先日、暫くぶりにメールを送信した方から、思いがけない返信が届きました。2か月ほど入院して、無事退院したというのです。早速お会いしてお話を伺った所、何と海外旅行中にホテルで突然倒れ、意識不明で緊急入院し、10日間昏睡状態を経て意識を回復、その後ベッドに寝た状態で飛行機で札幌に戻り入院し、1か月で退院して奇跡的に仕事に復活しているとの事でした。家族・友人・医療関係者の懸命の努力と見守りで、本当に信じられないいのちの復活でした。目の前のその姿を見て、いのちのとてつもない強さに感動しました。
そう言えば、今年は中学校の同級生、高校の同級生がそれぞれ亡くなりました。一人は札幌のまち中で突然倒れ、大学病院の救急部に運ばれましたが、ほぼ即死状態だったそうです。家の留守電に病院から、「携帯電話番号に登録のある方皆さんに取り敢えず連絡をしています」との電話が入っていました。葬儀では奥様は気丈に振る舞われていましたが、お気の毒でした。もう一人は、暫くガンを患っていて亡くなりました。残念ながら葬儀には参列できず、最後のお別れも出来ませんでしたが、元気な時のイメージを思い出し、何とも言いようのない心境でした。
一昨年は、やはり中学校時代の同級生が奥様と二人のお子様を残して、軽井沢の森で自死されました。企業の社長でしたが、大変厳しい時期に、それを承知で社長に就任し、奮闘して解決の道筋をつけてと後で話を伺い、彼らしいなと思いながらも残念でした。お墓参りにいらっしゃったご遺族と暫しお話をしました。私は、彼が生徒会長だったこと等、中学校時代の秀でた活躍を紹介し、生徒会誌の彼の巻頭言と、体育大会時のスターターを務める写真をコピーしてお渡ししました。巻頭言の格調の高さと深い時代への考察を、是非お子様たちにも知って頂きたかったのです。息子さんの顔に、彼の中学校時代の面影を見つけて、思わず涙が出てきました。
先日の「セミナー:表参道の燃えた日」の体験者のお話にもあったのですが、死んでもおかしくない状況の中で生き残った自分の命を今思うに、亡くなっていった人たちの思いも含めた「使命」が自分にはあるのでは、と思うようになったというのです。
私はこれまでその様なぎりぎりの体験はありませんが、年齢のせいでしょうか、「やらねばならぬこと」をこの数年強く意識するようになりました。