様子

 「哲学の庭」の彫像群は現在、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘近く、東京都中野区の哲学堂公園、そしてワグナー・ナンドール記念財団の本拠地である栃木県益子町の3か所に置かれています。ナンドールは、「私は文化、宗教などの相違点よりも、各々の共通点を探しているのです。共通点を通してしかお互いに近づくことは出来ないのです」と、この彫像群のメッセージを語っていました。

 ブダペストにある彫像群は、数年前に3体が盗難に遭い、円形台座の一部も切断・持ち去られました。世界的な金属需要による盗難事件の一環と思われますが、地元・関係者のご尽力でその後修復・設置されました。ワグナー・ナンドールの人生同様、幾多の困難をも乗り越えて今日を迎えている、そんなお話も興味深かったです。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(1)

Posted by 秋山孝二
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 ワグナー・ナンドールについては、この欄で何回もご紹介しています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB)。

 日本の「公益財団法人 ワグナー・ナンドール記念財団:http://www3.ocn.ne.jp/~wagner/TOP.html」は、今年4月から新たなスタートで、これまでの活動・作品については、「アートギャラリー:http://www.wagnernandor.com/artgalery.htm」でご覧頂けます。今年の春の展示会は、東日本大震災の被害で中止されましたが、秋は今月15日から一ヵ月、リニューアル・オープンです。

 今年は現地で一つの区切りとして、生まれ故郷から始まり、一連のさかのぼりイベント・式典等、濃密な日々でした。

 まずは、彼の生まれ故郷、現在はルーマニア領内、ハンガリー・ルーマニア国境を越えて数キロ西、「ナジュバラド:ルーマニア名・オラディア」詩人ヨーゼフ・アティラ銅像の前で、副市長ほか関係者の皆さまとの献花でした。製作後50年間、共産党政権下で同志たちによって地下に大切に保管されていた像です、ここに建立となるまで波乱万丈の歴史でした。

ちよ理事長と市長、アティラ像の前で

ちよ理事長と副市長、アティラ像の前で

  続いて公園から程近い、ワグナー・ナンドールの生まれた家を訪問しました。今は身内は誰も住んではいませんが、以前から玄関前には銘版とレリーフが据え付けられてあり、今回はその下に訪問団でリースを掲げてきました。

ワグナー・ナンドールの銘版:誕生した家の玄関で

ワグナー・ナンドールの銘版:誕生した家の玄関で

  夕方は、「ワグナー・ナンドールの芸術」、「東日本大震災」について報告があり、副市長もご出席頂き、興味深い内容に集まった50名の皆さまは聴き入っていました。開催したこの場が、ワグナー・ナンドールの熱烈な支援者、あのテーケシュ・ラズロー大司教の教会です。「ティミショアラの集会」で、当時のルーマニア・チャウシェスク政権崩壊の糸口となったことで有名です。

ちよ理事長:テーケシュ・ラズロー大司教の教会講堂でのフォーラム

ちよ理事長のご挨拶:教会講堂でのフォーラム

 故郷の心を歴史の中で持ち続けるマジャール人として、会場の雰囲気から強靭な「絆」の熱い思いを感じました。

ビハール号事件(4)

Posted by 秋山孝二
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 昨日の東京は、昼前に猛烈な豪雨と雷、東京駅丸の内地下街への入り口の階段は、まるで滝のように水が勢いよく流れ落ちていました。そして、今日の午前中の札幌、突然空が暗くなり、同じように雷鳴とどしゃ降りの雨です、今はもうすっかりあがって日差しも出ています。気温も空の様子も、急に、秋の気配です。

 「鎮魂」という言葉が、今年のお盆は特に重たいですね、3月の震災の影響か、先日の北海道新聞5回連載記事の余韻かは判りませんが・・・・。この1週間、たくさんの方々とメールのやり取り他、ご意見・ご感想をお寄せ頂き、いつもとはひと味もふた味も違った終戦記念日前後でした、幾つかご紹介致します。

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<私の叔母から>

記事を繰り返し重い心で読みました。表現できないことが多いですが私だけの感想を簡単にのべてみます。

* ハンガリーとの違い:ハンガリーは戦時中、自国をロシアに蹂躙され、それに応戦するドイツにも国をことごとく破壊されました。したがって国民は国を守る為に戦ったので、敗れても、ひどい目にあったがベストを尽くしたと思っています。ナンドールも故郷が戦場で戦いました。
* 最近テレビドラマで時々戦中、戦後の物語が放映されますが、私(80歳)共の世代から見ると 悲惨な、苦しいことばかり強調されて、クラスメート皆で「楽しいこと、美しいこともいっぱいあったのにねー」と、何か別の世界が映されている感じです。人間として偉い、尊敬する軍人も民間人も多かったです。宏お義兄さんの白い制服に短剣を帯びて、もの静かに歩く姿も神々しい感じでした。今そんな大人が何人いるでしょうか。この頃、民主主義に疑問を持つことが多いです。独裁者は嫌ですが、選挙のシステムなど根本的に考える必要があるように思います。

<永年の友人宛のメールから>

うちのオヤジも満州に行った陸軍二等兵ですが、通信部隊だったそうですが、やはり詳しいことは口をつぐんでいましたが、戦友とは最後まで仲が良かったのと、国(政府)というか権威というものを全く信じなかったことがとても印象に残っています。私の喉に刺さるが如くの小骨だらけの反骨精神もこのへんのオヤジの影響かも知れません。

ビハール号事件は明治の軍隊ではあり得ない事件だと思います。組織も人間も簡単に劣化していくことを無残でかつみじめな形で表した事件だと思いますが、劣化は当然他人事でも昔の話でもありませんので、まさに教訓の宝庫なのでしょう。

事件の主役となった重巡「利根」は、砲弾が散らばらないように艦首部に主砲4基を集中した珍しい艦ですが、被告の黛治夫艦長は、砲撃の理論家でも有名でもあったのでこの記事を読んで驚きました。そんなことがあったのか、です。

海軍はその性格上技術屋の集団(艦という機械と電気で出来た動く設備・装置に乗っかった軍隊)ですので、観念的なことは嫌ったはずですが、理論・理屈でははったりには対抗できず、あちこちに青年将校という名の無責任なはったり屋がはこびりだしてこういうことになっていったのだと思います。本来の責任は戦隊以下の現場(現地部隊)ではなく、艦隊司令部とか連合艦隊司令部などの上級司令部でしょうね。記事では軍令部とありますが、キーマンは艦隊司令長官でしょう、南西方面艦隊の高須中将ですね。

陸軍では有名なビルマの山岳地帯を舞台にしたインパール作戦があります。この作戦は軍事理論無視の無茶苦茶で有名ですが、この話も知れば知るほど怒りがこみ上げてきます。担当した軍司令部とその上の方面軍や南方総軍司令部の現地部隊への無理難題が、多くの将兵を死に追いやった他、作戦を担当した4師団の師団長が命令違反で全員解任されるという、陸軍史上始まって以来の事態を引き起こしました。

こういう陸海軍共通した話は、現代の企業戦士の自殺や過労死に通じる話ではないか、と思っています。その意味ではその昔あった話ではないのですね。われわれには被害、加害を問わず、これらの事件と同じ体質を持っているということだと思います。

<私から知人Aへ>

記事の余韻はまだ続きます。昨日は財団事務所に市内の方から電話を頂き、お父様の介護の時に、秋山愛生舘の関係する方にお世話になり、そのお礼を言いたかったと。また、数日前にはやはりお電話で、お父様が「利根」の乗組員だったそうで、ビハール号事件の時に乗っていたかどうかを確認出来ないかというお問い合わせでした。東京・目黒の防衛研究所・図書館閲覧室をご紹介しました。

<私から知人Bへ>

先日、実は戦史に詳しい方とお話をしました。彼の言では、イギリスの戦犯裁判とアメリカの戦犯裁判とでは、随分その処分が違っていると。アメリカの場合は、「怨念」がかなり強く、捕虜3人の殺害事件に対して、戦犯7人の絞首刑とかもかなりあったそうです。ビハール号事件では、65名の捕虜殺害に対して、幹部とは言え1名の絞首刑、1名の実刑7年判決というのは異例の「軽さ」であり、これは英国の日本海軍への敬いとか歴史の尊重とかと考えることが出来るのでは、という見解でした。手を下した人々が一人も裁かれていないというのも、犠牲になったお二人の「武士道精神」を英国が根底では受けとめたのでは、と。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 一昨日でしたか、NHK・BSプレミアム(http://www.nhk.or.jp/shogen/)で「シベリア抑留」についての番組がありました。内容は、「戦後、57万を超える日本人が強制労働を強いられた『シベリア抑留』。過酷な収容所の日々、そして戦後日本での苦難。激動の歳月を、人々はどのように生き抜いたのか?」です。

 番組HPには、「過酷な労働を強いられ、少なくとも5万5000人以上が命を落としたとされる『シベリア抑留』。苛(か)烈な生存状況を激化させた日本軍組織の矛盾。スターリン体制のもとで行われた旧ソ連の徹底した思想教育。新たな苦難を余儀なくされた冷戦下の戦後日本。60年を超える激動の日々を、人々はどのように生き抜いたのか? 今も、深いかっとうを抱え続ける元抑留者たち。肉声で語るシベリア抑留の記録。」とありました。日本軍の中での葛藤、帰国後の苦難等、見応えがありました。

 それぞれの戦争体験、それぞれの想い、いずれも実に重たい話です、特にこの2011年は。鎮魂の8月は続きます。

追悼 庄司昭夫さん

Posted by 秋山孝二
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 (株)アレフ(http://www.aleph-inc.co.jp/)の代表取締役社長・庄司昭夫さんが、3月23日にお亡くなりになり、一昨日、お別れの会が札幌で開催され1000名を越える参列者でいっぱいでした。全国で300店舗展開するハンバーグのお店「びっくりドンキー」で有名ですが、生産現場からの垂直的事業展開のほか、環境への提言、ドラムスのミュージシャンとしても幅広くご活躍でした。

送る会で配布されたパンフレットより

送る会で配布されたパンフレットより

  地元では、これまでたくさんの経営者とお会いする中で、庄司社長ほど多彩な活動の場をお持ちの方を知りません。以前からフォーラム等では何回も同席しましたが、一番お人柄を知ったのは、今から8年くらい前に、新しく就任された札幌市の上田文雄市長に対するアドバイス集団「経済アドバイザー会議(SEF)」でご一緒した時でしょうか。2年間に8回程会合を開き、経営的視点から様々の提言を行いました、私はその事務局長として会議の議事録作成のためにテープ起こしをしたので、そこでの庄司社長の大変内容の濃いメッセージの数々と見識の高さを、忘れることができません。特に、「食―農」に対する哲学、日米関係への批判的考察、環境問題への提言等、とにかく幅広い分野に対する筋の通ったご発言は、確固たる信念に基づいていて、実に説得力がありました。

社内・社外での多彩な活躍

社内・社外での多彩な活躍

多くのメッセージ発信も

多くのメッセージ発信も

 これまでに多くのメッセージも発信されています。特に、2004年11月「さっぽろガイアミーティング」では、ハンガリー人で世界賢人会議「ブダペストクラブ:http://www.peaceproposal.com/jbudapestclub.html」主宰のアーヴィン・ラズロー氏、映画「ガイアシンフォニー:http://gaiasymphony.com/」監督・龍村仁氏をお迎えしてフォーラムを開催されました。

 ~~~すべての存在は繋がりあい、その相互関係を進化させることこそが環境問題など混とんとした現代を克服する鍵となり、そして我々人間もまた繋がりあう有機的な総体の一部として、宇宙の進化に影響を及ぼすことができるのだ~~~~

 哲学者であり、物理学者であり、ピアノ奏者として優れた活動を続けたアーヴィン・ラズロー博士、映画監督・龍村仁さん、そして庄司昭夫社長との鼎談は、この10年の中で私にとって際立って印象深いひと時でした。

 庄司社長は、食―農分野では、国際食糧戦略としての日本の農業のあり方に対して戦う姿勢を鮮明にして、「真に消費者の立場に立つ」ことを追求し、BSE問題に関連しても積極的提言を行いました。そして企業のあり方では、社会性のある組織としての企業、「何を目的として戦うのか、理念競争の時代」と断言し、「昨今のように、ものごとが大きく変化していく時期には理念が必要で、何に命を使うか、死んでもこれだけは絶対に譲れないと守るべき自らの『掟:おきて』を持っているかどうか、会社の『掟』、個人個人の『掟』を持っているかどうかが、厳しく問われているのです」、そう発言集にも記されています。「掟:おきて」という言葉に込められる庄司社長の哲学に心を打たれました。

 尊敬する経営者、思想家であった庄司昭夫さま、どうか安らかにお眠り下さい。

大地震、今、感じること(2)

Posted by 秋山孝二
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 今回の地震の件、いち早く海外にも伝えられたようですね。11日夜にお会いした上海のビジネスパーソンには、直後からインターネットでたくさんのお見舞い・励ましメールが中国から届いたとか。私のところにも、海外からのお見舞いメッセージ、アポイントのキャンセルも来ました。ヨーロッパの方は、特にチェルノブイリ事故の経験があり、敏感な反応があります。集団に属している場合、その責任者は、何の渡航禁止処置もしないことの責任追及も懸念するのでしょうね。幾つかご紹介します、表現の仕方、心配りに感激します。

*私のアメリカの友人から~~~

Hi Koji,

We are so sorry to hear about the problems in Japan this week. I want you to know I’m thinking about you and hoping that your family is safe and healthy.

How is life in Hokkaido? Did you have problems with the hurricane or tsunami?
Are your children safe?

 

*17日に東京で会うことになっていたスイス人から~~~

I would like to send our sincere thoughts to you and to your country for what is happening in Japan these days which will remain, for sure, in the Japanese history.

I hope you and your loved ones are safe, without injuries and that you have no damage at home. I keep closely following the information on the development of the situation.

My trip to Japan has been postponed further to this dramatic event as our management believes that this is not an appropriate timing to come to Japan during these difficult times for you. My apologies for that cancelation, we shall contact you again when this emergency situation has settled down.

Please do not hesitate to contact me anytime should I be any help.

 

*栃木県益子町にあるワグナーナンドール記念財団理事長・ワグナーちよさんは、東京にも住まわれていますが、彼女からのメール~~~

ナンドールがいたら、すぐ東北に向かって走り出すの止めるのが大変でしたでしょう。

神戸の折にも切断機や溶接機を車に積んで助けに行くというのを、若くない私共が行ったら
かえって足手まといになるからと必死で止めました。

ここの対策はよく出来ていて水、電気も十分ですしスタッフも一生懸命です。医者もいるし
その上キシュさんもいてラッキーでした。イロナさん他ハンガリーの方々はTVで悲惨な状態を
見て、切符を二枚手配するからすぐちよさんとハンガリーへ戻れ、と何人もから電話が来ます。
あなただけ早く帰って、と言わないところがハンガリー人らしいです。おそらくキシュさんは
ナンドールに対しても私への責任を感じて下さっているのでしょう。

 

 1956年の革命(ハンガリー動乱)はじめ、幾つかの理不尽な体験をしている人々は、「Dear friends」の絆が強く、危機に直面した時の「同志的助け合い」にスイッチが入るのかも知れません。私たちも頑張らなければなりませんね!!

 日本でも渡辺謙さんほかが新しいサイトを立ち上げました、「Kizuna311:http://kizuna311.com/」。

「哲学の庭」、一周年記念フォーラム

Posted by 秋山孝二
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 先日東京で、「~中野区哲学堂公園:http://www.city.tokyo-nakano.lg.jp/dept/504000/d005141.html『哲学の庭』建立一周年懇談会~」が実行委員会主催で開催されて、約100名の参加者で大変内容の濃いひと時でした。

中野サンプラザ会議室で100人の出席

ワグナー・ナンドール夫人ちよさんのご挨拶

 昨年12月、快晴の東京中野区・哲学堂公園での除幕式でした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2792)が、早いものであれから丸一年が経ちました。

 一周年記念懇談会では、実行委員会会長の和久奈ちよさんの開会ご挨拶、続いて来賓挨拶では、1)中野区長:田中大輔さま、2)駐日ハンガリー共和国大使館(http://www.mfa.gov.hu/kulkepviselet/JP/jp/)文化担当官:アルベルト・ヤーノシュさま、外務省(http://www.mofa.go.jp/mofaj/)欧州局中東欧課長:河津邦彦さま、東洋大学(http://www.toyo.ac.jp/)学長:竹村牧男さま、にそれぞれ素晴らしいお言葉を頂きました。

 田中さまは今年の夏に、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘に建つもう一つの「哲学の庭」を訪問し、当日その「訪問記」をまとめられて参加者が受け取りました、歴史を踏まえた大変優れた紀行文でした。

 アルベルト・ヤーノシュさまは、ボハール・エルヌー駐日ハンガリー大使からの祝辞を述べて頂きました。ハンガリー共和国から中野区へ、日本・ハンガリー外交開設140周年・国交回復50周年記念事業として、贈り物としての意義を熱く語りました。

 河津さまは、同じく日本とハンガリーとの歴史の長い外交関係に言及されて、今後の発展に期待する旨のお言葉を述べられました。

 牧村さまは、東洋大学の創始者・井上円了の哲学と哲学堂公園の由来を懐深く語られ、最後は新年早々に開催される「箱根駅伝:http://www.hakone-ekiden.jp/」での3連覇への抱負を語られ、会場はドッと沸きました。

 続いて年明け1月に完成するDVD「哲学の庭」の放映でした。作品の紹介ばかりでなく、ハンガリーにも撮影に行き、これまでに関係の深い方々へのインタビューを通して、ワグナー・ナンドールの哲学、作品に賭ける思いも理解できました。ゆっくり流れる音楽、作品群のコンセプトも含めて、完成が楽しみです。

 ハンガリーでワグナー・ナンドールの作品保全活動を行っている財団のキッシュ・シャンドール(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6371)理事長のメッセージも紹介されました。

 最後は、特別講演「哲学の庭から、これからを考える」と題して、東京農業大学(http://www.nodai.ac.jp/)名誉教授・前学長の進士(しんじ)五十八先生のお話で、日本の文化を「柿の実と色」と表現されました。今年のCOP10の様子もご紹介があり、「環境持続性」は、「自然的環境:生物多様性」、「社会的環境:生活多様性」、「文化的環境:景観多様性」と説明され、更に、「農業は文化」、「『Civilization』とは野蛮からの脱却という意味」、「観光とは『地域が地域らしく』あること」であり、そのアウトプットが「景観:ランドスケープ」であると。講演では、箱根駅伝には東京農業大学も参加している旨応援宜しくとも付け加えられて、一堂、大爆笑でした。

 主催者の一員ではありますが、何とも「知的な」、「教養に満ちた」素晴らしいひと時でした。是非、東京都中野区の哲学堂公園に一度足をお運びになり、ゆったりした時間を過ごされることをお薦め致します。

「母子像・ふるさと」、札幌へ!

Posted by 秋山孝二
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 ハンガリーの彫刻家ワグナー・ナンドールの作品(http://wagnernandor.com/indexj.htm)「母子像・ふるさと」を、妻のちよさんが札幌に寄贈する意向を受けて、この間募金活動も行っていた庁立高女・札幌北高同窓会を中心とする「札幌に迎える会」により、フォーラムが開催されました。私も親族(甥)として、同窓会メンバーではありませんが、「迎える会」の一員として応援しています。

ワグナー・ナンドール作 「母子像」

ワグナー・ナンドール作 「母子像・ふるさと」

  「ワグナー・ナンドールの世界~母子像に込めた平和への祈り~」と題して、120人を越える参加者で大盛況でした。この日の為に来日したハンガリーからのご来賓、キッシュ・シャンドールさんのご挨拶、ナンドールの一生を紹介したDVD、札幌芸術の森・吉崎副館長の作品紹介、札幌市・生島副市長と和久奈ちよさんとの対談、そしてフロアーとの質疑応答と、盛りだくさんの内容でした。

ハンガリーからの来賓:キッシュ・シャンドールさん

ハンガリーからの来賓:キッシュ・シャンドールさん

  キッシュさんは、自らの体験として1956年のハンガリー動乱(革命)の模様を臨場感あふれて語りました。「丁度、一か月前は1956年ハンガリー動乱(革命)の記念日でした。その特別な日を、ハンガリー人は皆よく覚えています。1956年の秋の12日間は、ハンガリー人にとって忘れられない日々です、突然自由が訪れました。ワグナー・ナンドールは34歳、私は14歳でした。皆が同じ気持を味わったのです。自由がある!急に青い空がある!空気がある!信じられない気持でした」。

 そして、ナンドールはその時に、若い芸術家たちに声高く呼びかけました。「武器を手にするな!スケッチブックを持って街に出て、現実のあらゆることを描くのだ!」と。第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で、過酷な戦闘の経験を持つゆえに、「武器を取ることは容易だが、置くことは極めて難しい」と、常々芸術家たちに語っていたそうです。当時の政権から芸術家集団のリーダー、危険人物として狙われて、彼は後にスウェーデンに亡命したのです。

和久奈ちよ、生島さんとの対談

和久奈ちよ、生島さんとの対談

 ちよさんからは、率直なお話がありました。

* ナンドールが、「武士道」はじめ、東洋の哲学に小さい頃から接していて、その「調和」、「自然との一体」等の概念に共鳴していた、老子の思想もその一つ

* 「母子像・ふるさと」には、母と子どもの「愛」を、「受ける愛」、「与える愛」として、球形で的確に表現している

* 戦争はもちろんあってはならない、ただ、戦争が無いからといって「平和」であるとは限らない。「心の平安」、「確かな愛」、それが「母子像・ふるさと」に込められたメッセージである 

 来年にも設置されるだろう「母子像・ふるさと」は、私たちに「原点」を示す説得力をもたらすでしょう。「芸術家は社会に貢献してはじめて芸術家たり得る、なぜなら作品は何百年・何千年生き続けるのだから・・・」、ワグナー・ナンドールの信念でした。

 ワグナー・ナンドールの作品にご興味のある方は、是非栃木県益子町までお運びください。http://www.mashiko-kankou.org/509_733_topics_details.shtmlhttp://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml

TPS、サハリンで初公演!

Posted by 秋山孝二
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  札幌のプロ劇団「TPS:http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html」が、アントン・チェーホフ生誕150周年記念で、サハリンのチェーホフ劇場で「秋のソナチネ:http://www.h-paf.ne.jp/tps/kanou.html#aki」公演をしました。これまでハンガリー(ブダペストほか)、韓国(光州・ソウル)、ルーマニアでも海外公演を行っています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=97)。今回、私は同行できませんでしたが、先日帰国報告会が開催されて、東欧・韓国とは一味違ったロシアの舞台事情を聴くことが出来ました、大変興味深かったですね。

当日プログラムの表紙

当日プログラムの表紙

  TPSはこれまでチェーホフ作品を国内で多数上演していて、今回生誕150周年の演劇祭「チェーホフの秋」に招待されました。2日間で500人以上が来場し、地元でも拍手喝さいだったようです。劇場前の道路は穴ぼこだれけでも、10数万人のマチに立派な劇場が存在する、それだけでもロシアにおける芸術・文化の位置づけを感じますし、その伝統が観客のレベルの高さを創り上げているのでしょうね。日本の、いや札幌市の政策は、もっともっと芸術・文化の振興に本気になってもらいたいものです。

 サハリン国際チェーホフ劇場のヤーナ・チェーホワさんは、「モスクワなどから来ている劇団の公演をたくさん観てきたサハリンの観客も、『秋のソナチネ』を観て心が奪われた。洗練された演技、シーンにふさわしい音楽の演奏によって、チェーホフの作品に基づいた多くの公演よりチェーホフの雰囲気に通じていたと言える」と、絶賛するコメントをメディアに寄せていました。

サハリン公演を終えた出演者たち

サハリン公演を終えた出演者たち

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

 報告会では、ロシアの劇場・舞台を取り巻く事情も垣間見られて楽しかったですね。特に土田英順さんがいつになく怒っていました、「どうして劇場にあんなに人がいるのか!」と。劇場には200人を越えるスタッフ(?)がいて、それぞれ受け持ちの仕事が縦割りで分担されていたようです。「人が多いとそれぞれに仕事を作るだけだ!」とも、かなり厳しい口調でおっしゃっていましてね。戸のカギを開ける担当も、扉ごとに違う人が現れる(?)、日本では一人で賄っている多くの仕事を、それぞれ違う劇場スタッフが入れかわり立ちかわり行っている、出演する役者も準備作業をどんどんやる姿に驚いた様子、そんな状態だったそうです。 

 メディアの取材もかなり多かったり、歓迎パーティーの設営もあったりと、昨年のルーマニア・ハンガリー公演と比べて、今回は受け入れがかなりしっかりしていたと言えるのかも知れません。いずれにせよ、若い劇団員にとって海外公演でそれぞれの国の演劇事情、観客の反応を肌で知ること、驚きと苦労を体験する、そのことが何より肥やしになりますね、お疲れさまでした!!

「哲学の庭」彫刻群、除幕式

Posted by 秋山孝二
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  「日本・ハンガリー外交関係開設140周年・国交回復50周年記念」として、ワグナー・ナンドール作彫刻群「哲学の庭」が、ハンガリー国から東京都中野区に寄贈されましたhttp://wagnernandor.com/indexj.htm。彼については、月刊誌「世界」最新号、寺島実郎さんの連載・「能力のレッスン:http://www.nissoken.jp/hatugen/kiji20091201.html」にも記載されています。

 4日、真っ青な空の下、中野区哲学堂公園で除幕式典と祝賀パーティーが開催されました。ワグナー・ナンドールのアトリエ・作品管理のタオ財団の理事も務めている関係で、私は出席しました。これまで関わられた関係者の皆さんのご努力に、心から感謝致します。

 テープカットは在日ハンガリー大使館ボジック・ベーラ参事官・副大使、海部外務省東欧課長、田中中野区長、和久奈ちよ・タオ財団理事長他により行われました。広い空間に世界平和を願う11の彫刻作品群が3つの輪を創り、独特の空間を醸し出していました。

テープカット

テープカット

  式典で語られた幾つかのお話で、特に印象的だったのはハンガリー国を代表してのボジック参事官のご挨拶でした。ワグナー・ナンドールの生涯は、ハンガリー国の民主化の歴史、そして日本とハンガリーとの友好の歴史でもあると、力あるメッセージでした。

 またちよ理事長からは、ナンドールの作品が天皇即位20周年の記念すべき年に、この日本の首都・東京に設置されたことに感慨もひとしおである旨が語られ、しばし言葉に詰まる程感激の様子でした。

ハンガリー国代表のご挨拶

ハンガリー国代表のご挨拶

大統領からの親書も披露されて

大統領からの親書も披露されて

  中野サンプラザに場所を移しての祝賀会では、ハンガリー大統領の親書も披露されて、この両国間の記念すべき年の彫刻群の設置に花を添えました。東京藝術大学・宮田学長他アカデミックセクターの重鎮、地元中野区のご来賓等、沢山の方々のご出席で盛大な祝賀の宴となりました。

 この席でボジック参事官は、ハンガリー・ブダペストのゲレルトの丘に2001年設置された「哲学の庭」と、今回2009年中野区哲学堂公園に設置された「哲学の庭」との違いについて、一つの視座を示されました。ブダペストの彫刻群は丘の上から無限の空に向かう祈りを示し、日本のこれらは梅林・さくらの木々の中で調和を意味する、彫刻家であり同時に思想家であったワグナー・ナンドールのメッセージを両国民は受け止める場を得て、更に世界に向かっての使命を確認する機会を得たと、そんな内容であったかと思います。

 いずれにせよ、日本よりも思想・メッセージ性の強い芸術作品から、私は固有の重い・価値ある「歴史」を感じました。今回の設置により、ブダペスト・益子・東京の三極からワグナー・ナンドールの哲学を通して、これら彫刻群は世界平和の実現に向けたメッセージを発信し続けることでしょう。

 素晴らしい式典・祝賀会でした!!!

 そして、今日から一般公開でした。

3つの輪

3つの輪

一つの命と地球をみつめて

一つの命と地球をみつめて

正面奥は聖徳太子像

正面奥は聖徳太子像

別の入口から望む
別の入口から望む

 区民と思われる見学者が、彫刻群と写真を撮る姿があちこちで見うけられました。平和な光景でした。