演劇の審査って?TGRで

Posted by 秋山孝二
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 「審査」って何だろう?と思いますね。もう何回も書いていますが、この一カ月と少し、「さっぽろアートステージ2010劇場祭:http://www.s-artstage.com/2010/tgr/2010/12/865/」の審査員をやってみて、そう感じます。賞自体の存在が、この祭典に参加した方々の今後のモチベーション向上につながることが大切です。今回、更に初めての「公開審査会」とのこと、普段舞台を専門とする数多くの関係者の前で、ライブ中継もあり、作品の講評・審査を行う「素晴らしい?」機会を与えて貰いました。以下、いくつか審査を通じて感じたままを書き留めます。

 

* 演劇の劇評については、日頃からいくつかのブログが面白いです。加藤さんの「シアターホリック:http://theater-holic.seesaa.net/」、市民記者ブログ「http://ameblo.jp/s-artstage/」等です。同じ演劇を観ても、実に多様な受け止め方をする、その辺が楽しいところでしょうか。今回の審査員との意見交換、事前審査、公開審査、いずれも大変面白いひと時でした。

* 30近い演劇のうち、私は26を観ました。新人賞に輝いた学生達の芝居は、今回私は残念ながら観ることが出来ていませんでした。いつもでしたら開始3分くらいで「ハズレ」と感じる演目もあるのですが、今回集中的に観たものはいずれも面白かったです。この札幌劇場祭の過年度分の記録を読むと、審査員の大変辛口のコメントが多い年もあったりで、そんな意味からは今年はレベルが高ったのかもしれません、有り難いことです。

* こぐま座・やまびこ座(http://www.katsudokyokai.or.jp/sisetu/gekijou/)には、今回のような機会が無ければなかなか足を運ぶことがなかったかもしれません。小さなお子様を連れた保護者の方、保育園の先生たちを含めての観客に対して、熱演の人形劇・芝居・パフォーマンスは、大変感動的でした。舞台だけでなく、観客の子どもたちを見ていても面白かったですね。ちょっと退屈なセリフのやり取りの場面では、大変素直に寝転がったりぐずったりの反応、感情表現も豊かで舞台にまで駆け上がらんばかりに近づく子もいたりしました。小さい頃からこういった「優れた」芝居に接することが、将来の芸術・文化の担い手育成の基盤なのでしょう、これからも大切にしたい札幌の宝です。

* 札幌オペラスタジオ(http://www.sos-opera.com/)「COSI FAN TUTTE恋人たちの学校」も大変良かったです。あらすじがパンフに書かれていたので、翻訳に目をそれ程やらずに舞台に集中することも出来ました。クラシック音楽の奥行きと生の迫力を感じました。私はボリショイ劇場、サンクトペテルブルク、ウィーンと、海外出張の時にこれまで観る機会がありましたが、札幌で今回このような機会に恵まれて嬉しかったです。

* 「大賞候補」となった5つの作品のうち、原作が今回オリジナルなのは弦巻啓太さん(http://www.t-gakudan.com/)の作品だけでした。この演劇祭が「すそ野を拡げて基盤をつくる」、「担い手育成」を目的とするのなら、何か地元発の新しい作品・脚本を促進する仕掛けがあってもいいのかな、と思います。もう一つ、「劇場祭」と銘打っての企画ですから、9つの劇場の大賞みたいな賞があってもよいのかな、とも。これは後日の反省会で提案しようと思っています。

* 私は、「気に入られたいオジサン症候群」で、若い方々の芝居をかなりの違和感があっても「分かろう」と努力しているつもりです。「あのセリフは良く理解出来なかったけれど、多分こう言う意味なのだろうな」と身勝手に納得させる自分がいます。決して創り手に対して攻撃的にはならないタイプだと自認しているのですが。でも、審査・選考では、その辺の私の思いは恐らく若い世代には伝わらないのでしょうね。自分の感想を「講評」と称して語ると、「還暦世代のオヤジに何が分かる!」と、まぶしいライトの向こうに座っている関係者からの声を感じます。「新しい観客を増やすこともこの劇場祭の目的であれば、観劇の次の予定を設定する為にも上演時間をあらかじめ表示して欲しい、事前に演出家の作品にかける思い等をチラシで明示してもえないか」、先日の公開審査会でもそう言うのが精いっぱいの私でした。

* 個々の自分なりの「講評」は手元にありますが、今回残念だったのは韓国からの二つの演劇が大賞・特別賞に選出されなかったことですね、私は二つとも自信を持って推薦したのですが、ノミネートにもなりませんでした。一昨年・昨年と韓国各地に札幌からの同行ツアーで行きましたが、彼らの観客を意識した確かな演技力と楽しませようとする姿勢は、今回の芝居でも十分発揮されていました。しっかりと伝統を受け継ぎ、現在の社会問題にも鋭く問題提起をする、そんな誠実な姿勢に感動しました。今後は、外国作品には事前・事後の簡単な文化・芸術の背景説明をする企画も必要なのかもしれません。これも後日の反省会で提案してみます。多様性社会の価値は、すなわち「違い」から学ぶ姿勢だと思います。

* 次に残念だったのは、劇団千年王国(http://sen-nen.org/index.htm)「ダニーと紺碧の海」でした。審査とかを離れて素晴らしい雰囲気で、私が最も印象に残り、もう一度見たかったなと思う作品でしたね。オシャレな会場設定、審査員でなければビールを数杯飲んでいたでしょう。眼前で展開される若い男女の会話の激しいやり取り、やがて変わっていく関係性等、遠い昔を想い出す(?)ような、何とも愛おしい切ない舞台でした。原作がシャンティでアメリカ的だからなのでしょうか、むき出しの言葉のやり取りの中に優しさを感じました。是非、再演をお願いします。

* もう一つ、劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/index.html)「ミズにアブラ ヌカにクギ」でした。今回、大賞5つのノミネートに入らなかったのは残念でしたね、私は一票入れたのですが。昨年の設定の方が良かったという人が多かったですが、実は私は今年のしか観ていません。「ネット社会」の息苦しさ、初めてその構図を目の当たりにした感じです。私たちの還暦世代にとっては、ネット社会は「選択肢の一つのコミュニケーション」なのですが、若い世代にとっては「全て」なのですね。学校で、家で、「敵は誰なのか」と追い込まれていく様子がリアルでした。

* このような「劇場祭」、札幌市内9つの劇場が連携して年一回の「お祭り」にまで漕ぎ着けるまでには、かなりの関係者のご努力があったのだと思います。率直に申し上げて、これまでの私の体験から、芸術・文化の担い手は「自分が自分が」の世界で、口を開けば他者の批評と悪口の数々、ビジネス世界に長らく身を置いた私からは、いかにも子供っぽく感じたものでした。ここまで創り上げてきた価値を高く評価すると同時に、この企画が札幌のマチの世界へのプロモーションとしても一層発展することに尽力をすると同時に、これから知恵を出して更に創っていきたいものですね、関係者の皆さま、お疲れさまでした!!!

釜山・光州から劇団が来札!

Posted by 秋山孝二
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  今年も、韓国から劇団が札幌にやって来ました。3年前から始まった複数の交流事業として、今年は釜山と光州からでした。これまでの交流については、数回この欄で書いています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=97、 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=148)。

 今回の二つ、一つはパムンサ(海と文化を愛する人々)の「その島での生存方式」、もう一つは光州演劇協会の「タシラギー再生ー」です。

開演前のステージ

パムンサ開演前のステージ

  韓国若手演出家キム・ジヨンの韓国現代劇作品「その島での生存方式」は、最初は釜山を連想する海辺ののどかな芝居かと思いきや、目の前の社会課題とグローバル経済に対する鋭いメッセージの提起でした。音の掛りの人、役者一人一人が、観客へのエンターテイメントを意識して、個性的でしっかりした演技が印象的で,一昨年来の韓国劇団の特徴なのかも知れません。交流会で間近に見て、「演劇・パフォーマンスの実験集団」と言うだけあって、体型も大きくがっちりしていましたね。

公演後の交流会で:釜山から監督・スタッフ・キャスト

公演後の交流会で:監督(青いTシャツ)・スタッフ・キャスト

  一方の「タシラギ―再生ー」は、演劇というよりも「伝統芸能」を観る感じでした。「タシラギ」と言う言葉は、「再び生まれ変わる」という意味の珍島に伝わる葬礼風習だそうです。死別の悲しみを、笑いと興趣に変えて、現世への早い帰還を望む先祖たちの知恵といえ、葬儀の場でありながら、笑いを誘う場面の数々、新鮮な葬儀文化を垣間見た思いです。姿・形は殆ど変わらないのに、「何か違うな」という思いの向こうに、固有の芸術文化を認識します。

コンカリーニョでは、光州演劇協会の「タシラギー再生ー」、開演前に観客も弔問?

光州演劇協会の「タシラギー再生ー」、開演前に観客も弔問?

 例えばこれまで観た韓国演劇では、トイレ(かわや)の場面がよく出てきます。聞いたところによると「庶民」の間ではかなりオープンで日常的な話題とか。舞台上での意味合いは、「仲間うち」、「地元に馴染む」、そんな表現なのかな、と勝手に解釈しています。

 昨年の光州では、一つの日本の芝居をそれぞれ韓国の役者バージョンと日本の役者バージョンとで2回上演したそうです。全く別の芝居のようで、観客の反応もかなり違ったとか。また、同じく昨年、札幌では一つの芝居を両方の役者が混在で上演して好評でした。舞台での様々な意欲的・実験的試みもあり、また交流会での質疑応答も実に興味深いですね。北海道の演劇に関わる皆さまのチャレンジに拍手です。

「日本の魅力:My Japan」ほか

Posted by 秋山孝二
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 最近の日本・日本人を巡る話題を二つ:

 先日、朝のNHKニュースで紹介されていた動画サイト「日本の魅力・My Japan:http://my-jpn.com/」が面白い。日本の学生を中心に25人の大学生スタッフで運営されていて、5ヶ国語に翻訳されてアップされています。

 特に、「CM部門予備審査通過作品50品一覧(http://my-jpn.com/vote/section.php?id=finalcm)」は、日本で育ち、暮らしている人々には「当たり前」の日常ですが、実は世界的に見れば「驚き」の光景なのでしょう。海外旅行をすると、外国の危なさ・不便さを痛感する昨今だったり、日本の若い世代の旅行者が、宿泊ホテルの条件として「ウォッシュレット」を挙げるとか、その辺の理由に、日本国内の行き過ぎた安全・便利さ・快適さがあるのかも・・・・。このサイトは素朴に日本の良さを、面白く分かりやすく映像と解説で表現しています。

 最近感じるのですが、日本の若者たちが昔より大変礼儀正しくなっているような気がします。劇場等での座席に着く時に、「この席、空いていますか」と殆どの若者が聞いてきます。道を歩いていてすれ違いざまにぶつかった時、「あっ、失礼」とかなりの若者が言います。豊かな日本で育った良さもあるのですよね。ただ、新千歳空港からのJR北海道で札幌に帰る時、進行方向が変わるにも関らず、あてがいぶちの座席に従順に座るその姿に、何かたまらないひ弱さも感じてしまいます。9月の中国旅行の後遺症ではありませんが、世界にのして活躍していくには、もっともっと野生が必要なのだとも思うのですが。

 もう一つは10日程前でしたか、10数年間ベトナムに住んでいた商社マンも含めた朝食会の席、久しぶりに日本に戻ってきての第一声、「いつから日本人はこんなに偉くなったのか!!」と、皮肉を込めての辛口コメントでした。アジア諸国への日本のODA(Official Development Assistance:政府開発援助)を現場で肌での感想でした。

 ODAはご承知の通り、政府や関係機関が、発展途上国の経済発展・福祉向上などを目的に提供する資金や技術援助のことです。外務省(http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/index.html)や国際協力事業団(JICA:http://www.jica.go.jp/oda/index.html)、国際協力銀行(JBIC:http://www.jbic.go.jp/ja/)などが実施し、日本は世界第1位のODA供与国でしたが、この所、減額となって順位を下げています。またその内容が国際協力・環境NGOからは、プロジェクトが現地の実状に合わず、住民や環境にプラスに働かない事例や、債務負担などの弊害が指摘されています。

 先日の永く商社マンで現地の方々と仕事をした経験でも、どうも日本の援助は、「教えてやる」、「授ける」と言った臭いが無くならず、「何様だと思っているのか!」と批判が多いようです。ペシャワール会中村医師(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4289)のように「共に汗を流す」とか、「共に創る」というパートナーシップが欠如しているのでしょうね。地元住民の目線からの支援になり得ていない、本物ではない実体、多額の支援をしておきながら、「官」による、すなわち「税金」による海外援助は実にモッタイナイ現状です。民間に同じ金額を委託されれば、恐らく10倍くらいの効果を上げることは出来るでしょう。

 この傾向は、企業にも言えるようです。アジア・アフリカを市場と認識すれば、商品販売においては、自ずからそれぞれの地域のニーズに合った色・形・仕様でなければ受け入れられません。日本の商品は、欧米志向で、韓国・中国の企業に比べて、大胆に現地に合わせる努力が欠けているとの指摘があります。それも裏を返せば、「日本ではこれが常識」、「これ以下には質は落とせない」といった高上がりのスペック、思い上がりと受け取られる場面が多いようです。

 先日の朝食会でのお話を聞いていて、私は今年3月に行ったアフリカ旅行を思い出しました。「現地住民の目線に立って」ということが、どういう活動なのか、私は帯広畜産大学の先生達から教わった気がします。「自立の促進」、「地域文化・ライフスタイルの尊重」、なのでしょうか。現地でのそういった活動基盤は、自国・日本の文化・芸術への造詣の深さと敬意だと思います。

新国際線ターミナルに想う

Posted by 秋山孝二
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  10月21日から、羽田空港に新しい国際線ターミナルがオープン(http://allabout.co.jp/gm/gc/187809/)したので、東京出張のついでにちょっと覗いてきました。出国ブース前のロビーまでの見学でしたが、ひと言での感想は、「日本のハブ空港イメージって、この程度なの?」ですね。香港国際空港、韓国・仁川(インチョン)空港、中国・北京空港と比べると、まさに「ローカル空港」の広さですよ。でも乗客からすると、皮肉ではありませんが、コンパクトで使い易い規模かもしれません。

新しい国際線出発ロビー

新しい国際線出発ロビー

江戸情緒をたっぷり?

江戸情緒をたっぷり?

 メディアによると、「観光立国・日本の空の玄関口として、羽田ハブ空港化への第一歩が歴史に刻まれる瞬間です。30余年のときを経て『羽田から海外へ』、旅立ちのときを心待ちにする往年のファンも多いはず 」ほか、最大限の国際化への評価です。30年前ならいざ知らず、21世紀の現在、どうせなら「世界をグッと引き寄せる、コンパクトなロビー!」とでも銘打つべきですね、「江戸小路」は中部国際空港セントレア(http://www.centrair.jp/restaurant/index.html)の二番煎じではありませんか?私にとっては何とも違和感のあるメディアの表現です、「アジアのハブ空港を目指す」は。

 1969年に私が千葉大学に入学した時、地元千葉県では戸村一作委員長を中心とした幅広い「三里塚空港反対闘争」の最中でした。当時その土地で農業を営んでいた人々を追い出しての「成田国際空港建設」とは一体何だったのか、今一度、「三里塚空港反対闘争:http://www.youtube.com/watch?v=E9hy3ZWS3So&feature=relatedhttp://www.youtube.com/watch?v=bE4Lo8-UbhM&feature=related」をしっかり振り返る必要があると思います。この羽田空港の新しいロビーに期待を寄せる方々は、真摯に「成田空港とは何だったのか」の総括をしなければならないでしょう。今、あらためてあの時の三里塚農民の闘う姿を見て、胸が熱くなります。永年、日本の食供給に貢献してきた農民の皆さんに、暴力的に対峙した権力は、結局さしたる国際化の展望も無く、ただ「めんつ」にこだわる醜い姿だったとしか言いようがありません。「新しい国際化への窓口」とか底の浅い言葉が漂流し、その後不便を強いられて、「国民への利益還元」など無かったではありませんか。メディアも今になって平気で、「なぜ成田に空港を持って行ったのか」ととぼけています。

 戦争責任に関しても感じるのですが、日本人は「歴史に対する責任」という概念が薄いのでしょうか、歴史の記録、保管、継承、総括等、実にいい加減です。現場の歴史的事実を、土壇場になると「関わった個人のもの」としてしか認識しない精神的構図、コモンズとしての価値を感じていない、「歴史と誠実に向き合う」姿勢の欠如、社会的存在の認識軸がないのかも知れません。誤解を恐れずに言えば、信仰に近い何かが欠けているような気がします。

「第7回新渡戸・南原賞」受賞式

Posted by 秋山孝二
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  今年の秋山財団「第7回新渡戸・南原賞」受賞式が、先日東京で開催されました。2年前に当財団でお引き受けした事業です(http://www.akiyama-foundation.org/nitobe/)が、今年の受賞者は、

*北海道大学名誉教授・三島徳三(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B0%C5%E7%C6%C1%BB%B0)さん

*成蹊学園専務理事・加藤節(http://webcatplus.nii.ac.jp/webcatplus/details/creator/2421704.html)さん

です。この事業の鴨下重彦代表がおっしゃっていますが、「この賞は受賞された方々のご活躍で一層価値が高まっていく」のです。今年の贈呈式・祝賀会にも、素晴らしい方々が駆けつけて来られました。

資生堂相談役 池田守男 氏

資生堂相談役・第3回受賞者 池田守男 さん

元東京大学総長 佐々木毅 氏

元東京大学総長 佐々木毅 さん

韓国・成蹊大学教授 李 静和(リ・ジョンファ) 氏

韓国・成蹊大学教授 李 静和(リ・ジョンファ) さん

朝日新聞論説委員 辻 篤子 氏

朝日新聞論説委員 辻 篤子 さん

前東京女子大学学長 湊 晶子 さん

当事業運営委員(前東京女子大学学長) 湊 晶子 さん

 それぞれの先生方からは、貴重なメッセージの数々を頂きました。「賞の存在意義、それは社会に対する強いメッセージの発信であり、積み重ねることで価値が高まっていくのでしょう」、「時代と人間」、「実践と理念」、「思索と思考する姿」、「密かに闘っている人々への熱いメッセージ」等、心に響く言葉がご来賓の方から発せられました。

 2年前に、この事業を引き受けるに当たって、お墓参りと故郷巡礼に行ったのを思い出しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=35)。新渡戸稲造、南原繁、お二人は大変困難な時代に生きた稀有な人物ですが、その哲学と信念は今の時代に一層学ぶ価値があるように思います。先日の受賞者・関係する方々のお話から、現在の日本を憂う気持と強い危機感と同時に、若い世代育成への並々ならぬ意気込みを感じ、日本の「良心」に勇気づけられました。

TPS、サハリンで初公演!

Posted by 秋山孝二
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  札幌のプロ劇団「TPS:http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html」が、アントン・チェーホフ生誕150周年記念で、サハリンのチェーホフ劇場で「秋のソナチネ:http://www.h-paf.ne.jp/tps/kanou.html#aki」公演をしました。これまでハンガリー(ブダペストほか)、韓国(光州・ソウル)、ルーマニアでも海外公演を行っています(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=97)。今回、私は同行できませんでしたが、先日帰国報告会が開催されて、東欧・韓国とは一味違ったロシアの舞台事情を聴くことが出来ました、大変興味深かったですね。

当日プログラムの表紙

当日プログラムの表紙

  TPSはこれまでチェーホフ作品を国内で多数上演していて、今回生誕150周年の演劇祭「チェーホフの秋」に招待されました。2日間で500人以上が来場し、地元でも拍手喝さいだったようです。劇場前の道路は穴ぼこだれけでも、10数万人のマチに立派な劇場が存在する、それだけでもロシアにおける芸術・文化の位置づけを感じますし、その伝統が観客のレベルの高さを創り上げているのでしょうね。日本の、いや札幌市の政策は、もっともっと芸術・文化の振興に本気になってもらいたいものです。

 サハリン国際チェーホフ劇場のヤーナ・チェーホワさんは、「モスクワなどから来ている劇団の公演をたくさん観てきたサハリンの観客も、『秋のソナチネ』を観て心が奪われた。洗練された演技、シーンにふさわしい音楽の演奏によって、チェーホフの作品に基づいた多くの公演よりチェーホフの雰囲気に通じていたと言える」と、絶賛するコメントをメディアに寄せていました。

サハリン公演を終えた出演者たち

サハリン公演を終えた出演者たち

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

翻訳・カーチャさん、チェロ・土田英順さん、女優・宮田圭子さん、

 報告会では、ロシアの劇場・舞台を取り巻く事情も垣間見られて楽しかったですね。特に土田英順さんがいつになく怒っていました、「どうして劇場にあんなに人がいるのか!」と。劇場には200人を越えるスタッフ(?)がいて、それぞれ受け持ちの仕事が縦割りで分担されていたようです。「人が多いとそれぞれに仕事を作るだけだ!」とも、かなり厳しい口調でおっしゃっていましてね。戸のカギを開ける担当も、扉ごとに違う人が現れる(?)、日本では一人で賄っている多くの仕事を、それぞれ違う劇場スタッフが入れかわり立ちかわり行っている、出演する役者も準備作業をどんどんやる姿に驚いた様子、そんな状態だったそうです。 

 メディアの取材もかなり多かったり、歓迎パーティーの設営もあったりと、昨年のルーマニア・ハンガリー公演と比べて、今回は受け入れがかなりしっかりしていたと言えるのかも知れません。いずれにせよ、若い劇団員にとって海外公演でそれぞれの国の演劇事情、観客の反応を肌で知ること、驚きと苦労を体験する、そのことが何より肥やしになりますね、お疲れさまでした!!

中国:ハルピンで

Posted by 秋山孝二
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 昨年6月、プラハ・アウシュヴィッツ他を訪問したグループで、今年は中国に「検証の旅」です。

 韓国・仁川(インチョン)空港、香港空港はアジアのハブとして目を見張りますが、15年ぶりに行った北京空港もそれを上回る広大な敷地・建物で、まさに中国の勢いを象徴するかのようでしたね、オリンピック・万博を目標に国家的プロジェクトで整備したのでしょう。でも、訪れるお客にとって、必ずしも「大きいことは良いことだ」ではない辺りが、難しい所ですね。空港でのインターネット・アクセスは大変便利ではありますが。

国内線のロビー:面としての広大さを感じます

国内線のロビー:面としての広大さを感じます

 深夜にハルビン市内のホテルに到着して、早速部屋でインターネットに接続しましたが、日本では見られる幾つかのサイトがアクセスを拒否されました。事前に多少は聞いていましたが、何かのスクリーニングが掛っている様子です。

 

 旧関東軍731部隊(http://sakura4987.exblog.jp/4958898/)の本部が置かれていた場所は、ハルピンから約1時間の場所です。広大な敷地は今も残されて陳列館となり、その周辺には関連施設で終戦直前に自ら破壊した発電所跡、凍傷研究所等跡もそのまま、訪問当日は高校生・大学生と思われる団体も見学に来ていました。部隊が建設した発電所は実に頑丈で、自ら破壊する時も爆破では困難だったようで、3本の煙突のうち1本だけの破壊で退却したようです。裏に回って建物の壁を見ると太い鉄筋が何本も入っていて、皮肉にも「耐震偽装建築」とは比較にならない当時の軍関係建築への予算を測り知ることが出来ます。インターネット検索では、様々な立場からのコメントも読むことが出来ますので、ここで掲載することは省略します。

旧陸軍731部隊本部入口で
旧関東軍731部隊本部入口で

敷地併設の発電所跡:自ら破壊して撤退

敷地併設の発電所跡:自ら破壊して撤退

凍傷実験所

凍傷実験所

 すでにこの部隊の目的等は、1997年アメリカ政府の膨大な情報公開により明らかになっています、今回あらためて衝撃を受けたのは、昨年のアウシュヴィッツと同様に、「政策」として明確な意図を持って軍と医学会が組織的にかなりの期間実践したこと、そしてその間多大な犠牲をもたらして得た膨大な「医学的(?)情報」が、戦後戦争責任を裁く裁判における免罪の取引として、すべてアメリカに提出されていたことです。数年前から、関わった方々が80歳に近くなってきたからか、この件に関する証言も数多く世に公開されています。

 「政策」としてという意味は、例えば「対ソ戦」を想定した寒地での人間対応力実験、資源の少ない日本が戦争に勝利する戦略としての大量破壊兵器として「細菌兵器」の開発、自国内では出来ない「医学的」臨床実験等です。

 8月のNHKドキュメンタリーシリーズで放映された「広島・長崎への原爆投下」に関する番組で、誰よりも早く爆弾投下直後(2日後?)に日本の軍医師団が、診療目的ではなく調査目的で現地入りして、放射線障害等の貴重なデータを取得し分析し、それを731部隊同様に占領軍に提出したとの証言でした。 そしてその意図が、終戦後少しでも占領軍の心証を良くしようとの思惑からだった、とも。

 更に731部隊に責任を負う幹部たちの終戦後に就いた役職も展示されていましたが、皆戦後日本の要職が実に多く、彼らの戦争責任に対する認識、許す社会の民度の低さ等、アウシュヴィッツとは違い、同じく戦後日本を生きてきている自分自身との関係性から一層重たいものがあります。戦後の数多くの戦争裁判の検証でも、アメリカ他の連合国の思惑等、しっかり認識していく必要性を感じます。

 もう一つ、資料とかデータに関する日本人の独特の考え方ですね。国際社会では、「資料が無い」というのは、その後の検証・交渉では致命的に不利になるのは常識にもかかわらず、ただひとえに自らの「保身」、「責任回避」の為に、それを焼却・破壊して無かったことにしようとするメンタリティ、その程度の責任感・覚悟での仕事の遂行というのでしょうか。何だか何で言って、「国」、「国民」の為になどという言葉は全くみられません。これは今の社会でも、全く変わっていないから更に課題は重いですね。戦争中の様々な残虐行為、安保・沖縄密約、事実を無かったことにしようとするそのことが、歴史に対する冒とくですし、それを乗り越えて進化しようとする力をそぐものです。私たちの世代の責任は、とにかく事実を事実として認識して、二度と同じような過ちを繰り返さない社会づくりを日頃から地道にすることしかないのでしょう。

 もう一つ、ハルピン市内の「東北烈士紀念館:http://www.mediabahn.co.jp/china/tiiki/tohokud7.html」では、抗日戦争で戦った女性戦士「趙一曼」に関する展示・説明が印象的でした。信念に生きる一人の女性の姿、また一人の子供へ託す自らの意思といのちの連鎖、今、中国・ハルピンに居ることを忘れて、無言でしばしたたずむばかりでした。

世界へ羽ばたけ、山﨑葵さん!

Posted by 秋山孝二
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 我が後輩、高校2年生の山崎葵(http://pksp.jp/yamazakiaoi38/?o=0)さんのライブ(http://www.concarino.or.jp/2020/12/yamazakiaoi/)が、札幌琴似・コンカリーニョ(http://www.kotoni-works.co.jp/company/06/shop/B11035/B11035.shtml)であり、200名を越えて満員の盛況でした。若い観客が多く、私ともう一人の同期生・篠崎正明くんは、最高齢に近い部類だったでしょうか。

発売中のアルバムから

発売中のアルバムから

続々と入場するお客さん

続々と入場するお客さん

  彼女は昨年12月に、自分の曲「ユメノナカ」で第3回ヤマハ・ミュージックレボルーションでグランプリ受賞に輝きました(http://www.youtube.com/watch?v=1_Vr38fAaNo)。

 今年6月に続いて2回目(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4447)の間近のライブ演奏で、今回3部構成の中で、私は正直、最後の静かな「弾き語り」が心地よかったですね。しかし一部・二部のバンドと一緒の演奏も、若さあふれるエネルギーがまぶしく、今後の無限の可能性を感じもしました。サプライズで終わりに歌った彼女の仲間の女性は、何というかとてつもなく上手でしたね。

 トークでは、狸小路の路上ライブも時々やっているとか。午後8時過ぎの狸小路では、沢山の若者たちがそれぞれにライブを披露しています。韓国・中国からの観光客と思われる方々にもアピールする「何か」があるのでしょう。昔の狸小路には、そんな爆発するエネルギーみたいな力がありました。彼女もアジア系の方々の反応を受け止めているようです。

 このライブ、34期の同窓生が中心となってこの間の準備をされて、当日は朝から舞台の設定他、仕込みも手造りでやり遂げました。そんな40代前半パワーにも心から拍車を送ります。これからどんどん活躍する姿を楽しみにしていると同時に、私たちの世代も応援しています。当日買ったCDは、早速家で聴きましたよ。

 まぶしい程のエネルギーに感謝します!

アジア太平洋の連携とは?

Posted by 秋山孝二
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  今日は、韓国併合条約(http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m43_1910_01.html)・締結100年の記念すべき日です。「日韓併合100年」の今年は、歴史認識に関わる重要な節目としなければなりません。

 先日来、「将来のアジアの中の日本」を展望する幾つかの会合に参加しています。6月大阪で「ナレッジ・キャピタル・トライアル:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4441」、更に続いて「API・リレー講座4・5回:http://apipc.org/2010/08/post-14.html」で、主催はアジア太平洋研究所推進会議(APIPC:http://apipc.org/-forum/)です。

APIの構想図

APIの構想図

 リレー講座の4回目は、慶応大学・村井純(http://vu9.sfc.keio.ac.jp/faculty_profile/cgi/f_profile.cgi?id=859452959bdc256a)教授でした。「アジア太平洋のネットワーク型発展における情報と次世代ICT」と題して、ICT(情報通信技術)からみたアジア太平洋地域の変遷について、多国間交渉を含めた大変興味深いお話でした。インターネット等を、外交的・経済的枠組みづくりの視点から位置付けた戦略を垣間見た気がします。

 今年1月21日、ヒラリー・クリントン長官が、ルーズベルト大統領の「4つの自由:http://aboutusa.japan.usembassy.gov/j/jusaj-majordocs-freedoms.html」にプラス「接続の自由」を演説で表明して、中国のグーグル問題に対して「Internet Freedom」を提唱しました。私たちが自覚するかしないかは別として、この間のアメリカの最大の関心事は、やはり中国との対話だったようです。「自由」は裏を返すと、全て「恐怖」と読み替えられます。

 そして今年6月16日、「インターネット・エコノミー」について原口総務大臣は、「日米政策協力の決定:http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/02tsushin06_02000027.html」を発表しました。振り返るとクリントン政権では、「情報スーパーハイウェー」といってデジタルインフラの促進でしたが、現在の主たるテーマはその第2ラウンド、「グローバルな空間で経済がそこにのっている時に、各国の責任をどう持つか」で、ヒラリー国務長官のメッセージもそこにありました。

以下、幾つかのキーワード:

* 2001年の「IT基本法:http://www.kantei.go.jp/jp/it/kihonhou/honbun.html」の制定――日本国民がインターネットのようなデジタル情報基盤を使って、知識や情報を誰もが共有・交換出来る社会を作る、と書かれている

* デジタル・コミュニケーションのユニバーサル・サービス化というのは、今や「医療」や「教育」といった知識に対するアクセスになり、政治に対する参加にすら関わってくる

* アメリカのインターネット・ビジネスの主戦場は、中国マーケット

* 日本における重要なメディアは「電話」と「テレビ」、日本では「新聞」と「テレビ」が内容的に同期しているのが世界的に例外

* グローバルな社会がインターネットで出来るが、その時に「文化」はすり減るのか、それとも力強くなるのか、インターネット始まって以来の課題

* 「Twitter」という技術は侮れない

* 「クラウド・コンピューティング」で出てくる課題は、データを盗まれた時、どの国の法律で裁くのかである

 オンラインでの授業・HPを介した大学の進化、グローバル空間のガバナンスをどう行うか、国際的課題について日本での議論も活発にする必要があるようです。メディアを先頭に、そんな時代のリーダーシップを期待したいですね。

 

第5回目は、ケント・カルダー教授で、テーマは「太平洋パートナーシップの将来の鍵とは何か」でした。ケント・E・カルダー(Kent  E. Calder )教授は1948年生まれ、専門は日本政治、日韓の比較政治、東アジアの国際関係等です。現在はジョンズホプキンス大学http://www.thepath.jp/archives/2006/04/11/johns_hopkins_university.html教授、同高等国際問題研究大学院(SAIS)付属エドウィン・ライシャワー東アジア研究センター長を務めています。久しぶりに先生とお会いし、講演後に札幌での想い出話でしばし懇談することが出来ました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2510)。

 日米両国は今、新しい時代を迎えていること、すなわち「直接投資」、「文化交流」、「技術投資」、「安全保障」分野で積極的な協力を推進していくべきと力説しました。沢山の人脈を形成しているこれまでの日米関係に関わってきた人々、そんな財産を大切にしつつ、これからの新しい日米関係を新しい担い手によって前向きに構築していきたいものだと痛感しました。

隣国の家族たち、北と南で

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 ミニシアター系映画館の上映スタイルは、一つの作品を一日の中で繰り返し上映ではないので、同じ日に同じ映画館で違う作品を観ることができます。札幌・狸小路6丁目のシアター・キノ(http://theaterkino.net/)で、二本続けての韓国映画は、いずれも「家族の関係性」をテーマとしていました。 

 一つは、「息もできない:http://www.bitters.co.jp/ikimodekinai/」で、俳優として活躍してきたヤン・イクチュン初の長編監督作品です。「自分は家族との間に問題を抱えてきた。このもどかしさを抱いたままで、この先は生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった」と、チラシにあります。そんな切実な思いから脚本を書き始め、自分で資金を集め、製作にこぎつけたそうです。自身の感情のありったけを注ぎ込んだ主人公サンフンを演じるのはもちろん彼で、まさにヤン・イクチュンの魂そのものですね。物語はフィクションでも、映画の中の感情に1%の嘘もない、と彼は更に語っています。

 観客の胸を激しく揺さぶり、彼の感情を受け止めるのも大変です、観客こそ、まさに「息もできない」でした。見終わった後の疲労感もかなりでしたね。最初から最後までトップギアといった感じで、「間」とか「溜め」がもう少しあると、作品としてはもっと感動出来たような気がしますが。

映画チラシより

映画チラシより

  もう一方のキム・テギュン監督、「クロッシング:http://www.crossing-movie.jp/」は完成度の高い映画でした。「生きるために命を賭けて国境を越える人々:国家とは何か、人間とは何か、彼らの存在が私たちの心を激しく揺さぶる」、「果たされなかった父と息子の約束」、「生きるために別れるしかなかった」・・・・、胸に刺さるフレーズの数々、涙が止まりませんでしたね。11歳の息子ジュニが、「お母さんを守る約束を果たせなかった、ごめんなさい」と、遠く離れた父に詫びる場面は、特に胸が痛みました。折しもW杯サッカーの真っ最中、そしてどこにでも同じように降る「雨」が場面場面で現れて、思い出の糸となって繋がります。背景の映像も素晴らしく、韓国・中国・モンゴルでの撮影は、移動距離で8000キロにもなったとか。

 一昨年、私は板門店に行き、昨年4月にこの欄に書き留めました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=876)。しかしながら、その時の北と南の対峙する場は、多くの悲劇を覆い隠すかのように異様な静けさでした。日本本土では1945年が最後の終戦でしたが、隣国ではその後更に新たな戦争が勃発し、多くの家族の悲惨な状況が今も続いている現実を実感しました。余りにも理不尽な、そしてその中でも脈々と続く親子の愛情、地理的にはすぐ近くの、同じ時代を生きてきた別の家族像を目の当たりにしました。

北海道の「流儀」

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 今年で20年を迎える異業種交流「北を語る会」の例会は、毎回内容が濃く印象的です。私自身、仕事の関係で暫く欠席が続いた時期もありましたが、この数年は出席率も上がり、多彩な方々のお話・演奏等を、ひと時楽しんでいます。

 先日のゲストスピーカーは、磯田憲一さんでした。元北海道副知事で、現在は(財)北海道文化財団(http://haf.jp/)・理事長、(財)北海道農業企業化研究所(HAL財団:http://www.hal.or.jp/)・理事長、NPO法人アルテピアッツァびばい(http://www.kan-yasuda.co.jp/arte.html)・代表、旭川大学客員教授等でご活躍中です。

 「北海道の流儀」と題してのスピーチは大変素晴らしい内容でした。行政マンとして、従来型の殻を破り、実に多くの足跡をこの間北海道に残しています。全国的にも有名になった「時のアセスメント:http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/gkk/toki/tokiindex.htm」、「試される大地」のキャッチフレーズ、BSEの全頭検査実施等、勇気をもった施策の数々は、今の道政には見る影もありません。

 ご紹介のあった中標津の「マイペース酪農」を実践する三友さんご夫婦(http://www.goto-chi.com/seisansya/mitomo.htm)は、豊かさの基準として「草をミルクに変えられる」、「乾いた薪をストーブへ」、「家族で夕食を食べられる」等でも有名です。また、海に投げ出されて漂流する人が、たいまつを灯しているゆえに周囲が真っ暗で何も見えずに方角が判別できず、ひとりの人が「この灯を消せ」と言って暫く周囲に目を凝らすと、ある方角の遠くにうっすらと光るマチの灯を見ることができた、というお話を引用して、今の北海道が、「たいまつの灯を消す勇気があるか」、と鋭く問題提起をされました。

 「観光」、「観光」と時流に乗った観光客の入れ込みにただ大騒ぎするのではなく、「生き方に迷った人がやってくる北海道」とか、そんな奥行きのある魅力づくりにこそ我々はまい進すべきではないか、とメッセージも発信されました。

 磯田さんというと、忘れられない思い出があります。10数年前の北海道演劇財団(http://www.h-paf.ne.jp/)設立時は、行政側の責任者として本当にお世話になりました。設立記念パーティでのご来賓挨拶で、中島みゆきの「ファイト:http://www.youtube.com/watch?v=9TH1Xm25FIM」の一節

「 ああ小魚たちの群れきらきらと 海の中の国境を越えてゆく 諦めという名の鎖を 身をよじってほどいてゆく

  ファイト!闘う君の唄を 闘わない奴等が笑うだろう ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ」

を引用して、これからの活動を激励して頂きました。そんな来賓挨拶を、私はそれまで、そしてそれ以降も聞いたことがありませんでした。言葉に対して素晴らしいセンスをお持ちだと興奮致しました。その後も韓国・光州市、ソウル市で、北海道演劇の海外公演でも磯田さんとは文化財団理事長として何回かご一緒し、引き続きご指導を頂いています。 

 本当に久しぶりに聞く格調の高いスピーチでした。つい先週、高知で行われたブータン王国ジグミ・ティンレイ首相の基調講演と重なって、「本当の豊かさとは何か」を問う、感動的な言葉とメッセージがぎっしり詰まっていました。本物を目指し、それを実現する「勇気」を持て、まさに「Boys,be ambitious!」の心意気、それこそ「北海道の流儀」と受け止めました。

祝!「NORPAC」25周年

Posted by 秋山孝二
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 (社)北太平洋地域研究センター(NORPAC http://www.norpac.or.jp/)は、1984年に「フレッチャー法律・外交大学院大学分校等誘致促進協議会」を母体として発足し、1986年に「社団法人フレッチャー北海道プログラムセンター」に発展的に改組・法人化した後、1991年に現センター名に改称しました。

 発足以来、北太平洋地域の中心に位置する北海道を拠点として、北太平洋を取り巻く各国(アメリカ、カナダ、ロシア、中国、モンゴル、朝鮮民主主義人民共和国、韓国、日本の8カ国)の研究機関と協力し、この地域が直面する諸問題を多角的にとりあげ、学術的な調査研究活動を実施するとともに、それに関連する国際会議・フォーラム・セミナーなどを開催しています。また、この地域の安定と発展を持続させていくためには、国際的な感覚と専門知識を有する人材の育成が不可欠であるという認識のもと、人材交流や人材育成のためのプログラムを積極的に推進してきました。


  私もこの団体の理事を永年つとめてきましたが、先日、設立25周年の記念講演会・祝賀会が開催されました。講演会は、この会に当初からご尽力された木村汎先生により、「ロシア双頭政権の対日戦略~鳩山政権への提言」と題して行われました。

木村汎先生の講演

木村汎先生の講演

 日本とロシアの交渉スタイルの違い、歴史認識の違い等を踏まえて、性急にではなく、根気強く粘り強い交渉をする構えの重要性等、幾つかの示唆に富むお話でした。

 その後の25周年式典・懇親会では、これまで特にご功労のあった松江専務理事他へ感謝状の贈呈がありました。思い起こせば、この「北海道フレッチャースクール」の絡みで、ハーバード大学のスーザン・ファー教授ともお近づき頂き、その後のネットワークも拡がりました。折からの公益法人改革もあり、今後は(社)北方圏センターhttp://www.nrc.or.jp/への事業統合で一層の発展をする旨も、先日発表されました。北海道の国際学術交流も、新たな時代への展開となってきたことを実感致します。

 これまで培ったネットワークを大きな財産として、「東アジアの中の日本」の価値を、創り上げていきたいものですね。

横浜は、今

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  昨年末も今頃横浜に行く用事があったような気がします。先日は久しぶりに羽田空港からバスでベイブリッジを通って横浜市内へ、中華街で集まりがあったので、その前にほんの少しの時間で山下公園にも足を運びました。

 バスの中から左手・横浜港の工業エリアを見ていましたが、昨今貿易相手がアメリカから中国へと劇的に変わり、世界の貿易港としての機能も、横浜・神戸は中国・韓国の各港に抜かれて久しくなっている現実を思い出しました。「日本海物流」として、中国・韓国の港から津軽海峡を通過して太平洋に抜ける船舶が増大しているとのことです。

横浜・大桟橋

横浜・大桟橋

山下公園・氷川丸

山下公園・氷川丸

 

赤レンガ倉庫群を遠くに

赤レンガ倉庫群を遠くに

  山下公園は相変わらず人の往来が多く、ちょっとした広場では大道芸人のパフォーマンスが人気をよんでいました。大桟橋も懐かしいですね。40年前にアメリカに向けて旅に出た時は、両手に大きな荷物と更に肩から赤いショルダーバッグでした。先日は外洋船も入港していなく静かな桟橋風景でしたが、今はAPLもどこかの会社と合併してその名前での運航はないと聞いています。

 これまで横浜には何回も会議等の出張で来ています。ただ、自分自身の時間的制約がきつく、ホテルの一室へギリギリの時刻に一直線で向かい、終わったらすぐにまた次の場所へ移動の連続でした。何か「モードが違う」とでもいうのでしょうか、近くを散策するとか観光スポットを覗いてみるという気持にはなりませんでしたね。本当は時間が無かったのではなく、気持のゆとりの問題かと今は思っています。

 中華街はすごい賑わいでした。道幅と店の構えが違っているせいか、すれ違う人との距離感が他の場所と全然違います。私の娘夫婦はそこから近い所に住んでいるのですが、今回は連絡もせずに東京都内の次の予定会場に向かいました。

 函館と同じく「開港150周年」の横浜は、今も変わらずにそこにありました。

TPS海外公演、クルジュ・ナポカで!

Posted by 秋山孝二
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  北海道演劇財団http://www.h-paf.ne.jp/の専属劇団TPSが、ルーマニア・ハンガリーで今年も海外公演「冬のバイエル」を上演しています。私は、4年前のハンガリー「亀もしくは、・・・」、一昨年の韓国・光州市「冬のバイエル」、昨年の韓国・ソウル「春のノクターン」の海外公演同行に続いて、今回もTPSの活躍をこの目に焼き付けたく同行しています。昨日は、ルーマニアのクルジュ・ナポカで公演しました。この街は、「トランシルバニアhttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%C8%A5%E9%A5%F3%A5%B7%A5%EB%A5%D0%A5%CB%A5%A2」の中心都市です。

ルーマニアのクルジュ・ナポカ

ルーマニアのクルジュ・ナポカ

 

植物園

植物園

教会前の噴水と虹

教会前の噴水と虹

 「冬のバイエル」の現地でのポスターです。

昨晩は若いカップル他、沢山の現地の方々が来られました。因みにチケット代は13レウ:Leu(約400円)です。会場は昔の教会、そこには開演前にもすでに集まり始めていました。

昔の教会

昔の教会

会場入り口で待つ人々

会場入り口で待つ人々

 今回の公演ツアーは、東ヨーロッパでも新たなチャレンジとのこと。数年前までは「国立劇場」しか存在しなかったこのジャンルで、若者たちが企画する斬新な試みにTPSも果敢に参画したのです。それにしても今回のTPSはヨーロッパ経験者は二人くらいしかいないのに、昨晩の芝居でもあの落ち着きは何なのでしょうか。4年前にブダペスト公演で、始まって数分間の緊張感と比べると、いとも自然な役者の立ち振る舞いを見て、逆にこちらが驚きました。着実に経験が受け継がれている、そんな確信を得た気がしますが。

 今回は、これまでの作品とは一味違った「淡々とした会話」にこちらの人たちがどう反応するのか、私も大変楽しみです。今晩もまた出かけます。

戻っても、なお続きます

Posted by 秋山孝二
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 21日にワルシャワから飛行機を乗り換えて札幌に到着しました。旅行中のこのコラムに対して、多くの方から直接メールも頂きまして心から感謝致します。こちらに戻るやいなや、折からの総会シーズンで会議・会議の連続により時差をぼやく暇もありません。メールへのお答えという意味で、また幾つかエピローグの意味合いからも追加メッセージを。

* 今回の旅行は、誰の企画でどいうったメンバーだったのか、というご質問が届きました。札幌の旅行会社「旅システム: http://www.tabisystem.com/」から企画旅行のお誘いがあり、直ぐに参加を決めました。メンバー総勢13名(女性7名、男性6名)、年齢・職業・主義・主張も大変多様な、皆さん旅慣れた方々ばかりでした。永年の実績から現地ガイドの方々も選りすぐりで、深い背景の説明も多く、大学の講義を何コマも受けてきた印象でしたね。

* 現地ガイドの中谷さんの説明は、もっともっと沢山の凝縮した内容でしたが、今振り返ると私のメモはあまりに総括的でした。質疑応答の中で、アウシュヴィッツのアジアからの訪問者数のお話がありました。中国からが最も多く、次が韓国、日本は3番目で年間7000人程度とか(当初400人と書きましたが私の聞き間違いでした)。出発前に私とお会いした何人かの方からは、「知人で行った人がいる」と聞いていましたので、かなり多いのかと思っていました。そして、日本の通常の観光旅行プログラムでは、2か所合わせて移動時間も含めてせいぜい2時間程度とか。今回の私達の訪問は、意見交換を含めて約7時間でした。

* ある方からは、関係する幾つかのサイトをご紹介して頂きました。その中からリディツェ村の子供たちの像の詳細の映像と音楽です。http://www.youtube.com/watch?v=hvnEXPJG2To&feature=related こんな編集も出来るのかと感動いたしました。さらにこれに付随してリストにある多くのサイトも見る事が出来て、あらためてインターネットの機能の凄さを感じますね。ご連絡を頂いたMさんに感謝致します。

* クラクフからその後ワルシャワに向かいました。そこの「ワルシャワ蜂起博物館」、「コルチャックの墓」、「キューリー博物館」、「ゲットー跡地」も興味深かったですね。特にワルシャワ蜂起のソ連に対する評価は、ポーランドにおいても劇的に変わっているのを知りました。

* 途中経由した韓国インチョン空港は、以前にも何回か降り立ってはいますが「アジアのハブ空港」を目指すスケールを感じます。また大韓航空機内で出たエコノミー機内食「ビビンバ」は素晴らしかったです。何かの大賞を獲得したとか。

仁川空港ロビーコンコース
仁川空港ロビーコンコース

* 家に戻ってかなりの時間を費やして留守の間の新聞を読みました。何だか国内のチマチマした目先の記事ばかりで辟易しましたね。天気予報で例えていえば、「今日・明日が、雨か晴れか曇りか、」の予測、或いは「雨は午前9時からか、午前9時半からか、を延々と議論している風」ばかりで、何とも超ドメスティックで些細なその事が鬱陶しく感じました。

* メール環境は、この数年で随分良くはなりました。ただ、プラハの旧市街にあったホテルでは、ロビーに2台パソコンがあるだけで、いつも誰かが占有していました。朝時差もあって午前4時頃起きてロビーに駆けつけ、やっとラインを使う事が出来ましたが、暫くして後ろを振り向くと数人が待っている様子、ゆっくりも出来ずに切り上げました。クラクフは無線で無料で実に簡単、ワルシャワは一日はタダでしたが、二日目からは有料でした。韓国のインチョン空港では、普通の搭乗待合ロビーでも無料無線ラインが使用出来て便利でした。

 

上場会社はこれからが株主総会シーズンでしょうね。以前の上場会社代表取締役時代では、株主総会の準備でこの時期の海外旅行などは考えられもしませんでした。あらためて貴重な時間の獲得に感謝したい気持です。

非武装地帯、さらに「北」への道

Posted by 秋山孝二
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  昨年5月に、韓国のソウルで、北海道演劇財団TPSの海外公演があり、同行ツアーで副理事長の私も参加しました。公演の合間にオプショナルツアーとして板門店へ行き、貴重な光景を垣間見ることが出来ました。この数日間の「飛翔体(?)発射」騒動の中で、北朝鮮の動向は注目を浴びて(浴び過ぎて?)いますが、非武装地帯(DMZ) の現場は、歴史と現実の重みを感じながらも、驚くほどの静けさでした。ただこのツアー自体、米・韓のプロパガンダの臭いも強く、演出の過ぎる場面はかなりの違和感もありましたが。
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋
捕虜交換の場:板門店・帰らざる橋

今から6年前の秋山財団主催の講演会で、東京大学大学院・農学生命科学研究科教授・樋口広芳先生が、「鳥の渡りと地球環境の保全」http://www.justmystage.com/home/hhiguchi/index.html と題して特別講演をされました。シリーズの財団ブックレットとしてまとめてあります。その中で、この非武装地帯が多くの鳥の渡りにおいて重要な中継地となっている事実が、発信機を付けた渡り鳥と人工衛星によるデータで明らかになっている事を力説されていました。非武装地帯は立ち入り禁止区域で、ごく一部を除いて人間の活動は全て禁止されています。また、隣接する緩衝帯では、経済開発も強く規制されています。それゆえに皮肉にも、渡り鳥にとってはいわば聖域、安住の地になっているというのです。国境を越えた自然界にとって、非武装地帯はまさに地球上で数少ない理想的空間となっているのでしょう。そう言えば、昨年行った時も、道端に実に綺麗なキジを見つけました。

歌の「イムジン河」http://protestsongs.michikusa.jp/korean/imjin-river.html も懐かしいですね。ソウルから板門店に向かう途中で、しばし道路と並行して流れていました、この河があのイムジン河で向こう側が北朝鮮か、と。

「ふるさとをいつまでも 忘れはしない、イムジン河水清く とおとおと流る」、あの時代の香りですね。

この非武装地帯(DMZ)は、1953年7月、朝鮮戦争の休戦協定の締結とともに作られた区域で、南北それぞれ2キロメートルずつ(幅4キロ)、東から西まで総延長241キロメートル、総面積6,400万坪の広大な地域です。北朝鮮にとっての歴史認識では、今も交渉相手は国連軍(実質的にはアメリカ軍)しかなく、南北朝鮮問題ではないのでしょう。今一度きっちり振り返りたいのは、朝鮮戦争の位置づけと、更にさかのぼれば第二次世界大戦の日本とアジア諸国との関係性、そして戦後の構図だと思います。

今回の打ち上げ実験でも、ひとえにアメリカに対するデモンストレーションであり、日本への攻撃等と敢えて喧伝するのは、例によって日本メディアとそれを使って防衛予算を増額しようとする輩の思惑に違いありません。「誤探知?」と聞いた時に、とっさに私は「臭うな」と思いました。間違った事が不安なのではなく、これを材料に「システム整備・構築予算」の要求だの、日本の防衛力の不備等の議論の盛り上がりを期待する勢力の画策が「臭い(くさい)」のですよ。

今回は中央官庁の防衛省が「国防」の視点から対処・準備・喧伝し、東北地方をはじめとする各市町村が行政の「防災」の視点から現地で体制を取っていた、と理解出来るのではないでしょうか。自衛隊の活動を接点として、この違いを無意識にも、意図的にも混合してはならないと思います。

いずれにせよ、相変わらずの日本外交の貧弱さを痛感しています、公式発表はともかく、複数の人的パイプがないというか。外交上は、今こそ、東アジアにおける平和と安全に関して「非核化」をキーワードにして、日本は本来のリーダーシップを発揮する時だと思います。そして、一味違う視点として、自然科学者・環境科学者を中心として、たとえば「オホーツク海の生態系」、「北東アジアの大気汚染」、「朝鮮半島の生態系」といったテーマでの、周辺6・7カ国ネットワーク形成プロジェクトを、日本がリーダーシップを取って場の構築等は出来ないものでしょうか。

過去の歴史を受け止めながら、21世紀的テーマの新しい構想の中で平和の時代を創る、そんな時代なのだと強く思います。

ダルビッシュは、良く頑張ったじゃないか!

Posted by 秋山孝二
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 今日のWBCキューバ戦で、日本が勝って準決勝進出を決めました。岩隈・杉内が本当によく頑張りました。

私は、今朝の朝刊各紙の見出しには、大いなる疑問でした。昨夜の韓国戦、ダルビッシュがわずか3点取られて、どうして責められなければならないのでしょうか。侍ジャパンは1点か2点の得点で勝つイメージでいたのでしょうか。5回20人を相手に、4安打、7三振、1四球ですよ、本当によく頑張ったではありませんか。北海道日本ハムファイターズなら、チームメイトは皆、「よく頑張ってくれた、後は俺たちに任せろ」と言うに違いありません。「サムライ」の文字が泣きますよ。

中継テレビの解説者・アナウンサーも、何の見識もない、ひどいコメントの連続ですよ。結果を出せないイチローに対しても、ここにきて、やれ「年齢から来る衰え」とか「一人安打が出ずチームの足を引っ張っている?」、何なんでしょうね、まったく。大体、現役時代に脇の甘い野球しかしていなかった連中が、解説席に陣取って、無責任な話ばかりです。今の侍ジャパンの課題は、ひとえに打撃でしょう。打撃コーチは何をアドバイスしているのか。稲葉も上向きですし、今日以降は期待に応えてくれるでしょう。

ダルビッシュくん、君は本当によくがんばりました。これからも是非大活躍をお願いします。北海道から応援しています!

この地に眠る「いのち」から

Posted by 秋山孝二
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 「歴史を踏まえて、東アジアの真の和解を~2009年浅茅野発掘と別院遺骨問題の解決を目指して」をテーマにした集会が開催されました。

主催したのは、「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム http://www.asajino.net/」で、秋山財団からも平成19年度と20年度、社会貢献活動助成で支援をしています。この市民活動の中心は、様々な分野や団体の方たちで、共同代表も多彩な顔ぶれですね。北海道華僑総会、韓国民団北海道地方本部、朝鮮総連北海道委員会、日本キリスト教会、浄土真宗等、国・宗教を越えています。個人の資格での参加として、特定の政治方針、宗教的信条に縛られることなく、「犠牲になった遺骨のご遺族を探して、遺骨をお返しすること」を目的とする市民運動にしようと合意してスタートしています。

ところで、北海道内の遺骨情報というのを、私は良く知りませんでした。この北海道の各地の寺院納骨堂に、記録とともに残されている場合も多々あるようです。根室市の寺院には、飛行場建設に伴う強制連行による朝鮮人犠牲者、老人ホームで亡くなられたとみられるご遺骨、美唄市の寺院には、炭鉱坑内事故の犠牲者、室蘭の寺院には、軍事工場に強制徴用されて、終戦直前に艦砲射撃によって犠牲になった朝鮮人犠牲者、そして道東猿払村の浅茅野(あさじの)飛行場建設現場横の土に眠る強制連行された朝鮮人、タコ部屋労働者のご遺体・遺骨等。この北海道に眠る、多数の「いのち」の足跡に対する無知を恥じる私です。

しかしながら活動は、それら犠牲者の身元を調査して探し出し、返還すれば済むという簡単なものではありません。ご遺族を探し当てる活動も大変な努力ですが、見つかったご遺族側として、直ぐに引き取るというお気持ちにはならないようです。経済的事情の他にも、全く理不尽にお亡くなりになり、そして60有余年も「放置されてきた」事実を、無かった事としてすぐに受け取るのが難しい現実である事は、私たちにも容易に理解出来ます。「遺骨をこのまま持ち帰ったのでは、謝罪を表明すべき人たちの責任が曖昧にされたままになる」という主張です。雇用していた企業の責任、日韓交渉時日本国政府の戦後賠償問題等、複雑な歴史からくる感情により、敢えて「持ち帰る事を断念する」ご遺族の行動に心が痛みます。

昨年7月9日に、G8サミット開催と時を同じく、国際シンポジウム「市民がつくる和解と平和」が札幌で開催されました。http://kitay-hokkaido.net/modules/event/index.php?lid=12&cid=2 韓国・中国・ドイツ・オーストラリアからゲストも出席されて、内容の濃い意見交換が行われました。

今年5月に、猿払村浅茅野で遺骨発掘事業が計画されています。2006年8月に、海外からの参加者も含めて300人を越えるワークショップが現地で開催されましたが、それ以来です。戦後を生きる日本国民として、海外の市民と連帯して、過去の歴史の犠牲者及びその家族の方々とどう向き合うのか、東アジアの新しい時代を切り拓く為にも、過去から逃げることなく真摯に考え、議論し、行動して行きたいものです。

今年見た映画に思う

Posted by 秋山孝二
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 演劇はエネルギーを貰えるとは言うものの、ハズレの確率は映画よりも高いのではと思う時があります。映画は事前に評判等を知る術(すべ)があるのですが、演劇はあらすじは分かっても劇団のセンスとか役者の雰囲気は一発勝負の感じです。時々開始5分くらいして、「えーっ、これに2時間もつきあわされるの」と絶望的になる芝居もありますね。途中で退場する勇気もなく、前後左右のお客さんは結構楽しんでいる場合は、なお一人孤独と閉塞の空間の中で沈みこみます。でも、どんなに仕事で疲れていても、芸術で刺激される脳の部位は別のようで、かえってすっきりして会場を後にする状態が多いです。ですから、やめられませんね。

 

5年前に上場企業経営の修羅場から離れて、再度軸足をふるさとに置いてみると、日々の時の経過が新鮮で、周りの景色も人の表情も大きく変わって感じるから不思議です。ウイークデイに演劇・映画・ライブコンサートなど、想像も出来なかったライフスタイルの大転換を通じて、これまで忘れてきた「熟慮する時間」を、取り戻しつつある自分に気がつきます。

  

今年に入って足を運んだ映画の中に、印象に残る幾つかの作品があります。酪農学園大学で開催された有機農業全国会議での映画「赤貧洗うがごとき~田中正造と野に叫ぶ人々」、シアターキノでの映画「君の涙、ドナウに流れ」、「連合赤軍」、スガイでの映画「光州518」は、それぞれ思い出深い出来事であり、強いメッセージを感じました。そこに共通するキーワードは「勇気」と言えましょうか。

 

あさま山荘事件の時首都圏の大学生だった私は、友達の引越を手伝う為にJR駅周辺でレンタカーの軽四輪トラックを運転していました。映画の終盤で加藤少年が絶叫する「ただ、勇気がなかっただけじゃないか!」の言葉は、同時代を生きた自分に強烈に突き刺さり、繰り返し頭を駆け巡ります。

 

昨年、韓国光州市を訪問した時に、現地で全行程お世話になったパクさんは、1980518光州抗争で立ち上がったあの高校生達と同世代で、友人も犠牲になった話をしてくれました。「光州は民主化の聖地」とふるさとを誇りに語るその姿に、スクリーンに登場する多様な2者関係とが重なり、一層のリアリティを映し出しました。民衆のリーダーに扮するアン・ソンギは、冷静な現状認識を表現し、韓国の「国民俳優」の風格を感じましたね。

 

いずれの映画にも共通する事、「事件」は「闘争」「抗争」であり、「動乱」は「革命」であり、人々のいのちを賭けた戦いの軌跡だったのでしょう。歴史はその意味を後に正しく理解する為にも、正確に記録されなければなりません。歴史的事実が歪曲されたり、無かった事になったりするのを、許すことは出来ません。逆に、歴史の因縁で不当に扱われた人物・作品については、きっちり再評価が必要だと思うのです。

 

戦う者の歌が聞こえるか、鼓動があのドラムと響き合えば

新たに熱いいのちが始まる、明日が来た時、そうさ明日が

列に入れよ我らの味方に、砦の向こうに世界がある

戦え、それが自由への道 

(ミュージカル「レ・ミゼラブル」、「民衆の歌」の一部)

 

昨今の日本社会は、責任ある立場の人々がまるで傍観者のような立ち振る舞い。そして国民は無関心・無反応で思考停止です。少子化社会による人口減といった量的な問題以上に、「怒り」を忘れた国民は、質的劣化をきたしていて深刻だと思います。こんな構造の中で組織社会が腐敗します。今年、数多くあった様々な「告発」は、社会への問題提起であり、「偽装」を打ち破る出発点なのでしょう。告発する勇気ある人々と、それを支援する幅広い人々の集まりは、大きなうねりとなって世の中の改革の原動力だと信じています。

進む札幌と韓国との演劇交流~これからも楽しみ

Posted by 秋山孝二
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 私は、北海道演劇財団http://www.h-paf.ne.jp/の副理事長を務めています。昔、演劇に携わった訳でも何でもないのですが、東京で生活していたときから時々舞台を観に足を運んではいました。TPSはこの演劇財団のファンクラブで、毎月一回、「サロンの会」が催されて、役者とか演出家とか、その時々のゲストをお招きして交流を深めています。舞台で見る姿とはまた別の側面を垣間見て、芝居の楽しみは倍加します。

数年前から、この演劇財団活動は海外との交流が活発になっていて、私も時間の都合がつく限り、劇団と同行しては楽しんでいます。札幌で見る芝居と同じものでも、外国での公演では観客の反応がかなり違って、それ故に役者の演技も微妙に変化し、まるで別の雰囲気の芝居へと変身します。3年前にハンガリー・ブダペスト公演「亀、もしくは・・・」は、そんな変化を実感しましたね。毎回、劇場客席後方の端の席から、舞台と観客の両方を観察していました。札幌よりもよりはっきりした笑いに、役者も乗ってくる様子がよく分かりました。後日、出演したある役者に「最初は緊張していたようだけど、次第に乗ってきたのではないの?」と聞くと、彼は「いえ、いつもと何も変わりませんでしたよ」と、平静を装っていました。これが役者のプライドと言うのでしょうか。海外公演の後、再度札幌で同じ芝居を見ると、大きく成長した姿を確認出来て、本当に嬉しかったものです。進化する芝居を目の当たりにした時、たまらない魅力を感じます。有名な役者を観に行くというのも足を運ぶ大きな動機だとは思いますが、若い役者が経験を積むごとに成長して育つ姿を追うのも、また楽しみです。

昨年は、北海道文化財団と韓国光州市との交流プログラムの初回として、北海道演劇財団TPSが光州市で「冬のバイエル」の公演を行いました。その時の様子を演劇財団会報に寄稿しました。

1012日から18日まで、韓国光州公演、ソウル演劇協会との交流協定調印の二つを目的に、TPSのカンパニーとともに参加しました。

光州市は1980518光州民主化運動でも世界的に有名で、地元の方々も「民主化運動の聖地」として、誇りを持ってこの地を語っていたのが印象的でした。公演の合間のわずかに見つけた時間に、TPSのメンバーとともに、この時亡くなった10代の方々が数多く埋葬される共同墓地・記念館も訪問しました。

今年の「2007光州平和演劇祭」のテーマは「疎通」で、多様な方々とのコミュニケーションといった意味と理解いたしました。TPSの公演は、北海道文化財団様の推薦により今回実現し、9日間の演劇祭の一環として、二日間二公演で、合計400名のお客様が会場に足を運び、唯一の外国劇団でもあり、大変大きなインパクトを与えました。

初日公演の冒頭、光州演劇協会パク会長がお客様にご挨拶をしました。その時は言葉も判らずに過ごしましたが、終了後に木村さんからその趣旨を聞くと、「今日は子供さんも多くいらっしゃっています。万が一騒いだり、ぐずったりしたとしても、決して叩いたり叱ったりはしないで下さい。なぜなら、将来の韓国の演劇を創っていくのは彼らなのですから。」と語ったそうです。

もう一つの目的は、ソウル演劇協会との交流協定調印でした。毎年11月開催の「札幌劇場祭」と、5月開催の「ソウル演劇祭」をベースに、毎年交互に公演を行う事他、今後交流を深めて行く枠組みで合意しました。「札幌劇場祭」に参加の団体を代表して、北海道演劇財団の上澤理事長の代理として署名して参りました。早速11月末から12月上旬に、今年のソウル演劇祭で最優秀賞受賞の劇団「青羽」の公演が、シアターZooで予定されています。この間、現地で粉骨砕身ご努力頂いたKさんのご活躍に、心から感謝申し上げます。大きな事業のスタートには、必ずキーになる方々のご努力がある事を、あらためて認識し、感動致しました。

こうして、韓国の若い世代と札幌の演劇人の交流がスタートしています。先日16日、光州市からの「青い演劇村」による「音楽詩劇:阿娘別曲」を、琴似のコンカリーニョで見ました。満席の熱気の中で、韓国伝統音楽と旋律、身振り、オブジェ等を盛り込みつつも、ストーリーは懐かしさを感じる悲しい愛の物語。代表のオ・ソンワンさんは、昨年私たちが韓国を訪問した際に、空港まで出迎えてくれた方です。彼らの伝統の再解釈、現代化、大衆化への挑戦意欲を強く感じました。昨年11月のソウルからの劇団「青羽」の芝居でもそうだったのですが、独特の身振り・ステップ等で、どういう意味なのかを質問すると、その背景に韓国文化の奥深い伝統芸能がある事の説明を聴いて、一層作品を楽しむ事が出来ました。まさに演劇を窓口として、「交流」の真骨頂だと思います。今回は交流会には参加出来なかったのですが、昨年秋は公演直後の役者・演出家との交流会に出席して、舞台で見せる姿とは違った役者の美しさが魅力的でした。

先日の琴似では、終了後会場外で私が誘った若い経営者が言っていました。「何か元気を貰いました。映画とは違う同じ空間のすぐ近くで熱演する生身の姿から、エネルギーを感じました」と。

いつか近いうちに、発祥の地と言われる光州の「パンソリ」を生で聴きたいと思っています。