愛生舘の「こころ」 (17)

Posted By 秋山孝二
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 愛生舘に関する資料を探しに、岐阜県の「内藤記念くすり博物館(http://www.eisai.co.jp/museum/information/」を訪問しました。

 明治中期に始まる全国的な健康増進事業「愛生舘」の展開に尽力した人々が、この所、資料の裏付けもあり、かなり詳細に分かってきて興奮しています。愛生舘プロジェクトのスタートは高松保郎、お墨付きと医薬品情報提供者の松本順、出資で中心となった川口新之丞、支部設立ほか最先端の現場で活躍した初代秋山康之進、起業する要素を満たしてのスタートでしたが、間もなく出資者への約束不履行、設立リーダーの死去等で、わずか3年ほどで存亡の危機を迎えます。各支部設立の任の最後として、初代秋山康之進は自ら北海道支部長となり、川口新之丞の支援を得て、北海道の地で「愛生舘」事業を営み続け、理念の下に100年以上も北海道民の健康を医薬品を通じて守ってきたのです。

 この博物館では、愛生舘関連の資料は一つでしたが、当時の医薬品が庶民の間でどんな存在だったかを知ることができました。

愛生舘の広告

愛生舘の広告

右下をクローズアップすると「明治27年11月」の文字

右下をクローズアップすると「明治27年11月」の文字

上部の文言

上部の文言

 当時の薬局の店先を醸し出す雰囲気です。

帳場の復元

帳場の復元

 「くすり博物館」の2階では特別展示も。

特別展示「感染症の世界」

特別展示「感染症の世界」

 さらに特別コーナーとして内藤家思い出の品々。内藤豊次さま、祐次さまには、私の祖母・伯父・伯母はじめ、秋山愛生舘は大変お世話になりました。そして、この秋山財団設立時も、公益財団法人内藤記念科学振興財団(https://www.naito-f.or.jp/jp/index.php)の内藤晴夫さま、当時事務局長だった熊谷さまにご指導を頂きました、心から御礼申し上げます。

内藤祐次さんの会長室机ほか

内藤裕次さんの会長室机ほか

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