忘れられない中谷さんの言葉

Posted By 秋山孝二
Categoirzed Under: 日記
0 Comments

 30数年前の原子力発電に関係する書類を読む一方、当時から反原発活動に関わった方々の話を個別に聴く場面では、今、多くの方が、「手がけた反原発運動の不徹底さを悔いている」と、今回の大事故を目の当たりに苦渋の表情で語っています。すべてが主張してきた「想定内」の出来事であるからにほかなりません、普通はその通りになるのは喜ぶべきことなのですが・・・・。

 1979年のアメリカ・スリーマイル事故を受けて、80年代には日本でも原子力発電を不安に思い、反対する多くのごく普通の市民がたくさんいました。小学校の保護者会等でも、子どもの将来を気遣う自然な気持として、原発問題について語る雰囲気もあったと聞きます。次第に時が経ち、「原発推進」と「原発反対」が鋭く対決する情況の中で、「反原発」は政治マターの範囲に限定されていき、何かごく普通の場でまともに議論することを避ける風潮となってしまったのではないでしょうか。変わらず原発への疑問を語り続けていると、ある種の「変わり者」として疎外されるような。

 そして、このような「時代」の推移で、推進勢力のパブリック・アクセプタンス(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=8003)の影響もあり、教育現場でも当たり前に、原子力発電のリスク・恐怖について、むしろ昭和20年・30年代に教えられたよりもはるかに少なく、「避けてきた話題」となり、「教育の敗北」を感じるのです。

 

 私はこのところ、繰り返し思い出しています。この欄にも書き留めましたが(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1485)、一昨年6月に、ポーランドのアウシュヴィッツ収容所を訪問し、現地のただ一人の日本人ガイド・中谷さんのお話を伺った時の言葉です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 日本の平均的教育レベルの高さに期待している。ただ極限状態に追い込まれた時に、どの程度理性的に行動し得るのか、人間の本生の赴くままになってしまうのか、それが今もこれからも問われるのだろう

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ビルケナウで、「何と残酷な」、「どんな種類の人間がこんなことを実行できたのか」とかのやり取りの最後に、彼が私たちに向かっての言葉だったと記憶しています。

 今回の大震災で被災した人々に象徴される「日本人」への国際社会の報道は、「暴動等もなく秩序を保った」、「忍耐強い」等、大変な称賛で溢れていました。ただ、先月末の東電原発汚染水の海洋への漏えい、意図的投棄以降は、「日本国」への評価は大変厳しいものになっていることを、しっかり認識すべきでしょう。

 極限状態に追い込まれた時の行動、私は日本人の「耐えるレベル」、「理性的」には確信を持っていますが、むしろ、「集団の雰囲気を過剰に忖度(そんたく)する精神構造」、「他者への過剰な遠慮」に、大きな社会不正義を見過ごす、結果的に容認してしまう、弱さを危惧します。「主張することを躊躇する弱さ、勇気の無さ」とでも言うのでしょうか。中谷さんがおっしゃった「問われる」とは、私を含めた日本人の「勇気の無さ」なのではないかと、今思います。憲法に書かれている「人権」を、本当に市民社会のものにする活動を躊躇してはいけないのでしょう。

 

 昨日、北海道経済同友会の幹事会が早朝に開催されました。今までになく多くの役員の方々がお集まりになり、会の終り頃に北海道電力の経営幹部から、今回の東電福島原発事故の報告と、北電泊原発の安全性についての説明がありました。これまででしたら、恐らくただ黙って説明を承ってといった雰囲気だったと思いますが、昨日は明らかに違っていました。

 私はこう発言しました。汚染水海洋投棄以降の国際社会の厳しい視点から、今後の原子力発電継続の難しさ(停止・廃止)を勘案し、比較的電力供給では余裕のある今こそ、企業系・家庭系の北海道的節電・ピーク時削減プラン或いは議論を提案すべきではないか、と。やり取りはその後、「危険度の高い浜岡原発はすぐに停止すべき」等、各産業セクターの経営トップもかなりの危機感を持っている様子でした。エネルギー問題は、今や全ての日本で活動する人々が当事者であることを実感しました。

 ある出席者は、会議終了後に、節電等にはその動機が大切で、今回の場合は、北海道の節電分を、今の60万キロワットの本州への支援を大幅に増やすことに使うといったストーリーが良いのではないか、とおっしゃっていました。北海道民による福島支援の具体的方策としての節電・ピーク時削減プランとして、勇気を持って北電がこう提起して、企業・道民がムーブメントを起こすのは如何でしょうか。

Comments are closed.