秋の展示会 in 益子

Posted by 秋山孝二
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 本来は始まる前にアップしたかったのですが、栃木県益子町の「ワグナー・ナンドール・アートギャラリー(http://kankou.4-seasons.jp/asobu/509.shtml)~秋の展示会」が盛況で終了しました。先日、終わった後の静寂の中、ゆっくり噛みしめながら散策してきました。

 これまで何回もここに書きました:http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E3%83%AF%E3%82%B0

秋の展示会を終えて

秋の展示会を終えて

帽子を被ったワグナー・ナンドール

帽子を被ったワグナー・ナンドール(ハンガリーからの寄贈):室内展示室

特別展示室:ハンガリー・ブダペストのアトリエ修復事業ほか

ハンガリー・ブダペストのアトリエ修復事業ほか:特別展示室

 今年の特別展示室では、ハンガリー・ブダペストの王宮下にあるアトリエ大修復の様子が展示されました。「修復」といっても日本でイメージする「修理」とは趣を異にして、まさに賑やかに「リニューアル」された感じです。1956年のハンガリー動乱(革命)以前は、王室の下で芸術家の創作活動は大変活発だったようです、ワグナー・ナンドールもそんな芸術家の一人でした。

 事務局員の小方良子さんの話では、最近の傾向として、下村徹著「ドナウの叫び(http://www.gentosha.co.jp/book/b1717.html)」とか新聞記事、テレビ報道等をご覧になっての来館者、リピーター、毎回それぞれをお楽しみになっていく方も多いとか。私の叔母・和具奈ちよをご指名で「生ちよ」さんにお会いする目的の方、お弁当を開いてひと時ごゆっくりとか、お茶を飲みながらの団欒の場として過ごされる方もいらっしゃるそうで、嬉しいですね。

 昨今の日本の状況を見るにつけ、戦後日本の行き詰まり、瓦解、劣化・・・・、国の崩壊過程は、経済と芸術文化のバランスの崩れであり、言い換えるなら「リベラルアーツ」教育の欠如によるリーダー職にいる人材の劣化によるところが大きいですね。ヨーロッパの呻吟した時代を経ての鍛えられた市民一人一人の思想・哲学に比べると、簡単に社会と距離を置くと言って逃避する無関心層が多い日本社会の脆弱さ。

 昨晩、小樽で開催された「道新文化センター特別講座 昭和史に学ぶ~保阪正康さん」のお話が心に染み入りました。

ビハール号事件(2)

Posted by 秋山孝二
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 昨年10月9日にこの欄で、「ビハール号事件:Behar case」について書いて以来(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=5921)、しばらくの間沈黙の日々が続いていましたが、2011年8月8日から、終戦特集の一つとして、北海道新聞・第一社会面に5日続けて詳細載っています。「父が見た海~戦後66年 ビハール号事件を追う~」です。海軍兵学校66期卒の父、戦後66年を経て、60歳の還暦を迎えた私が、3・11以降、覚悟を決めました。

 初日以来、想像を上回る反応に、ただただ驚いています。会う人会う人、秋山財団事務所の近くを通る方も、職員に向かって、「ここの財団の理事長でしょ」とか、声を掛けて頂いているようです。約1ヶ月半の取材、北海道新聞の二人の記者の方々には、本当に寄り添っての取材活動、的確な質問、取材相手への敬意、何とも感謝の言葉も無い程の感動です。扱っている話題はとても重たいものにも関わらず、「今・ここ」で世に問いかけなければというジャーナリスト魂を感じました。同時に、「メディアの力」を目の当たりにした数日間です。

 一昨年来、私はメディアに対して、場当たり的な垂れ流し報道ではなく、時間軸のしっかりした調査・検証報道の必要性を指摘していたつもりです。昨年仰せつかった1年間の北海道新聞・新聞評でも、一貫してそれに言及しました(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?s=%E6%96%B0%E8%81%9E%E8%A9%95)。今回、まさにそれを実践する機会を与えて頂いた、そんな気がここまでの中でしています。キーマンお二人と直接面談でき、長時間のお話を伺いましたし、保阪正康さんとの意見交換では、トータルの戦争における「軍隊」の行動パターン、1000人以上の戦場体験者との面談に裏付けられた心理等、短期間で一気に情報の質も量も深化致しました。とても私一人では出来なかったことばかりです。このテーマに向き合う記者・報道部次長の誠意あふれる姿勢に、心から感謝申し上げます。

 明後日の最終回を終えて、再度この欄で書き留めたいと思います。今月から、この「秋山孝二の部屋」へのご意見を受け付けることにしました、ブログ開始3年弱を経て、初めて解禁致しました。スパムほかイレギュラーなメール以外は、基本的に掲載したいと思っています。一覧の画面から、「該当日のタイトル」をクリックするとコメントの受・送信画面が出て、ご覧頂けます。

道新フォーラム「現代への視点2010」

Posted by 秋山孝二
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 道新フォーラム「現代への視点2010~歴史から学び、伝えるもの~」が、11月に道新ホールで開かれ、昨年に続く2回目の今回も、満員の700人が集まったようです。私は出席出来ませんでしたが、第1部は作家の澤地久枝さん、東大大学院教授の姜尚中(カンサンジュン)さん、作家・評論家の保阪正康さんによるそれぞれ30分の講演、第2部は3氏による討論と、学生を中心とする30人ほどの若者たちとの質疑が行われました(http://www.hokkaido-np.co.jp/cont/shiten_forum/)。

 最近は大変助かります、当日その場に行けなくても、「YouTube(http://www.youtube.com/?gl=JP&hl=ja)」とかで後日に映像で見ることが出来るからです。新聞では紙面に制限もあり、なかなか意を汲みきれませんが、映像は全くのライブ感覚で、会場からの不規則発言も臨場感を倍加します。パネルディスカッションの進行に対する聴衆からの指摘に、保阪さんが応える場面は面白かった(?)です。また、若者の長い発言、イベントの宣伝等も、私自身は前段の3人のお話の内容が充実していただけに、少々残念でしたね。

 

澤地久枝さんのお話

* 戦争の顔は、国とか時代が違っても同じ顔。満州事変、上海事変、ミッドウェー海戦でも、死者の多くは20歳から22歳までの軍隊経験の乏しい人たち

* このままでいったら日本はアメリカの補助的な存在として戦争する国になる。形骸化している9条も含めて今の憲法はボロボロに変えられ、日本は悪い方に生まれ変わる危険性がある。それを防ぐためには、一人一人が歴史を知る努力をすること、そして知り得たことを知識として持ち、次には行動すること

* 今の若い人は「戦争は知りません」という。そうではなく、私たちはどんな近現代の歴史を刻み、その時代に自分の父母や祖父母はどんな生活をしていたのか、そのとき他国との関係はどのようなものであったかを調べて勉強することが歴史を知ること

* 井上ひさしさんの「ボローニャ紀行」の中には、「困難にぶつかったら過去を勉強しなさい。未来は過去の中にある」とある。過去の中には失敗や成功したことも含めて、人類の英知、知恵があり、それを読み取って自分のものにすることが大切

* そのときに大事なことは、だれが何を言ったかということよりも、どんな事実があったかを知ること。事実と言われてきたことが実はうそであったと分かれば、何が事実、真実であるのかを検証していく姿勢が重要

 

姜尚中(カンサンジュン)さんのお話

* 第二次世界大戦後の日本は、「ヨーロッパ的な冷戦、戦争がないという状態」を享受できた。しかし日本だけが例外で、朝鮮半島もベトナムも戦争状態、アジアでは「熱戦」だった

* 日本は何をすべきだったのか、あるいは何をする可能性があったのか。ドイツとの戦後比較、同じような復興をとげ経済大国になった二つの国、しかしその歩みは大きく違っていた

* 1969年に旧西ドイツの首相になったウィリー・ブラントは、東側との関係正常化を目指す「東方政策」。西側のフランス、イギリス、アメリカとの関係を深めつつ、東側に虹(懸け橋)をかける政策を実施

* ヨーロッパはいわゆる「ヤルタ体制」で分断、ドイツも東西分裂。このままいけば東と西の戦場になる、アメリカやNATOを頼りにするだけではなく、自分たちの力で虹をかけなければいけない、という哲学

* 隣国のポーランドとの国境、いわゆる「オーデル・ナイセ線」を認め、ソ連と東ドイツの存在を容認。この三つの国と関係を結ぶことによって緊張緩和を進め、まさに「革命的」

* 東アジアで分割占領されたのは日本ではなく朝鮮半島。その結果、ブラント的な緊張緩和政策は日本はとる必要がなく、「日米安保という2国間関係」を基軸にすえて、それ以外の全てのことをその派生とみるような思考。ブラント的思考とは正反対

* 今、北東アジアはきな臭く、米中の二つの超大国が東アジアをめぐって覇権の争いの危険性。放置していたならば新冷戦時代になる危惧の中で、交流が広がり、ともに歩もうとしている日本と韓国はどこに立つのか。民主主義のルールを知り、同じような価値観や生活水準をもった両国が協力し、ブラントのような東方政策を練り直すことが可能ではないか

* そのためには私たちは歴史に学ぶ必要性あり。自分の国や隣国の歴史を知ると同時に、遠いヨーロッパで起きた歴史をも学びながら、今の状態に対し何ができるのかを、ぜひとも考えてもらいたい

 

保阪正康さんのお話

* 戦後65年の中で、どういう形で日本の戦史が語られてきたのか。最初に語ったのは大本営の将官たち。「大本営弁護型の戦史」が幅を利かせた

* 65年たち、やっと最前線の戦場にいた兵士たちの声が記録されるようになった。1人の兵士の証言には何千人という声が入っている。歴史に耳に傾けると言うのは、こうした声を聞き取っていくこと

* 私たちは戦後の憲法の下で市民的権利が保障されている社会に生きている。しかしそれがどう溶解し、戦前のような軍事主導体制になってしまうのかを理解しなければならない

* 人間は四つの枠組みの中に入れられるとモノを言えなくなる。戦前の場合、その一つは国定教科書の改訂。昭和8年(1933年)に完全に軍事主導の教科書になり、「兵隊さんに感謝しましょう」という体制が固まる。二つ目は治安立法の拡大解釈。例えば治安維持法は本来は共産主義者が対象だったが、リベラリストらも対象になった。三つ目は情報の一元化。情報が一つのところから発せられるようになる。四つ目は官民挙げての暴力。「五・一五事件」のように、動機が正しければ何をやってもいいと暴力を肯定する風潮。昭和史の教訓として戦前の歴史から学ぶことは、このような四つの枠組みが今の私たちを囲い込んでいないかと注視すること

* それには自分なりの視座(ものの見方)を持つこと。その発想の形は三つ。一つは「縦と横」、つまり歴史と時代。歴史の中でこういうことはどうなっていたのか、今はなぜこうなっているのだろうかと考える癖をつける。同時に「公と私」。国はこう言っているけど自分は違うと思う、というように相対化すること。三つ目は「理論と現実」。こういう理想が言われるが現実はこうなっている、とすればそのギャップはどこに問題があるのか、と考えること

* ある事象を見たときに、そのように頭の中で考える訓練を積む。日常の中で小さな意識変革を常に意図していることが大切

 

 3人の演者のメッセージが、心に染み入りました。