「オーランド裁定」 by 新渡戸稲造

Posted By 秋山孝二
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 つい先日書いた(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=20133)スイス・ジュネーブの国連ヨーロッパ本部見学ツアーで、ガイドの男性がその絵画の前に敢えて止まって説明があった「オーランド裁定」について、札幌に戻って2年前の秋山財団年報に書かれている箇所を確認しました。

この絵画と同じものがオーランド議会の議場にも

この絵画と同じものがオーランド議会の議場にも

 秋山財団HPにある平成23年度年報(http://www.akiyama-foundation.org/wp-content/uploads/2012/11/nenpo_23-24_vol25.pdf)、現在は秋山財団理事の小磯修二先生の巻頭言にその記載があります。小磯先生が訪問されたオーランド議会の議場にも、同じ絵画が掛かっていたようです。そこでは新渡戸稲造という日本人の尽力によるものと、明確な説明があったようです。

 財団HPの巻頭言から:

 オーランドの自治の歴史は、1917年のロシア革命によるロシア帝国崩壊に始まる。スウェーデン人が多く住むオーランドは、独立を希望したが、フィンランドが反対し、その統治のあり方については各国の思惑が対立し、最後は国際連盟の裁定に持ち込まれた。1921年に裁定が下され、オーランドの非武装中立政策が認められ、フィンランドが統治権を持つが、公用語はスウェーデン語とし、スウェーデンの文化、習慣に従うことを保証し、土地取得や選挙権については独自の制度を認めることとされたのである。それ以降、オーランドは、非武装中立政策を維持しながら、独自の課税徴収権、司法業務など一歩づつ自治権限を拡大していく努力を積み重ねてきており、フィンランド国会でも議席を確保している。

  しかし、独自の権利を維持していくことは容易なことではない。私の歓迎会の席上で、出席者が、「ヘルシンキに出かけていってオーランド人だというと、弱虫、卑怯者だといしめられた」と語るのを聞いた。フィンランドではオーランドの住民だけが徴兵義務を免れているのである。小さな島が独自の非武装中立を守っていくことの難しさを痛感した。

 オーランド議会の議場を訪問した時に、1921年の国際連盟による裁定の場面を描いた絵画が掲げられていたのを見た。オーランドの人々にとっては、自分たちの国の帰属が決められた歴史的な場面であり、特別な絵である。案内してくれた職員が、裁定したのは日本人と言われているという説明を受けて、気になり、帰国後に調べたところ、1921年当時に国際連盟で事務局次長をしていた新戸部稲造がその裁定を行ったことが分かった。

 長い苦難の自立に向けた歴史の契機となった人物が、札幌農学校で学び、日本人の精神形成に多大な影響を与えた新戸部稲造であることを知り、バルト海の小さな誇り高き島と北海道が急に近くなったような気がした。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~ HPからのコピー おわり

 昨今、領土問題では隣国ロシア、中国、韓国を相手に、複雑な今後の交渉が予測されますが、周到で慎重な外交交渉を期待したいものです、それを担う人物が今の日本国に居るのかを含めて、決して武力での解決に向かわないようなしっかりした議論を求めていかなくてはなりません。21世紀の新渡戸稲造を追い求めるだけでなく、自分のできる立ち位置からの状況を創っていく覚悟が必要な気がしています、重い試みではありますが。

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