長編ドキュメンタリー映画「無言館:http://xin-ei.co.jp/other/seisaku.html」が上映され、たくさんのお客さんでした。私もよびかけ人の一人でしたが殆ど仕事は出来ませんでした、申し訳ありません。
これまで、窪島誠一郎さんの講演はご紹介してきました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%84%A1%E8%A8%80%E9%A4%A8)が、彼自身の話では表現しきれなかった訪問者の感想、座談等、あらたな「無言館:http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/kanko/museum/mugonkan.html」の魅力を発見しました。来年春には、是非時間を作って訪れてみようと思います。以下、印象に残った言葉を。
* 「無言館」の「無言」は、多くの方は言葉を発しない「絵画」を展示してあるから、とおっしゃるのですが、館主の私(窪島さん)は、実は見学に来た方がその絵の前で言葉を失う、無言で誠実に向き合う、そんな意味と理解しています。
* 遺作を供出して頂きたいとお願いに行った時、なかなか同意をして貰えなかったお身内の方がその後お亡くなりになり、息子さんが全ての作品を無言館に寄付する意向を伝えてきました。「作者の思いをを伝える」、その重みを感じましたね。
* 年月でカビとか埃で多少傷んだ遺作を修復する専門家の方、完全に修復することが目的ではなく、窪島さんはキャンバスのキズとかはむしろそのままにして頂きたいとおっしゃるそうです、時間の経過を含めた「作品」の価値であり、メッセージなのでしょうね。
* 小学生の時に訪問して、数年後、中学生として再度訪問した子どもたちと窪島さんを囲んでの語らいで:窪島さんは若い子たちに、「絵の奥にいる作者は、限られた自分の人生を生きた人。ある時は明日・明後日がある自分の幸せを感じるが、ある時は限られた時間を精一杯生きた彼らをうらやましく思う時もあるから不思議です」、とおっしゃっていました。
* 終りで窪島さん、「この無言館のメッセージを、『反戦・平和』とおっしゃる方がいますが、実は自分はそう言ったカテゴリーで括られるのをあまり良しとしません。遺作が語りかけるのは、少々気取ったいい方になりますが、『愛』だと思うのです」と、少し照れた様子でお話されました。
長野県上田市、周りを山に囲まれた田園地帯の丘の上に、数棟ひっそりとたたずむ美術館です。館内では、作品が放つメッセージ、余計な意味付与を排除したありのままの展示、遺志を受け止めようと訪れる見学者、すべてが真摯ですね。講演とは一味違った「無言館」の魅力でした、企画された國田裕子実行委員長さまはじめ、ここまでのご尽力に心から感謝申し上げます。