余韻が・・・、「信任関係」 & 「忠実義務」

Posted by 秋山孝二
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 先月の公法協トップマネジメントセミナー(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=28346)で、最後のセッション、東京大学名誉教授・岩井克人先生(https://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A9%E4%BA%95-%E5%85%8B%E4%BA%BA/e/B001HQ11HW)による「公益法人の運営と倫理について~市民社会と 信任関係~」は、これまでの経済学者のお話とは趣を異にしていて、終了後もずっと私の中で反芻しています。特に、「信任関係」、「忠実義務」について、これまでの私の法人・組織の概念をブラッシュアップする意味でも刺激的なお話でした、経済というよりも哲学ですね。

 当日の講演のタイトルは「日本の伝統芸能と資本主義の新しい形」というもの。スライドの背景には文楽・歌舞伎・能の伝統芸能に込められるメッセージ、アダム・スミス、ミルトン・フリードマン、ジョージ・ソロス、マイケル・サンデル等を通じて、資本主義がもたらす問題への対処には、グローバル化できる普遍性をもつ原理が必要との流れです。そして、その試みの一つとして、「倫理と法が重なる領域として」との副題付きで信任関係論:The Theory of Fiduciary Relationships」をご説明になりました。

岩井先生のご著書から引用~~~~~~~~~~~~~~~~

 信任関係とは「一方が他方の利益のみを目的とした仕事を信頼によって任される関係」である.例として,後見人/被後見人,信託受託者/受益者,取締役/会社,代理人/本人,医者/患者,弁護士/依頼人,資産運用者/投資家などがある.それは,相互の自己利益を目的とする契約関係とは対照的に,一方が他方の利益の為にのみ行動すべしという忠実義務によって維持される.この倫理的な義務を法的に課すのが信任法である.だが信任法にはまだ統一理論がない.本論文の目的は「自己契約は契約ではない」いう法原則を基礎に,その統一理論を提示することである.同時に,本論文では,倫理を法律で課すのは矛盾だという疑問に対し,信任法は被告の立証責任を原告の反証責任に,期待損失補償を不当利益吐出しに転換することで実践的に解決していること,倫理を法で置換しただけだという批判に対し,信任法の役割は悪人の制裁や迷える人の指針として倫理を補完することであることも示す.

~~~~~~~~~~~~~~~~ 引用 おわり

 ご講演の内容を書き留めたメモより幾つか:

* 現代世代は未来世代の後見人、環境問題のエッセンスは現代世代と未来世代の関係、すなわち「信任関係」であると。

* さらに、「法人とは何か」、英語の「Corporation」の元の意味は、「corpse=死体、corporal punishment=体罰」。教会という組織をキリストの「身体」と見なす→それ自体は人間ではない組織を、一人の「人間」とみなすことを可能にした→「法人」の誕生!、であると。

* 法人=本来は「ヒト」ではないが、法律上で「ヒト」として扱われる「モノ」。財団法人=財産を「ヒト」として扱う

* 「法人」が現実にヒトとして活動するには管理や経営をする生身の人間が不可欠→それが法人理事・会社取締役、あるいは、法人と理事や取締役との関係=>「信任関係」:対等な関係(契約主体)にはなり得ない→非対称性

* 信任関係はどうしたら維持できるのか→そもそも他人同士の場合が大部分、同情や共感や連帯心にも依存できない、信任受託者が信任受益者に対して「忠実義務(Duty of Loyalty)」を負うことによってのみ維持可能

* 「忠実義務(Duty of Loyalty)」=一方の当事者が、自己利益の追及を抑え、他方の当事者の利益(法人の目的・定款)のみに忠実に仕事をする義務

* 「信任」受託者は市場の道徳より厳格な規範に従わなくてはならない。単なる正直さだけでなく、最高度に徹底した道義心がその行動規範となる (Benjamin Cardozo 米国最高裁判事)

* 「ポスト産業資本主義」への大転換→個人、職業、組織において「倫理性」の要請がますます重要な役割をはたす社会になる!

* 信任関係とそれを律する信任法は、倫理を法によって補完する仕組み→新たな「資本主義」、「市民社会」のあり方の基礎モデルとなりうる→公益法人と理事の関係はその模範例

* 「非営利法人」が基本で、その特殊形態(株主を付ける)が営利法人と考えるべき

* 昨今の資本主義では、本来、「資本家」が享受すべき利益を「経営者」が得ており、これがグローバル経済の追い風を受けて格差を増幅している

 「信任法」についての言及もありましたが、ここでは省略します。いずれにせよ、トップマネジメントとしてはこのようなバックボーンとなる「哲学」が、今の民による公共の活動には必要な気がしています。このような講師をお招きした主催者に心から感謝申し上げます、ありがとうございました。