50年ぶりの日光、時代は巡る!

Posted By 秋山孝二
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 山形市の会合の翌日、新幹線で宇都宮に移動し、以前から願っていた足を伸ばしての日光行きが実現しました。修学旅行以来、実に49年ぶりとなります。当時は、早朝3時半に東京・本郷の旅館を出発して日帰りの強行軍で見学し、殆ど何も覚えていなかったので、今回は実に新鮮な訪問となりました。

レトロなJR日光駅

レトロなJR日光駅

 宇都宮駅から約50分、JR日光駅に到着し、駅前でレンタカーを借りてまずは日光東照宮(http://www.toshogu.jp/へ。それ程混んではいないとは言え、宇都宮から日光までの電車内は、私の座っていた車両は殆どが欧米系の外国観光客の方々、東照宮境内も外国の方が目立ちましたね。個々の社の写真はHPhttp://www.toshogu.jp/shaden/index.html)にアクセスして頂くのが一番、ここでは少し違った角度からの目線で写真を掲載します。

緑深い参道周辺

緑深い参道周辺

欧米系が目立ちます

欧米系が目立ちます

 3年前の経済同友会全国会議は、静岡で開催されました。その時も徳川家康公の話題満載でした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=19743)。

 HPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社です。家康公は、天文(てんぶん)11年(1542)12月26日三河国岡崎城(愛知県岡崎市)でご誕生になり、幼少より苦労を重ね戦国乱世を平定され、幕藩体制を確立されました。そして、世の中に秩序と組織を形成し、学問を勧め産業を興し、江戸時代260年間にわたる平和と文化の礎を築き、近代日本の発展に多大な貢献をされました。

宮号宣下(ぐうごうせんげ)
宮号宣下(ぐうごうせんげ)

 家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬されました。そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされました。正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座しました。その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
 尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたものです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用おわり

 陽明門は今年3月10日に竣功し、昭和の修理以来44年ぶりに本来の輝きを取り戻したようです。

国宝「陽明門」上部

国宝「陽明門」上部

 陽明門を潜り抜け、急な階段を昇りつめて、たどり着いた「奥宮(おくみや)【重文】」、拝殿・鋳抜門(いぬきもん)・御宝塔からなる御祭神のお墓所です。

奥の院、お墓

奥宮、御宝塔

 下りの景色をゆっくり楽しみながら、参道の入口付近まで降りると、日光山輪王寺(http://rinnoji.or.jp/introduction)、今、本堂(三仏堂)は50年に一度の改修工事中でした。

日光山輪王寺

日光山輪王寺

伝統的木工技術の粋を結集して

伝統的木工技術の粋を結集して

 かなり時間を掛けて散策し、次は車で中禅寺湖方面、「奥日光三名瀑」に足を運ぼうと、戦場ヶ原を抜けました。するとまずは「湯滝(http://www.nikko-kankou.org/spot/115/」です。奥日光地域の湯ノ湖から流れ落ち、落差50m、幅25mの滝。

湯滝

湯滝

 そこから中禅寺湖方面に戻りながら、途中には「竜頭(りゅうず)の滝(http://www.nikko-kankou.org/spot/6/」です。標高は1350メートル、滝全長は210メートル。滝幅は10メートル、川のような滝。

龍頭の滝

竜頭の滝

 そして中禅寺湖を越えて、「華厳の滝(http://www.nikko-kankou.org/spot/5/」、エレベーターで一気にヒンヤリした崖下へ。中禅寺湖の水が、高さ97mの岸壁を豪快に落下する、壮大ですね。発見者は勝道上人と伝えられ、仏教経典の1つである華厳経から名づけられたといわれています。

水しぶきでレンズも曇る

水しぶきでレンズも曇る

 私にとって「華厳の滝」というと「藤村操(みさお)」の名前とともに記憶にあり、彼の「厳頭の感(http://www.geocities.jp/sybrma/02hujimura.htm」は、小さい頃から心に残っていました。彼は夏目漱石に一高で英語を習い、私の札幌の高校(当時は札幌一中)の大先輩であり、そんなことも身近に感じていた所以かも知れません、それは明治36(1903)年5月22日でした。「不可解」と詠んだ彼の心境をひと時思い起こした場でした。

 蛇足ですが、滝と言えば昨年の和歌山の「那智の滝(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=26368」も素晴らしかったですね。

 訪れてみると日光は宇都宮からこんなにも近かったんだ、とあらためて感じ、毎回の出張時、宇都宮で餃子ばかり食べていた自分を少々嫌悪した次第です!東照宮と華厳の滝、忘れ物を取り戻した気がした一日でした。

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