「寺島文庫リレー塾2011」、終了

Posted by 秋山孝二
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 寺島文庫(http://www.terashima-bunko.jp/about.html)主催の第2回リレー塾(http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/relay.html)計6回が、先日、終了しました、毎回200名を越える参加者で大盛況でした。

10数人いらっしゃいました

1期・2期の皆勤賞は、10数人いらっしゃいました

 数年前に、札幌医科大学でもリレー塾が開催されました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7141)が、今回の東京でのシリーズは、「日本創生への視座」と題して、現在の日本・世界の課題に対して思索を続ける論客ばかり、日頃テレビ等のメディアでは聞かれない突っ込んだ言及で興味深かったですね。私にとっては、寺島実郎さんは勿論ですが、西部邁(http://www.hatugenshajuku.net/)さんの「危機における『実存的保守』の構え」が印象的でした。もう20年近く前になりますか、「発言者塾」を札幌で開催して、私も続けて参加していました。昨年11月は一層分かりやすいお話でした、その一部から~~~~~~~

* 3・11で被災した85歳のおばあさん3人の言葉:「こんなこと、あの戦争に比べれば何のことはありません」、「娘・孫、みな死んだ、こんなことならいっそ死んだ方がよかった」、「生き残った一本の梅の若木、残り5・6年、これを育てることが私の人生の役割です」

* 生きるための「よすが」、「基準」みたいなもの、それが「実存の姿」

* 死へ向かって人間はどう生きるか、廃墟の中から浮かび上がる「基準」は実にシンプル

* 1930年代、ヨーロッパは危機の中で徹底的に考え抜いて、「実存哲学」は生まれた

* 「tradition」は、「伝統」と訳されてきているが、本来は「trade:トゥレディーノ」で「運ぶ」という意味、意訳して「運ばれ来たれしもの」となる――習慣の中にある平衡感覚を保とうとする概念:「保守」~綱を渡る時の「バランシングバー(棒)」

* 昨今の議論では、左翼はこの「伝統」を「拘束衣」と思いこみ、右翼は「岩盤」と誤解している、山の尾根を歩く、或いは綱を渡るがごとき緊張感に満ちた歴史から生まれた概念である

* 近代主義:「自由」・「平等」の二分割

* 18世紀・近代保守思想の祖:エドモンド・バーク

* 「維新」の本来の意味:孔子の「天命――変わらぬもの」、「維」は、「房」の意で、糸が縦横にしっかりしている状態

* 「revolution:革命」の「革」は、皮を剥ぐから派生して「変える」の意、「命」は「天命」で変わらぬものの意、すなわち、「革命の本来的意味は、「不変なものを守るために今のものを変える」である~~現在は、この「変わらぬもの」の議論が無いではないか!

* 「危機管理」という言葉は、言語矛盾!

* IT革命は「将来を確率的に予測する」(?):条件が変わらないことを大前提として、言い換えれば、昨日・今日の変化を将来としてしまう「近視眼的」な発想。欲望・技術・制度等、そんなことはあり得ない

* 「モノづくり」には、必ず長期的イメージがあるはず

* 「テクネー」は「生きる知恵」の意、そこから派生したテクノロジー(技術)の言葉、戦後日本は「テクノマニアック:技術狂」、昨今の原子力議論は、技術に話を落とし込んでおいて最後は井戸端会議かよ!

* 人間が「生きる」ことは、「時代」を生きること、時間軸の中でイメージを組み立てることが大切である。定かでないものを、「変化」、「変化」と礼賛すべきでない、これが「実存のエッセンス

* 日本の伝統に立脚した「歴史的有機体――組織」が乗り越えられようとしている、すなわち、歴史の破壊である

* 日本的集団経営方法を如何に活かすかを考えるべき時

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~講演概略 おわり

 

 最終回に寺島実郎さんがおっしゃっていましたが、この20年間、社会科学的アプローチから指摘していた二つの視点、1)マネーゲーム批判、2)イラク戦争は間違った戦争については、今も変わっていないと。そして、昨今の日本の論評について、今必要なのは、政策科学的な「あるべき姿」を語り続ける「現状の変革者」ではないのかと、淡々と締めくくられました。

 私自身、今、テレビ・書籍で巷にあふれる表層感覚の教養主義、「時代の解説をして見せる人」ではなく、時代の課題に真摯に向き合い、提言を続ける人に、たまらない魅力を感じます。同時に、自分の頭で考え続けることを続けたいです、同じ時間・空間でお話を聴く価値、あらためて意義深いですね。

失くした手帳、戻ってきました!

Posted by 秋山孝二
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 昨年師走の中頃、東京出張した際に、私は大切にしていた手帳をどこかで失くしました。それには、これまで数十年の連絡先電話番号、各種のID・パスワード、札幌市営交通の残額7000円位のウイズユーカード、東京都地下鉄路線図、アメリカ・マサチューセッツ州ボストン市の地下鉄路線図、NTTカードも一緒でした。

そのまま全部、戻りました

そのまま全部、戻りました

 これまで出張中に自分の持ち物を落としたことはありませんでしたが、失くしてみると大変な喪失感で、年末・年始、仕事の合間に出張行程を思い出しながら、問い合わせをしていきました。財布を取り出した時に一緒に落としたか置き忘れたか、ANA、新千歳空港ビル、羽田空港ビル、JR北海道、札幌市交通局、京浜急行、フォーラムのあった寺島文庫ビル、面談した品川のカフェ、etc。現実的にはカバンから他の物と一緒に出て落ちるというのはあり得なく、用事で取り出して、そのまま置き忘れた可能性が高いことに気がつき、最終的に、年明けの先日、JRバス関東館山支店から千葉県館山市警察署に保管されていることが分かりました。12月19日夜、東京駅からアクアライン経由館山行きのバス内で、座席上に置き忘れたようです。

 まあ、思い出そうとしても記憶がない、何とも情けない一ヵ月でしたが、全て手元に戻ってきて、「めでたし、めでたし」です。それにしても、日本の現場力のレベルは実に優秀ですね。どの窓口でも1分も待つことなく、「Yes」、「No」の返事があり、受け答えも実に丁寧でした。

 そう言えば昨年は、札幌ススキノでお店に名刺入れを忘れて、一緒だった方に預かって頂いたり、今回の手帳の紛失、たまたまともに手元に戻ってきたものの、集中力の欠如は如何ともし難いですね。今年は年明けから、反省しきりです、ある方は「縁起が良い!」と言ってはくれますが・・・・・。

 Facebookでは、たくさんの方々から「お祝い?」のお言葉を頂き、恥ずかしいやら何やらで、複雑な気持です。皆さま、この様なことでご心配を頂き、心から感謝致します!

ペリー&マッカーサー

Posted by 秋山孝二
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 寺島文庫(http://www.terashima-bunko.jp/about.html)の今年最後の会が、「みねるばの森:http://terashima-bunko.com/」で開催されました。

 寺島実郎さんから、「2人のアメリカ人」の残した記念すべき品物の紹介があり、寺島文庫の一角に、「ミニ博物館コーナー」としてそれらが展示されていました。

 一つは、1853年に浦賀にやってきたマシュー・ペリーが、後年執筆した「日本遠征記:http://www.nansei-m.co.jp/web/32perry/sample/kaisetsu.html」特別版の実サイン入り原本です。当日、寺島さんは、学長をつとめる多摩大学(http://www.tama.ac.jp/guide/index.html)の本拠地の「多摩学:http://www.tama.ac.jp/guide/tamagaku.html」の由来から説明されました。 ペリーが当時のフィルモア大統領の親書を携えてというのは事実ではなく、「国書」とは実質的には「紹介状」とか「添え書き」程度のものだったようです。

ペリーの自筆サイン(左中央部)入り旅行記

ペリーの自筆サイン(左中央部)入り遠征記

拡大すると

拡大すると

 一方、マッカーサー元帥の記念は、オレンジ色のパーカー万年筆限定レプリカ(サイン入り)です。1945年9月2日、ミズーリ号艦上で降伏文書に調印した時に使った万年筆で、この時、ペリーが浦賀来航時に旗艦「サスケハナ号」に掲げていた星条旗も持参してきたそうです。なぜ万年筆がオレンジ色か、それは彼の母親のものでした。バージニア州ノーフォークにある「マッカーサー記念館:http://www.macarthurmemorial.org/」、彼の生誕地はアーカンソー州リトルロックですが、米国海軍の本拠地であると同時に、母親の生まれ故郷ということが大きな理由のようです。

 寺島さんは、三井物産のワシントン駐在時代に、ニューヨークのアストリアホテル(http://www.waldorfnewyork.com/index.cfm)の一室に居を構えていたマッカーサー夫人にお会いしていたそうです、歴史のつながりというか接点というか、面白いですね。

ミズーリ号で署名するマッカーサー

ミズーリ号で署名するマッカーサー

使用したサイン入りパーカー万年筆のレプリカ

使用したサイン入りパーカー万年筆のレプリカ

 

 この二人のアメリカ人、そしてアメリカという国の共通項は、1)「抑圧的寛容」、すなわち、圧倒的有利な状況では「優しく」「思いやりに満ちあふれ」、不利な状況では「猜疑心、嫉妬心」が異常に強くなること、2)「分断統治」を志向すること、のようです。2011年、沖縄基地問題でも、3・11東日本大震災の支援でも、それを裏付けるような姿勢が思い浮かびます。

 寺島実郎さんは、秋山財団の今年25周年記念講演会(http://www.akiyama-foundation.org/zoutei/)でお話をして頂きました。年明け早々に、「ブックレット」として発刊する予定です。また、リレー塾(http://www.terashima-bunko.com/bunko-project/relay.html)、FM放送(http://www2.jfn.co.jp/owj/tera/index.php)他、多くの政策の審議会等でもご活躍です。今年は特にお世話になりました、心から感謝申し上げます。

地球規模でみる日本の少子高齢化

Posted by 秋山孝二
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 寺島文庫リレー塾(http://www.terashima-bunko.jp/)第6回は、公益財団法人さわやか福祉財団(http://www.sawayakazaidan.or.jp/)理事長・堀田力(http://hotta.sawayakazaidan-blog.org/http://www.t-hotta.net/)さんでした。

 当日は冒頭に堀田さんの紹介を含めて、寺島実郎さんがご挨拶。大先輩に対して失礼とは思いますがと前置きして、「こんな清々しい方」、「まっとうな日本人」、「元検察庁幹部がどうしてこんなに優しいのか」と表現し、この講演が「真面目に考えなくては」と思うきっかけとしてあることに期待感を滲ませました。

 講演は最初からしばらくは、一連の特捜部の事件についてでした、「実家が火事になっている感じ」と今の心境を率直に。検事が本来の真実を探求する強い情熱・志を失っていく、組織の劣化、怠惰への傾斜が、原因ではないかと分析していました。本題のテーマについては、日本の「少子高齢化」は国内問題としては毎日のように目にしますが、地球規模でこれを問いなおした貴重なお話でした。以下、キーワードを幾つか。

* 19世紀は1800対の戦争があったが、「民主国」対「民主国」の戦争は一つも無かった。すなわち、国民は戦争が嫌い

* 産業革命――>長寿 ――>死なない ――>産児制限 ――>少子化 :他の国の領土を取る必要がなくなる

* 「少子化」、「孤族」は先進国の方向性としては、「当たり前

* 発展途上国は早く「少子化」へ――環境問題・エネルギー問題・食糧問題の解決に向かう

* 戦争をしない民主主義国の取り組むべき課題:連合体を構成して経済のクッションとなるべき――>世界連邦へ

* 「モノ」「知恵」は経済の基本であり、金融だけで経済は動くものではない

* 先進国の労働力の海外流出は「当たり前」、付加価値企業が雇用増にならないのも「当たり前

* これまでも正しい方向で発展してきたし、これからも間違いはないだろう――>人間の「本能的に生きる知恵」を信じている、地球は他生物との共存からみても20億人くらいが適正規模ではないか?

* 経済が右肩上がりの時代は、「稼ぎ」に応じた評価で「つながり」は希薄:モノが無い時代は「モノの豊かさ」が価値。満たされた社会でも「ブランドの違い」が価値のうちは、未だに「競争時代:一億総中流」。それが更に進むと成熟期、すなわち「心の時代:つながり、快適さ、協働の喜び」の価値増大

* 介護・教育はすべて「ヒト」相手の仕事で、「心の満足」が重要な分野。今後はサービス業として成長戦略を目指すべきで、新しい仕組みを創り出す努力をしなければならない

 

 日本で課題視されている「少子化」を、グローバルな視点から論旨を展開する姿が新鮮で、「当たり前」と現実を捉えて対処していこうとする冷静さを感じました。ヨーロッパ先進諸国も同じ傾向であり、ただそのスピードが日本の場合最も速い、それ故に先行モデルがないことが日本の難しさとも指摘されていました。日本の21世紀的「成長戦略」のヒントを見つけました。

「世界を知る力」、リレー講座スタート

Posted by 秋山孝二
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  寺島文庫(http://www.terashima-bunko.jp/about.html)主催による「『世界を知る力』リレー講座:http://www.terashima-bunko.jp/」が始まりました。半年に10回という濃密スケジュールでの連続講座です。

半年間で全10回、盛りだくさんの講師陣

半年間で全10回、盛りだくさんの講師陣

  以下、細かな内容は書き留めませんが、初回は、早稲田大隈講堂で満員の大盛況で、藤原帰一(http://www.pp.u-tokyo.ac.jp/faculty/professors/KiichiFujiwara.htm)さんの鋭い指摘が印象的でした。

早稲田・大隈講堂でキックオフ

早稲田・大隈講堂でキックオフ

  第2回は、中東問題のプロフェッショナル、東京外国語大学大学院教授の酒井啓子(http://www.tufs.ac.jp/research/people/sakai_keiko.html)さん。専門の「イラク問題」と、「中東和平問題(パレスチナ問題)」についての展望は、今後の視座として引き続き目が離せません。結論的には、イラク、パレスチナ共通の課題は、「課題が国内問題化してくる時代」の「多様性共存」でしょうか。それは「日本がかかえるイスラムとの共存」とも言えます、はっきり新しい構図に入ったのです。

 第3回は、多摩大学経営情報学部教授の沈才彬(シン・サイヒン:http://www.geocities.jp/mstcj182)さん。これまで聞いた中国関連の講演の中で、最も腑に落ちる、実に明快なお話でした。中国の今後のリスクを5つにまとめていました。1)2013年政権交代に伴う党内権力闘争、2)二大「時限爆弾」:「格差(地域間、都市と農村、貧富)」と「腐敗」、3)強まる住宅バブルとインフレ懸念、4)人民元切り上げ、5)アメリカによるチャイナバッシング。

 今、日中で起きているデモに絡み、「ナショナリズム」についても興味深いコメントをされていました、「思春期のナショナリズム(?)」とおっしゃっいましたかね?最後は、日米、日中関係の微妙な日本のスタンスを、「親米睦中:しんべいぼくちゅう」と表現されました。「アメリカとは親しく、中国とは仲良く」、言い得て妙ですね。

 とにかく、ここまでの講師の方々の大変分かりやすい解説は、時間の経過を忘れる程切れ味爽やかで、1時間半の限られた時間に濃密なメッセージの数々、そして新しい時代の認識・構図を示してくれました。課題認識が的確で、構図を大きくつかむ力に優れている、そんな感じですね。日常の新聞・テレビを通しては、実は何も理解していなかった、断片的「知識」では出来るはずもない、納得しました。

 私自身振り返ってみましたが、これまでに中国関係では、以下の3回書きました。http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4136http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3983http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510、それぞれの視点からの指摘も間違ってはいなかったと思います。ただ、その前提となる「新しい時代の構図」を良く見ていなかった、それを痛感します。

 今後の講座に期待します!