ノスタルジックな山並み

Posted by 秋山孝二
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12・13日札幌円山動物園で、きたネットフォーラムが開催されました。http://www.kitanet.org/event/index.htm#work2009

 その時に、久しぶりに家の近くの札幌円山競技場と円山球場の間の道を通りました。折から野球場では高校野球の秋の予選、競技場では同じく高校の競技大会・新人戦でしょうか。しばし競技を見ながら、遠くの三角山から藻岩山方向に連なる山並みをボーッと眺めていました。

円山競技場から西を仰ぐ

円山競技場から西を仰ぐ

西南へ

西南へ

  この競技場も思い出が多いですね。昭和30年代だったでしょうか、冬は雪を踏み固めてのスケートリンクになっていて、大通7丁目、中島公園の池とともに、冬のスケートリンクで賑わっていました。

 また、昭和42年頃の高校1年時代は、2・3学年がそれぞれ1000人のマンモス校でしたので、体育大会が校庭ではなくてここで開催されました。開会式で全校生徒2500人(私達の学年からは500人の定員に戻った)がフィールドに集合して、初めて生徒数の多さを実感しました。記憶が正確ではありませんね、もしかしたら自分が2年の時だったかもしれません。普段の学校生活では一堂に会する場もなく、ただ授業の間の10分間の休憩時に、トイレに行って戻るのに次の授業に何回も遅れたのを覚えています。少子化の今では、別世界のような当時の学校生活でしたね。自由闊達な校風ではありましたが、私達の前向きな提案に対して、「生徒数が多すぎて・・・」で始まる先生方の言い訳じみたやらない理由もありました。今は、「生徒数が少な過ぎて・・・」と言う理由で一歩前に進まない学校行事も多いのではないでしょうか。私達の世代から見ると、本来は今こそゆとりのある理想的な教育空間が出来ているのに、ですね。

 今この競技のトラックはアンツーカー、フィールドは芝生に整備されて、遠くの山並みと相俟って素晴らしい景観となっています。

 ”Sapporo is the best of the world !” を実感したひと時でした。

「課外授業~ようこそ先輩~」、長淵剛編

Posted by 秋山孝二
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 NHKテレビの「課外授業~ようこそ先輩」は、数日間の授業で生徒たちが変わっていく様子を目の当たりに出来て大変感動的です。正月早々この番組では、長淵剛が母校鹿児島南高の3年7組で授業を行いました。http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/archives/archives281.html

秋葉原事件について生徒たちに感想を求めた彼は、その答えを聞きながら明らかにいらだっている様子でした。そして丁寧に語りつつ、当時現場で周りを囲んでいた群衆が傍観者を決め込んでいる姿を指摘して、今回の授業のテーマ「叫び」へと導く場面は素晴らしかったですね。卒業を数か月に控える高校3年生にとって、小学校・中学校の義務教育年限の卒業とは一味違う不安が心をよぎるのでしょうか。「社会」への旅立ちとも受け取れる時期に、長淵剛に出会えた生徒たちは幸せです。この授業を受けてどんどんと引き込まれて変わっていく様子が、それぞれの生徒たちの表情から読み取れました。

納得のいかない高校時代を過ごした私にとって、長淵剛のようなメロディと詩で思いを表現できる人は大変うらやましいです。番組の中で、生徒たちからの言葉・詩をもとに曲「卒業」を作り上げていく一連の作業は、あれもこれも盛り込むのではなく、むしろ限りなく無駄な言葉を削ぎ落とし、出来るだけシンプルな表現へと仕上げていく活動だと受け止めました。

私も彼のCDは何枚か持っています。一番新しいものは、アルバム「KEEP ON FIGHTING」ですが、もう5年前のものとなりました。その中の曲「傷ついた鳥」http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/237438/Y018417

「しあわせになろうよ」http://bestcd2.blog97.fc2.com/blog-entry-1010.htmlは、特に印象的です。

傷ついた鳥 ・・・青く広がるのはいったい誰の空、よせてかえすはいったい誰の海、翔べないこの鳥を私は抱きしめて、朝の光をにらみつけてみた、自由に翔べるさ、きっと自由に翔べるさ、そう信じてまた、生きていくのでしょう・・・

「ずぶぬれ」とか、「どしゃぶり」と言った表現を好む一方で、詩ににじみ出るすべての「いのち」への眼差しの優しさに強く惹かれます。ライブはエネルギーにあふれていますが、先日の授業でも見られたように、個々人へ迫るストレートさというか透明感を、先日のテレビで、埠頭での女生徒たちとの会話、大風呂での男生徒たちとの語らいを通しても感じました。魅力的な優しさですね。

長淵剛にとっては、桜島・錦江湾が原風景なのでしょう。私にとっては、藻岩山・豊平川・大通り公園等が原点です。ふるさと札幌を離れて活躍している多くの方々も、恐らくそれらが心の原風景となっているに違いありません。

長淵剛の魅力を再認識致しました。http://www.nagabuchi.or.jp/live/sakurajima/interview_01.html

新渡戸・南原賞の再出発にあたって

Posted by 秋山孝二
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 昨年末に、講演で札幌にいらっしゃっていた順天堂大学の先生から、新渡戸・南原賞のお話を伺いました。5年間、新渡戸稲造、南原繁のお二人の偉大な教育者の軌跡を記念して、授賞事業を継続していたそうです。財政的事情から、今後の事業継続に懸念が出てきて、受け皿を模索中とのお話でした。

 一方秋山財団では、この間の努力により新たな財源が生み出されて、新規事業の検討を行っていました。テーマ性のある事業への支援、将来の新しい担い手を育成する事業等への応援を軸に構想を練っていた時だったので、この新渡戸・南原賞の件を伺って、トントン拍子に事が進み、来年度から秋山財団での事業とする事に致しました。

 私は、何か事を始める時に、「原点」を大切にしたいといつも思うのです。新渡戸稲造、南原繁という人物はどこに生まれ、どういった時代、どんな人生を生きた方なのか、まずお二人が眠る東京の多摩霊園に墓参に参りました。6月8日、この事業の代表者東京大学名誉教授の方、他2名とご一緒に、新渡戸稲造、内村鑑三、南原繁、矢内原忠雄の各墓前にお花を捧げ、各先生のご功績等を話合いながら、約2時間を掛けて回りました。途中、日本海軍の英雄、東郷平八郎、山本五十六の墓前にもお参り致しました。私の父、秋山宏(旧姓野田宏)は海軍兵学校66期卒で、キスカ撤退作戦、レイテ沖海戦で旗艦の通信長を務めましたが、2年前に90歳で亡くなりました。

 8月末に、その父の故郷青森県八戸市で「いとこの会」が開催されました。20名程の親戚が一堂に会し、在りし日の先祖をそれぞれに語り、絆を再認識しました。翌日に妻と二人で、盛岡市の先人記念館に紹介されている新渡戸稲造の資料、花巻市の新渡戸稲造記念館を訪問して、あらためて新渡戸稲造の多彩な功績の数々に圧倒されました。

 そして、先日10月23日、四国香川県東かがわ市三本松の南原繁の生誕地を訪問することが出来ました。今も現存する県立三本松高校の同窓会100周年会館内の記念展示を拝見して、今もなお地元でしっかり受け継いでいる南原繁の精神を目の当たりにして、その偉大さとそれを継承している帝國製薬社主の方をはじめとする地元の方々の活動に、強く感動しました。大坂峠からみる景観は、南原繁がしばしば思い出したふるさとの原点となっているとの事でした。

 私もこれまで数多くの国・都市を訪問しましたが、結局自分の心の中にある原風景は、ふるさと札幌の藻岩山であり、豊平川の水の流れであり、円山公園の空に向かう木々でした。

 どんな時代においても、変わらぬ立ち位置、ポジショニングは、すなわち変わらないミッション(使命)を意味している訳で、今年の故郷巡礼の旅は大変貴重なひとときとなりました。