飛騨高山、秋の「高山祭」、HPから詳細を知ることができます。
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高山祭とは、春の「山王祭(さんのうまつり)」と秋の「八幡祭(はちまんまつり)」、二つの祭をさす総称で、16世紀後半から17世紀の発祥とされています。幾多の変遷を経ながらも、江戸時代の面影を残す伝統行事として、今日まで受け継がれてきました。
このうち、高山を秋の彩りで染める「八幡祭」は、旧高山城下町北半分の氏神様である桜山八幡宮の例祭です。毎年10月9日・10日になると、安川通りの北側・下町に「八幡祭」だけの11台の屋台が登場。屋台が町を巡る曳き廻しや布袋台のからくり奉納などの伝統的な祭行事が楽しめます。
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前日、郡上八幡から高山に入り、夕方に屋台会館(http://www.hidahachimangu.jp/yataikaikan/welcome.html)で事前に「飛騨の匠」を予習しました。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~ HPより
古くから飛騨の国は、大和朝廷ヘ、税のかわりに匠(たくみ)を毎年送り出しました。選ばれて都ヘ出た匠たち(毎年100人~130人)は、奈良の都の宮殿や、お寺の建築に従事してその腕をふるいました。
匠が都ヘ送られた期間はおよそ600年、延べにして7、8万人の飛騨人が一年間都で働いたことになります。この人たちを総じて「飛騨の匠」と呼んでいます。
飛騨の国には、今もこの匠たちの長い伝統と、培われた技術が脈々とうけつがれていますが、中でも江戸時代後期に、大輪の牡丹のように花開いたのが高山祭の屋台(国指定重要有形文化財)です。
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祭り当日、参道に勢ぞろいした屋台(http://kankou.city.takayama.lg.jp/2000019/2000020/2000724/2000723.html)。
からくり屋台のパフォーマンスは大変な人、人、人。3時間以上も前から場所を取っていた方もいらっしゃったり。大観衆の中、20分程に技術の粋を集中する時空は、歴史の凝縮を感じました、素晴らしい興奮でした!
動画でよく見るズームでのカラクリ人形よりも、私はそれを見に集まった群衆の熱気に興奮しました。警備員に喰って掛かる少し酔ったお客さん、何が始まるのか好奇心に満ちた様子の外国人観光客のカップル、スマホで写真を撮ろうと背伸びする人々等、何か妙な連帯感を感じてしまうから不思議ですね。これが「お祭り」の魅力なのでしょう。どっこい、地方は活きている!!!
みたらし団子、しょうゆせんべいも美味しかったです!