大地震、津波、そして原発事故

Posted by 秋山孝二
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 掲載した後、14日午前11時にこのサイトを追加しました(がんばれ日本:http://ideapad.jp/d9385fb4/show/)。
16日午後1時にこのサイトを追加しました(http://www.earthday-tokyo.org/2011/news/2011/03/3141400ustream.html)。
 
 11日午後2時50分頃に、私は札幌の秋山財団事務室で仕事をしていると、滑るような横揺れがあり少し続いたので、直感的にどこかで大きな地震だなと思いながら、事務局二人の所に行きました。すぐにテレビをつけて見ると、「東北沖を震源とする地震が発生」とすでに報道していました。

左は11日夕方の号外、他は12日朝刊1面

左は11日夕方の号外、他は12日朝刊1面

 私の身内は首都圏に複数暮らしていて、携帯メールでそれぞれの安否確認を行いましたが、会社から2時間以上歩いて家にたどり着いた者等、深夜までには居場所も確認できて、少しホッとは致しました。ただ余震の心配、東北・八戸の親戚の安否、その他余談を許さない情況の中、気になりながらも一晩過ぎました。

 1日経つと、今度は地震そのものは勿論ですが、それによって発生した津波による大被害に言葉を飲み込みました。そして、時間を経るごとにどんどんその犠牲者・被害も膨れ上がってきていました。1995年1月の阪神淡路大震災の180倍のエネルギーとは言え、津波も報道されている数字以上のエネルギーだと感じました。数字には出てこない複合的な現象による被害があるのでしょう。

 さらに、昨日午後になり福島原発の爆発、放射能被爆等も報道されてきています。東京電力・原子力保安院の記者会見が全く廻りくどくて良く理解できません。それに比べて、原子力資料情報室(http://www.cnic.jp/)が12日20時に行った記者会見(http://www.ustream.tv/recorded/13269582)は、われわれの今懸念するポイントに応える内容になっています。日頃の視座の違いでしょうか、それにしても当事者・東京電力の情報開示能力の欠如は、あきれるばかりですね。

 こと原発に関する情報は、どうしてこうも分かりにくいのでしょうか。事実確認の説明自体が、とうてい普通の市民にはすぐには理解できません。意識的に「隠している」としか思いようがありません。

 それともう一つ、今回は大地震・津波・原発事故の複合災害であり、個々の「専門家?」がテレビ等で数値の説明をしても意味が有りません。過去情報に基づいて長々説明するよりも、今の状況にどう対処すべきなのか、「役に立つメッセージの発信」であってほしいものです。行政も機能しないし、結局は地元住民は現場の判断で行動するしかない、そんな感じですね。

 まだまだ被害は広がりそうで心配ですが、これまでに犠牲になられた皆さまに、心からお見舞い申し上げますとともに、この惨事から得られる教訓を今後に必ず活かしていきたいと思います。

今年の「助成財団の集い」で

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 公益財団法人助成財団センター(http://www.jfc.or.jp/)主催の「助成財団の集い:http://www.jfc.or.jp/tsudoi2010.pdf」が、180名を越える参加者で、今年も開催されました。

会場の星陵会館玄関

会場の千代田区永田町・星陵会館玄関:当日撮れた唯一の写真

 前半は内閣府の方から、一連の「移行認定」に関して、これまでのご報告と今後の留意点等について、ご説明がありました。後半は、下記のメンバーでのシンポジウムで、私もシンポジストの一人として参加する機会を得ました。

課題提起 「公益法人制度改革と民間助成活動の活性化」 コーディネーター・山岡義典さん(法政大学現代福祉学部教授)

シンポジスト 鮫島俊一さん(公益財団法人 旭硝子財団:http://www.af-info.or.jp/ 専務理事)

        加藤広樹さん(公益財団法人 トヨタ財団:http://www.toyotafound.or.jp/ 常務理事)

        秋山孝二(公益財団法人 秋山記念生命科学振興財団:http://www.akiyama-foundation.org/ 理事長)

 山岡先生から、民間公益活動の歴史等総括的な流れのご説明があり、次にそれぞれの財団の紹介を兼ねた15分程度のプレゼンでした。私のプレゼンは(2011214e7a78be5b1b1e38397e383ace382bce383b3e69c80e7b582e78988)このような内容です。

 当日の模様は、参加者のお一人、日本財団(http://www.nippon-foundation.or.jp/index.html)の荻上健太郎さんが、60近くも驚くほど「つぶやいて」報告して頂いています(http://twitter.com/mash_najo)。まさに「実況中継(?)」ですね!!

 民が担う公共の草分け的担い手・山岡先生、日本の民間財団として代表的な旭硝子財団・トヨタ財団の幹部の方とこの機会に何回かお会いして、財団運営の考え方、不断のイノベーション等、実に多くのことを学びました。民間の英知というか、品格の底力みたいなエネルギーを感じて、あらたな勇気が湧いて参りました。

 昨日、山岡先生は議員会館での寄付税制の緊急集会でもお話をされていました(http://www.ustream.tv/recorded/12709290)。現在上程中の税制改革法案、是非通過して欲しいですね!!

 公益財団法人への移行認定は一つの通過点、先日の秋山財団の理事会・評議員会でも議論されましたが、来年度以降、ホームページをフルに活用して双方向のコミュニケーションを充実させて、さらに飛躍したいと決意を新たに致しました。

 貴重な機会を与えて頂きました助成財団センターさまに心から御礼申し上げます、ありがとうございました。

地球規模でみる日本の少子高齢化

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 寺島文庫リレー塾(http://www.terashima-bunko.jp/)第6回は、公益財団法人さわやか福祉財団(http://www.sawayakazaidan.or.jp/)理事長・堀田力(http://hotta.sawayakazaidan-blog.org/http://www.t-hotta.net/)さんでした。

 当日は冒頭に堀田さんの紹介を含めて、寺島実郎さんがご挨拶。大先輩に対して失礼とは思いますがと前置きして、「こんな清々しい方」、「まっとうな日本人」、「元検察庁幹部がどうしてこんなに優しいのか」と表現し、この講演が「真面目に考えなくては」と思うきっかけとしてあることに期待感を滲ませました。

 講演は最初からしばらくは、一連の特捜部の事件についてでした、「実家が火事になっている感じ」と今の心境を率直に。検事が本来の真実を探求する強い情熱・志を失っていく、組織の劣化、怠惰への傾斜が、原因ではないかと分析していました。本題のテーマについては、日本の「少子高齢化」は国内問題としては毎日のように目にしますが、地球規模でこれを問いなおした貴重なお話でした。以下、キーワードを幾つか。

* 19世紀は1800対の戦争があったが、「民主国」対「民主国」の戦争は一つも無かった。すなわち、国民は戦争が嫌い

* 産業革命――>長寿 ――>死なない ――>産児制限 ――>少子化 :他の国の領土を取る必要がなくなる

* 「少子化」、「孤族」は先進国の方向性としては、「当たり前

* 発展途上国は早く「少子化」へ――環境問題・エネルギー問題・食糧問題の解決に向かう

* 戦争をしない民主主義国の取り組むべき課題:連合体を構成して経済のクッションとなるべき――>世界連邦へ

* 「モノ」「知恵」は経済の基本であり、金融だけで経済は動くものではない

* 先進国の労働力の海外流出は「当たり前」、付加価値企業が雇用増にならないのも「当たり前

* これまでも正しい方向で発展してきたし、これからも間違いはないだろう――>人間の「本能的に生きる知恵」を信じている、地球は他生物との共存からみても20億人くらいが適正規模ではないか?

* 経済が右肩上がりの時代は、「稼ぎ」に応じた評価で「つながり」は希薄:モノが無い時代は「モノの豊かさ」が価値。満たされた社会でも「ブランドの違い」が価値のうちは、未だに「競争時代:一億総中流」。それが更に進むと成熟期、すなわち「心の時代:つながり、快適さ、協働の喜び」の価値増大

* 介護・教育はすべて「ヒト」相手の仕事で、「心の満足」が重要な分野。今後はサービス業として成長戦略を目指すべきで、新しい仕組みを創り出す努力をしなければならない

 

 日本で課題視されている「少子化」を、グローバルな視点から論旨を展開する姿が新鮮で、「当たり前」と現実を捉えて対処していこうとする冷静さを感じました。ヨーロッパ先進諸国も同じ傾向であり、ただそのスピードが日本の場合最も速い、それ故に先行モデルがないことが日本の難しさとも指摘されていました。日本の21世紀的「成長戦略」のヒントを見つけました。

世界バレー・女子、32年ぶりのメダル!

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 先日開催された「2010年バレーボール女子世界選手権:http://www.tbs.co.jp/sebare/」で、全日本女子チームが32年ぶりにメダルを獲得しました。準決勝でブラジルにフルセットの末惜しくも敗れましたが、3位決定戦ではアメリカをフルセットで破り、堂々の銅メダルでした。

 私はバレーボールへのこだわり(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=27)があり、テレビ観戦していても冷静ではいられません。一生懸命拾い上げる選手を見ていると、つい拳を握って前のめりになってしまいます。いずれの試合も見たのは終盤のみ、とても最初からのエネルギーはありません。今回の世界バレー日本対米国(TBS系)の視聴率が20・5%(関東地区)だったとか。瞬間最高視聴率は、真鍋政義監督の勝利インタビューが行われた午後9時18分で35・9%で、前日に放送されたプラジル戦の視聴率は21・6%、瞬間最高視聴率は第4セットの22対22の局面で迎えた午後9時3分だったそうですね。

 それにしても、いつも感じているのですが、解説者の川合俊一はどうしようもないですね。富士フイルムでセンタープレーヤーだった時から知っていますが、とにかく大事な場面で全く気が弱い、昔の松平監督時代の全日本チーム知っている私は、彼が全日本男子のメンバーであったことが信じられません、そこまでチームの力が落ちていたのでしょう。その後の彼の活動を見ていて、どのフィールドで生きていこうとしているのか、良く分かりません。先日のテレビでも、観客同然で、「ウヮー」とか「キャー」としか言っていませんでしたよ。女子バレーに関しては、もっともっと優れた解説ができる人材はたくさんいると思うのですが、TBSとの特別な関係なのでしょうかね。

 今回の日本チームの活躍を見ていて、私は真鍋政義監督の采配が素晴らしかったし、それと同時にその前の柳本晶一(http://www.sponichi.co.jp/sports/special/fivestars/5stars_yanagimoto/kijilist.html)監督の手腕が素晴らしかったと思います。彼の現役・新日鉄時代のセッターも強く記憶に残っていますが、選手育成にかける「覚悟」に感動致します。将来の為に若手を積極的に使い、練習中も試合中も、そして試合後も常に選手への温かい眼差しを注ぐ、この間の日本女子バレー沈滞の流れを変えましたね。

 真鍋政義監督の「守りの強化」も的確でした。バレーボールで「守り」というのは、まず「ブロック」です。ブロックで確実にその後のレシーブするエリアを決める、或いは相手アタッカーに打たせるエリアを決める、要するにレシーブするエリアを出来るだけ狭めて拾いまくる、その戦略ですね。全てのアタックを止める必要などないのです。そしてレシーブは、諦めずに「床とボールの間に手を入れて」しぶとく拾う、昔の全日本女子・山田重雄監督が私に言った言葉を思い出しました。

 ブラジル戦を見ていると、決して勝てない相手ではありません。第2セットの驚異的粘りは、これまでの全日本とはひと味もふた味も違った「強さ」を感じました。ただ、序盤・中盤・終盤の戦い方、点の取り方を変えなければなりません。会場の観客は、スタートの一点から大歓声ですが、選手・監督は冷静さが必要です。そして、終盤の「ここぞ」という場面用のサーブ、攻撃パターンの「秘策」もコマとして重要です。

 以前は終盤戦の崩れた時は、「オープンにトスを上げて、エースで勝負」と決まっていたような気がしますが、先日の試合を見ている限り、これまでの日本の常識を破り、勇気を持って新しい形でポイントを取っていました。バックアタック、荒木の速攻など良かったです。

 今回の日本チームの試合を外国チームは研究して、また日本対策を進めるでしょう。それを上回る戦略・戦術を、真鍋政義監督ほかの首脳陣なら考えて実行してくれると確信しています。取り敢えず、今回の銅メダル獲得、おめでとうございます!

朝日地球環境フォーラム2010

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 今年で第3回目、「朝日地球環境フォーラム2010:水と緑と太陽と」が開催されました(http://www.asahi.com/eco/forum2010/)。混み合うとの事前メール案内があったので、約1時間前に会場のホテルに行きました。入口付近でビラ(冊子)を配る市民団体風の方々、受け取って後で読むと「武田薬品湘南工場跡・湘南研究所建設」に反対する内容(http://www.shounan.biz/)でした。

 会場入り口は物々しく、空港と同じ手荷物検査機による警備でガードマンも数多く配置され、その中をくぐり抜けてやっと「一般・公募出席者」の座席にたどり着きました。オープン前の舞台に向かった光景が下の写真です。私たち「一般(?)」の前は、「講師席」、「講師関係者席」、「特別招待席」、「関係者席」の各札が張り巡らされて、前方全て、全席の3割くらいはこれらに割り当てられていましたでしょうか。 

ある種、異様な光景でした

開始前、ある種、異様な光景でした

  ちなみに、フォーラムが始まり、「講師席」、「講師関係者席」は6割程度埋まり、それ以外の指定枠はほとんど空席のままでした。別の目的を意図したと思われる奇妙な光景でした。翌日の紙面では、勿論、ただ演壇上だけが掲載されていましたが・・・・。現場に居なければ分からない臨場感(?)でしたね。

 フォーラム・パネル参加者(http://www.asahi.com/eco/sympo2010/speakers/index.htm

 パネラーの皆さんはそれぞれ論客ぞろい、オリビア・ラム(http://globe.asahi.com/feature/090525/01_1.html)さんは特に魅力的でした。アメリカのパトリック・クローニン(http://amesei.exblog.jp/10543824/)さんは、新しい日米関係を象徴する「グリーン同盟:Green Alliance」を提唱しましたが、風貌からは「環境系」というより「国家安全保障系」という感じではありました。

 武田薬品工業(株)(http://www.takeda.co.jp/about-takeda/message/article_88.html)の長谷川閑史(やすちか)社長は、冒頭に「日本は水に恵まれていると思っている人たちが多いが、大変な間違いである。食料の外国からの大量輸入は、取りも直さずそれぞれの国・地域の水を消費して初めて成り立っていることを認識しなければならない。そう考えると、日本人をまかなう「淡水」は枯渇の危機にある」と語られました。公益社団法人経済同友会・副代表幹事でもあり、昨年の経済同友会・全国会議が札幌で開催された時(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1272)に、個人的にご挨拶をさせて頂きました。原子力発電へのコメントには違和感がありましたが、グローバル経済での豊富な経験に基づき、含蓄のあるコメントでした。

 パネルディスカッションの前に、京都造形芸術大学教授・Earth Literacy Program代表・竹村真一先生のデモンストレーションでした。デジタル地球儀「触れる地球:(http://www.elp.or.jp/video/tangibleEarth/index.html)」を使ってのパフォーマンス(!)は強く印象に残りましたね、本当に宇宙からリアルな地球を眺めている感じでした。2年前のG8・洞爺湖サミット開催時、留寿都の国際メディアセンター(IMC)で「五つの触れる地球:http://www.tangible-earth.com/tearoom/」を見ましたので、久しぶりの再会でした。秋山財団もパートナー企業で参加している「日刊温暖化新聞」にも登場しています(http://daily-ondanka.com/thoughts/tkmr_01.html)。

 「水問題」は、「食糧問題」、「エネルギー問題」、「安全保障問題」であり、国際社会の中での未来に向けた議論が必要なのでしょう。「Natural Security」、「Green Alliance」等、いろんな言葉が飛び交っていました、この分野で日本のイニシアティブは、本当に重要だと思います。朝日新聞社のこのような取り組みに敬意を表します。

世界へ羽ばたけ、山﨑葵さん!

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 我が後輩、高校2年生の山崎葵(http://pksp.jp/yamazakiaoi38/?o=0)さんのライブ(http://www.concarino.or.jp/2020/12/yamazakiaoi/)が、札幌琴似・コンカリーニョ(http://www.kotoni-works.co.jp/company/06/shop/B11035/B11035.shtml)であり、200名を越えて満員の盛況でした。若い観客が多く、私ともう一人の同期生・篠崎正明くんは、最高齢に近い部類だったでしょうか。

発売中のアルバムから

発売中のアルバムから

続々と入場するお客さん

続々と入場するお客さん

  彼女は昨年12月に、自分の曲「ユメノナカ」で第3回ヤマハ・ミュージックレボルーションでグランプリ受賞に輝きました(http://www.youtube.com/watch?v=1_Vr38fAaNo)。

 今年6月に続いて2回目(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=4447)の間近のライブ演奏で、今回3部構成の中で、私は正直、最後の静かな「弾き語り」が心地よかったですね。しかし一部・二部のバンドと一緒の演奏も、若さあふれるエネルギーがまぶしく、今後の無限の可能性を感じもしました。サプライズで終わりに歌った彼女の仲間の女性は、何というかとてつもなく上手でしたね。

 トークでは、狸小路の路上ライブも時々やっているとか。午後8時過ぎの狸小路では、沢山の若者たちがそれぞれにライブを披露しています。韓国・中国からの観光客と思われる方々にもアピールする「何か」があるのでしょう。昔の狸小路には、そんな爆発するエネルギーみたいな力がありました。彼女もアジア系の方々の反応を受け止めているようです。

 このライブ、34期の同窓生が中心となってこの間の準備をされて、当日は朝から舞台の設定他、仕込みも手造りでやり遂げました。そんな40代前半パワーにも心から拍車を送ります。これからどんどん活躍する姿を楽しみにしていると同時に、私たちの世代も応援しています。当日買ったCDは、早速家で聴きましたよ。

 まぶしい程のエネルギーに感謝します!

広島・長崎から「核なき世界」へ

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 6日広島、9日長崎での原爆慰霊祭は、今年は殊のほかメディアの注目度も高かったような気がします。昨年、私は広島・長崎に行ってきましたhttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1602

 潘国連事務総長はじめ、アメリカ合衆国のルース駐日大使、フランス・イギリスの大使も初めて参加し、「核なき世界」に向けた新たな時代の到来を感じました。昨年4月にチェコ・プラハで、オバマ大統領が「核廃絶」に向けた歴史的演説(http://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=1100)を行い、その2ヶ月後に私自身、演説が行われたプラハ・フラッチャニ広場周辺に立っていました。子供連れでその場に参加された地元の方は、オバマ大統領の勇気に感動したと語っていました。その後の報道では、「そうは言っても難しい」等のコメントも散見され、相変わらず志の低い日本国内メディアの論調と従来型のコメンテイター群です。

 式典での菅総理大臣とそれぞれの市長のメッセージに、かなりの落差があったのも印象的でした。国際社会の大きな変動の中、この時期に記者会見で「引き続き核の傘の下」をことさら明言する日本のリーダーのセンスに失望します。現実的実践は勿論一歩一歩の交渉であるのは間違いありませんが、この時代の変わり目のこの日にこそ、これからの日本の目指すべき理想をしっかり国際社会に発信する責務があると思います。今言わずして、一体いつ語るのか!

 各国政府代表ばかりではなく、米国人作家のチャールズ・ペレグリーノ(http://www.charlespellegrino.com/)氏も、9日の長崎の平和祈念式典に参列したようです。原爆投下をめぐる著作「ザ・ラスト・トレイン・フロム・ヒロシマ」を1月に出版しましたが、虚偽証言が含まれていたため出版停止になったそうですね。「大きなミスを犯した」と釈明したうえで、「新たに聞いた被爆者の話を加え、書き直した」と再出版への意欲を示してもいるようです。

 この所、テレビではNHK各局を中心に、二重被爆者、被爆者二世等の活動も例年になく報道されています。若い世代の「受け継いでいく責任」等、以前は被爆体験者の高齢化とかネガティブな話に終始していましたが、ここでも時代の変化を感じ取れます。

 そう言えば、先日、NHKテレビ番組で、「核兵器不拡散条約:NPT(Nuclear Non-Proliferation Treaty)http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/npt/gaiyo.html」について分かりやすく解説していました。相変わらず説明では、兵器の場合の「核」と、エネルギーの「原子力」を意図的に分けていましたが、国際社会的にはいずれも「Nuclear開発」です。日本も国際社会的には十分「核の原材料保有国」となります。

 日米安全保障条約改定に絡む「密約」も明らかになった今、時間をかけてアメリカと軍事同盟だけでなく、本来の日米関係の今後を議論する「場」の設定を創設したいですね。それにしても、過去の歴史的資料もメディア報道も、ことごとくアメリカからの情報をきっかけとして明らかになっている現状は、到底自主自立の先進国とは思えません。

 毎年、「戦争」を深く考えさせられる夏ですが、今年もまた重い8月です。

北を語る会・移動例会(後)

Posted by 秋山孝二
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  一日目の余韻に浸りながら、二日目の最初は観光地の中の観光スポット・富良野「風のガーデン:http://www.princehotels.co.jp/newfurano/facility/garden/」、昔のゴルフ場には2回程行ったことがありましたが、途中から天を横に走る激しい雷だったのを覚えています。今では「ガーデンブーム」の先駆けとして人気沸騰ですね。昼食は美瑛町「ファームズ千代田:http://www.f-chiyoda.com/index.htm」でした。

 午後一番は、美瑛町「新星館:http://www.hokkai-bin.com/journal/k-05-sinseikan.html」、ここの大島館長は、東大阪にあるお好み焼き屋「伊古奈:http://www.lococom.jp/article/A27/28/227/30467/96124/L/」のオーナーです。東大阪のお店の近くには、司馬遼太郎記念館(http://www.shibazaidan.or.jp/)もあります。

砦の上の「明新館」

美瑛軟石の石垣・「新星館」

  とにかく、周辺の雰囲気とは大きく異なった「砦」のような美瑛軟石による石垣の上、大島館長にお聞きすると少しの表土を取り除くとこのような岩がごろごろしている土地柄とのことでした。館内には須田剋太(http://www.osaka-art.jp/genbi/suda/about_suda.html)の力のある絵画・書、島岡達三(http://www.koumi-town.jp/museum/exhibition/shimaoka.htm)の作品が集められていて、強いメッセージを感じました。

熱烈館長

熱烈:大島館長・須田剋太を語る

  続いては、上富良野町「後藤純男美術館:http://www.gotosumiomuseum.com/index.html」です。日本画の大家、北海道の風景もたくさん書かれています。オホーツクの流氷、十勝岳連峰等の作品は大変な迫力で釘付けになりました。「白色」とひとくくりにしても、多彩な種類で表現されていて、作品からは厳寒の張り詰めた緊張感が伝わってきます。絵具の原材料が違うのだと、長時間熱心にご案内して頂いた館長から伺いました。

「後藤純男」美術館・玄関

「後藤純男」美術館・玄関

  夜は白金温泉のホテルで、旭川からお越し頂いた旭山動物園(http://www5.city.asahikawa.hokkaido.jp/asahiyamazoo/)園長・坂東元さんのご講演でした。「伝えるのはいのちの輝き」と題してのお話は、前任の小菅正夫園長(高校の2年先輩:http://www.asahiyama-movie.jp/interview_encyo.html)とは一味違うキャラクターで、「野生のいのち」と真摯に向き合ってきた体験がにじみ出ていて、本当に感動しました。「行動展示」よりも「営み展示」の方がより的確な表現である、「入場者数」を最優先で追い求めると動物が単なる「道具」となってしまう、動物園の目的はいらっしゃった人々の満足度向上であるべき等、的を射たメッセージの数々でした。知床が世界遺産に指定されて5周年記念イベントの帰り、大変お疲れの所を来て頂き心から感謝でした。

旭山動物園・坂東園長の熱弁

旭山動物園・坂東園長の熱弁

  翌朝は、前日に続いて再度、「十勝岳望岳台:http://www.ekinavi-net.jp/railway/jr-furano/biei/bogakudai.html」からの眺望にチャレンジしました。頂上付近は流れる雲で覆われていましたが、周辺の雰囲気も十分伝わってきて、圧倒的な自然の景観を目の当たりにして、何か深々とお辞儀をしたくなる気持でした。

 連日の超一流の場・講演者・演奏者から、本物の「いのち」、「文化」が発する輝きとエネルギーをたっぷり浴びて、大変贅沢な旅となりました、皆さん、ありがとうございます!

「札幌地下広場」は完成近し?

Posted by 秋山孝二
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  札幌市中央区大通西3丁目に「北洋銀行大通ビル」が完成し、地下鉄大通駅から地下で直結もしました。その結果、大通駅からJR札幌駅方面の地下通路を見ることができるようになりました。

地下通路:大通から駅方面を眺めると

地下通路:地下鉄大通駅からJR札幌駅方面を眺めると

  完成オープンにはまだまだ時間が掛るのでしょうが、イメージはつかめますね。現在いろいろな構想・計画が検討されています。ただの「通路」としてではもったいない「空間」ですね、まさに「新しい公共の場」として市民のアイディアを出していきたいものです。札幌駅北口通路・北1条地下駐車場上の通路みたいな殺風景な場だけにはしたくありません。センスが悪いし、まちづくりの情熱も発想も感じません、まさにカネを使うのが目的としか、私のように札幌のマチを愛する者からするとそう感じてしまいます。

 「通路だ、広場だ」と言うと、1969年前後の新宿駅西口地下「広場」を想い出しますね。「フォークゲリラ」が出現して、大変な数の若者を毎回集めていました。「死んだ男の残したものは(1965年)http://www.youtube.com/watch?v=DABGM-4t5Po&feature=related」、「自衛隊に入ろう:高田渡(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=sywgy3YPtec&feature=related」、「フランシーヌの場合は:新谷のり子(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=5dVgVwBe8Os&feature=related――フランシーヌとは、1969年3月30日にベトナム戦争に抗議して焼身自殺したフランス人女性フランシーヌ・ルコンテ(Francine Lecomte)のこと」、「イムジン河:ザ・フォーク・クルセダーズ(1969年)http://www.youtube.com/watch?v=M6I7byV5Zu8」、「さとうきび畑:http://www.youtube.com/watch?v=tyB9z2C98tM」、何回も「ここは通路である」と絶叫する警備陣に追い立てられていましたが、引いては集まるそのエネルギーは、時代の空気なんですね。

 新しく出来上がる札幌の地下「広場」も、腕章をはめた警備員たちが追い払うように立ちまわる無粋な場面だけは、やめて貰いましょう。狸小路1丁目から5丁目界隈の午後8時過ぎには、若者グループのライブ(練習?)で賑わっている、あんな風に是非、若者が集い・つながる「場」にしていきたいですね。

「環境」への新たなアプローチ

Posted by 秋山孝二
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 先日東京で、「富士通フォーラム:https://forum.fujitsu.com/2010/tokyo/report/?fjsmnroute=F_am_tm03」が開催されましたが、そこでの特別講演は枝廣淳子さんでした。ジャパン・フォー・サステナビリティ( JFS:http://www.japanfs.org/ja/共同代表 ほか環境分野で大活躍されています。今回は「持続可能な社会を目指して~世界の動向と日本企業への期待~」と題して500名程の聴衆の前で、中国語、英語、文字電光板も用意されて、素晴らしい講演でした。会場の設え等、時の移り変わりも感じましたね。以下、印象に残る幾つかの点をメモします。

* 温暖化よりも先に来る「エネルギー問題」、そして「食糧問題」

* これからの環境問題は、時間軸を意識した「バランス良く全体を」考えた取り組みが重要

* 「生物多様性」はストックの問題、「生態系サービス」はフローの問題、と理解すべき:「つながり」と「バランス」がキーワード

* 現在は、「次の長期的均衡を探る混乱期」と位置づけられる――パイの拡大から配分へ、買わない消費者の出現、量的拡大から質的成熟へ、GDPからGNHへ

* 「3脱」の時代: 1)くらしの脱所有化(クルマ、本、CD)、 2)しあわせの脱物質化(つながり)、 3)人生の脱貨幣化(半農半X)

* 競争方位は、「ヒト、モノ、カネ」が自社を越えて、「伝える力」、「つながる力」、「共創力」等のコラボレーションへ――企業・NGO・セクターを越えて「共創型パートナーシップ」がキーワード

* 「チャネル」から「場」へ、マルチ・ステークホルダー(MSH)

* 真の多様性は「真の対話:ダイアローグ」の作法に則って展開されるべき

 

 一方、北海道では、「環境」活動の中間支援4団体がテーブルに着き、「コンソーシアム」を形成して市民活動支援に取り組みつつありますhttp://blog.akiyama-foundation.org/weblog/?p=3137

 新しい環境への取り組みは、ローカルにもグローバルでも進展しているようですね。

Smarter Cities

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 日本アイ・ビー・エムの広報誌「無限大」最新号http://www-06.ibm.com/jp/ibm/mugendai/no126/index.htmlは、特集「Smarter Citeies 2050年、来るべき都市の未来のために」です。他社の広報誌と比べて格段に深いメッセージに、毎回注目しています。

表紙:リビアのローマ遺跡からメドゥーサ像

表紙:リビアのローマ遺跡からメドゥーサ像

 冒頭のグラビア「古代都市からの伝言」では、世界各地の砂漠化した古代都市の遺跡群の光景です。近い過去ではアラル海の写真も不気味な様相から多くのメッセージを発しています。これは想像ではなく、現実であるがゆえにですね。

右・サハラくみ上げ井戸の土台、左・アラル海

右・サハラくみ上げ井戸の土台、左・アラル海

 

 1世紀前、人口100万人以上の都市はわずか16だったそうです。現在は、その数450にものぼります。そして世界の都市人口は13%に過ぎなかったのが、現在すでに50%を越えていて、2050年には70%に達すると予測されると。

 便利で暮らしやすい都市を目指すだけでなく、限りある資源利用の最適化をすることにより、地球とともに生きる知恵も必要なのでしょうね。「エネルギー」「行政サービス」「交通」「教育」「医療」等においてです。そこには「テクノロジー」とともに、「リーダーシップ」の必要性も極めて重要なのでしょう、すべては、人間の営みですから。

 身近な「まちづくり」にも、この程度の哲学と理念が必要です。執筆者の見識の高さを感じ、多くのヒントを得ました。

キリンとサントリーの「破談」に思う

Posted by 秋山孝二
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 世界最大級の酒類・飲食会社を目指し(?)経営統合交渉を行っていたキリンホールディングスhttp://www.kirinholdings.co.jp/とサントリーホールディングスhttp://www.suntory.co.jp/でしたが、8日「打ち切り」を表明しました。メディア的には「破談」と言うらしいですね、新聞報道によると「両社の認識が一致しなかった」との理由だそうです。また、創業家と統合比率も大きな不一致材料だったと複数の報道もされています。

 この種の報道の時に、よく結婚前の「お見合い」に例える方が多いのですが、私は大変不適切だと思います。「お見合い」を一度も経験していない私ではありますが、昨今の「結婚」は大変多様ですし、大体伝統的なものが男女対等の関係とも思われません。「嫁をもらう」とか、仲人とか、およそ企業のM&Aとは無縁の構図だと私は以前から感じていましたが。

 直近5年間を見ても、ライブドアとニッポン放送(05.4)、王子製紙と北越製紙(06.8)、楽天とTBS(09.3)、日本通運と日本郵政グループ(09.9)等、経営統合交渉が打ち切りになった事例が目立ちますが、私にとっては「何か軸が違っている」、或いは「そもそも経営統合の目的でトップ同士の意思確認が出来ていたのかどうか」、トップ同士の信頼感に関して疑問を抱かざるを得ません。

 今回の場合、東証1部上場会社のキリンと、創業家が株式の9割を保有する未上場会社のサントリーとでは、外部の目からも、当初から「経営」と「所有」に対しての認識に大きな違いがありましたね。むしろ、よくこの状態でM&Aのテーブルに着いたな、と思っていました。そんな意味からは善悪の問題ではないのですが、今回の「打ち切り」は前向きな決断かもしれません。

 というのも、私は、1998年に医薬品卸業界で(株)スズケンhttp://www.suzuken.co.jp/と(株)秋山愛生舘の大型M&Aの一方の経営者として事に当たり、当時業界再編成の先駆的事例となった経験があるからです。ともに東証上場企業であり、トップ同士の信頼も最後まで崩れることなく交渉は進みました。「統合比率」でもめるなど、今振り返っても少しの可能性も無かったと思います。上場会社には株式市場で決まる「株価」がありますし、財務諸表も開示されていますので、予め大体の予測はつきます。極端に言えば「自ずから比率は決まってくる」に近い項目ではないでしょうか。腹の探り合い、創業家の主導権維持等での統合比率交渉だとすれば、事業統合の目的を見失った経営者の姿としか思えません。

 ただこんな経験もあります、私が合併後に関わった未上場会社との事業統合交渉では、毎回この「統合比率」、別の言い方をすると、未上場会社の社長の「俺の会社の株価をいくらに評価してくれるのか」という発言で、もめていました。自分の財産をどう評価するかが、創業家の経営者にとって、結局のところは最重要課題である場面を目の当たりにしました。

 私は1997年7月、(株)秋山愛生舘の5代目社長として、自分で事業統合への思いを「合併の趣旨」として冒頭に記載し、合併契約書を締結しました。当時相手方の(株)スズケン別所社長に事前にこの趣旨を提案した時、一言「これで結構です」とおっしゃいました。殊に「社会的使命」と「ビジョン」については、激変する社会環境への対応と果たすべき役割を共通理念としており、業務提携以来3年半に渡る経過で得た成果だったと自負しています。東証での記者会見の時、これに対する質問はどの記者からもありませんでしたが・・・・。

以下、その一部を抜粋して書き留めます。(下線は、ここに掲載の為に私が挿入したものです)

 

 

 <合併の趣旨>

両社が19942月に業務資本提携を締結して以来、約3年半が経過いたしました。この間、経営的視点からは、「21世紀に勝ち残る『新しい価値創造』が両社で可能かどうか」、「進化していく『力』が存在しうるか」、が最重要課題でした。一方各層での意見交換の場としての提携推進委員会の活動を通じて、商品供給、教育・研修、情報システム、新事業の開発と協同推進等の分野で相互理解を深め、幾つかの実績をあげて参りました。

 

この間の提携を冷静に総括し、

1)新しい価値創造の基盤、すなわち共有すべき理念(使命・ビジョン・価値・責任)

2)新しい価値創造のエネルギー、すなわち異質であるもの  

の存在に確信を得ました。異質なるものの確認は、この提携のマイナス要素ではなく、激しく変化する環境の中で、生き残るエネルギーとしてむしろ評価すべきものです。異なった地域で育ってきた人材、企業の成長過程、風土等は、多様性を包含出来得る可能性と評価し、新しい企業文化の創造に向けた限りない潜在的エネルギーとして、寄与できるものと確信しています。

 この様な背景の中で、異質なるものを包含した両社が、一歩進んで『新しい会社』を目指して合併する事により、激変する経営環境を乗り越える広域卸業としての確固たる経営基盤を築くことが出来るとともに、国内市場のみならずアジア等海外市場にも雄飛していくことを可能ならしめるものです。

 

企業理念として次の様な点において、基本的に同一の認識を共有しています。

社会的使命: 両社は、心から生命をいとおしみ、社会の幸福と繁栄を革新的に推進する「総合健康創造・支援企業」です。

ビジョン: 両社は、国際的視野を持って、常に力強く変革を遂げ、顧客・両社で働く全ての人々・ビジネスパートナー・地域社会・株主に対する責任を果たし続ける良き企業市民を目指し、すべての人々が信頼し期待するリーディングカンパニーになります。

 このような考え方のもと、両社は対等な精神で両社の経営資源を統合し、もって両社の社会的使命を確実に実現して参ることで合併に至ったものであります。

 

 この経験はもう10年以上前ですが、今も私はM&Aの話が出てくる度に、この「合併の趣旨」を越えるものは無いと考えています。共有する基盤は必須要件ですが、かと言って全く同じものであれば、規模が大きくなるだけで新しい価値創造はありません。「異質なもの」が交じり合う(ぶつかり合う)ことによって新しい価値創造のエネルギーとなり、全てにおいて一致している必要はないでしょう。。更に、「認識の共有」と「統合比率」は基本的に全く別問題、「株主比率」と「経営の主導権」も、別です。

 企業の生き残りをかけた選択は、まさに「理念」の勝負だと、私はささやかな自分の経験から思っています。

富良野塾、「谷は眠っていた」

Posted by 秋山孝二
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 昨年は2月に、富良野塾の公演「屋根」に行きました。今年は「伝説の舞台、最後の公演!」と宣伝されている「谷は眠っていた」を見て参りました。http://www.furanogroup.jp/

車内の広告

車内の広告

 折からの風雪で高速道路が閉鎖され、昨年利用したバス「高速ふらの号」は運休で、急きょJRにより滝川乗換えで富良野に到着しました。滝川から富良野までの列車は一両、乗客は通学の高校生、比較的年配の方々と、地域の貴重な足として活躍していました。

JR富良野駅で

JR富良野駅で

 「富良野GROUP ロングラン公演 2010冬:谷は眠っていた~富良野塾の記録~」で、作・演出の倉本聰さんは26年間の富良野塾活動を振り返っています。「この春、富良野塾は26年間の幕を閉じますが・・・」で始まるこのメッセージに、倉本さんはじめ歴代の塾生の方々の並々ならぬ努力と精進の軌跡を感じます。

富良野演劇工場入口で
富良野演劇工場入口で

 実際、約2時間の公演では、鍛え上げた肉体の織りなす数々の場面は興奮の連続でした。歌詞を変えての中島みゆきの「ファイト:http://www.youtube.com/watch?v=zAVAwvKpokw」、さだまさしの「風に立つライオン:http://www.youtube.com/watch?v=TTYZn1EVWl0」も、彼らの思いとぴったりで力強かったですね。若い役者たちの躍動感あふれる舞台から、沢山のエネルギーを貰いました、感謝です。

活躍する後輩に、乾杯!

Posted by 秋山孝二
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 青春のホンの一時期、同じ学校で学んだ(遊んだ?)だけなのに、その歴史が時間軸で「同窓生」として脈々と繋がる、そんな不思議な意識は誰にでもあるのでしょう。多様性という意味では、私は高校時代がその後一番多彩な人材を輩出している気がします。

 9月に行われた「音と光のパフォーマンス」でも、15年後輩の勝井くん他のエレクトリック・ヴァイオリンと映像の新しい試みのひと時でした。「VJ」なる言葉も初めて聞き、後半のトークでの解説がないと、疲労感が強く私にはよく理解出来ませんでした。新しい時代はこうやって新しい担い手によって創造されていくのでしょうね。当日は現役高校生も多く来ていて、最前列でライブを楽しんでいました。

勝井祐二http://www.katsuiyuji.com/、迫田悠http://www.sakotaharuka.com/

VJ:ビデオジョッキー(video jockey)または ビジュアルジョッキー(visual jockey)とは、映像を素材としてディスクジョッキー(DJ)と同様の行為を行う者を指すそうです。略称は「VJ」、DJと同じく、2通りの意味があるとのこと。

http://www.youtube.com/watch?v=skVbPzVuXMg

エレクトリック・ヴァイオリンと映像

エレクトリック・ヴァイオリンと映像

 
 一方、秋の高校野球北海道地区大会では、我が後輩たちが頑張っていました。試合ごとに力をつけて決勝戦まで進みましたが、惜しくも敗れました。私も円山球場に応援に行ったのですが、順延となった晴天の中、大変な人出で外野も開放してお客さんを収容していました。終了後のOB会懇親会には池田監督も途中駆けつけて、42歳の大変爽やかな口調で今後への抱負を語ってくれました。私は野球部員ではなかったので賛助会員ではありますが、77歳の大先輩の当時の練習・試合模様のお話、大事な場面でタイムリーエラーをしたOBの話等を、久しぶりに涙が出るほど笑いながらお聴きしていました。

監督に感謝

監督に感謝

  元気な先輩の姿、溌剌と活躍する後輩・現役の姿から、私自身エネルギーを貰って幸せな気分になります。何度も書きますが、自分自身の高校生活は本当に納得のいかないものだったのです。今こうやって集えるのは、それゆえに本当に心から感謝ですね。

ムハマド・ユヌス総裁の感動的メッセージ

Posted by 秋山孝二
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 先日、北海道大学・北海道新聞連携マイクロファイナンス・シンポジウムが開催されました。秋山財団もネットワーク形成事業の一つ「社会起業研究会」で関係もあり、後援に名前を連ねていました。

http://www.akiyama-foundation.org/network/tema02.html

 2006年ノーベル平和賞受賞者、ムハマド・ユヌス:グラミン銀行総裁を囲んで、「貧困のない社会づくりを目指して」と題しての基調講演、その後のパネルディスカッションでした。会場には溢れる聴衆で大いに盛り上がり、特に若い世代の方々が多かったのが嬉しかったですね。質疑応答も活発で、内容も濃かったです。

パネルディスカッション

パネルディスカッション

 基調講演では、ユヌスさんのお人柄を滲ませる貧困者への優しい眼差しと、既存金融機関への痛烈な批判に、会場からは割れんばかりの拍手が鳴りやみませんでした。

*公的生活保護等から如何に抜け出せるような手立てが大切――ここにマイクロ・ファイナンスの神髄がある

*人に頼らないで生活できる世界(一人一人が自立している)――貧困のない世界、福祉制度のいらない世界が理想

*昨年9月以降の世界金融恐慌、食糧、エネルギー等の課題は、これまでの枠組みの問題であり、変革への良い時期である

*マイクロファイナンスはバングラディシュばかりでなく、先進諸国でも社会的起業と市民の自立促進で機能する

*「貧困」は、どんな人権も拒否される状態であり、これは経済の問題に止まらず平和を脅かす「時限爆弾」

まだまだ、メモに書き留めたものは沢山ありますが、道新紙上にも近いうちに掲載されるとの事ですので省略致します。

 パネルディスカッションでは、越田清和さんのプレゼンテーションが抜群に良かったですね。ユヌスさんは、昨年のG8サミット市民フォーラムのオープニングでお招きしたい筆頭候補でしたので、今回実現して大変嬉しかったです。貧困問題が、安全・治安の問題であり結局は平和の問題となる脈絡を、実に分かりやすく説得力がありました。

 一つ極めて残念だったのは、北海道知事がユヌス総裁の基調講演の途中から遅れて入場、パネルディスカッションでは今度は用事があるとのことで、檀上から途中退席したことです。いかなる理由があろうとも、今の北海道の現状の中でマイクロファイナンスの重要性とユヌス総裁の存在を考えるなら、最優先出席事項として位置づけてしかるべきだと思いますが。発言の中で、「北海道にいらっしゃったことを歓迎します」と形式的におっしゃっても、プレゼンスが伴っていないではありませんか。

翌日・新千歳空港カウンターで

翌日・新千歳空港カウンターで

ストーリーはこれでは終わりませんでした。

 翌日早朝、私が新千歳空港から海外へ出かけようとチェックインカウンターにいると、ムハマド・ユヌスさんとバッタリお会いしました。「やあ、コージ!」とはおっしゃいませんでしたが、素晴らしい講演に対する感謝を直接個別にお伝え出来て、本当に感激致しました。何と表現して良いか分からない程オーラのあるお姿に、言い表せない感動をおぼえました。

生ごみは宝だ!

Posted by 秋山孝二
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 先月、「第17回生ごみリサイクル交流会http://www.taihika-kyokai.or.jp/kouryu/17th/17th.htm」が早稲田大学国際会議場で460名の参加で開催されました。今年のテーマは「生ごみは宝だ!」です。
早稲田の杜

瀬戸理事長のご挨拶

瀬戸理事長のご挨拶

NPOたい肥化協会http://www.taihika-kyokai.or.jp/ 主催のこの会は、全国の自治体の方々、地域住民、地元企業とのコラボレイトにより、生ごみの堆肥化技術に地道に取り組んでいます。理事長の瀬戸昌之先生は、4年前の秋山財団第14回講演会にお招きし、「持続可能で豊かな社会を展望する」と題してお話をして頂きました。

今回の交流会では事例発表として、1)「地球温暖化防止に向けて環境の里づくりが進む~自然エネルギーの活用、森林の保全、土づくりセンター」――高知県梼原(ゆすはら)町  2)「食品残さのリキッドフィード(発酵させた液状エサ)で養豚~できた肉は店で販売する“食品ループ”を実現」――小田急フードエコロジーセンター でした。

いずれも大変熱のこもった報告で、「資源の循環」と「食の循環」とは車の両輪であることを再認識しました。

瀬戸理事長もお話をされていましたが、生ゴミというとすぐに堆肥化と考えがちですが、比較的新鮮で異物のないものは豚のエサに、ある程度新鮮で異物のないものは堆肥化に、そして古く異物のあるものはメタン発酵に、というのが今のトレンドのようです。

会の冒頭でご挨拶をされた早稲田大学の寄本勝美教授は、「協働とは信頼関係を行動に移すこと」と定義されていました。そして点の取り組みを線から面へ地域づくりに発展させる活動がこの会の原点であると。

21世紀の持続可能なライフスタイルには、「小さな循環」そこにエネルギーも食も何も、活動のヒントがあるような気がしますね。

きたネット・カフェ、「戦争と環境」

Posted by 秋山孝二
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 今年5月に私は「NPO北海道市民環境ネットワーク(きたネット)http://www.kitanet.org/」の理事長に就任しました。環境系の市民活動には素人の私ですが、北海道各地で活躍する皆さんの中間支援組織の一翼として、少しでもお役に立てればとの思いでお引受け致しました。

先日、定期的に開催している「きたネットカフェ」で、私は6月に訪問したチェコ・ポーランドの旅から、「戦争と環境」というテーマで発表の機会を与えられました。訪問を振り返れば返るほど重たく、発表でも環境との繋がりはむしろ参加された方々からの意見交換で深まったような気がして、私にとっても貴重な場となりました。結論は「戦争は最大の環境破壊」である、そのことに疑いはありません。

ちらしより

ちらしより

当日参加された方から早速ご感想も頂きました。二つだけご紹介します。

Oさんから: 昨日の旅行記、ありがとうございました。重いテーマは、ヘスを含め戦争当事者たちと私たちが地続きにいることへの不安であり、それがもたらす緊張ではなかったかと思っております。「システム」としての戦争と、経済を推進するシステムは表裏一体のようなところもあります。だからこそ、常にブレーキをかける心つもりとそのエネルギーを保持し、維持していなければ後々、悔やむことになるのだと思います。

年寄が戦争を始め、若者が死んで行く理不尽さは「生命(いのち)」を根本のところからとらえていなければ、社会の空気に流されてしまうことも確かかと思います。

 

Sさんから: 昨日のテーマは何とも重たく、私にとっては軽卒に発言できないと 思いました。あの後、スポーツクラブに寄ってから帰ると深夜になっていましたが、NHK BSで、旧日本兵への取材番組が放映されていました。いずれも90歳前後の方々で、戦場で上官に命じられて敵兵を殺したことを告白したり、あるいは、極限の行軍で病気で苦しむ戦友を楽にするため自ら引き金をひいたことなどを涙ながらに語っていました。その方々は、90歳になってはじめて話したとのことでした。奥さんも子供さんも聞いた事のない話を死ぬ間際に語っ たとのことです。(いずれの方もその後数ヶ月のうちに亡くなった との事です。)彼らは戦争を肯定することはしないが、戦場で死んだ仲間を考えると、過去の戦争が”無意味だった”とは絶対言えないということです。それを言ってしまっては彼らはムダ死にをしたことになるから。そして、生き残って戻って来てしまったことに複雑な想いを感じているようです。品川さんの話にも通じています。

経済的利益が主導する人類の暮らしの価値観を転換させないと戦争というのは無くならないものなのでしょうか?

 

沢山の方々にお集り頂き、真剣な意見交換のひと時に心から感謝申し上げます。戦争体験者ゆえに戦争を語れない、その事を云々言う前に、戦争体験の無い者ゆえに伝えることが出来る、或いは伝える責任がある、そう考えることも出来るとは思いませんか。

津軽三味線白田くん、新春ライブ

Posted by 秋山孝二
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 津軽三味線の若手ホープ白田路明くんhttp://con-sent.net/peace/shirata_michiaki/が、若手3人とのコラボレーションで新春ライブ「和の世界」を行いました。「線の音」と題して、“・・・三味線、パーカッション、ベース、ピアノによるジャンルを越えた異色のコラボレーション。日本の伝統に創造と可能性を感じる音楽を、世代を越えた全ての皆様にお届けします・・・”とチラシには記されていました。

会場は、昨年からオープンした豊平区中の島のカムオンホール で、会場いっぱいのお客さんでした。http://cosmomaris-piano.com/concert/ooharae.img/map-sap.gif 津軽三味線のライブの時にいつも感じるのですが、聴きにくる比較的年配のお客さんは、高橋竹山に代表される津軽三味線のイメージを期待して会場に座っていて、若い方々は、まさに若いプレーヤーのパフォーマンスを「観に来る」風で席に着いています。昨年の登別の時も広い会場を見渡してみてもそんな雰囲気でした。何を言いたいかというと、1時間少々のライブ中に、時々お客さんが追いかけてもついていけない状態を見る気がしたのです。演奏がまずいのでは全然なく、新しい領域へのチャレンジが斬新で、大変不思議なコラボレイトに感動する一方、その挑戦に従来のイメージが強くて一緒に乗っていけないもどかしさみたいな、そんな場の空気を私は感じました。かえって白田くんが以前行ったヨーロッパ公演での若い観客の方が、そういったこだわりもなく、表に出した感動の表現が素直なのかなと思ったりします。

パーカッションと三味線は大変面白い境地を表現しますね。またピアノとのコラボレイトも新鮮でした。丁度ピアノの楽譜が見える角度でしたので、演奏とピアノの楽譜との関係も知る事が出来ました。あの簡単な楽譜でどうして沢山の音が紡ぎだせるのかと、驚きでした。

とにかく若い4人の前向きのエネルギーを受け止めて、帰り道は元気になりました。回を重ねる毎に進化していくプレーヤーを見るのは、ライブの醍醐味ですね、早速3月のライブも予約しました。

「課外授業~ようこそ先輩~」、長淵剛編

Posted by 秋山孝二
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 NHKテレビの「課外授業~ようこそ先輩」は、数日間の授業で生徒たちが変わっていく様子を目の当たりに出来て大変感動的です。正月早々この番組では、長淵剛が母校鹿児島南高の3年7組で授業を行いました。http://www.nhk.or.jp/kagaijugyou/archives/archives281.html

秋葉原事件について生徒たちに感想を求めた彼は、その答えを聞きながら明らかにいらだっている様子でした。そして丁寧に語りつつ、当時現場で周りを囲んでいた群衆が傍観者を決め込んでいる姿を指摘して、今回の授業のテーマ「叫び」へと導く場面は素晴らしかったですね。卒業を数か月に控える高校3年生にとって、小学校・中学校の義務教育年限の卒業とは一味違う不安が心をよぎるのでしょうか。「社会」への旅立ちとも受け取れる時期に、長淵剛に出会えた生徒たちは幸せです。この授業を受けてどんどんと引き込まれて変わっていく様子が、それぞれの生徒たちの表情から読み取れました。

納得のいかない高校時代を過ごした私にとって、長淵剛のようなメロディと詩で思いを表現できる人は大変うらやましいです。番組の中で、生徒たちからの言葉・詩をもとに曲「卒業」を作り上げていく一連の作業は、あれもこれも盛り込むのではなく、むしろ限りなく無駄な言葉を削ぎ落とし、出来るだけシンプルな表現へと仕上げていく活動だと受け止めました。

私も彼のCDは何枚か持っています。一番新しいものは、アルバム「KEEP ON FIGHTING」ですが、もう5年前のものとなりました。その中の曲「傷ついた鳥」http://music.yahoo.co.jp/shop/p/53/237438/Y018417

「しあわせになろうよ」http://bestcd2.blog97.fc2.com/blog-entry-1010.htmlは、特に印象的です。

傷ついた鳥 ・・・青く広がるのはいったい誰の空、よせてかえすはいったい誰の海、翔べないこの鳥を私は抱きしめて、朝の光をにらみつけてみた、自由に翔べるさ、きっと自由に翔べるさ、そう信じてまた、生きていくのでしょう・・・

「ずぶぬれ」とか、「どしゃぶり」と言った表現を好む一方で、詩ににじみ出るすべての「いのち」への眼差しの優しさに強く惹かれます。ライブはエネルギーにあふれていますが、先日の授業でも見られたように、個々人へ迫るストレートさというか透明感を、先日のテレビで、埠頭での女生徒たちとの会話、大風呂での男生徒たちとの語らいを通しても感じました。魅力的な優しさですね。

長淵剛にとっては、桜島・錦江湾が原風景なのでしょう。私にとっては、藻岩山・豊平川・大通り公園等が原点です。ふるさと札幌を離れて活躍している多くの方々も、恐らくそれらが心の原風景となっているに違いありません。

長淵剛の魅力を再認識致しました。http://www.nagabuchi.or.jp/live/sakurajima/interview_01.html

演劇Part2

Posted by 秋山孝二
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 少し忙しい日が続き、自分と向き合う時間が減ると、途端にこのコラムの文面も上滑りになってしまいます。「上滑り」というのは、書きたい事は山ほどあるのに、まあこの辺でいいかと、早々に「公開」ボタンを押してしまうみたいな心理状態です。そうではいけないと思う自分とのしばしの葛藤? 時々後戻りしての「追伸・補足」を許して下さい。 

演劇Part2です。先日は、中島公園横にある「シアターZoo」で、劇団TPSの「秋のソナチネ」のゲネプロを観ました。普段から沢山芝居を見ている方々と、終了後に一緒に、飲みながら、食べながら、しばし歓談しましたが、面白かったですね。それぞれの方が同じ芝居を見ても、かなり違った感想を持っていて、その理由が実にふところが深く、「そういう見方もあったのか」と、新たに見終わった芝居を楽しめるのですよ。特にゲネプロでは、公演に向けた願いも上乗せして、ピアノの上の日本酒がこぼれるのではと心配だったとか、割りばしの床に落ちた袋はすぐに片付けなきゃとか、ほんのちょっとの動作を見逃さない、少しのセリフの言い回しに納得がいかない等、自分の気がつかなかった箇所を指摘する皆さんの意見は、それを肴(さかな)に何時間でも飲めるからやめられないです。

芝居の最後は大事だと思いますね。言葉できっちり決めて貰いたい、終了した後思わず拍手をしてしまう、そんな芝居が理想的です。それと演出家の解説にも興味があります。観る前に解説は興ざめでしょうが、見終わった後の製作者のお話は面白いです。

昨年の光州市でのTPS公演でのこと。札幌では仕込み・ゲネプロ等は、まず見学する時間もないし、それ程興味もないのですが、海外公演では自分には時間もあるし、外国での舞台づくりにも好奇心から全く最初から「見学」していました。電動で移動させて観客席を作り、舞台の床から整えて、スピーカー・マイクの配置等、音響・照明が活躍していました。

「冬のバイエル」の最終場面、ピアノ上の祭壇のロウソクの炎に、演出の斉藤歩さんはこだわりを持ちました。ゲネプロ終了後、「あの炎は、やっぱり作ってきた豆球の光ではなくて、生のロウソクの火にしようや。作った火だと動きがないし、吹き消した時の余韻もない」と方針変更の弁。私は、ここにきて随分演出家というのも勝手な事を言うのだな、と思ってその場では聴いていました。案の定、その劇場では日本と一緒で、舞台上での火の取り扱いは規則上厳禁とか。ところがそれからがすごかったのですよ。その時の受け入れ責任者の光州演劇協会パク会長は、斉藤歩の意図を知り、直ぐに日曜日でお休みだった劇場責任者に電話をして説得し、許可を得たとの事でした。ちなみにその会場責任者の方は、2日間の本番の最中、ずっと舞台の裾で「監視」していましたが、パクさんの迅速な対応に恐れ入りました。劇場管理については、まあここでの本題ではなく、問題はそのロウソクの生の炎です。1日目公演の最終部分、ピアノの上に祭壇が用意されているのを見ると、確かに炎がかすかな空気の流れを感じてゆらゆら揺れて、それに連れて影の動きも出ていたのです。ただ、役者が吹き消した場面の後の白い煙は、注視していた私には殆ど見えなかったのですよ。やっぱり演出家がいくら拘ってみたところで、大きな舞台では何ぼのものか、と正直そう思ってその日の公演は終了しました。

翌日に再度ほぼ同じ席で観ていました。この日の終わりのその場面で驚いたのです。吹き消した炎の白い煙が、見事に上に立ち昇るではありませんか。明らかに昨日とは違うな、と不思議に思って、公演終了後に斉藤歩に聞きました。するとどうでしょう、彼は「昨日、生の炎を使ってみたけれど煙が見えなかったので、終了後に照明と相談して角度を変えてみたんです」と話してくれました。

「舞台を創る」、そんな心意気と執念をその時以来感じて、私は時間があれば、同じ芝居を何回も見るようになりました。その時の客席と創る芝居、日々進化していく芝居、簡単に「感動した」などと書いては申し訳ないくらい、「創作活動」というのは奥が深いのでしょうね。その辺が、映画よりも面白い所であり、観客へのインパクトが強いのだと思います。ある時はエネルギーを貰い、ある時はどっと疲れも出る、そんな意味合いでですね。