「フクシマ論」、開沼博さん

Posted by 秋山孝二
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 「さっぽろ自由学校・遊:http://www.sapporoyu.org/index.php」の連続講座「奪われた“郷土”~フクシマからのメッセージ~:http://www.sapporoyu.org/modules/sy_course/index.php?id_course=279」の第2回は、東京大学・大学院博士課程の開沼博さんのお話でした。開沼さんの著書「フクシマ論:http://ceron.jp/url/www.seidosha.co.jp/index.php?%A1%D6%A5%D5%A5%AF%A5%B7%A5%DE%A1%D7%CF%C0」は、第65回毎日出版文化賞を受賞し(http://mainichi.jp/corporate/info/news/20111103ddm001040037000c.html)、ベストセラーに。

 第1回の安倍(あんばい)隆さんは、このシリーズのコーディネーターも兼ねていますが、その話はアーカイブでこちら(http://www.sapporoyu.org/modules/sy_myevent/index.php?id_event=282)です。

 先日の講座会場、愛生舘ビル2階は、まさにあふれる人で超満員、驚きましたね。彼は、3・11以前から福島の「原子力ムラ」について研究を進めていて、今年1月14日に修士論文を書き終えたところだったそうです。

 戦後復帰から「田舎と都会」という枠組みで成長を続けた日本社会、それは「成長」という名の「地方の植民地化」だったと断言しました。「55年体制」とこれまで語られている1955年は、原子力基本法(http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S30/S30HO186.html)制定の年でもあります。「成長とはエネルギーだ!」、日本の戦後のエネルギーの中心に原子力があり、反対派は「変わり者」扱いになり、議論する余地はないとされてきた社会、経済的にも、文化的にも、政治的にも、いわゆる「信心(しんじん):addictional」として。

 「原子力ムラ前史」として、福島と電力・エネルギーとの関わりに言及しました。1914年の猪苗代第一水力発電所建設に始まる歴史から、1960年代の原子力発電所計画が今に至っている歴史的経過。そして、1)「中央の原子力ムラ:行政、メディア、研究者」は理想への邁進の果てに、合理性がゆがめられ、2)「地方の原子力ムラ」は原子力を媒介として豊かさを求め、原子力依存状態となっていった、それらの歴史的経過を分かりやすく解説されました。

 原発一基による1000人の雇用、定期検査で2000人の雇用、それで原発は地元経済に貢献したのか?「危ないこと」を「危ない」と言わない、言えない状況ができていたのです。

 福島県いわき市生まれの若干27歳、上野千鶴子さん、吉見俊哉さんに師事したそうですが、とにかく冷静沈着で、恐るべき若手研究者です。質問に対しても温かい眼差しと丁寧な答え、地元福島の住民に寄り添う調査・研究の証しを見せて頂いた気がします。最後に、「今、変わらないものが、いつ変わるというのだろうか・・・・」、地方が見過ごされているのではないか、東京発マスメディアは、ただ情報を消費しているだけ」と結ばれました。

 本当に、「今、変えないで、いつ変えると言うのか!」、後の世代、或いは歴史から、3・11以降の我々が試されています。