洋学史研究会 2013

Posted By 秋山孝二
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 青山学院大学名誉教授・片桐一男先生が代表をつとめる「洋学史研究会」の新春の会が開催されました。片桐先生については、愛生舘、古文書講座等で、これまで何回も書き留めています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E7%89%87%E6%A1%90%E4%B8%80%E7%94%B7)。

 今回のテーマは、「ゴローウニン事件解決200年ー日露民間外交成功に学ぶ」で、北海道と海外との歴史にも大きな関係があり、大変興味深い内容でした。報告は、以下の四題でした。

* 「ゴローウニン事件と日蘭関係」 松本英治さん(開成高等学校教諭)

* 「ゴローウニン事件と『ムール獄中上表』」 岩下哲典さん(明海大学ホスピタリティー・ツーリズム学部教授)

* 「高田屋嘉兵衛と『異国境』」 濱口裕介さん(足立学園高等学校常勤講師)

* 「リコルドと高田屋嘉兵衛ー『高田屋嘉兵衛話』にみる智力・胆力と信頼・友情ー」 片桐一男さん(青山学院大学名誉教授

 

 日本は鎖国時代に、長崎・出島のオランダ人達から海外の情報を得ていたと、私たちは学校の歴史で習ってきました。ただ、当時の幕府方は必ずしもオランダ人から得る情報だけに頼っていた訳ではなかったようです。特にヨーロッパ情勢の中で、オランダ自身を取り巻く状況については、オランダ商館長・ドゥーフの言は歯切れが悪く、幕府方は北海道・松前で得たロシア経由の情報を比較・分析して、ヨーロッパ情勢の把握につとめていたことが明らかになっています。

 そのロシア経由の情報というのが、北海道を中心とする北方関係の重要性を物語っているのですね。特に当時のナポレオン情報は、ゴローウニン事件で得たもの、特に一行の中にいたロシア軍人ムールの「獄中上表」だったと岩下先生は指摘していました。また、徳川幕府の情報管理についても大変興味深いお話もありました。「鎖国」という言葉の妥当性、「海禁」についての言及、幕府の情報収集を巡っての戦略は、海岸防備とともに、今の時代より遥かに神経をとがらせていた、そんな気がします。

 濱口先生のお話は、19世紀初頭は、日本北辺地域で蝦夷地の内国化、「国境」画定が課題になった時期という認識の下、高田屋嘉兵衛(http://www.ikemi-net.com/takadaya/)の果たした北方史的視点からの役割、例えば、エトロフ島の「開島」、「国境」の画定等、エトロフ島の開発、日本領化への寄与についてでした。さらに、結果として先住民社会に大きな影響を与えたことも説明されていました。

 片桐先生は、ゴローウニン事件の当事者としてリコルドと高田屋嘉兵衛のやり取りを、それぞれの著書、「対日折衝記」、「高田屋嘉兵衛話」から読み解きました。そして、高田屋嘉兵衛の人物像として、1)自分の立ち位置をよく認識していた、国際関係、日露関係等で、一商人・一航海士を越えた人物、2)ロシア側に「技術」を教え、これを梃子に交渉、3)幕府を啓発、4)リコルドとのギリギリの交渉を通じて、両者の信頼関係を構築、を挙げました。

 これまで私自身、高田屋嘉兵衛は商人としての業績は承知していたつもりですが、ゴローウニン事件を通じての彼の人物像は、まさに「タフ・ネゴシエーター」を思わせる交渉力です。とかく長崎・出島が海外窓口として注目されていますが、それとほぼ同じ時代に、北辺でも同様なロシア他からの情報収集が国防的側面からも重要な位置づけをされていたこと、これらの事実から、北海道の歴史、地勢学的価値も大きく変わってくるのだと思います。

 北海道に住む私たちが、簡単に「歴史が浅い」などと言っては自らの存在価値を矮小化してしまいます。そんな意味でも、私にとっては大変貴重な発表でした。

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