昨年12月の第353回の木朝会は、「一般社団法人 身体開発研究機構(http://pd-r.org/)」代表理事の瀧澤一騎さんのお話、「体力測定のこれまでとこれから」でした。そもそも「体力」とは、体力の氷山理論、体力測定のいま、体力測定のこれまで、体力測定のこれから、等について、大変興味深いお話でした。
* 木朝会――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%A8%E6%9C%9D%E4%BC%9A
瀧澤さんの団体は、身体開発研究機構は、「スポーツで豊かな人生を提供する」、「報われる努力を提供する」を理念として、2016年2月1日に設立。さまざまなスポーツイベントなどを開催し、シェアし、「スポーツ」をより身近に感じられるような取り組みを発信し、応援しています。
「体力」は英語では、「physical fitness」で、私たちのイメージとはかなり違ったニュアンスのようです。そもそも、「体力測定」が日本で行われた歴史は、軍国主義体制の中、徴兵制度に繋がる仕組みとして創設されたもので、その時代の国民一人一人に要請される基本的身体能力が反映されていたようです。
「運動能力調査(https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&toukei=00402102&tstat=000001088875)」の結果は、時々マスメディアで報道されていますが、測定項目、測定時期等で微妙に地域格差も出やすく、あまり神経質に「全国平均」との比較は意味がないとのお話も。体力測定の歴史を理解すると、過度な競争原理は、中央集権的日本社会、あるいは、軍国主義的社会風潮に拍車をかけることに利用されるだけかもしれません。