「TGR 2014」公開審査会!

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 「札幌劇場祭(TGR) 2014」は、今年も盛況で終了し、先日、公開審査会があり今年の大賞他が決まりました、9回目を経てすっかり定着した感があり、公開審査会でのやり取りも大変興味深かったです。演劇を取り巻く関係者ばかりでなく、地域として「演劇産業」としての厚みが増すことを期待したいです、私は足を運ぶことで応援するしかありませんが。

 これまでの「TGR」のコメントはこちら――> http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=TGR

今年も札幌劇場祭(TGR)が盛り上がる

今年も札幌劇場祭(TGR)が盛り上がる

 今年の受賞作品は下記の通りです。

* http://www.s-artstage.com/2014/tgr2014/news/2014/12/257/

 今年のTGR札幌劇場祭2014大賞には、韓国のプロジェクト・アイランド「アイランドー監獄島」が選ばれました。海外の団体が大賞を受賞するのははじめてです、いいことですね。私はこの公演のチケット予約をしていたのですがどうしても都合がつかず観ることができませんでした。ただ観劇した方々の評価が殊の外高く、特に二人の役者の演技力の凄さは、字幕のハンディを乗り越えるに余りあるものだったと。先日の公開審査会でも審査員の方々も一様に賞賛のコメントでした。劇場祭冒頭の2日間の公演にも関わらず、観客に与えて強烈な印象は、韓国・ソウルの劇団の底力とでも言えましょうか。

作品紹介~~~~~~~~~~~~~

南アフリカ共和国の劇作家A・フガードによって書かれたこの作品は、ケープタウン沖合いのロベン島の古い刑務所が舞台です。マンデラ元大統領をはじめ政治犯の強制収容所として使われたこの収容所でコンサートを準備することになった受刑者ジョンとウィストンの物語に、韓国の女性演出家が挑みます。

作・演出
原作/アソル・フガード
演出/ソ・ジヘ

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大賞には韓国・ソウルの劇団「アイランドー監獄島」!

大賞には韓国・ソウルの劇団「アイランドー監獄島」!

 熱気の会場の近く、札幌ファクトリー・アトリウムには巨大なクリスマスツリーが綺麗でした。いよいよ師走ですね。

近くの札幌ファクトリー・アトリウムで

近くの札幌ファクトリー・アトリウムで

「TGR 2014」、終盤へ

Posted by 秋山孝二
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 札幌の舞台芸術にすっかり定着した登竜門的イベント「札幌劇場祭:TGR(http://www.s-artstage.com/2014/about/」が、今年で10周年の節目となり、今、終盤を迎えています。演劇部門では、韓国の劇団を含めて今年34作品がエントリーしています。

 先日は、札幌座pitのイヨネスコ作品「禿(はげ)の女歌手」を観ました。なかなか難しいイヨネスコ作品に果敢にチャレンジして、予想通り容易な理解とはいきませんでしたが、札幌座の「椅子」、「瀕死の王さま」に続くイヨネスコ作品への挑戦は、拍手喝采です!終了後のトークショウは、英国演劇の周辺も含めて解説・補足して頂き、ロングランを支える幅広い観客層の厚みの違いも感じる等、さらに作品を楽しむことができました。

 こちらの劇評は興味深いです――> http://theatrearts.aict-iatc.jp/201411/2246/

札幌座pitによる「禿の女歌手」

札幌座pitによるイヨネスコ原作「禿の女歌手」

 まだまだ面白そうな芝居が続きます、12月2日には恒例の「公開審査会」が予定されていて、7人の審査員がどんな論評をされるのかも含めて楽しみです、もちろん私も出席します。

* 公開審査会2013 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=18601

* 私が審査員の時 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%9C%AD%E5%B9%8C%E5%

 「演劇のマチ・サッポロ」を目指して、演劇関係者、観客、それを支援する団体・企業等、一層のレベルアップも必要かと。11月の「札幌劇場祭」、冬・夏の「演劇シーズン」等の「装置」も整い、いよいよ楽しみな状況が創られてきています、これまでご尽力して頂いた多くの関係者の皆さまに感謝ですね。

日米協会国際シンポジウム、迫る

Posted by 秋山孝二
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 「第9回 日米協会国際シンポジウム 札幌・北海道大会(http://www.conventionsapporo.jp/j/nichibei/)」が、来月札幌で開催されますが、今、その受け入れ準備に地元の北海道日米協会(http://hjas.web.fc2.com/)と札幌国際プラザは大忙しです。今回のテーマは、「Towards New Partnership Age~新たなパートナーシップ時代に向けて~」です。

 これまで伊藤義郎会長を実行委員長として、このシンポジウムの準備作業が進んでいましたが、先月、東京の日米協会(http://www.ajstokyo.org/ajs_j/about_naajs-j.html)から渡辺隆専務がいらっしゃって、今回の開催趣旨・テーマについて、実行委員会、例会でお話になりました。

東京の日米協会専務理事の渡辺さん

東京から日米協会・渡辺隆専務理事も例会に参加

 実行委員会イベント部会で私もメンバーになっていますが、メインイベントの若者中心によるワークショップでは、130名を越える高校生・大学生・社会人が10程度のグループに分かれて、密度の濃いディスカッションを予定しています。先日、そのモデレーターの事前研修会を開催し、当日に向けた課題も見えてきましたが、大変前向きのやり取りに本番に向けた期待も大きく膨らみます。日米の新しい関係構築を、札幌に住むアメリカ人、日本人ばかりでなく、韓国、カナダの方々とも意見交換しようとする試みは、複眼的な議論を予感しワクワクします。

シンポジウム・ワークショップのコーディネーター事前研修:愛生舘サロン

(1) シンポジウム・ワークショップのコーディネーター事前研修 :愛生舘サロン

(2)30名を越える方々が参加

(2) 30名を越える方々が参加 :愛生舘サロン

 新しい時代の新しい関係構築は、同時に新しい担い手によって可能になる、そうですよね。「老兵は去るのみ」とは言いませんが、一歩退いた視点からこのディスカッションに関わって頂きたいな、そのための仕掛けについて、昨晩もイベント部会でいろいろ知恵を巡らせました、さて当日どんな企画になるのやら。ひょっとして、イベント部会メンバーは、サプライズで舞台での踊りとなるかも知れません?!

「九条の会」、十周年記念フォーラム

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 「九条の会(https://www.9-jo.jp/)」設立10周年記念フォーラムが、東京都渋谷区渋谷公会堂を埋め尽くす聴衆で開催されました。これまで「九条の会」については数多くこの場でも書いてきています。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E3%81%AE%E4%BC%9A

1時間以上前から入場し、開始直前には立錐の余地も無し

1時間以上前から入場し、開始直前には満席!

今年のテーマは「集団的自衛権と憲法九条」
今年のテーマは「集団的自衛権と憲法九条」
お話は九条の会よびかけ人のほかに、「100人の村」で多くの人の平和を考える視座を大きく広げた池田香代子さん、国境を超えて市民の力に信頼と希望を寄せ、東アジアの平和を求めるさまざまな運動で韓国知識人の中心となっておられる金泳鎬さん。そして内閣法制局長官を務め、立憲主義の立場から集団的自衛権の行使容認に警鐘をならしている阪田雅裕さんがビデオで出演です。
お話 :大江健三郎さん(九条の会呼びかけ人・作家)
奥平康弘さん(九条の会呼びかけ人・憲法研究者)
澤地久枝さん(九条の会呼びかけ人・作家)
池田香代子さん(翻訳家、世界平和アピール七人委員会)
金泳鎬さん(韓国・檀国大学硯座教授)
阪田雅裕さん(元内閣法制局長官=ビデオ出演)

「オーランド裁定」 by 新渡戸稲造

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 つい先日書いた(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20133)スイス・ジュネーブの国連ヨーロッパ本部見学ツアーで、ガイドの男性がその絵画の前に敢えて止まって説明があった「オーランド裁定」について、札幌に戻って2年前の秋山財団年報に書かれている箇所を確認しました。

この絵画と同じものがオーランド議会の議場にも

この絵画と同じものがオーランド議会の議場にも

 秋山財団HPにある平成23年度年報(http://www.akiyama-foundation.org/wp-content/uploads/2012/11/nenpo_23-24_vol25.pdf)、現在は秋山財団理事の小磯修二先生の巻頭言にその記載があります。小磯先生が訪問されたオーランド議会の議場にも、同じ絵画が掛かっていたようです。そこでは新渡戸稲造という日本人の尽力によるものと、明確な説明があったようです。

 財団HPの巻頭言から:

 オーランドの自治の歴史は、1917年のロシア革命によるロシア帝国崩壊に始まる。スウェーデン人が多く住むオーランドは、独立を希望したが、フィンランドが反対し、その統治のあり方については各国の思惑が対立し、最後は国際連盟の裁定に持ち込まれた。1921年に裁定が下され、オーランドの非武装中立政策が認められ、フィンランドが統治権を持つが、公用語はスウェーデン語とし、スウェーデンの文化、習慣に従うことを保証し、土地取得や選挙権については独自の制度を認めることとされたのである。それ以降、オーランドは、非武装中立政策を維持しながら、独自の課税徴収権、司法業務など一歩づつ自治権限を拡大していく努力を積み重ねてきており、フィンランド国会でも議席を確保している。

  しかし、独自の権利を維持していくことは容易なことではない。私の歓迎会の席上で、出席者が、「ヘルシンキに出かけていってオーランド人だというと、弱虫、卑怯者だといしめられた」と語るのを聞いた。フィンランドではオーランドの住民だけが徴兵義務を免れているのである。小さな島が独自の非武装中立を守っていくことの難しさを痛感した。

 オーランド議会の議場を訪問した時に、1921年の国際連盟による裁定の場面を描いた絵画が掲げられていたのを見た。オーランドの人々にとっては、自分たちの国の帰属が決められた歴史的な場面であり、特別な絵である。案内してくれた職員が、裁定したのは日本人と言われているという説明を受けて、気になり、帰国後に調べたところ、1921年当時に国際連盟で事務局次長をしていた新戸部稲造がその裁定を行ったことが分かった。

 長い苦難の自立に向けた歴史の契機となった人物が、札幌農学校で学び、日本人の精神形成に多大な影響を与えた新戸部稲造であることを知り、バルト海の小さな誇り高き島と北海道が急に近くなったような気がした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ HPからのコピー おわり

 昨今、領土問題では隣国ロシア、中国、韓国を相手に、複雑な今後の交渉が予測されますが、周到で慎重な外交交渉を期待したいものです、それを担う人物が今の日本国に居るのかを含めて、決して武力での解決に向かわないようなしっかりした議論を求めていかなくてはなりません。21世紀の新渡戸稲造を追い求めるだけでなく、自分のできる立ち位置からの状況を創っていく覚悟が必要な気がしています、重い試みではありますが。

チェーホフ劇場 2013 in Sapporo

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 今年も、「札幌劇場祭:TGR(http://s-artstage.com/2013/tgr2013/about/」の季節となり、海外からの劇団も熱演でした。

今年は韓国・インチョン、ロシア・サハリンからの劇団公演

今年は韓国・ソウル、ロシア・サハリンからの劇団公演

 外国からの劇団が札幌にいらっしゃった時は、公演後の至近距離での交流がいつも楽しいですね、サハリンのチェーホフ劇場の皆さんとも、交流会で盛り上がりました。

公演後の劇団のみなさんとの交流

公演後の劇団のみなさんとの交流

総支配人

総支配人

抜群の存在感

抜群の存在感

素晴らしい歌声、頭にはお土産の手拭いを巻いて
お土産のタオルを頭に巻いて

  言語が放つ雰囲気というのは私たちが受け取る印象として強いインパクトがあります。ロシア語は力があるというか、優美ではないけれど断定的に受けとめられるのは私だけでしょうか。役者の滑舌が良いのか、とにかく「力強さ」を感じます。

 今回の公演「私の人生」、主人公ミサイール・ボロズニェーフという若い男は、本当の自分の人生を探し求めて生きる姿を通して、メッセージを伝えてくれました。交流会でもお話が出ていましたが、舞台上のたくさんの本が、ある時は椅子になり、ある時は墓標になり、ある時は知識の象徴となり、重要なここというポイントで小道具に変化していく様も見事です。また、劇団として多様な世代の役者集団も作品に奥行きを創りますね、特に年配の女性と男性の役者の存在感、札幌には少ない価値かも知れません。

 自分に好きなジャンルと問われれば、私は今回のような芝居だと思いましたね。北海道からわずかの距離に、彼・彼女らが暮らしていることを知っただけでも、昨年6月の日本海航海ツアー(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=13241)同様に、大きな収穫でした。

映画、「笹の墓標」

Posted by 秋山孝二
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 映画「笹の墓標(http://sasanobohyo.blogspot.jp/」の全編を2日間で観ました。秋山財団の社会貢献活動助成、ネットワーク形成事業助成では、この遺骨収集のネットワーク形成活動を応援してきました。

http://blog.goo.ne.jp/kioku-2011

15年間の活動の記録:全5章 9時間9分の長編!

15年間の活動の記録:全5章 9時間9分の長編!

監督の景山さんのご挨拶

監督の影山あさ子さんのご挨拶

第一章 朱鞠内(しゅまりない)

第二章 浅茅野(あさじの)

第三章 遺族

第四章 未来へ

第五章 私たち

 15年間の活動の中から、参加者の方々が成長・進化していく様子を、つぶさに映像からも読み取ることができました。特に、韓国人、日本人に加えて、在日朝鮮人、在日韓国人の存在が、歴史認識に幅を持たせていることを知り、新しい世代の新たな「連帯」の担い手を予感させます。

 過去の歴史を踏まえて、歴史を乗り越えるということの意味合いを、この映画は示しているような気がします。日本人の韓国・朝鮮人への謝罪という従来のパターンよりも、日本の若い世代への謝罪が日本の責任ある方々には必要なのではないかという問いかけは、大変新鮮な指摘でした。

 歴史は容赦なく前に進んでいく、「和解」とは何かを問いかける、重たい9時間の映画でした。

インチョンからの「劇団十年後」

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 韓国仁川市プピョンアートセンターフランチャイズ劇団「劇団十年後」の「蝶、飛ぶ:http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=39931」公演がありました。一昨年の「パムンサ:http://stage.corich.jp/stage_detail.php?stage_id=39931」、3年前の「劇団青羽:http://hakouma.eux.jp/2009/11/kanito_mugonka/」の公演に続き、ストレートに面白い舞台でした。

「蝶、飛ぶ」の舞台

「蝶、飛ぶ」の舞台

  終わってから同じ年代の方々と、「何となく懐かしいですよね、『デン助劇場』とか『お笑い三人組』を彷彿するストレートな面白さと言うのかな」とか、感想を語り合いました、こんな会話が通じるのもある年齢以上の世代なのでしょうかね。一人一人の役者がしっかりしているのと、とにかく率直で分かりやすい、子どもを宿す、再開発の波、噂で動く世間等、共通のテーマというのも理由の一つなのかもしれません。翻訳の木村さんのお話によると、今回の芝居は、字幕なしという意見もある程アドリブが多かったようですが、結局は字幕付きとなりました。ただ、舞台上を見ているだけでも、十分ストーリーは理解できそうな、そんな芝居の見せ方でしたね。

公演後の交流会で、劇団の皆さんと

公演後の交流会で、劇団の皆さんと

 公演直後の交流会では、これまでの札幌の劇団員の韓国公演での話ほか、やり取りで盛り上がりました。若い世代のこういった交流は、本当に価値のある場だと思いますね。これまでの韓国劇団との交流、ロシアほかヨーロッパとの交流、その度に札幌の役者たちも大きく成長していく気がします。

 地域劇場が演劇を通して何ができるのか、を模索し続けたこの劇団の公演で、韓国の演劇人の演劇に対する情熱を伝えてくれる機会となりました。今、韓国、中国とは、外交的には難しい局面であり、これまで継続してきた交流事業を中止する理由には事欠かないのですが、このような時期であるからこそ、草の根の芸術・文化交流は変わらず行うべきだし、昨年3月のTPS一ヵ月公演「レパートリー・シアター:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=7983」と同様に価値が出て来るのだと思います。これからも是非続けてやっていきましょうね。

ロンドン五輪、雑感

Posted by 秋山孝二
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 2012年のロンドン五輪(http://www.joc.or.jp/games/olympic/london/)は、204カ国、1万1千人のアスリートの参加で幕を閉じました。日本の獲得メダル数は、13種目で38個とこれまでで最高でした。

 当初は、テレビのライブ放送の時間帯から、私は朝になってニュースか何かで見るので十分かと思っていましたが、実際始まってみると、なかなかそうもいかず、結局は中抜けはあっても深夜・早朝の実況中継・速報にくぎ付けになっているから不思議です。勝敗そのものはもちろんですが、アスリートを巡る数多くのドラマを知って、今回はメディア取材の価値を再認識し、幾重にも感動が拡がりました。競技・試合そのもの以上に、それを応援している人々、そこまでを支えてきた人々、そして、アスリートのこれまでの道のり等の周辺報道が、大変興味深かったですね、メダルの色が金だの銀だのは私にとってはどうでもよかったです。

 競泳男女のチームワーク、バドミントン女子ダブルス、フェンシング男子団体、サッカー・なでしこジャパン等、「チーム」力を感じましたね。その中で、私には女子バレーボールの中国戦、3位決定戦の韓国戦、そして銅メダル獲得は、特に印象深いものでした。采配をふるった真鍋政義監督、彼は昨年12月31日にお亡くなりになった松平康隆(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11401http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=12137)さんの薫陶を受けて、選手の育成、試合での選手起用、実に地道にチームを強くしていったと思います。メディアでは、「データ・バレー」と簡単に言いますが、データを使いこなす監督・スタッフと、指示どおりに動く選手たちの日ごろの努力に頭が下がります。

 データと言えば、私は1970年代の全日本女子バレー監督・山田重雄さんを思い出します、監督の部屋の壁いっぱいに張られていたサーブ・アタックのコースのデータ等を(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27)。

 記者会見での真鍋監督の発言より:~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

――分析面で「ヨッシャー」と思った試合は?

眞鍋監督  スタッフ陣がいろいろ分析をし、どれがベストかは分かりませんが、一番悩んだのは昨日の試合です。スタートを江畑、迫田のどちらでいこうか、スタッフでも議論になりました。でも最終的に、あらゆるデータを調べてみると迫田はスタートでいくとあまりよくないんですね。江畑がスタートでもよかったのですが、韓国戦は迫田が非常にいい成績をあげています。最終的に昨日は迫田を先発で使い、それが一番『ヨッシャー』と思いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用おわり

 これが監督の仕事と言うのでしょうね、2010年の世界選手権(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6488)でもその手腕は光りましたが、今回も素晴らしい采配です。1964年の東京五輪で優勝してから連続のメダル獲得、そして暫く冬の時代が続き、今回は28年ぶりの五輪でのメダル獲得でした、おめでとうございます!

 メディアは、柔道、体操、バレーボール等を「日本のお家芸」と表現されていますが、そういった認識がすでに過去のものとしなければならないのではないでしょうか。柔道の山下泰裕さん、バレーボールの松平康隆さんらが、国際組織の役員に就任し、それぞれの国際化にご尽力されて、世界各国が日本のスタイルを研究し、結果的に世界で担う人口が大幅に増えたのは間違いありません。日本が弱くなったのではなく、現在の幅広い普及状況を見誤って、未だに「お家芸」などと悦に入っている、こだわりの意識が、日本自体の進化を阻害したのではありませんか。そんな意味では、サッカー女子・なでしこジャパンのこの五輪での健闘は、昨年のワールドカップ優勝(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9370)を経て、各国チームの研究に打ち勝っての銀メダルですから、「銀」以上の価値がありました。

 柔道は未だにその呪縛から抜け出せていない、コーチも選手も「ゲームメーク」のシナリオを持ち合わせていませんね、ただひたすら練習の延長でがむしゃらに突き進む、或いは練習と本番との勝手の違いで委縮している、負けた試合後のインタビューを聴いていると、意識の遅れにこちらが驚く程でした。監督・コーチはどれ程の対戦相手のデータを持ち合わせていたのでしょうか。もっともっと若いうちに世界の強豪との中で切磋琢磨して、「試合に勝つ」ストーリーメイクを学ぶ必要があると私は思います、別の言い方をすると、自分が今戦っている「試合のマネジメント」をする能力です。日本柔道の「カタチ」は目の前の試合に勝ってから言ってくれ、そんな気が私は今回の試合通じて感じました、育て方・指導者の問題であり、今のままでは選手が可哀そうです。

 1964年の東京五輪(http://www.joc.or.jp/past_games/tokyo1964/)の時、私は中学校2年生でした。10月10日の開会式で、真っ赤なブレザーに身を包んだ日本選手団の入場行進に興奮しました。終了直後の国語の授業の感想文で、私は「選手は自国のメディアに潰された」みたいな内容を書いたのを覚えています、多くの選手が実力を発揮出来ずに敗退していった結果、或いは戦前に大々的に期待感を匂わし、負けた時に「予想外」、「まさかの敗戦」と選手をバッシングするメディアを見て身勝手を感じてですね。

 その時代に比べると、今の選手たちは「プレッシャーを味方につける」術を身につけている気がします、試合後のインタビューも実に落ち着いて言葉で表現しているし、「楽しんだ」、「応援してくれた皆さんに感謝したい」みたいな表現が随所に出ていて、プレッシャーをモチベーションアップにつなげ、何か違う時代を生きてきた世代の意識変化を感じます、嬉しいですね。

 違いと言えば、今回の五輪を「ソーシャルオンリンピック 1億5千万ツイート」と表現した記事を読みました。選手と応援する世界の人々が、「ツイッター」や「フェイスブック」でコミュニケーションする世界を形成していました。試合前の心境、試合後の喜び等、リアルタイムのメッセージに、けた外れの多くの人達から反応があったようです。

 五輪ではないのですが、私はアメリカ大リーグに行った「ダルビッシュ・有」選手のオフィシャル・ブログ(http://ameblo.jp/darvish-yu-blog/)を、フェイスブック(FB)でも読んでいます。この所の悩み、記者会見のやり取り、つい先日の勝利後のコメント、本当に手に取るように彼の今の心境を読みとることが出来て、まるで自分も大リーグにいるような臨場感です。マスメディアの記事は、彼のブログとの対比材料になっているので、まさに1960年代とは隔世の感ですね。

 

 何はともあれ、スポーツの熱い夏は、甲子園球場の高校野球を残すだけでしょうか。たくさんの感動をくれた選手のみなさん、メディアのみなさん、ありがとうございました!!

「グローバル化」の中の北海道

Posted by 秋山孝二
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 「北海道グローバル化地域活性化戦略セミナー」が、北海道航空・港湾研究会(http://www.kirari.com/hub/index.html(公財)北海道国際交流・協力総合センター(HIECC:旧北方圏センターhttp://www.hiecc.or.jp/との共催で、開催されました。HIECC は、平成22(2010)年4月、同年3月末で解散した社団法人北太平洋地域研究センター(NORPAC)の事業を承継しました。

 今回のセミナーは、そのNORPACの客員研究員として、25年間にわたってご助言・ご指導を頂いていた市川政司さんを講師にお招きし、「グローバル化の中の北海道の地域発展戦略」と題して、ご経験に基づいた実に内容の濃いお話でした。事務局の藤原達也さん、北海学園大学の松江昭夫さんにはお世話になりました。

講師 市川政司(いちかわまさじ) さん  【主な略歴】 明治学院大学英文学科卒業、英ロイター通信記者(東京支局)、日本経済新聞記者、国連広報官・国連ニューヨーク本部経済社会情報部、札幌アメリカンセンター副館長、在日米国大使館上級顧問等、現在、プロジェクトアナリスト(企画構想事業化・開発推進戦略策定)

 

以下、キーワードを書き留めます。とにかく、お話は全て実際に起こったことばかり、それも冷戦時代の複雑な国際社会の中でです。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

* 今回の講演の隠れたテーマは、「北海道の眠っている人を起こしてくれないか!」に応えること

* 「グローバル」という言葉: これは政治的言語、1975年の冷戦構造の中では、国境を意識した「インターナショナル」という言葉が一般的で、「グローバル」は、科学技術分野で使われており、環境問題で使われ始めた時期だった、言い換えると国境を意識しない(越えた)課題に対しての限定的な使用

* 北海道は、「国際化」では経験豊富な地域: 例としては、幕末から明治維新の函館五稜郭の戦い、札幌農学校の実践、冷戦構造において札幌で開催された1972年冬季オリンピック、KAL007の稚内沖での撃墜等

* 微妙な国際情勢にもかかわらず、見事に成し遂げてきている

* 「グローバル」な活動は、個人レベルで可能: 例としては、第二次世界大戦後の極東裁判において、函館にあった英米豪の捕虜400名の捕虜収容所の2代目所長は、食糧難の時でも捕虜の為に調達し、法廷には、当時の捕虜が救済運動の書面を提出し、所長は無罪に。アメリカのトモダチ作戦は、昨年の大震災時ばかりでなく、1959年の伊勢湾台風による大被害においても発動されて、養豚が壊滅的打撃を受けた山梨県に、米国・アイオワ州のブタを巨大輸送機を使って大量に届けた。

* 「インターナショナル化」は国境を意識しているので、あらゆる活動に「政府」が関与してきて、地域間直接交流が難しい

* アメリカ・ニューヨーク市は、国連職員へのサービスとして、170言語(170カ国ではない)に対応できる体制を完備している。できる所から、10年、20年やっていく取り組みが大切

* 2008年のG8北海道・洞爺湖サミットは、世界に「北海道」をアピールした。アメリカ・ロシア・北朝鮮・韓国・中国と隣接する国際社会の中で微妙な位置の北海道が、平和で安定している現場を示した、そのことに自信を持っていいのではないか

* 「グローバル」には、リスクも潜んでいる: 例としては、「サイバー戦」、行ったこともない地域からの攻撃。テレビでの不用意な発言があっという間に拡散して、不買運動等に発展する危険性も

* 外国人の介護分野の日本における資格取得にあたって、日本語の試験に合格しなければ国に帰す日本という国は、本当に先進国たる資格があるのだろうか

* グローバルな時代における「先進国としての責任」を意識すべきではないか

* ワシントンには、ホワイトハウスのすぐ近くに、「21世紀はこうなっています」という大きな展示フロアーがある。北海道の優れた歴史を今に刻み(馬車、DMV、先進医療、寒冷地技術、等)、一望できる場所が、玄関口の新千歳空港に存在するのか

* 「グローバル化」は、世界が家族、地球家族に加わること、今、「知能の総合力」が求められている

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 ここには書けない国家間の極秘に関するお話も幾つかありました、亡命を求めてやってくる人々への対応等の。市川さんのお話からは、「きまり」とか「規則」を越えた先にある、ギリギリの局面で人間と人間との関係に寄り添う眼差しを感じました。最後の「知能の総合力」というのは、まさに「構想力」なのだと思いましたね。複雑な国際社会の歴史の中で、日本人として優れた判断で生きてこられた人間の尊厳を受けとめました、素晴らしいお話でした。

小樽港から日本海へ(5:最終)

Posted by 秋山孝二
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 今回のような本格的な船の旅は、私にとっては太平洋を横断して以来40数年ぶりです。以前、その時の様子を掲載しました。

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2626

* http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4431

 

 1971年の私の太平洋横断は、1848年に設立された「アメリカン・プレジデント・ライン(APL:http://www.apl.com/japan/documents/history.pdf)」の船舶「プレジデント・クリーブランド:http://www.apl.com/history/timeline/1947.htm」で、アメリカで1948年に建造された16,000tの貨客船。

 今回の日本海沿海ツアー、運行会社「ロイヤル・カリビアン・インターナショナル(RCI:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/info/contents.do?contentsId=8)は、1969年に設立された世界最大規模の客船会社です。本社は米国マイアミにあり、2011年11月現在22隻の客船を保有しているそうです。船舶は「レジェンド・オブ・ザ・シーズ:http://www.royalcaribbean.jp/cruise/rci/ship/ship_detail.do?classCode=VI&shipCode=LG」、1995年就航の70,000tの客船。

 時代も違い、自分も年齢を重ねたので、40年以上も前とは比較すること自体に無理がありますが、太平洋をハワイ・オアフ島を経由したとはいえ、2週間(実際は台風を避けた航路を取ったので1日遅れて15日間)の太平洋横断と、今回の日本海沿岸国寄港と、その趣きの違いが面白かったですね。

吹き抜けの「セントラム」では多彩なバンド演奏

吹き抜けの「セントラム」では多彩なバンド演奏

勢揃いのレストランスタッフ

勢揃いのレストラン・スタッフ

 1971年の初めての船旅は、「旅」を楽しむといった余裕は乗船時からありませんでした。横浜大桟橋に行くのも、出港して直後に港の灯台が離れていく時も、サンフランシスコ湾のゴールデンゲートブリッジの下をくぐった時も、不安でいっぱいだった自分を思い出します、。終ってみれば、たくさんの人との出会いと多くの体験で、一生忘れられない貴重な15日間ではありました。「My Favarite Drink:‘Jack Daniel’s’(http://www.jackdaniels.com/」も、ここで覚えたものです、19歳で毎晩、バーラウンジで飲んでいたのですから、今じゃ許されないでしょうかね、古き良き時代と言えましょうか。 

 今回は、乗客も乗組員も、中国、韓国、フィリピン、オーストラリア、アメリカ、ノルウェー等、アジア系、欧米系、多様な人々で賑やかでした。とりわけ中国系の方々は声が大きく、集団で動いているからでしょうか、どこに行っても目立つ存在でした。もう少し、周辺の環境に配慮する気持の余裕があるといいなと感じる場面も多かったです。

 「船旅は高い」と思っていらっしゃる方も多いようです、「世界一周・数カ月」みたいな旅は高額でしょうが、短い船の旅は食事代込みで、客船であっても飛行機のエコノミークラスの旅行と同じくらいに手軽です。夕方のドレスコードは、「ブラックタイ・オプショナル(フォーマル)」、「スマート・カジュアル」、「カジュアル」と、日によって明確で、アメリカの船はおおむねリラックスな雰囲気で堅苦しくもなく、クオリティの高いエンターテイメント・プログラムが充実しています。ただ一つだけ難点は、プリペイドのインターネット無線回線料が甚だしく(!)高く、使える場所は「インターネット・ラウンジ」だけで、今回USDで$300(!) かかりました。

 船のスタッフのエンターテイメント性は素晴らしいです。レストラン、バーラウンジ、客室等、笑顔も会話も、実に楽しく、船内では自分自身も随分笑顔が増えました、そう、最高の心地良さは「笑顔」です、ね!

客室ベッドには、日替わりでタオルで作った動物が

客室ベッドには、日替わりでタオルで作った動物が

 中国・北京のインターネット事情は相変わらずでした(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5798)。今回もこのすぐ前の(4)を、実は北京のホテルからアップしようと試みましたが、このプログソフトの「編集」サイトへのアクセスが遮断されていて、いろいろな手立てで試みても出来ませんでした。かなりの「管理・監視下」にあるとしか考えられません、まあ、これ以上言及するのはやめておきましょう。

 ある方が、紺碧の穏やかな海を眺めながら、「平和な時代の海って、いいものね」とつぶやいていました、まさに同感ですね。360度海の圧倒的広さ、深さ、長い歴史を懐に収める寛容さ、毎日、海と向き合って、そんな「懐の深さ」に感動していました。陸にあがってしばらく経ちますが、まだまだ多少の船酔い状態、特に下を向いた時は地面が揺れています。

 今回のクルーズ、「どこに行ってきたの?」と聞かれれば、「日本海!」と言うでしょう、企画・実施は、(株)JTB北海道(http://www.jtb.co.jp/hokkaido/)でした、大木さん、加藤さん、坂東さん、お世話になりました。

 また、機会があれば「クルージング」したいですね、一連の報告、これで「終り」とします!

小樽港から日本海へ(3)

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 ウラジオストクを出てからほぼ24時間、途中はまた濃霧で、霧笛の航行が続きましたが、午後からは晴れて、小樽出港以来、濃紺の海を初めて見ました。

霧に包まれての航行が続く

霧に包まれての航行が続く

北朝鮮沖の海を北上する漁船、どこの国籍でしょうか?

北朝鮮沖の海を北上する漁船、どこの国籍?

 

  韓国・釜山港(http://www.youtube.com/watch?v=XzELRZn7XWk)です、早朝、水先案内人が乗り込み港に入りました。

釜山港に入港、1時間前

釜山港に入港、1時間前

  港で下船後、慶州へ。23基の新羅時代の古墳がある「大稜苑:http://www.pusannavi.com/miru/1069/」に到着、「天馬塚」内部の展示を見学。饅頭型の古墳の由来を知りました。そして次には、751年に建立された「仏国寺:http://www.tabijin.com/butkokuji.html」を訪れました、仏教文化の奥行きを垣間見た気がします。

慶州・佛国寺門

慶州・仏国寺門

佛國寺・大雄寺

仏国寺・大雄殿

  詳細の説明はほかのサイトのお任せするとして、全体の敷地の構造、それぞれの建物がかもし出す背景等、奥深い仏教世界を彷彿させる空間となっています。幾多の火災による消失、時代による破壊を経ながらも、繰り返し再現されて、今、目の前に存在する、その説得力が素晴らしいですね。

 夕方には、天津に向けて、船は港を後にしました。「釜山港に帰れ」、チョウ・ヨンピルはもちろんですが、チェウニの歌(http://www.youtube.com/watch?v=wtBlCg_KDTc&feature=related)もまた「いいね!」、です。

札幌演劇シーズン、2012冬 (2)

Posted by 秋山孝二
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 「札幌演劇シーズン、2012冬」は、1月28日から始まり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=11645)、後半日程(25日まで)を迎えています。思えば、昨年8月の札幌での記者会見(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9763)から7カ月、もうすぐ初年度が終了です。

 私は、劇団イナダ組(http://www.inadagumi.net/の「このくらいのLangit:http://s-e-season.com/season/2012/winter/inadagumi/は、2回目の観劇を14日に、劇団TPS(http://www.h-paf.ne.jp/)の「亀、もしくは・・・・:http://s-e-season.com/season/2012/winter/tps/は、19日、今回のキャストで初めて観ました、22日には2回目の予定も。

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

ロビーでは、これまでの公演の写真も展示

 先日は公演後に、「演劇は仕事になるのか?~演劇の経済的側面とその未来」の著者・米屋尚子さんの講演と鼎談がありました。社団法人日本芸能実演家団体協議会(芸団協:http://www.geidankyo.or.jp/top.shtml)で仕事をされて、長年にわたり舞台芸術にかかわる調査研究、政策提言などを担当する一方で、「芸団協セミナー」の責任者として数々の制作者向け講座を企画してきた方です。

東京からのゲスト:米屋尚子さん

東京からのゲスト:米屋尚子さん

  この日は盛りだくさん、講演の後は、毎月の「ZOOサロンの会:http://www.h-paf.ne.jp/salon/index.html」、今回は恒例の「橋本久明賞」の発表でした。「橋本久明賞」とは、TPSの発展にご尽力された故・橋本久明前TPSくらぶ会長の功績を称え、2005年に創設された賞で、年間を通じて最もTPSの活動に貢献した劇団員に贈られる賞です。今年は、全演目に出演し、存在感のある演技で好評だったニセコ町出身の高子未来さんが受賞されました。昨年の札幌劇場祭授賞式後のパーティで、私は彼女に直接、独自の目立たない演技が素晴らしかったと言っていたので、今回の受賞は大変嬉しいです、この賞の審査員の評価がです。

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

第7回橋本久明賞受賞:高子未来さん

  さらに昨日のNHK総合テレビ・道内版「「つながる@きたカフェ」」の番組では、TPSチーフディレクターの斎藤歩さんが出演して、北海道におけるこれまでの演劇創造等について熱く語っていました。一昨日のサロンの会では、隣の席で日本酒を飲みながらワイワイやっていて、これまでの活動、海外公演のお話等は、大変身近に感じられました。彼は、NHK大河ドラマ「龍馬伝」、今放送中のTBS「運命の人」にも出演している「個性派(?)俳優」で、今回の演劇シーズンでは、「亀、もしくは・・・・」に出演しています。

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

齊藤歩、NHK総合テレビに出演:北海道での演劇創造について熱く語る

 ハンガリー公演でも、韓国公演でも、同行ツアーで斎藤歩さんとは一緒でした。いろいろゆっくりお話をする機会もありましたが、「若い時に海外公演を経験して、外国のお客様の反応、多様な評価を体験して、世界に通用する役者に育って貰いたい」という彼のメッセージは、これまでの草分け的な地道な育成活動に裏付けされた重みのある言葉でした。

 想い出しますね、ハンガリー公演のブダペスト・メルリン劇場で、「亀、もしくは・・・・」の初日、始まってからの3分間の緊張、山野久治さん扮するハドバー先生のセリフにどっと笑いが起きた時のあの感動。そして、その後日本国内での一段とレベルの上がった公演活動は、役者陣の確かな進化を実感しました。

 人を育てる、それには芝居を創る多くの方々、足を運ぶ観客・ファン、そして、場なのでしょうね。札幌・北海道が本当に本物の場となるような活動が、今年始まったと言えるのでしょう、期待したいし、応援もします!

松平康隆さん、逝く

Posted by 秋山孝二
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 公益財団法人 日本バレーボール協会名誉顧問の松平康隆さんが、昨年12月31日にご逝去されました(http://www.jva.or.jp/news/20120105.html)。バレーボール男子全日本コーチとして1964年東京で銅メダル、監督として1968年メキシコで銀メダル、そして1972年ミュンヘンで金メダル獲得の偉業を成し遂げました。

BSフジ番組から、在りし日の松平康隆さん

BSフジ番組(再放送)「堂々現役」から、在りし日の松平康隆さん

1972年ミュンヘンオリンピックで優勝!

1972年ミュンヘンオリンピックで優勝!

  私は1974年から79年まで東京都江戸川区で、中学校教員時代に、男子・女子バレーボール部を指導していました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27)。その時のバックボーンとして、男子では松平康隆さん、女子では14年前にお亡くなりになった山田重雄さんの哲学を忘れることができません。先日のBSフジの再放送で、早くに亡くなられた松平さんの御子息の筆箱に書かれた中央に立つ日の丸の絵を初めて見ました、覚悟を決めて目標達成に向けて努力する姿は、今も強烈に心に残っています。

亡き息子さんの筆箱に込められたメッセージ

亡き息子さんの筆箱に込められたメッセージ

  松平康隆さんと言えば、もう一人、12年前に58歳の若さでお亡くなりなった南将之さんも忘れられません、伝説の主将でしたね。ミュンヘン大会では、補欠に徹して、土壇場で一昨年に亡くなられた中村祐造さんとともに大仕事をしました、ミュンヘンの数年前までエースだった彼が、チームの裏方としてメダル獲得を支えた大ベテランでした。

伝説のキャプテン・南

伝説のキャプテン・南将之さん

 

 思い起こせば1970年代は、私にとっては激動の時期でした。71年に大学の教養課程を終えて休学し、秋にアメリカに船で行き(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%2771%E3%80%80%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%81%B8%E3%81%AE%E4%B8%80%E4%BA%BA%E6%97%85)、72年の冬季オリンピックを札幌で迎えて(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4981)、あの70m級ジャンプの「日の丸飛行隊(金・銀・銅メダル獲得)」を現場で応援しました。そして秋のミュンヘンオリンピックでバレーボール男子の劇的優勝。私は復学して大学卒業後に、教員として子どもたちとの日々。79年に、家族とともに札幌に移り、医薬品卸業の経営の道へ転身しました。

 この想い出多い10年間、山田重雄さんには、当時小平市にあった日立武蔵の練習場へ部活の生徒たちと一緒に行き、ワールドカップ前にも関わらず教えを請いました。松平さんには直接お目には掛っていませんが、「負けてたまるか」とか、「一流選手は人間的にも一流でなければならない」と言った彼の言葉は、深く心に刻まれました。今から5年前でしたか、韓国・光州市へ海外公演に札幌のTPS劇団員(http://www.h-paf.ne.jp/tps/tps.html)と同行した時、私は稽古の合い間に、民主化の聖地、「5・18光州事件:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=121」のモニュメント等に関係者全員を誘い見学しました。その時に、松平さんの「海外遠征に行って、試合場と宿舎だけを往復するような選手ではトップにはなれない」の言葉を思い出していました。

 70年代は、オイルショック等の苦難を次々と乗り越える勢いが日本社会にはありました。今、ふり返るとそんな時代、バレーボール界には優れた指導者・選手が活躍して、多くの感動を与えてくれましたね。松平さんのご逝去で、私の70年代にも一つの区切りです。

 スポーツの世界では、その後、高校野球の香田誉士史監督(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1904)、女子サッカーの佐々木則夫監督(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=9370)など、優れた指導者も続々誕生しています、素晴らしいことです。

 後日、「松平康隆さんを偲ぶ会」も開催されるとか、都合をつけて最後のお別れをしたいと思っています、松平康隆さん、たくさんの教えを頂きありがとうございます、どうか安らかにお眠り下さい。

「バイオテクニカ 2011」、開幕!(後)

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 この見本市の趣旨は、「生命工学のあらゆる分野の展示と国際会議及びセミナーを同時開催することにより、最新の市場情勢と将来の可能性の豊富な実例と情報を提供する」です。これまで2年に一回の開催でしたが、今年は昨年に続いてで、企業・関係団体・大学を含めた研究機関等、世界28カ国から620団体が出展、海外はヨーロッパを中心に198団体です。2007年より、「バイオテクニカ」を総合的・国際的なイベントとするべく、「展示」、「コンファレンス」、「パートナリング・マッチング」、「バイオテクニカ アワード」の4つの柱を中心に展開されています。次回は2013年だそうです。

「Messe」正面玄関前

「Messe」正面玄関前 

  「ハノーバー国際見本市会場:http://www.messe.de/homepage_d」は、メッサーシュミット社の工場跡地、広大な敷地に建設されて、今回はその20数施設のごく一部の使用です。市内中心部からは地下鉄(郊外では路面電車)で20分程度、入口までは大変便利ですが、中はバスでないとかなり歩きます。初日は強風に雨、ただ二・三日目は気持のいい天気だったので、朝、正面玄関から歩いて会場まで行きました。

 秋山財団の出展の目的は、生命科学分野での「ネットワーキング」支援、情報収集、バイオ分野の方向性等、今後の事業展開の模索です。今年25周年を迎えて、今年度は新たな5ヶ年計画の策定時となっています。これまでの経済的支援事業プラス、研究者のネットワーク・視野拡大へのサポートとして、向こう25年を見据えて何かプログラムが用意できないかと、そんな視点から参加していました。

 お陰さまでブースでお会いした方々、あらかじめアポを取って「パートナリング・マッチング」で意見交換した団体、会場で訪問してお話をじっくり聴いた団体等50を越え、「Face to Face」の話しあいで濃密な3日間でした。札幌に戻った後、これらをどうフォローアップするか、今から大仕事の予感がします。スイス、オランダ、ドイツの各州、韓国等では、国・州の旗を掲げてプラットホームをアピールしていましたね。

 一日目の夜、「バイオテクニカ アワード」の表彰式と大パーティに招待されましたので、今後の参考になるかとの思いで出席しました。

元産業技術大臣は延々30分以上のオープニング・スピーチ

元産業技術大臣は30分以上のオープニング・スピーチ 

 事前に45分くらいの授賞式だと聞いていましたが、開会自体が10分遅れ、それぞれのご挨拶、特に写真の元産業技術大臣のスピーチが延々30分越える「講義?」となり、全てが終了して時計を見ると1時間半を回っていました、空腹を前にです。「几帳面なドイツ人」のイメージは、二日前のベルリンからハノーバーまでの電車の大幅な遅れと相まって、私としては大きく崩れ始めています。「権威主義的」とでもいうのか、もっと新しい演出のある授賞式でいいと思うのです、「もう少し聴きたい」、「もう少し見たい」、全てを3割くらいカットすると、実に素敵なイベントになるのでしょうが、従来型の権威に対して運営側が誰も言い出す勇気がない、少々辛辣過ぎますでしょうかね、来賓席に席を確保して頂き、ただで飲み食いの厚遇もして頂きながら・・・。

 それとは対照的に、見本市会場の幾つかのブースでは、午後4時半頃を回ると、オシャレなイベントが繰り広げられていました。2日目終了間際のスイスブース、グラスワインが赤白テーブルにいっぱい、伝統楽器の音色が会場中に響きます、このために地元から演奏者をご招待したとか、いろいろですね。

 今回久しぶりに外国の方々とじっくりお話を致しました。スペインの若者は素晴らしいテンポと躍動感あふれる眼差しで、彼のミッションを説明してくれました。イランの医薬品関係の方は、「日本はどうして海外とのコラボに対して敷居を高くしているのか」と率直な苦言、東ドイツ出身の私と同年輩の大学関係者の方からは、「ベルリンの壁崩壊」後について、生活者の視点からもろ手を挙げての喜びでは無い現実を伺うことが出来ました、貴重なお話でしたね。ベルリンのブランデンブルグ門でも感じたのですが、私は「東西冷戦」、「ベルリンの壁」にこだわり過ぎているのかも、との反省もしています、すでにそれは多くの人にとって「過去の歴史」であり、若者中心に確実に新しい時代が走り出している、そんな実感を今回強く持ちました。

 今回いろいろ準備、当日ブースでのご支援等して頂いた「ハノーバーフェアーズジャパン(株):http://www.hannovermesse.co.jp/repraesentauten/biotechnica.html」の盛健一社長、ドイツ語通訳の田口理穂さん、本当にお世話になりました。盛社長からは豊富な海外駐在経験、とりわけ南アフリカ、マラウィ等のお話は大変興味深く勉強になりました。また、今回の参加に背中を押してくれました同社の樋渡さん、青木さんにも、心から感謝申し上げます。

ワグナー・ナンドールの足跡を訪ねて(4:終)

Posted by 秋山孝二
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 私はこれまで7年間に、ワグナー・ナンドール関係、演劇関係で5回、ルーマニアとハンガリーの国境を陸で越えました。同行メンバーも全く違うのですが、いつも印象的なのは「ハンガリーの大平原」ですね、とにかく「大」です。

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

ハンガリーの大平原:どこまでも平らです!

  高速道路はどの国でも同じ景色(?)で退屈ですが、一歩降りて地方の集落をゆっくり抜けていくと、歴史と人々の暮らしの「におい」が感じられて興味深いです、韓国もそうでしたね。確かにこの地に来ている、外国なんだという現実感とでも言うのでしょうか。

デブレツェンからの古代の国道

東部の街・デブレツェンから続く古代の国道

爆撃で落ちた教会の鐘:モニュメントに

セーケシュフェヘールバール:爆撃で破壊されて落ちた教会の鐘:モニュメントに

 ハンガリーの場合は長い歴史の中で、何回もの不条理な社会状況がありましたから、自立した市民は、一層「モニュメントとして残す」、「記念碑のような形として意志を示す重要性」を、知恵として持ち続けている気がします。「国に何かをお願いする」とか、「国に何かを期待する」みたいな話が出てこないですね、地方自治体はエネルギーがあり、これまでの多くの犠牲の中から自分たちの暮らしをしっかり「守る」術(すべ)を持っているのでしょう。毎回ここに来ると感じる「におい」です。

 セーケシュフェヘールバールでの発掘作業と復元プロジェクトは実に面白かったですね、そしてそこに世界からの考古学者が参画している事実も。古い歴史を検証することとこれからの新しい時代を創る仕事が、「今、この場」の活動で結合している、腑に落ちるお話でした。

 今回3か所で、ワグナー・ナンドールの作品とそれに共感する多くの皆さまと私はお会い出来ました。ここまで作品の建立に至る道には、それぞれ苦難の物語があり、ハンガリーの「Academia Fumana」理事長のキッシュ・シャンドールさんを筆頭に、ワグナー・ナンドール没後にハンガリーで建立推進を担われた方々、日本でワグナー・ちよ理事長の「ワグナー・ナンドール記念財団」と支援されてきた方々のご尽力に心から感謝申し上げます。

 「戦う」という言葉に何か抵抗感を持つ昨今の日本社会、「精神の戦い」は個人レベルでも社会レベルでも、戦後日本が失くした、或いは忘れた価値ではありませんか。歴史に誠実に向き合う、そこに今の難しい時代を生きて、将来に向けた価値創造のヒントがあるような気がします、ヨーロッパのせめぎ合いを生き抜いている、「アジアの同胞」からの学びです。

原発被災地の農業は?

Posted by 秋山孝二
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 先日、定例の異業種交流勉強会があり、食―農関係の方々と「原発被災地の今後の農業」にいての意見交換ができました。(株)横市フロマージュ舎(http://www.milkland-hokkaido.com/koubou/35-yokoichi/index.html)・横市英夫社長、(株)リープス・鈴木善人社長(http://www.leaps.jp/)、http://www.leaps.jp/?p=2784、千野米穀店・徳永善也社長(http://ja-jp.facebook.com/ChinoGrainは、それぞれご自分のフィールドから、福島県の今後の農業について率直なお話でした。

 ひと言でいうと、放射能による土壌汚染の実態、汚染の作物への影響等、あまりにも未知のことが多すぎて、検証するデータに乏しく研究も不十分、従って今後の対策についても、「本当のことを公に語るのは難しい状況」でしょうか、かなりの人たちがそう思っていても、口に出した途端に世間から嵐のようなバッシングに会うことは明らか、とか。客観的な展望とこれまで地元で農業一筋でやって来られた方とのギャップは、どうしようもなく大きいです。

 議論の一例として、「土壌汚染」というけれど、土壌の汚染度イコール農作物の汚染度ではないはずですよね、その土壌から農作物が取り込む放射性物質の「吸収量」というのはどの程度なのかは、私にとって疑問でした。以下、それへの返答です。湧き出る疑問は尽きません。

鈴木社長のHPより~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 農産物には、それぞれ放射性物質を土壌から吸収して作物体内に取り込む量がある。これを「移行係数」という(ホウレンソウなら 0.00054、キャベツなら 0.00092、サツマイモなら 0.033  というように。(セシウム137)。移行係数は一般的に低い。ということは、検出された作物が収穫された土壌には、高い放射性物質が存在するということでもある。

 そこでとれた農産物の安全性が担保されていても、そこで農作業する人の安全性は担保されているのだろうか?先祖代々、受け継がれたきた豊穣の土地を理不尽に汚され、そこで本当に農業を続けていくことができるのだろうか?農地の放射性物質の検査、公開はどの程度進んでいるのだろうか?

 屋外に放置された稲わらからは数万ベクレルの放射性物質が検出されている。周辺の土壌にもおそらくは同じぐらいの放射性物質が降下しているだろう。もし、農地から放射性物質が検出されれば、その農地で生産される農産物の価値は暴落するだろう。長い年月をかけて築き上げた産地やブランドのの価値は一瞬にして地に落ちる。市場で値段がつかず、生産コストが販売コストを上回っても農業という産業は成立するのだろうか?

 政府や東電はきっと「補償する」という言うだろう。でも、いつまで補償するのだろう。放射性物質はそこにずっと残る。たとえ除染したとしても産地の信用を回復するには長い時間がかかるだろう。政府が市場で値段もつかない農産物を買い上げるにしても、その財源は?そして買い取った農産物はどこへいくのだろうか?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~引用 おわり

 

 一方、先月、福島県内経済界で活躍するメディア関係の社長ともお会いする機会があり、地元経済人の大変現実的で、前向きな復興プランを伺いました。彼がおっしゃるには、「今は、県民も企業も、ただただ補償についてが最大の関心事になっていて、復興プランの自主的策定に意識が及んでいないのが残念だ。それどころか、先駆的に取り組むことが、逆に補償対象から外れると思いこんでいて、全く受け身な状態が一層情けない」と。

 しかしながら、経済界の有力な経営者たちは、今、覚悟を決めて、放射能で汚染された福島の土は、今後何十年掛っても福島県の中で、放射能汚染のモニュメントとして向き合っていくと。ヒロシマ・ナガサキの被爆の犠牲のもとに「内部被曝の研究」が蓄積・進化したように、放射能汚染の犠牲と向き合って、フクシマから土地の浄化技術・代替エネルギー技術の発信をしていく姿勢が希望となると、そう確信しているようです。それが自立した福島県人の矜持なのでしょう。国頼みではなく、自力で展望は拓く心意気です。

 海外メディアもいろいろですが、こんな記事もあります、「福島原発事故による死者は今後100万人以上、と英紙インディペンデント電子版29日(現地時間)報道」、と韓国メディアが伝えました。根拠の薄い記事も記事ですが、それをまた記事にするスタンスも底が浅いですね(http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0901&f=national_0901_034.shtml)。外国のメディアも玉石混交です、しっかり見極めなければなりません。   

 もう一つ、私へのメーリングの中、地元福島で取材する農業系記者の方から、7月に日本各地で講演や記者会見を行ったECRR(欧州放射線リスク委員会)議長のクリス・バズビー氏の論文の邦訳です。前述の英紙インディペンデントが言う100万人というのは、この論文の5倍の数字です。講演の動画はこちらです(http://iwakamiyasumi.com/archives/11569)。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~以下 引用 

『福島の破局的事故の健康影響 欧州放射線リスク委員会(ERCC)のリスクモデルに基づいた解析第一報 』

 以下、この論文の「結論と勧告」を抜粋します。

 ECRRリスクモデルにより福島事故の100キロ圏の住民300万人に対する健康影響を検討した。100キロ圏内に1年居住を続けることにより、今後10年間で10万人、50年間でおよそ20万人がガンを超過発病すると予測された。直ちに避難を行うことでこの数字は大きく減少するだろう。100キロ圏と200キロ圏の間に居住する700万人から、今後10年間で10万人、50年間で22万人が超過発ガンすると予測された。これらの予測値は、ECRRリスクモデルおよびチェルノブイリ事故後のスウェーデンでの発ガンリスクに関する疫学調査に基づいて算定されたものである。

 余談ですが、いまドイツのテレビ局が福島の農家を取材した映像がネットを飛び交っています。福島で有機農業で頑張っている人たちが、この映像のおかげで断りが増えていると嘆いています。30日に三里塚百姓を軸に北総台地の有機農業の百姓衆が数十人集まり、東電成田支社に出向いて交渉し、ぼくも参加しました。

 千葉でも有機農業の産直は3割から4割売り上げが落ちています。三里塚有機農業は国家権力との激しい闘いの中で生まれ、もう40年近い歴史があります。ある古い有機農業の生産者が、会員の消費者(もう10年以上)から「表土を30センチは剥げばいい。剥いでいるのか」と詰問されたと言っていました。30センチの表土作ってきた代々農民の汗と苦労への思いはどこにもないようです。三里塚には、新規就農の若い世代も多くいます。夫婦で頑張っているある人は、消費者からまるで自分たちに責任があるように言われる、と嘆いていました。

 ぼくはいま仲間と福島の高齢農村女性グループと組んで、崩壊した小さな生産・直売・加工を取り戻す取り組みをやっています。こう書くと必ず、都会の運動家から「そんなことをして避難しなければならない人をモルモットにするのか、政府の手先か」という声が来るのは承知しています。しかし、福島で暮らし、耕し続けようとしている人に寄り添わない運動はぼくにはあり得ない。

  このドイツの映像では「これでは食べのものではない、まるで放射性廃棄物だ」という字幕が入っていました。ぼくは百姓ではないですが、自分で作ったものをこう言われた百姓の気持ちはどうなんでしょう。

 生きかわり死にかわりして打つ田かな:http://www.sunfield.ne.jp/~shihou/kijyo/kijo1.htm

ぼくの好きな村上鬼城の句です。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~K.O.  引用 おわり

 

 日本人同士での不信感、自分本位な都会の消費者の意識、あの福島の原発は誰のための電気を作っていたのでしょうか、今を生きる日本人が試されている、そんな気がします。リスクを定量化して継続的に公開していく努力等、原発事故被災地の農地で、今後、農業をするべきかどうか、どうすることが本当に現地の方々の将来を拓くことになるのか、メディアも含めて、そろそろ真剣に議論する時期ではないでしょうか。

 エネルギー分野では、こんな新しい取り組み、「みんなのエネルギー・環境会議:http://www.meec.jp/」がスタートしています。ただ、ワイワイの「大騒ぎ」ではなく、これだけの犠牲に報いる将来につながる「プラン」を提起したいものです。

「男肉 du Soleil」、大復活!

Posted by 秋山孝二
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 「男肉 du Soleil:オニク・ド・ソレイユ(http://oniku-du-soleil.boy.jp/)」の公演がシアターZooでありました。若い男たちが上半身裸で踊り、叫びまくる舞台、予想はしていましたが「緊張感?」がありましたね!「写肉祭(フォトコンテスト)」に応募しようと数枚写真も撮ったのですが、動きが速くてとても作品までは至りませんでした。

男8人が踊り、語る2時間

男8人が踊り、叫ぶ2時間

ほとばしる汗、熱気が充満!!

ほとばしる汗、熱気が充満!!

 以前この欄に、私のパリ・ムーランルージュの舞台に引き出される体験 (http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=2264)を書きましたが、今回も舞台で踊ったお客さまがいらっしゃいました、まるで違和感が無い素晴らしい踊りでした。客席では裸の男が私の横を行ったり来たり、終盤は汗いっぱいの体で私に向かって倒れ掛ってきて、まさに「緊張感」もいっぱいでした。20代の男たちの何とも言えない切なさが伝わってきました。

 アフタートークは、劇団「千年王國:http://sen-nen.org/」代表の橋口幸絵(http://bamora.seesaa.net/)さんと「オニク・・・」代表の池浦さだ夢さんでした。池浦さんからは、私には意外な程純朴な(!)お話の数々で、少しの驚きがありました。

口直し(失礼)のアフタートーク

口直し?(失礼)のアフタートーク

 橋口さんは、「今回の公演、見ているだけで妊娠しそう」とおっしゃっていました、すごいフレーズですね!公演前に丁度ロビーにいらしゃったので、ようやくご挨拶ができたし、お話も大変興味深かったです、今回はこの劇団の受け入れで場所も提供して、「寮母状態」とのことでした。

昨年の「札幌劇場祭:http://www.s-artstage.com/2010/tgr/2010/12/865/」で、私は審査員の一人でした。

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6621

http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=6707

 http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=148

 劇団「千年王國」はこの劇場祭で「ダニーと紺碧の海:http://sennencocuchi.blog.shinobi.jp/Entry/38/」を上演しました、若さ溢れて大変オシャレな舞台で好きでした。今月14・15日には、韓国・光州市で開かれるビエンナーレ「光州平和演劇祭」に日本の代表として「贋作者」公演の予定です、素晴らしい舞台を期待したいですね!

面白いですね、地元演劇界は

Posted by 秋山孝二
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 北海道舞台塾(http://www.pref.hokkaido.lg.jp/ks/dbs/butaijuku/)公演「ぐるぐる、しない:http://www.haf.jp/butaijuku/」は、大変面白かったですね。演出・脚本・出演の納谷真大(なや・まさとも)さんは、以前から注目していますが、この3年間の貴重な経験を生かして、一層飛躍をして貰いたいです。

北海道舞台塾公演「ぐるぐる、しない」チラシ

北海道舞台塾公演「ぐるぐる、しない」

  毎年、事務局を担う北海道文化財団(http://haf.jp/)では、「北の舞台塾」公演もコーディネートして、昨年の札幌劇場祭(http://www.s-artstage.com/2010/category/tgr/)には、以下の三つが参加しました。

* 釧路市から、劇団北芸(http://www.geocities.jp/hokugei_nori/hokugei.top.index.html)の「この道はいつか来た道:作/ 別役実、演出/ 加藤直樹」

* 帯広市から、おびひろ市民ミュージカル(通称:obiカル:http://www.obical.com/Top.html)の 「ミュージカル さようなら、スパッツァカミーノ!原作/『黒い兄弟』(1941年 作/ リザ・テツナー)脚色/ 山本和彦(obiカル)演出/ 黒田勝史(obiカル)」

* 大空町から、町民舞台東藻琴の「薄荷物語-軌道が走っていた頃:作・演出/ 松岡義和」

 特に劇団北芸の芝居は完成度が高く、実に味わいの深い舞台で素晴らしかったです、一昨年の韓国公演でも高い評価を得ました。

 一方、日本の戯曲をしっかり舞台にのせるシリーズを、との企画で「じゃぱどら!!」が始まりました。今回は「地区大会」と銘打って、先日は井上ひさし作・西脇秀之演出・劇団回帰線(http://web.me.com/kaikisen/Top/KaikisenWeb/KaikisenWeb.html)「国語事件殺人辞典」が上演されて、来月には岸田國士(くにお)作・清水友陽演出・WATER33-39(http://water33-39.com/)「犬は鎖に繋ぐべからず」が予定されています。

「日本の戯曲:ジャパニーズ・ドラマ」シリーズのはじまりです!

「日本の戯曲:ジャパニーズ・ドラマ」シリーズのはじまりです!

来年この「1JAPADORA(?)紙幣」持参すると何かのサービスがあるそうです

来年この「1JAPADORA紙幣?」を持参すると、何かのサービスがあるそうです、ホントかな?

 言葉を縦横無尽に駆使して芝居にしてしまう、そんな勢いを感じます。観客としては、後半部にその膨大な言葉を追いかける疲労感も出てきたのですが、タイミング良く織り込まれる役者のアドリブで、ホッと一息つける場面もありました。日本語の原作はセリフに奥行きがあり、演技と相まってひと味違う面白さがあります、今後に期待したいですね。

道新フォーラム「現代への視点2010」

Posted by 秋山孝二
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 道新フォーラム「現代への視点2010~歴史から学び、伝えるもの~」が、11月に道新ホールで開かれ、昨年に続く2回目の今回も、満員の700人が集まったようです。私は出席出来ませんでしたが、第1部は作家の澤地久枝さん、東大大学院教授の姜尚中(カンサンジュン)さん、作家・評論家の保阪正康さんによるそれぞれ30分の講演、第2部は3氏による討論と、学生を中心とする30人ほどの若者たちとの質疑が行われました(http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/shiten_forum/)。

 最近は大変助かります、当日その場に行けなくても、「YouTube(http://www.youtube.com/?gl=JP&hl=ja)」とかで後日に映像で見ることが出来るからです。新聞では紙面に制限もあり、なかなか意を汲みきれませんが、映像は全くのライブ感覚で、会場からの不規則発言も臨場感を倍加します。パネルディスカッションの進行に対する聴衆からの指摘に、保阪さんが応える場面は面白かった(?)です。また、若者の長い発言、イベントの宣伝等も、私自身は前段の3人のお話の内容が充実していただけに、少々残念でしたね。

 

澤地久枝さんのお話

* 戦争の顔は、国とか時代が違っても同じ顔。満州事変、上海事変、ミッドウェー海戦でも、死者の多くは20歳から22歳までの軍隊経験の乏しい人たち

* このままでいったら日本はアメリカの補助的な存在として戦争する国になる。形骸化している9条も含めて今の憲法はボロボロに変えられ、日本は悪い方に生まれ変わる危険性がある。それを防ぐためには、一人一人が歴史を知る努力をすること、そして知り得たことを知識として持ち、次には行動すること

* 今の若い人は「戦争は知りません」という。そうではなく、私たちはどんな近現代の歴史を刻み、その時代に自分の父母や祖父母はどんな生活をしていたのか、そのとき他国との関係はどのようなものであったかを調べて勉強することが歴史を知ること

* 井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」の中には、「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にある」とある。過去の中には失敗や成功したことも含めて、人類の英知、知恵があり、それを読み取って自分のものにすることが大切

* そのときに大事なことは、だれが何を言ったかということよりも、どんな事実があったかを知ること。事実と言われてきたことが実はうそであったと分かれば、何が事実、真実であるのかを検証していく姿勢が重要

 

姜尚中(カンサンジュン)さんのお話

* 第二次世界大戦後の日本は、「ヨーロッパ的な冷戦、戦争がないという状態」を享受できた。しかし日本だけが例外で、朝鮮半島もベトナムも戦争状態、アジアでは「熱戦」だった

* 日本は何をすべきだったのか、あるいは何をする可能性があったのか。ドイツとの戦後比較、同じような復興をとげ経済大国になった二つの国、しかしその歩みは大きく違っていた

* 1969年に旧西ドイツの首相になったウィリー・ブラントは、東側との関係正常化を目指す「東方政策」。西側のフランス、イギリス、アメリカとの関係を深めつつ、東側に虹(懸け橋)をかける政策を実施

* ヨーロッパはいわゆる「ヤルタ体制」で分断、ドイツも東西分裂。このままいけば東と西の戦場になる、アメリカやNATOを頼りにするだけではなく、自分たちの力で虹をかけなければいけない、という哲学

* 隣国のポーランドとの国境、いわゆる「オーデル・ナイセ線」を認め、ソ連と東ドイツの存在を容認。この三つの国と関係を結ぶことによって緊張緩和を進め、まさに「革命的」

* 東アジアで分割占領されたのは日本ではなく朝鮮半島。その結果、ブラント的な緊張緩和政策は日本はとる必要がなく、「日米安保という2国間関係」を基軸にすえて、それ以外の全てのことをその派生とみるような思考。ブラント的思考とは正反対

* 今、北東アジアはきな臭く、米中の二つの超大国が東アジアをめぐって覇権の争いの危険性。放置していたならば新冷戦時代になる危惧の中で、交流が広がり、ともに歩もうとしている日本と韓国はどこに立つのか。民主主義のルールを知り、同じような価値観や生活水準をもった両国が協力し、ブラントのような東方政策を練り直すことが可能ではないか

* そのためには私たちは歴史に学ぶ必要性あり。自分の国や隣国の歴史を知ると同時に、遠いヨーロッパで起きた歴史をも学びながら、今の状態に対し何ができるのかを、ぜひとも考えてもらいたい

 

保阪正康さんのお話

* 戦後65年の中で、どういう形で日本の戦史が語られてきたのか。最初に語ったのは大本営の将官たち。「大本営弁護型の戦史」が幅を利かせた

* 65年たち、やっと最前線の戦場にいた兵士たちの声が記録されるようになった。1人の兵士の証言には何千人という声が入っている。歴史に耳に傾けると言うのは、こうした声を聞き取っていくこと

* 私たちは戦後の憲法の下で市民的権利が保障されている社会に生きている。しかしそれがどう溶解し、戦前のような軍事主導体制になってしまうのかを理解しなければならない

* 人間は四つの枠組みの中に入れられるとモノを言えなくなる。戦前の場合、その一つは国定教科書の改訂。昭和8年(1933年)に完全に軍事主導の教科書になり、「兵隊さんに感謝しましょう」という体制が固まる。二つ目は治安立法の拡大解釈。例えば治安維持法は本来は共産主義者が対象だったが、リベラリストらも対象になった。三つ目は情報の一元化。情報が一つのところから発せられるようになる。四つ目は官民挙げての暴力。「五・一五事件」のように、動機が正しければ何をやってもいいと暴力を肯定する風潮。昭和史の教訓として戦前の歴史から学ぶことは、このような四つの枠組みが今の私たちを囲い込んでいないかと注視すること

* それには自分なりの視座(ものの見方)を持つこと。その発想の形は三つ。一つは「縦と横」、つまり歴史と時代。歴史の中でこういうことはどうなっていたのか、今はなぜこうなっているのだろうかと考える癖をつける。同時に「公と私」。国はこう言っているけど自分は違うと思う、というように相対化すること。三つ目は「理論と現実」。こういう理想が言われるが現実はこうなっている、とすればそのギャップはどこに問題があるのか、と考えること

* ある事象を見たときに、そのように頭の中で考える訓練を積む。日常の中で小さな意識変革を常に意図していることが大切

 

 3人の演者のメッセージが、心に染み入りました。